一夜明けて再び森の中心に聳えるいかにもな巨大樹を目指して出発した俺達。今日はライネルが持ち前の主人公力を発揮して周囲に魔力を展開して瘴気の影響を軽減するとかしてくれたのでリミィも自分の足で歩ける程度には回復していた。そしてソーンを先頭にローエンとコルンが両脇、そしてノックスが殿を務めるという相変わらずの陣形に囲まれた俺は強い魔物が出てきませんようにともっともらしく取り繕った表情の裏で必死に祈祷していたわけなのだが。
「霧が出てきた……」
先頭を歩くソーンがそう言って足を止める。ノックスとローエン、コルンも俺とリミィを中心にして固まって剣を抜いた。え、単純に天気の関係で霧が出たんじゃないの?
「この霧、魔力を感じます……!」
そう指摘するのは隣に立つリミィさん。あ、そうなんですね、素人は黙っておきます。口を開いて無知を晒さないように形だけでもリミィを背中に庇って仕事しようとしてるアピールをする。実際には俺が戦うより先に弟子達が戦うから俺は仕事してるフリでしか無いけどな!
「皆、離れないように。霧で視界が悪い中逸れてしまったら合流が難しい」
ノックスに言われるまでも無く離れるつもりなんか微塵も無いよ? なんなら逸れそうになったら恥も外聞もなく弟子の誰かの服を引っ掴んで離さない覚悟だ!
そう考えている間にも霧はどんどんと濃くなっていき、ついに目の前にいるはずのソーンの背中すら見えなくなっていく。
「全員! 近くに……!」
「……の手を!」
「……しょう!」
姿が霧に隠れるどころか声まで遠くなっていってるんですけど!? 絶対敵の罠だこれ!
誰か掴めやしないかと慌てて手を伸ばしたものの、俺の手はむなしく空を切ることになった。そしてその結果、
「なんで俺だけ逸れてるんです……?」
気が付けば周囲には一寸先も見えないくらいに濃い霧が掛かってしまい、いくら呼びかけても弟子達からの返事は無い。これは迷子になりましたね、間違いない。というかどこ見ても白一色だからマジで何も分からんのだけど?
「どうしたら良いんですか……」
逸れた時は下手に歩かない方が良いとは言うけど、このまま立ち尽くしていてもどうにもならないよなぁ……。普通に考えて逸れたのが俺だけだったらソーン達なら足手纏いの俺を置いて行くでしょ。そしたら俺は魔王とかいうボスが近いこの森で一人だけ置いてけぼりを喰うわけで……、どっからどう考えても詰みなんだが?
というわけで俺は方角も定かじゃない霧の中をあてどなくさ迷うことになった。どう考えても死亡フラグでしかない。
頼むから何も出てきてくるなよ……! という祈りをいるかどうかも分からない神様に祈りながら、俺は両手を前に差し出してヨタヨタと歩き続ける。ホントに手で触れるくらいの距離に木が出てくるまで木があることに気付かない程度には霧が濃いせいで油断してると顔面に枝当たりそうで怖い!
ソーン、コルン……、どこぉ……?
どれだけ歩いたかも分からないが、あまりの心細さに情けない声が漏れそうになる。俺の鉄壁の表情筋は何とか冷静さを取り繕ってくれているが、それもそろそろ決壊しそうだ。というか誰も見ていないんだろうし取り繕う必要も無いのでは、などと思い始めたところで、俺の目の前に広がる霧が何やら不可思議な気流に乗って形を象ろうとし始める。
なんだなんだと立ち止まって見ていると、周囲の霧が集まってぼんやりと人の形を取り始める。しかもその形は手に当たる部分に剣を持っていると来た。いや絶対これ何らかのギミック敵じゃん。物理攻撃無効でこっちが一方的に攻撃され続けるクソゲーじゃないか!
そう思っていると人型になった霧の塊がこっちに斬りかかってくる。どう見ても俺じゃ勝てないのは確定しているので俺は踵を返して逃げる……なんで振り返った先にも霧の敵がいるんです?
「これってもしかして周囲の霧が全部敵では……?」
あ、これは詰んだわ。逃げるしかないわ。ということで俺も剣を引き抜いて霧の中に突っ込んでいく。その道中でデタラメに剣を振りまわして霧を少しでも散らそうと無駄な努力をしながら。俺に寄るんじゃねぇ! ソーン達がギミック解除してくれるまでは逃げ延びてやるからな!
霧の塊は剣が当たれば一瞬は霧散してこっちに攻撃してこなくなるのでそれを良いことにブンブン丸になった俺は走り回り続ける。これで弟子達は特に霧に囲まれてなくて俺だけ逸れてたら今度こそ俺の命運は尽きる。頼む、ソーン達も俺と同じように苦しんでてくれ!
