──結婚式に出席した平塚静。高く舞上がったブーケは、彼女の手元に吸い込まれるように落ちていった。
そして平塚の両手にブーケが落ちた瞬間─気づくと、ある学校の屋上に、静は突然いた。
そして、比企谷八幡もそこにいた───。
「──で、用事って何?」
比企谷八幡は扉のすぐ横の壁に背中を預けそのままそこに座り込んだ。
その光景を見て、静は至極当然だが、混乱していた。
第一に、静は先程まで式場にいたはずだ。それが、何で屋上に。さらに比企谷がいた。しかも呼び捨てで、タメ口だ。
「なぁ、比企谷。何でここにいる」
「いや、平塚が呼んだからでしょ」
静が呼んだ、はずはない。それは、静はさっきまで結婚式に参加していたはずで、比企谷にメールを送るタイミングなど無いからだ。
だが、比企谷がポケットから二つ折りの携帯を取り出し、カパッと、開けて画面を見せつける。
「ほら、お前がメール送ってるだろ」
画面のメールの送り主は確かに静のメールアドレスで、文面も静がメールする時に用いるものだった。
確かに昼休みに屋上に来い。と書かれている。
ただ腑に落ちないのが一点、その二つ折りと、片方にしかない小さな画面、片方は押ボタン式のキーパッド。
「比企谷ってガラケーだったっけ?」
「いや、結構前からガラケーだが。ていうかポケベルなんて今更使うやついないだろ」
「ポ、ポケベル……? え、スマホは……」
「ス・マ・ホ……? 何だそれ、ASIMO的な何か?」
静の記憶の中では比企谷は確かにスマホを所持していた。だが、この反応は明らかにスマホそのものを知らないような反応だった。嘘をついてるようにも見えない。
ここで静の中に、有り得ない可能性が思い浮かんできたのだ。
「なぁ、比企谷。なんで今、私にタメ口きいてるんだ?」
その有り得ない可能性を消すための質問だったが、比企谷の答えは、その可能性を消すことなく、むしろ強めることになった。
「え、そりゃ、
これまた比企谷が嘘をついてるように見えない。これで嘘をついているなら、静はきっと比企谷に俳優の道を真摯に勧めるだろう。
「なぁ、何か平塚さっきから言ってることおかしくねぇか?」
「いや、すまんすまん冗談だ。そりゃあ、タメ口は当たり前だろ?」
「めっちゃ、ビックリしたわ。何か怒らせるようなことしたかめっちゃ勘繰ったわ」
比企谷は、安堵した様子でプルタブを開け、缶のマックスコーヒーを飲み始めた。
おかしい、絶対に何かがおかしい、と静の心のうちの不安はより高まっていく。
「で、結局用事って何?」
「いや、用事は何も無い。ほら、生存確認だ、生存確認」
適当な嘘をでっちあげると、比企谷は少し不貞腐れた顔をする。
「俺、お前と同じクラスなのに、生存確認って、俺どんだけ……」
すんと肩を落とし、比企谷は露骨にガッカリしているようだ。
「まぁ、とにかく理由はない! ただ呼んだだけだ」
「はぁ……」
比企谷は聞こえるほどのため息を吐くが、静はそれにあははと、作り笑いを返すしかできなかった。
その時、左ポケットから明らかにバイブレーションの振動が感じられる。
おもむろに手をつっこみ、それを取り出すと、それはガラケー、しかもこの青色のガラケーは、静が一○年以上前に愛用していたガラケーだった。
ガラケーを開くと、画面の日付には『5/18』と写っている。これは、先程までの結婚式の日付と全く変わらない。
ただ曜日が違う。結婚式の日は日曜日だったはず。
だが、画面には『(火)』と写し出されているのだ。
久しぶりであるのと、不安に駆られ指先が少し震えるため、静は届いたメールを開くことすらも手こずった。
ぎこちない手つきで何とかメールの受信箱を開くと、このように書いてある。
『2004年度の総武高校体育祭に関する協議の日程調整 2年B組平塚静さんへ
本文:5月の30日に決定致しました。時間帯は放課後で、関係者が集まり次第、会議を行います。よろしくお願いします』
二○○四年、もう一○年以上前の年だ。そして、静が総武高校の生徒だった年。確かに二年の時はB組だった。
信じられない。そんなことが起こりうるはずはない。背筋がゾクと冷える。メニューボタンを押して携帯電話のアドレス帳を開くが、確かに中学・高校からの付き合いの人のアドレスしか登録されていなかった。
静はガラケーをブレザーのポケットにしまい、比企谷が腰を下ろしているすぐ横に腰を下ろす。
「え、平塚、き、急になんだ」
「今の総理は……?」
「……え、小泉純一郎だろ?」
静の突然の質問に、比企谷はきょとんとした顔で答える。
「千葉県知事って、森田健作……?」
「んなはずないだろ、そんなことあったら千葉県大激震だわ」
「小島よしおって知ってるでしょ。そんなの関係ねぇの」
「いや、聞いたこともないんだけど、何それ相田みつを的な?」
「ジブリの崖の上のポニョも、いい映画だったよな」
「崖の上のポニョ? 初めて聞いた、そのタイトル。……ってかあったっけ、そんな映画、ってかどうした?」
比企谷は突然の質問攻めに怪訝そうな表情をうかべるが、静はそれどころでは無かった。
比企谷は、静の今、つまり二○一四年では当たり前のことを何ひとつとして知らなかったのだ。
───本当に二○○四年?
