100年前の戦役、日露戦争。
その中で出会った2人の兵士の短い話
皇紀2564年。
東洋の小さな島国である大日本帝国と大陸最大の国家ロシア帝国は朝鮮島半島の主導権や国益の相違により戦火を交えた。
この戦争はのちに日露戦争と呼称され、この期に起きる人類史上でも凄惨を極める戦役「第一次世界大戦」に花咲いてしまう軍事技術の萌芽とも呼べる兵器、軍隊運用を実演することとなった。
この短い物語はそこには関係がない。
この日、戦闘の終わりに堂島少尉はたばこをふかしながら空を見ていた。黒い軍服と顔の半分は血のにじんだ包帯が巻きついている。
あたりには動くことのない同僚が倒れ伏していた。彼等はわずかな地形の隙間に身をうずめて体を休めていた。
そっと顔をあげれば旅順要塞という東洋でも最大級の要塞が遠くに見える。そこまでにロシアのトーチカが複数設置され、黒光りする機関銃の銃身が夕日に照らされている。
「うぅ」
足元の兵士を堂島は抱きかかえて起こした。彼の腕の中にいる男は若い。堂島とは部隊が違うのか名前を知らない。顔を見ようにも、顔の半分がない。
「なんだ?」
「……み、水を」
「水か?」
堂島は腰の水筒を空けて、中に一滴も入っていないことに気が付いた。見れば大きな穴が開いている。堂島は水筒を投げ捨てた。
「すまんな。俺の水筒は穴あきだ」
「…………」
堂島は咥えていたたばこを男に食ませた。男はすぅと煙を吸って、少し穏やかな表情になり、たばこがその口元から落ちた。
小さな火がぬかるんだ地面におちて消える。堂島の腕の中で男の命も消えていた。堂島は感動もなく、右手で敬礼をした。それから男の体を地面へ優しく置いた。
「名前くらいは、知っておきたかったな。おい」
その男がまだ生きているかのように堂島は話しかけた。そして彼の腰から水筒を取った。
「水か。飲みたかったんだったな」
夕日が堕ちていく。じわじわと暗くなる世界。
堂島は三十年式歩兵銃 を肩に背負い、はいずるように動きだした。
「帝国軍人っていっても情けないことだな」
泥にまみれながら彼は動く。
堂島は夜の闇に紛れて水を確保しに行くつもりだった。近くの者にねだればもらえるかもしれないが、他のものの「水」も貴重だと下士官としての彼は知っていた。
だが、それでも一人そんなことをすること自体は戦役の疲れが思考を鈍らせているのかもしれない。彼はゆっくりと立ち上がって、腰をかがめて物陰から物陰に移っていく。
彼は少し歩いて近くの森に入った。水があるとは限らない。そしてここは陣地の最前線である。どこに敵がいるのかすらも分からない中で彼は煙草に火をつけた。
マッチの火を消してポケットに入れる、さすがに火を起すのはまずいと軍人としての思考は残っていたが、ふはーと白い煙を吐く彼は豪胆なのか動揺しているのかわからない。
しばらく歩くと小さな泉があった。濁っていてそのまま飲めそうにはないが、堂島は言った。
「まあ、泥水よりはましだろう」
彼は死んだ兵士の水筒に水を入れる。煮沸消毒をするくらいの知識は彼にはあった。
「Ураa a a!」
突然側面から叫び声が聞こえ、はっと堂島はそちらを見た。男が一人突撃してくる。その軍装からロシアの兵士に違いなかった。
堂島は舌打ちして、銃を構えて素早く射撃する。だが外れた。ロシア兵は堂島の体にとびかかり、二人は泉に倒れ込んだ。
堂島は殴る。見れば若い、金髪で碧眼の兵士だった。半狂乱のように彼は堂島に殴り掛かる。その拳に殴られたとき、堂島は思った。
(ああ、いい)
にやりと堂島は笑った。白い歯を見せて、ただ愛しい敵をその視界にとらえる。
「そうだよなぁ!! 喧嘩は拳でやるもんだなぁ!! 露助ぇ!!」
