【完結】男女比率がおかしい貞操観念逆転アカデミアだけど強く生きよう 作:hige2902
第四話 フィヘレリックス
薄っすらと肢体の輪郭が透けて見えるネグリジェを身に着けた八百万が、マホガニー材のデスクの上のラップトップを前にして眉をひそめる。風呂上りらしく、髪はブローし終わっているが肌はまだ火照っていた。
はちみつフレーバーのマルセイユ石鹼の香りが、クラシカルな調度品が設えられた彼女の自室にほんのりと広がる。
いつもであれば就寝前のストレッチでもしているところだが、今日は少し違う。
戦闘訓練の合間に芦戸たちから教わった事について、詳しくネットで調べていたのだ。
記憶を頼りにキーワードを検索してみるが、いずれも同じページに行きついてしまう。
【このWEBページは適切でない可能性があります。保護者に確認してみましょう】
さっそくお母さまに「このファンザというサイトでアダルト動画というものを見たいのですが」と聞きに行こうとしたが、思いとどまる。
画面上で親への確認を勧められるが、芦戸たち曰く、家族には言わない方がいいらしい。
それに適切でないとはどういう事なのか。なにかしらの犯罪行為を助長するような動画かもしれない。だがそんなものを同級生が勧めるとは考えられない。
まあ明日また聞けばいいかと教科書を取り出す。
オカズ、なるものらしかったので、一応夜食のおにぎりも用意したが無駄にするわけにもいかない。せっかくだからと予習復習に励んだ。
やがてキリのいいところまで進んだので、歯磨きして床に就く。天蓋付きのやわらかなベッドに潜り込んで抱き枕にしがみ付いた。そういえばと端末を起動し、戦闘訓練の映像ファイルを再生した。他人の個性の使い方が気になっていたので、自分の番は後回しにしていたのだ。
ぼうっと彼が蛙吹に個性攻撃を受けているシーンを眺めた。その時、んん? と不可思議な感覚を覚える。抱き枕に絡めた脚に力を入れると、それは下腹部から膨張していくようだった。
初めての体験に好奇心が芽生えたが、日中の戦闘訓練の疲れがまぶたを重くする。そのまま深く静かに眠りについた。
翌朝のすっきりした目覚めで、昨日の妙な感覚の事など頭から抜け落ちた八百万はいつもどおり登校する。
道すがら、更衣室で芦戸たちに教えられたことを反芻する。
「んー、オナニーなんてみんなやってると思うけど……なんかこう、ムズムズするというか、そんな時なかった?」
「そうなんですの? わたくしは覚えがありませんが。みなさんはされてるのですか?」
部屋全体に話を振ると、着替え途中で下着姿の全員が、まあ……と言った具合に肯定した。
しかしオナニーに必要なオカズは不適切だとアクセスを断られているのだから、やはりそれは不可能な気がする。ほんとにみんなやっているのだろうか?
教室に着き、そういえばふと一人だけ確認していない人物がいた事を思い出す。さみしそうに読書をしている彼に近づき、八百万は曇りなき眼で挨拶の後に彼に尋ねた。
「オナニーはされますか?」
嘘でしょ。芦戸は他人事ながら冷や汗が噴き出た。彼女だけではなく、その場にいた全員が凍り付く。『創造』のほかに『時間停止』でも使えるのかというくらい静まり返った。温度も下がった気がするから『冷気』も持っているかもしれない。
もちろん彼もその影響を受けた一人だ。
八百万が小首をかしげて無垢な表情で投げかけた、ある意味でポピュラーな質問に途方もない重圧を感じる。『重力』も使うのかもしれない。
普通は怒るか、良くて苦笑いで誤魔化す。
だが相手は昨夜お世話になった相手だ。勝手にヌいといて、オナニーなんてしてませんなどとキレイ事をヌかす訳にもいかない。
それも戦闘訓練の映像ファイルという、本来であれば学術に利用する為の物だ。八百万とて、いや、誰もがそれでオカズにされるとは思うまい。
そんな学生生活の一端で致しておいて虚言を吐くのと、純真な八百万の問いに正直を口にする事。どちらを選ぶかと言われれば、犠牲となった三億もの生命からなる粘質な罪悪感が難き道を歩ませる。
「そりゃあ、まあ」
そりゃあ、まあ!? それを聞いた多くの者がガタッと心の中で立ち上がる。「男の子だって、ほんとはエッチなんだぜ」ってエロマンガだけの物じゃなかったの!?
