【完結】男女比率がおかしい貞操観念逆転アカデミアだけど強く生きよう   作:hige2902

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怒られそーなんで、前回みたいなのは無理だけど、試しに融通できる展開はアンケートにするのもいいかなーって感じです。そういうのやった事無いし、ちょっとやってみたいかなーって。
よろしくです。



 仮免許試験
第二十話 言わなければならない言葉


 マンションの一室に黒いモヤが渦巻き、中から二人の人間が現れた。

 一人は掌のマスクを顔に張り付けている死柄木、もう一人は頭と両手が黒いモヤの黒霧。

 六畳と三畳からなる1DKの部屋の中は冷蔵庫が置いてあるくらいで、生活感は無い。

 カーテンの隙間から正午の日差しが差し込んでいる。

 

 何の変哲もない、いや、三畳のルームには場所に不釣り合いなバスタブがある。

 粘質な黒い液体で満たされており、それに浄水器や灯油タンクから引かれた管が何本も入れられていた。こぽこぽと泡が立っている。

 そこに一人の女性が肩まで沈められていた。生気のない顔で、かろうじて生命活動を保っている。大きな兎の耳が、力なく垂れ下がっていた。

 

 死柄木が隅に置いてある箱から計測器を取り出して泥に漬けた。スマホでドクターに連絡を取る。

 

「pH4.5になった」

『なら問題無い。今日中には終わるじゃろう』

「やっとかよ」

 

 と死柄木は面倒を吐き捨てるように言った。

 

 ビルボード級を素体とした脳無の製造は、ドクターの興味を引くもので協力を得る事ができた。

 誤算と言えば、ドクターが一手に製造を引き受けなかった事だ。

 

 秘密裏に稼働している工場も教えてくれず、会う事も拒否されたのでミルコを引き渡す事も出来なかった。

 理由を尋ねると「信用していない」の一言で切って捨てられた。先生ことオールフォーワンには忠誠を誓っているが、その弟子まで無条件に従うつもりはないらしい。

「そもそもおまえが保須で失った脳無の補填でロットは埋まっとる」と嫌味まじりで言われれば仕方ない話だ。

 

 製造方法は教えるとの事なので、コンプレスあたりにでも押し付けようとしたがそれも蹴られた。

 

「どこの馬の骨ともわからんヤツに脳無の秘密を教えるわけなかろう。最低限、おまえにならこちらから指示を出してやる」

「いいのかよ、製造方法こそ秘密にすべきなんじゃねえのか」

「機密なのは培養液の管理・製造方法で、脳無を造る過程はそれほど重要ではない。設備もホームセンターや通販でほとんど揃う。それにまあワシに万が一という事もありうるからの」

 

 製造に関わるのは死柄木と黒霧のみ。他のヴィラン連合のメンバーには場所すら秘す。

 培養液である『黒い泥』だけは用意してやる。用心深く疑り深いドクターの出した条件がそれだった。

 

 脳無製造の元をたどれば、『カビ』の個性使いによって生み出された真菌を用いた再生医療に関する物らしい。ドクターはそれを長い時間をかけて変異させた。

 菌は宿主である人間の記憶や幻肢痛を設計図にして欠けた肉体を象って増殖し、しかも修復された部位は異常発達して筋力や耐久力が増大する。

 にわかには信じがたいが、神経と菌糸は複雑に結合して脳からの電気信号はそこで変換され、菌糸を移動する菌が神経に代わり身体を動かすそうだ。

 

 ただし菌は設計図を得る際に宿主の脳まで移動し、思考判断を司る前頭葉野の働きを鈍らせる。つまり所かまわず暴れまわるので、これでは兵器としては成り立たない。

 もちろんドクターはこの問題を回避する手段を考案していた。

 死亡直後であれば菌は脳内へ侵入しないので、ギリギリのタイミングで被験者を殺害し、電気信号で作られた人工的な幻肢痛を与えて戦闘用の肉体を象らせる。

 

 これで脳無の出来上がりだ。

 戦闘用の肉体に対する強烈な違和感や菌への適合適正によっては、脳無を超える脳無、ハイエンド種が期待できる。

 いや、とドクターは興奮に胸を躍らせた。ビルボード級であれば、それよりも上に行くかもしれん。と。

 

 だが一貫して秘密裏に行われてきた計画も、一枚のレシートによって綻んでいた。

 アジトのバーのゴミ袋は聖典の指示で異能解放戦士によって検められている。ほどなくしてこの付近のコンビニではない、海の近い都市部の店が記載されているレシートが発見された。

 

 ヴィラン連合と全国に十一万人以上いる異能解放軍とでは、マンパワーが桁違いだ。解放戦士たちが人海戦術で張り込めば、怪しい人物を見つける事など造作も無い。

 ホームセンターやスーパーも張り、居場所を絞り出し、聖典に報告されるのにさして時間はかからなかった。

 

「んで、いつ殺せばいいんだ?」

『黒い泥の温度が自然に上がるまで待て……一時間くらいかのお、40度前後になったらじゃ。電気信号を流すとほぼ同時に頸椎を破壊しろ。くれぐれもそれまで素体を傷つけるなよ? 菌が半端に象るからの。それと多少ならともかく、バスタブに衝撃を与えてもならん。培養環境が乱れる』

 

 わかった、と死柄木は通話を切って黒霧に向き直る。

 

