【完結】男女比率がおかしい貞操観念逆転アカデミアだけど強く生きよう   作:hige2902

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第七話 グラギアナム

 ミルコは教員用の控室で、ズコー、と空になった紙パックのキャロットジュースをストローで吸いながら、タブレットである生徒のプロフィールに目を通している。なるほど、()()()シラットとボクシングか、と合点をいかせる。

 

 やっと昼食にありつけたミッドナイトが対面に座って一息ついた。

 

「1-A全員が最終種目に進んで一安心だわ、担任としては」

「いくらアイテムがあるからって、ヒーロー科とは実戦訓練量が違うしな。全員は意外だったけど。てかさ、こいつ、この個性でどうやって実技試験を突破したんだ?」

 

 タブレットをテーブルに置く。彼の資料が表示されていた。

 

「ああ、破損した仮想敵の装甲とかで関節や駆動系を壊したり、非常停止ボタン押したり」

「そんなエレベーターに付いてるようなボタンがあるのか?」

「クラッキング対策に物理停止機能は必要よ。もちろんハッチで覆われてるから冷静にならないと気づけないし、近づくのは容易じゃない。そういう観察眼もヒーローに必要だからってのもあるけどね。葉隠とかはそれで点数稼いだみたい」

「ふーん、ま、ただ強いだけならプロでもゴロゴロいるしな」

 

 ミッドナイトが紙コップの紅茶を一口やって頬杖をつく。

 

「彼、工場で終わりかと思ったわ」

 

 そんな心配事をミルコが鼻で笑い飛ばす。

「ハッ! 相手は他科だろ? やられるわけねーよ。個性無しなら、格闘戦は1-Aで最強だろうし」

 

 意外な評価に目を丸くする。

「へぇそうなんだ。小森の件で贔屓目にしてるわけじゃなく?」

 

「そんなケチな事するわけねぇだろ」

「個性有りなら?」

 

「下から数えた方が早い。こればっかりは生まれ持ったもんだからな」

 このルールでは、とは省略して続けた。

「最終種目も難しいだろ。プロになっても続くかどーか……」

 

「うわっヒドイ」

 

「絶対に無理とか、学んだ事が無意味って言いたい訳じゃねえよ。ただ、ヒーロー飽和社会で個人事務所を持つのは難しいって話。サイドキックなら中堅くらいはいくんじゃね?」

「まだ三年あるわよ」

「あいつがどんな理想を持っているか知らねぇけど、いずれは現実にブチ当たるんだから早めに教えといた方がいいと思うけどな。その壁を乗り越えるにしろ受け入れるにしろさ。戦闘系はよっぽどの強個性じゃなけりゃ、個性と体術のシナジー持ってないとキツいわけだし」

 

 そうねえ、とミッドナイトは思慮深く腕を組んだ。事務所も持たず、一人で転々としながら活動してビルボード級まで上り詰めたミルコの言葉には無視できない重みがあった。

 

「まあ、ビルボードがヒーローの全てって訳じゃないしね」

 

 

 

 †††

 

 

 

「え、マジ! そんな倒したの? シード枠もあるんじゃない?」

 

 耳郎が羨ましそうに言う。

 発目の工房から彼を救出? した後、五人は澄んだ湖に面したオープンテラスで昼食と屋台の軽食をつまんでいた。自然と第一種目の内容の話になる。

 へえ~やるじゃん! という芦戸の称賛に照れながら、彼は蟹チャーハンを飲み下す。

 

「まあ、工場地帯でいろいろあったから。さっき会った発目さんって人がいて──」

 

 発目の策略に嵌り、立ち入り禁止区域に飲まれた者はもちろんカウントされないが、それでも彼が工場で倒した人数はせいぜい五人程度。全体数から見れば大した数ではないが、生き残った者の中では上位のスコアだった。 

 道中でどれだけ多く倒しても、市街地で潜伏して体力を温存していたヒーロー科と戦って生き残らなければ意味は無いのだ。

 最強と名高い八百万の倒した人数は意外にもゼロだった。適当な家の内壁と同じ素材でドアの無い小さな隠し部屋を造り出し、そこで悠々と籠城していたらしい。

 

「へえ~、あのバリバリに武闘派の拳藤と引き分けたんだ」

 取蔭が意外そうに感心する。

 

「いや、おれの負けだよ。落ちる前に運よく他の誰かがリタイアしたってだけで」

 

 ふーん、三角締めかー。と彼の話を聞いて芦戸たちはその様子を思い描く。拳藤、腕を挟むとはいえ自分の股間に彼の顔を押し付けたのか……技を掛けたいような、逆に掛けられたいような気持ちになる。

 そんな湿り気のあるモワモワした雰囲気を小森が切り裂く。

 

「へえー、大変だったね。でも、その後の事は気を付けた方がいいんじゃない? 今回は無事だったからよかったけど」

「何が?」

 

 何が? じゃない。

 妄想から戻った芦戸は、とぼけた顔で答える彼を見て内心で頭を抱える。フツー出会ったばっかりの女生徒と個室で二人きりになるか? よくよく考えれば服を脱ぐような状況に身を置くな! 

 なんてこった。八百万の天然に歯止めがかかったと思ったら、こいつもこいつでどこかが緩い。このままではいつか本当にエロ同人みたいな目に合うかもしれない。

 

「だから、あれだよ……不用心って言うかさ」

 

 しかしどう伝えるべきか。やべーぞレイプだ!! となったいきさつを語るわけにもいかず取蔭がもごもごしていると、小森は不機嫌さを隠さずきっぱりと言い放つ。

 

「いつか悪い女に襲われるかもしれないでしょ」

 

 さすがの彼もその言葉の意味するところを理解する。最近、心のアヴェンジャーズの活躍に気が抜けていたようだ。

 あらためて強く意識する。

 おれはおかしい。

 女性に対しての性的欲求を抑えるだけでなく、女性から見た自分の立ち振る舞いも考えなければならない。

 

 バックじみたヒーローコスチュームで羞恥心が麻痺していたが、今回の件は十分に危機感と恥じらいを覚えるべきだった。

 

