「いでよ肉牛! そしてジャーキーを授けたまえ!」
蝶屋敷からほど離れた山の中、ノリノリで意味不明な呪文が響き渡った。
今まさに真菰の目の前で行われているのは、人智を超えた外法の儀式。鬼が駆使する血鬼術にも似た、しかしまったく異なる奇跡のひとつ。
師の足元にあるのは、地面の上に敷かれた敷物。円を基調とした幾何学的な模様が描かれている。四隅には何かの動物の頭蓋骨が置かれ、何とも言えない不気味な雰囲気を醸し出していた。
そして何よりも特異なのは――――その敷物に描かれた図形が眩く発光し始めたところだろう。
「――――っ」
目を細め、手を翳さなければまともに見ていられないほどの強い光。渦巻く風が激しく真菰の髪を嬲り、頭の狐面を持っていかれそうになって慌てて押さえる。
そんな弟子の様子を一顧だにせず、相模は険しい目つきで敷物に起きた変化を睨みつけ、祈るように手を組み合わせている。
そうして、やがて風が収まり、光が弱まる。眩まされていた視界が像を結び、真菰は目の前の光景を直視した。
敷物の上で起きた異変、それは――
「チュウ?」
小柄な体躯に茶色い毛並み、つぶらな瞳と膨らんだ頬が実にキュート。
明治の末期には一般的ではない、しかし害獣として知られる
「
こてん、と無垢な瞳で術者を見上げるハムスターをよそに、落胆した態度を隠しもしない相模。
敷物の四隅で重石にしていた頭蓋骨をてしっと蹴り飛ばし、洗濯物でもするかのように敷物を大きく羽ばたかせた。一緒くたに撥ね飛ばされたハムスターがキューキューと悲鳴を上げる。
慣れた手つきで儀式の跡を片付ける姿は、抽選に落ちた博徒のような煤けた雰囲気すら醸し出していた。
「これで四連続はずれ。期待値的にそろそろ来てもおかしくないんだけどなぁ……」
「毎度見てますけど、本当に理屈がわからないですね、それ」
相模が『召喚』とやらを真菰を観客にしてやるようになってから半年ばかりが経つ。それまで相模は人目を忍んで単身山の奥に忍び込み、夜半過ぎに儀式を終えて帰還するのが常だった。
それを見咎めた真菰が彼女のあとを尾け、儀式を目の当たりにしたときはそれはもう驚いたものだった。鬼の血鬼術以外に不可思議な奇跡の類が存在するとは露とも思わなかった。
御一新のあと何年かしてから廃止にされた陰陽寮のように、ともすれば陰陽師の扱う式神とはこういうものなのかもしれない、と奇妙な感慨すら覚える。
尾行に気付いていた相模から叱責を受け、「見たい時は見ればいい」と言質を得てから今まで、真菰は何度かこの儀式に居合わせている。
「……理屈がわからないのはこっちも同じですよ」
未だに全集中の呼吸を習得できていない相模は憂鬱そうに溜息をつき、折り畳んだ敷物を懐に仕舞い込んだ。
ちなみに頭蓋骨は放置である。本当に適当に拾ってきた敷物の重石であるらしい。あとは若干の験担ぎだとか。
チュウ、と甲高い鳴き声。見下ろせば相模の足元には先ほど生み出されたハムスターが、くりくりと無邪気な瞳でちょこんと鎮座していた。
まるで命令を待つ犬のような仕草になごみそうになるが、当の相模は邪険そうに足を振ってハムスターを追いやる。
「しっしっ、用が出来るまでそこらへんで適当に遊んでなさい。仲間ならたくさんいるでしょ、ほら」
「あれって仲間なのかなぁ……?」
この儀式で相模が呼びだす獣は三種類。ハムスターと、鴉と、そして牛だ。
牛が出てきたら即座に首を刎ね飛ばし四肢を斬り落として燻製の用意を始める。手際が良すぎて若干引くくらいだ。それを鼻歌まじりにスパーンとやってしまうのだから、彼女の感覚はどうしようもなくずれていた。
