後方師匠面したい系転生者   作:TATAL

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ここは任せて先に行け(逃走)

 魔王の城、というには些か以上にボロボロな塔に足を踏み入れた俺とライネルとコルン。塔の中は魔王城お決まりの豪華な装飾も何も無く、無機質な黒い石造りの壁と壁に沿って螺旋状に上に続く階段のみというお前やる気あんの? と問いたくなる様相。何なら塔に寄生するように生えている大樹が壁の所々を突き破ってニョキニョキと顔を出しているのでこれもう塔と大樹のどっちが本体か分からない状態だ。

 

「上から嫌なニオイがする……」

 

 そう言ってコルンが鼻をひくつかせて顔を顰める。嫌なニオイってなんだよ。俺は何も感じないんだけど? 

 

「確かに、頭上から強烈な気配を感じます」

 

 ライネルまで!? え、ホントに何も感じてない俺がダメな奴みたいじゃない! 

 

「師匠は何も感じませんか?」

 

 俺が焦っているとライネルがそう俺に問う。やめろ! 何も答え用意してないのにそんなキラーパスをしてくるんじゃない! 

 ここで分からないです、と言おうものなら魔王討伐の前に俺がライネルの経験値にされてしまいかねないので俺は尤もらしい顔で黙って俯く。とりあえず何かそれらしいことを言って体裁を取り繕わねば。

 

「師匠……?」

 

「下に何か?」

 

 俺が黙って俯いてるのを下に何かあると勘違いしたのかコルンとライネルが俺の視線を追って視線を床に向ける。当然そこにはボロボロであちこちから太い木の根っこが顔を覗かせる黒曜石のような黒い床があるばかり。どうしよう、何か言わないとマズい……。

 取り敢えず小さく「来たか」とでも呟いておこう。コルンとライネルも何か感じてたみたいだし、上に魔王とやらがいるのは間違いないだろ! 

 二人が何言ってんだコイツ? みたいな顔で首を傾げているが表情は崩さない。抽象的なことを言っておけば何とかなる、俺は詳しいんだ。そう思っていると俺の足下からピキピキと音がしたかと思うと、床の石を突き破って槍のように先端が鋭く尖った木の根が勢いよく飛び出してきた。危ねえ! 慌てて飛び退くと、木の根は一本だけでなく何本も床を突き破って本来伸びるべき方向とは逆に上を目指して伸びていき、俺の頭上を遥かに越える高さまで伸びてライネル、コルンの二人と俺を分断する壁のようになる。

 

「師匠!」

 

「大丈夫!?」

 

 木の根でできた壁の向こうからライネルとコルンの焦ったような声が聞こえてくる。大丈夫大丈夫、ちょっと服の先に掠ったくらいだから! 

 にしてもこの根っこ凄い。そこらの木の幹と変わらない太さあるし、やっぱ樹齢千年とか越えてたりするんですかね? 俺が突然生えて来た根っこをしげしげと眺めていると、

 

「今この根を焼き切ります!」

 

 壁の向こうから響くライネルの声。それから間髪入れずにライネルのものだろう銀色のビームが壁を貫いて俺の顔をすぐ横を突き抜けていく。危ねええええ! 木の根よりもライネルの方がよっぽど命の危機があるよコレ! 予告してから実行するまでが早すぎるよ! 作業するときは声掛けして返事があってからって教わらなかったの!? 

 銀色の光が収まると壁には顔よりも一回り程大きな穴が開き、ライネル達のいる向こう側が見通せるようになっていた。

 

「師匠! 無事ですか?」

 

 お前の銀色ビームのせいで無事じゃすまなくなりそうだったけどな! とは流石に言えないので大人しく頷いておく。だって半端に怒ったら今度こそライネルの銀色ビームが壁じゃなくて俺の顔を貫くかもしれないし。

 

「この穴を拡げれば……」

 

 そう言ってライネルがまた銀色ビームを出そうとしたので慌てて制止する。せっかく魔王と戦わなくて済む大義名分ができたのにそれを壊すなんてとんでもない。無駄な体力と魔力を使ったりせずにここは俺に任せて先に行け、頼む。

 

「し、しかし、師匠がいなければ……」

 

 俺の説得にライネルはそう言って渋る。でもも何も無い! 俺は俺で弟子から五体満足で逃げるという使命がある! それに魔王を倒すのは勇者であるライネルだって俺はずっと言ってただろ! 

