―――それは虹色の光と音の奔流だった。
ここに音楽の全てがあると言わんばかりの音色の渦。その中に自分が加わり渦が奔流となり潮となり音色に戻る。どうどう巡りを繰り返し、でも時に音の塊が八艘飛び、観客と奏者の頭上を越えて往く。
そんな演奏の傍らで、私は思った。
私の音色はきっとこれなのだと。もしかしたら実は違うのかもしれないけど、今はこれでいいのだと。きっと、何色だって好いのだと。
「ただいま」
「おかえり、お母さん。ご飯用意してたから」
「いつもありがとう、あすか。明日はお母さんが作るから」
「うん」
「………」
「? お母さん?」
私は娘を見る。
「あすか」
「…、はい」
「吹いてみなさい」
「………え?」
「ユーフォ。吹いてみなさい。持ってきてるんでしょう?あの楽器」
「………えっと」
「聴きたくなったから、ちょっと吹いてみなさい」
「…分かった」
ちょっと待っててと、娘が言う。早足の足音がだんだんと聞こえなくなって、少し経ってからこちらを覗く。銀色の楽器・ユーフォニアムがこちらを覗く。
「貴女が一番得意な曲がいいわ」
「分かった」
騒音で苦情が来るかもとは思わなかった。こんな時間なのに。
ただ聴きたかった、それだけだった。娘のユーフォの音色を。
「………好い曲ね」
それは綺麗で、昔聴いた事のある音に少し似ていた。
「あすか」
「…はい」
「部活を辞めなさい」
・・・・・。
「―――お母さん。私、部活辞めたくない」
「…そう。なら、頑張りなさい。全国で金賞を獲るのは難しいわよ。あすか」
「……うん」
「勉強も、しっかりね」
「――うん!」
娘が作ってくれた晩ご飯を温めて食べる。いつも通り、これからは独りの時間だ。ラジオでも聞こうとして、箸と茶碗を置く。でも今日のご飯はやけに美味しいので、冷めない内に全部食べようともう一度茶碗と箸を手に取る。いつもは何の味もしないのに。
それが珍しいのか、娘は自分の部屋に戻らずにそこにいた。
「どうしたの?あすか」
「美味しい?お母さん」
「美味しいわよ?」
笑みを浮かべて、今度こそ娘は部屋に戻る。よかったと、最後に言い残して。
「でも本当に。――今日のご飯は美味しいわね」
流れる涙を堪える事は大人には容易い。けれど零れる涙を堪える事は、大人でも子供でも難しい。そうだったなと、私は思い出したのだった。
◆
最終話
夢を見ている。
楽器を吹き続ける夢を。それを現実にしたいのに、身体はこれっぽっちも動かないし目覚めない。そして両親が、先生が、姐さんが、久美子が、私を見ては感想も言わずに去ってゆく。おい待てよ、待てったら。すると、幼馴染が振り向いた。
何も言わないそいつはただジッと私を見続けている。やんわりと、微笑みながら。
どうだ久美子!私はやってやったぞ。私はこれからも、これからもずっと―――
「たとえ負けても勝つんだあああ!!!? あ?」
「あらびっくり。起きた?」
「あ………?お母さん?」
「演奏中に倒れたって言われて驚いたわよ。桃」
夢が現実へと置きかわる。頭の中がすっきりとし始め、夢の内容と誰かの笑顔がまるで砂糖菓子のように消えていく。…いや、待て。私はお外でクラを吹いていた筈では?
