第二十四話 準備の段階で勝敗はほぼ決まるんだよ。
新戸が珠世に製薬を依頼してから、三日後の夜。
鬼側の情報を鬼殺隊に流す間諜としての活動をしている童磨から、緊急速報が流れたことで産屋敷邸には柱達が全員終結していた。
「つい先日柱合会議を開いたばかりだってのに、今度は緊急の柱合会議かァ?」
「ああ! 何でも、お館様が上弦の弐から緊急の報せを受け取ったとのことだ!」
「珠世さんも呼ばれているあたり、やはり……」
「はい、おそらくは鬼舞辻に関する情報かと」
何気に馴染んでいる珠世の言葉に、柱達は唸る。
鎹烏を通じて受け取ったのは、「上弦の弐より緊急の報せあり。至急産屋敷邸に集結せよ」のみであり、実際のところどういった内容かは誰も知らない。しかし無惨と敵対する珠世も招集されているため、鬼側の動きに変化があった可能性があるのは確かだ。
なのだが……一人だけ未だ駆けつけてない者がいた。
「……ところで、新戸さんは?」
「あの馬鹿の所在なんざ知るかよォ」
「そもそも鬼である上、俺が柱になる前から人望が御粗末な男だぞ? しかも賭場に出入りして、最近は吉原にも顔を出してるんだぞ? そんな信用できない奴を待ってどうする」
「奇遇だな、俺も同じようなことを思ってたぞ鬼狩り。珠世様を待たせるなど言語道断!」
方向性は違うが、伊黒と愈史郎は似たような意見を述べる。
他の柱達も、新戸の自由気ままさに呆れ果てている。
そこへ、耀哉の娘であるひなきとにちかが姿を現した。
「お館様のお成りです」
『!!』
「いきなり呼んですまなかったね、私の
耀哉がゆっくり正座すると、一同は気を引き締める。
が、その直後にガヤガヤと廊下から喧騒が響いた。
「童磨、お前何やらかしたの? 下手に動いて〝連中〟刺激すんの困るんだけど。今は特に」
「いやいや、俺はただ情報を送っただけだよ。別に鬼狩り達の井戸端会議に興味は無いさ」
「ここが鬼狩り共の根城? 辛気臭い所ね、息が詰まるわ!」
「いいところに住んでんじゃねぇかよおぉ……妬ましいなあぁ……!」
声が近づく度に、圧迫感が大広間に襲い掛かる。
鬼狩りの長に恥じぬ胆力を持つ耀哉だが、表情はどこか険しい。柱達は警戒心を最大に高めており、ビリビリと殺気立っている。中にはいつでも斬れるように刀の柄に手を添えている者もいる。
そして、大広間の手前の襖の前で、足音は止んだ。
「……何か殺気立ってんな。これ襖開けた途端に攻撃されるかもしれねェから、童磨から入って」
「旦那ぁ、童磨様に何か恨みでもあんのかぁ?」
「いや、もしかしたらしのぶが突っ込んでくるかもしれねェし」
「しのぶちゃんが!? そうであってほしいなぁ、俺は歓迎するよ」
童磨の嬉しそうな声色に、柱達は顔を見合わせ、下手に出ると面倒な事になると判断して殺気を解いた。
耀哉もまた、「新戸がいるなら大丈夫そうだ」と表情を綻ばせた。
「おーい、殺気解けたから入るぞ」
ガラッと障子を開けて中に入る新戸。
その直後に童磨が入るが、問題はその後に入った二人だった。
一人は、ボサボサの髪と陰気で血走った目付き、ギザギザした歯が特徴の男。肋骨や腰骨が浮き出た痩せ細った体型で、血の染みのような痣が顔や体のあちこちにある。
もう一人は、毛先が黄緑色で露出度の高い衣装を纏った、白い長髪の美女。右額や左頬には花の紋様が、全身にはヒビのような紋様が浮かび上がっており、危険な雰囲気を醸し出している。
そして何より、二人の左目に「上弦」、右目に「陸」の文字が刻まれている。それが表す事実は一つ――目の前にいる二人は〝上弦の陸〟であるということだ。