「ステインは待機させてんだよな?」

「ええ、ですが取り越し苦労でしたね。用心するに越したことはありませんが、ヒーローに嗅ぎ付けられることも無かった」

「いいや、あいつらは成果がようやく実りそうになった時に現れては、ぐしゃぐしゃにしていく。いつもそうだ、先生もそう言っていた……だから呼べ、今すぐ、ここにッ、早くしろ!」

 

 ドクターとの約束を反故にする形になるが構わない。

 面倒が起こる。確信ほどではない。それは言ってしまえば()だった。

 

 何の根拠も無いが、それでも必ずやって来るはずだ。合切にケリを付けるヒーローが。

 固唾を飲む。鼓動が速まる。手に汗が滲んだ。刃の上に、立っている。

 

 焦燥に駆られた死柄木が玄関のドアを忌まわし気に睨みつける。

 

 カタン、と錠が外れた。

 

 

 

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 晩夏の透明な朝に、雄英ヒーロー科 1-Aの面々はバスに揺られていた。目的地は仮免取得会場である。

 

 ヒーロー仮免許取得試験は第二学年からというのが通例となっているが、ミッドナイトからすれば一年生が受けたいと言っているのを別段止める必要は無い。上昇志向なのはいい事だ。

 それに林間合宿の事を引きずってうじうじしていては、ミルコに蹴り飛ばされてしまう。

 無理にでも日常を過ごせとは言わないが、心配は心の中でしておくべきだ。

 

 合格でも不合格でも、良い経験になるはずだ。なんでも挑戦してみればいい。

 士傑も同じ考えのようで、今年は向こうの一年生も受験するらしい。また、両校のヴィラン連合に襲撃や保栖市事件を鑑みて、試験は前倒しで行われる運びとなった。

 

 会場に到着すると、屋外にも関わらず既にヒリついた空気が充満していた。

 不合格者が出る以上、全員が敵と言ってもいい。

 

 中学生のあどけなさが消え、子どもと大人の境界にある顔立ちは三年生だろうか。なんとしても今年こそは、といった気概を感じる。

 高等高校在学中でなければ受験資格が無いわけなく、卒業後も機会はあるが、やはり区切りとして取得しておきたいのだろう。

 全体から見れば人数こそ少ないが、訓練量や場数は無視できない。

 

 多いのはやはり二年生だ。一年間の訓練の成果を見せる舞台を前に、緊張と好機に満ちた表情を浮かべている。

 仮免取得を想定してカリキュラムをこなしているので、実力、知識量共に油断ならない。

 

 だがやはり注目を集めていたのは士傑の一年生だった。

 あのオールマイトが教師として就任しており、救助訓練襲撃事件から何かと注目を集めている。体育祭の盛り上がりは雄英を凌ぐ勢いで、特に一年生の部は才気あふれる個性の応酬が繰り広げられた。

 

「へーあれが士傑のヒーロー科か、ウチらとは男女比率が真逆だな」

 ざわめきの渦中を遠くから眺めながら耳郎が言った。

 取蔭が相槌を打つ。

「男子校の御令息って雰囲気かと思ったけど、けっこー普通にバチバチじゃん」

 

 周囲からは士傑に対する噂話や印象を語る声が密やかに聞こえてくる。

 こうも士傑が他校の視線を集め、マークされている理由はやはり一次試験開幕の『士傑潰し』が恒例となっているからだろう。

 

 オールマイトやエンデヴァーをはじめ、多数の有名プロヒーローを輩出する倍率300倍を誇るヒーロー科。そんなエリートを後に残せば合格枠を独占されるとおそれと、体育祭で個性が割れており予め対策を立てやすい点から標的にされるのだ。

 

 エンデヴァーの子息、『氷炎』使いの轟をはじめ、『爆破』という強個性と圧倒的戦闘センスを兼ね備えた爆豪、広範囲をカバーできる『旋風』や『柔化』、ワイルドカードとなりえる『コピー』の物間。

 そしてヒーローやヴィランおよび個性に対する知識量と、その人柄からクラスの中心人物である『身体強化』系の緑谷。

 

 個性の無断使用がネックとなり公表されていないが、職場体験では士傑生の数人で指名手配級のステインを捕らえている。

 

 今年の士傑体育祭一年の部は魔境と呼ばれたのは、まだ記憶に新しい。

 

 とはいえ西の士傑 東の雄英と評されるほどなので、八百万や小森らもマークされている。口にこそ出さないが、ミルコを失う切っ掛けとなった生徒を無意識する視線もあった。

 そして評価が分かれるのは彼だった。

 

「あいつだろ? 指名手配級を倒したのって」

「ほとんどBIG3がやったって噂だぞ」

「体育祭でも個性を使ってるようには見えなかったし、職場体験までの短期間でそんな成長するんか?」

 

 わからん。

 とにかく未知数である以上は不確定要素でしかない。実際の実力はどうあれ、早急に潰した方がいいだろう。

 彼はいつの間にやら危険視されている事に気づかないまま、控室に向かった。

 

 なにかとスケールの大きいヒーロー関連の例にもれず、学校ごとにロッカー付きの大部屋が用意されていた。

 一番乗りらしく、誰もいない。緊張を解きほぐそうと音楽を聴くことにした。じぶんのロッカーからスマホとワイヤレスイヤホンを取り出し、ぼーっと流れる音に耳を傾ける。

 

 しばらくすると、ドアの前でばったり会った八百万と拳藤たちがぞろぞろと入ってきた。

 

「あら拳藤さん、ヘアゴムを失くされたのですか? その程度でしたら『創造』しますが」

「ん、いや。気合い入れる時は纏めない事にした」

「普通逆なんじゃないの?」

 と取蔭が突っ込む。

 

