後方師匠面したい系転生者   作:TATAL

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逃げねば(迫真)

 何故か泣き出したソーンとアルシェ、ノルンをよしよししてたら向こう側のテーブルにいたノックス達が合流してきた。

 三人が酔っぱらって使い物にならなくなったから援軍というわけだな? まだだ、まだ諦めんぞ俺は。

 

 ようノックス。久しぶりだな。お前が弟子達を集めてくれたらしいじゃん? 余計なことしやがって……とは言えない。うん、頑張ったね(強がり)。

 君がくれた剣は本当に上等だからマジで重宝してるよ。これ貰っただけでも剣の師範になった甲斐あったもん。故郷の騎士団を率いるくらいには逞しくなった? いや、成長しすぎだよ、そんなに俺に騙されてたのが癪だったの? 

 

 ところでローエンさんまで何故いるんです? あ、そういえばあなたにも修行(口から出まかせ)させてましたね、はい。恨まれる理由ありました。あれから君もノックスも強くなった? 騎士団も鍛え上げて国一番の精鋭と言って差し支えない? やだ、そんな強くなった人に命狙われてるの、俺。いや、あの修行で強くなれた君らは凄いよ、ホント。俺があげた剣を肌身離さず持ってる? ……丁寧に扱ってくれててウレシイナー。そんなにお古の剣渡したこと怒ってるの? 片時も怒りを忘れないようにするくらいに? やだ、執念深すぎるよこの人。頭下げようとしなくていいから、そんな皮肉っぽいお礼を言われても気まずいだけだから! 

 

 あ、シャーレイさんチッス! 相変わらずポンコツ美少女な空気醸し出してますねぇ! え、王都の部下に俺の流派だって言って剣を教えた? コイツも俺の黒歴史を広めてるのか! ノックスといい君といい、人の黒歴史の拡散に余念が無いな! しかもなんでそんなに距離近いの? やっぱり俺のこと好きなの? あ、違うわこれ。俺を逃がさないように全力なだけだ。だって俺の腕握る握力やべーもん。死ぬほど力籠めてるもん。アルシェとノルンが引き剥がしてくれたけど絶対痕残ってるってこれ。そしてまたちょっと離れたところでキャイキャイ騒いでいる。ホント仲良いね君ら。なんかコルンも一緒になって騒いでるけど、さっきまで仲悪くなかった? なんで急に距離縮まってんの? 美少女達の絡みを見てるのはとても目の保養になります。それが揃いも揃って俺をぶち転がしに来たという事情を知らなければな! 

 

 ロクシスもオッスオッス。ガタイ良くなったね君。いや、ホント、見違えましたよ。故郷のギルドで冒険者の頭張ってる? 君もちょっと見ない間にデカくなり過ぎじゃない? もうオヤジ呼びされても否定出来ないよ、恐いよ……。うん、もうオヤジで良いよ、オッサンでごめん。そういえばお袋さんも元気? え? お袋さんを置いてきたことが心残り? いや、あのお袋さんだったら大丈夫では? また飯食わせてくださいね。だからそれまで殺さないでね! なんか震えてるけどなんでです? そんなに肩ポンポンしたのが気に食わなかった? ごめんて。

 

 そしてライネル、よくもノックス達に俺の居場所をリークしてくれたな……。いや、そんなこと言えないけどさ。うん、久しぶりっすね、はい。え、なんですコレ? 妹から? 妹……? え、ユーリって弟じゃなかったんです? ちなみこれ何です? ハンカチ? しかもユーリが手ずから刺繡したと、決闘の白手袋的な? よくも男と勘違いしてやがったなクソ野郎、このハンカチみたいに串刺しにしてやるってことですか? ユーリから伝言? このハンカチを肌身離さず持っておくこと? そんでもって用事が済んだら顔を見せること? ……これはぶっ殺されますね、間違いない。

 俺がハンカチを片手に黙っていると、さっきまで離れたところでアルシェとノルン、シャーレイにコルンまでもが俺の横に来てギャーギャー騒ぐ。なんなの君達、そんなに何か俺に言いたいことあるの? ハンカチなんか捨てとけ? 馬鹿言うな、男と勘違いしていた上にこのハンカチまで失くしたら死刑不可避じゃないか。絶対に失くさないようにします! ということで俺はハンカチをそっと懐にしまう。それを見た四人が凄い顔してたけどなんでそんな顔するんです? 君らはもう俺のすぐ横にいていつでも俺をボコボコに出来るじゃない。

 そう言ったら納得したのか四人とも黙り込んだ。やだ、血気盛んだわこの子達。

 そういえばライネルも大変だね、妹の伝言役なんて。違う? 俺の方こそ? まあ俺はある意味自分で撒いた種ですから……。収穫する気は無いけどな! 

 君はそろそろ魔力を剣にすることは出来たんですかね? 俺の修行のお陰で出来るようになった? 嘘だろ、あの出まかせ修行でホントに出来るようになったのかよ。やっぱり才能の塊だな、主人公ってやつは。やっぱ君が勇者だよ、うん。

 

 ちなみに緑髪のあなたは一体? え、ソーンの相棒で魔法使いのリミィ? ソーンの奴、こんなに可愛くて性格も良さげでその上魔法使いとかいう希少属性の彼女作りやがったのか……! 俺は北国でジジイしか酒飲み相手がいなかったというのに! いや、うん、ソーンのことよろしくね。出来れば俺を殺さないように見張っておいてね! 頼むよ、マジで。

 

 ダメだ、リミィはともかくとして俺の元弟子達が俺を逃がしてくれる未来が全く見えない……。やはり夜陰に乗じて逃げるしかないか。その為にもどうにかしてコイツらをこの町に釘付けにしなくては! 