だとしたら、静は一○年以上前にタイムスリップして、しかもいないはずの比企谷がいるということになる。
そこで静はハッと思い出した。ブーケを受け取る直前に願った、絶対に叶うはずのない願い。
まさか、それが叶ったとでも言うのだろうか。
色々思案していると、隣の比企谷は、少し横にズレる。
「さっ、さすがに、パーソナルスペースに入ってきすぎだ……」
「あ、ごめん……」
顔を少し逸らした比企谷の横顔は、赤く染っている。
静の胸はとくんと弾んだ。
この仮説が本当だとするならば、静と比企谷は先生と生徒の関係ではない。
先生と生徒の関係である時、こんな風に近付くことも多々あったし、比企谷が特別このような反応をすることは別段なかった。やはり、どこか姉弟のような関係だった。
だが、同級生であると、近付いただけで、こんな反応を示してくれる。それが静にとっては無性に嬉しかった。
長い沈黙。ただ静にとっては、それがとても心地よく感じられた。手元の缶コーヒーの絶妙な熱さが、余計にそうせる。
比企谷の横顔は未だ染まったまま、思わず静の顔も綻んでしまう。
そしてあまりに可愛らしくて、思わず比企谷の頭へと手を伸ばしていた。まるであの頃のように。
「ちょ、え、な、な、なんで撫でてくるの?!」
「あ、つい」
飛び立った雀のように慌てふためく比企谷に振り払われた手のひらには僅かな温かみと、ふわっとした感触が残っている。
静が総武高校を転出することになってからは感じることのなかったそれに、懐かしさと、愛しさが湧いてくる。
「──っ、本当になんなの。って、え、どうしてお前が泣くんだよ」
「私──?」
静は比企谷に指摘されて気付いた。頬を真っ直ぐつたい落ちる涙に。
「俺に触るのそんなに嫌だった? いや、でも勝手に触られただけだし……。え、何それ、普通に泣きたくなるんですけど……」
「違う。ちょっと色々なことを思い出しただけだ……」
そう、本当に色々なこと。不器用ながらももがき続けた少年と送った一年間のこと。
それは間違いなく、教師人生、いや静の人生の中でも特に濃い時間だった。もし一年だけでなく、彼のその先を見ることが出来ていたら、もっと特別な時間は長く続いたかもしれない。だが、異動で別れてしまったが最後、あの時間にはもう戻れないのだ。
そして、チャイムが鳴り響く。
「その、大丈夫か……?」
「うん、心配するな。別に大丈夫だ」
「そうか、まぁ、何かぶちまけたいことあるなら言ってくれ。俺なら誰かにバラすとかいう心配はないだろ。自分で言うのもなんだな、シルクロードの日本みたいなもんだ。千葉でいうなれば庁前駅」
「──比企谷は優しいんだな」
「……違う、辛気臭い雰囲気が嫌なだけだ」
比企谷は「じゃ、先に行くわ」と言って、立ち上がりそのまま扉の中へと消えてしまった。
相変わらず彼の背筋は、少し曲がっていた。
その後も静は座っていた。空は、嫌味なほど、青く澄んでいる。
静は横に置いておいた貰った缶コーヒーを開け、一口、口に含んだ。
「──甘っ……」
殺人的に甘い。だが、この甘味は嫌じゃない、それどころか静にとって心地よいものである事は違いなかった。
コーヒーを半分ぐらい飲み残しているが、時間が迫っている。
静も立ち上がり、手でぱっぱと背中と
自分には似合わないと思って、久しく身につけていなかったそれの着心地は凄く爽快感があった。
身体もやはり軽い気がする。
でも、本当にそんなことがあるのかと三度思った時、意外なことで、確信に近づいていった。
「あれ、私、タバコ吸いたい衝動がなくなってる……」
それに気づいた時、静はおもむろに駆け出した。
