鬼との戦闘に際し、相模が真菰に厳守させている鉄則がある。
――――必ず、20手以内に敵を仕留めること。
正確には、五手打ち合ううちに敵を20手以内に仕留める算段を立てる。それが難しい場合は撤退を視野に入れること。
この取り決めだけは断固として真菰に守らせた。どんなに弱い鬼であろうと、どんなに悪辣な鬼であろうと、20手以上
当然のようにその姿勢は真菰からの反駁を招いた。鬼殺の使命を忘れたのかと詰られたこともある。このまま鬼を見逃せば無辜の人々が犠牲になるとも。――しかし相模は決して頷かず、変わらず20手以内に拘り続けた。
20手、それ以上は戦士の気力が持たない。
鬼との戦いで長期戦は不利。区切りはつけねばならない。
今殺せなくとも明日殺せばいい。無理攻めして深手でも負えば、それこそ傷が癒えるまで鬼の跳梁を許すことになる。
敵の手札を見極めろ。己の手数が足りないなら揃えてから挑め。無謀な剣士に何が守れる。
それで仕留めきれないなら己の不明だ。未熟を恥じろ。
――――必ず、生き延びた上で再戦しなさい。
納得のいかない顔の真菰を鼻で笑い、相模はへらへらと笑いながら酒盃を傾けていた。
20手。相模自身の経験則からくる数字だという。詳しい話は口を濁していたが、それなりに根拠があるのだと相模は語った。敵味方合わせて20、というわけではなく、敵に20手以上刀を振らせるなという意味なのだと。
いっそ病的なまでのこだわり。真菰が単身で挑んだ鬼に、二十数手もあれば仕留めきれると確信したときですら、相模は両者の間に割り込んでまで戦いを打ち切った。這う這うの体で逃げ去る鬼を尻目に、ぼんやりとした顔で真菰に「仕切り直せ」とのたまったのだ。
その夜が空けるまでに逃げた鬼を追い詰めて殺したのは良いものの、下手をすればそのまま取り逃がしていたかもしれない暴挙だった。
確かに相模の言いようはひとつの面から見れば正しい。最終選別から一年余り、真菰と相模が70を超える数の鬼を狩り続けることができたのは、その間怪我という怪我を負わず余裕をもって任務に当たってきたからだ。戦闘にのめり込みがちな真菰を相模が掣肘してきたからこそ今の真菰はあるといってもいい。
撤退を躊躇わない。目的のために犠牲を許容するその戦い方。本来相容れないその姿勢を真菰が飲み下したのは、相模自身一度撤退した敵を最後は必ず仕留めてきたからだ。
――――では。
相模が掲げるその鉄則、20手で仕留められず、逃げることもままならない――――そんな敵と遭遇したならば?
いやあ、参った参った。
真菰の療養も終わったし、それぞれ単独で任務をこなしてみようか、と思い立ってはや数ヶ月。真菰も教え込んだ鉄則をきちんと守っているようだし、これは師弟として順調にサマになってるな――とニマニマしていたある日のこと。
変な奴が現れたんですよ。
「――――」
「なかなかに、興味深い……剣であった……」
うるせえぞインチキ野郎。何が興味深いだ。
私の目の前に悠然と佇むのは一体の鬼だった。
和装の男だ。黒い長髪を後ろでまとめた、世が世なら美男子と称してもいい剣士。道で通り過ぎれば私も思わず振り返るくらいの。
――――顔に貼り付いた六つの目が、何もかもを台無しにしてるが。
一体どんな視界してるんだろう。利き目はどっちだ? 眼鏡買うときはどうするんだろう。
他愛のない思考が場違いに脳裏をよぎる。
「呼吸を用いぬ鬼殺の剣士……いかほどのものかと、案じてはいたが……」
六つ目の剣士が訥々と言った。
「その肉体、
「それはそれは、お気に召していただけたかな?」
独り言のような男の言葉に皮肉で返す。まどろっこしい言い回しにイライラした。いつもならこんな語りなんぞ相手にせず、隙を見て影討ちでも決め込むんだが、いささか都合が悪かった。
男は私の台詞を聞いたのか聞いていないのか、六つ目のせいでわかりづらい表情で言う。
「
あぁ、そうだとも。
尋常ならば、本来こいつの頸は今頃私の足元に転がっていたはずなのだ。
遭遇し、戦闘になった。
抜き打ちせんと腰の刀に手をかける六つ目鬼。抜刀は私の方が速かった。