鴉とハムスターは特にどうこうすることなく放流する。その場にとどまりたがる一羽か一匹をぞんざいに扱って適当に逃がしてしまうのだ。
おかげで相模の周辺には彼女に召喚された鴉とハムスターが大規模な群れをつくり、任務で移動するたびに群れまで大移動が発生するという傍迷惑な事態が起きていた。
鎹烏も迂闊には寄りつけず、どうにか行き交いに慣れたのは相模と真菰の鴉のみという有様である。まさかこんなことで報告のやり取りに難儀する羽目になるとは。
いい加減増え過ぎてきた鴉とハムスターを指して真菰は言う。
「アレ、本当にどうするんです?」
「うっちゃらかして大丈夫です。ちょっと大山鳴動して鼠一匹ってなるだけで」
それが問題なのでは。
咄嗟に浮かんできた疑問を呑み込む真菰。そんな様子を察したのか、相模はひらひらと手を振って適当な顔で笑った。
「なに、そのうち役に立つこともあるんじゃないかな。馬鹿と鋏は……っていうでしょ?」
✿ ✿ ✿
「はい、これドーゾ!」
「は?」
どさり、と目の前に置かれた黒い肉塊。それは干し肉と呼ぶにはあまりにも大きく、重々しく、ひたすらに無骨だった。
いきなりブロック単位の干し肉を持って来られてもどうすればいいのか。
あまりの非常識に言葉を失ったしのぶに、下手人は気にした風もなくヘラヘラと笑って、
「性転換薬はダメみたいだから、今度は王道を持ってきました」
「まず最初に変化球を持って来ないでくれます? というかなんなのよこれ?」
「ビーフジャーキー……干し肉です」
見ればわかるわそんなこと。
しのぶの無言の非難を浴びた相模は、肩をすくめて言った。
「まあまあ、話は最後まで聞いて。――このジャーキーは特殊な製法で作られていて、そんじょそこいらの干し肉とはわけが違う。何とこのジャーキー――――体力値を2も上げてくれるんです」
「は?」
しのぶの目つきが険しくなった。また意味不明な単語と数字を撒き散らして、遊びに来たのかこいつは。
しのぶの内心を知ってか知らずか、相模は調子づいた様子でまくし立てる。
「わかります? 2ですよ2! ウイセーユみたいなレアアイテムならまだしも、こうして量産可能な食品でこの数値は他にない。イススィールから遠く離れて効果が落ちてるにしても体力上昇効果は実証済み! これはもう試してみるしかないんじゃないかなぁ……!」
「そうですか、良かったですね。私はこれから鍛錬がありますので失礼します」
「あれえ、食いつきが悪い……?」
付き合ってられるか、と言ってやりたい。
つっけどんに突き放したしのぶは立ち上がると、部屋に相模を残して立ち去ろうとして、
「――――ちなみに」
追い打ちのように背中にかけられる相模の台詞。
「これを一年食べ続けた真菰ですが……狭霧山の大岩、片手で寸断できるようになったそうですよ」
「――――ッ!?」
思わず立ち止まったしのぶを責められる人間はそういまい。
――狭霧山の大岩。
鱗滝左近次が弟子に課す最終選別に向けた最後の試練。
身の丈を超える大きな岩を一刀のもと両断出来て、はじめて鱗滝門下は修了を申し渡される。
真菰自身、岩を斬ったからこそこうして鬼殺隊に入れたわけで。彼女が斬った岩も、どういうものか参考までにとしのぶは目にしていた。……そしてそれは、到底しのぶの腕力で斬れるような代物には見えなかった。
あれを斬った? 片腕で? 寸断だと?
にわかには信じがたい情報だった。しかし一笑に付すには真に迫っている。何しろこの真菰の師匠は、拳ひとつで岩に大穴を開けるほどの馬鹿力である。
彼女の怪力の秘密、それがその干し肉にあるのだとすれば……?