堂島はロシア兵を殴り飛ばした。立ち上がった彼は外套を脱ぎ、太い腕をぐるりと回し、肩に引っかかっていた銃を放り捨てる。
そして腰にある短剣を引き抜く。そして倒れているロシア兵の前でそれも捨てた。
「こい! クソガキ!!」
ロシア兵の青い目はそれをすべて見ていた。彼はゆらりと立ち上がる。言葉は通じないが、こぶしを握りこみ、堂島に殴り掛かる。
暗い闇の中で2人は殴りあう。
拳が何が殴りつける音と足元の水の音が響く。
堂島は左目の包帯を自らむしり取り、深い傷をあらわにする。赤い左目と心底楽しそうな顔。ロシア兵もそれに恐怖を感じるより、同じように笑いながらその腹部に強烈な打撃を受けた。
ロシア兵は膝をつく。げほげほとせき込む。
堂島は荒い息をつきながら。
「おら、俺の勝ちだな、クソガキ野郎」
手を差し伸べてロシア兵を立たせる。
☆
森の中にはなんの鳥か鳴き声が響いている。
堂島とロシア兵は肩を並べて座っていた。手ごろな岩に腰かけ、彼は煙草に火をつけようとした。だがマッチも煙草もしけっていた。堂島は舌打ちして投げ捨てた。
「おい」
ロシア兵は堂島を見た。
「俺は堂島昭二だ。お前は? あー、えー、ゆあーねーむ? ああ、これはイギリスの言葉だったか」
「Михаил……」
「みはえる? みはえるか。いい名前、なのか? 露助のことはよく知らん」
堂島はそうして思った。
「よく知らんのによく殺しあえるものだな。よく知っているから殺してやろうって思う上官はいくらでもいるのにな」
みはえる、は何か言っている。堂島にはその言葉はわからない。だから、気に入らない上官を殴るそぶりをして見せた。みはえるは笑った。意味が分かったかどうかはわからない。
「ははは!」
堂島とみはえるは笑い声を合わせた。二人は楽しそうに膝を打つ。意味は分からない。明日は殺しあうかもしれない。
「おう、みはえる」
みはえるはその顔をあげた。堂島はその肩に手を回した。
「いいか? つまらねぇことで死ぬなよ? 明日お前とあったら、俺はお前を殺しにかかるが、俺に殺されるなよ? いいな。俺を殺してもいいからよ」
みはえるは言葉はわからないだろう、だが堂島の声音の温かさから真剣な顔で彼を見ている。
「生き残って俺にうぉっかってやつを奢れ。俺はお前に酒を奢ってやる」
「водка……」
「おおそうだ。戦争が終わったらな。酒、サケだ、覚えておけや日本語くらいな」
みはえるは手で堂島を制して腰の水筒を彼に渡した。金属のそれを堂島が振ると、水音がする。キャップをあけると強いにおいがした。
「おいおい。いいのか?」
「Иисус」
「おお、全然わからんがもらっとく。ちゃんと俺に酒を奢らせろよ。ああ、何か返すもんは……ねぇな。あ、これやるわ。生き残れよ」
堂島は自分の短剣を彼に渡した。敵兵に武器を渡すという愚かな行為をこの音は嬉しそうになした。みはえるは驚いたように目を見開いたが、だが嬉しそうに腰に差した。
堂島は立ち上がる。みはえるもたちがあった。
「それじゃあな」
堂島のその言葉にみはえるも何か返した、堂島は「やっぱりロシア語はわからんわ」と笑った。そして彼はうぉっかを嬉しそうに飲んだ。
☆
日露戦争と言われる戦役はこののち日本優勢と言われる条約締結により終戦を迎えた。
特に旅順要塞の攻囲戦は凄惨を極め、日露両軍ともに1万を超える戦死者をだし、日本軍の総大将は後の大戦終結後しばらくして帝の崩御とともに自決をすることとなる。
堂島昭二は生き残り、戦後は小さな商店を営み。故郷の仲間とよく飲み歩きにでていたという。ある日、彼と金髪の男が肩を組んで歩いていると噂がたったが、真偽は定かではない。