「ごめん! 心配かけた。おれは発目さんがどういう人間か共闘したから知ってるけど、みんなは彼女を知らないって事を失念してた」

「ていうか、いくらアイテムでマッサージするからって全裸になるとかありえないから」

 

 いや、衣類は途中でずらされたのであって最初から脱いでたわけではないんだけど。そう喉元まで出かけたが、なんとなく小森が工房に殴り込みに行きそうなので黙っておく。

 怒られてどんよりと落ち込む彼に、耳郎が助け舟を出した。

 

「まあ反省してるし何事も無かったんだから、これ以上怒んなくても。小森もちょっと厳しく言いすぎ」

 

「ありがと、耳郎さん。でも……」

 彼があらためて頭を下げる。

「小森さんが怒るのも、みんなが心配するのもわかる。おれだって逆の立場だったら同じように怒るし、心配もする」

 

 いや、わたしらが男性と二人きりなら、それはほっといてくれ。事件性は無いから。

 しかしまあ世の中は男性が女性を襲う犯罪も無くは無いので、ありがたく受け取っておくことにした。彼にそう言われて悪い気はしない。

 

「まあ、わかればいいけど」

 小森はそっぽを向いて頬杖をつき、留飲を下げた。

 

「おれ、そういうところがなんか鈍くて。正直助かるよ、怒ってくれて。おかげで、改めて気を付けなきゃってわかったし」

「だからもういいって……これ、食べる?」

 

 そういって差し出されたタコ焼きを喜んで頬張る彼を見て、芦戸と取蔭、耳郎は互いの顔を見やる。

 なんだろう、タチの悪いDV女に引っ掛かった薄幸の男みたいでなんか……なんか。いろいろと、教えてやらなきゃならないな。

 

 うむと頷き合い、三人は昼食の残りを平らげたのだった。

 とりあえず、体育祭が終わったら防犯ブザーを勧めよう。

 

 

 

 †††

 

 

 

 レクリエーションの為に生徒たちはスタジアムに集まるが、自由参加なので姿が見えない者もいた。案の定、八百万は体力を温存する為か不参加だった。

 開催を彩るのは本場アメリカから招かれたチアボーイたちだ。白と青を基調とした短パンから伸びる眩しい膝下を振り上げて、エールを送っている。ノースリーブから時折覗く腋が蠱惑的だった。

 心なしか観客席の熱量が第一種目よりも高い気がする。

 

 多くの女生徒は生で見るのは初めてだったので遠慮のない視線を向けるが、1-Aの面々は欲望に忠実になる事が難しかった。

 

 他科は男女比率が半々なので、男性から女性へ向けられる呆れのような感情も分散される。なんとなく群体から群体へ負の感情を抱かれても、ほぼノーダメージだ。

 しかしヒーロー科の男性は彼だけなので、軽蔑は直接串刺しにされるような感覚だ。

 正直、なんとなくわかってきた彼の性格上、女の子がエッチな事に気を引かれるのはしょうがないと笑って済ましてくれそうではある。実に都合の良い男性だ。

 が、ここはカッコつけてグッと堪えよう。あーうん、別にちょっとエッチな感じなのって興味ねーし、というスタンスを保つのが正解。

 

 そう思考していたうちの一人、柳に彼が特に意味も無く声をかける。

「チアってテレビとかでしか見た事なかったけど、生で見ると結構凄いね」

 

 なんでいつもわたしだけそんな返しにくい話題なの。

 そうだね、見え隠れするおヘソが凄いエッチだね。とは口が裂けても言えない。どーすればいいのか。それとなく周囲に助けを求めるが、すでに危機を察したのか距離を置かれていた。

 

 男子高校生って何考えてるかわからなくて うらめしい。

 柳は元々口数が多い方でもなく、趣味もネットでホラーを漁るというインドア派だ。男子生徒と積極的に話した経験は無くは無いが……。

 なので彼が性差を気にせず話しかけてくれるのは嬉しいし会話を続けたいのは山々だが、どうしてか話題がセンシティブで返答に困る。

 

 そうだね凄い迫力だね、あたりがベストアンサーだろう。

 だがそれでは、今後も返答に困る状況に右往左往するだけだ。周囲がハラハラしながら見守る中、柳は意を決して一歩踏み込んだ。

 

「あ、ああいうのって一回くらい着てみたいと思う?」

 

 なんかちょっとキモイ感じになったが、果たして大丈夫なのか!? 

 

「いや~どうだろ、おれはちょっと恥ずかしいかな」

 

 それはひょっとしてギャグで言っているのか!? 

 あんなエッチなコスチューム着といてどういう心境なのだろう。ツッコミ待ちなのか。

 

「きみのコスチュームの方が凄かったけど」

「いやあれは企業との連絡がうまくいってなくってさー。あんなの映画だったらすぐ殺される役の服だよ」

「わ、わかる! わたしもそう思ってた!」

 

 笑い話にする彼に、柳もつられた。やった、渡り切ったという達成感を覚える。

 セクハラという地雷原が敷き詰められた危険地帯を抜けた。ここまでの下ネタは大丈夫というマイルストーンを置いたのだ。

 

 こうしてまた一つ、彼はクラスの女生徒と仲良くなれた。

 仲良くなれる切っ掛けが全部下ネタな気がするが。

 

 

 

 †††

 

 

 

 レクリエーションは何事も無く終わり、いよいよ最終種目が開始される。

 その小休止もかねたインターバルで、彼は意外な人物から声をかけられた。

 

「ねえねえ、第一種目どうだった?」

 

 振り返ると、体操服姿の波動がいた。わざわざ一年の会場を訪ねてきてくれたらしい。憧れの先輩が様子を見に来てくれるなんて嬉しすぎる。もし彼に尻尾があったなら、千切れんばかりに振っていただろう。

 

「なんとか突破できました。波動先輩のアドバイスのおかげです」

 

「すっごーい!」

 波動はパッと花が咲くように喜んでから、上目遣いで少し遠慮がちになる。

「えー、でもわたしのアドバイスってそんなに効果あった? 嬉しいけど」

 

