【完結】男女比率がおかしい貞操観念逆転アカデミアだけど強く生きよう 作:hige2902
1-Aが四苦八苦しつつも救助訓練を終えてシャワールームで汗と汚れを落としている頃、ミルコは職員室のモニターで戦闘訓練の映像ファイルをチェックしていた。生徒がどの程度遣うのかを確認するためだ。
隣でミッドナイトがあれこれ注釈を付けながら他愛のない会話をする。
第一回戦を眺めながら、ミルコが呆れ顔で言った。
「こいつアホなのか? 視線誘導にしてもやりすぎだろ」
「わかってると思うけど、生徒だからね」
「手ぇ出す訳ないだろ。個性に引っ張られてたガキの頃ならまだしも、プロだぞ」
バックやハリットの語源が示す通り兎の性欲と繁殖力は高く、発情期は長い。『ウサギ』の異形型の個性持ちであるミルコも、その影響を受けていた過去があった。
それがいわゆる、個性に引っ張られるといった現象だ。
異形型に散見され、例えば『カエル』であれば寒くなると眠ってしまったり、『狼』だと遠吠えに反応したりと言った具合だ。もちろん個性を訓練する事である程度は解消して、人間に近い生活を送る事は出来る。いくら個性が他の動物であったとしても、それが宿る主体は人間だからだ。
ではミルコが今も性の金棒を振り回しているのかと言うともちろんそうではなく、エロガキだったのは中学までだ。
なぜならその時、彼女はすでにプロヒーローに必要な要素の一つ、純粋な強さを手に入れていたからだ。
そもそもなぜ兎の繁殖力が高いのかというと、食物連鎖ヒエラルキーの低位に位置するからだ。被捕食側であり弱かったから、種の絶滅を防ぐために繁殖能力が高い。逆説的に、強ければその必要性は薄れる。
地元で偶然見かけた牡蠣の密漁団をボッコボコにしてから、性欲は一日一善に収まるようになった。
プロになってからはますますその強さに磨きがかかった。事務所も持たず、フリーでやっていけるのは伊達ではない。発情期の影響は多少受けるが。
だから治安の悪い国に行けば一瞬で攫われるような彼のバックコスチュームを見ても、淑女らしくしていられるのだ。
「だいたい、わたしより弱いヤツは趣味じゃない」
「あらそう。でもあんたより強いとなると相当数が減るんじゃない? オールマイトとか?」
「んー、いいなーって思ってた時期もあったけど。考えてみれば、象徴をオカズにするのも気まずい感じして萎えたから無し」
オールマイトで入れられるか? というのは仲の良い女性同士では割とポピュラーな質問であるが、だいたい不敬な気がするという理由でオカズにされない。
ではなぜメディアやマスキュリストがオールマイトのコスチュームは性的であると騒ぎ立てるかと言うと、まあそういう事だ。騒ぐことに目的があり、オールマイトのバッシングは手段でしかない。
「エンデヴァーは?」
「理想の夫婦ランキングの常連と不倫しろってか。アメリカならいざしらず、ここじゃあ二度とプロを名乗れなくなる」
「ベストジーニスト」
「亀っぽいのはなんか生理的にヤダ。あいつら兎を見下してる」
「それ被害妄想だから。んー、なら『シールド』の……クラストもダメか。じゃホークス。今はビルボードであんたより下の順位だけど、今後はベスト5に入るとかなんとか言われてるくらい人気だけど」
「へらへらしてて女気が無い」
「あんたより強くて女気のあるヤツなんてワープ系の個性よりレアなんだから、どっちか諦めるべきね」
「知らね。別に結婚したいとか思ってないし、男とかめんどくせぇし……そういうおまえはどうなんだよ」
「結婚したいーけど出会い無いー」
「まあ、お互い個性のせいで相手には苦労するよな……この『キノコ』も大変そうだ。人生とか、プロ後とか」
ミッドナイトの『眠り香』は、肌から放たれる香りで相手を眠らせる個性だ。こういった、中学生が妄想するような悪用方法が可能な個性は、性的なレッテルを貼られやすい。
『ウサギ』も好色だと思われているのでミルコの男性人気は低い。メス兎はオスほど性欲が強くないにも関わらず。
なのでなんとなく、二人は小森に同情的になった。