「くっ……!」
悔しげに臍を噛むしのぶを目にし、相模は満足げに笑ってみせた。
〔一週間目〕
――二日で一ブロックは完食すること。三食は別に摂り、あくまで間食としてジャーキーを食べること。栄養が偏るからね。私がステーキとジャーキーで何十年も食い繋げたのは、多分フェレスの加護あってのことだろうし。
相模から言い渡されたジャーキーの食べ方である。
かつてはジャーキーのみで三食過ごしたこともあると豪語した相模であるが、そこまでをしのぶに進めてくることはなかったし、しのぶ自身そんな肉食獣じみた生活などごめんだった。
ということで、あくまで目標は一日に半ブロック。
「…………で、こうなった、と」
蝶屋敷での仕事を終え、夕食を済ませたしのぶの前には、皿一杯のビーフジャーキーが鎮座していた。さながら炬燵の上に山盛りになった煎餅の如し。改めてみると言いようのない迫力のようなものまで醸し出しているように見える。
「って、食べる前から怯んでどうするのよ」
思わず尻込みしてしまった自分を叱咤し、しのぶはあらかじめ用意しておいたほうじ茶を一杯飲み干した。香ばしい味わいが喉から染み通り、緊張をほぐしてくれる気がする。
えい、と声を上げて気合を入れると、しのぶはつまみ上げた肉片を一切れ口に放り込むと――
「……あ、美味しい……?」
意外や意外、想像していた生臭みのあるしょっぱい味とは異なり、塩気は控えめでむしろ仄かに爽やかな甘みが口の中に広がった。しかし砂糖を使ったとは思えない風味。これは一体どうやって味付けを施したのだろうか。
なんだ、言うほど大したことはないではないか――拍子抜けした気持ちでしのぶは二切れ目のジャーキーに手を伸ばした。絶妙な塩加減とお茶に合う味付けで、これならついつい手を伸ばしてあっという間に食べきってしまうだろう。佃煮にも風味は似てるし、夕食に合わせて供しても違和感がないかもしれない。
しかし、本当に肩透かしを食らった気分だ。
相模に食べるように指示されたのは大皿に盛られたジャーキーを二日かけて完食すること。これなら二日と言わず一晩で食べきることもできるだろう。
「ふふん、勿体ぶりすぎなのよ、あの人」
鼻を鳴らして三切れ目をもぐもぐと咀嚼する。これならいけると意気揚々に。
〔三週間目〕
「ちょっと力が付いたかしら?」
「なあに、しのぶ。いきなり力こぶなんて作って」
四ブロックばかり完食し、五ブロック目に突入。
任務帰りにジャーキーをを一切れ齧りながら身体の調子を確認していると、同道していた姉に不思議なものを見る目で見られる。しのぶは赤面して居住まいを戻した。
「ねえ姉さん。私、最近なにか変わった?」
「しのぶが? 変わったことねぇ……」
誤魔化し半分カナエに話を投げてみると、姉はのんびりした仕草で首を傾げて――――ポン、と手を打った。
「最近、胸がまた大きくなったでしょ?」
「姉さん!?」
とんでもない方向から斬り込まれた。
思わず叫んだしのぶをよそに、カナエはしたり顔で続ける。
「駄目よぉ、さらしなんか巻いてちゃ。潰れたら戻らないんだから」
「そう言う話はしてないでしょ!? そういうのはちゃんと自分で手当てできるから!」
「でも、しのぶは昔からそういうの無頓着だったし、鬼殺隊に入ってからは身の回りのこととか雑になりがちだし……」
「いいから! 要らない心配だから!」
「体重も測り直した方が良いんじゃないかしら。今のままだとそろそろ40kg超えるんじゃ――」
「姉さん! いいから!」
そうなの? となおも言いたげな姉を押し切り、肩で息をしながらしのぶは言った。
「大体、鍛えてるんだから筋肉の分重くなるのは当然じゃない!」
年頃の乙女の心の叫びである。
「わかる、わかるわしのぶ。そのあたり男の人って鈍いのよね。あと相模さんも」
カナエも思うところがあるのかしきりと頷いた。
「女は筋肉付きづらいけど、でもやっぱり硬くなるところは硬くなるのよ。手なんてもうゴツゴツだし」
「この間姿見を見たら太腿が筋張ってて、思わず叫びたくなったわ」
「それなのに相模さんったら、『それだけ絞っても胸の脂肪は健在なんですね』だって。酷いと思わない?」
「ひどい!」
あれやこれや。あちこちが硬くなったとか肌荒れが酷くて化粧が乗らなくなったとか。
結局その日の帰り道は、姉と鬼殺の愚痴で言い合って終始することとなった。
〔五週間目〕
飽きてきた。
さすがに毎日ジャーキーを食べ続けるのは無理があるというか、いくら箸が進む味でも毎日食べるといい加減きつくなってくるというか。
とにかく飽きてきた。
「どうしよう、これ……」