「待ち構える時に障害物を身近に置いとくヤツとか、あれ教えてもらってなかったらギリギリで落ちてたと思います。他にも細かいとこでいろいろと」

「ふんふん、それは先輩冥利に尽きるね」

 腕を組み、満足そうに頷く。

 

 その短い会話の間に周囲は小さなざわめきを見せた。

 

「……あれ三年の波動さんじゃね?」

「マジ? BIG3の?」

「てか普通に話してる男子は何者だよ?」

 

 例えるなら一年の教室に三年生が現れるようなものなので、当然の反応と言えば当然だ。しかも学校きっての実力者ともあれば尚の事。

 小休止という事もあるが、もともと彼の様子をちょっと見に来ただけなので、波動は会話をそこそこに打ち切る。

 

「それじゃあお互い優勝目指して頑張ろうね!」

 

 ばいばーい、と手を振ってその場を去る。

 やっぱ素敵な人だなあ、と彼は手を振ってしみじみ思った。優しくて強いだけじゃなく、後輩に対する面倒見の良さまで兼ね備えているなんて。

 しかも、お互いという事は波動も最終種目に進んだのだ。ここはカッコいいところを見せたい。

 

 優勝するという気持ちを新たに、彼はスタジアムへ向かった。

 

 

 

 個性有り、一対一のトーナメント戦に観客は湧き、参加者は緊張と戦意を滾らせる。

 

 

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 シード枠は二回戦勝者とぶつかるので、彼は順番待ちの選手に混ざり生徒用観客席で試合を見学した。一回勝ったらベスト4に残れるのは少しバランスが悪い気もするが、実戦的なアドリブが求められるバトルロイヤルの成績を重要視してのことだ。

 また、三位は白星の多い非シード枠が優先される。

 

 正方形のリングに、第一回戦 一試合目の対戦者である塩崎と麗日が上がる。

 

「どっちが勝つと思う?」

 と、拳藤が彼の隣に座ってリングを眺めて言った。

「個性の相性で言えば塩崎って感じだけど」

 

 ミルコの格闘訓練により、お互いの手の内は一通り明かされている。

 塩崎は中遠距離では『ツル』を触手のように動かして捕縛、近距離では外付けの肉体のように纏い、巨体を活かした打撃やタックルからのテイクダウンを得意としていた。

 対する麗日は浮かして転ばせる合気を遣う。彼女に攻撃力は必要ない。掴みと同時に、服越しでも人体に触れられれば『無重力』は自動的に起動する。そのまま転がせば、縦軸の無限回転により体内の血液は頭部と脚に集まってレッドアウトするからである。

 

 その意味では、血液の通う生命に対していかなる防御力も貫徹する一撃必殺であるが、塩崎は『ツル』で簡単に接地して平衡を得られる。

 二人の個性を知る1-Aの面々は、塩崎有利と考えていた。

 

「おれも塩崎さんが有利だと思う。けど合気には『入り身』があるから、可能性はある」

「あー、っていうかそう言えばきみも使えたんだね、びっくりしたよ。第一種目で椅子を払ったわたしの手の方から身体を入れたやつでしょ」

 

 合気における入り身とは、厳密には相手との距離を詰める、攻撃を避ける、あるいはカウンターの為の前動作という事を指すのでは無い。次の一手に繋がる、『結び』と呼ばれる間合いを作る事にある。

 例えばボクシングにおけるクリンチは前進する事で起こるが、その間合いは一時の停滞であり、次の一手に繋がる結びではないので逆説的に入り身ではない。

 後進したとしても結びが発生するのなら、それは入り身と言えるだろう。

 

「それそれ。塩崎さんの『ツル』を潜り抜けて、入り身を使える距離まで近づければ麗日さんにも勝機はあると思う」

 

 が、試合開始前の麗日の構えを見て、みな怪訝そうに眉をひそめる。合気のそれではないのだ。

 

 軽く半身を引き、掌は胸の前で合わせるように構えている。指先は触れ合っておらず、ふんわりとした花のつぼみのようだ。少林寺拳法の変則的な合掌礼に見えなくもない。

 隠していたのか、付け焼き刃の対策か。どちらにせよ塩崎のやる事は決まっている。バックステップで距離を取りつつ『ツル』で麗日を攻撃する。『ツル』を伸ばした分だけ『無重力』に対する当たり判定は増えるが、接地できるので問題は無い。

 試合開始の立ち位置からして目測で五メートルはある。近づけさせない為の間合いは十分に取れる。

 

『それじゃあ第一回戦! ……始めッ!』

 

 ミッドナイトがバラ鞭を振り下ろして言った合図と同時に、塩崎はその場を飛び退き最速で髪の『ツル』を伸ばして攻撃する。そして驚愕した、すでに麗日が目前に迫っている事に。

 速すぎる。

 まずは掌底と『無重力』による等速直線運動での場外を防がなければならない。

 反射的に『ツル』で身体を接地して固定し、編み上げた太い複腕で迎撃する。肉薄する麗日は頭を地面すれすれまでに落としてそれを躱しながら、超低姿勢で塩崎の腹を蹴り上げた。

 そうなると『ツル』の固定が裏目に出る。蹴りの威力を減衰できず鳩尾に入った踵は、塩崎の横隔膜に衝撃を与え、鋭い痛みと呼吸困難により一撃で失神させる。

 

『勝者、麗日さん! 二回戦進出!』

 

 一瞬の沈黙の後に、観客席はよくわからんがとりあえず盛り上がった。

 

「いったい何が……合気じゃない?」

 

 そんな彼の疑問に答えが返ってくる。

 

「ありゃあ躰道だな。なるほど、麗日の『無重力』と噛み合ってる」

「知っているんですかミルコ先生……ていうかどうしてここに」

 

 いつの間にか彼の隣で、脚を組んだミルコが生の人参スティックをぽりぽりやっていた。小さな魔法瓶に入っているところを見るに、彼女が持参したお弁当かおやつなのだろう。

 

「一応教師だしな。生徒が学べる時に学ばせるってもんでしょ、ってミッドナイトに言われた」

 