「……新戸、貴様さては嘘を言ったな? 言っただろう、そうに決まってる。上弦の鬼は弐と陸の二体のはずだろう、なぜ三体目がいる」
「は? 俺「こっちに与する上弦の鬼は二体だけ」って一言も言ってねェぞ」
何を言ってんだコイツ? とでも言わんばかりの目で伊黒を捉える新戸。
口どころか目線だけで煽ってくる新戸に、伊黒のこめかみに青筋がビキッと浮き出るが、ここはお館様の手前。グッと堪えた。
「まあ、色々言いたいことあるだろうけど、この二人が〝上弦の陸〟だ。ガリガリの方は妓夫太郎お兄ちゃん、あられもない姿の方は堕姫こと梅ちゃんだ」
「ちょっと新戸、あられもない姿ってどういうこと!?」
新戸の直球すぎる紹介に、堕姫はムキーッ! と癇癪を起こした。
子供っぽい一面をいきなり見せた上弦の片割れに、ギョッとする一同。
「あられもない姿は、あの桜餅の方でしょ!! どう見てもあばずれじゃない!!」
ビシッと甘露寺を指差す堕姫。
あばずれ呼ばわりされた甘露寺は心外!! とでも言わんばかりの表情で抗議するが、彼女より先に怒りの声を上げた者がいた。
「貴様っ!!! 鬼風情が甘露寺を悪く言うな!!!」
「いや、何でお前が反論すんだよ伊黒。普通
「なっ……ちが、俺は……か、勘違いするな下郎が!!」
「思いっきり図星の反応してんじゃねェか。答え言ってるようなモンだぞ」
畳み掛けるズボラ鬼に、蛇柱はついに撃沈。
顔を真っ赤にして蹲る伊黒を、甘露寺は心配そうに見つめている。
「……で、アンタが鬼狩りの首領かあぁ?」
「ああ。鬼殺隊の現当主・産屋敷耀哉だ」
「ヒヒ、そうかあぁ。旦那に紹介してもらったけど、俺は妓夫太郎で、こっちは妹の梅だぁ」
よろしく頼むぜえぇ、と妓夫太郎も悪い笑みを浮かべる。
が、当然二人を信用する者などおらず。柱達は警戒の眼差しで睨みつけている。その気迫に、堕姫は思わず息を呑む。
「俺達はそこの大馬鹿とは違って、てめェらを信じちゃいねェ。鬼舞辻の罠の確率の方が
「視界の共有は、我々も承知している……新戸が鬼殺隊に属して15年以上経った今でも、敵に攻め込まれてない以上、今もなお鬼舞辻は本部の所在を知らぬままだろう」
「だからこそ、てめェらが胡散
宇髄の一言に、一同は頷いた。
新戸は珠世と童磨を介し、無惨の「呪い」を解明して本部に周知させている。もし新戸が無惨の支配下であれば、鬼殺隊はすでに滅んでいるが、そういう事態になってないということは、少なくとも情報は漏洩していないことが証明させている。
だが、上弦達は違う。無惨が新戸すら欺いて、部下を間諜として潜り込ませている可能性が否定できないのだ。
しかし、その言葉は意外にも本人達が否定してきた。
「俺達は
『!!』
「……どう? 信じる信じないは別として、あたし達があの臆病者の支配下じゃないってことは証明できたでしょう?」
二人の言葉に、柱達と産屋敷家はおろか、珠世と愈史郎も驚愕する。
上弦の鬼が本当に無惨の支配下から外れただけでも驚くべきことなのに、何とかつての主君から解放されるや否やボロクソに言っている。
これが素の性格なのか、無惨の支配から解放された反動なのか、詳細は不明だが……少なくとも無惨と縁を切れたことが嬉しいと感じているのは事実だ。
「まあ、吉原離れるのは少し寂しいけどなあぁ」
「吉原って、それ俺の嫁の潜入先じゃねェか!! 派手に俺達の努力が全部パーになったじゃねェか!!」
吉原に巣食う鬼を殺しに来たのに、その鬼が吉原を離れて自分達に与すんのかよ!