 俺がライネルに反論させないようにまくし立てていると、ライネルの開けた穴がさっきよりも縮んでいるのに気が付いた。あれ、なんか穴塞がってね? 

 俺の感覚は間違いでは無かったらしく。ライネルとコルンも驚いたような表情で穴に手を掛けている。

 

「師匠、私が何とか穴を拡げますから!」

 

「私も引っ張るから手を伸ばして!」

 

 ライネルが手に銀色ビームを出し、コルンもこちらに手を差し出しているが、俺はそれを拒否した。これ以上に魔王戦とかいう生存率絶望的な戦いから逃れられるイベントだってのにこのチャンスはモノにせねば! 

 そう思っていると俺の背後に何か重たいものが着地するドスンという音。背中越しにそちらを見てみれば、頭に立派な二本の角を生やした牛の顔をした人型の化け物。俺が見上げる程の立派な身体つきをしており、両手でこれまた大きな木の棍棒を握って俺を爛々と光る眼で睨みつけている。牛、牛かぁ……、推定ドラゴンが草食恐竜モチーフだったからもしかしたらと思ってたけど草食獣か。なんかラスボス前なのにあんまり魔物のレベルが上がってないな? あ、ライネルさん、さっきの穴を拡げる作業なんですけど、別にそこまで急がなくても良いですよ? 

 

「間に合え……!」

 

 ライネルは俺が別に良いと言っているのに必死になっているが、穴はライネルの銀色ビームを物ともせず徐々に閉じていく。ライネルも間に合え……! とか唸るくらいなら魔王に向けて体力温存しなよ。

 

「師匠……!」

 

 コルンが悲愴な表情で俺を見つめてくるが、俺はそれどころじゃない。この千載一遇の逃亡チャンスをモノにする為にも何とか逃げ道を探さねば! そう思ってふと牛頭の足下に目をやると、そこにはあの巨体が着地した衝撃で生じたであろう穴。それも人一人なら何とか通れそうな大きさじゃないか! 地獄に仏、蜘蛛の糸とはまさにこのことだな! 俺があの牛頭をさっくりぶちのめしてあの穴に潜っちまえばライネルが魔王を倒してこっちに戻って来ても隠れて逃げられるって寸法よ。

 そうと決まればライネルはさっさと上に行って魔王を倒してどうぞ。コルンもそんな顔でこっち見てないでちゃんとライネルのサポートしてあげてね。君の鼻は俺はともかくライネルの勘よりも鋭いんだから役に立つって。

 

「師匠! しかしあの魔物は……!」

 

 ライネルが塞がっていく穴からこっちに向かって何か言おうとしている。良いからさっさと魔王の所に行ってきなって! 逃げるくらいなら俺だって出来るんだから! 自慢じゃないけど逃げ足はそれなりのもんだよ? 君らの追跡から結構長い間逃れてたんだから。

 ゆったりと俺に向かって歩いてくる牛頭を前に、俺は背中越しにライネル達に振り返って言う。ここは俺に任せて先に行け! 人生で一度は言ってみたい台詞だ。俺が言い終わると同時に壁は元通りに修復されてしまい、後には俺と巨大な牛頭の一人と一匹のみが残される。ファンタジー要素持ってこいとは言ったけど結局ゴーレムとかも出てきてないし、出てきたのは二足歩行の牛。いやドラゴンは出てきたけどさ。ゴーレムとか中身の無い鎧みたいないかにもなファンタジー要素はどこに行ったんですかね。

 

 人目も気にしなくて良くなったので俺はそうぼやきながら剣を両手に構える。牛頭は図体ばかりはデカいので良い感じに足でも切って頭を下げさせた後に頭を落とせば良いや。というわけで先手必勝! 

 

「■■■──ーッ!!」

 

 牛頭が叫びながら突っ込んで来るが、頭が牛ってことは元家畜なわけだ。狼ならともかく二本足で歩く程度の牛に易々と殺されてたまるか! 

 姿勢を低くして牛頭がぶん回す棍棒の下を掻い潜った俺は、その大きな胴体を支える右足に斬りつける。右足の腱くらいは切っただろうと思ったらノックスから貰った剣は牛頭の毛深くて太い足の皮膚に切り傷を一筋付けるだけに終わった。思った以上に硬いなコイツ! 

