いつからだろうか?朝目覚めた時気だるさや一日の憂鬱を感じるようになったのは。
いつからだろうか?好きなことや途方もない願望に蓋をして周りに納得して貰える建前を語るようになったのは。
私はなんのために生きているの?時折押し寄せてくる底の見えない暗い不安。自分の吐く息がどす黒い気がする。
今日も私は電車に揺られる。次の停車駅を伝えるアナウンスとガタンゴトンという音だけが車内を満たす。私を含めた何十人もの人が目的地の決まった箱舟に収まっている。
この中に目的地が決まっている人はどれだけいるのだろうか?
不意に気になって視線をスマホから周りの人達へ移す。
私とは違う制服を着た男女は仲良さげに話している。大学生らしき青年はイヤホンをしたまま目を閉じている。中年だと思われるスーツを着た男性は立ちながら本を読んでいる。吊り革でバランスをとる彼の逆手には今日から変わるあなたの市場価値という本が握られている。
ふとした時優先席に座る妊婦さんと目が合う。咄嗟に目を逸らしたが彼女は気にしていないようでとても優しそうな顔でお腹をさすっていた。
こんな早い時間の電車になぜ乗っているのか?答えのでない疑問が私の中から浮かび上がってきたがそれは流れ星のようにすぐ消えた。私の降りる駅に着いたからだ。
電車から降りると私と同じ制服をきた人とそうでない人でごった返した。みんなが同じ改札へ向かう。出口はここしか無いからだ。
その他大勢の後ろに並ぶ。行列に並ぶ瞬間が一番嫌いだ。
待つことは私の一番嫌いなことなのだ。
改札にどんどん吸い込まれいよいよ私の番が来た。毎日のルーティーンのように定期券を改札にかざす。それに反応してパカッと開く改札扉は早く通れと急かしているようだ。
今日もつまらない一日なのかな?もちろん全部が全部つまらない訳じゃない。クラスの男子の馬鹿な発言、好感度の高い俳優のゴシップをいじる先生、群れないとトイレも行けないほど寂しがり屋な友達とか、というか何も楽しくないなら自殺とかしてると思うな。私みたいなタイプは。
それでも全体を通してみるならつまらない。人生四十点ってところ。
自己採点なんかしても無意味なのは分かってるけどそれでも考えてしまう。本当にこれでいいの?って。周りの人は皆今のままでいいって顔してる。そういう人を見るとこの人のゴールってどこなんだろうとか思っちゃう。
駅から学校までの道のりは細かいところを省くと四つくらいしか無い。短いけど坂がキツい道とその道より長いけど少しだけ傾斜が緩やかな道と明らかに遠回りだけどずっと平らな道と路地裏みたいな所を通る道。全部行った。だからなのかどの道にもドキドキ感は無い。そんなわけで私は中途半端な少し長くて少しの傾斜がある道を選ぶ。
別に学校に早く行きたいわけじゃないしかといって遅刻する訳にもいかない。
駅前の歩行者用信号機は赤のまま中々変わることが無い。なんの感情も抱かないけど強いていえばこれも待たされているなとか。
「ねぇねぇ」
唐突に声をかけられ後ろを向くと百五十センチ位の金髪の男の子が立っていた。白いテーシャツにアイドルのようなスカートを履いている。どう考えても不気味な見た目だがその反面顔は子役のように整っていて思わず目を奪われそうになる。
何かのドッキリかもなー。最近は動画サイトですらそれなりの企画力がある。
「君は身内に不幸でもあったの?随分と暗い顔をしてるけど」
「は?」
思わず威圧的な声が出てしまった。咄嗟のことだったがドッキリとかの類なら今の私のリアクションも撮られているかもしれない。その後悔を差し引いても目の前の奇妙な男の子のセリフには嫌悪感を示さざるをえなかった。
「そんなにつまらないなら辞めればいいのにー」
信号が青に変わっても私の足は動かなかった。明らかな挑発なのに無視できない。やっぱり芸能界とかだと変なカリスマ性とかあるのかもしれない。
「どういう意味?」
とにかくこの一方的な会話を終わらせたかった。ある程度話したら突き放そう。
