天井が崩れたところから降って来た弟子達と何か黒くて大きな塊。多分あれが魔王じゃないですかね? あれ、俺が頑張って隠し武器取ろうとしてたの完全に無駄になってない? お腹に風穴まで開いてるんですけど?
もう痛いししんどいし瓦礫も振って来てるしで逃げる気力も無いまま何か風に乗ったようにフワフワと降りてくる弟子達を見上げている。もう表情を尤もらしく取り繕うだけで精一杯ですよ僕ぁ。
地面に降り立った弟子達が我先にとこっちに駆け寄ってくる。皆一様に驚いたような表情だ。なんだよ、俺がたかが木の魔物程度にここまで苦戦しててあまりの雑魚さにビビったのか? やめろよ……、泣きたくなるだろ……。
「師匠! そのお怪我はぁぁぁぁ!?」
いの一番に俺のところに辿り着いたのはシャーレイ。なんかこの子は本気で俺の心配してくれてそうなんだよな。あれか、やっぱりシャーレイだけは俺をちゃんと師匠として認識してくれてたりするのか?
なんて思ってたら心配そうな表情を浮かべたままのシャーレイが駆け寄って来た勢いそのまま、俺の身体にタックルをかましてきやがった。痛ぁい! あかん、やっぱコイツ俺のこと殺す気だ!
死ぬ気で情けない叫びをあげるのは堪え、離れろとシャーレイに告げれば彼女はしまったと言わんばかりの顔になった。
「あ、す、すみません!」
すみませんで済んだら警察はいらないんだよぉ! その顔は仕留め損ねたってことですか!? 油断も隙もあったもんじゃないなコイツら!
「師匠!」
「離れろ雌猫。怪我をしてるのに飛びつくバカがいるか」
俺が涼しい顔をキープするのに全精力を傾けていれば、後ろから追いついてきたアルシェとノルンがそう言ってシャーレイを引き剥がしてくれる。ふう、助かった。いや、助かったのか? 隠し武器は手に入れられず、魔王を倒せる弟子達なら楽勝だろう門番的なボスにここまで苦戦したみっともない姿を晒したんですが、まだここから入れる保険ってあります?
「師匠、手当てを……!」
ローエンがそう言って俺の前にしゃがみ込んで傷の様子を診てくれる。いや、そんな暢気なことする前に逃げた方が良くないですかね? ほら、あっちから俺歩いて来たし、そこからなら外に出られるんじゃないですかね?
あわよくば俺を置いて行ってくれたりしないかなぁ、なんて思いながら言ってみたけど、誰一人として頷いてくれなかった。なして皆そこまで俺の情けないところを見ようとするんです……?
「置いて行く訳ねぇだろ! オヤジは俺が担いで行く!」
「先に簡易でも良いので止血を。少し痛むでしょうが、我慢してください」
そして俺が何か言う前にノックスが包帯を取り出してローエンと二人で俺の腹をぐるぐる巻きにしていく。いだだだだだだ!! 少しどころじゃなく痛むんですけどぉ! もはやここまで情けない姿を見せたら張るような意地も残ってないかもしれないが、長年の師匠面モードによって鍛えられた俺の表情筋はあくまでも俺の顔を無表情に固定してくれていた。歯医者とかでも痛いのに手を上げなかったりする俺の悪い癖がぁ……!
「まだ血は滲んでいますが今はここをさっさと出ましょう。崩落は地上部だけで収まったのかここはまだ小康状態を保っていますが、いつまで保つか……!」
俺の応急手当が終わったのを見届けたライネルが周囲を見渡しながら言う。そういえばライネル、魔王をちゃんと倒せたんですね。流石は勇者ですわ。少々俺の想定とは違ったけどこれで俺も田舎に引っ込んで後は悠々自適に酒飲んで噂が届くのを待つだけだ。ここから無事に帰れたらの話だけどな!
しかし、弟子の様子を見るに俺はここから連れ出されて最後の審判を受けることになるらしい。結局俺に救いは無いんですかぁ!?