 

「■■■■■■■──ーッ!!」

 

 牛頭は何言ってんだかよく分からない雄叫びを上げながら思いの外俊敏な動きで棍棒を俺の進行方向に振り下ろして行く手を阻む。やだ、この魔物、頭も悪くないわ。まずは足を落としてさっさと片付けるという当初のプランが完全崩壊したことを悟る。俺の考えなどお見通しとばかりに牛頭は後ろに飛び退いて俺と穴の間に立ち塞がり、ニタリと口の端を吊り上げた。こ、この牛野郎! 俺を煽ってやがるな!? 

 ということで俺に残された道は一つ。この牛頭を何とかして分からせる。そして後から追いついて来るであろう弟子に見つからないように穴の中に身を潜めて魔王がライネルに討伐されるのを待つ。

 

「……俺の経験値にしてやるこの牛野郎」

 

 いや、この世界が自分のパラメーターが可視化出来るタイプの異世界かどうかは定かじゃないけども。これまで何回も人目を忍んでステータスオープンとか呟いたのに何も起こらなかったんだけども! 俺もレベル的にはまだ5とかそこらだと思うんですよ。この牛頭さんが経験値効率爆上がりのお得な魔物だったらいいなぁ。

 

「■■■……」

 

 牛頭さん、何を言ってるか分からないけど殺意をビンビンに感じるので多分「オマエ、コロス」的なこと呟いてると思う。うん、ちょっと迫力あったからビビった。

 ほんのり逃げたい気持ちも湧き上がって来たところだが残念ながら背後はたった今生えてきた木の根によって塞がれたばかり。それに牛に舐められたまま終わるとか俺の沽券に関わる。元から大したプライドも無いけどな! 

 

「■■■ッ!!」

 

 牛頭は聞いている者を腹の底から震わせるような鳴き声を上げながら再び突進してくる。コイツ、さては闘牛だな? 

 生憎と俺は赤いマントなど持ってないので剣を構えて正面から牛頭を見据える。思い出すのは最初にノックスとローエンに会った時。そういえばあの時も同じようにこっちに突っ込んで来る猪をローエンに押し付けたっけか。

 俺は突っ込んで来る牛頭をギリギリでひらりと避け……こっちに急カーブしてきた!? 

 もはや直角に曲がってませんか? と言いたくなるような角度で避けた俺に向けて軌道修正してきた牛頭の棍棒を慌てて剣で防ぐ。まともに棍棒を受けてしまったせいで体格差もあり、俺の身体は吹っ飛ばされて黒い石壁に叩きつけられた。痛い……痛すぎない? 

 俺を吹っ飛ばした牛頭はニヤニヤと余裕綽々で俺に向かって歩を進めてくる。この野郎……、ちょっと身体がデカいからって調子に乗りやがって……! 

 

 今度は俺の番だとばかりに俺は再び牛頭に向かって走り寄る。今度は奴もさっきの俺の攻撃を警戒しているのか、棍棒を構えて腰を落とし、俺の動きを注視している。だが甘いな! お前がそうやって姿勢を低くするんだったら今度は一撃で頭落としてやんよ! 

 俺が先程と同じように姿勢を低く地を這うように走れば、牛頭は姿勢を更に低くしてますますニヤケ面になる。大方馬鹿の一つ覚えのように同じ攻撃をしてくるものと思って馬鹿にしているんだろう。だがその油断が命取りだ! 

 俺は牛頭の目前で勢いよく跳躍する。イメージするのはこの牛頭を飛び越える自分。これで牛頭の頭上を取り、無防備に晒された牛頭の首に向けて剣を振るう。え、防がれたんですが。

 

 俺の剣は牛頭が振り上げた左腕に阻まれた。とはいえ、俺の剣を防ごうとした牛頭の左腕には剣が深々と食い込み、ドバドバと赤黒い血が流れ出す。頭は落とせなかったけど左腕は半ばくらいまで斬れたからヨシ! 

 

「■■ッー!?」

 

 ハッハッハッ、さっきと同じようにあんまり深く斬れないと思って油断したな? ノックスの剣を甘く見るなよ。コイツは魔物の血を吸って鋭さを増す妖刀。さっき右足を斬ったときにお前の硬さに合わせて血を啜るためにより鋭くなったのだ! まぁ俺が今考えた設定なんだけど。

 

「■■……」

 

 俺が牛頭の左腕に食い込んだ剣を引き抜いて距離を取ると、牛頭は俺を警戒してかどうかは分からないが距離を詰めようとはせず、血が滴る自分の左腕をじっくりと眺めていた。何? 自分で自分の肉が美味しそうとか思っちゃったんか? 