 世間話を続けて時間を稼ぎつつ、何か良い策は無いかと無い知恵を振り絞っていると、どっかに行っていたクローネのジジイが酒場に戻って来た。何やら慌てた様子で俺と弟子達をどこかに連れて行きたいと言う。なるほど、まだ俺の命運は尽きてないようだな! 

 俺はジジイの言葉に一も二も無く頷いた。おら、ノックス達も来るんだよ。ソーン達も連れてな! で、どこに行くんです? え、この町の領主様の城? 

 

 ジジイに連れられてやってきたのは城、という名の要塞みたいな建物。なんで領主なのに居住性最悪な砦みたいなとこに住んでるんですか……。石造りだからか隙間風寒すぎるんですけど? 文句の一つや二つ言ってやりたかったけどジジイの雰囲気が重苦し過ぎたので何も言わずに後ろをついて行く。ああ、早く山小屋に帰って焚火で暖まりたい。

 領主の部屋だという一室に入れば、白髪で片眼鏡をかけたナイスミドルなオッサンが無骨な椅子に腰かけてこっちを睨みつけてきた。なんで入室して一秒でこんなに睨まれてるんです? 俺なんか悪いことした? いや、弟子達をだまくらかしてここまで逃げて来たって意味じゃ悪いことしたって言えるけどさ。

 

「来たか。クローネの言っていたクラン。小鬼共の侵攻を前に来るとは神の思し召しか」

 

 おいジジイ、ノックス達がこの町に来ること知ってたな? お偉いさんの手前何も言わないけどジトッと睨みつける。ジジイは気まずそうに目を逸らしたから俺の勝ち。何に勝ったかは分からんけど。

 

「クローネに言われて備えはしていた。だが敵の動きが予想以上に早かった」

 

 領主のオッサンの言うことには、俺が仕留めたゴブリンはどうやら斥候らしく、山に出てきたということは早ければ今晩か明日の夜にでも町に攻めてくる可能性があるのだとか。酒場で管巻いてる冒険者のおっさん達だけじゃ手が足りないから手伝って欲しいとのこと。いや、俺の弟子はともかくとして俺は手伝いたくないが? 俺は今晩にでも町から逃げ出したいんですが? 

 

「山越えを控えているそなたらに言うには情けないばかりだ。だが、後顧の憂いを断つと思って助力願いたい」

 

 山越えってなに? もしかして登山客だと勘違いされてます? いや、まあ最悪山越えて逃げようとは思ってましたけどね。とはいえこれはチャンスだ。どうにかしてゴブリンの群れ退治を弟子達に押し付け、俺はその混乱に乗じて山越えて逃げの一手、これだ! 

 追い詰められたお陰か今の俺の頭は普段の五割増しで冴え渡っていた。よし、後はノックス達にゴブリンを上手いこと擦り付けつつ、俺は戦いに参加しないように会話を誘導すれば良いってわけだな? そうと決まれば領主のオッサンが話してるけど関係ない、俺は雰囲気だけはそれっぽく取り繕いながら口を開く。

 

 ゴブリンの侵攻? ならノックスに町の冒険者を率いて戦わせれば良いんじゃないすかね? 

 

 なんでノックスに指揮を執らせるか? そら俺の(元)弟子達を率いてるんだからリーダーに最適だからですよ。むしろ怒れる俺の(元)弟子達を他の奴が御しきれるんですかね? まあ怒りの矛先は俺なんですけど。ローエンが補佐すれば完璧じゃん? 

 

 前線指揮官はロクシスとシャーレイで良いっしょ。だってこの人故郷で冒険者ギルドのトップやってた人と王都の騎士だよ? しかも見ろよこの鋼みたいな筋肉。誰が逆らえるんですか、ロクシスに。あと美少女騎士に従わないオッサンとかいないでしょ。君らも出来るよね? うん、知ってた。

 

 ソーン? いや、もうソーンとアルシェ、ノルンは好きに前線で暴れさせたら良いんじゃないすかね? あの酒癖見たらコイツら絶対人の言うこと聞かないじゃないですか。それにこの三人強いでしょ、絶対。俺に対する怒りをゴブリンにぶつけて多少なりとも発散してくれませんかね? 

 

 ライネルは言うまでも無く前線でしょ。勇者なんだし。軽い前哨戦だと思ってちょちょいと片付けてきてやって下さいよ! あ、コルンもついでに一緒について行きなさいね。君はライネルのヒロインだからね。ライネルの実力見たらビビるよ、うん。だって俺のデタラメな修行で本当に魔力剣とか出来るようになってる主人公だからね? 

 

 こうして口八丁で何とか弟子達をゴブリン退治に参加させるように説得する。ゴブリンを退治する自信? まあノックス達なら大丈夫でしょ。俺が一匹くらいなら普通に倒せるならその十倍は簡単に倒してくれるって。皆主人公候補なんだし。俺? 俺はちょっと……、お酒入ってるから剣振れないです(言い訳)。あ、ちょっとお酒抜くためにひと眠りしてきますね! 後の細かいことはノックス達と話してね、よろしく! 

 そう言いながら俺は誰かが何か言う前に部屋を出ることに成功する。やったぜ! これで後は夜までひと眠りしてからゴブリンの襲撃に乗じて山越えて逃げるだけだな! 

 今日の生存が確定したことで俺はルンルン気分で町を出て山小屋に帰る。一時はどうなるかと思ったが何とか生き延びることが出来そうだな、ヨシ! 

 さて、寝る前に腹ごしらえはしとこう。ということでコルンが用意してくれてる干し肉を焚火で炙って頂く。うん、美味しい! お腹もいっぱいになったし寝るか! 

 

 ……起きたら山小屋がゴブリンの群れに囲まれてたんですけど? 