とりあえず俺を担ごうとするロクシスを止める。やめろ、俺の自由を奪おうとするんじゃない。ここから脱出出来たら後は隙見てお前達から逃げるだけなんだから。
「ところで師匠、師匠はここで一体何と戦ってたんだ? それに剣は……」
ソーンがそう聞いてくるが、見て分からんかね、木の魔物のちょっと大きい奴だよ。あと剣はあの奥から出て来た奴にぶん投げちゃったんです。あ、違うんですよノックス! いらないから捨ててやったとかじゃなくてですね、不可抗力というかですね!
「師匠が近づけない程の相手、それほどの……」
俺の言い訳にノックスが深刻そうな顔で何やら呟いているけど、俺が近づけない相手とかごまんといると思うんですが。特に君ら相手にしたら俺瞬殺されると思いますよ?
流石にいつ崩れて来るかも分からない空間でいつまでもお喋りに興じてるわけにはいかないし、俺の剣を回収するのも危険だということで俺は丸腰で弟子達に囲まれて脱出することになった。あれ、このままここを出たら武器もない中であの森と山を越えて弟子達から逃げないといけないの? これは流石に詰みでは?
まずい、これが年貢の納め時か、いやまだ諦めるな! と何とか俺が生き残る道を歩きながら考えていると、背後からガラリと何かが崩れるような音。おや、何か嫌な予感がするぞ?
俺と弟子達が振り返ってみれば、その音の発信源であろう場所、俺が剣を投げた木の像がいたあたりが大きな音を立てて吹き飛ばされ、その中から胸から俺の剣を生やした像が現れる。なんか木の幹と完全に一体化してる下半身が蛇みたいに伸びてるんですけどまさかこっちまで近づいて来たりしませんよね?
「コイツは!?」
「師匠と戦っていた魔物か?」
「まだ生きてやがったか!」
突如現れた木の像に、ライネルとソーン、ロクシスが俺を庇うように前に出てくれる。俺よりも遥かに強い弟子達が前衛にいるんだから、この魔物も諦めて帰ってくれたりしませんかね?
俺の希望も虚しく、木の像は俺目掛けてすっ飛んでくる。てめぇ! せめて俺に倒されててくれよ! ここで俺がお前すら仕留めきれてなかったなんてただでさえボロボロな俺の評価がストップ安になるだろぉ!
しかも悲しいことに俺の武器はあの像の胸にぶっ刺さったまま。コイツ、丸腰の人間に戦いを挑むとは卑怯な!
何かないかと視線だけを忙しなく左右に動かしていると、隣に立って俺の肩を支えているローエンの腰に剣が二本ぶら下がっているのを見つけた。そういやコイツ、俺からお古の剣を押し付けられた恨みを忘れないようにって俺の剣を四六時中身に付けてるとか言ってましたっけ? よし、この場でその剣もどさくさ紛れに処分してやるか!
俺はローエンの腰に手を伸ばすと、お古の剣を抜き放つ。ちょっと借りますよ! いや、手入れ欠かしてないとか言ってたけど本当にめっちゃ綺麗な状態だな、この剣。俺が持ってた頃よりも輝いてません?
「し、師匠!? 何をするつもりですか!?」
ローエンが焦ったような声を上げるが、それを無視して足を踏み出す。だってここで尻拭いまで弟子にさせたらもう言い訳のしようがない駄目師匠じゃないですか!
「師匠が出ずとも三人に任せれば……!」
コルンがそう言って俺の手を引く。これで弟子達が怪我でもしたら俺の罪状が増えちゃうでしょ! ただでさえ剣術モドキを教えて放り出すなんていう詐欺と育児放棄のハイブリッドみたいなことしてるのにそこに更に罪が増えたら情状酌量の余地も無くなるだろ! ライネルだけは万が一にも怪我されたら困るんじゃ!