勢いよく扉を開け、階段を駆け降りる。コーヒーは零さないように。
やはり軽い。身体が軽い。
廊下を通ると、様々な生徒とすれ違う。すれ違う生徒の中には、さきほどまで結婚式にいた人もいる。そして皆、肌がとても潤っていたり、逆に
静は、こう結論づけた。
あぁ、これはきっと夢だ、と。
なら存分に楽しみ尽くしてやれ、と。
先程のメールにあった、二年B組の教室のドアを開ける。
すると、一番廊下側の列の手前から三番目の席に、比企谷はいた。
机に突っ伏しているが、その特徴的すぎるアホ毛で一発で分かる。
静は、比企谷のもとに行き、肩をポンポンと二度ほど、優しく叩いた。
「ねぇ、比企谷!」
「痛い、痛い! な、平塚か、なんだよ今度は……」
静が叩いた肩を手でさすり顔を歪めながら、面倒くさそうにする比企谷とは対照的に少し頬が緩んだ静は、こう尋ねた。
「私の席、どこだっけ……?!」
「────…………は?」
▼△▼△▼△▼△
平塚は、一番窓側の列の一番後ろの席に座った。
比企谷曰く、とても羨ましい場所に座りやがって、とのこと。確かに、学生の頃は一番後ろに座れるかどうかで一喜一憂していた、と静は懐かしむ。だが、教師の立場になった今では、一番後ろの生徒は態度が見えにくいので悩みの種の一つなのである。
よく「後ろの方が見やすい」とは言ったものの、それはやはり単なる脅しで、何かをしているのは分かるが、その何かが分からないことが多々あるのだ。
──私も、この頃から変わったんだな。
机の中を覗くと、教科書が何冊か入っている。そのうち一冊を取り出すと、確かに油性で二年B組平塚静と書かれていた。そして、机の脇のフックには懐かしのスクールバッグだ。ファスナーを開けると、懐かしさという感動が静の身におしよせた。これがおそらくタイムカプセルを開けた時の感動なのだと、静は思う。
確かに朧気に残っている一○年前の記憶と一致している。
筆箱を開けると尚更だ。
「うわぁ、このシャーペン懐かしいな……」
静が、ひたすらノスタルジーに浸っていると、
「ねぇ、静」
と、肩を叩いて一人の女子が話しかけてきた。
話しかけてきたのは、先程までいた結婚式で、静に話しかけてきた長身のボーイシュな女子だった。やはり、若返っており、言い方は酷だが、目の前の彼女の方が明らかに肌がツルツルしている。
それともう二人ほど、クラスメイトの女子がいる、背の並びは綺麗に大中小といった感じだ。
「ん、どうした?」
「聞きたいことがあるの、静に。静ってさ、最近あいつと仲良くない?」
「あいつ、って誰のことだ?」
静がキョトンとした顔をすると、ボーイッシュな女子は、一番廊下側の列の手前から三番目のアホ毛が目立つ男が突っ伏して座っている席を指さす。
「あいつだよ。名前すらわかんないや。え、と」
「比企谷、か?」
「あぁ、そんな感じだった気がする」
「全然思い出せなかった〜」とボーイシュの女子が笑うと、「それは流石に失礼じゃない?」と言いつつも横の二人も、笑っている。
静は薄々分かっていたが、この世界においても、比企谷はそういう扱いをされているのだ。
「それでなんでアイツなんかと仲良いの?」
静は困った。別にこの世界の平塚静の記憶があるわけじゃない。だから、なんで比企谷と話すような関係になったのかはよく分からないのだ。
しかし、理由は今の静にでも何となく分かる。
「……一緒にいて楽しいから、かな。話も合うし」
「えぇ〜、静にはもったいないよ〜! もっと、面白いやつ居るって、このクラスにも例えば……、