 躰道とは重心の変化や身体を回転させるアグレッシブな格闘術であり、その際に軸がブレないように腕は身体に密着させる事が多い。必然的に両手の距離は短くなるので、『無重力』の解除が両指の肉球を合わせるという個性とは相性がいい。

 

「塩崎との距離を急激に縮めたのも躰道の技の一つだ。身体を旋回させながら近づく独特の歩法で、達人なら三メートルを一気に詰める。そこに瞬間的にでも『無重力』が加わると……ってとこだろ」

 

 麗日の体術はミルコの慧眼が明かした通りだった。

 手で花のつぼみを作るようなあの独特の構えが、自身に一瞬だけ『無重力』を付与し解除する事を可能にしている。それは、自分に使うと酔うというデメリットに引っ掛からないほど僅かな時間であった。

 

「最後の倒れ込むような姿勢の低い蹴りはカポエイラですか?」

「似てるかもだが、あれも躰道の重心を操る蹴りだ。普通、ああまで体勢を崩すとどうしても復帰が遅くなるが『無重力』ならその欠点を補える。麗日向きだよ。あの練度からして、わたしの訓練じゃ隠してやがったな」

 

 

 

 続いて第二試合目の八百万が入場してくる。最悪下着姿かもと頭をよぎったが、裾をまくり上げて前腕と脛を露出しているに留まっていた。

 相手は普通科の、典型的なフィジカル系だった。『動物』の変形型個性により、単一の哺乳類の特性を肉体に反映させる事が出来る生徒で、試合開始早々にゴリラを取り入れる。

 あっという間に肉体は隆起し、体操服をはちきれんばかりに膨張させるゴリラ人間と化した。

 

 これはさしもの八百万でも分が悪い。鉄棒を『創造』してリーチを伸ばす打撃が有効なのは、あくまで相手のタフネスが人間の範囲内の話だ。全身が強靭な筋肉の動物相手は想定していない。

 棒ではなく鋭利な三角錐ならば勝機はあるだろうが、確実にグロイ事になる。というか最悪死ぬ。

 いくらスカウトの目があるからと言っても、相手を死に至らしめるなら自らの負けを認めるべきだ。

 これは学校行事だという事を忘れてはいけない。

 

 コスチュームは変態だが1-A最強と謳われる八百万でも、相性負けかといったところ。

 

 対する普通科の生徒からすればラッキーだ。相手は推薦入学者。それを倒したとなれば、ヒーロー科への編入も夢ではないかもしれない。

 そう考えていると、八百万は両手で顔を覆って『創造』したガスマスクを直接装着し、四肢から白い霧を放出した。

 煙幕? と警戒するゴリラ人間の眼球にその気体が触れた瞬間、鋭い熱と痛みが襲う。

 

「いっッ! 痛ッ! あっつ!」

 

 顔を抑えて咳き込みながら転がるゴリラ人間に、八百万はガスマスク越しのくぐもった声で言った。

 

「いわゆる催涙スプレーですわ。後遺症の残らないカプサイシン系なので安心してください。降参するのでしたら中和剤を『創造』しますが、続行なら暴徒鎮圧用の物を」

「するッ! ゲホッ、降参! まいった!」

 

『勝者、八百万さん!』

 

 

 

 ミルコが頭をかきながら、呆れた口調で言った。

 

「あーまあ気体も物質に含まれるから『創造』出来るのか。もうなんでもありだな」

 

「それどころじゃないよッ!」

 後ろの葉隠が椅子から立ち上がり、彼の両肩をバンバン叩く。

「八百万は下着姿で出てくるって思ってたのに! そしたらわたしが全裸でも許されるかもって思ってたのにー!」

 

「いやどっちにしろダメだと思うけど。ヒーロー活動としての訓練ならともかく、学校行事だし」

「んじゃあどうやって戦えばいいのわたしはー!」

 

 葉隠は全裸から繰り出す不可視の大技や絞め技を得意としている。文字に起こすととんでもない表現でびっくりしたが、どれほど大きな予備動作も伸びきった手足の隙も、見えないのならば無いも同然だ。

 そのアドバンテージは彼も身をもって知るところで、格闘訓練で対峙した時は背後から文字通り裸締めにされ、すぐにタップして降参した。落ちる落ちないよりも、彼のコスチュームは背中丸出しだったので、葉隠の汗ばんだ柔肌と二つの突起の感触がダイレクトに伝わった事の方が危なかったからだ。

 

 とにかく逆に言えば、葉隠は衣服を着ている状態だと技の隙が目立つ。

 

 猛抗議する葉隠をよそに、モニタの中では小大が相手の体操服を『サイズ』で小さくして動きを封じたりと、次々に対戦が行われた。

 

 

 

 

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 やがて第三回戦 第一試合が始まり、四つの角を自在に操る『角砲』の個性、角取ポニーが自信たっぷりに言う。

 

「有名なジャパニーズコミック、ハンターハンターを読んで編み出したこの技を使う時がきたようデスね……名付けて『無限四角流』!」

 

 あ、負けそう……

 

「ふふふふふ、上下左右 正面背後、あらゆる角度から無数の角がアナタを切り刻みマース!!」

 

 角取はなんか予想通り負けた。なぜそんなマイナーな登場人物の戦い方を真似たのか。彼女の本国のグリーヴァスを参考にしたなら勝っていたかもしれない。

 

 

 

 小森と対峙する蛙吹は、舌による拘束を諦めていた。おそらく毒性のキノコを体表に生やして反撃してくる。致死性のものは使ってこないだろうが、粘膜接触は避けるべきだ。

 もちろん舌が封じられたからと言って攻撃出来ない訳ではない。蛙吹にも得意とする体術はある。

 目線ほどの高さまで両こぶしを上げ、脚幅を狭く取り、やや前に重心を置く。空気が冬の雨のように重くなった気がした。相当な遣い手であることが肌で分かる。

 

『カエル』の脚力を活かしたムエタイの構えだ。

 