宇髄はジト目で新戸を睨むが、当の本人はしらばっくれている。
「それにしても、新戸さんスゴいわ! 上弦の鬼は、鬼舞辻への忠誠が強いはずでしょう?」
「ああ、いきなり大量に取り込ませると怪しまれるからな。童磨を通して俺の血を
「旦那ぁ、アンタ誰か毒盛って殺したことでもあんのかあぁ?」
新戸の狡猾な手口に、真顔でツッコむ妓夫太郎。
童磨は「彼も腹の中真っ黒だからね~」と耳打ちしている。
「それにしても、新戸さんってどういう脳味噌してんの?」
「うむ! 上弦の鬼を三体も与させるなど、正気の沙汰ではないな!!」
「……成程、お前らにはそう見えるんだな」
無一郎と杏寿郎の言葉を聞いた新戸は、右手の人差し指をピンッと立てて口を開いた。
「戦略や戦術ってのは〝逆算〟と同じだ。一つの結果に到るまでの手段を
『……!!』
「本番ってのは、それまでの努力が反映されるだけじゃねェ。今まで準備してきたモンを出す場でもある。準備してきたモンを多く持ってれば持ってる程に戦いが楽になる。もっとも、その準備してきたモンも〝出し方〟を考えねェと意味ねェけどな」
勝負というモノは、準備の段階で勝敗はほぼ決しているも同然。戦闘が始まってから策を練るのではなく、いかに下準備を整えて万全の体勢をとるか。
己の持論を語る新戸に、一同は目を見開く。
「……まあ、正論っちゃ正論だわな。地味に腹が立つけどな」
忍者の元頭領という経歴ゆえ、戦術指揮官としての才覚を持つ宇髄は同意する。
「何だ、わかってんじゃねェか天元。女房三人を部下にしてるだけあるな」
「――ハアァ!? あんた嫁三人もいるの!?」
「ふざけるなよなぁ!! なぁぁぁ!! 許せねぇなぁぁ!!」
新戸がバラした宇髄夫婦の事情に、発狂に近い様子で怨嗟の声を上げる上弦の陸。
これには童磨も「奥さんってそんなに必要?」とボヤいた。
「……新戸、いい加減に話を元に戻したいんだけど」
「あ? ああ、そうだったな」
耀哉の凄みのある声掛けに、「そうカッカすんなって」とテキトーな態度で新戸は応じる。
「……童磨、早く教えてくれや。俺も知らねェで来てんだから」
「そうだね。これは俺達にも直結するからね」
童磨は冷たい瞳を浮かべ、衝撃の事実を告げた。
「下弦の鬼が、壱を残して全て無惨様に粛清された」
『!?』
「那多蜘蛛山の累君を君達が討ったことで、下弦の鬼の無能さに無惨様はひどくお怒りになったのさ。まあ、あの子は下弦の中では無惨様のお気に入りだったから、八つ当たりもあっただろうけどさ」
童磨が提供した情報の中身を聞き、顔を顰める一同。
忠誠を誓う者すらも平然と切り捨てる無惨の冷酷無情さに、胸糞悪い様子だ。
「下弦の壱の名は〝
「うわ、それセコいな。よりにもよって一番嫌な戦い方する奴じゃねェか」
「それ君が言う? 卑怯を極めてるじゃないか」
「てめェ何を履き違えてんだコラ。俺の卑怯は作法だ、ワカメ頭の奴隷共と一緒にすんな」
青筋を浮かべて抗議する新戸。
そのやり取りに実弥は「どっちも同じだろうがァ」と冷たいツッコミを披露した。
「しかし! 下弦の鬼が減ったのは、我々にとって有利ではないか!?」
「……」
高らかに声を上げる杏寿郎に、新戸は目を細める。
炎柱の一言を機に、柱達は明るい表情を浮かべた。
「確かにな! 隊士の質が落ちてる今、向こうが自減してくれるのは派手に嬉しい限りだ」
「我々を甘く見てるとも受け取れますが、こちらの戦力が削がれずに済むのは幸運ですね」
「……全くだ」
柱達は意気揚々とするが、二人だけ浮かない顔をしていた。
新戸と耀哉だ。
「……耀哉、お前どう考えてる?」
「そうだね……中々大胆な手を打ってきた、といったところかな」
「だよな~……」
神妙な面持ちの両者に、一同の視線が集中する。
チャランポランでズボラな新戸も、広い心を持った慈悲深い人格者である耀哉も、互いに非常に柔軟で強かな策士の一面を持ち合わせている。厳密に言うと実戦での兵法に秀でているのが新戸、大局を見据えた交渉術に秀でているのが耀哉という感じだが、いずれにしろ策士としての共通認識を持っている。
二人の視点から見れば、下弦の鬼の解体はいい方向とは言い切れないのだ。
「お館様、新戸さん、お二方の見解を知りたいわ」
甘露寺の言葉に、耀哉は口を開いた。
「私も新戸も同じことを考えている。――下弦の鬼を解体することで上弦の鬼に力を集中し、鬼殺隊の成長の要因を絶つ、とね」