 長机に座っていた彼の対面に「はやいね」と拳藤が座る。あとは何も言わず、適当な空間を眺めて長くしなやかな髪を指でくるくると弄ぶ。

 イヤホンを外し、机の上に適当に置いて彼が答えた。

 

「おれのコスチュームはほとんど普通の服みたいな感じだからね、スポーツウェアっていうか。髪、降ろす事にしたんだ」

「え? ああこれ? まあね。変かな?」

「えー、まえも同じこときいたじゃん」

「そう? ごめん、その時何て言ったっけ?」

 

「おいおい、前っていつだよ」

 取蔭も椅子を引いて加わる。拳藤が髪を降ろしたところなんて見た事無い。そんなのシャワーとかお風呂に入った後って事なんじゃ……若干の怪しさを嗅ぎ取った。

 

「それは、あれだよ、彼の病室で言ったけど──」

「わたしと三人で朝帰りした時の事だよね」

「はい?」

 と目を丸くした取蔭。

「詳しく教えていただきたいですわ!?」

 と目を輝かせた八百万。

「ちょっ! レイ子!?」

 

 にやにやしながら誤解を招く暴露を口にした親友に焦りながら彼を見ると、普通に笑いを堪えていた。

 

「いや取蔭さん、あれは夜中まで訓練してたから学校に泊まっただけ、先生も知ってるし……そんなびっくりした顔しなくても」

 

 言われて見やると、いつも余裕のある飄々とした彼女とは思えず、釣られて笑いが込み上げてくる。

 かつて彼から数々のエッチな話題を理不尽に振られ続け、なんとか切り返してきた柳は不思議な達成感と幸福感に包まれた。

 

 あー楽しい。異性に不快感を与えずちょっとした下ネタで笑い合う関係ホント楽しい。ただでさえじぶんのネタで笑わせるのは嬉しいけど、なんでこんな嬉しいんだろ。

 それもまた多感な思春期にありがちな感情だった。別に恋愛感情とか関係なく、異性を笑わせて面白いヤツと思われる事が堪らなく心地よいのだ。

 

「お、なになに、何の話? うちにも教えてー」

「拳藤、更衣室にヘアゴム忘れたの?」

 

 遅れてやってきた麗日や小森たちが会話に加わる。

 

「いや一佳がさー」

「わー、もういいレイ子、もういいから!」

「そーやって焦ると誤解されるぞー」

「少々残念です、感想を聞こうと思っていましたのに」

 

 こうしていい感じに緊張もほぐれ、いったん落ち着くとそれぞれがウォームアップの為に個性訓練スペースに向かったり、精神統一、雄英狙いの対策などを話し出した。

 彼はというと、ちょっともぞもぞしだす。

 

 久々にみんなのコスチュームを見たが、やっぱりエッチだ。ボディラインがはっきり出ているデザインが多く、ひざ丈も短い。そしてもう誰も突っ込まなくなったが、八百万さんは本当にそれで行くつもりなのだろうか? 黒のマイクロビキニにホットパンツで準備体操されると、椅子から立てなくなってしまう。

 

 これはマズい気がした。

 そこそこ見慣れた1-Aでこれでは、一次試験で他校の女生徒のコスチュームを見た時に動揺しかねない。

 ここは新たなアベンジャーズをアッセンブルするしかない。

 

「ちょっと軽くジョギングしてくる」

 彼は机の上のイヤホンを手に取り、そそくさと控室を後にした。

 

「はいよー」と誰かが返事して、しばらくすると他の誰かが「あれ?」と首を傾げた。

 

「これわたしのイヤホンじゃ無い。誰か間違えて持って行っちゃったのかな?」

 

 

 

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 彼はそそくさと男子トイレに入った。わざわざ遠い場所まで足を運んだだけあって誰もおらずガランとしている。個室に籠った。

 とりあえず便座に座り、ワイヤレスイヤホンを装着してスマホでファンザにログインする。カートに封印しておいたブツを開放した。

 ライブラリーに飛ぶとパチモンAVヒーローがずらりと並んでいる。微妙に似ていないので違和感が凄い。

 

 再生をタップすると同時に、新たに二人組がトイレに入ってきた。

 

「トイレまでついて来てんじゃねーよ半分ヤロー!」

「そう言うと思ってわざわざ遠いトイレまで来たんだが……」

「なんだてめぇコラ、おれの考えなんざお見通しだとでも言いてえのか!」

「そうじゃねーよ……いや怒るだろーなとは思ってたけどよ。トイレくらい静かにしてくれ」

「体育祭で勝ったからって余裕こきやがって……今度はおれが勝つ」

 

 仮免試験においては順位など意味をなさない。合格か不合格かだけだが、そういう気の強い所は嫌いではない。

 小便器の前に立ち、「ああ、おれも全力で……」と言いさした時、背後の個室から異音……なのだろうか、妙な声が漏れ聞こえる。

 

 具合でも悪いのかな? と逡巡するが、すぐにソレと気づく。

 え? 男子トイレで何観てんだ? 