「自分の人生に満足してないのにそれを続けるなんてどんな心理なのかなーって思ってさ」
「誰も満足してないなんて言ってないけど?」
「そんなの目を見れば分かるよ?」
その瞬間目があった。青色と茶色の瞳、オッドアイなんて初めて見た。けどその感想以上に別のものを感じだ。心臓を握られてるような得体の知れない恐怖を。
体は敏感だった。点滅し始めた青信号の下私は少し駆け足で横断した。その後後ろを振り返るともう少年は居なかった。
思わずホッとしたのも束の間少し歩いたコンビニ前の花壇の上に金髪はカカシのように立っていた。
「あなた一体何なの?」
「僕は……そうだなぁーなんだろうね?……あ!そうだ、ルービックにしよう!」
花壇から降りるととてもいい匂いがふわりと香った。接すれば接するほど人形みたいな奴だ。
「はじめまして!僕の名前はルービック!」
「…………で一体何なの?」
「それはこっちのセリフだよ、君は満足してないのにどうして今を続けるの?」
「……それは……」
答えは出なかった。嫌いな待つことも憂鬱な朝も漠然とした不安も全部慣れてしまったから。
「君は本当にそれでいいの?」
「ー!そんなの、そんなのいいわけないよ……このまま誰のためか分からない人生を歩むなんてできないよ……でも、でもだからって何したらいいのかなんてそんなの……」
皆分かったような顔をしているけど本当は誰も知らないんだ。自分の人生とかこの先どうなるかとか、不安なんだ。だから誰かの物差しに収まっていたいんだ。少しでも安心したいんだ。
「落ち着いて……ね?」
首元にひんやりとしたしなやかな指が当たる。それに反応するかのように脈拍が早くなる。
私よりも身長の低いルービックはニコッと笑った。
「僕の話を聞いてよ」
笑顔を見ると今までの威圧感が嘘のように安心させられる。そこにいるのはただの男の子だ。
「僕ね昔から目の色が違ったんだ。……子供って残酷だよねー少しでも自分と違うと思うと皆簡単に虐めてくるもん」
ルービックは花壇の縁に腰を下ろしたのでつられて私も腰を下ろした。ルービックは道路を見つめていた。
「学校では誰も助けてはくれなかった。皆普通が大好きだからね。普通じゃない子を守りたいとは思わなかったのかも」
遠い目をしている。その目はずっと遥か先を見ていた。表情だけ切り取れば透き通る水のようなのに強く握られた拳はルービックが人間である証みたいだった。
「結局僕は普通に収まることにした。ほら、今の時代カラコンとかあるじゃん?あーいうの入れて周りを誤魔化した。先生もカラコンなんかダメだなんて言わなかったよ。……本当は言って欲しかったのに」
「けど今は真逆の格好してるじゃん?」
待ってましたみたいな顔してニヤリと笑う。
「けどね、ある時気づいたんだ。このまま生きていたら僕はどうなるんだろうって」
それは私もいつも感じてた。何度も自問したし色んな意見を本やネットに求めた。そうしたら十人十色の答えが返って来た。でもどれも正解じゃなかった。
「それでどうしたの?」
「簡単だよ、縛るのを辞めたんだ。常識や周りの人の目を全て蔑ろにした。そしたら皆反発してきたよ」
ルービックはジョークでも言うかのようにあっけらかんとしている。
「でも代わりに僕は自由を手に入れた……いや違うな、それよりももっと大切なことを手に入れたんだ」
「大切なことって?」
返答は貰えず、ルービックは急に立ち上がると私の手を握って走り出した。ルービックの華奢な体にそれだけの運動エネルギーがあったことに驚かされた。
「ちょちょ、なになに?なんでわた……とにかく止まって」
ルービックは私の制止に聞く耳を持たず私たちの速度はぐんぐん上がる。
コンビニから四百メートル程走ってからようやく暴走が治まった。周りはいつもの通学路の住宅地だったが他の登校中の生徒はおらず誰ともすれ違うことは無かった。おかげで好奇の目で見られずに済みほっとした。
