ブーケトスの魔法   作:Pond e Ring

5 / 13



──これは、体育祭が終わった一週間か二週間後のある日のお話




四束: Someday in the Rainy Sky

 

 

 日がとっくに顔を出した時間だというのに、真四角の窓の外は、灰色に覆われて暗い。そして、その灰色があまねくものに疎まれることに胸打たれたのか、しとしとと涙を流している。

 

 今は梅雨。

 

 梅雨はそもそも湧かない活力が灰燼(かいじん)と帰す季節でもある。そうなると、平日の学校なんてものは登校拒否したくなるのも摂理だ。

 

 この男──比企谷八幡も例外ではなかった。

 むしろ、遅刻の常習犯である八幡からすれば、雨の日は本当に学校に行く気が失せる日なのだ。それゆえ、当然遅刻率も晴れの日に比べて高くなっていた。

 唐突に、ジリリと容赦なく鳴り響く目覚まし時計。人の都合で鳴らされてるのに、人にここまで疎まれる存在はあるだろうか。

 無機質な音のうるさすぎるノックで無理やり起こされた八幡は、寝ぼけ眼を開くこともままならない。

 加えて、やけに体は重く感じるし、顔はいつもよりも火照っている。目を覚ましたあともぐずり続ける目覚ましをあやすために体を起こそうとすると、勝手に身体が右へ左へと振らついてしまった。自分の意識がどこか遠くにあるような違和感。試しに小声を出そうとすると感じる喉のイガイガ。そして、額に手を当てて原因に気付くのだ。

 

「あちっ……」

 

 

 風邪をひいてしまった。熱と倦怠感と喉のイガイガと頭痛のアンハッピーセットである。

 

 

 △▼△▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 今朝、風邪をひいたと気付いてから数時間経った。

 貧弱ではあるが病弱ではない八幡が風邪をひくのは随分久しぶりのことだった。

 そういう訳で最初、妹の小町は、体調を崩した八幡の様子を見てズル休みを疑っていた。しかし、体温計の温度とそのガラガラ声から嘘ではないと気付いたようで、登校するまでの間に八幡のために濡れタオルやら何やらと色々と用意をしてくれた。

 その後、小町が家を出てからは、自分の部屋の布団にただひたすら籠り、うんうんと(うな)されながらも、一度眠りに落ちると、目が覚めた時には、大方症状は快方に向かっていて、小町が用意してくれた皮が剥かれたリンゴなどを頬張るほどの食欲は出てきた。()()()()()()()()である。

 

 かといって、本調子では無いのは確かで、別段精を出す趣味もない八幡は、ただ布団にくるまって、ボーッと天井を眺めているだけだった。

 

 ──()()

 

 世の人々にとってはきっと当たり前の感覚だろうが、八幡にとっては不思議で慣れない感覚だった。

 第一、少し前に「一人だけの世界でも生きていける」と心の中とはいえども豪語してみせた男が暇を感じている。

 正当な理由で学校を休んで、体調が優れないとはいっても、親鳥の両翼に包まれてすやすや眠る雛鳥のようにふかふかの羽毛布団に我が身を預けくるまり続けていることは、八幡にとったら最大限の幸福であるはずなのに、退屈すら覚えはじめていたのだ。

 

 そして、八幡が暇を持て余している中、つい先程妹の小町が、中学校を終えて帰ってきた。

 小町は帰ってくるなり、駆け足で八幡の部屋に入ってきた。少し髪と制服が濡れていて、息が少し上がりながらも、「お兄ちゃん大丈夫?」「まだ熱ある?」「なにか小町にして欲しいことある?」と、至れり尽くせりの手厚い対応を施してくれた。普段はごみぃちゃんなどと蔑んでくることもあるし、小生意気なことを言うこともあるが、こういう時には気が利くところは本当によくできた妹だなと八幡はしみじみ感心する。

 

 コンコンと二、三度部屋のドアが叩かれて、「お兄ちゃん入るよ〜」と小町の声が聞こえた。

 入ってきた小町は、白いタオルを入れた風呂桶を腰元に抱えている。

 

「はい、お兄ちゃん、これ、替えのタオル」

「ありがとな、小町。色々と迷惑かけちまって」

 

 髪などは乾いているものの、小町のセーラー服の浅葱色の襟元にはまだ濡れて滲んだ跡がぼんやりと浮かんでいる。

 

「いいのいいの。お兄ちゃんには小町しかいないんだから。小町がいなかったら、お兄ちゃん死んじゃうでしょ?」

「いや、そんなことは……」

 

 自信なさげに否定しようとすると、小町は濡れタオルを八幡の額にのせながら、「ないわけないでしょ」とさらに強く否定して返してきた。何も言い返すことはできない。兄の沽券は引きちぎられて、ボロボロだ。

 

「だぁから、しょうがないから、小町がいつまでも面倒見てあげる」

 

 とんでもないことをサラッと言ってのけた小町は、なにかに気づいた様子で「あっ!」と声をあげた。

 

「今のって、小町的にポイント高い!♪」

 