抜かせる前に奴の右をすり抜け、抜きざまに奴の右上腕を斬り落とした。半ばまで刀身を見せていた奴の刀が、勢い余って右腕ごと明後日の方へ飛んでいった。
ぐるりと身を翻して刀を薙ぎ、今度は鬼の左からすり抜けて、左腕と肋骨の隙間を縫って肺と心臓を破壊。我ながら流れるように決めてやった。
これで奴は動けない。少なくとも心臓が再生するまで動きは鈍る。
そしてとどめの刎頸の一撃。
独楽のように回りながら、澱むことなく水平に。
そこで
「……びっくり人間にもほどがある。まさか、身体から刀を生やす鬼とは。つい見た目に騙された。てっきり正統な剣士かと」
「血鬼術は、千差万別……読み切れぬとて、無理はない……」
慰めてるつもりかよ。
――とどめの一閃は、切断した右腕の断面から生えてきた刀によって受け止められた。
意表を突かれ乱れる呼吸、その瞬間に飛び退かなかったのは
そこを突かれた。
「ゆえに、惜しい」
ぼたぼたと血が滴る。
見下ろせば、既に足元は彼我の流血で血だまりができている。
これのうち、どれほどが私自身の血なのか。
「貴様ほどの剣士……呼吸を修めれば、またとない使い手となったであろうに……」
ズタズタにされた右腕。
辛うじて指先に引っかかっている刀は、中ほどから折れている。
すでに感覚もなく、ぴくりとも動かない。
激痛を発するばかりの腕に気を失いそうにもなる――――が、それ以上に聞き捨てならないことを聞いた。
「…………剣士? 使い手?」
にへら、と気の抜けた笑みが漏れた。
いきなり何言ってるんだこの鬼は。剣術もへったくれもない技出しといて笑わせてくれる。
身体から生えてきた赤黒い刀身、あれから噴き上がった無数の月刃、アレが剣術なわけあるものか。
最初はただのエフェクトかと思ったよ。真菰やカナエが振るう呼吸の剣、あの水や花みたいな幻影が見えたのかと。まさか実体があるとは思わなかった。
先入観のせいで回避が遅れた。直前に嫌な予感が走らなければ、右腕はズタズタどころか切断されていたに違いない。殺到する月刃をどうにかこうにか受け流して――――間の悪いことに、そこで刀が折れた。それまでの酷使で耐えられなくなったのだ。
結局受け流しに失敗してきついの貰った。見ろよこの腕、傷口から白い骨が見えてるんだけど。まじウケる。
「奇術師風情が剣士を騙るか。お前は結局、腰の剣を抜くことすらしてないじゃないか」
「笑止……」
ガシャン、と音を立てて六つ目鬼の身体から刀身が落ちた。傷口がうぞうぞと蠢き再生を開始する。新たに腕が生えてくるのをそのままに、鬼はゆるゆると六つの目を細めた。
「もはや貴様は、剣士として死に果てた……」
「果たしてそうかな?」
「
言うじゃあないか。もはや勝敗はついたってか。
つくづく人様を煽ってくる六つ目鬼に、私の怒りは有頂天に達しそう。つまりはアレか、生え変わった腕で刀を抜こうとしないのも余裕の表れと。HAHAHAナイスジョーク。
「途中で見せた……奇妙な剣閃……二度と見られぬとは……残念、至極なり……」
――――――あ゛ァ゛?
呼吸を使わぬ異国の女剣士。
常中どころか全集中すら行わず、鬼のごとき身体能力を恃みに幻惑の剣を振るう女。
痣もなく、呼吸も使えぬ。黒死牟が遅れを取ったのは、見透かした女の肺に全集中の形跡すら認められず、相手取るまでもないと慢心を突かれたためだ。
ただひたすらに、身体の使い方が
踏み抜いた地面の反発が完全に前方へ向いている。血流の脈拍が動きと完全に連動し、不調和なく舞うように駆け抜けた。
思わず見とれた、というのもある。呼吸がなくとも剣はまた別のいただきを携えていたのかと、数百年ぶりに瞠目する心持ちだった。
――返す返すも、ただ惜しい。
この女が呼吸を習得していたならば、自分や弟に並び立ち、あるいはどちらかの呼吸を継承し得たやもしれぬ。
しかし、それほどの才覚を摘み取ることへの寂寞はあれど、罪悪感は露ほども湧かず。
月刃を防ぎ損ねた女の秘剣を惜しむ言葉を残しつつ、止めを刺さんと黒死牟は歩を進め、
「――――――決めたよ」
女の顔を見た。
何の感情も浮かんでいない、巌のような無表情。腕を断たれた痛みも、死への恐怖も、黒死牟への敵意すら消え去った。
「おまえは、わたしが、ころす」
