【完結】男女比率がおかしい貞操観念逆転アカデミアだけど強く生きよう   作:hige2902

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第九話 ルテンベルキリス 中編

 やがて日が暮れ、二人は事務所に戻るべく帰路につく。

 帰宅ラッシュも過ぎ、オフィス街のビルの明かりはまばらに灯るばかりだ。暗いアスファルトの上を車がせわしなく走っている。コンビニから塾帰りの学生たちがファミチキ片手に出てくる。

 

 昼過ぎから開始したにしては長時間の任務に感じられるが、万一の個性の誤射を防ぐため、法律で定められた休憩義務を挟んでいる。

 あと残っている仕事といえば、パトロール中の活動報告書を事務所で作成し反省会で終わりだ。ヴィランとの接敵および個性の使用も無かったのですぐに済む。

 

 すべてが順調に終わりつつあったが、波動の脳内では一つ重要な案件が残っていた。『絶対に夕食に誘え!』という有弓のアドバイスである。

 もとよりそのつもりだったし、そうする事に何の抵抗も疑問も無かった。仮に相手が彼でなくても、『ねえねえ、この後ご飯たべに行かない?』と言っていただろうし、去年も一昨年もそうしてきた。はずなのに。

 

「ねえねえ……」

 胸の中の躊躇を覚えたまま口を開くと、肩を並べて歩く彼が「なんですか?」と答えた。敬意と羨望に満ちた瞳をしている。

 波動は思わず喉まで出かかった言葉を飲み込み、別の問いを投げかけた。

 

「……どーだった、実際に現場に出た感想は?」

「んー。正直不安だったんですけど、波動先輩が付いてくれてたんで割と安心できたというか、あんまり緊張せずにすんでよかったです」

 

 そう言われると波動はまんざらでもない。が、妙だなあと内心で小首をかしげた。雄英で初めて会った時は普通に食事を一緒に出来たのに、今となっては躊躇いがある。

 やがて、そうかぁ、と合点をいかせた。

 ああ、きっと断られるのがイヤなのだ。いまこうして二人で歩いている関係にひびが入りそうだから。

 

 らしくないなあ、と自身の心境の変化に戸惑っているとインカムに通信が入った。すぐ近くの歌羽駅がヴィランの集団に不法占拠されたらしい。それだけならまだいい、いやよくないが、問題はヴィランたちの声明であった。

 

『われわれはァ、アダルトコンテンツを扱う全てのインターネットサイトの閉鎖を要求する! これは性的消費に苦しむ社会への救済であり、誰かが手を汚さねばならない聖戦である!』

 

 駅の前には既に警察やヒーローが待機しており、一般人の退避が行われていた。遠巻きに野次馬がスマホを向けている。

 今のところ迅速に事に当たっているように見えるが、事件に対応している男性と女性の温度差は明確だった。

 

 男性からすれば、今のところ人質はおらず人命が関わっていない時点で脅威度は一段下がる。ヴィラン側、ヒーロー・警察側の双方に不必要な犠牲が出ないよう、慎重に事を進めればよいだけの話。

 対して女性は内心でハチャメチャに焦っていた。オカズを失うという点もあるが、早急に解決しなければ、交通インフラの一つを潰された不満が企業へ向かうかもしれない。

 

 時として、自己責任論や結果論を手に、ヴィランよりも被害者側を責める人間はどこにでもいる。

 企業が要求を呑めば済む話。たかがアダルトコンテンツを扱うサイトとインフラなら、後者の方が重要という論調を展開するのだ。

 そうなる前に可及的速やかに事を進めたいが、必死過ぎてはスマホを手にした衆人観衆にどれだけエッチなんだと思われかねない。それはそれで恥ずかしい。

 

 声明を中継で見ていた多くの女性が不安を覚えたが、男性であるはずの彼も同じくうろたえた。

 ちょっとまってくれ、ただでさえ少ない男性向けのオカズの供給どころを潰されてはたまったものではない。

 とはいえ、仮免も持ってない学生が勝手に突入する訳にもエラソーに現場に口を出す訳にもいかない。すでにヒーロー・警察たちが対応している以上は静観するのがベストだ。

 

 しかしながら、大げさすぎるというか回りくどい気もする。

 もし本当にアダルトコンテンツを扱うサイトを潰したいなら、大手本社に直接乗り込んでサーバーを破壊した方が手っ取り早い。

 陽動、という言葉が彼の脳裏をよぎった。手早くスマホでその場所を確認する。

 

 夜の黒いアスファルトに、ぱたりぱたりと雨粒が落ちた。

 

「先輩。パトロール先、もう一つ増やしてもいいですか?」

「えっ? いい、けど。どしたの? ……ちょっと!?」

 

 きょとんとした波動が言い終わるのを待たずに、彼は駆け出す。思い過ごしならそれでいい。ただ、万が一にでも危惧した事態が進行していたのなら取り返しのつかない事になる。

 

「手、出して!」

 

 切羽詰まった雰囲気の彼に、個性で飛んで並走した波動が手を差し出す。彼が握ると、そのまま都会の夜の空を飛翔する。

 

「どこにいけばいい!?」

 風切り音とぬるい雨音の中で波動が短く叫ぶ。彼が指した方向へ進む道すがら、端的に委細を聞いた彼女も焦燥感を覚えた。 

 

 やがて東京湾に近いオフィスビルに着く。

 一度彼を地上に降ろし、波動が予断なく告げる。

 

「わたしが外から確認するから、もし突入するような事があったら応援を呼んで」

「わかりました」

 

 彼が頷くと、波動はビルの17階まで浮かび上がり、一拍の後に衝撃波でガラスを破壊し突入した。

 つまり嫌な予感は的中したのだ。陽動でヒーローと警察を釘付けにしている間に、ファンザの本社に忍び込むというのは。

 どうやら交通インフラを人質にしたアダルトコンテンツの制限ではなく、なにか別の狙いがあるようだ。

 

 彼はすぐさまスマホを取り出すが、電波を示すアイコンが消える。インカムも通じなかった。

 

「は!? 電波妨害? だとしたらもっとこの辺は騒ぎになって……いや、ヒーローが突入してきたから通信を遮断したのか、連携と増援を断つために。そういう段取りがあるって事だとしたら、かなり計画性のある……」

 

 冷静に思考を巡らせると、だんだんとマズい状況に追い込まれている気がした。

 電波妨害になんらかのアイテムか個性が働いていると仮定した場合、ここから離れて救援を呼ぶべきだろうか。

 だがもし影響範囲が広大だったら? 走って範囲外に出て、そこから応援を呼ぶにしても時間が掛かるかもしれない。相手が入念な組織的準備をしている可能性を捨てきれない以上、いくら先輩でも万が一という事もある。