 対する小森は素人がするようなファイティングポーズといったところで、練度のようなものは感じられない。そもそも彼女はつい最近まで、ヒーロー免許を取る事を最終目的として雄英に入学したのであって、その先にあるヒーローになるという地点はどうでもよかった。

 その意識の差が、他のクラスメートに比べて体術が劣る原因となっていたのだ。USJで彼女は変わったが、たった数週間で追いつけるものではない。

 

 そんな小森が勝ち上がっている理由を、蛙吹はもちろん試合を観察して知っていた。要は間に合うかどうかだ、一撃で決めなければ確実に負ける。

 

『始めッ!』

 

 蛙吹が呼吸を止めて瞬動する。建物を一息で飛び越えるような跳躍力で小森を有効射程距離内に収める。腰の回転の乗った滑らかなハイキックを側頭部めがけて放つ。が、弾力のある巨大なキノコが小森の前腕から生え、カサがシールドのように防御した。菌糸の集合体と言ってもよいそれは対打性があり、縦の斬撃か刺突でなければ有効ではない。

 それでも大木を切り倒す斧のような蹴りの衝撃は、小森を大きく吹き飛ばして転倒させる程の威力だった。

 

 本来であれば倒れた相手にマウントを取るなり蹴るなり出来る蛙吹が優位だが、彼女の脛や足の甲から大きなキノコが生えていた。これでは本来の威力が出せない。ならばと、立ち上がった小森にドロップキックを放ち場外を狙うもカサのシールドで威力を分散させられる。

 息を止めるのも限界だった。

 小さな咳と共に降参を表明する。

 

「ケロっ……ここまで進行が速いとどうしようもないわね」

 

「ごめんね梅雨ちゃん。それ、使うつもりなかったんだけど……どうしても一位にならなくちゃいけなくなったから」

 立ち上がった小森が申し訳なさそうに言った。

「わたしの個性で生み出した株は二時間くらいで全部消えるから安心して」

 

 蛙吹の呼吸器官系を蝕むスエヒロダケは小森の個性で生み出された変種で、ほぼ確実に肺に寄生して感染症を引き起こす恐ろしいものだった。

 肺呼吸なら防御無視の初見殺しな上、知っていても然るべき装備でないと対策できないというのがまた凶悪だ。拳藤と耳郎がなすすべなく敗北したのもやむなしと言ったところ。

 

 

 

 いよいよ最後のシード枠の試合が始まる。彼がゲートを抜けると日の眩しさに目を細める、やがて順応した視界から観客席を見上げると、無数の人が歓声と応援を送っている。さっきまでクラスメートがこの場に立っていたというのに、どこか非現実的に思えた。

 

 リングに上がると、相対する芦戸は脱力しながら小さくジャンプして身体を慣らしている。

 

 その様子を観客席から眺めていた小森が、ミルコに小さく尋ねた。

 

「彼、負けますよね?」

「たぶんな……負けてほしいのか?」

「別にそういう訳じゃないですけど……芦戸の『酸』だとわたしの『キノコ』が溶かされて相性が悪そうってだけです」

 

 ふむ、とミルコは頬を掻いた。小森としてはただでさえ心理的に躊躇しているスエヒロダケを、なるべく使いたくない相手って事か……まあ、食らった側はキツいだろうしな。

 

「芦戸の『酸』はアイテムや個性で生み出された物質の破壊に長けてる。もちろん加減無しで生身の相手に使うのは論外だから、どう転ぶかはわからん」

 

 そうですか。と小森はリングから視線を逸らさず言った。

 うー、なんかむずがゆい、というミルコの心境をよそに試合は開始された。

 

 

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 彼はミルコの教え通り、身体の正面を見せずに軽いフットワークで近づく。

 軽めのジャブとローキックで、打点の高低差を意識させる対角コンビネーションで攻めつつ、『酸』を飛ばされても対応できるよう心掛けた。

 

 対する芦戸は変則的なカポエイラだ。ジンガと呼ばれる、左右にステップを踏む構えよりも速く小刻みなフットワークで、ダンサーがリズムを取っているようにも見えた。

 しかしそこから繰り出される蹴りを、彼は恐れていた。

 

 打撃は腕より脚の方が数倍の威力が出ると言われている。しかも脚技が主体のカポエイラとなれば、迂闊に手を出せない。

 そして芦戸がこの体術を使えば、例え蹴りを掴まれても『酸』を出せば相手は離さざるを得ないし、引いて躱されたとしても足先からそのまま放たれる『酸』で中距離まで対応できる点にある。

 蹴りは威力があるが、掴まれると後が続きにくいという欠点を無視できるのは文句なく強い。

 

 それを理解していてもなお、芦戸は軽い打ち合いに徹する、今はまだ。

 彼はシラットを使う。特徴的なのは手数の多さ、凶悪な肘、返しのテイクダウン、何より足払いの多さを警戒した。こちらが蹴技を出すという事は、その瞬間は一本の脚で立っているという事だ。単純な話だが、当然そこを狙ってくるだろう。

 また、腕技の少ないカポエイラにはボクシングも辛いところ。顎にいいのを貰うと一撃の可能性もある。

 

 最初に有効打を入れたのは彼だった。脇腹にブローが突き刺さる。だがヒットしたという感覚が無い、ズラされた? 膜を打ったような。どこかおかしい。

 芦戸が悪戯っぽく密やかに笑みを浮かべる。

 

「悪いね。わたしの『酸』は溶解度だけじゃなく、粘度も変えられるんだよねえ」

 

 彼の打撃は、ローションのごとく滑る『酸』と、絶えず動くジンガによって芯を捉えられなかったのだ。打撃主体のストライカーである彼にとっては致命的ですらある。

 しかも芦戸の皮膚から分泌された『酸』は時間と共に彼女の体操服に浸み込み、摩擦係数を低くした。それは掴みや寝技への移行を著しく阻むことを意味する。

 

「隠してたわけじゃなかったけど、格闘訓練でベタベタになるのも嫌だったから」

 