「霧に隠れて討とうとは卑劣な奴め……!」
出てこい卑怯者ぉ! 正々堂々と戦わんかい! なんて叫びながら霧の中を滅茶苦茶に走り回っていると、人型の霧がこちらに斬りかかって来ずにじりじりと俺の周りを囲もうとしているのに気が付いた。この人型の霧共、単体は強くも何とも無いくせにこっちの攻撃が効かないし周囲からいくらでも湧いて出てくるとかいうクソ仕様なのどうにかなりませんかね!?
こちらを取り囲む霧の人型相手に俺が相変わらず意味も無く剣をぶんぶんと振り回していると、突如俺の目の前の霧が開けて一本道が現れる。やだ、絶対これ罠だわ。でも他に行く道も無いしどうしようもないから誘いだと分かっていながら乗らざるを得ない奴だ。悔しい、でも進んじゃう!
なんて脳内一人芝居をしながら霧の中の道を進んでいく。その周囲は剣を持った霧の兵士が囲むという非常にシュールな絵面。
そしてしばらく歩いて行けば、視界には見上げる程の大樹。もちろん森の中心に聳え立つ化け物級のデカさの樹には及ばないが、それでもこれほどの大樹をどうして今まで見つけられなかったんだろうかと思う程度には大きな樹だった。
その樹の根元まで近づくと、幹に人一人が潜って入れそうな洞があるのに気付いた。なぁにこのあからさまな入り口っぽいの?
「上がってくると良い」
俺が恐る恐る入り口を覗き込もうかとしていたところで、頭上から掛けられた声に俺は変な叫び声を上げないようにするので精一杯だった。なんでこんなホラーな演出するの! 俺の鉄面皮の裏にあるチキンハートが停止するところだったじゃないか!
もう怒った! この上にいるのが霧を出した張本人だろうし、一言二言文句を言ってやらなきゃ気が済まない! そもそも魔王とかいうのが本当にいなけりゃ俺がこんなところに来ることも無かったんだ!
自分でも支離滅裂な怒りを抱えたまま俺はずんずんと洞の中に足を踏み入れる。中は思った以上に広々としており、内壁に沿って木をそのまま削り出したような階段が備え付けられている。上がってこい、ということはこれを上れということだな? 待ってろよ!
木を削り出したというか内壁から木がその形に成長してきたようにも見える階段を上っていくこと少し、少し開けたところに出た俺は、木の内側をそのままくり抜いてツリーハウスにしているのに少しワクワクしていた。こういうところにエルフとか住んでたりするもんじゃない?
俺に声を掛けてきたであろう人物は目の前で椅子に腰かけてこちらをじっと睨みつけていた。なんで? 呼ばれたから上って来たのにそんなに睨むこと無いじゃない。
「……今代の勇者か」
なんかボソッと呟いてたけど俺は勇者じゃないですよ? 見た目にそぐわずもうボケてんなコイツ。髪も髭も真っ白だし伸び放題で髪なんて床まで垂れるくらいになってるから相当な後期高齢者ですねこれは。
「勇者でない? 馬鹿な、何故それで霧の守りが……」
俺が勇者じゃないと言ったらまた目の前の爺さんは何やらブツブツと呟いて俯く。この爺さん、こんな辺鄙なところに住んでるからかコミュ障極まってんな? いや、こんなところに住んでるんだから多分強いんだろうけどさ。
ところで俺の弟子達見ませんでしたかね? 勇者と言ったら勇者の血縁のライネルなんですけど。
「勇者の末裔……霧の中にまだ囚われておるあの者達が」
遠い目をしているけど、もしかして爺さんがこの霧出してたりします?
「この場所を守る為の囲い。儂の目が曇ったというのか……」
どうしてこの爺さんはさっきからこっちを見ないでブツブツと呟くだけなの? どんだけコミュ障なのこの爺さん。質問に答えてくれてるのかもよく分からんしな!
爺さんは椅子からかなりの時間を掛けて立ち上がると、ヨロヨロと歩いて俺に近づいて来ては皺くちゃで細い枯れ木みたいになった手で俺の顔を挟んで顔を覗き込んできた。怖い怖い怖い! 目だけギョロっとしてるからめっちゃ怖いって!
「儂の、儂の目が……そんなはずは無い……」
うわ言をブツブツと零してるけどとにかく弟子達と合流させてくれませんかね? そろそろ俺も怒るよ?