「だからってその剣じゃ……!」
リミィも心配そうな声で引き留めてくれるが、大丈夫大丈夫。どうせ体力ミリ残りみたいな状態だって。これ以上ここでウダウダしていても仕方ないので、俺の前にいるライネル達三人のところまで走る。にしてもこの剣、ノックスから新しいのを貰うまではずっと使ってただけあってやっぱりしっくりきますねぇ。
暢気なことを考えつつ、俺がちょうど三人の前に躍り出たところで、マネキン野郎も俺の眼前にまで迫ってきていた。
「師匠!?」
後ろで驚いたような声を上げてるのはソーン。いや、流石に自分の尻拭いくらいは自分でしますんで。ホント、お手間かけてすみませんね、へへ。オラァ、マネキン野郎! 往生際悪く足掻いてんじゃねえ!
心の中で後ろにいる三人に向かってぺこぺこしている俺に向かって、鋭く尖らせた槍と化した腕を突きだそうとしてくるマネキン野郎。その腕が俺に向かってくる前に、その首に向かって剣を力いっぱい振り抜く。流石に一太刀じゃ斬れないよなぁなんて思っていると、あっさりとマネキン野郎の首がすっ飛んだ。あれ、やっぱり体力ミリ残りだったんじゃないか!
首を飛ばされたマネキン野郎は、動きをピタリと止めると俺を貫こうと構えていた槍が鋭さを失って地面に垂れる。今度こそ倒したよな? よし、じゃあ剣も回収しとくか。剣届けてくれたんですか、ありがとうございます。くたばれ、ぺっ!
「お、オヤジ……」
後ろからロクシスがおずおずと声を掛けてくる。これはあれじゃないか? 死にぞこないの魔物に全力出す情けない師匠ポイントが加算されてしまったのではあるまいか? なんとか誤魔化さねば!
取り敢えずここを出てからだと言って弟子達を急かす。はい、問題の先送りしか出来ない男は私です。
その後、地上に出たところで大きな地震が発生し、俺達の目の前で黒い塔が瓦礫と化していく。巻き込まれないように走って逃げ続け、小高い丘まで来たところで振り返ってみれば、黒い瓦礫の山になった中心に、ここに来た時に見えた青々とした葉はどこへやら、茶色に枯れ切った大樹だけ。その大樹からも大きな枝が折れて落ちていっているのを見るに、ライネル達が魔王を倒したことであの樹も枯れたんだろう。
「師匠」
あー、お腹痛ーいなんて考えながらその光景をぼんやりと見ていると、俺の隣にライネルが来る。あ、ついに俺の裁判が始まるんです?
「今度こそ魔王は斃れ、伝承ですら成し遂げられなかったことを、私達は成し遂げました」
「ですがその旅路ですら、私達は師匠について行くことだけで精一杯だった」
嫌味かな? ついて行くというかここまで俺は連行されてきたんですが。なんて言ってしまいそうになったがぐっと堪える。ここでは裁判官は弟子達総勢九人、陪審員はリミィとエルフの爺さんの二人、被告人は俺一人という凄まじいアウェーな状況。慎重な発言を心がけねば……。
「師匠、私達はあなたの目的を達成する一助になれたでしょうか」
俺が余計なことを言わないでおこうと黙っていれば、ライネルがそんな素っ頓狂なことを言って来た。どういうこと? 俺の目的? 俺の目的はこんなところで腹に大穴開けることじゃないんですけど?
あまりにも予想外のことを言われたので黙っていようと思っていた俺の口からあっさりと言葉が漏れてしまった。まずい、これがライネルの狙いか! ライネルも驚いたような表情でこっちを見ている。
「違ったのですか? 魔王を倒すのが師匠の目的なのだと、私達はずっとそう思っていたのですが」
下手なことを言ってしまった、と後悔してももう遅い。やってしまった。ここで魔王を倒すのが目的でお前達を連れてきたんだよ! とでも尤もらしい顔で言えばまた少しは誤魔化せたかもしれないのに、俺の馬鹿! だがもうここに来て誤魔化すことは出来そうにない。こ、ここはもう正直に話して情状酌量を乞うしかないのでは……?