 

 周囲を見渡すが、車も人影も無い。暗い夜に雨の音だけが広がっている。

 悩む時間は無い。必要以上にあれこれ考えるより先に、彼の身体は動いてた。今はただ、波動ねじれが心配だった。

 

 彼はそっとガラス越しに一階のホールを覗く。明かりは灯っていないが、エレベーター付近に二人の人影が確認できた。いでたちは警備員のようだが、警邏せずにその場にとどまっている。つまりは階上を封鎖したいのだ。とうぜん階段の守りも固めているだろう。

 

 彼が正面出入り口の自動ドアを手で押すとあっけなくスライドした。すでに不正に開錠されている証拠。

 見通しの良いロビーでは身を隠して近づくのは難しい。

 それならせめて虚を衝ければと走ってエレベーターに近づく。警備員の内の一人がそれに気づいた。警告なしに両腕を『結晶化』させて突っ込んでくる。個性を起動した際に腕輪が弾け、内部の液体を取り込んでより硬質になった突起は、自傷なしには掴むことも受け流すことも難しい。

 

 初めて向けられる純粋な敵意に一瞬、彼は不安に駆られた。

 クラスで一番弱いおれが実戦で通用するのだろうか? 見張り相手にあっけなく負けるなんてこともあるかもしれない。なんせおれの個性は実戦であまり役に立たない。

 いや、今そんな事を考えても仕方ない。

 弱気な心を、ミルコとの補習を思い返すことで塗りつぶす。

 

 

 

 †††

 

 

()()()シラットとボクシングだろ?』

 

 補習ゆえに二人きりのトレーニングルームで、ジャージ姿のミルコが準備体操しながら言った。特に脚は、この後彼を死ぬほど蹴り飛ばすため入念に伸ばす。

 妖刀を研ぐような畏怖すらあった。

 

『だから、というのは?』

『おまえ、じぶんの個性についてどう思ってる?』

『どうって……無個性よりはマシくらいですかね』

 

『その通りだ。わたしは嫌いじゃないけどな、おまえの個性。とにかくまあ、だからその体術の選択は正しい。ま、消去法なんだろーが』

 腕を伸ばしながら、浅く嘆息して続けた。

『おまえが攻防を個性に頼れない以上、相手は個性を使う時間に比例して原則的にアドバンテージを得続ける』

 

 故に相手が個性を使う時間を減らす短期決戦が望ましいが、威力のある蹴りは掴まれると終わる。だから顎や鳩尾へのクリーンヒットで一撃が狙えて、かつフットワークとダッキングやスリッピングアウェーで躱せるボクシングは理にかなっていた。

 

『んで、現状で最も発生件数の多い軽個性犯罪は突発的で、ロクに個性を使いこなせないヤツが引き起こしてる。しかもそういう弱虫は群れる事が多い。だから乱戦や対多数を想定しているシラットは合目的的だ。それに、もう一つ利点がある』

 

 一息ついたミルコが部屋の隅のアタッシュケースを彼に放り、シニカルに笑う。

 

『サポート科に作らせた。ある程度は遣えるんだろ? ()()。おまえにとって絶対に交戦すべきでない天敵は、体術が通用しない相手だしな。違うか?』

 

 

 

 †††

 

 

 

 彼は駆ける速度を落とすことなく、サイドベンツのスリットに左手を入れ、腰裏にマウントしてあるアイテムを抜き出す。

 迫る大振りの横殴りを、音も無く展開した三段警棒で流し、返す刀に首裏を強打して昏倒させる。そのまま二人目へ接近した。

 迎え撃つように伸ばされた幾条もの『髪』の束は、右腕を流れるように振るって切断する。距離を詰め、顎を打ち抜いた際の脳震盪で落とす。

 

 彼の右手には、黒色のマット塗装された刃物が逆手で握られていた。カランビットと呼ばれる小型のナイフで、その形状は虎の爪のように湾曲している。

 体術が通用しない相手にはアイテムに頼る他ない。だから鎌や斧などの多種多様な武器術も存在するシラットなのだ。携帯性を考慮するなら三段警棒とカランビットくらいだが、無いよりはマシだ。

 

 アイテムを収め、一息ついてエレベーターの昇るボタンを押し、倒れている二人のヴィランを見下ろす。

 一人目は腕輪、二人目はよく見ると頭部に小さなカプセルがいくつも付いたリングをしている。個性をブーストするアイテムのようだが、だとしたらどこから手にしたのだろうか。

 

 手繰る思索の糸を断ち切るように、ヴィランの装備していた()()()()()()()()()

 どうも嫌な予感がする。波動先輩が無事だといいが、とエレベーターに乗り込む。

 

 ゆっくりとした浮遊感に身を包まれながら、補習をやってよかったとしみじみ痛感した。

 

 

 

 †††

 

 

 17階のエレベーターホールで待機していたヴィランは、エレベーターが一階に向かった事に眉をひそめた。そしてまた昇ってきている。おそらくヒーローを乗せて。

 本当はずっとこの階で停めておきたかったが、長時間の停止は管理会社に連絡がいく。最初から電波妨害を起動すれば問題ないが、周囲が騒ぐので、ヒーローが来たら使うという段取りだった。

 

 だが問題は無いはずだ。エレベーターの中には、自身と身に纏う物質を小さくする『縮小』の個性使いがあらかじめスタンバイしている。

 既に小さくなっており、ヒーローがやってきたら『縮小』を解除し装備しているアイテムで不意打ちする。たとえヒーローでも、ヴィランがいないと油断した狭い空間内なら防ぎようがない。

 

 問題はないはず。と、ヴィランは数字を重ねる表示灯を睨みつける。やがて到着し、扉が開いた。同時に一人の人間がどさりと倒れ、薄暗いホールにエレベーターの明かりが差し込む。

 

「お、おい! 大丈夫か!?」

 

 倒れたのが仲間だと知ったヴィランは思わず駆け寄って介抱する。そうして、エレベーター内で端に身を寄せていた彼の影が床に落ちたのに気づき、見上げると同時に意識を失った。

 

 

 

 エレベーターの中で不意打ちされアイテムの溶液をかけられてしまい、ハーフパンツが溶かされてしまったが行動に問題ない。インナースパッツは少し恥ずかしいが、愚痴を言う暇などなかった。

 彼がそっとエレベーターホールから、なにやら鈍い音が響くオフィスルームを覗く。そして目を疑った。波動ねじれが巨漢に殴り飛ばされ、壁に打ち付けられていた。

 追撃が入る──

 

「先輩ッ!」

 