 

 いや、いい。二人は別にそういうAVとかを毛嫌いしているわけではない。だが内容から察するに、おそらく個室に入っているのは女性の可能性が高い。ここが男子トイレという事を考えれば明らかに変質者だ。

 しかし男性だった場合、これはセーフとなるのか。

 スピーカーモードにしているのは単なるイヤホンの接触不良? 注意したくても出来ない。

 

 出るものもひっこんでしまい、二人は固まったまま動けずにいた。

 まさか葉隠のワイヤレスイヤホンを間違えて手に取ってしまい、ペアリング出来てないとは露ほども思っていない彼は、めくるめく世界に圧倒されていた。肉体美が凄いことは確かだ。役作りのためとはいえ、よくここまで鍛え上げたものだと感心する。

 

 まだ夏の暑さも残る季節という事もあり、ほどなくしてじっとりと汗が噴き出てきた。カラカラとトイレットペーパーを巻き取り、額のそれを拭う。

 

 しかし実情を知らない二人は動揺した。

 トイレットペーパーの音!? ということはやはり……一段落付いたのか? 

 だがまだ垂れ流される音声は止まっていない。

 

 しばらくすると彼は再びトイレットペーパーに手を伸ばし、今度は首筋を拭きだした。トレーナーなので少し蒸れるのだ。

 

 いつまにか二回戦目が終わっていた……だと。

 ど、どうなっているんだ。あの扉一枚挟んだ向こう側には、いったいどんなモンスターが……

 

 水の流れる音がして、きい、と扉が開かれる。

 彼が個室から出ると、体育祭や会場の外で見覚えのある後ろ姿が小便器の前に立っていた。轟と爆豪だ。

 用を足している最中に話しかけるのも変なので、そのまま洗面台で手を洗う。鏡には少しやつれた顔が映っていた。それと、不可解そうにこちらを見やる轟と爆豪。

 

「あ、大丈夫大丈夫、ちょっと疲れただけだから」

 

 そりゃ二回も出したんなら疲れるだろーよ。というか、そうか、男か。他人の趣味にあれこれと口を出すつもりはないが、時と場所は選んでほしい気もする。あと音漏れも。

 二人はそれ以外なにも思い浮かばず、ただただ呆然とするしかない。頭の中が漠然としたからっぽの水槽のよう。

 

 心配してくれてるのかな? と彼は軽く手を振ってその場を後にする。爆豪って人は怖い印象があったが、それは身内に限った話で思いのほか優しいのかもしれない。

 

 諸説あるが、男性が一段落するのに100キロカロリーが必要とか、100~200メートルの全力ダッシュ相当の体力消費と言われている。

 これから大切な仮免試験があるというのに、あいつは何をやっているんだ? 自制できないだけなのか、はたまた余裕の表れなのか。

 

 ていうかなんだよ『地獄の炎もわたしたちの大潮に溺れて鎮火したようね』って……

 

「まあその、なんだ……今は一次試験の事だけ考えてりゃいい」

 

 混乱して思考停止する轟に、さすがの爆豪も不憫に思って声を投げかける。

 誰に対しても喧嘩腰の爆豪はこの日を境に、轟に対してはちょっと丸くなった。

 

 

 

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 トイレからいったん控室に戻ると誰もいなかった。そろそろ時間なので、みんな一足先に説明会場に向かったのだろう。

 足早に廊下を進み、扉を開く。広い会場は千五百人あまりが一堂に会しているのでどこもかしこも人だらけだった。

 

 これは皆と合流するのは無理だな、と思いながら、それでも人混みを掻き分ける。すると、つい先ほど見た後頭部を目にした。彼が控室を経由している間に先に着いたのだろう。白と赤に分かれた特徴的な頭髪。

 

「あ、轟くん、だよね? と爆豪くん」

 

 士傑でもトップクラスの要注意人物なせいか近寄りがたい剣呑な雰囲気もあり、二人の周りには空間が出来てきた。彼にとってはほどよいスペース。

 なんのことはない話の切り出しだったが、轟は動揺した。

 

 こ、こいつ。人の親父のパロAVで二回も一段落しておいて、よくその息子に話しかけられるな。どんなメンタルしてんだ!? 

 

 人気のアニメやゲームのパロAVが出るように、人気ヒーローもまたその性欲の宿業からは逃れられない。裏を返せば人気のバロメーターでもある。

 ただ、ルール無用の無法地帯というわけではない。

 該当の作品は、いわゆるモザイクを審査する組織からヒーロー協会に連絡がいき、そこから事務所に伝わり可否の判断が下される。

 

 当のプロヒーローからしてみれば、バカなことやってんなーくらいの認識だ。

 一応、売り上げの一部は募金に回されたりと目配せはされてある。

 

「士傑体育祭、見てたよ。やっぱすごいね。エンデヴァーも応援してただけなのに凄い迫力でびっくりした」

「あ、ああ、そうか」

 

 彼の口からエンデヴァーの名が出ると、なんだかちょっとヒヤリとする。

 

「一回会ってみたいなー。それで握手とか」

「させねえよ!?」

 

 突然の焦燥に駆られた声色に、周囲がざわつく。

 もちろん轟は薔薇が性癖の人間を避けているわけではない。エンデヴァーは、父親は既婚者だからこその反応なのだ。

 

「あ、そっかそっか。エンデヴァーはそういうファンサービスしないんだったね。硬派路線というか」

 

 そういうとか付けると別のファンサはするみたいに聞こえるだろ! 

