「幾重にも舞い、夢知らぬ骸築く……」
ヒュゥゥウウウ、寒風のような音が呼気とともに口から漏れる。抜き放った日輪刀が空を切った。
刀身は深い青、飛沫を上げる水の幻影が刃紋から零れ出る。流麗に、澱みなく、軽やかに舞うように。
波濤のごとき横薙ぎが真菰の傍らに立てられた巻き藁を切断した。
……違う、これじゃない。
「幾重にも舞い、夢知らぬ骸築く……」
読経のように繰り返す。目指すものはあの夜彼女が見せた無数の剣閃。あのとき、技を出す前に口から漏れた文言は、きっとそれに対する心得のようなもの。
意味はまだ分からない。一体誰が舞うのか、骸が夢を見ないことにどんな意味があるのか。なにもかもが暗中のただなかにある。
真菰にできるのはただ、あの日彼女が見せた剣舞を脳裏に刻み、それをひたすら見様見真似で模倣することだけだ。
「幾重にも舞い、夢知らぬ骸築く」
足腰の捻じれからくる体幹ごとの斬撃が空気を震わせる。
違う。これでもない。どうしても近付けない。
真菰が基礎としているのはあくまで水の呼吸だ。それ以外を知らないともいう。
刀の握り、足捌き、手首の固めかた、心拍との合わせ方――全てが水の呼吸の上に成り立っている。だから他人の剣技を真似るにしても、まずは得意な水の呼吸のどれに当たるか、と無意識に引き出しから出してしまう。技が水の呼吸に寄ってしまうのだ。
通常ならばそれでいい。自分の癖に合わせて技に改良を加えるのはよくあることだ。事実、花の呼吸はそうやって水の呼吸から派生したのだし、霞の呼吸は風の呼吸を源流としている。本来ならば咎められることではない。
しかし、そこから生まれるのはあくまで水の呼吸の派生であり、
「幾重にも舞い、夢知らぬ骸築く」
違う、これもまた間違えた。
思い浮かべるべきは掴みとることもままならぬ水流ではなく、腕を掻い潜り吹き込む桜の花弁。花びらに触れた身体をやすりのように抉り斬る、容赦のない鮮血の一閃。
――――別に、そんなんでもいいと思いますけどねぇ、私は。
ふと、以前に彼女が漏らした言葉が脳裏に蘇った。
どうしても技を近づけられない。真菰がそう悩みを打ち明けてみた相模の反応は、あっけらかんとしたものだった。
――――適当に自己流を加えて行けばいいんですよ。こだわる必要はありません。派生があれば統合もある、つまり行き着く先は同じなんですから。
意味の分からない言い回しだった。難解な言葉で煙に巻こうというのだろうか。
――――だいたい、技だの型だの奥義だの、いちいち名前を付けてありがたがる方が片腹痛い。滑稽極まる。我々が目指すべきはさらにその先、
守破離というやつです。そう言った彼女は自嘲するように口元を歪めた。
未だ型に嵌まって抜け出せないでいる自身のことを、未熟者と称してはばからなかった。
「幾重にも舞い、夢知らぬ骸築く……」
繰り返す。あの夜の剣の軌跡をなぞり、足踏みを模倣し、拍子を似せようとする。
届かない。何が届かない? 何故届かない? 足りないものはなにで、余分なものは何なのか。
魅せられて、憧れて、諦められないから手を伸ばしたのだ。無用だなんて思えない。あの剣舞を未熟の産物だとは思わない。無駄ではないと信じている。
だから――――あぁ、そうだ。決めたんだ。
葛藤して、懊悩して、その末にあの桜が見られるなら、いくらでも積み上げる。そう思った。
視界の端で、薄紅色の『何か』が舞った。桜の季節にはまだ早い、空を舞い踊っていたのは梅の花弁だった。
ひらひらと羽ばたくように宙をたゆたう。そのさまはなるほど、もう少し先の桜の花弁によく似ていて。
「幾重にも――」
――――ふと、その花弁を斬りたくなった。
「え――――?」
梅の香りが鼻腔をくすぐった。目の前を両断された花弁が漂っていった。