 足払いやテイクダウンの危険性が無くなると、芦戸が攻めだす。

 するりと肩の裏を地面につけ、脚を広げた回し蹴りで彼の横腹に踵を叩きつける。ブレイキンの代表的なパワームーブ、ウィンドミルだった。そこから繋がるコンビネーションでカポエイラの技を織り交ぜながら嵐のような連撃を放つ。

 

 ダメージ覚悟で脚を捉えようとしてもヌルリと抜けられる。芦戸の顔が下にあるからと言って爪先蹴りをしようにも、足元がローションまみれの上体では確実にバランスを崩してしまう。

 その思考が終わらぬうちに彼は尻もちをついてしまった。そこに芦戸がずるりと組み付きマウントを取り、躊躇なく拳を振り下ろす。

 

 グラウンド勝負か? と誰もが思ったが、彼も受けた脚技から飛散したローションでデロデロになっているので打撃は十全に発揮されず、ポジションから容易に抜け出す。芦戸に組み付こうとするが、やはりローションに足を取られてスっ転ぶ。

 そのまま くんずほぐれつのグダグダになった。いやこれは──

 

「こ、これはマサカ!?」

「知っているのか角取!!」

 驚愕する角取に取蔭が食いつく。

 

「かつてジャパニーズTVで放送されたこともあったという泥んこレスリング! 男性が水着姿でドロドロになりながら戦うけど健全なヤツに違いありません!」

「む、むかしのテレビってそんなエッチなのやってたのかよ」

 

 動揺する1-Aに、ミルコが静かに訂正する。

「いや、あれはヤールギュレシというトルコの伝統的なオイルレスリングだ」

「あ、そうなんですか。よかった。てっきりエッチなヤツかと……」

「半裸でやるんだが、相手の半ズボンを脱がすか破れると勝ちになる」

 

 もっとエッチなヤツじゃん。

 実際にはお尻や背中を地面につけてもポイントとなる。

 

「けどこれは芦戸の戦略ミスだな、こうなると相手が悪い」

「どういう事ですか?」

 と小森。

 

「ヤールギュレシは本来、なかなか勝負が付かない。元は打撃禁止ってのもあるけど、今回の場合にしてもよっぽどうまく極めなきゃ抜けられるし、打撃は踏ん張れない上に芯を捉えにくい。芦戸には一日の長があるから勝てるって踏んだんだろうが……」

 

 なるほど、と小森は納得して席を離れた。

 

 その背に柳が声をかける。

「あれ、見ていかないの?」

「彼が勝つから」

 

 勝敗を見届けることなく次に備えて控室に向かう。しばらくすると歓声が聞こえた。

 やがて第四回戦 第一試合の麗日 対 八百万戦が始まる。廊下に出て自販機で何か買おうかとしたところ、ばったりと彼に出会う。体操服は予備に着替え、シャワーも浴びているようでローションは落ちていた。

 

「やっぱ勝ったんだ」

「なんとかね」

「芦戸は知らなかったみたいだけどUSJで体力には自信があるって言ってたし、持久戦なら有利でしょ」

「運もあった。実戦なら『酸』で溶かされてる」

「でもわたしには勝てないよ。見たでしょ、スエヒロダケ。棄権したら?」

 

 試合前の緊張のせいか、彼には小森の声がどこか刺々しく感じられた。

 

「んー、でもまあしばらく苦しいってだけならやってみよっかな」

「梅雨ちゃんでさえ呼吸を止めてる間にわたしを倒せなかった。菌を肺に入れても体力まかせに粘るつもりだろうけど、そのぶん指数関数的に苦しむってわかってる? 胞子舐めてない?」

「あー……ありがとね。でも諦めるわけにはいかないから」

「は? なんで礼言うの?」

 

 わたしには勝てないから諦めろ。そこまで言われるとさすがに腹が立つ。が、それは小森の優しさであると彼は気付いた。

 もちろん彼が勝つのはほぼ不可能に近い。だが波動に体育祭で頑張りたいからと助言を求めた手前、戦わずして引くわけにはいかなかった。事実としてバトルロイヤルでの対拳藤の立ち回りは彼女のアドバイスあってのものだ。

 それに、お互い優勝目指して頑張ろうと言った波動の言葉が、彼の胸でまだ灯っている。

 

 不思議な沈黙が訪れた。自販機の駆動音が静かに唸っている。しばらくすると遠い歓声がそれを破った。決着がついたのだろう。

 

「じゃあそろそろ行こっか」

「後悔するよ」

 

 スタジアムに入場し、小森はスクリーンのトーナメント表を見上げる。案の定、八百万が勝ち進んだ。そして彼では八百万に勝てない。なら自分が八百万に挑むしかない。

 もし麗日が勝っていたのなら、彼に勝ちを譲ってあげてもよかったというぬるい思考が脳裏によぎり、その雑念を払う。あまりにも彼に対して失礼だ。

 選手宣誓で八百万があんな事を言い出さなければ、少しは肩の力を抜けたかもしれないのに、と理不尽な現実に気落ちする。

 

 騒いでいた観客が、しだいに口を閉じて静かになる。緊張が満ちた。

 ミッドナイトが鋭く試合開始を告げる。

 

 

 

 原則的に、小森と対峙するという事は呼吸を止めている間にいかにして彼女を倒すか、という命題からは逃れられない。つまりタイムリミットがある。

 彼が速攻を仕掛けるも、要所にカサのシールドを生やされて打撃は効果が無い。

 とはいえグラウンドに持ち込まれると対処方法に詳しくない小森は一瞬でケリがつくので、掴みを嫌ってジリジリと下がる。

 

「このまま場外に押し出されれば小森が負けか」

 

 拳藤がぽつりとこぼした言葉を取蔭が拾う。

 

「けどさあ、それまで無呼吸で打ち続けるのって無理じゃね? だから梅雨ちゃんは一撃に賭けたわけだし。芦戸的にはどうなん? 直接やりあった感じからして」

 

 返事がないので振り返ると、芦戸は目を閉じてがっくりとうなだれている。

 そっか、こいつも勝ちたかったもんな。と取蔭はそっとしておくことにした。

 