「え?あれ?ここどこ?」
「貴女の家よ。大丈夫?」
「和菓子の姐さんは!!?」
「え?姐さん? 貴女をここまで連れてきてくれたのは高校の松本先生一人だけだったわよ?それとこれを」
「! これって」
母は栗饅頭の包みを私の前に取り出した。綺麗な包装がよれている箇所は一つも無い。それが二つ。そう、二つ。
「貴女にだって。応援しているって言ってたわ」
「―――」
それらを受け取る、その前に。私は一つ尋ねてみたかった。
「ねえお母さん」
「ん?なに?」
「お母さんもお父さんも。みんな地獄以下の穴底にいるの?」
「……はい?」
「大人の世界は地獄以下の穴底なのかなって。それで私がそこに来るのをずっと待っているのかなって。そう思って訊いてみた」
「………」
面食らう母を見ながら居住まいを正す。何を言っているの?と言われるかもしれない。分からないなと言葉が返ってくるかもしれない。…違うよと、期待に応えてくれるかもしれない。
でも母は、目を一分(いちぶ)細めて言った。
「そうねえ、待っているのかも」
「………そう、なんだ」
「でもこの世は地獄以下の穴底ではないとお母さんは思うわ。お父さんもきっとそう言うでしょうね」
「……?え、何で?」
母はうっすらと微笑んでいた。私を見ながら。
「さあねぇ。一緒にお酒でも呑めるようになれば、教えてあげるわ。この世界が無限の地獄じゃないとしたら、それは誰のお陰なのかって」
「絶対だよ?教えてねお母さん」
「勿論よ。だから待っているわ、桃」
宝物を見るような眼差しを、信じて受けとめる。だって母が本当に偶に見せるこの表情が、私は大好きなのだ。
◆
『てなわけで起きたら熱が出てしまいました。テヘ』
どういうわけだオイ。
朝一番で、私は幼馴染から届いたメールを見てツッコミをいれてしまった。
いやホントどういうわけだ。昨日は夏紀先輩と必死になってお前を探していたというのに。携帯も全然繋がらないしで心配してたというのにもうほんと何なのコイツ何なの。
『今日は部活どころか学校にも行けなくなったので練習頑張ってね』
瞬間、切り替わる私の脳内で面倒くさいのと気だるいのとがボクシングをし始めた。
今日はあすか先輩のお母さんに会いに行くのだ。部長と一緒だけれども、不安しか生まれてこない。
「……、そういえば」
『桃アンタあすか先輩のお母さんに会った?』
『アッタヨー』
気になったのでメールをしたらすぐに返事が返ってきた。…病、人?
『聴かせたの?』
『バッチリ』
「………マジか」
『え?ホントにやったの?』
『ヤ↑ッタゼ』
高校生になってから、幼馴染は有言実行が板についてきていた。一体全体何があったらこうなるのだろう。…何だかくやしくなってきた。桃のくせに。
「―――やるっきゃないか」
私も。アイツに負けるわけにはいかないから。
◇
「じゃあ行こうか、黄前さん」
その日の放課後。私は晴香部長と昇降口で待ち合わせて一緒に出発、いや出陣した。
「はい」
「…ごめんね?本当は練習したかったでしょ?」
「……。練習と同じくらい大事な事だとは思ってます」
「ありがとう。そう言ってくれて」
部長は大人びた表情でそう言った。こんな顔が出来る先輩だとは当初思ってもみなかったが。失礼ながら。
「…正直勝率は芳しくないとは思ってる。友達の親を説得するなんて事、生まれて初めて行うんだもの」
「…はい」
けどこのままにしておくなんて事は出来ない。部長はそう言い切った。
「今日の事はあすかには伝えてない。もし言ったらあの子は余計なお世話だって言って止めると思うから。でも私には、私達北宇治吹部にはあすかが必要なの」
「………」
「それは全国で金を獲る為でもない、体裁の為だからでもない。だって私達は一緒に何度も、修羅場を潜り抜けちゃあの子と一緒に過ごしてきたんだから!」
「……部長」
「行こう、黄前さん」
「はいっ」
意気軒昂な晴香部長と一緒に歩いて行った先のあすか先輩のお家は簡素な一軒家だった。不思議と結構な豪邸なのかなと思い込んでいたけど、そんな事はなかったらしい。