「彼女ねー、今のところはヒーロー科唯一の男性に邪険にされてないからいいけど」
「まあヒーロー志望が個性でレッテル貼ってるようじゃな。これで全員分?」
「そ、気になった子いる?」
ミルコは席を立ち、んー、と背伸びして身体をほぐした。
「とりあえず、後で『カエル』に聞きたいことがある」
「蛙吹ね。教師なんだし、覚えなさいよ」
「つっても非常勤だしなあ」
「関係ないから、それ。いまあの子らはたぶん更衣室にいると思う」
わかった、とミルコはつかつかと更衣室に向かい、ドアを開けた。シャワー後の温かく湿った空気とボディソープの香りにふわりと包まれた。
突然の教師の登場に、それまで続いていた和気あいあいとした会話が打ち切られる。
「えーと。蛙吹、ちょっとこないだの戦闘訓練で聞きたい事があるから、後で職員室来い」
それだけ言うと、バタリとドアを閉じる。その短い間に小森を盗み見る。生きるのにいろいろと面倒な『キノコ』の個性持ちが男性と二人きりだったので、メンタルケアが必要かと思ったが杞憂だったようだ。
ああいう男がもっと増えりゃあな、とミルコは廊下を戻る。
靴下を履きながら、取蔭が不安そうに尋ねた。
「え、梅雨ちゃんなんかやった?」
「……そんな事ないと思うけど」
「ふーん、まあ梅雨ちゃんだから心配ないか。てかさ、どうだったの? 山岳ゾーンの救助訓練」
すでに八百万によって彼に対する話題のタブーは取り払われていたので、もはや遠慮は無かった。
視線が参加メンバーに集中する。小森はロッカーの方を向いており、小大はいつもの調子で表情は読み取れなかった。ただ、麗日は乾いた笑みで頬をかいた。
期待と興奮が入り混じった生唾が飲み下される。
おいおい、一体何が起きたっていうんだ。
「ん」
小大の説明に場がざわめき、小森が顔を真っ赤にして振り返る。
「ちょっとそれ誤解だってば!」
「そんな……学校でなんて。うらめしい」
柳がネクストステージに上がった学友に畏怖の念を覚える。
それは一種の幻想であり、憧れのようなものだった。例えば人気の無い体育倉庫で、などというシチュエーションは吐いて捨てるほどエロマンガで使われている。
「誤解って……じゃあなんで全裸だったんだよ!?」
「知らないよ!」
「い、いやでもしょうがないよ。危機に瀕するとそういう事しちゃうって事例もあるみたいだし、事故っていうか」
「ちょっ! 麗日まで何言ってんの」
芦戸が小大に問い詰める。
「結局おまえらは救助に駆け付けた時見たのか? ていうかあいつの、まあいろいろと見えたのか?」
「ん」
っつぁーマジかー。ギリギリかー。
その誤解は、矛盾脱衣の仕組みが明らかになる午後の講評の時間まで続いた。
つまり昼食の間はまだヤッたという認識のままだった。
女子更衣室でそんな状態になっている事を知らない彼は、これを一種のチャンスだと捉えていた。最近なんか普通に喋れてるし、救助訓練の出来事を話のネタにすれば自然な流れで昼食を共にする事が出来るはず。
そっと聞き耳を立て、ぞろぞろと女子が出てきたところで自分も更衣室を後にする。偶然を装い、いや~寒かったからシャワーの時間長くなったよー、とぎこちないセリフを麗日に吐く。
「あ、うん。そう、寒かったもんね」
しかしどぎまぎした態度で、視線を合わせようとしない。
二人は熱々だったみたいだけど。と小森を除く誰もが心の中で突っ込んでいるので仕方がない。猫のような好奇心に満ちた八百万は拳藤の手刀で連れ去られた。
なんか距離がまた遠くなった気もしたが彼は諦めなかった。波動先輩の押しの強さを心に、ちょうど近くにいた柳に話しかける。
「そういえば、柳さんはどうだった? 水難ゾーン」
昼食なので自然と固まってランチラッシュへ向かう道すがら尋ねられた質問に、彼女は内心で頭を抱える。
えぇー、救助訓練の内容を振ってくるって事は、こっちも聞き返さなきゃならないって事でしょ? いやクラスメートの性体験なんて聞けるわけないじゃん。コスチュームの時といい、なんでわたしばっかこんなコミュニケーションの取りにくい話題なんだよ!