 

 


 

 

 長兄であるソーン、そしてアルシェとノルンが泣いてしまい、それを師匠が宥めているのをしばらく眺めていたけれど、同じテーブルについたローエン達に目配せすると僕も席を立つ。最初の挨拶は長兄達に譲った。けれど、僕達も話したいことはそれこそ山のようにあるのだ。だから少しお邪魔させてもらうことにしよう。

 そう思い、僕達は師匠のテーブルまで移動する。周囲の冒険者達も僕達の雰囲気を見て察してくれたのか、師匠の周りの席を空けてくれた。

 困ったような顔で長兄達の頭を撫でていた師匠は、近づいてくる僕達を見ると小さく笑った。

 

「お久しぶりです、師匠」

 

「久しいな、ノックス。よくここまで集めたな」

 

 ソーンから事情を聞いたのか、師匠は言葉少なに僕を褒めてくれた。いつぶりになるか分からない師匠の言葉。たった一言だけだというのに、僕は心が満たされるように感じた。このまま師匠の目を見ていると僕も涙が溢れそうになるので、慌てて目を逸らす。すると、師匠が懐に抱えている剣に妙に見覚えがあることに気付いた。まさか、この剣は。

 

「師匠、その剣……」

 

「これか? お前があの時贈ってくれた剣だ。ここに来るまで俺を守り、魔物を狩った。俺はいつだって貰い過ぎる」

 

 ああ、ああ、そんなことは無い。僕こそあなたから貰い過ぎていて、それをほんの僅かでも返すことが出来ればと剣を贈ったのだ。師匠なら新たな剣を手に入れていてもおかしくないと思っていた。むしろ当然だと思っていた。師匠ならば伝説の聖剣を手にしていたとしても頷ける。その一助になっているだけで良いと思っていたというのに。

 

「それこそまさかです。僕はあの後、騎士団を率いることも出来るようになりました。そうして経験を積み、今ここにクランを率いて来ることが出来た」

 

 どれもこれもあなたから教えて頂いたからだ。剣術を、剣を振るうために必要な心を、貴族として、人の上に立ち、率いる者として求められる資質を、あなたの剣と言葉で僕は教えて頂いたのだ。僕が今ここに立っているのは、あの日師匠に教えて頂いたものが土台としてあるのだ。

 

「見違えた。よく頑張ったな、ノックス」

 

 そして今までの僕の足跡は、この人の一言で全て肯定される。父にも褒めて頂いた。兄達にも褒められた。僕の周囲は皆、成長した僕を褒めてくれた。だけど、この人の一言はそれら全てを凌いで余りある。僕にとってはそれくらい重たい一言だった。

 

 僕のしてきたことは間違いじゃなかったのか。僕は師匠の思惑に反したことをしているのではないのか。他の兄弟弟子を巻き込んだのは、自分だけが師匠に失望されたくないという浅ましい計算が無かったと本当に言えるか。ここまでの旅はそんな自問自答の繰り返しだった。外に出さないように押し込めてきた暗い思いが、師匠の一言で霧散していく。

 

 感極まって言葉も出ない僕を見かねたのか、それとも自分の番だというつもりか、今度はローエンが師匠の前に歩み出た。

 

「挨拶が遅れました、師匠」

 

「ローエンも来たのか。騎士団は良かったのか」

 

「ノックス様と俺の指導で騎士団は国一番と言っても良い精強な集団になりました。それに、私とて剣を習った身。ノックス様の補佐をするという理由で押しかけてしまいました」

 

「……お前もノックスも、強いな」

 

「まさか。自分などまだまだです。師から剣を賜った日より、いくら鍛錬を重ねてもまだ足りません」

 

 ローエンはそう言うと、自分の腰に佩いた二本目の剣を示す。あの日、師匠がローエンに渡した剣だ。片時も手放すことなく、手入れも欠かしたことが無い。クランで皆の兄貴分として、僕の補佐として一歩引いたところから全体を観察し、いつも冷静なローエンがこの剣だけは誰にも触らせない。自分の剣がたとえ折れたとしてもこの剣を抜くことは無いと豪語する彼を笑うものは、クランには誰一人としていなかった。

 

「物持ちが良い奴だ。……悪い気はしないがな」

 

「……これは俺の拠り所ですから」

 

 そう言ってローエンは深々と頭を下げようとしたが、それを師匠に手で制されていた。

 

「易々と頭を下げるな。お前の主はノックスだろう」

 

 そんな師匠の言葉にローエンの動きがピタリと止まる。この人は、本当に寒村の出身なのだろうか。その言葉一つ、所作一つがただの農民だったなどと思えない、思わせない。貴族である僕に仕える騎士が、貴族でも無い人間に頭を下げる。それは僕らの間では問題ない。けれど対外的には貴族が平民に頭を下げることになり、問題視する人間も当然いる。そんな問題が出ないように、師匠は頭を下げさせなかった。ローエンは代わりに右拳を胸に当てた。騎士団の中で了承の意を示す仕草。それだけで意図はきちんと伝わったのか、師匠は静かに頷いた。

 

「次は私の番だな! 師匠、お久しぶりです!」

 

 そしてそんなローエンを押しのけんばかりの勢いで飛び出してきたのはシャーレイだ。ソーンと似た鮮やかな赤毛を揺らして師匠の前で跳ねている。いつも冷静な彼女がここまで感情を露わにするのも珍しいが、師匠の前だからそれも仕方ないことか。

 

「シャーレイ。相変わらず落ち着きが無いな」

 

「も、申し訳ありません……」

 

「悪いことじゃない。お前らしい」

 

 一言目に委縮してしまった彼女だが、続く師匠の言葉にすぐさま元気を取り戻していた。

 

「そ、そうですか! それでですね! 私もあれから王都で騎士団の育成に励みまして。私の部下に師の剣を多少なりとも伝えることが出来たのです!」

 

 シャーレイは師匠の腕をがっしりと掴んで言い募る。アルシェとノルンが撫でられていたから羨ましいというのは分かるけれども、あまりにもあからさますぎてフォローすべきか悩む。というよりシャーレイの力であそこまで腕を握ったら流石に師匠とは言え痛いのでは? 