 かと思うと使い物にならなくなった左腕をぶら下げて牛頭は右腕だけで棍棒を構えて先ほど以上の速度でこっちに迫ってくる。

 

「流石に片腕じゃ押し切られんよ!」

 

 牛頭が振り切った棍棒をそう啖呵を切って受け止めようと思ったが、さっきと全く同じように俺は吹っ飛ばされた。今度は床から生えた木の根にぶつかり、背中が壁に埋まる。痛すぎぃ! 背骨折れてないよね!? 

 骨は折れてないようだが、かなり痛い。てかこの魔物強くない? 元家畜の顔して割と追い詰められそうなんですが。

 

 身体が痛くて動きたくないが、このまま壁に埋まっていると牛頭によって壁の染みにされてしまいかねないので何とか這い出す。ちょっと壁に穴開いてるじゃん。どんだけの勢いで吹っ飛ばされたんだ俺……。それでも骨折れてないあたりファンタジー世界の人間強度って凡人でもかなりバグったレベルなんだなって。

 

「さっきからポンポン好き勝手に吹っ飛ばしてくれやがって……!」

 

 俺が突飛なことをしでかしても力押しで何とかなると牛頭は分かったのか、左腕は依然として使えなさそうだが牛頭の顔から余裕の色は消えない。牛のくせして……! 

 

 ならば俺も長年の鍛錬の末に身に付けた秘技を見せるしかないようだな……! 

 

 


 

 

 ソレにとって目の前の二本足で立つ生き物は只の獲物でしか無かった。自らの内に湧く謎の憎悪に駆られるままに獲物の目の前に降り立ったソレは、壁の向こうで何か自分には分からぬ言葉で叫んでいるが、目の前に立っているそいつは自分を興味無さげに睨みつけている。

 かつて、同じように二本足で立つ獲物の前に降り立った時はこちらを怯え竦んだ目で見ていた古い記憶が呼び起こされる。それに比べてなんだ、目の前のこれは。何故自身を見て恐怖しない? 

 

「■■■──ーッ!!」

 

 自身を怖れぬ獲物を前にして覚えたのは怒り。その衝動に任せるままに棍棒を両手に構え、悠然と目の前に立つ獲物に向かって吶喊する。

 突進し、棍棒を振り回せばそれで終わり。今までずっとそうだった。古い記憶に、目の前が急に光で眩んで獲物を見失った記憶はあれど、その唯一の記憶を除けばソレはいつも通りに獲物を棍棒の染みに変えていた。

 

 だからこそ、唐突に目の前から獲物が掻き消え、直後右足に走った鋭い痛みに最初は驚いた。慌てて視線を下げれば、獲物はソレの右足に浅い傷を付けていた。しかし、そこまでだ。敵とも思っていない相手に傷を付けられたことに怒りが湧き、その怒りのままに咆哮しながら棍棒を振り下ろして獲物の逃げ道を塞ぐと、少し後ろに飛び退って距離を取る。これでコイツは足下をちょこまかと走って自身の視界から逃げることは叶わない。後はもう一度棍棒を振り回して予定通りぐちゃぐちゃにしてやれば良い。筋が多くて硬そうだが食いでのある獲物だとソレは口の端を吊り上げて笑う。

 

「……俺の経験値にしてやるこの牛野郎」

 

 ソレには理解できない言葉で何かを呟いた獲物。理解出来ないし、する必要も無い。後は殺すだけなのだから。

 

「■■■……」

 

 喰う。バラバラにして。

 その意思を口にすれば、こちらの言葉の意味は理解せずともこれまでの獲物は皆恐怖に慄く表情を見せた。だというのにこの獲物は何も感じていないように無表情で剣を構え直す。不愉快だ。

 ソレは再び咆哮し、獲物に向かって走る。まるでさっきの焼き直しのように、獲物が姿勢を僅かに低くしたのを見た。やはりコイツは獲物だ。同じことしか出来やしない。今度は見逃さないとソレは獲物が自身の右脇をすり抜けようとするのを目で追った。同時に、強靭な二本足で突進に急制動を掛けながら足に力を籠める。追い詰められた獲物がすることなどソレにとっては何度も経験したことだ。逃げるか、ヤケになった抵抗。そのどちらも、ソレにとっては大した意味を為さない。