 喉まで出かかった言葉は、爆豪に落ち着けと肩を掴まれた事で何とか飲み込んだ。

 目を閉じ、大きく息を吸って落ち着きを取り戻す。彼に(たぶん)悪気が無いのも理解している。

 

「……いや、忘れてくれ。ちょっと気が立ってた」

「ごめんね、集中している時に話しかけて」

 

 それきり沈黙が降り、轟と爆豪は気まずくなってその場を離れた。その二人とあっては自然に道が開く。

 たが、周囲は静かにざわついていた。

 

 誰かが眼鏡をくいっとやる。

「あの冷静沈着な轟が狼狽し、狂犬のように誰かれ構わず噛みつく爆豪がおとなしくフォローに回っている……だと。ばかな、データ上はありえない」

「なに話してたんか知らんが、一言二言で士傑一年のトップ3を動転させるってマジかよ……」

「そんなに雄英のアイツはヤバいの? あの八百万や小森よりも?」

「指名手配級を仕留めたって眉唾じゃないのかよ」

「いやこんな近くに居たらソッコー狩られるわ、離れとこ」

 

 強さ的には下から数えた方が早い彼だったが、なぜか真逆の印象を持たれることになった。人口密度の高い室内なのも相まって、噂はあっという間に広がっていく。

 不確定要素だから潰しておこうという作戦から、なるべく近寄るな、に方向転換されだした。

 ほどなくして一次試験の概要が説明される。

 

 各自が三つのターゲットを身体に吸着させ、配られた六つのボールで相手のそれに当てるというものだ。ターゲット全てに当てられた時点で脱落し、三つ目に当てた受験生のみ通過となる。

 先着五百人が合格という狭き門だった。例年で言えば五割が合格者だが、昨今のヴィランの隆盛を鑑みて基準が引き上げられた。

 

 オールマイトがいるとはいえ、たった一人に支えられた社会の脆弱性を少しでも改善すべく、後進の全体的な底上げが狙いとなっている。

 

 説明会場の外壁が外側に倒れ、ここが巨大なスタジアムの中だと気づく。市街地や廃工場、切り立った山岳や流れ落ちる滝壺エリアなどに囲まれていた。

 号砲が鳴り、結局彼は1-Aと合流できないまま市街地を目指した。室内などの閉鎖空間であれば、『体力』という弱個性でも多少は誤魔化しが利くだろうという考えだ。

 恒例の士傑潰しもあってか、ほとんどの受験生は主に荒野地帯に集中しており人の気配は比較的少ない。

 

 ばったりと曲がり角で一人の受験生と出会う。受験生は当然焦る。なんせ相手はつい今しがた噂で聞いた件の人物なのだ。指名手配級を降し、轟と爆豪に一目置かれる? ほどの超危険人物。

 軽い恐慌に陥っている受験生の前面には二つのターゲットが付いていた。彼はボールを握ったまま手早くタッチし、足払いで転がして背中にある最後の一つに当てる。

 

「え? は? なにが?」

 

 あっという間の出来事に目をぱちくりする受験生に、アナウンスが現状を説明する。

 

『えー、通過者が一名出ました』

 

「あー、よかった。なんとかなって」

 

 ホッとした後 倒れた受験生を起こしてやり、みんなの無事を祈りながら控室に戻った。

 

 

 

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「いやー案外なんとかなるもんだね。よかったよかった」

 と、葉隠が一安心といった感じで紅茶を一口やる。

「全員通過したんだし、ミッドナイト先生も鼻が高いだろーな」

 

「そりゃ二次試験の合否によるんじゃない?」

 取蔭がサンドイッチをパクついて言った。

「士傑も全員通ったって事は、より熾烈になるんだし」

 

 二次試験の前に昼休憩が挟まれ、今は控室で空腹を満たしながら対策を練っている最中だ。士傑ほどではないが、雄英もそれなりに狙われる。

 

「おかわりはいかがですか?」

 八百万がほくほく顔でティーワゴンを押しながら練り歩いている。やけに大荷物だと思ったら、どうしてもみんなに紅茶を振舞いたかったらしい。

 気合が入っているだけあって、パック紅茶とはモノが違う。

 

「やっぱり取蔭さんが上空から俯瞰して情報を集めるのがいいんじゃないかな、口元を地上に置いてもらえば情報伝達も容易だし」

 彼が提案すると、塩崎が頷いた。

「そうですね、インカムもありませんし。あとは八百万さんを中心に据えて、バスケットの時のように空中と地上で分担するというのはどうでしょう」

 

 あーいいねえ、といった具合に意見が纏まりつつあった。

 そんな折に、控室のドアがノックされた。係の人が顔を出して、彼を呼ぶ。なんでも父親から会場に連絡がきているらしい。

 なんだろうと事務所まで向かい、受話器を手に取る。

 

『向いてないって言いませんでした? ヒーローに』

 

 反射的に周囲を見渡す。パソコンに向かって事務作業をしている人間が何人かいるだけだ。

 その男性の声には聞き覚えがなかったが、文脈から判断するに合宿所で襲ってきたヴィラン連合の一人だ。ナイフを投げてきた女子高生だろう。

 

『仮免を取ったって何も変わりません。たまたまもてはやされただけの弱個性持ちという事をもう忘れたんですか? いいかげん立場をわきまえてほしいです』

 

「先生は、ミルコ先生は無事なのか?」

『生きてはいますよ』

「なにが目的なんだ」

『あなたには理解してほしいんですよ、弱個性持ちに社会的価値は無いって事を、ヒーローなんて目指すのもおこがましいって事を。なんでわからないんですか? 出来の悪い子どもにモノを教えるってこんな感じなのかなあ』

 

 つくづく嫌気がさしたように深いため息が聞こえる。

 

「おれは、そうは思わない。将来においておれが救える誰かの人数なんて一人か二人かもしれないけど、その人の為の努力を辞めるつもりはない」

『あーはいはいはい、それが目の前でプロヒーローに犠牲を強いた弱者の言う事ですか? 泣きそうになってたのは誰でしたっけ? じぶんじゃ誰も助けられないって自覚したからじゃないんですか?』