マズい、このままだと小森が喘いでる姿を脳裏に浮かべながらご飯を食べる事になる。興味はあるけど食事時はちょっとヤダ!
こうなったら……
「わたしも、他の災害ゾーンがどうだったか気になる。午後の授業でレポート書く前にどんなだったか話さない?」
そう、山岳ゾーンのターンを作らせずに昼食を終わらせればいいのだ。
柳の危機感を察した芦戸が必死のパスを拾う。
「あーいいね。なんか凄いギミックが凝ってたから気になるし、ちょうど昼時だから一緒に食べながら聞きたーい」
「一回口に出して整理しといた方がいいかもね」
や、やった。芦戸に続いて葉隠ナイスパス! ちょっと卑猥に聞こえるけど。
こうして柳は窮地を脱した。
その日はクラスメートと和気藹々とした食事を迎えることが出来て、彼はしみじみと喜びをかみしめた。こうやって仲良くなれたのも波動先輩のおかげだ。
後に救助訓練のレポートは、山岳ゾーンだけ官能小説の導入と言われる。
†††
ごろんとベッドに寝転がりながら、湯上りで火照った肌の八百万はタブレットでシェアされた救助訓練のレポートを読んでいた。
他チームの動きや、自分の個性と判断ならどうするかという思考実験は勉強になる。
ふむふむと読み進め、もしも小森の立場だったらと考える。んー? と違和感に指を這わせてたどたどしく一段落付くと、おぼろげになった意識の中で宇宙を覚えた。
世の中にこんな素晴らしい事があるとは思ってもみなかった。
芦戸曰く、ペアレンタルコントロールなるもので成人向けコンテンツにアクセスできないらしい。さっそくアマゾンでタブレットを買い、Wifiに繋ぐ。
彼女はネットで、桜色をしている宇宙の外側を見た。
後日、さっそく休憩時間に師である芦戸に尋ねる。
「そのう、わたくし男性とのまぐわいにとても興味があるのですが、どうやったら出来るのでしょう?」
それはこっちが聞きたかった。なぜこちらが非処女である事が前提なのか。
「まあ、普通は彼氏を作って仲良くなって、って感じじゃないの」
「どうすれば彼氏が出来るのでしょうか」
こっちが聞きたい。まるで彼氏持ちである事が前提の問いかけに、煽っているのか? という気持ちをグッとこらえる。
「まあ、男性が思い描く理想の女性像っていったら清潔感があって清純でって感じゃないの? そういうところを気をつければ、たぶん、きっと……」
しかしスカートが長いと処女感が出てモテないだとか、逆にアピールが必死過ぎて引かれると立ち読みした女性雑誌ononには書いてあった。女性の下着が見える事は不純だと思ってるクセに、男性の心理とはまったく複雑怪奇だ。
「あっ! だからあいつにあんまり性的な事言うなよ!」
「わかりましたわ、少々手遅れな気もしますが……」
これでセクハラ時限爆弾は解除された。われながら上手い説得の仕方だと自画自賛する。だがしょんぼりとする八百万が可哀想だった。迷子になった子犬のようにおろおろしている。
「まあ、全然気にしてなかったし、今後気を付ければいいって」
「……そうでしょうか」
「根に持つようなヤツじゃないって。後はまあ結婚したい職業ランキング上位にプロヒーローが入ってるし、実力付ければそのうち彼氏とか出来るんじゃね?」
「なるほど、実力ですか……」
ふうむ、と顎に手をやり真剣に考えこむ八百万に、芦戸はもう一歩踏み込まなかった事を後に後悔する事になる。
†††
†††
果たしてこの個性社会において、格闘術を鍛える事に意味はあるのだろうか。
ある。
場合によっては殴った方が早く、個性の使用を制限されたり、無効化される状況も珍しくないからだ。
また、個性に合わせた独自の格闘術は無限のバリエーションがあり、初見殺しにもなりえる。
