――その光景を、音柱・宇随天元は一部始終見届けていた。
「ったく、派手にややこしいことしやがるぜ」
蝶屋敷を見下ろす位置にある巨木の、ひときわ太い枝にしゃがみ込み、天元は呆れた顔を隠しもせずにぼやいた。
眼下にはつい数秒前まで人外の剣戟を応酬していた二人の剣士。一時はあわやというところで肝を冷やしたが、新たな登場人物のおかげで最悪の事態は避けられそうだ。
三人とも、はるか頭上で自分たちを監視している男がいるなど思いもよらないだろう。というか、気付かれてもこちらが困る。元忍者という身の上からして、保っておくべき面目というものはあるのだ。
――柱合会議で冨岡義勇が見せたどこか張りつめた様子から見て、冨岡が何かしら意図をもって噂の隊士・白峯相模と接触を持つであろうことは想像がついていた。
そして今日、非番の冨岡が屋敷を発つ際に携えていた木刀二本。それだけ見ればどういう意図なのかは察しが付く。
正直、好都合と思ったのは確かである。
水の呼吸は基本に忠実で癖がない。柱として水の呼吸の使い手の頂点に立つ冨岡もまた、あの意味不明な拾壱ノ型を除けば堅実かつ柔軟な、まるで教本のような戦い方を旨としている。つまり、くだんの剣士の当て馬にして力量を測るには格好な人材だったのだ。
これが他の柱ならばこうはいかない。肉体からして人間の規格から外れている悲鳴嶼は言わずもがな、不死川は守りを疎かにしがちだし、何より自分の体質を前に押し出して戦おうとする。胡蝶姉はすでに白峯相模と親交が深く適当ではない。砂柱の石動は用いる得物が身の丈ほどもある鉞で参考にできないし、雨柱の寒川は三日前に命を落とした。
そして宇随天元自身は―――――業腹なことに、剣士としての才能自体が他の柱と比べて欠けていると言わざるを得ない。
もっとも、あくまで“剣士として”の話だ。鬼殺とは何も剣の技量だけで達せられるものではない。天元が培ってきた忍びとしての経験を併せれば、他の柱にも決して劣るものではないと自負している。
翻って、冨岡義勇についてはどうか。
当人は協調性に欠け単独行動を好むきらいはあるものの、肝心の力量自体は悲鳴嶼に次ぐ。将来的に不死川が迫る潜在性を持っているが、入隊が遅かった分いまは経験の差を埋められないでいる。今は冨岡の方が上だろう。
上弦と交戦して生還したと豪語する平隊士。虚言の輩としてもその異様な討伐実績からして、その隊士を追い詰めた相手は十二鬼月かそれに匹敵する鬼であることに間違いない。仮に本当に上弦と交戦していたというのなら、真っ当な水の呼吸の剣士である冨岡をぶつけることで上弦の力量を測ることができる。
そういうわけで天元は冨岡がやらかすであろうことを見越し、あらかじめそれとなく張っていたのだが……
「なんだありゃあ、バケモンじゃねえか」
目の前で繰り広げられた馬鹿げた剣戟。それは宇随天元をして絶句せしめるものだった。
呼吸は使えない。その痕跡はまったく見られない。
しかし単純に肉体の強度が凄まじい。恐らくは岩柱・悲鳴嶼行冥すら上回る身体能力。鬼喰いをしたわけでもないただの人間が持っていい怪力ではない。
そして回避困難な無数の斬撃を浴びせるあの剣技。動体視力に自信のある天元ですら、太刀筋を見極めるのは困難だった。冨岡は同様に意味不明な拾壱ノ型で相殺していたものの、傍から見ればまるで参考にならない上に途中からは押されていた。何度も同じ技を同じように放たれながらも、
もし天元が冨岡と同じく彼女と対峙することとなったら――――癪ではあるが、攻め筋が思い当らない。
まずもってあの『秘剣』を凌ぐ手段が無い。相手の手札を知り『譜面』を完成させるまで、あの剣を耐えきれる絵面が浮かばない。
その事実はは天元自身の才能の限界を突きつけるのと同時に、大きな不確定要素が盤面に現れたことを意味していた。
呼吸の術理の外から現れた異国の女剣士。
不可解な剣術。慮外の膂力。
あれは本当に鬼殺の味方か? それとも敵か?
あるいは、まったく別の意図を持った第三勢力か?