 ほんとは落ち込んでいるのではなく、さっきの試合を反芻していた。

 闘っている最中は必死でそれどころではなかったが、ローションで男性と揉みくちゃになる感触は言葉では言い表せない。凄かった。

 お店のヤツじゃん。

 なんだか気恥ずかしくもあるが、同時にほどよく固い身体の弾力を覚えているうちに浸る。ほんと凄かった。

 

「あっ!」

 と誰かが声を立てた。

 

 小森が顔狙いの短い打撃を放つ。だがそれは誰の目からしても悪手だ。シラット相手に素人のパンチは、転がしてくれと言っているようなもの。

 彼は不用心に伸ばされた拳を前腕で流し、掴む。カサのシールドがあるので、ここから肘へ繋げるのは有効ではない。関節を責めてグラウンドに持っていき、そこから確実に絞める。

 

 シラットとボクシングに寝技は無いので得意ではなかったが、小森ならば抜けられないと踏む。

 手順を考える必要も無いほど身体に染みついたテイクダウンの所作はしかし、実行されることは無かった。

 

 掴んでいたはずの小森の手がぬるりと抜け、かわりに横腹に蹴りを食らう。不意打ちに思わず苦悶の声が出る。

 

「やっと息した」

 

 彼は自分の掌を見る。なめこが生えていた。

 

「芦戸さんとの試合見てたんだ、てっきりずっと控室にいたのかと思ってた」

「どうでもいいでしょ、少なくともこのルールじゃわたしに勝てないってわかった?」

 

 小さな咳が出た。思ったより苦しい。呼吸器官を抑えられてからは体力どうこうの話ではない。だがまだ戦える。このまま場外までゴリ押せる可能性はある。

 が、彼は拳を下ろした。

 

「降参するよ」

 

 小森は俯いて低く言った。

「……ごめん……いろいろキツく言って」

「気にしなくていいよ、わかってたから。おれが小森さんなら同じこと言ってた。そりゃ、同級生に無駄に苦しんでほしくないよね」

 

 命に別状はないとは言え、凶悪な技をクラスメートに使わなければならない小森の顔を見たら、意地を張って戦う気も失せた。

 彼にとってはこの場の勝ち負けなど、罪悪感に苛まされる彼女の心境に比べればどうでもいい。

 別に体育祭で一位になる為に雄英に来たのでは無い。三年後にヒーローになる為に来たのだ。

 

「決勝、頑張ってね」

「……ありがと」

 

 ミッドナイトが若い青春に身を震わせながら叫ぶ。

 

『勝者、小森さん!』

 

 

 

 †††

 

 

 

 決勝前のインターバルに、小森は対戦相手の控室の前に立っていた。

 何度も躊躇った後に、ようやくノックする。どうぞ、とあっけなく返って来た。

 

「あら小森さん」

 どこから持ってきたのか、貝殻をモチーフにしたネプチューンカップで優雅に紅茶を楽しんでいた八百万が、意外な来客に小さく驚く。

 

「いま、話せる?」

「構いませんわ」

「なんであいつに告るの?」

 

 ブッ、と紅茶が短く吹きだされた。

「どなたの事でしょう?」

 カマかけだと思っているのか、シラを切る。たぶん気付いていないのは彼だけだ。

 

「いや、あんたが知ってる男なんてクラスに一人しかいないじゃん。まあ、女かもだけど」

 

 誤魔化すのを諦めた八百万は、頬を赤らめてもじもじする。

 

「その……恋人が欲しいですし、まあ、その先も……」

「好きなの?」

「それは……付き合ってからわかる事なのではないでしょうか?」

「ああ、そう」

 

 それだけ言うと、小森は控室を後にした。

 

 八百万の主張が俗悪であるとは言い切れない。

 お互いに好きだと確かめてから付き合うのか、付き合ってから好きかどうかを確かめるのか。その順序に正誤など存在しない。しいて言えば童貞厨はプラトニック感のある前者を好むらしいが。

 それに年頃の女子高生といえば、どーやったらヤレるのか、どーにかして彼氏が出来ないものかと漠然と頭を悩ませている。なにも八百万だけが特別に強欲というわけではなく、きちんと段階を踏んでからという筋を通している。

 

 時間がきて、二人はリングに上がった。

 どちらが勝つかという予想を誰もが口にし、歓声よりもざわめきが広がる。

 万能の『創造』か、凶悪の『キノコ』か。

 どちらにせよ、決着が付くのにそう長くはかからないだろう。

 八百万は科学的に菌を無効化する手段を『創造』出来る。その準備が整うまでに小森がスエヒロダケを寄生させられるかどうか、というのが下馬評だった。

 

 ミッドナイトが相対する両者を見やる。

「二人とも、準備はいい?」

 

 結局のところエゴだ、と小森はミッドナイトに頷きながら自覚する。

 彼がいなければ、こういった公の場で個性を使う事はなかっただろう。第一回戦で『キノコ』を見た観客の反応の全てが好意的なものでない事も我慢できる。

 以前の自分なら耐えられなかった。

 

 山岳ゾーンで彼が言ってくれたことを信じているから、ここに立っている。

 恩を感じているし、尊敬の念もある。

 それだけに八百万が告白する事に対して強い拒否反応を覚えた。

 

 別に彼が誰と付き合おうと、それは彼の自由だ。

 八百万でも、取蔭でも、知らない人でも、たぶんどうでもいい。

 

 だがその誰かが、別に好きでもないのに彼に告白する事が、うまく言い表せないがとにかく嫌だ。気に入らない。

 人の恋路に首を突っ込むのは野暮なのは理解している、平時ならば黙って見ているだろう。だが今は八百万を降し、優勝する事でそれが公然とまかり通る。それが許されるのであれば──

 

 ミッドナイトがバラ鞭をゆっくりと振り上げた。

 

 ──だったら遠慮なくエゴを押し通す。

 

『始めッ!!』

 

 小森が両手をかざす。

 八百万が全身の皮膚から滅菌液を滲ませ、ガスマスクを『創造』する。同時に大小無数のキノコの濁流に押し流された。

 後に残ったのはリングの半分を埋め尽くし、観客席に届かんばかりの、巨大な津波のように佇むキノコ群の塊だった。

 