ラビットヒーロー『ミルコ』こと兎山 ルミが雄英に招かれたのは、その為だ。
「好きに打ってきていいぞ」
そう言って、ハイネックレオタードにニーハイのコスチュームに身を包んだミルコは、両腕を顔の前でコンパクトに構えた。重心を後ろに預け、半身を相手に向けるスタイルはキックボクシングに似ていたが、腰の位置はやや低く、猛獣が飛び掛かる予備動作にも見えた。
どこからでもかかって来い、と言われはしたものの対峙する彼は最初の一歩が踏み出せないでいた。彼我の距離は三メートルほどだが、果てしなく遠く感じる。立ち向かう事が危機に直結すると本能的に感じている。
クラスメートが見学している事すら忘れた。
「心配すんな、こっちからは手を出さねぇから。おら来い」
舌なめずりでそこまで言われると、挑まない訳にはいかなかった。一息で距離を詰め、脇腹へ横蹴りを放つ。が、脛でいなされる。
かなり我流だな、というのが拳藤の所感だった。フットワークはボクシングに近い、薄っすらとダッキングが乗った打撃も見受けられる。シラットらしい返しのテイクダウンを狙った動きも所々で挟んでいた。
だがその全てが防がれている。攻めきれない。組み付きは膝が怖くて頭を下げられず、好機の顔への打撃を脚で弾かれたときは何が起きたかわからなかった。
「運動量は激しいが、体力には自信あるみたいだな。基礎もかなり出来てる、悪くない」
それだけ言うと、ミルコの脛は吸い付くようにぴたりと彼の局部にあてがわれた。それだけで恐怖のあまり身動きが取れない。タマがヒュンとした。どっと冷や汗が流れる。
ミルコは女生徒たちに言った。
「もしヴィランが男性で、ヤバそうならここ狙え。殺すことなく無力化できる便利な急所だ。露見すりゃメディアになんか言われるかもだが、市民が死ぬよかマシだ。バッシングは我慢しろ」
構えを解き、逆におまえは、と肩を叩いて楽にしてやる。
「そこを狙われる。コスチュームには防打性もあるが無尽蔵って訳じゃねぇから、あんま身体を正面に向けるな。それと、男性の価値観では同性に金的するのはかなりタブー視されてる。だからって相手が使ってこないって訳じゃない。現場じゃそんなキレイ事言ってられないしな」
そのまま肩を抱き寄せ、顔を近づけて囁いた。キャロットジュースのような甘い香りが彼の鼻をくすぐる。
「おまえ、戦闘訓練で勃たせて蛙吹の拘束から逃れたんだろ」
藪から棒に言われた言葉に彼は固まった。誰にもバレていないと思ったが、今日来たばかりの教師に見抜かれている。
「な、なんで」
「蛙吹は、拳藤が負けたという報告に動揺したから拘束が緩んだと言ったが、その報告はおまえが拘束を逃れた後だった。嘘をつくって事は、なんか別の事情があると考えるのは当然だろ」
「いやあのそれは」
「わたしが無理に聞き出した事だから蛙吹を責めるのはやめてやれ。別にそういう手を使ったから叱ろうって訳じゃない、むしろその逆だ」
てっきり勃った事に対して不潔だとか変態だとかで説教されると思っていただけに、彼はぽかんとした。
「そういう使える手はなんでも使うって姿勢は貪欲さがあって嫌いじゃない。けどプロ後は控えろよ。ま、どうしても隙を作りたい時に使えばいい……次! 拳藤だっけ?」
果たしてこの先、意図的に勃起させて相手の隙を作る事などあるのだろうか。あるとすれば、相当奇妙で切羽詰まった状況に違いない。
ぼんやりとそんな事を考えながら、個性ありきの格闘でゼロ距離が弱いと指摘されている拳藤の組み手を眺めた。
「そう言えばさ」
取蔭が耳郎にぼそぼそと呟く。
「水風船にプチトマトを二つ入れて膨らませた感触がアレだってSNSでバズったけど、本当なのかな?」