そう言うと肩をビクッと震わせた爺さんは俺から手を離し、右手をヒラリと水平に振った。
「ミスティル」
え? なんて? と聞き返したくなったがこれはもしかすると魔法の詠唱という奴ではあるまいか!? そういやこの世界に来て初めてまともに魔法使いが詠唱してるのを見たぞ!
なんなら魔法使いのはずのリミィも魔法を使う時に詠唱なんてしないんだもの。この世界の魔法使いって皆呪文とか使わないのがデフォかと思ってたよ! そういえばこの爺さんがこのよく分からん言葉を唱えたと思ったらちょっと風が吹いた気もするし、やっぱりこの世界にも魔法の詠唱というファンタジー要素があったんだな!
俺が鋼鉄の表情筋の裏で心躍らせていると、何やら話し声が遠くからこちらに近づいてくる。この声は、弟子達だな? この爺さん、こっちの話を聞いていないようでちゃんと聞いてくれていたみたいだ。
弟子達もこのデカい樹に気が付いてこっちに上ってきているようで、しばらくするとソーンを先頭に弟子達が俺と爺さんの下に無事集合した。
「師匠!」
そしてその集団から真っ先に飛び出して俺にしがみついてきたのは忠犬コル坊。おおよしよし、何をそんなに焦っているのかね。え、俺も逸れたときにみっともないことになってた? 弟子達にバレてないからセーフ。
「師匠の匂いだ……」
君はどうして先日からずっと俺の匂いに執着するんですかね……?
「ああ、合流出来て良かった。コルンの慌てようはこっちも見ていて可哀想になる程でしたからね。犬人族の鼻も利かない霧のようでしたから」
ローエンが安心したように笑いながら言っているのを聞いてなるほどと思う。確かに普段自分が当たり前に使えてる感覚が無くなったらビビるよな。俺達で言ったら耳が聞こえなくなるみたいなもんだろうし。だからといって感覚が戻った瞬間に俺の臭い嗅ぐとかなんなの? 反動でキツい臭いフェチにでもなっちゃったの?
ソーン達もホッとしたような表情を浮かべていたが、俺の傍らにいる爺さんを見て武器を構え直していた。ちょっと気付くの遅かったんじゃない?
「師匠、その男は?」
いつでも斬り捨てられると言わんばかりに空の右手を構えてライネルが俺に問い掛けてくる。うん、取り敢えずそのいつでも凶器を取り出せる右手を下ろそうか。この爺さんは多分敵じゃないから。そうだよな、爺さん?
「儂は、儂は怖かった……」
俺が爺さんに聞いたら爺さんはまたこっちの話を聞いてるのか聞いてないのかよく分からないうわ言を呟き始めた。ダメだ、俺のなけなしの弁護が何の役にも立たない。
「おお、勇気あるものよ、怖れよ……」
何を怖がれっていうのか。俺は既に怖いもの(俺に騙されたことに気付いた弟子達)に囲まれてるんだが?
「勇気ある
爺さんは俺の肩をがっしり、というにはやや頼りない力加減で掴んで何かを語りかけようとしている。いや、俺からしたらさっぱりなんですけど? 謎かけだったらそこに突っ立ってるノックスあたりにでもして頂きたい。
「どちらにもなれなかった臆病者は霧の中に隠れた……!」
あ、多分この臆病者ってのは爺さんのことだな。それだけは俺にも分かるぞ。だってこの爺さんの怯えようは弟子に囲まれた俺に近いものがあるし。とりあえずこの爺さんはちょっと興奮気味だから座らせて落ち着かせましょうねー。
爺さんの両手を掴んで出来るだけ優しく椅子まで押し返して座らせる。この爺さん俺と顔合わせるまではまともそうだったのに何で俺と顔合わせた途端にボケ始めたの? 俺の顔は素面じゃ見られないくらいってか?
「師匠、この男はもしかすると長耳族の生き残りなのでは?」
と、俺と爺さんの様子を見ていたノックスが恐る恐るといった様子で教えてくれる。え、この爺さんエルフなの? やだ、コルンに続いて珍しいファンタジー要素じゃない。でもなんでエルフの美少女じゃなくてこんな爺さんなんですか!
「長耳族は魔王が率いる魔物との戦いで滅んだと聞いていたが」
「先ほどこのご老人が仰った通り、逃げ延びることを選んだ者と、僕達が惑わされた霧の中に隠れ潜んでいたこの方は生き残ったんじゃないでしょうか」
「だとすると、何故俺達はここに呼ばれたんだ?」
ちょ、ライネルもノックスもソーンもそんなに矢継ぎ早に話を進めないで! このお爺ちゃんは会話のテンポが俺達より三倍は長いんだから!