 遺伝子レベルのアホ毛はピンと張り、そして相も変わらず腹立つ顔とポーズを決めている。

 

「それを言わなければ、ポイント高いんだけど」

「うるさいなぁ、とにかく小町に、感謝してくれてもいいんだよ!」

「まぁそうだな、感謝はしてる。ありがとな小町」

「おー、お兄ちゃんが珍しく素直だ。風邪でもひいてるのかな?」

「ひいてるんだなぁ、これが」

「あっ、そうでした! ふふっ」

 

 そんな軽妙な会話を交わしながらも、小町はテキパキと手を動かしてくれている。

 少し前まで泣き虫だった気がしたのに、いつの間にか、しっかり屋さんになってしまった。八重歯の似合う子供らしいあどけない顔から、面影は残しつつも大人びた顔立ちにもなっているのを感じる。

 

 ──小町はいつか立派なお嫁さんになるんだろうな。

 

 そんな嬉しくあるようで、寂しくもある青写真を描いてしまう。

 いつまでも面倒見てくれると宣言してくれたが、きっとそんな小町ですらも八幡の元を離れていなくなってしまう日が来る。

 

『お兄ちゃん、じゃあね』

 

 ──ダメだ、そんなことになったら。

 

『今まで、ありがとう』

 

 ──小町っ……! 

 

 そう言い残して去っていく未来予想図の中の小町の背中は、どんどん小さくなっていく。その度に、本当に小さな背中だった時の妹との思い出が蘇ってくる。ただ違うのは手を伸ばしても、もう届かないということ。頭を撫でると、にひひと笑ってくれた小町はもう見れないということ。

 

 ──小町ぃ……

 

 気付けば、自然と手を伸ばして、兄弟の証であるつんととんがったアホ毛を巻き込んで、慈しむように毛並みに沿って無言で撫で始めていた。以前と変わらず、アホ毛は撫でる度に、反発して、シャキっとたってくる。

 

「な、な、なにっ、お兄ちゃん……?!」

 

 小町は兄の突然の挙動に、驚きはするも、抵抗はしなかった。顔を真っ赤に染めながらも、猫のように次第に目を細めていく。

 

「も、もう……やめて、お兄ちゃん、恥ずかしい……」

 

 流石に恥ずかしいようで、三○秒ほど撫でたあとでサッと手を払いのけられた。小町は「これだから、ごみいちゃんは……」と文句を垂れ流しているが、そんな癇に障っているようではなかった。むしろ満更でもなさそうに見えるのは、都合がよすぎるだろうか。

 

 小町はコホンと可愛らしい咳払いをして、「そういえばだけど、この風邪、昨日のでしょ。お兄ちゃんが帰ってる途中で大雨にあって、ずぶ濡れになってさ」と言う。

 

「多分そうだな」

「学校に傘忘れるアンド一応雨の予報出てたのに放課後サイゼしてたからでしょ! お兄ちゃんらしくないな〜。そういうところはきっちりしてると思ってたのに」

「そうだったな、ボケーッとしてたわ。これは梅雨のせいかもな」

「ふふっ、何その変な言い訳」

 

 一通り整理し終えた小町は皿に乗っていたリンゴがなくなっていることに気付き、皿を手に取り、お腹がすいてるかと尋ねてきた。

 

「まだあんまり食欲はないかな」

「うーん、じゃあまたリンゴにしよっか。一応何かしらあった方がいいと思うし」

「あぁ、頼むわ」

「はーい」

 

 小町はタオルをつけてた水が少し入った風呂桶や、リンゴの皿を小さなからだで全て抱え込んで部屋を出ていった。ドタンドタンと階段を駆け下りていく音が聞こえる。

 そして、ちょうどその時だった。ピンポンと家のインターフォンが鳴ったのは。この時間帯に来るのは、小町の友人か宅急便ぐらいだ。だから特に気にすることなく八幡は小町がリンゴを運んでくるのを待っていた。

 

 ──かれこれ一○分以上待っていた。しかもその間に下の階からドタドタと小町の足音が聞こえてくるうえに、時折、「えぇ?!」「本当ですか?!」「ストップ!」となにかと叫び声が響いてくるので、小町は何をしているんだと八幡は不思議に思っていた。だが、間もなくして、コトコトと階段をのぼってくる足音が聞こえ、そのすぐ後に部屋の扉が二回叩かれた。

 

「その、比企谷、入っていいか……?」

 

「いいぞ」と答えようとした時、八幡は強烈な違和感を感じ、おもわず上体を起こした。小町が額に乗せてくれた濡れタオルもポロリと落ちてしまう。八幡に問いかけてくるその声は、明らかに高めの小悪魔っぽさかつあざとさ成分の強い猫のような小町の声では無いのだ。

 しかし聞き覚えはある。声に張りがあり、あざとさなどは一切ないが、どこか安心できて、包容力のある声。小町の猫の声と比べたらまるで犬のような。

 だが、まさかいるとは思うまい。だってここは学校ではなく道端でもなく、必然の出会いも偶然の出会いもありえない比企谷家なのだから。

 