インターホンを押す前に部長がこちらを見て、頷く。部長って大変なんだなあと私は思った。
他人の家に上がり込む。そして説得する。こんな事できる人なんて私達の代にいるだろうか。まだまだ先の事だけど。いたら凄いなあ。
「はい。――どなたですか?」
「北宇治高校吹奏楽部の者です」
「どうぞ」
ガラリと、玄関が開いたそこには職員室で見た相変わらずの人がいた。
服装はラフでもビジネスでもなく、化粧は薄く。誰が見ても大人なあすか先輩のお母さんがいた。
「学生さんがなんの御用でしょうか。娘ならまだ帰っていませんが」
「…?」
? あれ、勘違いだろうか。顔色も声も相変わらずなのに、何だか眼だけが少し――
「突然お邪魔して申し訳ありません。お願いがあって参りました」
「なるほど。中へどうぞ」
「…お邪魔します」
通された居間は質素で、良く言えば堅実な感じがした。無駄を省くと部屋というのはこんな風になるのだろう。やはりと言うべきか、ここは何処かこの親とその娘に似ていた。
「夕ご飯の用意をしていた所です。よければ食べていきますか?」
「いいえ、それには及びません」
温かいほうじ茶を差し出す先輩のお母さんはやんわりと微笑んだ。対して、晴香部長はそれに手を付けず綺麗に正座した。
「単刀直入に申し上げます」
「聞きましょう」
「あすかを。――北宇治高校吹奏楽部副部長・田中あすかさんを部活に復帰させて下さい」
「なるほど、解かりました。お味噌は白味噌ですが嫌いですか?」
「私達にはあすかさんが必要なんで――――す?」
「す?」
おうむ返した私の言葉尻を、先輩のお母さんは笑みで受け止めていた。
「あら?嫌い?」
「………」
「………」
お土産の栗饅頭の包みを横に、私と部長は顔を見合わせた。
「あ、あの?」
「なにか?」
「聞き間違いでしたら大変申し訳ないんですが、……先程のお返事はあすか先輩を吹部に返して頂けるという事でよろしいでしょうか? あ、これお口に合いましたらどうぞ…」
「聞き間違いではありませんよ」
大人は続けた。
「あんなに部活を辞めろと言っても、娘は今まで一度も首を縦には振りませんでした。それほどまでに変わらないものであるなら、私にはどうする事も出来ない。――今更ですが、それだけの事です」
「…では本当に?」
「昨日の夜に娘と話して決めました。なので良ければどうぞ」
そう言って、あすか先輩のお母さんは夕飯を薦めてきた。
…どういう事だろう。何かの罠かと勘ぐってしまうのを止められない。根負けしたような、忘れた何かを宿しなおしたその眼には綺麗で暖かな光があった。
やはりこの間とは違うと私は思った。だってそれはどこか、幼馴染に似ていたから。
「ありがとうございます、あすかさんのお母さん。それと本当にすいませんが夕飯は結構です」
「あら、それは残念」
「ただいまー」
「! あすか先輩」
「あれ?どったの二人とも。何だか珍しい組み合わせだね」
「――あすかぁあ!!!」
「うわあっ!?なになに晴香どうしたの」
「良かったぁぁああ…ッ!一緒に演奏できるよぉぉおお…ッ!」
緊張の糸が切れたように泣き出す晴香部長を前に、あすか先輩はたじろいでいた。そういえば言うの忘れてたなあとあすか先輩は困った風に言ったけれど、私にはそれが何故か嘘であるように思えた。
「晴香ほんとうごめんって。あ、ねえ久美子ちゃん」
「はい」
「もう帰るんでしょ?帰り、送ってくよ」
話があるのだと、私は直感で理解した。
◇
「黄前さん今日はどうもありがとおおお」
「気を付けて下さいねー、晴香先輩」
「やっぱり晴香は晴香だねえ」
「そですねー」
帰り道、晴香部長が向こうに一人帰っていく。まだ涙ぐんでいる声と表情は何だか安心するようなそうでないような、いつもの北宇治高校吹奏楽部の部長だなと私は思って、でも恰好いいなと少し思った。
「――さて。どこ行こっか?」
「先輩が好きな場所でいいですよ」