 反射的な行動だった。声を出すと同時に飛び出して相手の注意をこちらに向け、整然と並べられているデスクの上を一足飛びで駆ける。モニタを引っ掴んで放り投げ、防がれた隙に鳩尾を狙う、振りをして波動を抱えてその場を飛び退く。一拍遅れて巨漢の剛腕が鋭く空を貫いた。

 

「へえー、けっこう動けるじゃねえか」

 巨漢が見下ろして感心したように言った。深くかぶったパーカーのフードの下の表情は読み取れないが、口元は嗜虐に満ちて歪んでいる。

 

 巨漢を警戒しながら波動の安否を確認する。

「大丈夫ですか」

「逃げて……」

 意識はあるものの、喋るのも辛そうだった。目元と頬は腫れ、口内を切った血が唇から垂れている。コスチュームの上からではわからないが、身体を動かせない所を見るに、全身に打撲痕があってもおかしくない。

 

 彼は怒りよりも先に状況の把握に努める。あの波動ねじれがここまで一方的にやられるハズがない。

 月明かりが青白く照らすオフィスには巨漢を除いて五人のヴィラン。一人はデスクに座っている。三人は護衛といった感じでアイテムが目視で確認できた。最後の一人は感じの良いスーツを身に纏った中年男性で、離れた場所で傍観している。その足元には目隠しされた男性会社員が膝立ちで拘束されていた。

 なるほど、人質がいたから波動先輩は手を出せなかったのか。

 

 仮に逃げるとして、人ひとり分を抱えて走る事など造作も無い。だが目の前の巨漢がそれを許すかどうかは別の話。先の一撃は空ぶったとはいえ、相当な膂力だった。

 どうすべきか逡巡していると、デスクに座っていた男が不意に立ち上がって目を凝らす。ひょっとして、と友好的な口調で言った。

 

「ひょっとして、きみ、雄英のヒーロー科の子か? クラスで唯一の男性の」

「そう、だけど」

 

 巨漢が攻撃してくる様子が無いところを見るに、どうやら男の指揮下に収まっているらしい。

 戦って勝つ見込みが怪しい現状では、情報収集と逃げる策を練る時間を稼ぐしかない。

 そもそもこいつらの目的は何だ? どうも単にファンザを使用できなくするとかではなさそうだ。もしそうならとっくにサーバーを物理的に破壊するなりで済んでいる。

 

「そうか。辛いだろうな、きみのような立場の男性は、女性に囲まれて。さぞ大変な思いをしてるんだろう? わかるよその気持ち。目の前の人間に性的消費されるかもしれないという恐怖」

 

 同情と憐憫を含ませた口調に、彼は肩透かしをくらってぱちくりとまばたきする。その感情の向けられ方は予想外だ。

 

「だが心配しなくていい。この救済措置をもってして、そういった周囲に対する不安や猜疑からはようやく逃れられるんだから」

 

 そう語る男の表情は慈愛に満ちていた。

 気味の悪い善意に不穏な気配を覚える。

 

「おれは別に困ってない。だいたい、悪事を働いといて何が救済だ」

「確かにわれわれは駅を占拠し、こうして不法侵入を犯しているがマスキュリストとしての矜持は持っている。その辺のヴィランと一緒にはしないでほしい」

「無関係な人質を取っていて何が矜持だ」

「ああ、違う違う。この人はわれわれの仲間なんだ」

 

 男がそう言うと、拘束されていた中年男性は解放され、誤解を解くように小さく笑った。

 

 ヤバいな、と彼は固唾を飲む。

 陽動が抜けられた後のプランと人質の偽装まで計画している。素人たちの突発的なバカ騒ぎでも、個性の万能感に浮かれた能天気集団でもない。本格的な犯罪組織だ。ガキだからと油断してくれる事を期待していたが、まわりのヴィランにそういった気配は無い。

 どいつもこいつも目の瞳孔が開きっぱなしだ。虚空を見つめるような瞳のクセに、油断なくおれを見据えている。まばたき一つせず、妙な高揚感に頭まで浸かっているような。

 

「われわれが世間一般にヴィランとして見られても仕方ない、その汚名は甘んじて受ける。だが、誰かが泥を被ってでも白日の下にし、世界に問わなければならないんだ。われわれのような一般市民を助ける資格が、ヒーローにあるのかという疑念を」

 大仰に手を広げ、憂国の士を気取って続けた。

「果たして助けられたいか? 誰かを性的消費するようなヒーローが差し伸べた手を握りたいか? 児童ポルノや強漢ものが好きな異常性癖者がヴィランを倒したからなんだ? ヒーローは分け隔てなく市民を助けるつもりかもしれないが、市民は助けられたいヒーローを選ぶ権利があるはずだ」

 

 それが正しく清廉な動機であるかのように語ると、男は賛同を求めるような視線を彼に投げかけた。きっと感極まって理解してくれるはずと信じて疑わない。

 

「あんた何言って……いや、何をしようと」

 

 次に男が発した言葉に、彼は心底恐怖した。同時に、逃げられないのだと悟る。どうあっても立ち向かうべきだと理解した。ここでその非道の所業を始末しきらねばならない。

 

「われわれは、すべてのファンザユーザーの購入、閲覧履歴をネット上に公開する」

 

 彼は言葉を失った。

 そんな事が許されるのか? 否、たとえ神や父親でさえ踏み込んではいけない領域というものは存在する。その内の一つがアダルトサイトの履歴だという事は言うまでもなく人類の不文憲法で定められているはずだ。

 

 昨今のアダルト文化のフォーマットは、ほぼダウンロードやストリーミングに傾いている。そもそもアダルトコンテンツは一人でこっそり楽しむ物なので、電子データを扱うスマホやタブレットで十分、というか都合がいい。物理的な本やAVレンタルは、書店やメディア再生機器の減少に比例して廃れていった。

 故に、ほとんどの人間のオカズはネットに一極集中していた。

 いまやワンコインの定額サービスに加入すれば見放題の世の中で、誰もが手軽に気軽に安心して性欲を満たしている。

 それは誰にもでもある、誰にも知られることの無い特別な時間に違いなかった。

 

 その聖域を土足で踏みにじるような看過できない凶行が、いま、目の前で起ころうとしていた。

 事態を把握すると、彼は恐れから義憤に駆られ……次いで背筋が凍りつく。

 

 ある意味では世の女性よりもマズい立場にある事に気づいたのだ。

 

 ちょっと待てよ。「ヌけ忍! エッチショット」「Fuck Come」その他諸々のおれの購入履歴が流出したら……

 それらは心の性欲ヴィランに負けない為に、パチモンAVアベンジャーズを招集する致し方ない手段であったが、そんな言い訳が信じてもらえるとは思えない。全国の薔薇好きの方々から熱いエールが送られることになるだろうが、それ以上にマズい事になりそうな気がする。

 