「返事がないな……。ってことは……、はっ! なにかあったのか?!」

 

 バタンと、思いっきり扉を押して入ってきたのは、

 

「比企谷っ、大丈夫かっ?!」

 

 あらぬ勘違いをして、青色へと血相を変えている平塚静だった。薄手の白シャツと、膝上丈のチェック柄のスカートと普段よく見る制服で身を包んでいるが、凛とした顔立ちと、そのスラっとした立ち姿、出るところは出て、引き締まるところは引き締まっている外見は相変わらず高校生離れしている。その左肘にはスクールバックが引っ掛けられ、リンゴを乗せた皿が左の掌の上にのっかっている。

 

「あ、あぁ……。全然、ってわけでもないが、お前が今思ってるよりは全然大丈夫だ、平塚」

 

 平塚静は「よかった」と胸を手に当てて、ほっと一息ついていた。

 良かったのかもしれないが、問題なのは平塚がそこにいることだった。平塚が八幡の部屋に入ってくることに違和感を拭いきれない。

 

「……なんで、いるんだ?」

「なんでって、そりゃあ、お見舞いに決まってるじゃないか!」

 

 平塚はにこっと笑って確かにそう言った。彼女はどうやらお見舞いに来たらしいのだ。

 

 

 △▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 平塚は運んできたリンゴを八幡の勉強机に置くと、勉強机の椅子に腰掛けて、彼女のバッグの中からクリアファイルを取り出し、紙を数枚取り出した。

 

「これ、今日の授業のノートのコピーと宿題だ。ここに置いておくからな」

「あぁ……ありがとう」

 

 平塚はその紙を机の上に置いた。

 やはり、自分の部屋に同級生がいることへの違和感が拭えない。しかも同性ではなく異性がいることに。

 

「なぁ、平塚。なんでお見舞い来たんだ?」

「なんだ、そんなに私がお見舞いにこられるのは迷惑か」

 

 頬を膨らませて、ムスッとした顔になった。

 

「いや……、そういうつもりじゃなくてだな」

 

 予想外の反応に慌てている八幡を見て、いたずらっぽい笑みを平塚は浮かべる。

 

「あはは、冗談だ。お見舞いに来た理由は、()()()()()があるからだ、傘も返さなければならないし。それにあの時、看病してもらった礼もあるしな」

「……申し訳ない。変な気遣わせて」

「なに、君が気にする必要は無い。私がしたくてやってるだけだからな」

 

「それと」と平塚は付け加える。

 

「今日メールしたのに全然返信が来なかったからな。ちょっと心配になって、というのもある」

「あぁ、すまん。携帯まったく見てなかったわ」

「まぁ、風邪だからな。私も失念していた。嫌われてしまったかと思ったぞ。私もうっかり屋さんだな」

 

 八幡は枕の下に敷かれていたガラケーを手に取り、何気なく切られていた電源を入れた。

 すると、ガラケーの画面が光った瞬間に、『You got a mail!!』の輪唱が始まり、恐怖に怯えているかの如くバイブレーションが止まらくなった。

 ようやく収まり、恐る恐るメールを開いてみると、

 

『今何をしていますか。返信ください』

『学校お休みになっているようですが、昨日のことが原因でしょうか? 返信ください』

『授業内容などはどのようにお伝えすればよいでしょうか? 宿題とかも渡した方がいいですか。返信ください』

『無視しているんですか。やはり私のせいですか。ごめんなさい。謝りたいので、返信ください』

『学校終わりました。傘ともろもろを届けに行きます。返信ください』

『今、学校の近くのコンビニにいます。なにか買った方がいいものはありますか。返信ください』

『今、あなたの家の近くにいます。色々渡したいものがあるので、出てきて貰えますか。返信ください』

『今、あなたの家の玄関の前にいます。インターフォン押してもいいですか。返信ください』

『今、リンゴをあなたの部屋に持っていきます。よろしいですか。返信ください』

 

 八幡はあまりの恐ろしさに思わず携帯を投げ出しそうになった。メールになると言葉遣いが異様に丁寧になるのは知っていたが、そのことが相まってよりおぞましさを引き立てている。

 携帯が震えていた気持ちも痛い程を共感できた。

 何よりも恐ろしいのは、このメールも一部抜粋であり、一○秒おきにメールが受信されているものもあって、全て合わせたら、一○○通はくだらない(おびただ)しい量のメールがよこされているのだ。しかも、途中から、どこかの怪談でもみたような展開も始まっている。

 人の方が幽霊よりも怖いとは誠に正鵠を射ている。八幡の肝っ玉は干し梅の模様みたいにしわしわに萎みきっていた。

 

「……」

「ん、どうした?」

「……いや、何でもない」

 

 たった今、目の前で催されていた携帯電話の一人劇場を見ても何も感じていない様子を見て、平塚からのメールは必ず返信しようと、八幡は心に誓った。

 言葉に詰まっていた八幡の様子を見て、少し首を傾げながらも、「ところで」と平塚は切り出した。

 