「誰も抗えんかった……逃げるしかなかった……」
ほら、お爺ちゃんも両手で頭抱えて苦しみ始めちゃったじゃない。
「耐え難い孤独を終わらせたかった。逃げ続けた生に意味を見出したかった」
「……滅びゆく種族の運命に抗うこともせず、次代に繋げようともせず、ただ自分だけ逃げた罪悪感に晒され続けた。それを終わらせるために私達を呼んだ」
おお、流石インテリ担当のライネル。この爺さんの言っていることを的確に翻訳してくれた。なるほど、この爺さんはエルフの最後の生き残りとやらであり、戦うのも怖いし故郷を離れるのも怖いからと一人で自分だけが安全な場所を作って引き籠ったと。ニートみてえな精神性してるな、この爺さん。
「師匠を勇者だと見てここに導き、看取って頂きたかったのではないでしょうか」
そう言って痛まし気な目で爺さんを見つめるライネルと他の弟子達。そうだよね、よりにもよって勇者から一番かけ離れた俺なんかを引き入れちゃったんだもんね。この爺さんも相当長生きしてたから耄碌してんだよ、そう憐れんでやるなって。なんならこの中で今一番可哀想なのは勇者と勘違いされた挙句に弟子達が爺さん可哀想なんて思っちゃうくらい情けない師匠だって認定されてる俺なんだが? 誰か俺をフォローしてくれる弟子はいないの? 見た目だけなら渋くて歴戦の勇者みたいだとか言ってくれる殊勝な弟子はいないのかね? ……いなさそうだな、ヨシ!
「愚かな澱みの王は目覚めた。濁った瞳に映すのは世界を貪る種だけ……、勇気ある者よ心せよ。誰もが怖れるものの根源を」
爺さんのポエムはそこで途切れた。最後まで俺には意味がチンプンカンプンだったけど、多分後でノックスかライネル辺りが解説してくれるだろうから聞こう。
そう思っていると、外が何やら騒がしい。爺さんの面倒をノックス達に任せて俺は壁に寄って顔の高さに空いた穴から下を見てみれと、俺達のいる樹の方に何かが向かってきているのが見える。うん、なんだあれ? 目を凝らしてみれば、薄っすらとまだ漂う霧の中に光る八つの複眼とわさわさと動く八本の足、口元に覗く鋭い牙というこれでもかと言わんばかりに典型的な蜘蛛の魔物だ。それも結構な数がこっちを目掛けてやって来ている。いや、ここに来て蜘蛛の魔物て。しかもサイズ的にはまあ大きいのは確かだけどそれでも俺の膝下くらいまでしか高さ無いぞあの蜘蛛共。普通こういう場面で来る魔物って俺達の身体を遥かに越すボスとかじゃないの……?
「警句は遺した。霧の守りはもう無い。この灯台を捨てて進むが良い……」
何かやり切った感を出している爺さんだが、どう考えても俺達が出て行ったら蜘蛛もこっち目掛けてやって来ますよね? ここ捨てて逃げたところであっという間に爺さんが蜘蛛共のおやつになって今度はこっちが追いかけられるだけですよね?
しゃあないからあの蜘蛛適当に蹴散らしに行くか。ドラゴンとかゴーレムならともかく蜘蛛なら俺でも余裕ですわ。
「何故そんな無駄なことをする……」
爺さんが剣を持って下に向かおうとした俺にそう聞いてくるが、何が無駄なことか。爺さんにはまだまだ生き残ってもらわないと困るんだからな。魔物を怖がって逃げるのは分かる。俺だって弟子という怖いのから逃げたくて仕方ないし。俺はもう逃げ道塞がれてるんですけどね!
まあそれは置いといて、爺さんにはお仲間のエルフがどこに逃げたのかを探しに行くっていう役目があるだろう? ライネルが魔王を倒した後にもう隠れなくて良いよーって伝えに行く役目がな。そうして俺にエルフの美少女というファンタジー要素を拝ませてくれ! 俺が死ぬまでは逃がさんからな!
というわけであの蜘蛛をさっさと片付けて進むぞ。なんかまだモゴモゴと爺さんが後ろで呟いてたけど無視して下に降りていく。何は無くともファンタジー要素は守らねばならぬ。ノックスから貰った剣も血を吸いたくてウズウズしておるわ!