「やはりみなさん、されているようですわね……」
八百万は顎に手をやり、神妙な表情で続けた。
「参考までにお尋ねしたいのですが、どういった物をオカズ? にされているのですか」
教室を包む静寂が、いたたまれないといった感じから一言も聞き逃すまいとする清聴に変わった。
気になる。
彼女たちにとって男性のオカズとは、宇宙よりも深い大いなる謎だった。いわゆる男性向け成人コンテンツの存在は知っていたが、別に進んで見てみようとは微塵も考えない。なので当然調べた事も無い。数は少ないらしいというのは聞いたことがある程度だ。
まさか自分たちと同じオカズではないだろう。たとえば昨日の戦闘訓練の映像ファイルとか。
だが彼にはその謎は迷宮入りしてほしかった。勘弁してくれ、八百万さんが蛙吹さんにマウントを取ったシーンだったとは口が裂けても言えない。
万事休す。というところで拳藤が顔を赤らめながら、恐ろしく速い手刀で八百万を気絶させた。そのまま肩で担ぎ、頬をかいて気まずさと照れくささを一緒くたにする。
「なんか……ごめんね。八百万にはちょっと後で説明しとくから」
「あーうん。でも悪気があって言ったんじゃないだろうし、いいよ別に、気にしてないから。それに拳藤さんが謝る必要はないよ」
「そうだねそうだね、あはは……うん……じゃあ、まあ」
助かった。彼はどこかに運搬されていく八百万を眺めながら安堵する。
「あそこまでいくと一週回ってちょっと可愛げが出てくるよねー」
いつのまにか葉隠が彼の横から話しかけてきた。よくこの状況でいけたな、とみんな感心する。
「まあね。あんなに強いのにちょっと抜けてる感じが子供っぽいからかな」
「昨日の戦闘訓練のやつねー。見てた見てた。推薦一位なだけあってすっごい強個性だよね」
「葉隠さんのも凄いって言われない? 『透明』なんてめったに聞かないし」
「えーそう? なんか覗きに使えそうで羨ましいとか言われてたから、あんまり胸を張れないんだけど。ありがとね」
「あーわかる。それわたしも言われたわ」
と取蔭が会話に加わる。腕を組み、不満そうに口を尖らせた。
「目だけ切り離して~とかさ。するわけないってのに。失礼しちゃうよね」
あ、なんかすごい普通な感じで話せてる。
先ほどの緊張感とは打って変わって、ほがらかな空気が流れていた。もちろん戦闘訓練によるコミュニケーション強化の効果もあるだろうが、笑ってしまうほどの八百万の感性が、なんとなく話しかけづらい雰囲気を打ち崩したのだ。
彼はもちろん、彼女たちも異性と話したい。
小学校低学年くらいまでは一緒に遊んでいた気がするが、それを過ぎるとなんとなく女性グループ男性グループで別れだした。隣の席だと雑談する程度だが、会話の輪の中に入るのはかなり珍しい。
ましてや雄英を受験するとなると、最後の一年間は勉強や実技に向けての個性訓練で手いっぱいだ。
中には男性と付き合ったこともある者もいるが、なんとなく一緒に下校していくのを繰り返すうちに一、二回のデートで自然消滅した。金も無く、遊びに行ける範囲も狭く、同級生に見られると気恥ずかしい空気のある中学生活で長続きさせるのは難しかったのだ。
だからこの環境は彼女たちにとってまたとない機会だった。
ここには男性グループは存在しない。彼が友達を作るなら、必然的に女性グループの会話の輪に入る事になる。別に付き合いたいだとかは言わないが、異性と話して笑わせる楽しさを味わうには十分だ。
互いの個性の話で盛り上がる中、一人の少女は陰鬱そうに溜息をついた。
窓の外を眺め、早く先生が来てくれないか切に願う。
†††
一方そのころ士傑では、正体不明の謎の男により学校の防犯ゲートである士傑バリアーが破壊され、その機能が失われた。
教師に就任したオールマイトにインタビューしようと駆け付けたマスコミが敷地内に押し入り、ひと騒動起きたそうな。
†††
「それじゃー学級委員決めるから。やりたい人ー」
教卓に立ったミッドナイトの言葉に、全員が立候補した。もちろんリーダーシップを学べるという点もあるが、それよりなによりも共通の懸念を回避するためだ。