「叶わぬ妄言だ……その腕で、いかに戦う……」
あぁ、そうだな、と女は呟いて。
「だから、今は勝負を預ける」
ガチ、と鍔鳴りの音。
動かぬはずの右腕を掲げ、折れた刀で天を指し、路傍を塞ぐ石を見るような瞳で、
「今は亡き
瞬間、夜空が翳った。
大山が鳴動する。
ガアガアと不吉な鳴き声が連鎖した。
夜雲は動かず、しかし生暖かい風が頬を撫でた。
「鎹烏……否……」
遠くの林から次々と飛び立つ鳥影。黒く小柄な物影を黒死牟は一瞬、鬼狩りの使う鴉と見間違えた。しかし明らかに違う。小賢しく人語を解する鎹烏と異なり、飛び立った鴉の群れはやかましく鳴き喚くばかりで知性など欠片も見受けられなかった。
夜空を埋め尽くさんばかりに上空を飛び回る鴉の群れ。百には届くまい、しかし数えきれぬ膨大な群れ。
これが切り札か。小賢しい。
足止めにもならぬ畜生の群れ、そんなものをしたり顔で繰り出した女に微かな失望を覚えながらも、黒死牟は視線を戻し――
「――――チュウ?」
「鼠……?」
茶色い毛並み、つぶらな瞳。女の拳ほどもない小さな体躯。
あざとさを極めたような生物が、今にも地面を埋め尽くさんがごとく――
襲来、殺到。
怒濤のごとく押し寄せる鴉の群れ、足元から纏わりつき動きを封じんと走りくる鼠の群れ。
いかな剣術とてこれら全てを斬り伏せる術はあるまい。鼠十匹殺すうちに鴉に啄まれ、鴉十羽撃ち落とすうちに鼠に齧られる。逃れようのない挟撃が完成していた。
しかし――
しかしそれは尋常の剣士に限ったこと。
この月の呼吸を見知った今、畜生の軍勢ごとき足枷にもならぬと気付かなかったのか。
僅か一撃。
黒死牟の放った剣閃は無数の月刃となって拡散し、縦横無尽に解き放たれた。
蹂躙した。断末魔を上げることさえ許さず、百を超える畜生の軍勢を物言わぬ血と脂の染みへと変えた。
あたかも人間の
「無為なり……」
これが極意とは、片腹痛い。
ほう、と息をついて黒死牟は刀を抜き放った。遠目から一方的に殺すことはしない。せめて直々に首を斬り落とそう――それが初太刀のみとはいえ己が首に迫ってみせた女剣士への手向けであると。
鬼の肉からつくられた紫色の刀身、それを引っ提げた黒死牟は静かに女のもとへ歩み寄ろうと――
「――――」
なんだ、その眼は。
未だ死なぬ目、己が勝利を疑わぬ瞳。先と変わらぬ、巌のような無表情。
起死回生の一手を覆されたとは思えない女の佇みように黒死牟は思わず立ち止まり――――それが命運を分けた。
「ようこそ、殺し間へ――」
ばしゃん、と音を立てて血の雨が降る。
上空にて月刃に両断された鴉の群れ、空で四散した赤い血液がバケツを返したように今さら降り注いできた。黒死牟は動じず、肉片血液を浴びるままに歩を進める。
不思議と女には雫ひとつかかることなく、まるで血の方が女を避けているようで、
――――白い閃光。
「奥義――――命知らず爆弾」
予兆なく燃え上がる。ひとりでに。
鼠と鴉、双方の体内に仕込まれていた爆薬に一斉に火が付いたのだ。
信管はたったのひとつ。両断された鴉が身に着けていた竹の筒。混ざり合った液体が爆薬に高熱をもたらした。
これの鎮火に水は逆効果。水に鎮めようが地面に埋めようがお構いなしに燃え続ける。混合した酸化金属が完全に酸素を奪われるまで、鬼の身体に付着した爆薬は燃焼し続けるのだ。
夜半の闇を真昼のように白く照らし上げる科学の灯火。19世紀最終盤に生まれたこの爆薬を、テルミット焼夷弾と呼ぶ。
声もなく白々と燃え続ける上弦の鬼を直視することなく、しかし己の信条に忠実に従い。
皮肉げに嘯いた女は、火が燃え尽き鬼が炭化から再生したころにはいつの間にか姿を消していた。
イススィールこそこそ噂話
盗賊首領の隠れ家の地下室からこの爆薬のレシピを入手した相模は、あまりのぶっとび科学っぷりに解読直後は絶句していたそうな。
ちなみに当の首領トレーベはテルミットを敵に使用する機会なく、窮地になってからいざ使用に踏み切ろうとした直後、手違いから誤爆。
身体に巻きついた爆薬から逃れられず骨まで焼き尽くされたそうです。
「……グウッ……バ、バカなこんなおいまてばくだくはつぁああああ」