呆然と刀を下ろした真菰の前には、いつの間にか巨大な梅が佇んでいた。
なんだろう、真菰ちゃんが変だ。
任務の合間に狭霧山に立ち寄って待ち合わせて、手合せ自体はするんですよ。日に日に真菰ちゃんの力量が上がっているのも変わりない。そして結局『連ネ血桜』を見せずじまいなのも同様だ。
まあ実際易々とみせて良いもんじゃないしね! 奥義ってものは出し惜しみするモノなのですよガハハ(慢心)
でもね、春先を越えたあたりから真菰ちゃんの剣に変化が起きた。
切っ先に硬さが無くなってきたというか、逆に艶が出たというか……なんだろう、良い言い回しが思いつかないぞ……うーん……
微妙に太刀筋が見極めづらくなったし、いつもならこれで決まった、という私の一撃がかすめるだけに終わったこともある。
彼女自身が著しい成長を遂げている――という意味では、それは喜ばしいことなんだろうけど……
「余所見ですか?」
「む――ッ」
滑り込むような足捌きからくる押し寄せる剣閃。狙いは――――腰から下か。
丹念に迎え撃つ。巻き上げ、捌き、打ち落とし、時に弾き飛ばして崩しにかかる。受け流しは得意な技術だ。さすがに毒ガスは防げないけど、物理に限れば私に流せない攻撃はそうそう無い。
軽快な打撃音が響く。弾き飛ばされた真菰ちゃんは流れるように構えを変えて再び攻勢へ出た。
独楽のように身体の捻りを加えての袈裟斬り。数歩退いて間合いから外れると、回転とともに間合いを詰め今度はさらに勢いを増した斬撃を乗せてくる。
受け流す――更に剣速が増す。
弾き返す――逆方向へ加速を開始。
よくもまあ目が回らない。これを止めるには力づくで抑え込む以外に手段がない。手をこまねいて守りに甘んじていれば、対応できなくなるほどに威力が増す。
であれば――
「はい、そこ」
「――――ッ!?」
受けると見せかけて完璧に流してみせた。勢い余り泳ぐ重心、少女は狼狽せず次の斬撃に繋げるため足を踏み出し――――そこを刈った。
足を払い、手元を日輪刀の柄ごと左手で掴み引き寄せる。華奢な体幹を腰に乗せて、イススィール仕込みの怪力でもって投げ飛ばす。
軽く三メートルの直上への投げっぱなし払い腰。上下逆転して錐揉みする少女と視線があう。落下する彼女をホームランするべく、私はそのままバットのごとく竹刀を振りかぶり――
「まだ……!」
「――――は?」
なんだ、それ?
そのエフェクトは何だ? 君の刀は水を出すんじゃないのか?
どうしてそんな、花が咲き乱れる。梅の花が幻視できる。
枝垂れ梅のごとき剣閃。宙へ浮き上がり地面へと無差別に襲い掛かる奇怪な剣術。その範囲に、私はしっかりと収まっていた。
乱れ落ちる花弁、それに触れれば人の皮膚など易々とずたずたに裂かれよう。まるで想い人を求めて飛翔する天神梅だ。馬に蹴られるどころか梅に引き裂かれろってか――
「こ、の――――ッ!」
舐めるな。ふざけるな。
一瞬見とれてしまった事実を押し隠して迎撃に出た。
受け流す、絡め取る、巻き上げる、打ち落とす、牽き通す、透かしたうえで押し上げる。
無数にも思える斬撃、その全てに竹刀を合わせ、漏れなく完封したうえで
――――受けろ、これが元祖本家大元だ。
本気で斬った。
技を出し切り空中で完全に無防備になった少女に向けて、大人げなく全力で滅多打ちにした。
急所は外した。殺す気はなかった。しかしそれを除けば限りなく本気で技を撃ち込んでいた。
「あァ……!」
か細い悲鳴が少女の喉元から漏れた。打ち落とされた梅は、受け身もそこそこに地面に転がり倒れ伏す。
私はそれを見て、
「―――――」
それを、見て。
それを、みて――――
――――おい、今のは何だ。
足運びは? 身の捻りは? しなやかな腕の伸びは?