鬼殺隊へ新たな風を呼び起こすことになるのか、凶兆のひとつなのか。
「めんどくせえ……」
これはしばらく要警戒か、と天元がぼやく。
御館様から何か言葉を頂ければと思うも、御館様自身判断を保留しているらしく、具体的な指示は下されないままだった。各自の判断で動けということなのだろう。
剣術バカにはできないことをする。鬼殺隊の内部に目を光らせるのは自らの仕事だと天元は自認している。
得体の知れない隊士について、己の見解はきっと悲鳴嶼以上の影響を持つだろう。そのうえでどう判断するべきなのか――
熟考を要する課題に頭を痛めながら天元は溜息ひとつ残すと、音もなくその場から立ち去った。
やぁ、久々に楽しい掛け合いだったわ。
最初はまぁ、何かよくわからないすまし顔のイケメン陰キャが勝負をけしかけてきたと思ったもんよ。さすがの私も腹が立ったし、その整った顔ボコボコに腫れ上がるまで殴ってやろうかとも思ったさ。
なんだか意味不明な剣術を使うし、どれだけ打ち込んでも表情ひとつ動かさずに対応してくるし。何というか、いかにも歯牙にもかけてませんみたいな表情仕草の一つ一つが相手のこと煽ってるんじゃないかと思うほど涼しげだった。ぶっちゃけ今でもちょっとムカつく。
でも斬り合ってみて察したけど、あれはアレだね。
ちょっと言い方が悪かった。いや、才能自体はあるんだ。少なくともイススィールからこっちに来るまで私が出会った剣士の中では間違いなく十指に入る。あの蠱毒の壺を見てきた私が言うんだから、冨岡義勇は紛れもなく日本最高峰の天才の一人だろう。あと三十年もすれば剣聖の域に至るのも夢ではあるまい。
それとは別に、彼は驚くほど突出した部分が無いんだ。
天才というものはその多くが他とは異質な部分を持っている。アンバランスな、と言い換えてもいい。
強靭な筋力、絶妙な均衡感覚、軟体生物じみた柔軟性、他の追随を許さぬ脚力、エトセトラエトセトラ。
特徴、個性、特異性。言い方は様々だ。要は彼らが集団から抜きん出る際、多くの場合は自らの持つ『異質さ』を伸ばすことによって天才性を確立するということ。
別にそれが悪いというわけじゃない。たとえば真菰だって、その天性の身軽さを活かした立ち回りを軸にしているし、当然得意な型は『流流舞い』や『水流飛沫』だ。とりあえず斬りこむ、ではなく、まず足運びで相手の視界を翻弄したうえで死角から仕掛けようとする。恐らくこれは師である鱗滝さんや冨岡義勇にもない傾向だろう。
これをただの「傾向」から天下に無二の「天賦」に昇華させられるか否か。それが彼女の今後の分水嶺となる。
――翻って、冨岡義勇の方はどうか。
本当にびっくりした。こんな人間がいるものなのかとつい我を忘れる気分だった。
膂力も脚力も肺活量も柔軟性も、飛び出た部分はなく、しかし明確な弱点というものもない。器用貧乏という枠に収まらず、すべての領域で高水準を維持している。
得意分野が無い代わりにあらゆる科目で90点以上を獲得する優等生。きっとダイヤグラムで見れば彼のステータスは綺麗な真円を描くに違いない。
なるほど水の呼吸とは言い得て妙だ。濁りも歪みもなく、あるがままに流れる清流の剣。これほど彼に相応しい称号はあるまい。
恐らくは冨岡義勇その人の気質によるところが大きいのだろう。
継承された技術に対し自分なりのアレンジを加えるのではなく、ただ素直に受け止めて愚直に積み上げる。自分にとっての理想を目指すのではなく、型にとっての理想的な自分を鍛錬によって磨き上げた。
極力自分の色を出さずにいようとするのは生来の控えめさゆえか? いやあいつ割と遠慮なく斬りかかってきたしどうなんだろう……?
あまりに歪みねえ優等生っぷりについ茶目っ気を出して連続で斬りかかってしまった。いやほら、叩き続ければどこかでボロを出さないかな、と魔が差したというか。
何かよくわからないけったいな技で相殺されたもので、それがあまりに新鮮だったから調子に乗ったともいう。ほらよくあるじゃん、真新しいサンドバッグが届いたらとりあえず全力で殴りまくるとかさ?
――――で、
「師匠、アレって何?」
「アレというと?」
「さっきの技。義勇に撃とうとしてたやつ」
どうして私が真菰に詰問を受けてるんですかね……?
