私は歩夢が好きだ。
この気持ちに、変な意味なんてなかった。
彼女は常に私の隣にいた。いることが普通だった。だから、特別な親愛とか友情とかのそういう感情は通り越して、もはや自分の体の一部のようにさえ思っていた。
私にとって歩夢が隣にいるのは普通。
そして歩夢にとっても、私が隣にいるのは普通だった。
お互いがお互いになくてはならない存在。それが、私、高咲侑と上原歩夢の関係だった。
だったのに……。
「みんなー! ありがとうー!」
ステージの上で、観客を目の前に手を振る歩夢。
彼女は今、スクールアイドルとして大勢のファンを魅了する存在となっていた。
それを後押ししたのは、他でもない私だ。
私は、彼女の輝きを、可愛さを、もっと引き出したかった。もっとたくさんの人に知ってもらいたかった。
そして、その夢は叶ったと言えよう。
私の心を燃やした、スクールアイドルという存在に、彼女がなることで。
最初、そのことは私もとても嬉しかった。
彼女は可愛い。その可愛さが、どんどんと膨れ上がっていく。それが私にはたまらなく嬉しく、広がっていくのも喜びだった。
私と歩夢は共にそのことを喜んでいった。
彼女の自己紹介の動画の再生数が一つ増えるたびに祝った。
一緒にスクールアイドルをやっている虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の仲間達と共に、スクールアイドルをすることで得られる喜怒哀楽を分かち合った。
それは私にとって、かけがえのない時間だったと、間違いなく言える。
でも、変わってしまった。そう、私は変わってしまったのだ。
「みんな、お疲れさま!」
私は表面上満面の笑みを作ってステージを終えたみんなを迎える。私はあくまで裏方だ。
スクールアイドルとして輝くみんなを、影で支える柱……というのは、少し言い過ぎかもしれないが、まあそんな感じだ。
「ありがとう! 今日も侑ちゃんのおかげで頑張れたよ!」
歩夢が私に笑いかけてくれる。そのことで、私の心臓は早鐘を打つ。
「ううん! 今日の歩夢も最高だったよ!」
私は、私の中で生まれた“ある感情”を押し殺して歩夢に答える。
この感情は、外に出してはいけないものだから。
「ふふっ、そうやって笑顔で褒めてくれる。あなたは昔からそうなんだから」
でも、まるで太陽のような彼女の笑みを見ていると、私のそんな誓いはすぐに瓦解してしまいそうになって――
「あーっ、また侑先輩と歩夢先輩がイチャイチャしてますー! かすみんももっと褒めてくださいー!」
と、そこで後輩のかすみちゃんが割り込んでくる。
そんなかすみちゃんに、私は助けられる。
「うん! かすみちゃんも最高に可愛かったよ!」
だから私は、かすみちゃんにお礼の意味も込めて言う。もちろん、可愛かったというのもれっきとした本音だ。
「もうかすみさんったら、ふふふ」
「ラブラブの二人の邪魔しちゃいけないんだぁ~」
そんな私達を見て、せつ菜ちゃんと彼方さんが言う。
ラブラブ……その言葉に、私の胸はドキリとする。
本当に、そうなれたらいいんだけどね……でも、この感情はしまっておくべきものなんだ。
私はそう一人自分の胸に誓う。
そう、私は恋を……独りよがりな恋をしてしまったのだ。歩夢に対して、彼女を独占したいという、歪んだ感情を。
◇◆◇◆◇
「侑ちゃん、最近なんだか調子悪そうだよ? 大丈夫?」
「へっ!?」
あのライブが終わってから数日後、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の部室で私は歩夢に急にそんなことを言われた。
「調子悪い? 私が? は、ははっ! やだなぁ歩夢、そんなわけないじゃない!」
「……そう。それならいいんだけど」
歩夢は何か不満げな表情で私を見た後に、その場を離れていった。
いけない、いつしか態度に出ていた……? 気をつけないと。私の感情が知られたら、今までの関係でいられなくなる。
私はそれが怖かった。私と歩夢は、あくまで幼馴染、スクールアイドルを応援する側とされる側でなくてはいけないのだ。