「全員! 近く固まれ!」
ノックスの声で俺達は更に身を寄せ合う。濃くなっていく霧の中、互いの体温すら感じられるほどの距離にいれば、逸れることは無い。
「近くに居る者の手を!」
俺もそう言って後ろに手を伸ばす。その手に触れたのは剣を握っている者とはかけ離れた華奢な手の感覚。長年の相棒であるリミィの手であることは振り返らなくても分かった。
「師匠!? 師匠の匂いがしなくなった!?」
だが、その次に響いたコルンの声に俺はつい振り返ってしまった。それほどまでにコルンの声は切羽詰まっていたからだ。
そしてコルンに続き、俺も驚愕に目を瞠る。先ほどまでリミィの隣に立っていたはずの師匠の姿が無い。この霧の中に溶けて消えてしまったように。
「ノックス! ローエン! ライネル!」
「僕とローエンはここに!」
「私もいます! 今コルンの手を掴みました!」
俺の声にノックス達の声が返ってくる。そして互いに額を突き合わせるくらいの距離まで近づいて互いの存在をしっかりと認識し合う。
「なんだこの異常な霧は!」
「分からん! だが自然現象じゃないのは確かだ」
「魔力を感じる。誰かが作為的に起こした霧よ!」
俺の怒鳴るような声に負けじとローエンが声を張り上げて返す。今まで感じたことの無い焦燥感に声を張り上げて自分を鼓舞し続けていないと、この得体の知れない霧に俺も吞まれてしまいそうに思えた。
「私が風を起こして晴らせないか試してみるわ」
「頼んだ、リミィ」
リミィは俺と手を繋いだまま、もう一方の手に持った杖を眼前に構えて意識を集中させる。
リミィが俺達のクランについて来ているのは、ただ魔力を多く持ち、魔法を扱えるからだけじゃない。
「アウレンティス」
彼女は魔法を
「この霧、私の風と同じように力ある言葉で創られたものかもしれない」
リミィが顔を顰めてそう言う。リミィの呪文魔法で吹き飛ばせないとなるとその線が濃そうだ。ノックス達も同じ結論に至ったのか、苦い顔をしていた。
「だとすると、この霧を生み出している者はリミィと同様の力量を持ち、同じく呪文を再発見するほどの才で僕達を惑わしていると」
「厄介だな。長耳族の魔法を再現できるような天才など、リミィか王都の賢者くらいのものだと思っていたが。王都しか知らない箱入りの私にはまだまだ世界は広い」
ノックスとライネルが剣を抜いて周囲を警戒しながら頬に一筋の冷や汗を流している。このクランの参謀担当がどっちも手詰まりのような雰囲気を出し始めている。こうなると知恵と作戦でここを切り抜けるのは難しくなる。どうしたものかと考えていると、更に悪いことに俺達の周りの霧が人の形を取り始める。
「おいおい、霧ってのはここまで愉快に形を変えるもんだったか?」
「手に剣を持ってるあたり、俺達と仲良くお喋りをしようって気は無いだろうな」
ローエンと俺は霧に何かをさせる前に剣を振り抜く。だがそこに期待した手応えは無い。いや当然か、相手は霧、形を持っていると言っても実体があって大人しく斬られてくれるような優しさは無いだろう。
俺とローエンが次々と霧から現れる人型を斬りつけていくも、文字通り見渡す限り一面に立ち込めている霧の中から敵はわんさかと湧いてくる。
「アウレンティス!」
リミィも俺達を援護するように風を起こして形を取った霧を吹き飛ばしてくれるが、一度霧散してもすぐにまた集まって俺達に襲い掛かろうとしてくる。リミィの魔力量が一級品だと言ってもこのままじゃジリ貧なのは確実。俺達の剣もまともに通じやしない。
「ノックス、このままじゃジリ貧だ!」
「分かっています!」
こんなとき、師匠がいればどうしただろう。あの人なら、俺達の予想の斜め上を行くような方法でこれを解決してしまうんだろうと思うと、こんなにヤバい状況だというのに何故か笑えてしまった。一人だけ逸れた師匠が無事かどうかなんて考えるまでも無い。
「コルン、師匠の痕跡は追えそうか!?」
「ダメ、鼻が全然利かなくなってる! なんで!?」
「ダメか。普通の魔物と違って私の魔力が効いている様子も無い。これは魔物じゃないぞ」
ライネルとコルンも霧を散らしながら打開策を考えてくれているが、やはり妙案は無いらしい。このまま戦い続けてもジリ貧、だけどまだ俺達は死んじゃいない。ジリ貧でも死ぬまでの時間を少しでも稼がないとな!