「平たく言えば、柱を生ませているのは中途半端に強い下弦の鬼ってこと。いい塩梅の練度だから踏み台としても完璧だし」
清々しい程の前座扱いに、上弦達は苦笑い。
彼らも内心ではそう思っているようだ。
「つまり、次の柱を生ませないようにしたということか」
「察しがいいな。――まあ、手遅れだけどな」
ニィッ……と、新戸は見るからに極悪人のような笑みを浮かべた。
「考えてみろ、弐と陸がすでにこっちに付いてるんだぜ? この時点で向こうの最高戦力を二つ奪えてんだ。これだけでかなり楽になる。まあ、栄次郎が気掛かりだけどな」
「そうそう、粛清された下弦達は栄次郎君に吸収されたよ」
「んなっ!?」
童磨の一言に、新戸は絶句。
目の前の上弦と比べれば遥かに劣るものの、下弦の鬼は鬼の中では精鋭とされる部類。栄次郎はその血肉を喰らい、力を付けているのだ。そんな芸当が新参の鬼に許されるのは、無惨のお気に入りである証拠か、あるいは無惨の命令だが……少なくとも、栄次郎は柱に匹敵する強さになっている可能性がある。
下弦の鬼達よりも、栄次郎一人の方を選んだ無惨。その真意には、一番目障りな存在である新戸への嫌がらせもあるかもしれない。
(ってなると……成程、今のトコの戦況が何となく読めてきたぞ……)
新戸は戦略家として、戦況を分析した。
(現状、無惨側の戦力は本人と上弦に加え、強化された下弦の壱と栄次郎……同族嫌悪の呪いから考えると、〝本隊〟はせいぜい十人。童磨達は間諜で動いてくれるから、情報戦は俺達が優勢。一方で全国に散らばる鬼達の頭数がわからねェ以上、人海戦術を使わされると不利か)
数多の鬼を葬った柱九名に加え、寝返った上弦の弐と陸、そして珠世一派。
対するは、鬼の始祖と忠誠心が厚い方の上弦、強化された魘夢、そして裏切り者の栄次郎。
主力で考えれば鬼殺隊が若干優勢だが、無惨がその気になればいくらでも鬼を作れるため、総兵力で言えば鬼が確実に優勢。数で物を言わせられるとかなり厄介である。
だが、長い時を過ごした中で無惨は一日たりとも人海戦術による鬼殺隊包囲網を敷いてないあたり、そういった策略は思いついていないようだ。
(……どうやら考えをまとめ始めているようだね)
真剣な目付きで顎に手を添える新戸に、耀哉は視力を失った目を細めた。
「三人共、貴重な情報をありがとう。鬼舞辻討伐の為、大いに利用させてもらうよ」
「構わないよ。ただ、しばらくは無惨様の方に居させてもらうけど、いいかい?」
「異論はないよ。三人が鬼殺隊に与していると勘づかれるわけにはいかないからね」
――ひとまず、今日はここでお開きとしようか。
耀哉はそう宣言し、緊急の柱合会議を終わらせた。
産屋敷家と柱達、珠世と愈史郎が大広間を出ていき、残されたのは新戸と上弦達となる。
「何とか頸の皮一枚繋がったな」
新戸は懐から「GOLDEN BAT」と記された箱から煙草を取り出し、咥えて火を点けた。
「……一本どお? これ買ったばっかだから本数余裕あんだけど」
「じゃあ、頂こうかな」
「梅の分もくれぇ」
煙草を渡され、上弦達も
全集中するかのように煙を吸い、肺の中に入れて味わい、長く息を吐く。稀血を口にしたような心地よい高揚感に、不思議と笑みを溢してしまう。
新戸の血を盛られた三人は、人の血肉を受け付けず、人間と同じ食事で事足りる体質となったが、元の血の持ち主が
「……で、これからどうする気なんだい?」
「魘夢っつったっけ? まずアイツを始末する。そうすりゃあ向こうが勝手に上弦寄越す可能性が高まる。ただ
鬼殺隊としては、上弦討滅は何が何でも成し遂げたいところだが、新戸はそれをよしとしない。誰か討ち取れば、必ず誰かがその席を埋めるからだ。
それだったら、ある程度泳がせて席を埋める機会を奪う方が手っ取り早い。幸いにも下弦は壱以外は全滅、現時点で席を埋めるであろう猛者は栄次郎のみ。新戸個人としては「いい流れ」であった。
「勝つ見込みはあるの?」
「ある。……って言いてェが、向こうの出方に合わせるしかねェのが本音だ」
上弦だけであればともかく、栄次郎という不確定要素がある以上、新戸は大勝負に出れないと語る。
しかしその目は鋭く、虎視眈々としていた。
「〝頭を使う〟ってのがどういうことか、見せてやるよ」
そう宣言する新戸は、獰猛さを孕んだ笑顔を浮かべるのだった。
【ダメ鬼コソコソ噂話】
新戸は喫煙・飲酒・博打が趣味であるが、栄次郎は技の開発が趣味。
栄次郎は禁欲的な性格なので、道楽的な新戸とは決して相容れない。