抜きゲーみたいな島に派遣された対魔忍はどうすりゃいいですか?   作:不落八十八

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灼熱のアサネ・チーター。

「ごめんなさい……お兄ちゃん」

 

 また、やってしまった。そう麻沙音は重い瞼を開いて静かに独白した。

 マルチディスプレイの明かりだけが灯った部屋で罪悪感に苛まれ、普段よりも数倍気怠い身体を抱き締める。ここ数年は安定していた筈の生理の日なのに、どうしてこんなにも苦しいのか分からなかった。もっとも、この体調の悪さは前にも経験した事がある。青藍島から本島へ移ってから数ヵ月、この島でのトラウマをふとした時に思い出してしまった頃はこんな具合だった。

 

 段々と鮮明になる感覚と共に何となく原因が分かった。両親を亡くしたのはつい先月の事で、たまに似ている車を見るとフラッシュバックしてしまうくらいあの時の出来事は鮮明に焼き付いている。ひしゃげた座席とガソリンのきつい臭い。そこに混じった鉄臭さとアンモニアの悪臭、何かがショートするような不吉な音が響く空間。事故の拍子に頭を打ってぼんやりとした視界で、何が起きたのかが全く分からなくて。

 

 ――いいや、分かっていた。分かっていたからこそ、理解したくなかったのだ。

 

 いつも自分を撫でてくれていた優しい母の手が、潰れた座席の隙間からだらりと垂れて真っ赤に染まっている光景を。呻き声は聞こえなかった。生きている声が聞こえなかった。それはつまり、前の座席に座っていた二人は、両親がもうこの世に居ない事を無言で伝えていた。

 

 幸い、なのだろうか。壮絶な痛みを、悲痛な苦しみを、それらを味わい続ける事無く即死できた事は幸いだったのだろうか。もしくは、一握りも無い可能性が失われた事に嘆くべきだったのだろうか。そう、奇跡的に瀕死の状態で病院に搬送された先で手術を受けた事で、両親が助かったかもしれないという可能性が失われたことを不幸だと言うべきなのだろうか。そもそも、事故が起きた時点で不幸な事だったのだ。だから、何も言えなかった。目の前の現実を受け入れたくなかった。

 

 けれど、割れた窓から聞こえた兄の声はしっかりと聞こえていた。自分も怪我を負っているのに関わらず、それがどうしたと言わんばかりに麻沙音を引っ張り出してくれた。そんな兄の必死な姿が目に焼き付いて、先程の惨状を塗り替えるようにして記憶されたのだ。

 

 横転した車から離れた位置に麻沙音を抱えて脱出し、優しく壁に寄り掛からせて座らせて、もう大丈夫だからな、と空元気の笑みを浮かべて。そして、あの格好良い顔をして車へと戻って行ったのを、あの大きな頼り甲斐のある背中を見送ったのを覚えている。救急の隊員の人たち数人がかりで離れさせられるまで、兄は諦めずに横転した車から両親を救い出そうとしてくれた。

 

「……まだ、引き摺ってるんだろうなぁ」

 

 最後の肉親を守るために、両親が死んだという哀しみを噛み締めて、それでもなお率先して動いてくれた兄が麻沙音は大好きだ。これほどまでに自分を愛してくれている兄に返せるものがなくて、つい、自分の身体を差し出そうとやらかした時も淳之介は苦笑して自分を大切にするように諭してくれた。

 

 ――情けなかった。

 過剰なまでに筋トレを今も続けているのは淳之介が未だに事故の事を吹っ切れていない証拠だと分かっている。

 

 ――悔しかった。

 なのにそれを自分の趣味だと言い切って笑い飛ばしてくれるその笑顔を見る度に自分の矮小さを思い知らされる。

 

 ――辛かった。

 そんな大好きな兄にしてあげられる事が無くて、未だに依存するようにくっついている自分の在り方が嫌いだった。

 

 だけど、そんな妹を兄は愛してくれている。だから、結局自分を嫌いにはなれなかった。

 

 そして、祖父母の遺産であるこの家に移り住んでからも兄に頼りっぱなしだった。家事をしてみようとした、ご飯を作ってみようとした、色々と頑張ってみた。けれど、未だに変われていないのだと、あの頃を思い出すような生理の重さに叱責されている気がした。どんなに心を取り繕っても、こうして身体は厳しい現実を突きつけてきた。

 

「……嫌になっちゃうなぁ、ほんとになぁ……」

 

 兄の前では自分を曝け出せる。こんな、醜い事を考える自分すらも兄は愛してくれると信じて、縋ってしまっているから。分かり切っているからこそ、甘えていた。そして、体調不良を理由に暴言まで吐いてしまったのに、兄は心配しながら我儘に応えて頭を撫でてくれた。自己嫌悪がぐるぐると体中を巡る心地だった。

 

 生理の日。自分は重い方だと自覚しているからこそ、精神的に参っているのだと理解できていた。こんなにもマイナスな気分になるのは久しぶりだった。近くに居てくれる兄が学園に行っていて居ない。たったそれだけで寂しさから孤独感を感じている。