「リミィ、風だ!」
「風? もうやってるわよ!」
「違う、俺達を覆うようにだ! チマチマ一体ずつ吹き飛ばしても仕方ねえだろ!」
俺の言いたいことを察したのか、リミィは一度頷くと、今度は杖を掲げて目を閉じる。それはこの世界じゃ一般的な魔法使いのスタイル。魔法を使うために自身の想像力を最大限に働かせ、そこに魔力を乗せる作業。その間に魔物に魔法使いを襲われてしまわないように、俺達のような剣士は魔法使いを中心に囲んで守る。どこからの攻撃も魔法使いに届かせないように。
リミィの魔力の高まりに応じて、俺達の足元から風が吹き始めた。最初は微かなそれが、少しずつ勢いを増していき、俺達の周りを囲む霧の剣士達を吹き飛ばし、そして霧が俺達に近づけないような風の籠となって俺達を包み込んでいく。その籠の中に納まるように、リミィを中心として俺達は剣を構えたまま小さく固まった。
「……よし、これで少しは時間を稼げる。リミィは俺が運ぶ、行くぞ」
「ソーンの機転に救われましたね。ですがリミィの負担もあります。どうにか霧を抜ける方法を探しましょう」
「前は私が!」
俺がリミィを背中に背負うと、その背を守るようにノックス。両脇をライネルとローエンが固め、先頭はコルンが務めてくれる。
「頼む、もし鼻が利いて師匠の痕跡を見つけたら案内してくれ」
「任せて」
そうして俺達は隙を窺う霧の剣士に囲まれながら、リミィの風の籠を頼りに霧の中をさ迷う。コルンは地面に顔を寄せて少しでも師匠の痕跡を辿れないかと試してくれているが、それもあまり芳しくはないらしい。
少しずつ背中のリミィの息が荒くなってくる。常人離れした魔力量であっても、俺達を守るように常に気を張って魔法を使い続けるというのは魔力だけでなく精神をも消耗する。早く突破口を見つけなきゃいけねえ。
外には出さないものの、俺は内心に焦りが降り積もっていくのを感じていた。
これ以上時間を掛けてしまうと魔法によって展開しているリミィの風の籠が崩れてしまうかもしれないと思い始めたころ、俺達の前の霧がにわかに晴れ始めた。
「……! 鼻が戻った! こっち!」
それと同時にコルンが耳をピンと立て、俺達に向かって手招きしながら歩調を速めた。小走りに近いそのペースについて行ってみれば、視界の先にぼんやりと現れたのは見上げるような高さに成長した巨木の姿。
「なんだ、この樹……」
ローエンの口から零れたのは俺の内心も代弁してくれる言葉。
「こんな大きさの樹、僕達が森に入る前に見た覚えがありません。周りの木と比べても明らかに大きさが違うのに」
「魔法で隠されていた、と考えるのが自然だろう。リミィを上回る力を持つ者の魔法によって」
ノックスとライネルも周囲を観察しながら樹に近づいて行く。樹の根元まで辿り着いてみれば、その周辺にはもう霧は無く、俺達から少し離れたところに固まっている霧の中から、剣士達が俺達を見つめているような気がした。
「ここに入れってことか?」
目の前にぽっかりと空いた樹の洞を覗き込む。中は意外なことに広く、どこからか光を採っているのか視界には困らない明るさを保っていた。
そして洞から入ったすぐ左手には上へと続く階段。
「この上から師匠の匂いがする!」
コルンはそう言うや否や階段を駆け上がって行ってしまい、俺達も慌ててそれについて行く。敵の罠かもしれないんだからコルンを先頭に飛び込ませるわけにはいかない。何とか追いついた俺はコルンを後ろに控えさせて先頭に立って階段を上っていく。コルンは師匠の匂いを間違えるはずが無いと言っているが、その鼻を誤魔化す術すら、霧を生み出した奴は持っているかもしれないのだから警戒はすべきだ。
そうして階段を上り切ると、少し開けた部屋に辿り着く。そこに居たのは俺達と逸れて霧に撒かれたにもかかわらず、いつもと変わらない様子の師匠の姿。
「師匠!」
師匠の姿を見てついに我慢がきかなくなったのか、コルンが俺達の中から飛び出して師匠に飛びついた。
「どこで道草食ってたのか。やっと来たな」
師匠の胸に顔を埋めるコルンの頭を、少し呆れたように口の端を緩めながら撫でる師匠はそう言って俺達を見渡した。
「師匠の匂いだ……」
「俺の匂いなんぞ嗅いでもしょうがねえだろうに」
いつもと変わらぬ師匠の姿に、俺達の緊張も解けていく。師匠は単身で霧の中を抜けてこの樹にまで辿り着いていたのか。
「ああ、合流出来て良かった。コルンの慌てようはこっちも見ていて可哀想になる程でしたからね。犬人族の鼻も利かない霧のようでしたから」
ローエンがそう言って苦笑いする。それで何かを察したように、師匠もコルンの頭をポンポンと優しく叩いた。
それを見て、俺達も師匠の所へ行こうと足を踏み出したところで、ライネルが俺達を制止し、右手を師匠の方へと向けた。
「師匠、その男は?」
その言葉と共に、俺達は目の前の霧が晴れたかのように師匠の隣にいる人物に気が付くことが出来た。床にまで垂れ下がった白髪と胸を越えて伸びた白髭をたくわえた枯れ木のような老人。それが師匠の隣にずっと立っていたのだ。俺達は何故それに今まで気が付かなかった?