 ぴったりと獲物の動きに追従したソレは棍棒を横に振り抜く。一瞬の抵抗の後、獲物は呆気なく吹き飛ばされ、壁へと激突してもうもうと土煙を上げる。これで終わりだ。後は壁に打ち込まれて死んだ獲物を喰らうだけ。右足を斬られてしまったが、大きな傷にはならない。数日もすれば治るだろう。

 

「馬鹿力め……」

 

 そう思っていたからこそ、土埃の向こうから聞こえて来た獲物の声にソレの内心に僅かな警戒心が生まれる。これまで、まともに自身の一撃を喰らって生き延びた獲物はいなかった。こうやって棍棒を叩きつけてやれば、もう獲物は動かなくなったものだ。しかし、まだ声がする。意味は分からないが、何か鳴き声を発している。

 更に驚くべきことに、獲物は土埃の中から先ほど壁に激突したダメージが無かったかのようにこちらに向かって駆け寄ってくる。厄介な獲物だ。ソレはほんの少し、姿勢を低くして獲物の動きを観察する。ソレに自覚は無かったが、生まれて初めて自身の一撃を受けて生き残った相手を前にしたことに本能的に相手を獲物ではなく、敵と認識したが故の観察。

 だが目の前の敵がまた地を這うように姿勢を低くしたことに侮りが生まれる。こいつは愚直にこちらの足下に潜り込むことしか考えていない。自分の半分にも満たない背丈をしているから仕方ないだろうが、生まれながらに狩る者として生きるソレを前にして、同じことの繰り返しは芸が無い。

 

「分かりやすく警戒してくれてありがとうよ」

 

 何かの鳴き声と共に獲物はまた眼前から姿を消した。足下に潜り込んだかと顔を下に向けるが、そこには何もいない。ではどこに? 

 その瞬間、ソレの背筋に生まれて初めて感じる怖気が走る。これまで感じたことの無いような何かを背後に感じる。ソレは自らの防衛本能が身体を動かすのに任せて棍棒から左手を離し、急所である首を庇う。その瞬間に左腕を襲う激痛。

 

「■■ッー!?」

 

 あまりの激痛にソレの口からはこれまで発したことの無い苦悶の声が漏れた。

 

「馬鹿みたいに頑丈だな……」

 

 いつの間に距離を取ったのか、少し離れたところからまた何か鳴き声を発しながらこちらを眺めている敵。こんなちっぽけな相手に、自身の腰までしか無いような小さい敵に、左腕を使い物にならなくされた。自身の内側に何かが囁いて湧き上がる怒りと、大きなダメージを負わされた怒りが相まってソレの視界は白く染まりかけるが、それ以上に目の前の存在を敵と認識したことによって怒りに任せた安易な攻撃を選択することは無かった。

 

「■■……」

 

 生まれて初めて明確に自身を殺しうると思わせる敵が現れた。本来ならば戦い方を変えるべきなのかもしれないが、ソレが出来ることはただ突進し、棍棒を振ることだけ。これまではそうするだけで十分だったのだから、新しい何かを考える必要も無かった。だから今度もソレがすることは同じ。ただ、今までよりも速く。

 

「流石に片腕じゃ押し切られんよ!」

 

 何か叫んでいるようだが関係ない。片腕だろうが両腕だろうが、自身の膂力に勝るものは無いとソレは確信している。目の前の敵が剣を構えていてもその上から叩き潰す。

 再び敵は宙を舞い、同じように木の壁に激突した。そうだ。これで良い。これを繰り返せば獲物だろうと敵だろうと磨り潰すことが出来る。

 そして今度は緩めることはしない。あの敵は壁にぶつけたくらいじゃ死なないことは先程知った。その代償が使い物にならなくなった左腕だ。

 

「さっきからポンポン好き勝手に吹っ飛ばしてくれやがって……!」

 

 案の定、壁から抜け出してきた敵は何か呟きながらこちらを睨みつけている。敵、敵だ。あれは獲物じゃない。だから殺しても喰わない。怒りのままにぐちゃぐちゃに磨り潰し、勝利の咆哮をあげるのだ。

 

「お前みたいに硬い奴は久しぶりだが。旅の初めはいつもそんな奴ばっかりだった」

 