正座です。自然と地べたに座りました、私。もう膝が湿気てきたよ。
冨岡君との斬り合いを途中で遮った我が弟子は、相当おかんむりな様子で腕を組んでいる。ふっくらとした頬を精一杯膨らませているさまは恐れよりも可愛らしさが立ってしまうが、それを補って余りある迫力が真菰の身体から滲み出ていた。
何故かわからないが背中を伝う汗の感触を感じながら、私は答えた。
「――――あぁ、八千代ノ契ね。全体攻撃で体力半減。あれをエイクドに初手でぶっ放されたときの絶望感たるやそれはもう――」
「私、それ見たことないんだけど?」
「見たことない? そうだっけ? 見せたことなかったっけ……?」
あれぇ? そうだったっけ? よく覚えてないなぁ……。
目を逸らす私と目を尖らせる真菰。気まずい沈黙が辺りに漂い、冨岡君が手持無沙汰そうに虚空を見つめていた。なに他人事みたいな顔しとるんじゃ、お前のせいやろ。
真菰が口を開いた。
「……師匠としては、まだ隠してる引き出しはいくつあるの?」
「引き出し? へそくりの話かな?」
「技の、引き出し」
やだ、私の弟子がなんか怖い。
じっと視線を向けてくる真菰の方を極力見ないようにしながら私は答えた。
「あぁ、技ね。真菰に見せてないのといえば、あと……1、2…………五つくらい?」
「私、教わってないよ?」
「教えてないものねぇ……」
「見せて貰ってもないよ?」
「見せてないものねぇ……」
「義勇には見せるんだ」
「見事なワザマエだったので、つい」
ふうん、と鼻を鳴らす気配。その間一度として私から視線が外れてないんですが。
何なのかなぁ、この地獄みたいな沈黙。どうして十五になるかならないかの子供からこんな圧力がビシバシ伝わってくるんだろう。解せぬ。
大体これって私が悪いの? 何が悪いの? 状況に応じて出し惜しみを解除していっただけじゃん。悪いのは何でもかんでも相殺する変な技出す
心の中で言い訳する私を尻目に、真菰は口を尖らせながら黙り込んでいた。何を考えているのかはわからない。
そしてしれっと真菰の三歩後ろで突っ立ってぼけっとしてる冨岡君、君のせいでもあるんだから助け舟くらい出してくれ。その顔明らかにこの場に関係のないこと考えてるだろ。季節外れのでかいアオダイショウに目を奪われるんじゃありません。
はぁ、と真菰が大きなため息をついた。気持ちを切り替えているのが見て取れる。面を上げた彼女の顔には、いつもの眠たげな表情が浮かんでいた。
冨岡君へと向き直った真菰は、彼の空いた左手を取って引っ張る。
「義勇、ちょっと来て」
「俺はもう帰る」
「勝手に師匠に斬りかかっておいてそれ?」
「勝手じゃない。了承は得た」
「えっ?」
思わず声が出た。知らない。私そんなの全然聞いてない。
振り返った冨岡君と視線を交わす。相変わらず何を考えてるのかわからない彼の瞳は、やはり澄んでいるのか濁っているのかわからなかった。
ひとしきり視線を交差させると、冨岡君は満足げに頷き、
「……了承は得た」
「全然聞いてないって顔してるんだけど?」
「今、了承を得た」
「真菰、この男は電波なの?」
「師匠は良いから黙ってて」
「はい」
「義勇はこっち。ちょっと話があるから」
「俺にはない」
「いいから、こっち……!」
埒の空かない会話に業を煮やし、真菰は冨岡君の腕を引っ張ってどこかへ連れて行こうとする。当然のように拒否する冨岡君だが、勢いに押されたのかずるずると引きずられていった。そんな様子に私は、まるで拗ねて動かなくなった子供を引き摺って帰るお母さんみたいだなぁ、と暢気な感想を抱いた。
兄弟子って話だけど、ひょっとするとこれはアレかな? ともに辛酸を舐め合った男女という如何にも桃色な展開が――
「――師匠」
「あ、はい」
真菰が振り返った。心の中を読んで来たかのような動きだった。
跳びあがるようにして姿勢を正して返事を返すと、
「師匠にもあとで話があるので。さっきの技のこととか、今こっち見てにやにやしてた理由とか」
「Oh……」
膝を突いてがっくりとうなだれる私の耳には、二人のテチテチという足音だけが響いていた。
「――――本当に、めぐりあわせとは恐ろしい」
ひとりごちる。寒風が頬を撫でて過ぎ去っていく。
感慨は深く、素直な感動が胸の内に満ちていた。
「まさかまさか。大正時代の日本に、これほど逸材が溢れていようとは」
残る余生、十人と出会うまいと思っていた剣才に、こうも立て続けに出くわすとは。なんとも人生ままならないものだ。
よもやこんな極東の島国に。
真菰、鱗滝左近次、冨岡義勇――――そして、六つ目鬼。
たかだか一年過ごしただけで、これだけの使い手と遭遇した。
エイクドの剣を継ぐとまで言う少女まで。なんたる僥倖、なんたる奇跡。
では来年は? 再来年は? 三年後には誰に出会う?
どうしよう、胸が湧き立つ。枯れきったはずの血潮に熱が戻るようだ。
なんて年甲斐のない。これではイープゥ一匹にはしゃいでいたグッドマンを笑えないではないか。
でも――――それでも。
血迷った過去は糺せない。
みっともない未練は断ちきった。
残してきたものを偲ぶ気持ちはあるけれど、誓ったからには前に進む。進みたい。
そんな中で出くわした彼らだ。何というめぐりあわせだろう。
ひょっとすると、諦めた念願まで果たせるかもしれない。
それを思うと、ちょっと平静ではいられない。
だからお願いだ。私の願いを叶えて欲しい。
私だけでは叶わない願いなんだ。
飽き飽きしていたけど、半端者にくれてやるのは誇りが許さなくて、とうとうこんなところにまで来てしまった。
失われた機会、朽ちるはずだった肉と骨、無為に過ぎる月日。
そう思っていた。でも、もしも叶うのなら。
全てを打ち棄てて、全てを昇華させて、全てを捧げ上げて。
「――――誰か、私を殺せる者はいるかな?」
ひりつくような死闘の果てに、今度こそ最期を迎えたい。
イススィールこそこそ噂話
Q「嫌いなものは何ですか?」
A「忍者」