 

「俺の剣を……。お前もよくやるな……驚いた」

 

 だが、師匠は顔を顰めるどころかむしろどこか呆れたように微かな笑みを浮かべてそう返した。師匠の予想を多少なりとも覆す。それが出来たシャーレイは素直に尊敬に値する。僕だって、騎士団を鍛えることはしたものの、師の剣理を伝えることは出来なかったのだから。

 

「し、師匠! では、その、私の頭もな」

「何を発情している、雌猫」

「油断も隙も無い」

 

「アルシェ、ノルン!? いつの間に復活していたのですか!?」

 

「二人だけだと思ったか?」

 

「コルン殿!?」

 

 まさしく鬼の形相となったアルシェ、ノルン、コルンの三人にシャーレイが連行されていった。そしてそのまま店の片隅で犬猫の喧嘩染みた騒ぎが始まった。彼女らがいると雰囲気がおかしくなるな……。いや、むしろそれもシャーレイの良いところなのだろうが。

 師匠も店の隅で騒ぐ四人を不可解な顔で見つめていた。

 

「いつの間に仲良くなったんだ、あのコルンは」

 

「ええ、まあ。共通の敵というか、敵の敵は味方というか」

 

 僕がそっと零した言葉に師匠は首を傾げていた。そんな師匠の前に、待ちくたびれたとばかりにロクシスが進み出る。

 

「さて、次は俺の番だな」

 

「ロクシス……でかくなったな」

 

「……あんたのお陰だ」

 

 でかくなった。その言葉は何も身体の大きさだけではないだろう。ロクシスは港町のギルドを纏め上げるまでに成長した。闇雲に剣を振っていた少年がそこまで成長したのだ。そこに至るまでにどれだけの壁があったのか、そしてそれを越えたロクシスがどれほどの成長を遂げたのか、師匠は一目で見抜いていた。

 

「港町の冒険者共を纏め上げて、ギルド長にまで上り詰めた。それもこれも、あんたのお陰なんだよ……、親父」

 

 ロクシスは師匠を親父と呼ぶ。ソーンだって、アルシェとノルンだって師匠のことを親のように慕っている。だが、彼らの向けるそれは様々な敬愛が混じり合ったものだ。一方でロクシスは純粋に師匠を親として慕っていた。ロクシスの話を聞いた僕も、彼が師匠を親父と慕うのも当然だと頷けた。それだけ、彼と師匠の間には特別な絆が生まれていたと僕は感じた。けれど、師匠は港町を出るときに親父になれないと言葉を残した。それは、ロクシスに二度も父親を失わせたくなかった師匠の気遣いだと僕は解釈した。だからこそ、こうして再び顔を合わせた今なら。

 

「……親父にはならないと思っていたんだがな」

 

「あんたは親父だよ。誰が何と言おうと、俺にとってはな」

 

「そうか……、今はもうそれを否定する気も無い」

 

 師匠はそう言ってロクシスの肩にそっと手を添える。

 

「母親は元気か」

 

「……故郷に置いて来ちまった」

 

「お前が守り続けたんだ。大丈夫だろうさ」

 

「ああ……」

 

「また、飯を食いに行く」

 

「ああ……!」

 

 ロクシスはそれ以上何も言えなくなり、片手で目を覆った。面子を大事にする海の男にとって、涙を流す姿を人に見られるのは恥だ。それでも、我慢できなかった。

 母を置いてきたこと、母を守れという師匠の言葉を裏切って追いかけてきてしまった。そんな不安すら、師匠は見通していた。そしていとも簡単にロクシスの弱った心を救ってしまった。ただ、そんな師匠だからこそ、あそこで騒いでる四人はああなってしまったのだと思うとどうしたものかと考えてしまう。

 

「ライネルも、お前とはまだそこまで久しぶりではないが」

 

 肩を震わせて泣くロクシスを宥めながら、師匠は傍に控えていたライネルに声を掛けた。

 

「そうですね、とはいえ話したいことは沢山ありますが。ただ、先にこれを渡しておかないと」

 

 ライネルはそう言うと懐から一枚のハンカチを取り出した。そういえば王都を出るときに彼の妹であるユーリ嬢が鬼気迫る表情でライネルに何か押し付けていたな。それが、あのハンカチということなのだろうか。

 受け取った師匠も不思議そうにハンカチを眺めている。その片隅には小さいながらに精巧な花の刺繍。確か、あの花は……。

 

「妹が手ずから縫った刺繍です」

 

「妹……」

 

 薄い桃色の小さな花。ああ、そういうことか。社交界でよく見られるものだ、あの花の刺繍は。その花は貴族の庭園の中でも、目を惹く大輪の花から外れたところにひっそりと、けれど確かに咲く花。その健気な姿に貴族の女性たちは自らの心を重ねて刺繍し、男性に贈る。

 

「ユーリから伝言です。肌身離さず持っていて欲しい。そして用事が済んだら会いに来て欲しい、と」

 

 アルシェとノルンの二人に真っ向から立ち向かう勝気な姿が印象的だったが、やはりユーリ嬢もご令嬢だったらしい。このような奥ゆかしい方法で師匠に想いを伝えようとするとは。手ずから刺繍を施したハンカチを贈る、それだけでも十分だと思ったが、伝言もライネルに託すあたり、アルシェ達に負けるつもりは一切無いという意思表示でもあるのだろう。

 

「ユーリが……」

 