「わお、流石久美子ちゃん。流石あの帆高ちゃんの幼馴染」
「……桃?ですか?」
じゃあこっち、と指を差しながら歩き出すあすか先輩。その瞳は眼鏡で反射する陽光で見えなかった。
「あの子のお陰でお母さんを説得できたからね。何をしたのか昨日の夜家に帰ってすぐダメ元であの人に部活に戻りたい~って言ってみたらOK出ちゃって。いや~タイミングが良かった良かった」
「嘘。ですよね」
「ん?」
・・・・・。
「それ。嘘ですよね」
「OKが出たのはホントだよ?」
「説得なんてしてないですよね。あすか先輩は、この時をずっと待ってたんじゃないんですか?」
「どうしてそう思うのかな~?」
「昨日の夜だからといっても、いくら何でも晴香部長たちに何の連絡も入れないなんておかしいです」
「親から部活自粛の憂き目にあってからこっち真の意味で吹部の混乱を分かってなかったんだよー。って言ったら?」
「それはありえません。香織先輩がいますし何より、」
「何より?」
「その程度が読めないあすか先輩だとは、思えません」
先輩の瞳が見える。細められたそこには、誰も、いや私だけが居た。
「読む、ね。信じてくれてるんだ?」
「はい」
「嬉しいなあ、嬉しいよ久美子ちゃん」
「………」
・・・・・。
「じつは今年の文化祭で帆高ちゃんに会った時、私は確信したんだよ」
「何がですか?」
「あの人の枷が外れる最後の時が来たってね」
「………枷?」
私達はただ歩く。
「うちのお母さんを久美子ちゃん達が職員室で見た時、頭おかしいって思ったでしょ?あの人はワザとあの場であんな事を言ったの。そう言えばやばい人だって思わせられるから。思考を指定できるから。まあ本音もあっただろうけど」
「………」
話をしながら、私達は歩き続ける。
「そんな一見おかしい人の下で、私は育ってきたしずっと見てきた。そして解かった。実の娘の力じゃどうしようも出来ない変えられないって、ずっと。でもそこにあの1年生はやってきた」
「桃の事ですね」
「初めて音楽室であの子の顔を見た時、私はピンときた。この子はしっかりとした目的を持って吹部に来たんだって。
面白くなるって思ったよ、案の定メキメキと腕は上がっていったしAメンバーにも選ばれた。一日一日過ぎる度に、本当に高校1年生かって思うくらいあの子は成長し続けてた。傍から見れば、まるでRTA(リアルタイムアタック)だよ。ゴールド金賞RTAとかどうかな?」
受けないね、これ。そう言って振り返る先輩は偽悪的な笑みを浮かべていた。これは序論だと、私は思った。
「そして忘れもしない文化祭の時。帆高ちゃんはね、私は私を証明する為に皆を想って楽器を吹くって言ったの。その時私は理解したんだよ久美子ちゃん。私には出来ない事を、この子ならやれるって」
「…出来ない事というのは先輩のお母さんへの説得、ですか?」
「うん。そして職員室で私はあの人に叩かれてみせた。避ける事も止める事も出来たけど、久美子ちゃんと帆高ちゃんがいるなら眼の前で」
「そうすれば桃が、」
「必ず前に出てくるから」
「………」
・・・・・。
「そしてあの人の幼馴染である松本先生のお陰もあって、事態は良い方向に進んだよ。結果私は明日から吹部に復帰できる。晴香には直接、香織たちにはさっきメールをした。後は明日部員全員の前で謝罪すれば大手を振ってやっと私は練習が出来るってわけ。―――軽蔑した?」
「……わかりません。けど、少し、」
「少し?」
「なんでそこまでするのかなって、思いました」
「吹きたいからだよユーフォを」
全国の舞台でね。そう、あすか先輩は変わらない表情で言った。
「じつは今度の全国大会の審査員にね、私の元父親がいるんだよ。そしてその時に聴かせてやりたいの。私のユーフォを」
「元…父親?」
「そう。私がうんと小さい頃に親が離婚してね。だから田中あすか。…もう顔も憶えてないんだけど、その人の名前だけは子供の時からずっと憶えてた」
「………名前…」