そう言って、すぐ近くにいた中肉中背で金髪に染め、パーマをかけ、髪で遊んでいるような男子を指さす。指をさされると男子は照れくさそうに、パーマ頭を搔く。すると、セットしていたのか、分かりやすく髪が崩れた。
残りの二人もボーイッシュな女子に同調し、
「あんな根暗なやつ、私は無理だなあー。それに悪い噂もちらほら聞くし……」
「いくら静がモテて女子に嫉妬されて面倒くさいからって、男除けにしてもね〜」
と、堰を切ったように陰口を叩き、三人して顔を見合わせると、ゲラゲラと笑った。確実に嘲笑っている。
そして、ボーイッシュの女子は再び、静の肩を叩き、告げる。
「友達にするなら、絶対、静にはもっと
「そうか、
──いるはずなら、とっくに結婚できたはずなんだけどなと、一○年前の少女たちに言っても伝わるはずがない。
確かにこの時代、つまり青春時代は、モテていたと、静も自惚れではなく感じていた。実際告白されることも多く、多少なりとも交際関係になることはあったのだ。だが、どれもこれも長続きしなかった。
だが静は異性と付き合う事には興味があったし、交際相手が嫌いになったという訳では無いのだ。むしろ、丁重に丁寧に腫れ物を触るように接してくれたのだから、嫌いになるはずもない。
だが、相手に興味を持てたことは、ほとんど無かった。いや、断言しよう。一度も無かった。
そして、それは大学に入っても、社会人になっても無かったのだ。
静がよくネタにする彼氏に家財道具を持ってかれた原因の一つは間違いなくこれだ。だって、相手の人となりなぞ見ようともしなかったから。
確かに静はよく自虐にはしているが、静に運命の人が現れなかったのは、モテるモテないの話ではない、どこか根本的な原因があったのである。
だからこそ、現状、静の一番良い人は、
──私に
──生まれて初めて
「今のところ、比企谷以上に
静は、優しい顔で微笑んだ。
その言葉を聞き、その顔を見た三人は、面食らった顔をする。
「……ま、まぁ、静がそう言うんなら、いいと思うけど」
長身の女子がそう言うと、周りの二人も「私もそう思う」と首を縦に振った。
ちょうどその時、授業開始のチャイムが鳴る。周りの三人もそそくさと自分の席へと戻っていった。まもなくすると、教師が入ってきた。
「では、号令お願いします」
教師が教壇に立ってすぐ呼びかけるが、号令はかかる気配がなく、しーんと教室は静かになった。
すると、周りの目が一斉に静に向けられた。
静はここで思い出した。
「このクラスの号令は平塚さんですよね……?」
「あっ、すいません。ボーッとしてました!」
その瞬間、ドッと笑いが起こった。「平塚しっかりしろ〜」「お前は名前と同じで教室を静かにするのか」と野次が飛んできたり、「静意外と抜けてるんだよね〜」と女子からも詰られる。
静も照れ笑いするが、ふと一番廊下側の列の前から三番目の席を見た。そこには先程と変わらずアホ毛がちょこんと立って、突っ伏しているだけの男がいた。
また静の顔が綻ぶ。
「起立──!」
脈絡もなく突然号令をかけた。
静の様子を見ていた周りの人々は難なく立ち上がるが、一人突っ伏していた男はタイミングを外されたのか、慌てた様子で、少し遅れて立ち上がる。
──ふふっ、今のは傑作だ!
「礼!」
こうして静の夢は、始まりを告げたのだ。
拙文を読んでいただきありがとうございます。
拙作では平塚先生の恋人いたことになってる設定ですが、原作でいたということ(家財道具盗難)がほのめかされているので、悪しからず。。
でも、やはり彼氏に家財道具を持ってトンズラされるのは、相当ショックですよね。ぜひ、幸せになって欲しいものです。