07 蝶と狐
「平隊士が平隊士を継子にしている」
花柱胡蝶カナエの継子、胡蝶しのぶがその人物について耳にしたのは、療養のため蝶屋敷に滞在した隊士たちの他愛もない都市伝説じみた噂話だった。
曰く、
「同じ選抜で生き残った隊士同士が師弟関係を結んでいる」
「柱でもなく煉獄家のような名門隊士でもない、ただの癸隊士が」
「実はその二人はもともと師弟で、師の方は名のある剣術流派の免許皆伝者だ」
「本当は生存を高めるため二人一組で組んでいるだけで、都合よく継子制度を利用されたのだ」
「いいや、関係者筋によると師の方は都合により引退した元柱で、復帰ついでに改めて選抜を受けた上で愛弟子を指導しているのだ」
「師の方は拳一発で鬼を十メートルもカチ上げる怪力の持ち主らしい」
「その二人は呼吸を用いず鬼を狩っている」
「鬼を罠にはめて自作の爆薬で弱らせる戦術を用いているとか」
などなど。
まさしく玉石混淆。これはと信憑性のあるものから明らかに根も葉もない与太話まで。よくもまあそこまで話が飛躍できるものだと思う。
所詮、隊士が機能回復訓練の合間に駄弁る話の肴だ。多少現実離れした方が会話も弾むというのだろう。
噂の二人組について、しのぶが知ることは少ない。というのも、彼らは最終選別以降の一年以上、一度として蝶屋敷に足を運んだことがないからだ。
新規隊士の負傷率は高い。常ならば一年以内に療養必須な大怪我をするか、運悪く強力な鬼に出くわして殉職あるいは再起不能にされるものだ。だから鬼殺隊士の療養所を兼ねる蝶屋敷で姉ともども女主人のような地位にいるしのぶは、隊内の知己が最も多い人間といえる。
それなのにしのぶが例の二人の顔も名前も知らなかったのは、当人が滅法腕が立ち怪我知らずだからなのか、それとも単に任務を渋って逃げ腰な姿勢で取り組んでいるからなのか……一時気になって調べてみれば、後者はあり得ないことなのだと容易に知れた。
二人が行ったこの一年間での鬼討伐数、76。
一人あたり38体。ともすれば柱への就任条件である50体討伐に届こうかという数である。彼らのちょうど中堅ど真ん中な階級・戊がそぐわない実績ですらある。二人がかり、という贔屓目を差っ引いたとしてもこの討伐速度は異常であり、この二人がほぼ休みなく鬼を狩り続けていることが察せられた。
派遣先はなぜか西国が多い。信州から東海道、近畿を通って瀬戸内を経由し、果ては北九州にまで足を延ばしている。鬼の頻出する関東近辺からわざわざ離れ、隠や藤の家の支援すら受けづらい西国でこれだけの実績を上げ続ける理由はまったくもって推測できなかった。
――白峯相模、
最終日にそれらしき人間を見た覚えはない。しのぶ自身、七日間の地獄を生き残ったことで疲労の極みにあったし、彼らも早々に引き揚げたのだとすれば顔を見ていないのも不思議ではないが、どうにも釈然としない気持ちだけが残った。そういえばあの日、集合場所のしのぶから離れた所から隠の一人が苦悶に満ちた悲鳴を上げていたが、いったい何があったのだろうか。
鱗滝真菰は元水柱の鱗滝左近次の養子であり、姉カナエと同時期に水柱に上がった冨岡義勇と同門の妹弟子であるという。『あの』水柱と同門、という時点で、しのぶの警戒心を呼び起こすには充分な情報だ。無愛想で言葉足らずな残念系冨岡二号――そんな真菰の印象がしのぶの中で膨れていく。
白峯相模は飛び入りの参加だ。使う呼吸の流派は不明。年齢は二十代に見える……らしい。異人の血が混じるらしく、一目見れば日本人離れした風貌の女。それ以外に彼女について知る隊士は見当たらなかった。
柱以外では基本的に認められていない継子制度を、鱗滝左近次の後ろ盾があったとしても通してしまえる不自然さ。御館様はこの白峯相模という人物に、よほど特別なものを見ているのだろうか。
……どちらにせよ、自分には関係のないことだ。としのぶは何の気の迷いか噂を深く調べ上げてしまった自分に言い聞かせた。どんなに優れた隊士であろうと、面識がなければ関わりようがない。
だから無駄な考察はこれでおしまい。こんなくだらないことに時間を割くくらいなら、鬼の頸を斬れるよう少しでも鍛錬に専念した方が有益だ。
――そんな風に、思っていた。
得体の知れない隊士についてしのぶがひと区切りをつけたところで、偶然の邂逅は発生した。
鱗滝真菰の蝶屋敷来訪である。
「あはは、お世話にならないように気を付けたんだけどね」
眠たげな瞳を更に目じりを下げて微笑む鱗滝真菰。狐の面を顔の横に被り、艶やかな黒髪を背中まで伸ばした少女だった。
今は隊服ではなく蝶屋敷の患者服を身に着けている。三日ほど前の任務で鬼を斬った時、最後の足掻きとばかりに鬼の頸が吐き出した唾が背中にかかったのだという。唾に触れた皮膚が腫れ上がり痛みを伴ったのでと、こうして蝶屋敷を訪れたのが昨日の夕のことだった。