八百万にやらせるのはマズい気がする。
品行方正、成績優秀な彼女が適任であることは誰もが認めるが、学級委員ともなると発言の機会が増える。それに伴い、今朝のようなことが無いとも限らない。
万一に委員長が八百万、副委員長が彼となった場合は目も当てられない。委員の仕事で二人が密室になろうものなら、八百万は必ず男性の性事情についての疑問をピッチャーマシンのように投げつけるだろう。悪意が無いだけに余計タチが悪い。
いまはまだ彼の寛大な精神に助けられているようだが、それも無尽蔵ではないはず。いつあきれ返って、やっぱり女性ってスケベな事しか考えてないという認識を持たれ、全員が副次被害を受けるとも限らない。
守らねば、彼の良心を無邪気なセクハラから。
14人の中から2人選ぶとなると、1/91という薄い確率であるがなんとしても防ぐ。
出来れば男性と委員の仕事で放課後に残るというラブコメのような美味しい青春を味わってみたかったが、背に腹は代えられない。
芦戸が勢いよく挙手をした。
「はいはいはい! 多数決、多数決でいいんじゃないでしょうか!」
「んー先生としては昨日の訓練結果を鑑みたいところだけどな。多数決も、割れて一票差で決まるってのもねー」
じゃあこうしましょう、とミッドナイトはさも名案のように言った。
「とりあえず訓練でトップだった八百万を委員長にして──」
1/91がいきなり1/13になった。
「──副委員はじゃんけんで決めましょう」
「あの、なんでじゃんけんなんですか?」
「運も実力の内だから」
にべもなく突き返された言葉に一同は対応を迫られた。
このままでは結構な確率で八百万と彼がセットになってしまう。
だがそんな絶望的な状況を打破する個性がこのクラスには存在した。出し抜けに彼とじゃんけん勝負を持ちかける。
「じゃーんけーんぽんっ……あっ勝ったー」
「いやあの勝ったーって、おれはグーを出したけど、葉隠さんは……」
彼は制服の袖から先に存在するであろう葉隠の手に目をやる。もちろん『透明』なので何も見えない。
「パーだよ」
「え、でもおれには何を出したか」
「パーだよ」
「葉隠さん、じゃんけん強いって言われない?」
「うん、負けた事ない」
そっかー、そんなに強いんならしょうがないかー。
そんなわけで、学級委員は八百万と葉隠に決まった。
†††
広大過ぎる雄英の敷地内を長距離移動するとなると、個人では貸し出しの電動自転車、集団だと自動運転バスに乗るのが普通だ。
1-Aの面々もまたコスチュームに着替えてバスに揺られ、レスキュー訓練の為にUSJなる施設へと移動した。
「ていうかさあ」
取蔭が座席の肘掛けに頬杖をついて、あきれ半分に対面に座る学友を見つめる。
「そのコスチュームで通すつもり?」
きょとんとして八百万が自分の肉体を見下ろす。バスが揺れると胸も揺れた。
「ミッドナイト先生に指摘された箇所は前回直しましたし、まだ問題でしょうか?」
ホットパンツ履いただけじゃん。まあ、露出面積が強さに直結するので特に言う事は無かった。問題はその隣だった。
取蔭はあえて言及しなかったが、彼が恥ずかしそうにいいわけを口にする。
「おれはいま企業にリテイク出してるところ。ただ、普通の服じゃなくてアイテムだから作るのに時間が掛かるって言われて……ごめん、変な格好で」
「あっ、大丈夫大丈夫。気にしてないから全然。なぁ耳郎」
「革ジャンだけ羽織ってるパンクロッカーみたいでいいよ、うん」
みんな優しいなあ、と彼は心遣いにしんみりした。
同時にバスの中の空気も、そっかーもうしばらくしたら見納めかーと哀愁が漂う。
やがてアミューズメントパークのような巨大施設に到着する。昼前という事もあり、真上に登った太陽がさんさんと輝いてその容貌を照らした。
大きなゲート向こうは切り立った山や荒廃して崩れ落ちた街並み、濁流の川を模したウォータースライダーまである。
ミッドナイトがコスチュームの腕時計を確認してため息をつく。