 

 PCの中で回るファンの音が薄っすらと静かな部屋に響く。時計を見やれば既に放課後の時間になっていて、突破の事を考えれば兄が帰ってくるのは数時間後だろうと気付いてしまう。暇潰しをする気分にもなれなかったから、覆い被さった布団を抱き締めるように顔を埋めた。使い慣れて自分の匂いが染み込んだ毛布が顔に当たり、少しだけ気持ちを落ち着かせる事ができた。

 

 静かに瞼を落として、眠りたいのに眠れない泥沼にはまっていく。喉が渇いたと一瞬自覚してしまってからは段々と水分欲求が高まってしまった。一つ溜息を吐いて、既に飲み切ったジュースの空きペットボトルを忌々しく睨んでから重い体を起こす。半日寝ていたからか体調は少しだけ良くなっていた。五十歩百歩な誤差ではあるが、二階の自室から一階のリビングに降りて冷蔵庫を開くくらいの気力を作り出す事ができていた。

 

「えぇと……アクメリアスでいっか……」

 

 そろそろ夏本番と言った時期のために熱中症対策として買っておいたスポーツドリンクのペットボトルを冷蔵庫から引き抜いて、やけに固く感じるキャップをこじ開けて一口二口と飲み干していく。水分を求める体に溶けていくような感覚と共に足りなかったものを補充した心地になった。そのまま二階に上がる気力は流石に無いのでぐったりとソファに倒れ込む。少しひんやりとしたソファが火照った体に気持ちが良かった。

 

「早く帰って来てよあにぃ……」

 

 そんな溶けた言葉をつい口にしてしまう程に麻沙音はソファにたれていた。そして、そんな麻沙音の言葉に応えるかのように玄関の方から姦しい声が聞こえた。タイミング良過ぎじゃないと少々驚いたものの、自分のために早く帰って来てくれたらしい兄に嬉しい気持ちになった。

 

 淳之介と文乃の声が声が耳に入って無意識に笑みが浮かんだ。もうすぐその扉を開けて入ってくるであろう兄を迎えるために、ゆらりと立ち上がってサプライズを仕掛けようと飛び付く準備をし始めた。普段ならしないようなボディランゲージ式のサプライズをして、そのまま自室へ連れて行って貰おうという魂胆であった。

 

「遅いよ兄ぃ、可愛い妹が苦しんでるんだからもっと早く帰って来なきゃ――」

「――っと」

「ふぇっ?」

 

 フライハーイと言わんばかりに大胆に抱き着きに行った麻沙音を受け止めたのは、美少女面をした同級生である那須であった。結構大胆に抱き着いたために、那須の後ろに居た面々が肩越しに視界に入る。

 

 NLNSのメンバー勢揃いという豪華な帰宅であった。そして、汗に塗れた部屋着のまま抱き着いた相手が那須だと気付くと、顔を真っ赤にして麻沙音は固まってしまった。無理も無い。人違いに加えて、その瞬間を全員に見られてしまったのだ。そんな事を想定していなかった麻沙音が羞恥心でオーバーヒートするのも仕方が無い事なのだ。

 

 肌にくっつくような汗の感覚を感じていた那須は真っ赤な顔の麻沙音を横目で見て苦笑した。正直面食らったものの、生理の日で体調が悪化して愛しの兄に助けを求めに行った事を何となくだが台詞から読み取れてしまったのだった。

 

 未だにしっかりと抱き着く麻沙音の膝を横から払うようにして抱える。視界が揺れたかと思えば、目の前に那須の可愛らしい顔があるという環境の変化に麻沙音の混乱は極まった。膝裏や腰に回った腕の感覚によって、自分の置かれた状況に気付く。

 自分は今、お姫様抱っこをされているのだ、と。

 

「あqwせdrftgyふじこlp;@;!?」

 

 ブルースクリーンを表示したパソコンのようなきょどり方をした麻沙音は借りてきた猫の様に大人しくなった。そんな可愛らしい初心な様子を見せた麻沙音を見て那須は微笑を浮かべ、そのままリビングへと入って近くのソファに優しく麻沙音を下ろした。

 

「悪戯をする元気くらいはあるみたいで良かったよ。凄く心配したんだから」

「ひゃい……」

「熱は……あはは、わっかんないや。そんなに恥ずかしかったの?」

「う、うぅぅぅ……」

「可愛いなぁ。でも、寝汗をかいてるみたいだから先ずは着替えをしないとね。えぇと、お願いしても良いですか?」

「ふふふっ、流石にそこまではできないものね。可愛いアサちゃんはこっちで着替えさせておくから」

「お願いします片桐先輩」

「任されましたーっと。ほら、アサちゃん、お着換えするわよー?」

「はいぃぃ……」

「片桐様、着換えの衣服は此方です」

 