「比企谷、肝心の体調の方はどうだ? 熱はあらかた落ち着いたとは、小町ちゃんから聞いたが」

「あぁ、それはもう大丈夫だ。しかもたった今さらに下がった。うん、平熱よりもだ」

「……? そうか、それはよかった」

「あぁ、今日はありがとうな。じゃあ……」

 

 上手く言葉が繋がらない。いかんせん、お見舞いというイベントに遭遇したことない八幡はお見舞いの慣わしなぞ、雀の涙も分からない。だから事の始末を追えなくなっているのだ。平塚はいつまでその椅子に座っている気なんだと、次の一手を伺うしかないのだ。

 そんな八幡のささやかな苦悩を知る由もない平塚は、「そうだ、今日、文化祭の実行委員になってだな」と新たな話題を切り出した。正直、平塚はもう帰るんだと早とちりていたものだから、「え?」と会話の流れにはそぐわないヘンテコな声を漏らしてしまった。

 

「え?とはなんだ」

「あぁ、えぇと、それはだな、実行委員会になるんだと思ってな」

「私に向いてないか」

 

 誤魔化そうとしたものの、明らかに平塚はまたむぅと不機嫌そうに頬を膨らませる。

 

「いや、平塚がまた無理をするんじゃないかなぁ、と思ってだな」

「……私の事、心配してくれているのか?」

 

 意外とあっさりごまかせてしまった。何とかごまかせたら、八幡は口が乗るタイプだ。

 

「まぁ、そういうことだ。だってお前、そういうの抱え込むタイプだろ」

「う、うん、確かにそうだな……。そういうこと言ってくれるのはやはり君だけだ……」

 

 平塚は少し(うつむ)いて、声を細めた。しかし、その言葉にはそこはかとなく()()()()()()()()が込められているように八幡は感じた。

 

「でも、私が決めたことだ、最後までやろうと思う」

 

 八幡は「そうか」と安堵の吐息が少し混ざった声で答える。その後、実行委員について色々聞くと、どうやら平塚は『物品係』としてその職務をまっとうするらしい。

『物品係』は、それぞれのクラス、有志団体の要望に応じて、物品を用意し、それらの引渡し、また管理を行う仕事だ。だから簡単に言えば、本当の縁の下の力持ちであり、働くのは文化祭の準備の前日と片付けの次の日で、文化祭当日は大きな仕事がないものである。と、八幡は思っていた。

 しかし、どうやら平塚によると話は違うらしい。

 

「物品班は、後夜祭のキャンプファイヤーの準備を任されているんだ」

「キャンプファイヤー、か。忌々しいな……」

 

『キャンプファイヤー』という言葉を聞いただけで八幡は眉が八の字になる。

 この学校のキャンプファイヤーは、漫画でよく見る文化祭の後にやるタイプのキャンプファイヤーだ。そして漫画でよく見る男女で踊れば、その二人はめでたく結ばれるといういかにも嘘くさい学校の伝説もあるのだ。

 つまり、八幡とは無縁であり、去年は校庭の中心で行われていたキャンプファイヤーがを見ることはなかった。かわりに火が吹くような勢いで帰途についたことは言うまでもない。

 しかし、この言葉は間違いなく八幡の真意であるが、失言をしたと思った。物品班にもなっている平塚はきっと楽しみにしているに違いないと容易に推測できたからだ。こんなことを言ったら、『抹殺のラストブリット』なる拳が八幡の脇っぱらに、別の意味で()()()()されるのではないかと、一筋の冷や汗がツターっと首筋を流れる。

 

 しかし、平塚は少し間を置いて、一言、「……私もそう思う」と口にする。予想だにしない言葉を聞いて、思わず目をまん丸くさせ、平塚の方を見やると、膝の上に乗せられた拳はプルプルと震え、口は真一文字に結ばれている。

 

「……何が伝説だ。ふざけるんじゃない! なんで他人がイチャコラするのを見せつけられなきゃならないんだ。伝説というのもヘタレな男女共がキャンプファイヤーに託けただけのクソみたいな伝説だ! なぁ、比企谷もそう思うだろ?!」

「お、おう……」

 

 そのあまりの平塚の勢いに、同意見の八幡ですらねこだましされたように怯んでしまった。

 

「すっかりそのことを失念していて、引き受けてしまったのは身から出た錆だ。だから、成功はさせる。だがな、もしイチャコラを必要以上に見せようものなら、私は、消化器でキャンプファイヤーの火諸共全てを消す……」

「おぉ……」

 

 感嘆の声とともに八幡はごくりと大きな息を飲んだ。これは、八幡なんて比でないほどの過激すぎるキャンプファイヤーアンチだったのだ。「なんでそんな嫌いなんだ」と平塚に尋ねてみたくはなるが、それこそ文字通りこの家が吹き飛ぶほどの地雷を踏むことになるかもしれないと思い留まった。

 ただ、平塚のような人がそういうことを嫌っているのは知らなかったし、こんな身近に仲間がいたことを知れて、口に出すことは無いが素直に嬉しくもあった。

 