「ようやく止まった……この道はあんなスピードで行ったら疲れるでしょ!」
私が膝に手を付いてるのにルービックは腰に手を当てて余裕そうだ。
「他の道だったら良かったの?」
「他の三つは坂がキツかったり遠回りだったりするし……」
ルービックは私の泣き言を遮るやいなや
「だったら学校への新しい道をプレゼント!」
と言って誰かも分からない家の塀の上へ飛び乗った。高さは一メートル程で自分よりも頭が高くなったルービックはそこから手を差し伸べてきた。
「な、何してんの?早く降りてきてよ」
「逆だよ、早く乗ってきてよ、そしたら多分さっきの……いや君の疑問の答えがわかるよ!」
格好も考えも範疇から飛び抜けた奴とは思っていたがまさか頭のネジまで飛び抜けていたとは。
それでも私は揺らいでいた。答えがわかる。散々悩み抜いたが私は愚直にも信じてしまった。
掴んだ手に引っ張られるといつもよりも高い視線になった。これが人の家の塀の上でなければもう少し感動していたかもしれない。
「じゃあ着いてきて」
そこからは猫になった気分だった。家と家の隙間を時には庭や屋根を通った。いつ誰かに見られるんじゃないかと気が気じゃなかったが案内人のルービックはずんずんと進んでいく。
ようやく広いところに出たと思ったらそこは学校のグラウンドの隅の空き地だった。
「ほ、ホントに着くなんて……それよりも結局答えってなんなの?」
「これが答えだよ」
その時突風が吹いた。若葉が私たちの間をヒラヒラと落ちていった。
「君は道が四つしか無いと思ってたろ?でも他にも道があった。あとはこのことに気づけるか気づけないかの差だよ」
満面の笑みで私を見つめてる。
「他の道……」
「そ、僕はね今の自分が大好き。好きな髪の色に好きな服を着て自由に生きてる。例え周りからどんなに圧をかけられても好きを辞めることはしない。僕達人間は常識やルールの奴隷じゃないよ?僕らは自由の翼でこの空を駆け回るために生きているんだ!」
その瞬間ルービックのことが全て分かったような気がした。彼はただ自分の翼で自分の空を好き勝手飛んでいるだけだった。
「……けど私にそれは無理だよ」
「そうかな?むしろ僕は君だからできると思うよ?」
「え?」
「だって君は気づいてるから、今の私は本当の私じゃないって。だったらもう本当の私を探すだけだよ」
「……本当の……私を……探す」
「未来の自分や過去の出来事なんて大したことじゃない。今の自分を笑わせることに比べたら、ね。君は今何をしたら笑える?何をするのが楽しい?」
ルービックは相変わらず見惚れるほど美しい。でもその表情はとても挑戦的な印象を受けた。
私に向けられている。こんな顔に成りたいと切に願った。
いつからだろう?今の自分を軽く見積もるようになったのは……忘れていた、今の私が腐ったら過去も未来も意味なんてないのに、こんな当たり前のこと、それでも多分目を逸らしている人は私の他にも居るんだろう。 「私は……」
初めて自分から目を合わせた。言葉には出来ないけど何となく今の気持ちを伝えたくてルービックを見た。彼の目が笑った気がした。
その時チャイムが鳴った。何時の知らせか分からなかったので慌ててポケットからスマホを取り出すとホームルームまであと五分の時間だった。
「うっわ、やば」
早く行かなければ、時計の針に急かされるように私は歩き出した。
「ごめん、また今度でもいい?」
「いや大丈夫、もう充分伝わったよ。だから約束して、次会うときは自分を世界で一番好きになってて」
「もちろん!」
私は頷いてからルービックに背を向け学校へ走り出した。朝練が終わった運動部の子が怪訝な目を向けてくるが気にしない。今朝までモノクロに見えたこの世界は私のことを歓迎してくれてる。そっか何しても良かったんだ。
私の色は変わった。
六色の立方体が何色になるかなんて自分で回せば分かることなのかもしれない。
私の色は変わる。多分これからも。その色はきっと……。