 どっと冷や汗が噴き出す。今すぐにでもなんとかしたい。しなければならない。

 ケリを付けるべきだ、今ここで。

 

 再び怒りの炎を燃やし、男をねめつける。

 

「あんたらが何をしたいのかさっぱり理解できないが、あんたらを止めなきゃならないって事ははっきりと理解した」

「わからない? 本気で言っているのか? すべてのヒーローは一般市民によって選別されなければならないんだ、ヒーローにふさわしい清い心を持っているかどうか。われわれが手を汚し、履歴を公開する事で誰が相応しくないか炙り出される……まあヒーローでない人間も晒すことになるが、後ろめたい事だという自覚があるなら最初からアダルトサイトなど利用しなければよかったんだ」

 

「どんなアダルトコンテンツを見てようが、誰かを助けたいって気持ちや普通の生活を送る事とはなんの関係ないだろ!」

「いいや、あるよ。そういうやつらは犯罪者予備軍だからね。いつヴィランに転身するかわからない人間がヒーロー免許を持っている事は、一般市民にとって恐怖でしかない。隣人にしてもそうさ。きみは知らないだろうが、その女だって同じだ」

 

 言って男はタブレットを操作する。その端末はデスクの上に置いてある炊飯器ほどの大きさのクラッキング用アイテムと有線されていた。アイテムはサーバーと有線されており、いまも膨大な顧客情報を抜いている。

 雄英体育祭で聞いた名前で検索を掛けるとすぐにヒットした。男は顔をしかめて吐き捨てる。

 

「……信じられないほど下劣な趣味だ、こんなのを観てよくヒーロー面ができるな。これを知ったらきみだって考えが変わるだろう」

 

 波動が青い顔をして彼を盗み見る。

 拒絶される。その自覚が無いわけではなかった。

 

「先輩は優しくて、頼りになって、強くて、尊敬できる素敵な人だ。どんな性的嗜好だろうと、そこは変わらない」

「……がっかりだな。たまにきみのような人間がいる。女性に肩入れしてチヤホヤされたいだけの打算的偽善者が。本心では蔑んでいるくせに、口ではそんな上っ面の耳障りのいい言葉を垂れる」

 

「違う! おれは本心から」

「そうかな? その女自身がよくわかってそうなものだが」

 

 言われて彼は反射的に波動に視線をやる。さっと顔を背けられた。女性からすれば当然の反応だった。アダルトコンテンツを、それも下劣だと言われる種類のものを好んでいると暴露されれば誰だってそうなる。

 例え彼がどれほど気にしないといったフォローを入れても、それは単なる慰めや先輩という立場を気遣ってのものとしか受け取れない。

 幻滅された、という深く冷たい実感だけが胸に広がる。

 

「信じてください先輩! おれは別に」

「そんな心にもないキレイ事をどれだけ並べても虚しいだけだ……もういい、やってくれ」

 

 男がそう命じると、興味の無い問答にあくびを嚙み殺した巨漢のヴィランが、首の骨を鳴らしながら彼に近づき不敵に笑った。

 

「ま、おれにはどーでもいいけどな、こいつらの思想なんて。金さえ貰えて、ついで誰かをブン殴れんだから……サシでやろうや、さっきは無抵抗の女を殴るだけでつまらなかったしな。逃げられるなんて思うな、遊ぼうぜ、ガキ。おれの暇つぶしに殴り殺されてくれ」

 

 どうやら格闘戦を望んでいるらしい。彼は抱えていた波動の背をデスクに預けさせ、被害が及ばぬよう前に出て慎重に構える。

 異形、変形型の個性ではなさそうなのは不幸中の幸いだったが、相手はデカい。二メートルほどの背丈に筋骨隆々の恵まれた肉体はそれだけで脅威だった。

 

 まず体格差によるリーチの不利。敵はアウトレンジから一方的に攻められるが、こちらは敵の顎や鳩尾といった急所までの距離が遠くなる。足払いや返しのテイクダウンでグラウンドに移行しても体重差があるので優位性を確立できない。というか掴まれると終わる。

 

 サーバールームに伸びる有線ケーブルを切断したいところだが、ヴィランの仲間が守っているのでそれも難しい。

 時間稼ぎに徹して持久戦に持ち込むか、隙があれば一撃を入れるしかない。

 

 ヴィランが無警戒に交戦距離に入ると、力任せの鋭いストレートを放った。

 それをフットワークと上半身の動きで躱す。対応できない程ではない。明るい月の光と闇に順応した瞳も相まって、幸いにもよく見える。

 何発か捌いて様子を見るが、打撃は単調で大雑把。格闘技を少し齧った名残はあるものの、ストリートの喧嘩以下。

 入り身で懐に潜り込みさえすれば勝機はあるかもしれない。

 

 ヴィランが拳を振りかぶりながら半歩踏み込んでくる。それに合わせて彼は半身を入れた。合気における『結び』が成立する。

 そのはずだった。結びが綻びる。

 

 ヴィランの身体が爆発的に膨れ上がり、それまでとは比べ物にならない程の速度で振るわれたフックは彼の左肩に入った。衝撃で脳が揺れ、身体がボールのように跳ね、いくつものデスクの上のモニタや書類を蹴散らかしながらフロアの端まで吹っ飛ばされる。窓の強化ガラスにひびが入るほど叩きつけられ、ようやく静止した。

 

 ハッ、と笑いを堪えきれずにヴィランが噴き出す。

 

「たまにいるんだよな。圧倒的な格上に、どっかで習った小手先の技術でどうにかこうにか勝てそうって勘違いするバカが」

 そう言って大笑いするヴィランの上半身は、個性『筋肉増強』により纏った筋繊維で不自然なまでに膨張している。それにより引き裂かれたパーカーが地に落ちた。暴かれた顔の左側には大きな傷。

「何回やっても飽きねえな、そーゆーバカを力でねじ伏せるのは。マジで傑作だ、吹っ飛ばされる直前の表情はクセになる」

 

 その嘲笑を聞きながら、彼は追撃に備えて立ち上がる。幸いにも脚は動く。だが──

 

 巨漢のパーカーが引きちぎれたことで明らかになったその相貌には見覚えがあった。

 指名手配級ヴィラン、通称「血狂い」マスキュラー。プロヒーローすら殺すほどの実力を持った凶悪犯。

 現時点で圧倒的な格上。撤退以外の選択肢は取るべきではない。

 

 赤い筋繊維の外殻を纏ったマスキュラーが歩くだけで、水に浮かべた葉をどかすようにデスクの列を崩しながら近づいてくる。

 本来であれば日中をパトロールするような彼と接敵するようなヴィランではない。ちょうど地下に潜る逃亡資金が心もとなくなったので、裏の仲介所経由で花火田に雇われたという不運が重なったのだ。