「まぁ、頑張れよ。やるとしても()()()()程度にな」

「そうだな、善処する」

 

 善処するという言葉がここまで恐ろしく聞こえるのも中々ないかもしれない。というわけで、平塚の意外すぎる一面を知ったあとは、アニメの話に移った。相変わらずアニメのこととなると立て板に水のように話す八幡が話し出したことで、平塚の顔はうってかわって表情がほぐれ、笑顔が増えた。

 そして、一通り談笑すると、「そういえば……」と平塚は突然、部屋の周囲をクルクルと見回し始めた。

 この部屋にあるものといえば、三段の本棚とその棚の上に飾られた特撮系の数体のフィギュア、制服と最低限の私服が入ったウォークインクローゼットと勉強机ぐらいだ。

 

「平塚、どうした?」

「チェックだとも。男子高校生の部屋がどういうものか気になってだな。こんな機会はそうそうないしな」

 

 興味津々な顔で机の下など隅々まで見回すが、そんな平塚とは裏腹に八幡の背筋はピンと伸び、やたらと冷える。疚しいものや平塚に見られて恥ずかしいことはきっとほとんど無いはずであるし、あるにはあるがそれは小町にすらも見つからないように厳重に保管されているので、見つかるはずはないのだが、どうしても不安になってしまう。それにそれらを平塚に知られるのは、不安なんて言葉では言い表せないほどの恐怖があった。

 

「や、やめてくれ……」

「ふぅん?」

 

 平塚は親父がたまに見せるような見事なまでに腹立つにやけ顔をこちらを向けてくる。

 

「その反応から察するに、何か私に見られたくない、見られるとまずい、やましい事があるということかな?」

 

 想像以上に板についているにやけっ面を変えることは無い平塚は、たぶん親父と同じぐらい面倒くさいと、直感が伝えてくる。しかし、こういうのは相手が諦めるまで、シラを切り続けるのが鉄則なのだ。

 

「ない。そんなものはとっくにこの部屋からはデリートしてやったわ」

「ふぅん……?」

 

 相変わらずのにやけ顔だが、見透かされているのは百も承知だ。八幡は毅然とした態度でそれに向き合う。すると、にやけ顔は崩れ、「あっははは!」と大きな声で笑いだした。

 

「しょうがないな。私の良心に免じて詮索するのはよそう。知られたくないことは誰にでもあるしな!」

 

 その言葉を聞いて、ほっとした反面、妙に気になることが八幡の中に生まれた。

 

「なぁ、平塚」

「ん、どうした?」

「平塚は知られたくないこととかあるのか?」

 

 平塚は今、『知られたくないことは誰にでもある』と言ったが、平塚にもあるのだろうかと素直に疑問に思った。その答えはほぼ知っているが、一応、確認してみたくなった。

 その問いを聞いて、平塚は軽く笑う。でも決して茶化しているよう訳ではなく、その目はしっかり八幡の目を貫いていた。そして、口を開いた。

 

「そりゃ、私にだってある。無かったら後悔などしないしな。誰にも知られたくない、踏み入れられたくない私の『乙女の秘密の花園』はきっと君が想像しているよりもとても広いものだと思う」

「そうだよな。うん、やっぱりそうだよな」

 

 やはり、平塚もそうだった。これは決して、失望ではなくて、安堵のほうである。平塚を知れば知るほど、彼女が八幡が最も嫌いな青春の擬人化ではないことを知ることが出来る。そして、それを確認することで、安心できる。しかし、次の一言で、つかの間の安心が揺らぐ。

 

 

「──()()()()()()()()

 

 衝撃だった。

 条件反射で八幡は「どういうことだ?」という言葉を漏らしてしまう。完全に呆気にとられた。『知られたくないのに、知られたい』、こんな逆説は八幡の中になかったのだ。

「確かにおかしいことではあるな」と平塚は呟き、「でも」と続けた。

 

「その秘密の花園を見ても、外装だけは綺麗に塗装されて美しくて、でも一歩踏み入れたら中身は毒に冒された醜い花達に溢れて居る場所を見ても、受け入れてくれる人がいたら、この人になら知られてもいいって思えた人にはさらけ出してみたいんだ」

 

 平塚の顔は、いつになく真剣な表情に変わっていた。その言葉は一朝一夕のものではなくて、ずっしりと重く固い芯があった。普段から高校生離れしている彼女だが、その言い種、仕種が余計に年不相応の印象を醸し出している。

 八幡はその様子を見て、その言葉を聞いて、開いた口が塞がらなかった。

 だが、平塚の言うことは分からなくもなかった。

 というより、痛いほど分かった。

 自分の中にも()()()()()()()()()を、たった今、知ったのである。

 誰にも見られたくないもの、言えないことを好意的に、同情ではなく本心で真摯に受け止めてくれる人がいたらどれだけ心強くて喜ばしいのだろうか。八幡にはそもそも家族以外の他人と親しい関係がなかったから、こんな願望に気づく余地すら今までなかった。()()()()()()()()のである。