「やっぱ間に合わなかったか」
「全員いますよ」
と彼が答える。
「いや、外部講師を招いてたんだけどねー。救助訓練で二次遭難的なことになったら助けなきゃいけないし。困ったわね」
そうぼやくと、不意に彼の目の前に影が落ち、次の瞬間には何者かが降り立つ。
「いやー間に合った間に合った」
闖入者は不敵に笑って振り返る。大きな耳と、スカートスーツから覗く丸くてフワフワの尻尾が特徴的だった。
おー、プロヒーローだー。と誰かが感嘆する。
「おっそい」
「悪い悪い、手続きがいろいろ面倒で」
白い長髪を両手でかき上げ、不遜に言った。
「面白そーなんで不定期で遊びに来るから、よろしくー」
「と、いうわけで、これからちょくちょくミルコ先生が見てくれるから、戦闘関連でわかんないことあったら聞くように」
ビルボード上位常連を生で見るのは初めてだったので、一同は羨望と憧れの眼差しを向ける。
まんざらでもないと言った感じでミルコは大きな声を張った。
「さっそくだが、おまえらにはここで救助活動を行ってもらう。けど半分は救出される側だ。被災者の気持ちも理解しねーと取れない選択肢もあるからな!」
ルールは単純だった。
まず二人一組のチームを作り、救出側と被災側に分ける。
被災側はランダムに選ばれた災害ゾーンに先行する。一定距離を進むと人工的な災害が起きるので、それを耐えながら救出側の到着を待ち、帰還するというのが訓練の概要だった。
「人形とかを被災地に置いとくんじゃだめなんですか?」
と、芦戸が挙手をして疑問を投げかけた。
「いい質問だな。確かにヒーローは基本的には救出が仕事になる。けど被災して初めて見えてくるヒーローとしての選択肢ってのもある。弱者の視点に立てってこった。それに民間人と一緒に閉じ込められたり、事件や事故に巻き込まれたりするのも稀にあるからな。どーやって元気付けるかってノウハウも、案外バカにできない」
塩崎が深く感心して頷く。
「なるほど、市民を保護するサバイバル能力も必要になるのですね」
「そういう事だ。この中にワープ系の個性持ちはいないから特に注意する必要は無いだろうが、被災側は個性使って離脱するなよ。互いのメンタルケアをしながら待つ訓練でもあるからな。まあ不測の事態が起きたら駆け付けるから安心しろ」
「だとしたら八百万がやっぱ頭一つ飛びぬけてるな。被災地の踏破能力は異形型に及ばないだろうけど、どんな現場にも即席で対応できる道具を造り出せるし」
うーむ、と戦闘訓練で思うところがあったのか、拳藤が難しい顔で思案する。
ミッドナイトがクジボックスを手に取る。
「じゃ、組み合わせと災害ゾーン決めるわよ。個性の関係上 不利になる現場かもしれないけど、その中で出来る事と出来ない事を把握すること」
クジの結果、山岳ゾーンの救助側は麗日と小大、被災側は彼と小森になった。
彼は小森を視線で探す。赤と白の水玉模様のコスチュームに大きな帽子だったのですぐに見つかった。ふんわりとした茶色いボブの前髪からは、悪戯好きそうなクリっとした目が見え隠れしている。そして意外にも胸がデカい。
よろしくね。と小森に話しかけるが、気の無い返事でどこか落胆した様子だった。
嫌われているのだろうか? 彼は不安を募らせるが、まあそれもやむなしの格好だったので気持ちを切り替えるしかない。
十四人のクラスだったので三人組が二チーム出来、みなそれぞれの持ち場へと向かう。
救助側はファーストエイドキットを含む一通りの救助用品が入ったリュックを担ぎ、被災側にはそれぞれのシチュエーションに合った装備が提供された。水難ゾーンなら浮き輪、暴風大雨ゾーンなら川辺でのバーベキュー中という事でキャンプキットといった具合だ。
山岳ゾーンは【中級程度の山で遭難中】というシチュエーションらしく、大きなリュックの中にはライターの小物から寝袋などの本格的な道具が揃っていた。
背負うと結構な重量があり、肩に食い込む。ショルダーハーネスやウェストベルトを締め、山岳ゾーンに足を踏み入れる。