 ドシンドシンと床を踏み鳴らしながら敵との距離を詰める。この敵はこっちの予想以上に素早い。だから視線を切らさないように、こちらからはゆっくりと距離を詰める。この棍棒を当てれば殺せるのだから。

 

「俺の剣だけじゃお前らを斬れやしない」

 

 左腕が訴える痛みを咆哮で誤魔化し、敵をその双眸で睨みつけながらソレは歩を進める。

 

「俺の力だけじゃ刃が通らない」

 

 そしてついに敵がソレの射程範囲に入った。ここで振るえば、敵の剣は自身を傷つけようが無い。

 

「お前らの力が、お前らを斬るのに最も適している」

 

 今度は横じゃない。縦に振る。棍棒と床でこの敵をひしゃげさせてしまう。壁にぶつけてダメでも、そうすれば確実に殺せるだろう。

 ソレは使い物にならなくなった左腕の分まで力を右腕に集中させて棍棒を振り上げる。

 

「俺の弱い剣でも、これならお前を斬ることが出来るんだ」

 

 まただ。また視界から消えた。今度は目を離したりなどしていない。獲物じゃなく敵として認識した存在から気を逸らす真似をしたりしない。だというのにこの敵は自身の視線を、意識を掻い潜ってその存在を晦ませる。ソレ自身の身体を盾にしたのか? 定かでは無いが関係ない。この棍棒はもう止まらない。

 

「■……?」

 

 突如として軽くなった右腕にソレは疑問の声を上げる。先ほどまで感じていた棍棒の重さを感じない。そして何より。

 

 どうして自身の右手と棍棒が目の前に転がっている……? 

 

「■■■■■■■──ー!?」

 

 直後に感じる耐え難い痛み。右腕は肘の先から文字通り斬り離され、無残にも床に転がっていた。一体何が起きた? 何故攻撃をしていたはずの自分が、自分ばかりが傷を負う? 

 

「これで武器はもう無くなったな」

 

 また敵が何か鳴いている。その声の方向を向けば、自身の右腕を斬り飛ばしたというのに血の一滴も付けていない剣を手に、敵はこちらを冷たく見つめていた。

 

「これで尻尾を巻いて逃げてくれるなら楽だが……」

 

 訳の分からぬ言葉で尚も話し続ける。まるでこちらが狩られる側だと言わんばかりのその態度に、敵を前にした警戒心を凌駕する怒りがソレを支配した。

 

「■■■■■■■──ーッ!!」

 

 その怒りは都合の良いことに両腕が訴える痛みを消してくれた。そしてその衝動に任せてソレは敵に向かって頭を下げる。棍棒を失った? だがまだ武器は残っている。生まれた時から自身に備わっていたもの。頭に生えたこの角で敵を突き殺してしまえば良い。

 

「まさに闘牛だな」

 

 また何か呟いた。その声を合図とばかりにソレは床を蹴った。怒りによって視界は白く明滅しているが、それでも敵の姿を見失ったりはしない。目の前にいる敵に向かってただ突進する。

 本来ならば四肢のうち半分を使い物にならなくなった状態で戦い続けることが正しい選択とは言えない。しかしソレの中に敵から逃げるという選択肢は浮かびようが無かった。それは狩る者としての矜持だけではない。何か見えないものに衝き動かされるように、目の前の存在に対して憎悪が後から後から湧いてくる。それを原動力として駆ける。

 

「そうやって突っ込んで来る相手はもう慣れた」

 

 何かが聞こえた。かと思えば、不思議な光景をソレは目にした。目の前の敵に向かって突っ込んだはずの自分の身体を、それも首から上がどこかに消えた身体を、何故か上から見下ろしていた。何が起こったかを把握する前に、斬り飛ばされたソレの頭は床に落ちる。

 

「お前の硬さにはもう慣れた。俺は下に向かわせてもらう」

 

 まだソレの頭には意識があった。けれどもう動かすべき身体はソレの頭から遠く離れた床に崩れ落ちている。死を前にして、ソレの頭に浮かんだのは目の前の敵に対する消えない憎悪だけだった。その憎悪が目の前の敵に敗北したことによるものなのか、それとも自身に力を与えた何ものかによって植え付けられたものなのか。今はもう知る由も無い。

 ただ、穴に潜っていく敵の姿を見届け、ソレの目から光が消えた。

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