「進藤正和さんって人なんだよ」
「! え、その人って…」
それは信じられない事実だった。その進藤さんという人はこの国で高名なユーフォニアム奏者であり、初心者なら誰でも持つユーフォ教本の著者なのだ。何より私もその本を読んで学び育った初心者の一人だった。
「その人に今の私の音を聴かせたいの。響かせたいの。楽器を辞めた母の下で、私はこんな音色を出せるようになったって」
先輩の歩みが止まる。そこは綺麗な川辺だった。ここで楽器を吹いたならさぞ気分がいいだろうなと思って、周りを見渡すと家は無く空と川と飛行機雲だけが広がっていた。あすか先輩みたいだと、何故か思った。
「私のお母さんね、昔はすっごく上手いクラリネット奏者だったんだって。進藤さんと結婚して、でも別れさせられて、クラを諦めちゃった人なの」
「?……別れさせられてって、?」
「進藤さんの家。すっごく古風な家みたいでさ」
あすか先輩はそれ以上なにも言わなかった。
「調べたんですか?あすか先輩。でも一体いつ――」
「逆に訊くけど、子供が自分の親について知りたい聞いて回りたいって考えるのはおかしい事?」
「それは………、」
「思い込みは良くないよ久美子ちゃん。私はこの北宇治に入学した時からあの人が元明静工科の吹部生でコンマスだった事も知ってたし、あの月永源一郎先生の一番弟子だった事も知ってた。だってあの人の上を行くには知らなきゃいけなかったし、指定させなきゃいけなかったから」
「指定……ですか?」
「私がお母さんを枷だと思ってるって事を」
あの人にね。そう言って、あすか先輩が私を見る。そこには偽悪的な笑みなんかではなく、決意の笑みが野心のように浮かんでいた。
「お母さんは凄い人なんだよ」
そこには消えない火があった。
「独りで私を育ててくれた恩を私、忘れない。あの人が枷だなんて思った事は今まで一度もない。…もしかしたらそう思ってしまった別の自分が何処かにいるかもしれないけど、私は違う。
子供の頃ね?押し入れの奥底でクラリネットを見つけた事があったの。私は直感で、お母さんの楽器だって思った。――楽しみだったよ、どんな音が出るんだろう?いつ聴けるんだろう?って毎日が。でも私がユーフォを手にした次の日に、楽器はなくなってた。
それからお母さんはみるみる変わっていった。まるで化け物になるみたいに」
「………あすか先輩」
「あの人ね?今まで何度も私からユーフォを離そうとしたけど、その時一瞬だけ、一瞬だけ眼が泣き出しそうになるの。楽器に真摯だったんだなって、ずっとこの楽器が好きだったんだなって子供心でも解かった。だから絶対に諦めるわけにはいかなかった。ユーフォを辞めたらきっと、あの人は本当におかしくなる。独りぼっちのままになる」
「………」
「枷に囚われているのはお母さんの方だった。それを私は何とかしたかったけど、出来なかった。でも昨日帆高ちゃんが、あの人の枷を壊してくれた。…美味しいって、初めてご飯が美味しいって、笑って言ってくれたんだもの」
「―――、桃が」
「だから明日からはちょっと先輩の意地を。――田中あすかの全身全霊をみせなきゃ、ってね?」
あすか先輩が座る。私もその横に。すると秋にしては暖かい風が、私達を激励した。それでいいのか?と訊くように。先輩と私はふッと息を吹いた。
「今度さ」
「はい」
「今度、うちにおいでよ」
「あすか先輩の家にですか?」
「うん。勉強教えてあげる。数学、ちょっとやばいんでしょ?」
「うぐっ……」
やばいどころじゃない事を何故知っているのか、最近ひしひしと感じているのに。とは訊かなかった。
「あとその時、ちょっと聴かせてあげる。…ううん、聴いて欲しい、のかも」
「ユーフォをですか?」
「それはその日のお楽しみかなあ~」
いつも通りに戻った、いや決意した先輩が少し笑う。私も同じように少し笑って、約束を交わす。そして1週間後、私は先輩の家にお呼ばれし、そこで一生に残る想い出の音楽を聴かせてもらうのだが、それはまた別の話である。