 

 ──勝てない。

 

 だらりと赤紫に腫れあがり骨折した左腕を無視して彼は逡巡する。額から血の雫がとろりと頬を流れた。身体のいたるところが熱を持ったようにひどく痛む。殴られる反対方向に跳躍してこの威力。まともにくらったら死んでいただろう。

 

 たしか指名手配書には『筋肉増強』とあった。

 外付けの筋肉を纏うという攻防一体の個性がシンプルに強力なのは事実だ。悔しいが、ヤツの言う通りおれじゃ無理だ。生半可な打撃では分厚い筋肉に阻まれて内臓にダメージを与えられない。

 

 個性の相性の壁にぶち当たる事を覚悟していなかったわけではないが、まさかこんなにも早く、それも実戦で味わう羽目になるとは思わなかった。

 ミルコ先生が絶対に戦うなと言っていた、体術の通用しない典型例。死亡要因となる天敵。

 つまり……だからどうなる? 負ける? 死? 

 

「どしたあ? まだやれんだろユーエイ生。仮免だなんだ気にして個性使わねぇならこのままあっけなく死んじまうぞ、それともようやく理解したか?」

 マスキュラーは半笑いで歩み寄る。

「おまえらが仲良く小賢しい体術や個性を学んだところで意味がねえ、圧倒的な暴力には敵いっこねえって事がよお!」

 

 彼は頭狙いの大振りのフックをスリッピングアウェーで辛うじて凌ぐ。その勢いのまま転がって大きく距離を取った。使い物にならなくなった左腕が切り捨てたいほど邪魔だ。痛みや死への恐怖は、幸いにもアドレナリン等の神経伝達物質により抑えられている。

 そして本物の、正真正銘の悪意との戦闘能力の差に身体が、生存本能が逃走を選択しているのがわかる。

 

 今すぐにでも、波動ねじれを背負って立ち去りたかった。見捨ててさえ構わないという思考がよぎりもした。ヴィランを前に尻尾を巻いて逃げるなど情けない限りだが、死ぬよりマシだ。

 

 それでも、だからといって。

 

 紙一重の防戦を続ける彼の瞳を見て、マスキュラーは猟奇的に顔をゆがめる。コイツは本物のバカだ。まだ自分が何か出来ると妄信している。そういう狂信者をへし折ってやる事ほど愉快な事は無かった。

 

「だいたいよォ、そういう技だの型だの……そんなもんは生きるか死ぬかのやり取りを知らない雑魚の言い訳だ。いくら鍛錬を積み重ねたところで、おまえがおれに勝てる理由は一個たりともねぇ!」

 こういう手合いは煽れば煽るほど、そんな事は無いはずと意地になるとマスキュラーは知っていた。そしてそれを己の筋肉で容赦なく粉々にするのは至上の快楽の一つだという事も。

「ま、無駄だったってこった。実戦の殺し合いに比べたら学校の訓練なんてお遊戯なんだよ。わかったか? わかったら……血ぃ撒き散らかして死んどけッ」

 

 マスキュラーの主張は、認めたくないが一理ある。死線を潜り抜けた経験は、強さに影響する要因になりえるかもしれない。

 しかし諦める口実にはならない。

 

 ファンザの顧客情報の流出は、ヒーローたちにとって大きな打撃になりうる事は想像に容易い。

 ヒーローネームで活動しているものの、事務所の代表ならホームページに本名が記載されているし、探そうと思えば芸能人と同じように卒アルから簡単に割れる。

 

 もちろん良識ある人間は性欲に関して理解を示すだろう。だがミルコやミッドナイトのように性を結びけられやすい個性持ちには、妙なレッテルを貼るアンチが多い。それにヒーローそのものを快く思わないヴィランのような連中には格好の炎上材料だ。

 

 マスキュリズムの主張というよりも、現代ヒーロー社会の土台に亀裂を走らせようとしているのかもしれない。

 

 また学生社会においても、誰かが面白半分にクラスの女性の名前で検索して揶揄する事はありうるし、雄英や士傑などの有名校なら体育祭で名前が全国に出ている。

 1-Aの面々の履歴がネットに流出すれば、たとえ彼が検索しなかったとしても彼女らからすれば気まずい事この上ないだろう。

 彼はその時の彼女たちの気持ちを想像して心を痛めた。

 ようやく仲良くなれたのに、また微妙な関係に逆戻りだ。ひょっとしたら修復できないかもしれない。

 

 それに一度大規模に購入履歴が流出すれば、今後誰も安心してオカズを探せない。クラスメートのみんなはどこでオカズを調達すればいいんだ? 多感で無駄に旺盛な十代の性欲を何で満たせばいい? 

 

 その起こりうる理不尽な現実は、彼が誰よりも身に染みていた。

 数少ない男性向けのアダルトコンテンツを探し回り、時には使い物にならないブツを掴まされたり、泣く泣く女性向けのAVでちょびっと映っている女優で抜く虚しさ。そんな思いをするのはじぶん一人で十分だ。

 

 幸か不幸か、電波妨害があるのでサーバーから有線で抜いた顧客情報は流出せずに物理メディアに保存されている状態だ。

 ここで食い止めなければ後が無い。アダルトコンテンツをこっそり楽しんでいる全ての人間の希望が、たった一人、彼の双肩にかかっている。

 果てしなく重いそれを、歯を食いしばって背負う。

 

 ──それが出来るのは、今、おれしかない。それに──

 

「──引けない理由がまた一つ増えた」

「ああ?」

「おれが雄英で学んできたことは、おまえみたいなヴィランを捕まえる為のものだ。無駄なんかじゃない」

 

 彼はその決意を心に灯す。

 ここで負けたら、ヤツの言う通り学校での学びが全て無駄とみなされるようで気に入らない。

 クラスメートはみんな良い人だ。ヒーローになる為に必死で訓練をこなし、ひょっとしたら今もどこかの職場体験先で戦っているかもしれない。

 ミッドナイト先生やミルコ先生も、生徒想いの頼りになる教師だ。プロでの経験が豊富なだけあって、教科書だけでは学べない事がたくさんあったし、まだまだ教わる事は多い。

 

 そんな素敵な人たちと過ごした学生生活を、たった一人のヴィランに踏みにじられてたまるか。

 

 マスキュラーがせせら笑いで口を開く。

「てめぇをぶっ殺したらよ、同級生が仇討ちに来るかもな。そしたらそいつらもぐちゃぐちゃにして遊べて一石二鳥じゃねーか! いいのかよそんな駄菓子のオマケまで付けてくれちゃって!!」

「いまだにおれを殺せてない程度の実力で何言ってんだ。同級生はみんなおれより強い。先生はもっと強い。おまえは負けるよ」

「ハハッ! そりゃいい。試したくなってきた」

 

 迫るマスキュラーを迎え撃つ狭間に彼は思考を巡らせる。

 現状では勝てる見込みがない。筋肉の外殻を物理的に抜けない以上、アイテムでなんとかするしかない。あるいは頭部は筋肉で覆われていないので、顎へのクリーンヒットによる脳震盪を狙うのが手だ。

 問題なのは、どのみち攻撃を当てるのならば相手の間合いに深く潜り込まねばならず、一撃をミスれば返しのベアハッグで絞殺されるだろう。肋骨や背骨がへし折られ、血反吐を撒き散らしながら内臓をズタズタにされるイメージが嫌でも脳裏によぎった。

 

 あまりにも薄い勝算に気を落とす。

 本当に、ヤツの言う通り雄英で学んだことは無駄だったのだろうか。圧倒的な暴虐の前に技は無力なのか? 