 

「確かに強個性でしか助けられない人もいる。けど、おれにしか助けられない人もいた。それを無かった事にして、おれをヒーローだと呼んでくれる人を無視するわけにはいかない。だからおまえに何と言われようと諦めない」

『それ、笑えません。ただの学生風情がヒーローと呼ばれていい気になってるだけです』

「期待に応えたいだけだ……おまえの瞳、思い出したよ。高揚に満ちてるはずなのに虚ろなそれ、見た事がある」

 

『はあ? ……意味わかんないです』

 電話口の相手は何の事か意味が分からず戸惑いをみせるも、すぐに調子を戻した。

『まあどーせ身内で傷の舐め合いしてるだけでしょうし、いいですけどね、別に。もう一度、強個性でしか助けられない人をプレゼントするだけなんで』

「まさか、また誰かを」

 

 彼が固唾を飲んだ。あの夜の事が心に波紋を広げる。しかし受話器から聞こえたのはまったく別の内容だった。

 

『今から言う場所にミルコはいます。助けに来たかったらどうぞ。ただし、この事を外部に漏らしたら即座にミルコは殺します。急いだ方がいいですよ。間に合うかどうか知りませんが、このままだと死ぬより酷い目に遭っちゃいますから』

 

 彼の言葉を無視して住所を告げ、通話は一方的に切られた。

 電話相手が外部に漏らすとミルコを殺すと言った要件に縛られている以上、助けは呼べない。

 どうやって把捉しているのかわからないが、なんでもありが個性だ。筆談にしろジェスチャーにしろ、常に監視されている前提で動かなければ人が死ぬ。

 

 たった一人で罠かもしれない火中に飛び込み、そしてミルコ先生を助け……られるのか? いや、おれは──

 固く拳を握りしめた。不感無覚に事務室を後にする。

 

「あ、いたいた。そろそろ二次試験が始まるけど」

「てか電話なんだったの? 大丈夫?」

 

 ちょうど1-Aが集まってきた。

 一次試験では説明後すぐに開始の号砲が鳴ると思わず彼を孤立させてしまったので、二次ではあらかじめ固まっておこうという算段だ。

 

「……二次試験は受けない。先生にはうまく言っといてくれない?」

 

 一瞬の停滞の後、次々に疑問が飛び出す。

 

「なんだよ、ビビるような性格じゃないだろ」

「受けないって、いやいやもったいないじゃん、せっかく通過したのに」

「なに? 体調悪いの?」

 

「いや。でも行かないと」

 

「どこに? 試験よりも大切な用事?」

「ご両親になんかあった?」

 

「それは……とにかく試験は辞退する」

 

 なぜ急に彼がそんな事を言いだしたのか、その場の誰もわからない。

 せっかくのチャンスを何故みずから手放すのか。

 けれども普段と変わらない口調で、しかし確信に満ちた真剣さでそう言う彼を知っている者がいた。

 

「そこ、遠いの?」

 拳藤が事の重大さを察知してか慎重に尋ねるが、彼は返答を躊躇った。

 遠いか近いかの距離感であれば問題ない気もするが、危ない橋は渡れない。

 

「……言いたくないのではなく、言えないのかしら」

 

 蛙吹の一言で、全員がなんとなく不穏な空気を感じ取る。

 ヴィランの魔の手はこちらの都合を無視して、まるで通り雨のように大切な人の頬を濡らしていく。林間合宿の時の記憶が嫌でも蘇った。

 

 ヒーローを目指す者にとって必要不可欠な仮免取得まであと一歩。そのあと一歩から引き返さねばならないほどの事態が、彼の身に降りかかっているのだ。

 

「とりあえず送るよ、急ぐんでしょ? 場所は言わなくていい、方向だけで」

「送るってどうやって」

「ん? 期末でやった演習試験の解法の応用で」

 

 足早に個性訓練スペースに向かう。バスケットコート五枚分ほどに区切られており、ターゲットなどが配置されていた。明るい陽ざしが降り注いでいる。

 二次試験の開始が近いせいか、ガランとしている。

 

 送り出す方法として単純なもので、まず麗日と柳が彼に『無重力』と『ポルターガイスト』を付与する。後は拳藤が『大拳』で大まかな方向に彼を投げ飛ばすだけだ。着地はスマホで指示すれば済む。

 

「でも、その間は麗日さんと柳さんの個性が」

 

 柳の個性は複数を対象に取れるが、彼に気を配っていては精彩を欠くだろう。麗日に至っては指示があるまで解除できない。

 二次試験の内容いかんによっては完全に機能停止するおそれがある。

 

「いいんだ。ダメならダメで」

 柳がワイヤレスイヤホンを装着して、明るく言った。

「こんどはわたしが助ける番。要件が終わったら、わたしらのことヒーローだって言ってくれればそれでいいから」

「不合格になっても次また一緒に受ければいいし。うちにしてみれば仮免なんかより、クラスメートが困ってるのを助ける方が大事だから」

 麗日がそう言って彼の肩に触れ、『無重力』を起動させた。

 