山道と言うほどのものは無く、辛うじて進めそうな岩場を通る。足元は大小の岩がごろごろと転がっており、油断すると足をくじきそうだった。植物らしきものはぽつぽつと生えてはいるが、枯れ木が目立つ寂しい山だ。
標高はそれほど高くなかったが、頂上に着くまでだいぶ時間が掛かった。不自然に平らだがそこはご愛嬌といったところ。障害物も無いので風が吹きすさぶ。
揺れるつり橋を渡り、目的地に到着する。
「やっと着いたね」
彼は額の汗を拭い、振り返って言った。
すると思ったより体力を消耗したのか、小森の顔色は悪い。
「だ、大丈夫!? 後は待つだけだし、休憩しよう」
「ちょっと、疲れたのかな。なんか寒い気が」
言われてみれば、春にしては肌寒さを覚える。いや、それどころか明確に冷えてきた。相変わらず風も強く、空は晴れ渡っているのに体感温度は冬の季節だ。
「寒ッ! なんだこれ雪山ってこと!?」
嘘だろと、USJの謎の技術力に脱帽する。雪こそ降っていないものの、このまま救助側を待っていては凍死しかねないほどだ。
とにかく風だけでも凌げそうなところは無いかと周囲を探ると、小さな洞窟があった。急いで身を隠す。
「小森さん、寝袋に入りなよ。火とかはおれが点けとくから」
でも、と青い顔で反論した。どう考えても彼のコスチュームの方が寒そうだ。
「おれは体力あるから、この寒さでも多少は大丈夫」
「ごめんね、わたしなんかの為に」
その卑屈な態度に疑問を抱きはしたが、いまはそれよりもすべきことがあった。ガスバーナーを用意し、水を沸かす。リュックには少量の携帯食料もあった。
なるほど、と彼はこの訓練のシチュエーションを改めて理解する。【中級程度の山で遭難中】とはまさにそのままの意味で、遭難してから一日か二日の状況が再現されているようだった。
だから昼食前に行われ、飲食料もガスの燃料も残り少なく設定されている。無駄遣いは出来ない。
あったまった湯を小森に与えるが、目に見えて衰弱しているようだった。コスチュームはもちろん防寒性能も高いが、急激な温度変化と透湿が間に合わず、汗が冷えたのが原因だろう。
よし、と思い立って、彼は洞窟を後にした。
どこにいくのだろう。小森はぼんやりとしながらその背中を見送った。そんなにわたしと一緒に居たくないのかな、と心に思い出したくない過去が勝手に湧いて出てくる。
その黒く冷たいトラウマを止める事は出来なかった。しばらくすると孤独も相まって、じんわりと目じりに涙が溜まる。
そんな時に彼が戻ってきた。枯れ木の枝を抱えている。切りつけられるような寒さの中、集めて回ったようだ。身体はさすがにガタガタと震えている。
「一人にさせちゃってごめん。でもこれで多少はあったまると思うから」
見よう見まねで焚火を作り、彼もいそいそと寝袋に入る。少しでも体温の低下を防ごうと、小森に寄り添った。彼女にはそれが辛かった。
それが訓練故の行為だという事を痛いほど理解しているからだ。本当は自分に近づくのも嫌なはずなのに、彼が仕方なく我慢しているのが堪らなく苦痛でしょうがない。
わたしは嫌われているという証拠が欲しかった。それさえあれば、もしかしたらという妙な期待をせずに、侮蔑を受け入れられる。
ぱちぱちと燃え盛り、揺らめく炎を見ながら小森が言った。
「嫌でしょ、わたしなんかと二人きりなんて」
「え? そんな事ないけど」
突然の自己否定に彼は戸惑う。少なくとも彼女を嫌う理由は見当たらない。
「はっきり言ってくれた方が精神的に助かるから。実戦訓練でわたしの個性見たでしょ」
「見たけど、別にそんな小森さんの事を嫌いになるなんて……」
「そういうのいいから。わたしが一番よくわかってるもん」
まったく見当もつかない彼に、小森は虚ろな表情で言った。
「どーせあんたも、やらしい個性だと思ってるんでしょ」
「ごめん全然わかんない」
そのとぼけた言葉を鼻で笑って返す。もとより嫌われているだろうから、何を言っても構わなかった。
「わたしの事、心の中じゃチンコの個性持ちだって軽蔑してるんでしょ。知ってるんだから」