 一拍の後、体育祭第一学年の優勝者が告げられる。

 

『八百万さん場外! よって……勝者、小森さんッ!!』

 

 呆気に取られていた観客たちが、ようやく個性のスケールの大きさを理解し、乾いた笑いを出す。笑うしかなかった。それは次第に大きな歓声に変わりスタジアムを包む。

 

「まさかこれほどの物量を出せるとは思いませんでしたわ」

 八百万がキノコの塊から這い出ると、小森は小走りで駆け寄って手を差し出した。

 固く掴んで立ち上がる。

 

「残念ですが、諦めるしかないようですね」

 

 それを聞いて、小森はなんだか可愛らしく思えた。どう考えても出会って数ヶ月の男性に告ったところで返事は濁されるだろうに、この天然のお嬢様は付き合えると信じて疑わないのだ。

 

「あいつには、良い所があるから」

「え?」

「いや、告る告んないの話。そういうところ、知ってからでもいいんじゃない? 一位になったらそれを自信にしてって言ってたけど、相手の事を知って理解するのも自信になると思うし」

 

 言われて八百万は目を伏せる。大きく息を吐き出し、晴れやかに笑って言った。

 

「そうですわね。まぐわってみたいという気持ちばかりが先行して、少し急ぎ過ぎていましたわ」

 

 リングの上で二人は固く握手した。ぐるりと取り囲む観客席からは喝采が響く。

 その上には雲一つない晴天が広がっている。

 軽やかな風が小森と八百万を撫で、髪をなびかせた。

 

 体育祭、第一学年が終わる。

 

 

 

 †††

 

 

 

「最後のは発目の工房に押し入った時に使ってた技か。あんなデカくなるとは」

 表彰台に立つ小森、八百万、麗日を眺めながら、取蔭がボヤく。

 耳郎が納得して後を続ける。

「たぶんあそこで見せるつもりなかったんだろーけどね。決勝まで八百万にスエヒロダケを意識させといて、ガスマスクを『創造』する隙に打つ隠し技って戦略みたいだったし」

 

 決勝戦の戦闘にあれこれ議論を咲かせる生徒や観客の視線の先では、ガラじゃないんだよなーという雰囲気のミルコがメダルを授与していた。

 もっと適任がいそうなものだが、救助訓練中にヴィランに襲撃された士傑の体育祭が近々行われる。その警備増強のため雄英教師も手を貸す必要があり、ミーティングや準備に追われて人手が足りないのだ。

 

「なに言やいいんだ? えー、麗日、個性の起動が四肢に依存してるタイプは欠損するとヒーローとして終わりだ。だから蹴りを混ぜるのは理にかなってる。偉い」

 

 へへへ、と照れながらメダルを掛けてもらう。

 

「八百万、脱いだらもっと強いおまえが体操服で良く戦ったな。偉い」

 

 光栄です、と恭しく頭を下げる。

 

「小森……よく自分の個性と向き合えたな、こういった場で使えたのは、偉い」

「でも、使うつもりの無かった技で、クラスメートに苦しい思いをさせてしまいました。自分のエゴを優先して」

 

 ミルコはその小さく震える口調に気付き、どーしたものか頭をかいてから、そっとハグしてやった。

「おまえはいいヒーローになるよ。わたしの商売敵になるくらいの」

 

 観客にわからないように それとなく胸で滲んだ涙を拭ってやってから1-Aの面々を見せてやる。みな、小森の優勝を祝福していた。

 

「誰も気にしちゃいねぇよ。勝ったんだから堂々としてりゃあいいんだ。わかったか? わかったな?」

 

 こくりと頷く頭をわしゃわしゃと撫で、メダルを掛けてやる。

 小森が顔を上げると、拍手喝采が鳴り渡る。

 

 体育祭は学校行事であり、観戦イベントであり、スカウトの場であると同時にもう一つ、重要な役割を担っている。

 ヴィランに対するけん制なのだ。

 だからみんな観に来る。将来においてヴィランをくじき、戦うヒーローを応援するために。

 

 ミルコがマイクに叫んだ。

 「今悪い事考えてる」

 

 というところでミッドナイトが音声を切った。

 学校で煽るな。

 

 †††

 

 †††

 

 

 

 一人の男が中継されている雄英体育祭を流し見しながら、スマホでツイッターのタイムラインを確認する。

 

『男子生徒が組み付かれたところで過呼吸になった、モノ化される瞬間を見たショックで悔しくて涙が止まらない』

『海外の友達の女性に見せたら血の気の引いた青い顔して、こんなことはわたしの国では許されないって、真っ赤になって怒ってた。ほんとこの国の異性は遅れてる。海外に移住したい』

『こんなので盛り上がってるのは犯罪者予備軍のクソだけ。クソリプしてるのも案の定アニメアイコン。あまりのひどさに言葉を失ったし、悔しくて涙が止まらない』

『青春ポルノに怒りでずっと身体が震えてる』

 

 やはり世の中は淀んでいると男は確信した。世界は男性消費に憂いているのだ。もはやヒーロー協会も政府も当てにならない。誰かが立ち上がらねばならないのだ。

 通形ミリオの悲劇から、雄英は何も学んでいない。わが国でも指折りの教育機関が男性を性的消費し、あまつさえ学校行事を興行化し利潤を得るなど言語道断。

 決意を言い聞かせるように独り言ちた。

 

「警告はした。体育祭を断行するのなら性的消費された生徒の報いを受けると」

 

 大丈夫だ、必ず女性の化けの皮を剥ぎ、どれほど汚らわしい存在かを白日の下にするから。男はそう念じて、テレビの中の人物に憐れみと同情の視線を送った。

 勝者に惜しみない拍手を送る、ヒーロー科唯一の男子生徒に対して。

 




職場体験でオチ付けて絞めるつもりでしたが、そこから不定期で時系列バラバラで短編連作みたいな感じでやるかもです。よろしくおねがいします。

以下 アンケートの例文

自分でデザインしたから ひとしおなのかもしれない。
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