「本当はこの程度の毒、ほっとけば治ると思ったんだ。でも師匠がどうしても診て貰えって」
「当然です。そういう素人判断が一番危険なんですから」
気楽な顔で縁側に座り足をぶらぶらさせる真菰にしのぶは苦言を呈した。幸いにして大した毒でなかったからいいものの、これが骨まで腐食させる毒であったら急を要する。かすっただけだからと毒を放置して四肢を失う隊士はそれなりに数がいるのだ。
暢気で迂闊な彼女と異なり、存外にその師匠というのは慎重派であるらしい。聞いていた印象と異なる話にしのぶは肩を脱力させた。
真菰の方がひとつ上と歳も近いこともあり、真菰としのぶはすぐに仲良くなった。好きな季節の花やよく行く甘味処の話題、最近流行のキネマが東京と大阪で活弁士の語りがどう違うか――西日本の端まで足を延ばしたという彼女の話はどれも新鮮で飽きることがなかった。
年に70以上も任務をこなしながら、そんなに余興へとつぎ込む暇があるのか。不思議に思ったしのぶだが、当の真菰も同感であるらしく困った顔で肩をすくめた。
「師匠がね、どうしてもって駄々をこねるんだ」
「駄々」
「うん。『せっかく来たんだから名物のアレが食べたい』『焼け落ちてない金閣寺が気になる』『博多に明太子がない、だと……!?』『知っていますか? このラジヲ焼きなるもの、将来はタコ焼きとして天下を取るそうるふーどなのですよ』……とかなんとか。言ってることの半分はわからないんだけど、そういうときの師匠って梃子でも動かないから」
前言撤回したくなった。
奇矯な振る舞いで弟子を振り回す師匠、というのはありがちな構図ではあるが、本当に道楽ばかりにつぎ込むのはいかがなものか。
頭が痛くなってきたしのぶだが、ほどなくして追撃が撃ち込まれる。
「最近は……うん、船を買ってたね」
「ふね?」
なんだそれは。鬼殺に船がどう関係するのだ。
困惑するしのぶに真菰が続ける。
「蟹工船みたいな大きい奴。まだ権利を買っただけで着工は順番待ちなんだけどね。契約したばかりの師匠はすごかったなぁ……『これで私も船成金!』って大はしゃぎして、その日は朝まで豪遊三昧だったよ」
「朝まで」
「途中で紛れてきた鬼を連れ込んだ宿の物陰で首刎ねて、だけど」
「はあ……」
もはや意味が分からない。
のんびりとした真菰の口調も相まって、白峯相模という隊士の人物像がまるで掴めなかった。
腕が立つのは確かなのだろう。昼間に遊興と鍛錬を兼ねてこなし、夜は鬼殺に東奔西走。一度も負傷することなく鬼を斬り続けている。
それが実現しうるのは無尽蔵の体力あってのことなのは間違いない。事実、疲労で真菰が動けないときも平然と出撃を繰り返していたというのだから。
「いいなぁ……」
思わず口から零れたのは羨望の言葉だった。それを聞きとがめた真菰が首を傾げる。
「いいって、師匠が?」
「ええ。だってそんなに動き続けられるほど体力が続くんでしょう? そうやって片手間に鬼の頸を斬ってしまえる。私には、できないことだから」
そうぼやいて、自らの手を見下ろす。もみじのような、と形容できそうな手の平は女性的で、しかし鬼を斬るにはあまりにも華奢過ぎた。
姉のように刀を振るうことはできないと諦め、藤の花の毒に活路を見出した。しかしその毒も未だ研究途中で完成に至ってもおらず、その間しのぶは姉の継子として金魚の糞のように付いて回る足手纏いのままだ。
そんなしのぶを蔑んでくる隊士もいる。いつかは見返してやる、と自信を奮い立たせてはいるものの、肝心の毒が未完成なままでは鬱憤ばかりが溜まっていく。
――そういえば、真菰はどうやって剣を振るっているのだろうか。
やや年上で真菰の方が身長があるものの、彼女はしのぶと同じく小柄な部類だ。きっと鬼の首を斬るのに難儀しているはず。
「――真菰さんは、どうやって鬼の頸を斬っているんですか?」
「どうやってって?」
一度気になればどうしても頭から離れなくなった。
たまらず訊ねてみると、真菰は難しい顔で首をひねり、
「んー…………素の筋肉?」
「どうやったらそんな筋肉がつくんです? というか、真菰さんそんな見た目じゃないでしょう」
「そんなこと言われても。うーん、どう言えばいいのかな……」
いったい何を悩んでいるのだろう。うーんうーんとひとしきり唸り続けた真菰は、ついにポンと拳を打って顔を上げた。
「とりあえず、そうだね。師匠に相談してみるよ」
そのふわふわ笑顔、甚だ不安である。
そんな内心を表に出さず、しのぶは無理難題で困らせてしまったかと申し訳なく思った。
イススィールこそこそ噂話
あまり使いたがらないけれど、相模は魔剣士以外の技能も習得しています。
その中には当然、ひとりの盗賊が極めた奥義も存在していて――