 いや──

 内心で頭を振る。

 

 無駄なんかじゃない。

 たしかにヤツには殺し合いの経験があり、おれは持ってない。けどおれにだってヤツが持っていない経験がある。それは──

 

 マスキュラーが向かってくる哀れなおもちゃに歪に笑い、対格差を活かしたアウトレンジで拳を振るった。彼はその一撃をダッキングで躱し、流れるような入り身で近距離戦に持ち込む。同時に腰裏に手を回す。

 しかしマスキュラーは冷静にその状況を把握していた。先ほどから打撃を外されるのは納得いかないが、彼の右手に握られた順手のカランビットは視認している。いくら格下相手の遊びでも、油断や慢心は無かった。

 

 強固な筋肉を前に、こういったアイテムを持ち出された経験は少なくない。

 カランビットの斬撃が鋭いのも知っているが、形状からして刺突には不向きだし あの短い刃渡りでは内臓に届かない。おそらく失血を狙った行動だろうが、外殻越しに動脈を断つ事が出来るのは三カ所に限られる。

 

 それは可動域を確保する関係上、どうしても外殻が薄くなる両手首の橈骨動脈径か首筋の頸動脈だ。前者は40分の流血で危うくなる程度なので実戦的ではない。だから一撃を狙うなら数秒の失血で意識不明に陥る頸動脈。

 順手なのもそのためだろう。対格差によるリーチ不足を少しでも埋めたいのだ。

 

 その読み通り、鋭利な切っ先は上体に向かってきている。

 

 純粋な暴力を崇拝しながらも、マスキュラーは戦闘面での理性を捨ててはいなかった。それどころか、踏んだ場数の経験則から迅速な対応を選択できる。だからこそ指名手配級のヴィランなのだ。

 こと戦闘に置いて一切の隙は無い。

 

『筋肉増強』で一瞬のうちに首周りを補強する。視線は大きく動かせなくなるが、これで頸動脈は守られた。向こうから懐に飛び込んでくるのなら、後は回避潰しのベアハッグなりタックルからのグラウンドなりで終わらせる。

 

 これで詰みだ。勝利を確信したマスキュラーがほくそ笑んで彼を眺める。最後に賭けた一撃が無為に帰した時の相手を見るのも、たまらなく好きだったからだ。

 そして瞠目する。

 

「は?」

 

 常軌を逸した信じがたい光景に、一瞬の空白が生じる。

 

 彼に躊躇は無かった。

 不感無覚に渾身の力で股の間の()()を蹴り上げると、マスキュラーは身体を前かがみに硬直させ、ぐるりと白目向いて泡吹いてぶっ倒れた。巨体が生々しい音を立てて床に転がる。

 そのザマを見下ろして言い放つ。

 

「おれにだっておまえの持ってない経験がある! 殺しだとかそんなものよりずっと立派で頼りになる、クラスメートとの訓練や、ミッドナイト先生やミルコ先生の教えが!」

 

 男が愕然としてその光景を見やる。あの屈強な用心棒がやられた事よりも、もっと信じがたい状況に口からこぼすように言った。

 

「お、おまえ……おまえいったい何考えてんだ……」

 

 彼は握りこぶしの人差し指と中指の間に親指を挟んだフィグサインを男に突き付け、堂々と答えてやる。

 

「おれは今、波動先輩とエッチする事を考えてる!」

 

 俯いていた波動の瞳孔が はっと開く。

 

 それが本心偽らざる言葉だと、彼の下半身を見やれば一目瞭然だった。

 ソレは黒いインナースパッツの上からでも如実に存在を主張していた。痛々しいほどに隆起しており、天を衝くかの如くご立派にそそり立っている。

 見れば誰もが思わず気を取られ、思考に一瞬の空白の隙を割り込まされてしまうほどのあまりに雄々しい益荒男がそこにはあった。

 

 カランビットはフェイク。意識をそちらに逸らしている間に勃たせて相手の隙を作るという、エッチな事に貪欲な彼でなければ不可能な、ミルコに教わった視線誘導。そして一番最初の格闘訓練で教わったタブー、男性の価値観では同性に行う事は禁忌中の禁忌とされるが絶大な効果を発揮する金的。

 

 彼は雄英でいったい何を学んでいるのか。ご両親が知れば心配になるかもしれないが、その経験が無ければ遥かに格上の指名手配級ヴィランを倒す事など不可能だっただろう。

 

「こ、こんな状況で何を……く、狂ってる。おまえは、おかしい」

「知ってる。おれはおかしい。理解している。理解して生きてきた。納得とは違うが」

 

 言って彼は無意識に過去を振り返る。

 ずっと、じぶんでも不思議だった。みんなとは違う事に不安だった、違う事が嫌だった。コンプレックスだった。やがて生まれ持ったどうしようもないサガだと諦めもした。

 物心ついたときに父親から渡された夢精パッドは使った事が無い。定期的に生理用品代を渡されるが、全てアダルトコンテンツに消えていった。

 

 けどもしかしたら、おれがエッチなのは今日いまこの場所で、波動先輩やアダルトコンテンツをこっそり楽しんでいるクラスメート、全ての人たちを助ける為だったのかもしれない。

 

 それなら案外、悪い気はしない。おれがエッチだって事が波動先輩にバレたって、それで引かれても構わない。それでいい。そんな気がした。

 だからこそ、男に言われた言葉がひどく気に障る。

 それだけは否定しなくてはならない。

 

「先輩は優しくて、頼りになって、強くて、尊敬できる素敵な人だ。本心からそう感じている。この想いが上っ面の耳障りのいい言葉? キレイ事? 冗談じゃない。どれだけAVを観ていようが、どんな性癖だろうが、それを知ってどれだけの人間が嫌悪感を覚えようがおれには関係ない!」

 