言ってそのまま膝に顔をうずめて、脳裏に浸み込んでいく過去を傍観した。
『カビ』の個性を持つ親の元に生まれた小森 希乃子に『キノコ』の個性が発現したのはなんら不思議ではない。
両親の個性により生み出された菌は、様々な発酵食品や医療に幅広く役立ったと聞く。それと似た個性なのだから嬉しかった。
幼少の頃より読んでいたキノコ図鑑を手に、よく個性訓練に励んだものだ。
だが性知識が半端に蓄えられた小学校高学年時にそれは起きた。
『小森の個性ってさ……アレに似てない?』
『ちょっといやらしいよな』
『個性が卑猥』
『絶対ひとりで似せたキノコ作って入れてるよ』
それは中学になるとより具体的な蔭口となり、彼女の心は苛まれた。
キノコが男性器の暗喩として用いられる事があると知ってから、好きだった自分の個性が嫌いになった。
男性から謂れのないエロ女爵のそしりを受け、何もしていないのに距離を置かれた。親の個性まで侮辱された気がした。
それを否定する為に雄英に行くと決めた時も、同性にからかい半分で忠告された。そんな個性でヒーローなんてなれるわけない、なれてもネタにされるか妙なクレームを入れられるのがオチだ。
そんな事はわかってる。ただ、親から譲り受けた個性を下品だと揶揄されて終わりにしたくなかった。ヒーロー免許という箔をつけてやりたかった。
ただそれだけだ、小森 希乃子が雄英に来た理由は。
ただのそれだけ。それだけで彼女の人生は十分だった。
そんな陰鬱な記憶に彼の言葉が割り込む。
「おれは別に、小森さんの個性を見てチンコなんて連想しないよ」
「嘘」
「そりゃあ松茸とかは言われたら似てるかもだけど、それは認めるけどさ……小森さんが出すキノコは絵本に出てくるような感じだし」
「わたしのことエロいやつだって思ってるくせに……近づいたらチンコ菌が移るって、あんたもほんとは思ってるんでしょ……」
一部の心無い男性に言われた事を思い出してしまったのだろう、小森は静かに鼻をすすった。
彼は本心から小森の個性をいやらしいだとか卑猥だとは思わないが、いくら言葉にしたところで、彼女がこれまで受けてきた仕打ちの傷を癒すことはできない。
焚火が消える。枯れ木ではすぐ灰になってしまい、燃焼時間が短かった。
洞窟内の温度が下がった。
風の音が責め立てるように轟々と鳴る。
「小森さん、そっちの寝袋に入っていい?」
は? いまなんて言った? ただでさえ寒さでカロリーを消費し、空腹も加わって思考能力が乏しくなっている状態の小森は理解が追い付かなかった。
返事を待たず、彼は小森の寝袋のジッパーを開けて背中合わせで潜り込む。寒さをしのぐ場合、背中から温めるとよいとマンガかなにかで読んだ気がする。
彼は青い唇で震える声を発した。
「嫌かもしれないけど、ほんと寒くて」
「い……嫌じゃない、けど。けど」
小森は動揺しながら固唾を飲む。お互いコスチュームを身に着けているが、彼の背中は丸出しだった。男性の筋肉質な感触がほぼダイレクトに伝わってくる。ぱつぱつになった寝袋の中で身体が火照り、顔が上気したのがわかった。同時に彼の身体の体温が低い事も。
そっか。あの寒い中枯れ木を取りに行ったからかと、突き返すような態度を取った事に気が咎める。
気まずい沈黙の後、彼がぽつりと独り言のようにこぼした。
「おれは『キノコ』の個性をチンコだとは思ってないし、小森さんが卑猥でいやらしいなんて、ましてや軽蔑なんてしてないって言っても信じてもらえないのはしょうがないけど」
声の振動が、背中を通して小森に伝わった。
「だから、別の事は信じてほしい」
「……何を」
「『キノコ』の個性をチンコだって騒ぎ立てるやつらの方こそ、卑猥でいやらしくて、おれは軽蔑してるって事」
燃え尽きた灰が一陣の風で霧散した。
小森は黙って深く息を吸い、唇を噛んで嗚咽を堪えた。
「それだけは信じてくれる?」
消え入りそうな返事は、彼の背にだけに振動となって伝わった。
†††
なんか暑い……?