 八百万が胸に手をやり、真剣な表情で宣誓する。

「何があったのか理由はお尋ねしません。クラス委員長として柳さんと麗日さんは可能な限りサポートいたします。ですから安心して行ってきてください」

「お、そういえばそうだったね。じゃ、わたしは副委員として。二次試験がじゃんけんだったら無敵だから」

「ん」

「まさか勝ち抜きトーナメントって事もないだろーし、まーウチらの事は心配すんなよ」

「ケロ、一次は実質的には個人戦だったし、おそらくチームワークが試されるんじゃないかしら」

「だったら問題ありまセン。林間合宿のバスケやビーチボールで鍛えられましたから」

「忘れないでよ。誰一人欠けることなく、また海の家に集まろうって言ったのあんただって事」

「願わくば天地の祝福があらんことを」

「仮免試験終わったら一緒にまた打ち上げするからな」

「何があったか、その時に話してくれればいいからさ。出来ればでいいけど」

 

 最後に取蔭と芦戸が絞め、柳が拳藤に頷くと照れくさそうに頭を掻く。

 

「誰かを助けに行くんだろ? ……そーいうカッコいい顔してる」

 言ったセリフに恥ずかしくなって、いきなり『大拳』で彼を握って振りかぶった。

「ま、こっちは大丈夫だから、安心してヒーローに──なってこい!」

 

 凄まじい加速度で、彼は会場から大空へと飛び出した。あっという間に青く高い秋空が眼前に広がる。地球の丸さもわかりそうだ。

 風切り音が耳にうるさく、目を開けるのもやっとなほどだ。重力から解放された奇妙な浮遊感に身を任せる。

 空には、何もない。美しく染み一つない清廉な景色とは裏腹に、一人で立ち向かわなければならない事を強調されるようで心細い。

 

 しばらくすると県を跨ぎ、海の近い都市部にある目的地に近づく。指定されたのはどこにでもあるようなマンションの一室だった。

 スマホで連絡を取り、『無重力』が解除される。あとは位置調整を指示しながら『ポルターガイスト』で団地の道路に軟着陸した。昼間という事もあって、幸いにも車や人通りは少ない。

 

 まずは近くにある公衆電話に向かう。台の裏にはマンションのカードキーが張り付けてあった。特に柄もなく、いかにも違法の品といった感じ。

 

 電話をしてきたヴィラン曰く、ミルコが拘束されている部屋の鍵らしい。

 かなり回りくどいやり方だ。ヴィラン連合がただの学生の心を折る為に、わざわざ誘拐した人間の場所を教えるだろうか? 

 そもそも生きたまま捉えたにはそれなりの理由があるはずなのに、殺すと脅すのは理に適っていない気がする。

 

 主犯格の死柄木はこの事を承知しているのか? あの女子高生ヴィランの独断だとしても意味不明だ。一枚岩ではないのかもしれない。

 

 カードキーをかざしてエントランスを抜け、エレベーターは前回の事もあるので階段で三階に向かう。

 目的の部屋の前に着く。間取りは空を飛んでいる間に賃貸サイトで確認した。他に出来る下準備と言えば心を落ち着かせ、覚悟を決める事くらい。

 

 だがさすがに身体が震えた。ヴィランの言っていたことが事実だとしても、扉の向こうにミルコ一人がいるわけではない。殺人もいとわないヤツらが待ち構えているはずだ。それも、『体力』なんかよりずっと強力な個性を持った。

 

 ──弱個性でも、誰かを助けられると思う? ──

 

 それは呪詛であり、彼の心に出血を強いるほど食い込んでおり、絡みついた牢固たる鎖と錠。

 それを懸命に開錠しようとした。

 おれにミルコ先生を助けられるかどうかはわからない。けど、現状はおれにしか助けられないのだからやるしかない。

 

 ふと、背後に広がる青空に振り返る。飛んできた時に目にした、孤独の空。

 ミルコ先生もあんな景色を見てたのかな、と不意に思う。あれは飛ぶというより跳躍だが、尊敬する教師と同じものを見ていたと考えるとなんだか嬉しい。

 それに『体力』では決して叶わない、幼い頃に憧れた空を飛ぶ個性でしか目にできなかったはずの蒼天の眺望。

 

 それを可能にしてくれたみんなの事を思うと、一人では無い気がする。

 なんだか不思議と勇気が出てきた。

 

 カードキーをかざす。

 開錠され、傷つきながらも解き放たれた心の命ずるままに。

 

 

 

 カタン、と錠が外れた。

 

 

 

 xxxxxxxxx

 

 

 

 xxxxxxxxx

 

 

 

 玄関に靴は無いが、土足で上がり込んでいる足跡が残っていた。

 遮光カーテンから漏れる光のみで室内は薄暗いが、正面の六畳リビングに二人、奥にある三畳の寝室に一人の影とバスタブが置いてあるのがぼんやりと見える。

 浴室、トイレのドアを軽く開き、手早くクリアリングしながらリビングに踏み入ると、死柄木とステインが待ち構えていた。奥には黒霧が佇んでいる。

 彼は()()()()()()()()()()()ヴィラン連合の個性を脳裏に刻む。

 

 沈黙の中で、原付の走行音が近づいて遠のく。小鳥がどこかで鳴いていた。安物の時計が規則正しく秒針を刻む音が、なぜだか一際大きく聞こえる。

 

 彼は静かにバスタブに視線をやる。

 粘質な黒い液体で満たされていた。それに浄水器や灯油タンクから引かれた管が何本も入れられており、こぽこぽと泡が立っている。

 その悪意の塊に、ミルコは肩から上を出した状態で浸かっていた。なにかしらの個性か薬剤の影響かは不明だが、焦点の定まらない瞳で虚空を眺めている。

 

 目尻から痩せた頬に伝う涙痕を見て、焼尽の激情に駆られるそうになるのを必死に堪えた。それがこの場において、指名手配級を複数人相手取らねばならないこの状況において、どれほど致命的かを理解しているからだ。