それが崩れたら、多分私達は今まで通りではいられなくなる。
でも、私の心の中に芽生えた感情はそれを許そうとしない。
歩夢を独占したい。
歩夢を私だけのアイドルにしたい。
歩夢に、私だけを見ていてほしい。
そんな感情が、私の胸中でぐるぐる回っているのだ。
ああ、なんと厄介な感情だろう。こんな感情、どうして私は持ってしまったのだろうか。
こんな特別な感情さえ抱かなければ、ここまで苦しまずに済んだのに。
そんなことを想いながら私は、他のメンバーと話している歩夢を見る。
楽しそうに笑う歩夢。
――その隣は私の場所。
困って動揺する歩夢。
――その感情も私のモノ。
驚いて大きく口を開ける歩夢。
――その表情も私のための顔。
「……侑?」
「っ!?」
と、そこで果林さんに話しかけられて、私は我に戻る。いけない、また私が私じゃなくなっていたところだった。
「どうしたの? さっき歩夢が言っていたけど、本当に具合でも悪いの?」
「い、いえ……いや、そうですね。今日ちょっと早めに帰ります」
「……そうしなさい。あなたの元気な笑顔がないと、うちの同好会の色が一つ欠けたみたいだわ」
果林さんが困ったような微笑みで私に言ってくれる。ああ、彼女は優しい。
彼女のおかげで、私がすっかり私でなくなってしまう前に、自分を抑えることができた。
「ごめん歩夢、私ちょっと先に帰るね!」
帰る前に歩夢には一言告げておく。私と彼女の家は隣同士だから、こういうことは伝えておかないといけない。
「えっ!? 待って、私もついてく!」
すると、彼女が驚くことを言った。
いや、本来は驚くようなことじゃないか。だって、私も歩夢が病気で早退するってなったら、ついていくだろうから。
「う、うん! ありがとう、歩夢!」
だから私は、笑顔で彼女に返す。いつもの私は、歩夢の言葉を断ったりなんてしないから。
「…………」
すると、一瞬だけ歩夢が無言になった。
も、もしかして、私の気持ちがバレた……!?
私は動揺する。
「うん、帰ろう!」
だが彼女は、すぐに表情を元に戻して、帰宅の準備を始めた。
よかった……いつもの歩夢だ。私は安堵する。
そうして私達は帰り道についた。二人で、手をつないで帰る。いつもどおりの日常。いつもどおりの帰り道だった。
「…………っ」
でも、そんないつもどおりの行為ですら、私の心は収まってくれない。
体温がどんどんと上がっていく。激しく胸がざわめき立つ。
どうしよう、どうしよう。このままじゃ、私が私じゃなくなっていく。女同士なのに、そういう目で見ている、嫌われかねない私になってしまう。彼女を独占しようとする、私の嫌いな私になってしまう。
どうしよう、どうしよう……!
そんなことを、思っていたときだった。
「ねぇ、侑ちゃん」
歩夢が、私に話しかけてきたのだ。いつしかたどり着いた、家の玄関の目の前で。
「……何、歩夢」
私はできるだけ平静を保っている振りをして言う。顔は微笑み、声は落ち着いた様子で。
どうか、彼女にバレていませんように……。
「私に、何か隠し事しているよね」
「――――っ」
……土台無理な話だったんだ。
生まれ育ってからずっと一緒にいる彼女を、騙すことなんてはなからできなかったんだ。
その証拠に、歩夢は核心を持った目で私を見ている。真剣な眼差しを私に向けている。
「私、は……」
「ねぇ侑ちゃん。あなたが秘密にしたいって言うのなら、これ以上聞かない。でも、一度だけ聞かせて。何か、抱え込んでない? どうにか、私が力になれない? 私は、あなたの幼馴染だよ? だから、あなたの苦しみを、溶かしてあげたい。ねぇ、何を抱え込んでいるの……?」
……ああ、彼女はなんて優しいんだろう。
歩夢は、私の両の手を彼女の両の手で握って、まっすぐに私を見て言ってきた。
その眼差しが、その手のぬくもりが、私にとっては心から愛おしい。
あぁ……欲しい。歩夢が、欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。欲しい……!