俺達は慌てて武器を構え直す。ライネルに指摘されなければ、のこのこと師匠に近づいてこの老人に隙を衝かれていたかもしれないと思うと、背筋に冷や汗が伝うのを感じた。
「落ち着け。この老人は敵じゃない」
だが、師匠はそんな俺達を見てやんわりと制止する。
「お前達をここまで導いたのもこの老人だ」
そう言って老人を見つめるのに釣られて、俺達も老人へと視線を移す。枯れ木のような手は小刻みに震え、窪んだ眼窩の奥にある目玉は俺達じゃなくひたすら師匠だけを見つめていた。
「儂は、儂は怖かった……」
師匠に縋るように手を伸ばす老人の、ぼうぼうと生えた髪の隙間から覗く耳が俺達とは異なる形をしているのに気付く。背中にいるリミィも同じように気付いたらしい。
「ソーン、あの耳……!」
「……もしかしたら、だな」
それが見間違いかもしれないと思いながら、けれど自身の追い求めたものかもしれないという期待に満ちた囁き声が俺の耳を打つ。
魔法使いにとっての理想。失われた長耳族の魔法の使い手が、俺の相棒が追い求めたものが今目の前にいるのだ。
「おお、勇気あるものよ、怖れよ……」
「勇気ある
うわ言のように師匠に語り続ける老人は師匠の肩を震える手で掴む。縋るようにも見えるその姿勢で、老人はなおも言葉を続けた。
「どちらにもなれなかった臆病者は霧の中に隠れた……!」
「……立ち向かう恐怖からも、故郷を離れる恐怖からも逃げたか」
師匠は老人のうわ言のような呟きを聞き、優しく老人を椅子へと座らせる。
恐怖。師匠の剣理の中で、俺達が最も深く刻み込まれ、そして克服することを求められたものだ。
魔物へ立ち向かう恐怖を、死へと向かう恐怖を、俺達は師匠との修行の中で幾度となく味わった。
そして尋常ならざる鍛錬の末、その恐怖を御し、戦う術を身に付けた。
この老人は、師匠に出会えなかった俺達だ。魔物への怯えを拭うことが出来なかった俺達なのだ。
「師匠、この男は長耳族の生き残りなのでは?」
師匠の隣まで歩み寄っていたライネルが、そう言って老人の髪の間から見える尖った耳を指差す。師匠はライネルの言葉を聞いてゆっくりと頷いた。やはり知っていたのか。
「長耳族は魔王が率いる魔物との戦いで滅んだと聞いていたが」
「先ほどこのご老人が仰った通り、逃げ延びることを選んだ者と、僕達が惑わされた霧の中に隠れ潜んでいたこの方は生き残ったんじゃないでしょうか」
ライネルの言うことは俺のようなスラム育ちでも知っている話だ。かつて伝説の勇者がいた時代。既に長耳族は度重なる魔王との戦いで疲弊していた。勇者が魔王を撃退した後、それでも魔物は長耳族を執拗に襲い、長耳族はその数を減らし続けたという。そしてついに小人族すらも長耳族との繋がりを保てなくなり、彼らは歴史の中にその痕跡すら遺すことを許されずに滅んだ。酒場の見習い吟遊詩人が最初に覚える悲劇の詩だ。
だが、もしこの老人が長耳族の生き残りだとして、わざわざ霧を出して俺達を襲って来た挙句、師匠と共に俺達をここに迎え入れた理由は何だ?