 それを、たった今他でもない平塚に気付かされたのである。

 

 そして、そんな奥底に閉じ込められていた願望に気づいた今、自分が()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに八幡は気づいた。

 私的な感情を抱いている。期待をし始めている。勘違いをしかけている。もっと知りたくなっている。もっと自分から進んで関わりたくなっている。そして、知ってほしくなっている。きっと自分が傷つくことになると分かっているのに。

 今までは、相手の都合に合わせる、適度な距離感を保つ、自分からは動かない、そんなロボットでいるだけでいい、と割り切れたはずなのに、彼女を見る度に、彼女と話す度に、彼女を知る度に、それがどんどんできなくなっていく。不思議なほど簡単なことであるはずなのに。

 考えてみれば前々からそうだったのかもしれない。ただ、「こうでなければならない」という極めて理性的な制御装置が、ひたすら無理やりその感情を押さえつけ、奥へ奥へと押し込んでいたのである。

 

 だが、今それを潜り抜けて、急にありとあらゆる火口から噴き出してきたこの感情は、今までの人生の中で、抱いたことが無い、初めての感情だった。

 「病は気から」とは正しくその通りで、八幡にとってその感情というのは、()()()()()()()だったのだ。そして気づいてしまったが故に制御装置など、あっという間に破壊されてしまった。文字通り、歯止めが効かなくなってしまっている。

 

 冷静ではなくなる八幡をよそに、冷静になった平塚は、「私、今とても恥ずかしいことを言ってしまったな。忘れてくれ」とため息を吐いて自嘲気味に苦笑する。

 そして、平塚はおもむろに制服のスカートのポケットの中から携帯を取り出して、時間を確認する。

 

「お、もうこんな時間か。比企谷もよく考えたら病人だし、早くお暇しなくてはだな」

 

 携帯を閉じて、ポケットに再びしまい込むと、カバンのチャックを閉めて、平塚は急ぐように椅子から立ち上がった。

 

「じゃあな、比企谷。お大事に」

「……あ、あぁ、今日はわざわざありがとな」

「ほんとだ。このお礼はお高くつくからな」

「いや、このお見舞い自体がお礼じゃなかったっけ?」

「まったく、そこは男らしく『あぁ、分かった』と言うところじゃないか」

「残念ながら、俺はその論理が通用する相手じゃないんだよ」

「ぷっ……あはは!」

 

 平塚は吹き出すように笑った。「すっかり忘れてた」と笑いながら答えると、平塚は八幡に背中を向けて、扉に向かう。

 その濡れ羽色の黒髪が重なる綺麗な背姿を見送ることになるが、八幡の心の中はいまだにぐちゃぐちゃに掻き乱されているままだった。この未知の感情に気付いてしまった今、この先平静を保ち、ロボットらしく振る舞うことなどできなくなることは明白であるのだ。そして、この感情という名の酷く利己的な欲望を満たすために必要なことは、きっと明確かつ強固な親しい関係を構築することだということにも気付いていた。

 ロボットのように代替可能ではなくて、代替不可能な唯一無二の存在になることで、初めて満たされるのだ。

 世間の人が当たり前のように使う、八幡にとっては当たり前ではない関係。

 では、どうすればそんな関係になれるのか。

 それはきっと今八幡が、平塚に伝えるしかない。

 

 しかし、できない。

 

 なぜなら単純に、勇気がなかったからだ。

 失敗してきた過去が、そんな関係を結んだ他人を作ることができなかった過去が、今八幡の背中に何重にも積み重なって、重く重く何よりも重く、手を弛めることなく全てがのしかかってくる。

 

 あの時も、

 

『お前、ここ使うなよ。ここは今から俺らが使うから』

『じゃあ、一緒に……』

『お前は──じゃねぇんだから、無理に決まってるだろ。お前はあっちで一人で遊んでやがれ』

 

 あの時も、

 

『ねぇ、──になってくれない?』

『ギャハハハハ! お前なんかと──なんてなれる訳ないだろ!! ヒキガエルはカエルとでも遊んでれば?!』

 

 あの時も、

 

『あの子、いっつも独りだよね〜』

『──いないんだ〜。可哀想だね〜』

 

 あの時も、

 

『比企谷と──? ムリムリムリムリ?! だってあいつ気持ち悪いんだもん、なんか急に会話入ってきて、求めてねぇこと喋ってくるし、空気読めないし。あいつと喋るくらいなら、ASIMO君、だっけ。絶対、あのロボットと会話してる方がマシだろ!』

 

 あの時も、

 

『ていうか、そもそも比企谷君と──にすらなったつもりになんかないんだけどな、え、と、勘違いさせてたらごめんね。……っていうかメアド交換しただけで、そんなこと思っちゃうんだ……。あっ……、ごめん、全然、そういうつもりじゃ、気にしないでいいからね……』

 

 ここで拒絶されれば全てが終わる。こんな過去の経験達が、それだけは懇切丁寧に教えてくれるのだ。

 だが、伝えなければ、明確な関係を結べなければ、恐らく平塚静は、遠くないうちに八幡の元から離れていく。それはどうしても嫌だった。

 