 

 死柄木が怪訝そうに眉をひそめる。彼の行動が理解できないのだ。

 ここにヴィラン連合がいると知っているなら、まず通報するのが筋。プロが踏み込んでくるのならともかく、学生がたった一人でというのはまるで解せない。

 

 肩透かしもいいとこだ。

 ただわかっているのは、なぜこの場所を知っているのか、殺す前に拷問してでも聞きださなければならないという事。

 

「とりあえずまあ、おまえにはいろいろと聞かなきゃならない事がある。人んちに不法侵入しておいて、タダで帰れると思うな」

「おれもちょうど、そう(おも)っていた」

「はあ?」

「先生は必ず連れて帰る」

 

 ステインが見定めるように目を細めた。

 死柄木が腹立たしそうに頭を掻く。

 

「んー、なんなんだろーな、おまえといい、士傑の緑谷といい。この状況でなんとかなると思ってんならだいぶ自惚れてる。呆れを通り越してムカついてくるぜ。最近のガキはみんなそんなふうに自信過剰なのか?」

「おれは、おまえみたいなヴィランには絶対に負けない」

「じゃあその根拠を言ってみろよ。どーせくだらねえ精神論なんだろ?」

 

 彼は右半身を引き、構えた。

 

「ミルコ先生がそう言ってくれた。だから自信を持てって。おれにはそれで十分だ」

「……思ったよりマジで脳筋のヒーローバカだな。気持ち悪くて吐き気がする」

 

 知った声に名前を呼ばれたせいかミルコの意識がおぼろげに浮上する。身体の感覚はまったくなかったが、モヤのかかった視界で部屋を見渡した。

 

 死柄木がほんの少し腰を落として両手を楽にする。

 

 ステインが閉所にもかかわらず背負った柄の短い日本刀を順手で、脇腹にマウントしたサバイバルナイフを逆手で音もなく抜く。その()()を、彼はそれとわからぬよう盗み見た。

 

 黒霧が冷静に状況を試算する。

 もしも簡単にケリを付けるなら、黒霧の『ワープゲート』で彼の四肢を捻じ切れば済む。

 

 だがこれは本当に最後の手段だ。

 この個性攻撃を行った場合、自身の体内に対象の血肉が混入する。その不快感がどれほどのものか本人にしかわかりようがないが、消えることなく永遠に残り続ける違和感である事は確かだ。

 

 何よりも、対象の身体に取り付けた発信機の類いを取り込む可能性や、彼が『毒』や『サーチ』系などの個性使いだった場合、どういう起動プロセスであれその血肉の侵入を許す事は避けたい。

 

 オールマイトほどのものであれば喜んで受け入れるが、たかがヒーロー科の有象無象であれば、ヴィラン連合の生命線としてリスクは負えない。それほどまでに『ワープゲート』は希少かつ替えが利かない強個性だ。

 切り札として最後まで残しておくべき。

 

 さらにミルコに人質としての価値は薄い。わざわざ無傷で生け捕りにしたのに、殺すぞと脅したところで説得力は生まれないからだ。

 そしてこちらの個性はおそらく全員割れており、彼は不明だ。その点では不利だが問題無い。

 

 なぜなら彼がこの状況を打破するには、()()()()()()を解かなければならない。おそらくプロヒーロー、いやビルボード級でさえその解法は困難を極めるだろう。

 

 ステインを前衛として、大事になるとマズい死柄木がサポートに回るのが上策。

 

 敗北の可能性は無限小と言っていい。それよりも、彼がどうやってこの場所を知ったのかが最も重要な問題だ。

 単身で乗り込んできたのも不可解きわまるが、数の有利は絶対的だ。

 

 とにかくヴィラン連合に内通者がいるのか、警察の捜査なのか、個性によるものなのか、他のヒーローは来るのか。『ワープゲート』でどこかに飛ばして有耶無耶にしたり殺すよりも先に、尋問して吐かせなければならない。

 

 張り詰めた空気の中、死柄木とステインの向こうにいるミルコと彼の視線が結ばれた。

 彼はあの夜みずから埋葬した()()()()()()()()()()()()を、いま口にする。

 

「待っていてください。必ずおれが助けます」

 

 それを聞くとミルコは薄く笑う。

 

 彼に、ではない。

 ヴィランのアジトにたった一人で乗り込み、「必ず助ける」などと分不相応な言葉を口にするヒーロー未満の卵。

 けれどもその一言で、絶対に口にしたくはないし認めたくないが、不覚にも感じてしまったのだ、安堵の念を。

 そんな自分の能天気さに笑ったのだ。

 

 

 痛むほど乾いた喉でかすれるように言った。

 

「弱いくせに生意気だ、悪くない」

 

 

 

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 xxxxxxxxx

 

 

 

 彼にはあの夜、言わなければならない言葉があった。それを惨めさと無力さの泥に深く沈めた。

 目の前で悲哀に暮れている人がいたら、悲しそうに笑っている人がいたら、助けが必要であればどれほど滑稽だと思われようと、それで少しでも安心させられるのであれば、言わなければならない言葉があった。

 

 今はもう無い。

 代わりに、やらなければならない事があった。

 それを惨めさと無力さの泥に沈めるわけにはいかなかった。

 

次、主人公くんが多少身を削って嫌がらせする通常版と、無しのマイルド版。どっちがいいですか? 本筋に影響はありません。

  • 通常版
  • マイルド版
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