「さあー。でもあんなぷよぷよしたのが急所ってなんか可哀想だよね」
†††
「最近なんとか打ち解けられました」
ちゃぽりと波動がジャスミン茶のペットボトルから口を離し、朗らかな笑みを浮かべた。
「よかったー。わたし、コーハイくんがずーっと一人ぼっちだったらどうしようかと思ったよ。別に本人がいいならそれもいいけど、環境のせいで仲良くしたくてもできないのって辛そうだもん」
「戦闘訓練で一緒に戦ったりしたのが良かったんですかね」
「うわーやったなー、核を奪い合うやつでしょ。懐かしー」
「波動先輩も経験があるんですか?」
「うん。あれは新入生のオリエンテーリングみたいな側面あるからねー。これからもちょくちょくルール変えてやると思うよ。二年だとシチュエーションが増えて面白いよー、人質救出とか、飛行機ハイジャックとか。ねえねえ、結果は? 勝った? 負けた?」
「勝てましたけど、おれは手も足も出なくて……相方が一人で全部やっちゃいました」
「うんうん、そういう時もあるある。個性戦は相性だから。でもパートナーはずいぶん強いんだね。ねえねえ、その子どんな個性なの?」
「生物以外はなんでも作り出せるんだったかな? そんな感じだったと思うんですけど」
彼は波動にスマホを手渡して、訓練の動画を見せる。
「わーおもろーい。凄いよねぇ個性って。この子の格好も同じくらい凄い!」
子どもが初めてのおもちゃを見るように目を輝かせている。
八百万のコスチュームに少しも引いていない所を見るに、本当に無邪気な人なのだろう。しかも聞くところによると、波動先輩は雄英でもトップスリーに入るほどの実力者らしい。優しく、気遣いができてしかも強いなんてまさに才色兼備だ。
天使かもしれないと彼は思った。
そんな透き通った瞳が、不意に触れがたい鋭さを持つ。表情は朗らかなままなのがどこか不気味だ。
波動は軽く画面をタップし、上部に表示された現時刻を手早く確認した。
彼女の雰囲気の変貌に何事かと彼がスマホをのぞき込むと、ちょうど自分が蛙吹の個性攻撃を受ける直前のシーンだった。今更ながらに凄い格好をしているのは八百万だけではなかったと思い出して焦る。
「いやこれはですね。ちょっと企業との解釈違いというか向こうの不手際で変なコスチュームになってしまって。おれがデザインしたわけじゃ……」
さすがに変態だと引かれただろうか。窺うように波動の顔を盗み見ると、いつもの天真爛漫な表情だ。先ほどの剣呑な雰囲気は見間違いかと瞼をこする。
「この『カエル』の個性持ちさん、相当強いね」
「あ、やっぱそう思います? でも、もうちょっと なんとかなったんじゃないかなあって。今さらですけど」
「ちょっと待ってね。んー、いま考えてるから」
そのまま目を閉じて腕を組み、たーっぷりと時間をかけた思慮深い沈黙の後に言った。
「そうだね。まず事前に明かされたシチューションからヒーローが攻めてくるのはわかってたんだし、不用心な立ち位置かも。バリケードなんて大袈裟なものじゃなくても、椅子とかを隣に置いとくだけでだいぶ違うからね」
アドバイスを言う時の波動の真剣なまなざしに、彼は感銘を受けた。やはり雄英で三年間学んだだけはある。
「そうなんですか? ほ、他には何か」
「個性の関係なしに、わたしならこうしないって実戦面での違和感みたいのはいろいろあるよー、でもねー」
というところでタイミングよく予鈴が鳴る。
「……でもこういう経験値からくる感覚って言葉にするの難しいかも。何回か動画を見返したら上手く伝えられるんだけどなー……」
「あ、じゃあこのデータ 先輩のスマホに送りますんで、よかったら暇なときにでも見てもらえませんか? 体育祭近いし、ちょっとでも地力上げときたいんです。正直、おれの個性ってあんまり役に立たなくて」