 八幡が人知れずそんな葛藤を繰り広げる間に、平塚は扉に手をかけていた。だが、最後に平塚は「言い忘れてたことがあった」とこちらに振り返り、

 

「明日は、絶対学校に来るんだぞ!」

 

 と告げる。そして、続けざまに、

 

「君がいない学校は退屈だからな!」

 

 嘘偽りのない笑顔で、八幡に言った。平塚にとっては何気ない一言なのかもしれないが、八幡の胸はボッと熱くなり、グッと背中を押し、とても大きな一歩を踏み出す勇気を与えることになった。

 

「な、なぁ……!」

 

 想定以上に大きく上擦った声が出てしまい、その呼び掛けに平塚も胸を突かれた様子だった。その様子を見て、引き返したくなったが、覆水は盆に返らない。ここまで踏み出してしまったら、もう進むしかなかいのだ。

 

「ど、どうした比企谷……?」

「あのさ、別に無理ならいいんだが……」

 

 心臓の拍動が、異常な程に高鳴る。恐らく今までの人生で一番。ばくんばくんと。

 

「俺と、その、……」

 

 言葉につまる。中々出てこない、あの言葉が。

 

 ──ここでこそ、()()()()だ。

 

 そう強く強く言い聞かせて、腹を決める。

 喉が痛くても、呼吸を大きく吸って──、

 

 

 

 

「俺と()()になってくれないか────?!」

 

 

 

 

 言い終えた瞬間、ギュッと目をつぶった。きちんと言えたのかも分からない。きちんと伝わっているのかも分からない。心臓の鼓動は、収まることなく、むしろ先程以上にばくばくと破裂しそうな程に暴れている。

 全く時間はたっていないだろうが、一秒にも満たないほんの僅かな沈黙ですらも、永久の長さに感じる。そしてまだ平塚の返答が来ないことで、余計に心臓は暴れ、瞼を閉じる力も強くなる。

 

「馬鹿か、君は」

 

 どくん、と、心臓がここで最も大きな一拍を鳴らした。

 だが、その呆れるほど簡単な言葉によって、まさしくグサリと一突きされたように心臓の拍動は収まった。目の力みも一瞬で解ける。だが、平塚の顔を見れなかった。ただ陽が差さない向日葵のように下を向くしかなかった。

 

「はっ、はははっ、そうだよな……」

 

 安心と、それ以上の諦めと、さらにそれ以上の後悔で心の中で無数の自嘲が止まらない。新たな失敗、つまり黒歴史の一頁が今確かに、ここで刻まれようとしている。

 所詮自分は、平塚にとってのロボット。

 やっぱり、壊れたロボットは捨てられるのだ。

 

「そ、その、忘れてくれ……」

「全く、やっぱり馬鹿だな、君は」

 

 平塚は一呼吸置いて言った。

 

 

「とっくのとうに()()じゃないか、私たちは!」

「……え?」

 

 とてつもなく大きな泡を食わされた八幡が、黒目を右往左往させて、やっと捉えた平塚の顔は、これまた嘘偽りない笑顔であった。そしてそれは紛うことなき八幡へと向けられている。

 

「なんだ、君は私の事友達じゃないと思ってたのか?」

「いや、でも……」

「まぁ、確かに当たり前すぎて言葉にしたことはなかったな。では、ここでハッキリさせておこうではないか!」

 

 平塚は、八幡の瞳を捉えて離さないほど真っ直ぐ見つめ、八幡に向けて伝える。

 

「私、平塚静と君、比企谷八幡は、正真正銘の友達だ!」

 

 平塚は八幡のもとに歩み寄り、目の前にすっと、手を伸ばした。

 これの意味がわからない八幡ではない。

 八幡も手を伸ばし、互いの掌をギュッと合わせる。

 その瞬間、平塚の柔らかく優しい手の温もりが直に感じられた。そして、それは瞬く間に全身につたわり、今まで体験したことないほどの未知なる熱が一瞬にして八幡を支配した。

 そして、その手はどちらからともなく自然とほどかれる。そこにもの寂しさなどは八幡は感じなかった。確かな熱がこの身に伝わり、まだ残っているからだ。

 

「よしっ、比企谷、これからも、よろしくな!」

「あぁ、……よろしく頼む」

 

 こうして、平塚静という初めての正真正銘の友達は、八幡の中で、決定的に、他の人とは違うかけがえのない特別な人になったのである。

 

 

 

 △▼△▼△▼△▼△▼

 

 

 

 風邪の余熱か、はたまた先刻の余熱か。

 平塚が去った後も、ほとぼりが冷めない八幡は、ベッドで横になって、ただ訳もなく天井を見つめていた。実を結んだ勇気は、達成感となって我が物顔で懐の奥深くに居座っているが、今し方は目を瞑ってやることにした。今までの比企谷八幡にできなかったことをやってのけたのだ、それぐらいは許してやってもよかった。