「だとすると、何故俺達はここに呼ばれたんだ?」
その疑問は俺の口を衝いて出ていた。
「誰も抗えんかった……逃げるしかなかった……」
俺の言葉が耳に届いたのか、老人は何かから自分を庇うかのように両手で頭を抱えて呻き始めた。
「耐え難い孤独を終わらせたかった。逃げ続けた生に意味を見出したかった」
「……滅びゆく種族の運命に抗うこともせず、次代に繋げようともせず、ただ自分だけ逃げた罪悪感に晒され続けた。それを終わらせるために私達を呼んだ」
ライネルの言葉に、俺の出来が悪い頭の理解も追いついた。この老人は仲間を見捨て、さりとて逃げ出すことも出来ないまま自分だけは無事でいられるこの場所に閉じこもり続けたってことだ。だけど、俺達を、師匠を見つけたから、ここに招き入れることにした。自分以外で魔物とは異なる存在と関わるという誘惑に勝てなかった。その孤独に耐えられなかった。自分の人生の幕引きを誰かに託そうとしたわけだ。
「師匠を勇者だと見てここに導き、看取って頂きたかったのではないでしょうか」
ライネルの言葉に憐れみの感情が滲んでいた。俺や、他の奴らも同じようなことを感じているだろう。戦うことも出来ず、かといって逃げ出すような度胸も無く、揺り篭の中で孤独に過ごし続けた。だが、そのまま何者にもなれぬまま朽ちることを選べるほどに自分を諦めることも出来なかった。
だから師匠を見つけた時に、この老人は歓喜しただろう。自分が新たな伝説の導き手になれると思って。
「愚かな澱みの王は目覚めた。濁った瞳に映すのは世界を貪る種だけ……、勇気ある者よ心せよ。誰もが怖れるものの根源を」
そして事実、この老人の言葉は師匠を導くんだろう。魔王をその目で見て生き残った唯一の存在。抽象的に過ぎるその警句も、師匠ならその意を汲み取っているのだと分かる。
老人の言葉を聞き終えた師匠は、何かに気付いたように老人から離れると、壁に空いた穴から外を睨みつけていた。何が気になったのかと俺もその横に並んで外を眺める。
「……蜘蛛」
眼下を見つめてそう呟いた師匠のお陰で、俺は自分達が置かれている状況を理解した。俺達を惑わしていた霧は、俺達だけじゃなく魔物も惑わしていた。その霧が晴れてこの大樹までの道が出来たということは、ここを目指して魔物達がやって来るということだ。
地を這う大蜘蛛の魔物。極北山脈を越えるまでは見たことも無いような魔物だ。だが、一糸乱れぬペースでこちらに向かって来るあの大蜘蛛が山の向こうにいた魔物よりも易しい相手だと思えるほど、俺は楽観的にはなれなかった。
「警句は遺した。霧の守りはもう無い。この灯台を捨てて進むが良い……」
灯台、この老人の言葉が確かなら、この大樹はしばらくは魔物達を惹きつける効果があるのかもしれない。それを頼りに俺達はここを脱出し、老人は自らの孤独な生に幕を下ろす。なるほど、この老人にとっては上等な最期なのかもしれない。だが、俺としてはここでこの老人に死なれちゃ困る。相棒であるリミィの為にも。
「……ようやく斬れる相手が出てきたな」
なんとかこの老人を思い留まらせようと考えを巡らせていた俺とは裏腹に、師匠はあっさりとそんなことを言うと剣を片手に階段へと向かう。あの数の大蜘蛛を、これまでに見たことも無い魔物を前にしてそう言い放つことが出来る師匠に、俺は改めて畏怖を覚える。
「何故そんな無駄なことをする……」
そんな師匠の背中に声をかけた老人は、今までとは違って師匠という人間を初めて認識しているように見えた。それまでは自分の中だけにある勇者という偶像に語り掛けていた老人が、初めて師匠という人間に質問をしたのだ。
「恐怖に怯えるのは分かる。俺も怖いものだらけだ」
老人に返された師匠の言葉は、俺達の知る師匠の言葉じゃなかった。
「恐怖からは逃げたくなる。だが逃げても、逃げ続けても、いつしか逃げられなくなる」
師匠は肩越しに老人に振り返る。師匠と老人の目が初めて正面から合った。
「なら戦うしか無いだろう。こんなところで死なせん。お前の役目は同胞に生きて伝えることだ、魔王が討たれたことを。生きてこの世界を見届けろ。覚悟しておけ、もう百年は死なせてやらん」
そう言い放って師匠は階段をゆっくりと下りて行った。その剣に、誰の目にも明らかな魔力の渦を纏わせながら。それはライネルの銀の魔力のように見るものを惹きつける輝き。
「ああ、道標の灯り、人の諦めぬ意志の輝き……銀の勇者……」
老人が涙を零しながら嗚咽のように漏らした言葉。
それは本来であればライネルに贈られるべき言葉なのだろう。だが、俺も、リミィも、ノックスも、ローエンも、ライネル本人ですらも、勇者という言葉を、人々を導く光の存在を指す言葉を、今の師匠以上に体現している者は無いと確信していた。
まだ詳しいことは言えませんが、なんかこの作品が書籍化するらしいですよ(驚愕)