 波動は吸い寄せられるように彼の背に視線を向けた。

 男はなんとか理屈をこねくり回す。所詮は外面の為の虚言、ヒーローを気取って取り繕っているだけだと内心では主張するが、何も言い返せないでいた。彼の猛々しくいきり立つ生命の源が言葉よりも雄弁に、それが真実だと物語っているのだから。

 

「おれだって自慢できるような性癖じゃ無い……いろんな女の子とたくさんエッチな事がしたいと思ってる。おかしいだろうけど、それでも」

 ぽつりとこぼすように言った後一拍置き、静まり返る室に叫んだ。

「おれは波動先輩が好きだ! 一番エッチな事がしたい! 文句、あるか!」

 

 あらゆる委細、社会的通念、世間体を跳ねのける物言いに男は飲まれそうになる。それでもなんとか強く噛み締めて、唸るように言った。

 

「ふざ、けるなよ……おまえのような異性に媚びるハリットがいるから、いつまでも男性は性的消費されるんだ。わかっているのか? いまやおまえはすべての男性の敵だ」

「たしかに現実で性的嫌がらせに苦しむ人や性犯罪は存在するし、そんな行為は許せない。けどおれの性癖や波動先輩を好きな事と、あんたの言う世の男性が性的消費される事って関係あるのか?」

 

 言われてみればそうだ。冷や水をかけられた気がして、男は少しばかり冷静になる。というか、何やってんだぼく。高校生相手に大怪我させて。会社に忍び込んだり、犯罪じゃないか。てかこんなことして大学とかどーすんだ? 退学処分? 

 

 男は無意識のうちに花火田を見やる。いつもの助言か救いを求めるように。

 だが、その口から出た言葉は鼓舞するような力強い言葉ではなかった。

 

「その二人に天誅を、われわれの大義の為に」

 

 周囲のヴィランが彼に向けて一斉にアイテムを構える。

 いくら訓練を積んだ雄英生といえ、負傷した状態で複数人のアイテム持ちは分が悪い。

 

「ちょ、ちょっと待て! 待ってくれ花火田さん! それは、アイテムは脅しにしか使わないはずだぞ!? それに相手はまだ子供だ! みんな!」

 男は動揺したが、声は届いているようには見えない。

 

 五分五分、いや、もっと悪い状況だが、マスキュラーを相手取るよりは遥かにマシ、と彼が腹を括ったその瞬間、窓ガラスが空気を切り裂く甲高い音で砕けた。その破片に紛れて一人の影が身を翻し、ヴィランから彼を庇うように悠然と屹立した。遅れてガラス片が床に散らばる。

 あまりに唐突な出来事に、全員の視線が集まる。月に浮かび上がった輪郭が明かす、その特徴的な耳には覚えがあった。

 

 彼がその名を叫ぶ。

 

「ミルコ先生!」

 

 おう、と不敵に笑って、ニンジンのガラの入ったパジャマを着たヒーローは長い月銀の髪をかき上げた。

 

 男が動揺して口走る。

「どッどうしてここが!?」

 

「どうしてって……なんで兎の耳がデカいか知らねーのかよ?」

 当たり前のことを聞くなといった感じの溜息で続ける。

「悪いヤツらの騒ぎを聞きつける為に決まってんだろ」

 

 言い終わるが早いか、ミルコはクラッキング用のアイテムをデスクごと踏み潰していた。なんとなくこれが悪事を働いてそうという勘で。

 

「み、見えな……」

 

「はあー? どうして兎の脚が速いか知らねーのかよ」

 呆れた顔で続ける。

「一秒でも早く悪いヤツらのたくらみを蹴り飛ばす為に決まってんだろ……つーか、うちの生徒をさんざんボコしやがってよお──」

 

 夜闇に爛々と赤く滾る瞳が見開かれた。

 

「──わかッてんだろぉーなあ!!」

 

 ミルコの怒声が響いた。飛来する鉄球を首を動かすだけで避け、残りのヴィランにスリッパで蹴りかかる。

 彼女の苛烈な蹴りは、キックボクシングやムエタイ、カポエイラの技のようで全く違う。

 重く、鋭く、生身で受けようものなら吹っ飛ばされるような。「世界最強の蹴りの体術は?」と彼女に尋ねれば、当然のように「わたし」と返ってくるような。

 アイテムでブーストされた個性の被害が彼や波動に及ばないよう慎重に立ち回らねばならないが、制圧は時間の問題だろう。

 

「先輩! 大丈夫ですか!?」

 

 その間に、姿勢を低くした彼が波動に駆け寄る。俯いた顔の表情は読み取れない。

 

「だい、じょうぶ。なんとか、動けるくらいには落ち着いたから」

 

 そう言ってふらりと立ち上がり、彼を守るように一歩前に出た。脅威はまだ存在しているかのように。

 

「てめえ、マジでぶっ殺す、死にてえって後悔するような殺し方で」

 

 彼が呪詛の唸りにハッと見やると、顔面蒼白で脂汗を滝のように流しながら、怨嗟を唱えるマスキュラーがいた。踏んだ場数の経験と勘は伊達ではなく、金的は想定していた。

 ぎりぎりで対応してファウルカップを間に合わせ、潰れてはいないが一時的に気を失う程度にダメージを抑えていたのだ。

 

 だがそれでも股間回りの筋肉を増強しすぎると自分の男性器が潰れるおそれと、脚の可動域に問題が出るので守りがそもそも薄く、気が動転した際の筋肉の弛緩は致命的であった。

 下腹部から突き上げるような鈍痛が響く。

 

「こいつ、まだ」

 彼が構えたのを、波動が手で制す。

 

「大丈夫、わたしがやるから」

 

 その言葉を信用できない訳ではないが、今の波動のダメージでは碌に動けないだろう。それに体育祭を思い返すに、彼女の得意とする技はかなり大雑把だった。

 体育祭で見せた廃工業地帯をまとめてなぎ倒すほどの威力をオフィス街で放てば周囲への損害も大きく、ヴィランの多くはビルの外に飛ばされるだろう。犯罪者といえども、命を奪うのはヒーローとして最後の手段だ。

 

 事実として、彼女は構えられたものの最早まともな打ち合いが出来る身体ではなかった。

 マスキュラーが憎しみに顔を歪ませ、全身を筋肉で覆い爆ぜるように駆ける。技術も思考も何もない、一発の砲弾のような、純粋な質量と運動エネルギーによる突進。

 

 それに対し、彼我の距離が遥かにある段階で、波動は構えたまま僅かに踏み込んだ。

 いま、彼女が行おうとしているのは寸勁と呼ばれる打法である。

 限られた動きの中で運動エネルギーやその流動、すなわち勁を最大化させる技術であり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。寸頸より振りかぶって殴った方が当然威力は出る。