 ふと、机の上のリンゴが目に入った。その一切れを手に取り、すぐさま齧る。ひときわ甘く感じる。しかし、妙な舌触りがあり、リンゴをよく見ると、皮がところどころ中途半端に残っていた。小町はこのようなミスを滅多にすることはないので、珍しいと感じながらも、そのリンゴの一切れを口の中に入れる。

 そして、もう一つ机の上にある平塚が渡してくれた授業ノートのコピー一式を手に取る。いくら渡してもらったものとはいえども、勉強の類のものを見通すのは少し億劫だったが、なんとかそれは振り払って、一枚ずつ見ていく。とても丁寧な字で書かれていて、非常に見やすい。順に、数学、英語、日本史、そして最後に、国語のノートのコピーの最後のページの裏面を見ると、

 

『お大事に。明日学校で待ってます』

 

 と大きく、特に丁寧な字で書かれていた。似合わないと分かっていながらも、相好(そうごう)を崩してしまう。

 ちょうど、その時、八幡の部屋を尋ねる人が一人。それは、もちろんこの家に今唯一いる妹の小町だった。

 部屋に入ってくるなり、八幡のいるベッドに駆け寄り、ダイヤモンドにも引けを取らないほど目を輝かせていた。八幡は、小町が入ってきた瞬間に、その茶化されるであろうにやけ顔を元に戻し、枕の下に急いでそのプリントを隠した。

 

「ねぇねぇねぇ、お兄ちゃん、どういうこと?!」

「……何がだよ」

「そりゃあ、静さんのことに決まってるじゃん!」

 

 小町は興奮気味にまくし立てる。

 

「あんな綺麗でスタイルもいい人がお兄ちゃんをお見舞いしに来るなんてどういう風の吹き回しなのさ」

「ただ、話をするだけの仲だ」

「話をするだけって、そんなことでわざわざ家にまで来ないでしょ」

 

 まさしくその通りだ。こういう時に頭が切れるのは厄介極まりない。

 

「まぁ、確かに、そうだな……」

「お兄ちゃんさぁ、小町はそんな子供じゃないよ〜。ほらほら、本当のこと小町に教えて♪」

「……」

 

 言葉を詰まらせていると、「教えて教えて♪」と顔を近づけてくる。風邪がうつるからと、布団を被って顔を隠しても、「教えて♪」と連呼してくる。

 実は、こうなると親父より面倒くさいのは小町だったりするのだ。

 このままだと(らち)が明かないので、事の顛末(てんまつ)を話した。

 

「というわけだ。どうだなんか文句あるか」

「ひゃー、あの自己愛の塊のお兄ちゃんがそんなこと。ふ〜ん」

「な、何だよ。気持ち悪いな」

「ま、というか。静さん、お兄ちゃんの傘もって帰ってきてたし、静さんからも『妹から傘貸してもらうから大丈夫だ。お前はこれ使ってくれ』ってお兄ちゃんから言われて渡された。って話は聞いてたけどね。ちょっと信じられなかったから、一応確認してみたけど本当だったんだ! お兄ちゃん、意外と隅に置けないじゃん!」

「カマかけたな?! 性格悪っ!!」

 

 唐突に大きな声を出したものだから、ゴホゴホと咳き込んでしまう。

 

「そこは策士と言ってくださいまし〜。というよりも、お兄ちゃんがついたおっきな嘘を静さんに伝えなかっただけでも、ね……?」

「……サイゼのハンバーグステーキ」

「ね……?」

「……リブステーキ」

「はい、査収致しました!」

 

 小町は満面の笑みを浮かべる。八幡は、いいお嫁さんになるという言葉は撤回することに決めた。絶対に婿さんは小町の尻に敷かれることになってしまうということに気付いてしまった。

 

「ま、とりあえず良かったねぇ、お兄ちゃん!♪」

「だ、だから、そんなんじゃねぇって」

「とりあえず、小町はそっ、としておきます! あっ、今の小町的にポイント高いっ!」

 

 いつもの、かつ本日二度目の腹が立つお決まりの文句とお決まりのポーズを見せつけられて、苦笑いするしかない。

 

「それに小町、少し──」

 

 不意に口をもごつかせる。小町の口許がすこしだけ縦に歪んだように見えた。

 

「少し、なんだよ」

「……んふふ、何でもない。『乙女の秘密の花園』は秘密のままの方がいい時だってあるでしょ?」

「秘密の花園って、……まっ、まさか、小町、お前っ?!」

「じゃあ、とっとと治して、()()の静さんに元気な姿見せてあげなきゃだね!」

「や、やめろ!」

 

 

 八幡の慌てふためく様子を見て「あははは!」と、無邪気に笑う小町。だが、それも何だか憎めない。むしろ、今日はそのからかいすらも心地が良かった。それは、何のおかげかは言うまでもなかったのである。

 余熱はまだ残っている。あの時初めて溶け始めた氷の壁は、灯り続けているその火によって崩れ始めていた。

 

 

 

 








拙文を読んでいただきありがとうございます。
皆様からいただいている感想、毎回毎回とても励みになっております。
これからも是非、よろしくお願い致します。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。