「うんいいよー」
波動は晴れやかな笑顔で了承した。
「かわいいコーハイくんの頼みだし。こういう先輩っぽいことって憧れてたんだ。体育祭、頑張ってね。応援してるから」
連絡先を交換し、そのまま戦闘訓練の映像ファイルのコピーを転送する。
じゃあまたねー、と別れた波動はてくてくと二年生の棟へ向かう。その途中で、こっそり様子を窺っていた有弓に勢いよく肩を掴まれる。
「ねじれっ! ど、どどどうだった?」
「どうって、なんにもないよー。普通にご飯食べてただけだもん」
「告られなかった!? オッケーした?」
あまりにも真剣な有弓に、思わず苦笑してしまう。
「だからそんなのじゃないってばー」
「いやでも連絡先とか交換しなかった?」
「それは聞かれたけどさー」
おお女神よ! と有弓は頭を抱えた。そんなの、そんなの来週には性の単位を満たして飛び級で卒業じゃん!
「チャンスだって! 絶対あんたの事好きだから、じゃなきゃ向こうから聞いてこないって!」
まあまあ落ち着いてよ、と有弓をなだめる。それは波動が意図的な会話運びをした結果なので、別に彼の好意が含まれているとは考えにくい。
しかし。だったらいいな、とは思う。
自身の距離の詰め方で男性が引いているのを自覚してない波動からしてみれば、彼の対応の仕方は珍しかった。友好的で、先輩と慕ってくれて、頼りにしてくれる。
だから。だったらいいな、とは思うけれども。
「ごめん有弓、ちょっと体調悪いから次の授業休む」
「どしたの、食べすぎ?」
「そうかもー」
「ふーん、わかった。先生に伝えとく」
波動はそのまま一人で棟を歩く。
仮に彼が好意を寄せてくれていたとしても、どうせすぐにダメになると波動は理解していた。今まで何人かにアタックして玉砕したこともあるが、もし付き合ったとしても自分の内を晒す事は出来ない。
きっと引かれてしまうから。
授業中という事もあって、廊下には誰もいなかった。耳を澄ますと、数学を教えている先生の声がうっすらと響いている。
一人分の足音が小さく反響した。
なんとなしに指先を窓側の壁に擦りながら、波動ねじれは誰もいない廊下を一人孤独に歩く。
わたしはおかしい。と波動は理解している。理解して生きてきた。納得とは違うが。
†††
日本におけるオリンピックと称される士傑ほどではないにしろ、雄英の体育祭の人気は国内トップクラスだ。
学内には許可を得たアンテナショップ等がご当地グルメの屋台を広げ、スタジアムの観客席では好青年がソフトドリンクの売り子として練り歩いている。
そんな喧騒を耳にしながら、生徒たちは薄暗いゲート通路で入場の合図を待っていた。誰もかれもが緊張で落ち着かない。この催しはネットやテレビでも中継される。そうとあってはカッコ悪いところは見せられない。
それに予選と決勝戦の二部構成という短い舞台であるが、プロヒーローのスカウトの場でもある。
体操着に着替えた1-Aの面々はだから、一層のプレッシャーだった。ヒーロー科に在籍する事がプロへの第一歩なら、体育祭は二歩目なのだ。
息苦しい空気の中、少しでも緊張を解きほぐそうと彼が拳藤に話しかける。
「そういえばさ、朝早くに校門の入り口で変な人たちがいたらしいけど、知ってる?」
「ああ、何人かのマスキュリストがなんか横断幕持って抗議してたらしいよ。雄英体育祭を一般公開する事について」
「え、なんで?」
「なんか昔、個性の制御をミスって服が脱げちゃった男子生徒がいたらしくて。それから男性を性的消費しているとかなんとか」
「ああ、あったねそんな話」
確かに当時話題になったが、情報供給過多なネット社会では今は昔の話だ。