†††
「あっち! 洞窟みたいなところがある、あそこに避難してるんじゃないかな?」
「ん」
寒風を耐えながら、救助側の麗日と小大は洞窟をのぞき込んだ。薄暗いが奥には人影らしきものが確認できる。
やっと見つけたと安堵し、近づいて固まった。言葉が出ず立ちすくむ。
ぱたたっ、と液体が落ちる音がした。麗日が横を見ると、小大がまばたきもせず鼻血を両方の穴から出していた。
こんな話がある。
人は死に追い詰められると、時としてやるべき事を差し置いてヤルというものだ。海賊に襲われた船では、逃げるや戦う、無抵抗の選択肢よりも性交が優先されたりするらしかった。
また、嘘か真か、男性は死に瀕すると勃起するとも言われている。要するに生存本能が理性を上回り、性欲という形で出てくるのだ。
あるいは吊り橋効果というやつかもしれない。
いま、救助側の目の前の光景はそれを如実に示唆していた。
信じがたい事にこの寒さの中、なぜか二人とも全裸で横たわっていたのだ。
ヤッたのか!? 思わず生唾を飲み下す。
わたしたちは無念にも間に合わなかったのか、はたまた間に合わなかったから良かったのか。とにかく行為中でなかった事については幸運かもしれない。さすがに今後の学生生活が気まず過ぎる。
というか、こっちが一生懸命に捜索してる時にナニやってんだ?
まあそんな訳はなかった。
矛盾脱衣、あるいは逆説的脱衣という現象がある。あまりに寒いと、人間の身体は温めようとする働きが強まる。その際の体感温度差が激しいと脳がバグり、極寒であっても猛暑を覚えて脱衣してしまうのだ。
もちろんその異常行動に本人の意思は無く、なぜ脱いだかという記憶も残らない。
二人は一緒の寝袋で暖を取っていたが体温の低下を止められず、暑さを覚えてしまったのだ。
とにかく偶然にも局部が隠れている彼と小森に毛布を掛け、暖を取ってゆっくりと回復を待つ。
「ねえ小大さん……」
麗日が色の無い瞳で火を見つめる。じっくりコトコトとスープが煮込まれていた。
「ウチら、間に合ったんだよね? 救助訓練は合格だよね」
「ん」と、鼻にティッシュを詰めた小大が答える。
「そうだね。まあ、ある意味間に合わなくて取り返しのつかない事になったけど」
しばらくすると、いい匂いにつられて小森が目を覚ます。
「えっ!? なんでわたしコスチューム脱いでるの?」
「ん」
と小大が慧眼を向けて言った。その成人向けな内容にボッと赤面する。
「んなッ!? す、すする訳ないじゃん! こんな状況で、しかもここ学校だよ!」
ワザとらしい反応に、麗日は半目を向ける。
「わーっ! なんでおれコスチューム脱いでるの?」
「ん」
「え? なに?」
「ん」
「えっと……あ、麗日さん、小大さんはなんて?」
「それは、えーと」
とてもじゃないけど、そんなエロい言葉はウチの口からは言えない。
「まあ、とりあえずスープ作ったから食べなよ」
なぜ麗日が目を逸らすのか、逆になぜ小大が視線を突き刺すのか。後になって誤解を解くのに、彼と小森は大変な労力を支払う事となった。
しかしその勘違いも仕方の無い事だった。
救助側の二人が見た小森の顔は、入学時からの沈んだ表情とは打って変わって、とても満たされていたので。
†††
一方、彼と小森がチンコチンコ言っていた頃の士傑では、相澤先生や緑谷、爆豪、轟たちがヴィラン連合に襲われるも、オールマイトが頑張って撃退していた。
†††
小森 希乃子が雄英に来た理由は、親から譲り受けた個性を下品だと揶揄されて終わりにしたくなかったからだ。ヒーロー免許という箔をつけてやりたかった。
ただのそれだけ。それだけで彼女の人生は十分だった。
今は違う。
同じような個性で苦しんでいる誰かを、プロヒーローになる事で勇気づけたいと考えている。
彼がそうしてくれたように。