 

 ゼロ距離戦闘や不意打ち、身体を大きく動かせない場合に有効な技だが、突進する肉塊を止めるには誤った選択に思える。

 

 しかしながら、波動のそれはただの勁ではない。

 その単純にして最小の動作には、複雑にして最大の力が組み込まれていた。

 

 原則的に、個性はその使用者を傷つけない。あまりに強大過ぎたり制御が未熟な場合を除いて、例えば火を吐く個性持ちが舌を火傷しないように、ミッドナイトが自身の『眠り香』で眠らないように。

 故に彼女が衝撃波を放つ際に使用する個性『波動』は、彼女を傷つけずにエネルギーとなって体内に蓄積している。重く静かに螺旋を描きながら。

 

 足先、ふくらはぎから太ももの足捌き、腰と胸部のひねり、頭部の重心操作。さらに肩から腕、肘、前腕とよどみなく流れる『勁』の技巧で、彼女の体内で生み出された衝撃波を生み出す『波動』は導かれる。

 

 その収斂の極地は拳であった。

 

 ほんの一寸。『勁』と『波動』は練り上げられ、一つの小さく圧縮された衝撃波となり、重い雷鳴のごとく空気を震わせて解放された。上下を含めた数フロアの窓ガラスすべてに亀裂が入り、デスクが瞬間的に浮いた。電灯が瞬時に砕け散る。

 空間を奔る螺旋の純粋な衝撃波は突進するマスキュラーにカウンターで入り、筋肉の外殻をも貫き、内臓を鋭く穿つ。迫る巨体が崩れ落ちるように床を滑り、波動の横をすり抜けて何枚かの壁を破壊しようやく停止した。

 

 波動ねじれの勁は飛ぶ。彼女にとって寸勁とはゼロ距離戦闘に用いるものではない。離れた敵を最小手数で撃つ飛び道具。

 言うなれば飛勁であった。

 

 ふらりと力を失った波動の身体を、彼が抱き留めた。

 

「先輩!」

「ちょっと、疲れただけだから」

 

 そう言った彼女は肩を借りて弱々しく下を向いている。決して、未だぐつぐつと熱を持ったままの彼の下腹部を注視しているわけではない。わけではないが固唾は飲んだ。

 どさりとヴィランが倒れた。ミルコは瞬動して最後に残った身なりの良い中年男性の腹に膝を入れる。が、妙な違和感。粘土の塊のような感触。

 

「なんだ? ()()()()()()……」

 

 糸が切れたように床に転がる中年男性を見下ろしながら、まあとりあえずは生徒の保護に思考を切り替える。

 

「救急車呼んでくるからおまえらはそこで」

「待ってください、敵の狙いはファンザだけじゃないかもしれません」

 彼が遮った。ミルコが怪訝な顔をする。

 

「はあ?」

「こいつらの本当の目的はアダルトサイトの履歴を流出させることです。なら、忍び込んだのはここだけじゃないはず」

 

 顎に手をやり思案していたミルコがハッと合点をいかせる。

 

 ファンザはAVやエロゲーに秀でており、会員登録者数も多い。今回の事件の標的になるのも妥当だ。アダルトサイトの二大巨頭としてあげられるだろうから。

 そう、二大巨頭。であるならばもう一つのアダルトサイトも射程に入っているはずである。

 

「DLsaitoも危ないって事か」

「はい。しょっちゅうクーポンを配ってくれて音声作品やマイナーな同人ジャンルに秀でてるしおれも数少ない男性向けや女性が多く映っているという理由でGLものを探すときによく利用してますし性癖により諸説あるでしょうがファンザと並ぶほどの大手なので二大巨頭と言ってもよく利用者も多いですから履歴が目的なら狙われていてもおかしくありません」

 

 やけに詳しいなコイツ。しかも急に早口になった彼に一瞬たじろぎながらも、ミルコはその判断を妥当と評価した。関係ないけど気のせいか彼の下半身がこんもりしているように見える。いや、まさかな……

 

「なら一応見てくるわ。えーっと、体育祭で二位の、あー、浮いてたヤツだよな? おまえ、このビルから飛んで適当な場所に避難できるか? 残党がいるかもだし……おい、おーい!」

「えっ!? あ、うん、はい」

 

 バッと赤い顔を上げた波動が しどろもどろになりながら答えた。

 

「そんじゃちょっと行ってくるわ」

 ミルコは夜に消えた。並び立つビルの屋上を跳ねまわりながら、先ほどの光景を思い出す。やっぱ勃ってるよーにしか見えなかったんだがなー。

 

 

 

 残された二人はしばらく立ちすくんで、ミルコが去った窓から外を眺めていた。

 そのうち波動の指が風に揺れたように彼の手に触れると、どちらからと言うでもなく ぎこちなく絡まった。『波動』が緩やかに力場を形成し、書類が舞い上がるなか二人は向かいの屋上にゆったりと浮遊していき、そこで隣り合わせに腰を下ろす。

 

 やがて電波妨害の範囲から出たミルコの通報により周囲が騒がしくなってきた。すでに応援に来たヒーローはビルの中に突入しているだろう。

 二人は顔を合わせず、何も喋らなかった。

 気まずいのか、疲れ果てたのか、緊張しているのか、傷が痛むのか、気恥ずかしいのか、達成感に酔っているのか、眠たいのか、なんでもいい他の理由か。

 

 あるいはその全てかもしれないが、とにかく二人は高層ビルの屋上で眼前に広がる黒い夜と無数にきらめく灯りを眺めていた。

 耳にうるさいほどの夜風が身体を打ち、乱暴に髪が流れた。サイレンが響き渡る。

 

 喉が渇いたと不意に気付く。そういえばお腹も空いた。

 

 けれどもなぜだか、ずっとここでこうしていたかった。




次回 ヤル気あれば明日か明後日かも

ヒロアカもの宣伝

【完結】私は脳無、インブローリオ。ヴィラン連合の敵。
脳無にされた少女とMt.レディの勘違い百合もの。

【完結】偶像の象り
もしも爆豪が無個性で緑谷が『グリセリン』と『酸化汗』個性で、二人の境遇が逆だったら、のお話。

【完結】吉良吉影のヒーローアカデミア
吉良吉影が普通科で平穏に暮らそうとする話です。かわいい葉隠ちゃん。

個性永久借奪措置
エター。塚内とMt.レディを通して警察とヒーローの話を書きたかったけど全然ハネなかった。残念。

もしも吉良吉影がヒロアカ世界に生まれたら
エター。比較実験のやつ。四話で塚内が追い詰めるシーンとオチが気に入ってるのでいつか完結させたい。

他にもいろいろ書いてるのでよかったら見てね
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