 師匠もハンカチの意味に思い至ったらしく、そう呟いたきりそれを片手に黙り込んだ。そして先ほどまで四人で騒いでいたはずのアルシェ達がこちらの様子に気付いたのか、バタバタと慌てた様子で師匠に詰め寄っていた。

 

「し、師匠! まさか、それはユーリ殿の……」

 

「う、受け取ってはダメ、それは罠」

「私達が責任をもって処分する」

 

「同じく、それはダメなやつ……」

 

 先ほどまで争っていたというのに今度は仲良く連携する。敵の敵は味方、と先ほど言ったが、彼女らにとって敵と敵の敵は激しく入れ替わるものらしい。

 そして師匠はと言えば、そうして騒ぐ四人をまるで無視してハンカチを懐にしまい込んだ。

 

「捨てるものかよ。お前達も落ち着け、俺は今どこにいる? お前達の目の前だろう」

 

 その言葉に騒いでいた四人はピタリと黙り込んだ。本当に、この人がただの平民だったなんて信じられない。どこかの没落した貴族だと言われた方がまだ信憑性があるものだ。

 

「ライネルも大変だな、伝言役か」

 

「私も師匠と会いたかったですし、ついでですよ。それに大変なのは師匠もでは?」

 

「俺が撒いた種だ。それで、ここに来たということは成したか」

 

「ええ、師匠の修行のお陰です。あなたの鍛錬のお陰で、私は銀の魔力を使えるようになりました」

 

 師匠の言葉にライネルは胸を張って返す。それを聞いた師匠は満足そうに笑った。

 

「今のお前は勇者の名に相応しい」

 

「……あなたにそう言われることが、他の誰に言われるよりも私を肯定してくれる」

 

 ライネルはそう言うと小さく頭を下げた。そこで僕達の挨拶がひと段落したと感じたのか、今まで輪から少し離れたところでこちらの様子を窺っていた人物がおずおずと前に歩み出てきた。緑髪の、身の丈ほどの杖を持った女性。ソーンの相棒であり、僕達のクランで唯一の魔法使いでもあるリミィだ。彼女だけは師匠と面識が無く、僕達の話が終わるのをずっと待っていてくれた。ようやく落ち着いたらしいソーンがリミィと師匠を互いに紹介し、二人の顔合わせを済ませる。

 

「リミィ、か」

 

「は、はい!」

 

「俺のような人間に畏まる必要はない。魔法、素晴らしい才能だ」

 

「ありがとうございます。あなたの話もソーンや他の皆から聞きました!」

 

「そうか。……ソーンのことを頼む。あれをよく見てやってくれ」

 

「……はい!」

 

 師匠に言われ、リミィは深く師に頭を下げた。彼女にとってはソーンの親に等しい存在からソーンを任されたのだ。これまでの彼女の働きに不足があったなどとは欠片も思わないが、それでもより一層、彼女は頑張るのだろう。師匠にソーンのことを頼むと言われたのだから。

 それからも、師匠は僕達が代わる代わる話すのを静かに聞いては、時折頷き、小さく笑って相槌を打ってくれた。僕達ももう子どもでは無いというのに、そんな師匠に飽きもせずずっと話しかけるものだから、周囲の冒険者からしたら騒がしいやら微笑ましい光景だったことだろう。

 そんな僕らの輪の中に息を切らして入って来たのは、僕達が師匠に話しかける前、師匠と少し話をすると血相を変えて酒場を飛び出して行ったご老人だった。

 

「旧交を温めているところ悪いが、一緒に来てもらえねえか?」

 

 彼の言葉と表情に、僕は凡その事情を察した。これまでも訪れた町や村で同じような顔をした人を見てきた。これは、大きな危機を予感した人の顔だ。

 

「……分かった。行くぞ」

 

 師匠も同じように察したらしい。先ほどまでの緩んだ空気は一転、僕達も真面目な顔で頷いた。

 そうして連れて来られたのは町の中心に位置する領主の居城兼砦だ。ライネルに道すがら聞いた話では、この町は極北山脈の最前線に位置しており、魔物の侵攻を幾度となく退けてきたという。領主一族は最も王族からの信頼が厚く、周囲の異種族の村とも強固な信頼関係を築いているらしい。僕達が穏やかに過ごしていられるのも、この北の町に集った歴戦の冒険者と領主一族の尽力があってのものだ。

 

「来たか。クローネの言っていたクラン。小鬼共の侵攻を前に来るとは神の思し召しか」

 

 クローネというご老人に連れられて来た一室には、この町の領主であろう人物が座っていた。綺麗に撫でつけられた白髪、片眼鏡の奥から覗く鋭い目、醸し出す圧力は師匠ほどでは無いと言え、それでも自然と背筋が伸びる。

 

「この町の領主を務めている、フォルテという。不躾にも呼び出してしまって申し訳ない」

 

 フォルテはそう言って頭を下げる。領主であれば間違いなくこの場にいる中でライネルを除いて最も地位の高い人間だ。そんな人間が簡単に頭を下げる。それは彼が冒険者に対して敬意を払っているのと同時に、この町に迫る危機の大きさを物語っていた。師匠も完全に事情を察し、クローネを鋭い目で睨みつけていた。

 

「クローネから小鬼の斥候がいたという報告を受けた」

 

 小鬼。

 

 それは極北山脈を越えて人類の生存圏に侵攻してくる尖兵だ。頭目の下に統率された小鬼は騎士団もかくやという絶対の指揮系統を持つ。ただ、その指揮系統は人類に対して悪辣な方向にしか発揮されない。そしてその斥候が発見されたという。

 

「小鬼の斥候が山のこちら側、それもクローネの見回りルートに現れたということは既にこちらに向けて相当数が向かっているということだ」

 