せっかく忘れ去られたのに、今でもその事を蒸し返されて困るのはその男子生徒な気もする。世論やヒーロー、本人の意見としては、映像事故になる可能性があるなら個性を使わない判断も重要だったという事で落ち着いていた。
最終的に個性を使いこなし、プロになる為に雄英に入学したのであって、体育祭で好成績を残す為ではないからだ。
「わたしが通りかかった時はちょうど警官に解散させられてたけど、結構物騒な事言ってたよ。人権を無視して体育祭を断行するなら、今後、性的消費された男子生徒の報いを受けるだとかなんとか」
「こわ~。それは同性でも引くなあ……まあ確かに映像見た時はびっくりしたけどね」
「確かに」
と拳藤は小さく笑って言ったが、それは不可抗力とはいえ男子高校生が全裸になった瞬間を覚えていると白状したに等しい。え? あ~あったねそんな事も、と中学までの彼女ならそう返していただろう。
どうも彼と過ごしていると異性との距離感が狂う。
気恥ずかしくなって、曖昧に会話を打ち切った。
ほどなくして1-Aがグラウンドに足を踏み入れると、割れんばかりの声援が響く。かかる期待に足が武者震いする。
普通、サポート、経営科の計七クラスが揃うと、主審のミッドナイトがバラ鞭を片手に選手宣誓を八百万に任命した。
これまでとは別種の緊張感が1-Aに漂う。拳藤が芦戸に目配せすると、小さな頷きが返ってきた。快楽としての性教育は一通り済んでいるはず。
頼むから変な事を言うなよ。いや、さすがにそういうシチュエーションでない事は理解しているが、どうも嫌な予感がする。
大きな朝礼台にあがった八百万は、澄んだ声を響かせる。
「宣誓。わたくしたちは雄英に籍を置く学生として科を問わず、人に手を差し伸べる精神を学び、時に競い合う仲間としてこの体育祭を正々堂々と戦う事を誓います。また、今回ヴィランの襲撃に遭われた士傑の方々に対しても、志を同じくする仲間はここにあることを表明します」
大きな拍手の後に、八百万は一呼吸おいて口を開く。
「最後にわたくし事でありますが、体育祭で一位になれたなら、それを自信としてある方に告白したいと思います。以上です」
スタジアムに響いたその言葉は一瞬の静寂を生んだのち、大きな声援と喝さいの渦となった。
なんとも女気溢れる青春の宣言である。先の選手宣誓と相まって誰もが好感を覚えた。
きっと長年想いを募らせた相手なのだろう、はたまた幼馴染かもしれない。そんな想像を膨らませ、心の底から八百万を応援した。
彼もその内の一人で、のんきに麗日に話しかける。
「八百万さん勇気あるなー。誰だろうね、相手って」
油をさしていないロボットのように首を向ける。
え、わかんないの。
芦戸は頭を抱えた。たぶんわたしがこないだ あんな事を言ったからだ。ど天然箱入りお嬢様の八百万には、たぶんまだ好きとかその辺の事がわからない。いやわからないからこそ告って知ろうとしているのかもしれない。
とはいえ性交は好きの延長線上にあるのであって、今の八百万は逆走している可能性がある。
そしてもし彼女が告ろうものなら、なぜか貞操観念の緩い彼は流されてオッケーする可能性は高い。とうぜん、その後も押しに弱そうな彼は……
止めなければ! 八百万が彼の事を好きなら問題は無いが、少なくとも恋愛感情を確認しなければ不幸なことになるかもしれない。その責任がわたしにある!
「いやー青春って感じねー」
ミッドナイトが惚れ惚れして言った。
「それじゃあさっそくだけど予選の第一種目は──」
スタジアムの巨大なモニターがドラムロールと共に目まぐるしく文字を映し変える。
「──バトルロイヤル! やっぱエンタメは流行りも取り入れないとね」
ぱっちりと決まったウィンクで、雄英体育祭は始まりを告げた。