今のは何だ、何なんだ、お前。
どういうことだ、
言葉を失う。激情が胸を衝く。
今すぐにでもそこに蹲る少女の胸ぐらを掴み上げて喚き散らしたくてたまらない。
こいつは、この少女は――私の剣を、この秘剣を、模倣した?
桜さかずきも無しに? ただの一度、あの藤襲山で見ただけで?
ただ模倣するだけでなく、自らアレンジを加えて『呼吸』に適合させたうえで?
なんだそれは。なんだそれは、ふざけるな。
正気でいられない。胸が、頭が熱くて気が狂いそうだ。
つまりはアレか。この十五にも届かない年頃の少女は、私が
出会ってからたったの二ヶ月。傷を癒して立ち会うようになってからわずかひと月余り。――――ほんのそれだけで?
天賦の才、という言葉が頭をよぎる。私が得られなかったもの、私が進めなかった道を易々と踏破しうる逸材の片鱗。
私がただ愚直に積み重ねてきたものを、鼻歌まじりに飛び越えていく選ばれた『誰か』。
彼女がそうだというのか。
私ではなく、この細く小さな少女がそうだというのですか。
「――――
倒れ伏す少女に背を向ける。胸を締め上げる嫉妬と怒りを、彼女に見て取られたくなかった。
「弟子入りを、認めます」
ぴくり、と背後で蹲りながら身じろぎする気配。
少女が姿勢を正したのだと、見えずともわかった。
「今日のところは早く帰り、傷を癒しなさい。本格的な鍛錬はそれ以降に。制度だの慣習だのは
「師匠」
立ち去ろうとしたところで呼び止められた。振り返りはしない。今の私の顔はきっと見られたものじゃない。
真菰は感じ取れるほどの視線を私の背中に注いで、
「不肖の身ですが、どうかよろしくお願いします」
「…………」
歩み去る。振り返る気はない。姿が見えなくなるまで見られている。そんな気がする。
右手の平に違和感。見下ろすと、竹刀の柄を握り潰していた。舌打ちとともに投げ捨てる。
「――――あぁ、ちくしょう」
悟ったつもりでいた。しかし本当はただ単に諦めていたのだ。
この剣は私が最後だと。継承はこれで途絶えるのだと。
他ならぬエイクドの決断なのだ。私自身にどうしようもない以上、従うよりないと思っていた。
――どうしようもないのは私の無才さで、都合よく諦めたのは私の心が弱かったからだ。
諦めたからこんな東の果てまで来た。残る余生、無為に朽ち果てるまでの終の棲家として、もはや擦り切れた記憶の中からよすがを求めた。
ここならば誰も彼の秘剣を知らない。求められないのは仕方のないことなのだと。
――――だというのに、彼女が現れた。
私の動きを見て取れる目、既存の
恐らくあと十年もあれば、真菰は私など容易に追い抜いて人間時代のルディリアの域まで至るだろう。そんな確信がある。
そんな彼女を、見つけたのだ。
いいのだろうか、この剣を伝えて。
いいのだろうか、継がせてしまっても。
いいのだろうか、私が繋げても。
エイクド、ルディリア。
いいのだろうか、あなたたちの剣を、私が――
イススィールこそこそ噂話
ただでさえ時間の概念が曖昧なイススィール。
その中でも霧渓谷ロゥリスは特に時の進みが緩慢でした。
生者は時を忘れ、亡者は魂の行き場を失うほどに。
飛竜の狩場である灰城ロマルフを除けば、相模が最も滞在し研鑽に費やした地がこのロゥリスです。
相模の師であるルディリア・ロッソ、エイクド・ロッソはこの地にて佇み、挑戦者と対峙していました。