 小鬼が発見されることも厭わないルートに斥候を放ったということは威力偵察を半ば兼ねているということ。方々に斥候を放ち、人間がどこを重点的に見回っているのか、小鬼単独を処理できる戦力をどれだけ抱えているのか、それを確認しに来たのだろうとフォルテは語った。

 

「であれば小鬼の軍勢は今夜、遅くとも明日の夜にはこちらに攻め込んでくるだろう」

 

 小鬼が撃破され、存在が露見した。であればこれ以上隠れ潜むことに意味は無い。後はこちらが体制を整える前に一気呵成に攻め込んでくるのが小鬼のやり方だという。どこまでも人類を追い詰める方法に長けた連中だ。

 

「クローネに言われて備えはしていた。だが敵の動きが予想以上に早かった」

 

 腕利きの冒険者を集め、町の騎士団も警戒を厳とし、物資も備蓄していた。それでも、敵軍の規模によっては危うい。最悪籠城戦となった場合は長く持ち堪えられないだろうとフォルテは語った。

 

「哨戒に出した騎士達の報告によれば、小鬼の軍勢は少なく見積もって三百程度との予想だ」

 

 魔物が三百もいる。それは人類にとっては絶望的な数字だ。僕達が未だに魔物に対抗して生存圏を維持していられるのは魔物の発生が単発で起こるからであり、多くは野生の猛獣を率いるに留まるからだ。その上、群れの長となっている魔物を討伐さえすれば群れも一時的に霧散する。

 だが、小鬼は違う。奴らは数を揃える。統率された戦闘集団としてこちらを攻撃しに来る。小鬼を一体相手取るのに熟練の冒険者が四人必要な計算であれば、小鬼三百の軍勢は人間千二百の軍勢に匹敵する。

 話を聞きながら、僕はこの町の冒険者の戦力を計算していた。酒場で見た冒険者達は皆手練れだ。どの冒険者達も互いに顔見知りであろうし、そうであればどういった組み合わせでも連携が可能。小鬼がどれほどの脅威であるか、実際にこの目で見たことが無いから想像しか出来ないが、四人一組になれば小鬼を倒し切れるだろう。そうでなくとも、二人なら殺されるまではいかずに時間稼ぎも出来ると思う。町を囲む防壁には投石器やバリスタが設置されている。門を閉じ、防衛に徹すれば耐えることは出来るだろう。騎士団の練度までは分からないが、それによっては打って出ることも可能か。だが、フォルテの顔を見るに楽観的な想像は出来ない。僕の最悪のシナリオが正しいとすれば、死ぬまでの時間が延びるだけ。

 

「山越えを控えているそなたらに言うには情けないばかりだ。だが、後顧の憂いを断つと思って助力願いたい」

 

 そしてフォルテの口から出たのは僕の予想通りの言葉だ。フォルテの隣に座るクローネも渋い顔をして黙り込んでいる。彼らは師匠と僕達の目的を知っているのだろう。だから、本来は守りを引き受け僕らを山越えに送り出すつもりでいた。しかし、敵の動きが予想以上に早く、規模も想定外。

 確かに師匠であれば小鬼がいくら束になったとて物の数ではない。そして僕達も師匠程では無いが、そこらの冒険者とは一線を画す戦力だと自負している。頼りにされるのも当然の話だと言えた。

 

「そなたらには悪いが、臨時でギルドの指揮下に」

 

「ノックスに率いらせれば良い」

 

 フォルテの声を遮るように発された師匠の言葉に、部屋の空気が凍り付いた。

 

「それは、我が領のギルドでは力不足ということか?」

 

 少し震えたようなフォルテの声は、これまで最北端を守ってきたのは自分達であるという自負から来るものだろう。それを笑う者も、否定する者もこの場にはいない。

 

「俺の弟子達はノックス以外では扱い切れんだろう」

 

 ただ一人、師匠を除いて。

 

「ローエンが補佐に付けば若いからとて冒険者達が舐めることも無い」

 

 何か言いたげなフォルテに口を挟む隙を与えないように、普段からは考えられない口数で師匠は話を続けた。

 

「前線にはロクシスとシャーレイを置け。小隊を纏め上げるに適任だ。やれるな?」

 

「は、はい!」

「そこまで言われてやれないなんて言うような奴は弟子を名乗れねえな!」

 

 師匠はこちらを一瞥することすら無かった。彼の目はただフォルテとクローネにだけ向けられていた。

 師匠も初めからこうなることを予期していたのだから、僕と同じ結論に辿り着くのも分かる。

 

「アルシェとノルンは好きに動かせば十分以上の働きをする」

 

「当然」

「肩慣らしにちょうど良い」

 

 だが、師匠はどうして僕達の適性をここまで見抜いているのか。彼は僕達の今までの旅を見てきたわけじゃない。だというのに、師匠は手に取るように僕達の普段の動き方を把握し、どうすれば僕達が最大限の力を発揮できるか、どうすれば最もこの町に損害を出さなくて済むかを理解している。

 

「ソーンも同じだ。信じて、任せれば良い」

 

「任せてくれよ、師匠」

 

 僕達を見て、話を聞いて、師匠は自分が見抜いた才能が正しく開花したことを悟ったのだと、僕はそこでようやく理解した。

 

「先頭を切るのはライネル、お前だ」

 

「……その信頼に応えますよ、師匠」

 

 ここまで師匠を追って来たこと、師の意思に反しているのではないかとの不安は酒場での会話で消えた。僕は師匠について行くことが出来ればそれで良いと考えていた。けれど、師匠は更にその先を見据えていたのだ。僕達なら、極北山脈から湧きだす魔物の軍勢すらも退ける力を以て追いついてくると、信じてくれていたのだ。

 

「……そこまで言うからには、小鬼の侵攻を退ける自信があるのであろうな」

 