 相手が奈々瀬である事も相まって、羞恥心でどうにかなりそうな麻沙音は顔を真っ赤にしながら連れてかれて行った。そんな様子を微笑ましいものを見たと言う表情で見送った一同は顔を合わせて笑った。

 

 今朝の麻沙音の様子を知っている淳之介は安堵の色が見える苦笑をしていた。さて、どうしたものかなと手洗いうがいをさせて貰った那須は考える。先程の感触と匂い、そして真っ赤になった可愛らしい麻沙音の顔が未だに脳裏から出て行かないのだ。

 

 不意打ちだったそれは那須の思春期めいた頭にクリティカルヒットし、胸元から香る匂いにくらくらする心地であった。必死に自身の対魔因子を抑え込み、冷静になれと自己暗示をかける。奈々瀬に優しく身体を拭かれ、着替えまでもしてもらった麻沙音がふらふらと戻ってくるまで、那須の頬は真っ赤なままだった。

 

「大変お見苦しい姿を見せました……」

 

 新しい部屋着に着替えた麻沙音がそう呟くように言うと、ソファに身を投げて顔を伏せた。どうやら未だに恥ずかしくて仕方が無い様子であり、その姿は年相応の女の子と言った感じで新鮮だった。何せ、此処まで乙女心ピンチな様子を淳之介ですら見た事が無いくらいに悶えているのだから。

 

「あはは。こういうの見たトキあるなぁ。礼ちゃんから借りた少女漫画みたいな展開だったな」

「くっ、くふっ、ぶはっ、あははははは!」

「笑うな兄ぃ! お前! お前ぇ! お前ぇぇぇええ!」

「いや、ごめん、くっ、ごめんっ。ほら、苦くないお薬買ってきたから今のうちに飲んどきな」

「今それどころじゃないよ兄ぃ。正直恥ずか死しそうなくらいID真っ赤状態なんだから! これからどうやって過ごせって言うんだよぉ! こんなっ、あんなっ、うぅううう、うあぁああぁあああ…………」

「またクッションに顔を埋めちゃった……」

「ふふふっ、分かります。分かりますよ麻沙音ちゃん。向かい側の知り合いに手を振ったら全く違う人で、しかも気付かれなくて無視された時くらい恥ずかしいですよね」

「うっさい、黙ってろほとりさん。カロリーの化け物が喋るんじゃないやい!」

「がーんっ、今の麻沙音ちゃんなら分かってくれると思ったのにぃ……」

「まぁまぁ……、麻沙音さん生理が重いって聞いたからカプセル型の苦くない痛み止め買ってきたんだ。元気がある内に飲んでおこうね。はい、お水もあるから」

「ひゃぃ……こくっ、ふはぁ……」

「急に冷静になったなアサちゃん……」

 

 まるでブリーダーの躾のような従順さで那須の言葉に従った麻沙音のテンションの切り替わりに、真顔で淳之介が突っ込みを入れていた。よく飲めたねぇとヒナミが頭を撫でてから、ビニール袋からすっきりとした味わいのヨーグルトを取り出した。そして、それをあろうことか那須に手渡したのである。受け取ったそれを見て一瞬理解が及ばなかったものの、意図を察して蓋を開けてプラスチックのスプーンで一口分取った。

 

「はい、ご褒美のヨーグルトだよー」

「あっ、あ~~~~~~~ッ! あむっ」

 

 限界オタクめいた歓喜と悲鳴を上げた麻沙音は目をぐるぐるとさせながら、差し出されたスプーンを口に含んだ。その可愛らしい様子にニコニコと那須は笑みを浮かべて、一口、二口とヨーグルトを差し出した。

 

 至れり尽くせりな状況に若干自棄になった麻沙音は差し出されるそれをぱくぱくと食いつき、やがてしっかりと完食した。気怠い身体に優しい味わいのヨーグルトだったが、那須のあーんによって限界極まった麻沙音に味は分からなかった。

 

 しっかりと食べ終えたのに頷いてカップをゴミ箱へ廃棄した那須は、麻沙音から少し離れた位置のソファに座った。その行動に首を傾げた麻沙音だったが、笑顔で自身の太ももを叩く那須の姿を見て電が走ったかのような感覚に陥った。

 

 その後、ゆっくりと倒れるように横になった麻沙音の頭を那須の引き締まった太ももが受け止めた。ふわりと香った匂いは慣れ親しんだ兄のそれとは違った清涼感のあるもので、それが那須の制服から香る匂いだと理解した瞬間に頭が沸騰する想いだった。そんな麻沙音に追い打ちをかけるかのように、優しく頭を撫で始めた那須の行為に完全に心をやられた様子だった。

 

 可愛いなぁ麻沙音さん、と今まで感じた事のない感覚に背を押されるように、父性によって守ってあげたいという気持ちが込み上げて那須は胸を温かくしていた。もっと何かをしてあげたい、そんな心地に陥った那須は自然と笑みを浮かべていた。この場に達郎やゆきかぜが居れば、誰だお前と言わんばかりの微笑み顔であった。




此処だけの話、次回もちょっとだけ続くんじゃよ。

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