目の前には皿に盛られたビーフジャーキー。最初は例によって例のごとく大盛りだったのだ。それを中盛りと呼べるくらいに食べきっただけ大したものだと褒めてもらいたい。
もうそろそろ日が暮れる。夕飯を食べて布団に入って朝が来れば、相模が新たなジャーキーを一ブロック引っ提げてやってくる。そうなる前にこれを片付けなければ。
しかしどうやって。夕飯後からひたすら機械的に食べ続ければ日付が変わる頃には完食できよう。しかし途中で投げ出したくなるのは必定だ。
せめて何か気分を変えたい。別の味付けとか別の形態とかで工夫を凝らしてみたい。そうでないと耐えられない。
「……ご飯に混ぜて見ようかしら」
混ぜご飯だ。あるいは炊き込みご飯。
ジャーキーを細かくほぐして米と混ぜ、醤油や酒で味を整えて炊き上げてみよう。少しはこの単調な味にも変化が起こるはず。
やってみよう――決断したしのぶは敢然と立ち上がり、皿を手に取って厨房に向かった。
――二時間後。
「嵩が、増えた……っ」
「混ぜご飯にしても、お肉の割合が多すぎるわね」
最初に気付け、そんなこと。
それとも気付けないほどジャーキーに追い込まれていたというのか。
ジャーキー半ブロックとご飯四合は釣り合いが取れなかった。さしものカナエすら苦言を呈するほど。逆効果を思い知ったしのぶは頭を抱える。
「これ、全部食べないといけないのよね……?」
「ちゃんと食べるわよ。ちゃんと一人で食べれるから、手出しはしないで」
心配そうなカナエに低い声で一言断り、しのぶは釜に詰まったジャーキーご飯を米櫃に放り込む。味噌汁と漬物は多めに用意しておこう。
こうなったら徹底抗戦だ。日付が変わるまでに完食してやる。幸い付け合わせは豊富に揃えてある。野沢菜、柴漬け、たくあんに梅干し。お茶漬けにできるようお湯も沸かしておこう――
しのぶがジャーキーご飯(四合)を食べきったとき、柱の時計は午前零時半を指していた。
〔七週間目〕
「むり……もう無理……」
棚に入れっぱなしのジャーキーを出すまでもなく、しのぶは食卓に突っ伏した。
もうジャーキーなんて目にするのも嫌だ。匂いを嗅ぐだけで吐き気がする。実物を見ればそれこそ戻してしまうかもしれない。これから立ち上がってジャーキーを取り出す? 冗談じゃない。
息をして、首をもたげて、生唾を呑み込んで。それだけでもうお腹いっぱいな気分である。そして胸の中にあるのは行き場のない怒りだけだ。
こんなものを常食できるのは頭のイカレたキチガイに違いない。なんてものを寄越してくれたのだあの女。
さすがに限界だ、これ以上は不可能。日ごろ忍耐強くない自分にしてはもった方だと慰める。
諦めたしのぶは息をつくと、日課の藤の毒の実験に向かうため立ち上がり――
「――――しのぶ、諦めるの?」
「姉さん……」
部屋の前に静かにたたずむ姉の姿を見た。
いつになく真摯な顔つき。こんな姉は見たことがない。
何故か後ろめたい。悪戯を咎められ、何も言い返せないときのように。
「まだ、今日の分は食べてないわね。どうしたの?」
カナエが言った。
「力をつけるんでしょう? なら食べないと」
「私っ、あの、私……」
どうしてだろう、言葉に詰まる。
心の底を見透かされるような視線に、顔を合わせられない。俯いた目の前には畳だけが映り、それさえも滲んで見えた。
「しっかりしなさい、泣くことは許しません」
そんなしのぶをカナエは一言で斬って捨てる。
「姉さん……」
「食べなさい」
食べられない、文字通り飽食で。
まだ半ブロックも残ってる。顎が疲れて噛めないの。
「関係ありません、食べなさい。花柱継子、胡蝶しのぶ」
「――――っ」
「勝つと決めたなら勝ちなさい、食べると決めたなら食べなさい。どんな犠牲を払っても強くなる――私とも、相模さんとも約束したんでしょう」
相模――――――って、
「なんで干し肉ごときでこんな寸劇しなきゃいけないのよ――――ッ!」
「あらま」
流されかけたしのぶが我に返った際の怒号は、蝶屋敷の隅々にまで響き渡ったという。
――結局、しのぶのジャーキーチャレンジは二月足らずで幕を閉じた。
ここから先は無理のない範囲で、小腹が空いたときに齧るくらいでいい。効果は遅々たるものだと残念そうに相模は言ったが、もうそれにこだわることはやめにした。
…………完全に無用、と言いきれずジャーキーそのものはたまに摘まむあたり、まだまだ未練は残っているけれども。
それもこれも相模が悪い。としのぶは頬を膨らませ、日夜毒の研究に邁進していくことになる。
それからしばらく経った、ある秋の暮れの話だ。
――丁隊士、白峯相模。単独での任務先にて
敗走ののち、蝶屋敷へと運び込まれたという。