 フォルテが鋭く目を細めて師匠を睨みつけた。彼自身もそうすべきだと半ば思いかけている。ただ、これまで町を守ってきたのが自分達だというプライドがまだ僅かながらに残っているのだ。

 

「俺の弟子だ。それで十分だろう」

 

 そんなフォルテへの返答はたった一言。それを聞いたフォルテとクローネは諦めたようにため息をつくと、師匠の提案を受け入れた。

 まったく、この師匠はどこまでも僕達の扱い方を熟知している。これまでの会話だけでも僕達の士気は十分以上に上がっているというのに、こんなことまで言われてしまえばもう止まれない。今なら小鬼の軍勢が千を越えていたとしても僕達は負ける気がしなかった。

 

「それで、お主はどうする?」

 

「……俺は酒を抜いてくる。後はノックスに任せる」

 

 酔っている様子など微塵も無いというのに、師匠はそう言って止める間もなく部屋を出て行ってしまった。領主であるフォルテと確執の残りかねない交渉を師匠が僕の代わりに終わらせてくれ、残った実務的な話からは僕に任せてくれる。言葉少なに、それでも弟子である僕達を大事なところでは必ず助けてくれる人だ。

 

「ハァ……言うだけ言ってどこかに行く奴があるか。まあ諦めろ、フォルテ。あの剣鬼が人の下で動くわけが無え。その弟子もな。俺達じゃ扱いきれんのも事実だ」

 

「こちらから助力を請うているのだ。それ以上を求めるのは虫の良い話、か」

 

 クローネの言葉にフォルテも目を伏せてそう言った。だが、次に顔を上げたフォルテの顔は既に戦士の顔に変わっていた。

 

「そうなれば話を進めるしかない。騎士団と冒険者の指揮をノックス殿に預ける。好きに動かして構わん」

 

「ええ、微力を尽くしましょう」

 

 この町を託されたのだ。師匠の弟子として、その名を貶めることは許されない。

 

 


 

 

 日がすっかり落ち、辺りを闇が支配する頃、山からいくつもの灯がこちらに向かっているのが見えた。あれは小鬼の先触れだ。

 生憎と空には雲が立ち込めており、月の光も遮られている。

 

「来ましたね、やはり今夜でしたか」

 

「防衛設備には既に人員を付けている。第一陣はそれで凌ぐ」

 

 隣に立つローエンの言葉に僕はそう返した。彼は先ほどまで僕の指示を伝える為に防壁の上を走り回ってくれていた。僕が直接指示を出すより、ローエンの方がその風貌から冒険者に指示を通し易い。

 そして防壁の下、門を出てすぐのところにはライネルを先頭に、ソーンとアルシェ、ノルンを含む直接戦闘部隊が集結していた。

 彼らは皆静かだ。緊張も、諦めも、過度の興奮も無い。ただ、師匠の期待に応えるため、目の前の魔物を屠る。それだけが今の彼らの頭の中にあることだ。

 

「それにしても、師匠はどこへ行っちまったんですかね」

 

「分からない。どこを探しても姿が見つからなかった。まさか一人で小鬼の下へ向かったとは思わないが」

 

 それ以上に気がかりなのはローエンの言った通り、師匠のことだ。町を探し回っても師匠は見つからなかった。口さがない冒険者が逃げたのではないかと口にしたが、……どうなったかは言うまい。

 その時、こちらに向かって来る灯の速度が上がったように見えた。想定よりも距離が空いているのに、もうこちらに向かって走ってくるのか。

 

「投石器、バリスタ部隊に通達。先ほど指示した位置まで小鬼が来たら指示通りに打て。再装填時間はリミィ達魔法使いが稼ぐ」

 

「承知! 構え!」

 

 ローエンが声を張り上げると、防壁上のあちこちからキリキリと音が聞こえ始める。投石器やバリスタを引き絞る音だ。

 壁に灯が近づいてくるにつれて、小鬼達のものであろう雄叫びが僕らの耳に届く。それは僕らの原始的な恐怖を呼び起こし、気を抜けば手が震えてしまうだろう。

 そして雄叫びに動揺して逸ってしまうものも出るかもしれない。前線部隊の統率はロクシスとシャーレイに任せれば問題ない。だが、防壁上の部隊はどうか。いや、それも問題ない。

 

「まだだ! まだ撃つな!」

 

 その動揺はローエンの一喝で制御される。僕は小鬼達の進軍をただ見ていた。想定している位置まで、後……。

 

「まだ撃つな! よく狙え! チャンスは一度きりだ!」

 

 ローエンの声が遠くに聞こえる。小鬼達の前線が更に近づく。最も効果的な位置まで前線を引き付ける。そのタイミングは、今。

 

「今だ!」

 

「撃てぇ! 全弾発射ぁ!」

 

 ローエンの怒号と共に投石器が玉を飛ばし、少し遅れてバリスタが矢を放つ。投石器に積まれていたのは油壺。雪深いこの町では灯としても、暖を取るためにも重宝される。それが小鬼達の前線に直撃し、中身をぶちまけた。遅れて放たれた矢は火種だ。

 小鬼の前線に大きな火の手が上がる。先ほどまでとは異なる種類の雄叫びが小鬼達の前線から上がった。だがそれだけではない。この火は更に大きな火に繋がる。

 

「リミィ! 火の魔法を!」

 

 僕は防壁上に待機していたリミィに指示を飛ばす。彼女から返事は無かったものの、そんなものは必要ない。指示から間を置かず、巨大な火球が次々と小鬼達の軍勢に襲い掛かっていったのだから。

 ソーンと共に旅をしていたリミィ。彼女は僕達とは異なり剣を使わず魔法を使う。けれどクランの一員として何も恥じない能力を持っている。師匠が見出したソーン、そのソーンが見出したリミィがただの魔法使いで終わるわけが無かった。