「…………っ!?」
その瞬間だった。
私は、彼女の唇を、奪っていた。
それは一瞬の、しかし永遠に感じるほどのキスだった。
唇を話すと、歩夢は白黒した目で私を見ている。そうだよね。困惑するよね。いきなりこんな感情のぶつけられ方をされたら。
だってしょうがないじゃない。歩夢が可愛いんだもの。歩夢が愛おしいんだもの。歩夢の側に、これからもずっといたいって思っちゃったんだもの。
これも全部、歩夢が……。
「歩夢が悪いんだよ……!」
そう言って、私はその場から逃げ出した。マンションの廊下を走った。そしてそのままエレベーターに駆け乗り、一階に降りていく。
そのエレベーターの中で、私は胸を押さえた。
「はぁ……はぁ……!」
私、やっちゃった……! とうとう、自分を抑えられなかった……!
自分の行動に吐き気がする。自分のやったことに怒りを覚える。
あんなことをしなければ、私と歩夢は、今まで通りの最高の幼馴染でいられたのに……!
「どうして……私……!」
私は私がバカらしくなってくる。もう嫌だ。何もかも嫌だ。
そんな気持ちが、彼女を独占したいという気持ちと交互に去来する。
私は……私は……!
エレベーターが一階につく。私はそのエレベーターから飛び出て、走る。
「侑ちゃんっ!!」
すると、後ろから声が聞こえてくる。歩夢の声だ。ああ、優しい彼女のことだ。きっと、私を追ってきたんだろう。
でも、今の私は一人になりたい。歩夢、どうか私を追ってこないで……!
「――――っ!?」
そんなときだった。がなるクラクションの音が、私の耳に入ってきたのだ。
私はどうやら、左右を確認せずに道路に飛び出してしまったらしい。そして、ちょうど道路の向こう側からはスピードを抑えられない車が――
……ああ、これは、きっと私への罰なんだ。自分の歪んだ想いを抑えられなかった、私への――
「侑ちゃんっー!」
その瞬間、私は突き飛ばされた。
歩夢によって。そして、私がいた場所には、代わりに歩夢がいて、それで――
◇◆◇◆◇
「……先輩、来ましたよ」
その日、中須かすみは、都内にあるとある病院を訪れていた。
彼女が訪れた病室にいる人間、それは――
「あっ、かすみちゃん! 来てくれたんだ!」
笑顔の、侑だった。
「ねぇ歩夢、かすみちゃんが来てくれたよ! えっ? ダメだよ歩夢ーかすかすって言ったらまたかすみちゃんが怒るよー? ははっ、うんうんそうだよねぇ! ふふっ、そうだね、うん!」
侑、一人だった。
「先輩……」
そんな侑を見て、かすみは涙をこぼす。だが、必死に涙を拭って、必死に言う。
「先輩! 歩夢先輩は、今でも治療中でここにはいないんですよ……! そんなんで、どうするんですか……! 歩夢先輩が目を覚まして帰ってきたときに、笑顔で迎えられるんですか!?」
歯を食いしばって訴えかけるかすみ。
だが、その言葉は侑には届かない。
「えっ? やだもうかすみちゃんったら! 大丈夫、かすみちゃんもかわいいよ! ねっ、歩夢! はははっ!」
侑は笑う。笑い続ける。そんな彼女を見て、かすみは自分の無力さにその場に膝をついた。
一方で、侑は幸せだった。
すべての事を忘れ、今、彼女は愛しい歩夢と二人きりの時間を、ずっと過ごしているのだから。
彼女は今までの辛さや苦しみ、そして本当の喜びを思い出すか否か。
それを握る歩夢は、今でも瞳を閉じたままである……。