 そして再装填が終わった投石器とバリスタからもう一度小鬼達に向かって岩と矢が放たれる。だがこれは牽制以上の意味を持たないだろう。事実、火に巻かれた小鬼達は地面に沈んだものの、その後ろから新たな小鬼が押し寄せてくる。だが、その先にいるのは岩や矢、火などよりもよっぽど恐ろしい修羅達だ。

 

 眼下に眩しい光が見える。火の明るさとも違うそれは、伝承に謳われる勇者だけが持つという銀色の魔力。

 

 銀の剣を掲げたライネルを先頭に、後ろに続くのはソーンとアルシェ、ノルンの三人。そして更にその後ろに続くのは前衛の冒険者達を率いるロクシスとシャーレイだ。

 上から見ていれば、小鬼達の群れを食い破っていく銀色の光がありありと分かる。ライネルだけじゃない、ソーンも単身で小鬼の群れに切り込んでいく。何故彼がライネルすら差し置いて僕らの中心だと、一番弟子だと言えるのか。それは今の戦いを見れば誰の目にも一目瞭然だ。

 

 最も長く師匠の剣理に触れ、そして最も長くその剣理を究め続けた。

 

 であればソーンこそが最も師匠の剣に近くなるのは自明だ。

 

 銀の剣を振るうライネル。その源は自身の内側に宿る伝承の魔力。それは魔力の素養を持たない人間にもその威容を見せつける。

 

 それと対を為すように、魔力の素養がある者にだけ見える不可視の刃。師の剣理を突き詰めた先に見える、只人でも魔物を穿つ師の剣を最も強く体現したのがソーンだ。

 

 そして少し毛色が違うのがアルシェとノルン。彼女らは一人だけなら僕やローエンでも勝てる。だが、二人になると手に負えない。視線を合わせることも、声を掛け合うことも無く、それでいて互いの動きを完璧に把握して動く二人は、鋏のように小鬼の群れを裁断していく。

 

 まるで狼が獲物に食らいつくように、小鬼の群れを食い破っていく。だが、ライネル達がいくら小鬼を物ともしないと言えど、二人しかいなければ当然小鬼はそれを掻い潜る。だからこそ、ロクシスとシャーレイが冒険者達を率いて囲んでいく。猟犬達の射程から獲物を逃さぬように、壁となる。

 小鬼達も予想外だろう。自分達を単身で圧倒する人間がいるなど思いもしなかったに違いない。

 

 戦況は間違いなく僕達に有利だ。けれど、拭いきれない違和感が残る。

 

「……小鬼の数が少なすぎやしないか?」

 

 言葉にすれば、その違和感は輪郭をはっきりとさせた。ライネル達が相手にしている小鬼。確かに相当な数がいるが、三百には足りないように見える。百……多くて二百か。残りはどこにいる? 

 

「ローエン」

 

「伏兵の可能性もある。山から下りてくるとしたらこの方角しか無いはずだが、大きく森を迂回出来れば町の裏手に出られる。そこまで小鬼共が計略を練るとは思わなかったが」

 

「力押しでも勝てる小鬼が策を弄した?」

 

 だとすれば、目の前の小鬼共は陽動だと? 師匠が斥候を始末し、それを知った小鬼が正面に囮部隊を展開し、裏から回り込もうとしているというのか。

 

「力押しでも勝てるからこそ、少ない伏兵でも町に入り込めれば俺達を殲滅できると踏んだのかもしれませんよ」

 

「……ここの指揮を一時的にフォルテ殿に預ける。僕とローエンで反対側の防壁を確認しに行く。こちらに灯が見えた時点で防壁上の見張りもこちらに回してしまった。小鬼が来ているとすればもうかなり近づいているかもしれない!」

 

「承知!」

 

 ローエンに伝言を頼むと、僕は簡易に設立された指揮所を飛び出した。灯が消えた通りを頼りない視界の中、足を取られぬように気を付けながら反対側の門へと向かう。

 ライネル達を戦線から引き抜くわけにはいかない。正面の小鬼達も彼らがいるからこそ大きな犠牲も無く押し留められているのだ。裏門に小鬼が迫っていたとすれば、僕とローエンだけで相手取る必要があるだろう。

 

 裏門に辿り着いた僕は、門の隙間から外を盗み見る。伏兵だとすればバレるような真似はすまいと思うが、灯は無い。夜目が利くと言われる小鬼が何故ああもあからさまに灯を持ってこちらに向かってきていたのか。そこまで計略を練る必要が彼らには無いと思っていたからこそ、抜かった。

 

「これじゃあ師匠に失望されても仕方ないな」

 

 この失敗は、この剣で取り返さなくてはなるまい。

 僕は門の外に出て、剣を抜き放つ。落ち着け、ここは風下だ。小鬼特有の臭いがすれば分かる。それに雪も積もっていて周囲の音を吸収しているのか、僕の呼吸音以外の音は聞こえなかった。

 

「……っ!」

 

 その時、僕の鼻が異臭を捉えた。同時に雪を踏みしめる足音も。だが、少し様子がおかしい、あまりにも血腥い臭いだ。それに足音も少なすぎる。何故、一人分の足音しか聞こえない? 

 

 僕は前方の闇に眼を凝らす。足音はどんどんと近づいており、異臭も強くなっていく。ただの伏兵の小鬼か、あるいは単身でも町を崩壊させられる程の新たな魔物か。

 闇の中に蠢く影が見えた。そして雲の切れ間から月の光が小さく差し込み、その影を照らし出す。

 

「……こんなところで何をしている、ノックス」

 

 服を血で赤く染めた師匠が、僕の目の前に立っていた。

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