「師匠、師匠の本当の目的とは何だったのです?」
ライネルが真剣な顔で俺を見つめる。やだ、まだ味方になってくれるかもしれなかったライネルまで完全に俺を疑っちゃってるよ。ということで俺は諦めて素直に自分の目的を離して謝る方向にシフトすることした。
いや違うんですよ。俺は単純に旅から旅を続けて目についた奴になんちゃって剣術を見せつけてですね。
「それでソーンやアルシェ達を見出されたのですね」
ある程度育ったら後は強くなるだろうと思って次の弟子候補を探してフラフラと旅を続けてたわけです。
「あなたの見出した弟子達は皆強くなりました」
いやホント、どれだけ俺に対する怒りがあったのかと驚くくらいにな!
それで噂になるくらいに強くなったら俺はどっかの田舎に引っ込んで弟子達の噂を聞いては一人ニヤニヤ笑ないながら酒を飲もうなんて考えてたんですよ……! 君らを騙してた……かもしれないけど! 君らを利用した……のも否定できないけど! 俺の夢は弟子達の活躍を噂で聞いては一人悦に浸る後方師匠面したいっていうささやかな夢なんですよ!
という俺のくっそ情けない自白をした後ライネルを見れば、ライネルはとても優しい笑みを浮かべていた。あれか、あまりにも情けなさ過ぎて一周して慈愛の感情でも湧いてきたのかな?
「やはり、師匠は師匠ですね」
あ、違ったわ。俺のみみっちい性根が勇者には最初から見抜かれてたってだけでしたわ。
「後ろで聞いている皆さんも、そう思うでしょう?」
そう言って後ろを振り返るライネルにつられて俺も肩越しに後ろを見てみれば、そこには弟子達がズラリと並んでいた。しかも何故か皆一様に何かを必死に堪えるような顔をしている。情けなさ過ぎる俺への殺意を堪えてるんですかね?
「俺らの噂を聞いて一人で酒を飲むのが夢?」
「そんなことを考えていたの?」
「そんなささやかな、ちっぽけなことを?」
「僕達がどれほどのものをあなたから貰ったか」
「俺は驕っていた自分を知り」
「私は剣の何たるかを学びました」
「俺は恐怖に打ち克つ人の強さを」
「私は理不尽に負けない心を」
ソーン達がそれぞれ何かを口にしながらこっちににじり寄ってくる。なんか雰囲気が只ならない様子で怖すぎるんですが!? 助けを求めるように隣のライネルを見れば、ライネルは相も変わらず笑みを浮かべている。どういう感情なんですかその顔は!? 俺がこれから弟子達に一太刀ずつ斬られる未来を見ての憐みですか?
「そして私は勇者としての在り方を」
教えた覚えのないことを俺が教えたことになってるんですが。俺がやったことってなんちゃって剣術を見せて剣振らせたことくらいですよ?
ちょ、待て、近づくんじゃない! ぐえぇ! やめろ飛びつくな! 応急処置した腹が痛いんだよ! ちょ、ライネルまで俺を羽交い絞めにするんじゃねぇぇぇぇぇ! こっち見て笑ってないで助けてくださいリミィさんにエルフの爺さん!
俺は後方師匠面したかっただけなのにぃぃぃ!
リミィと老爺の魔法によって安全に床に降り立った俺達は、すぐに師匠の下へと走っていく。
「師匠! そのお怪我はぁぁぁぁ!?」
猪もかくやと言わんばかりの勢いで師匠へと突っ込んでいくシャーレイ。怪我人になんてことを、と思ったものの、そんな彼女をしっかりと受け止めて少しも表情を変えなかった師匠を見て心配する必要も無かったのかもしれないなんて思っちまった。
「あの雌猫……!」
「やはり羽交い絞めにしておくべきだった……!」
その様子を見たアルシェとノルンが走るペースを上げる。魔王との戦いでかなり疲労しているというのに、師匠が目に入った途端そんなこと頭から消えちまったみたいだ。
「シャーレイ、流石に痛む。離してくれるか」
「あ、す、すみません!」
そしてシャーレイは師匠にそう窘められていた。痛む、と言いながら眉を顰めてすらいないのだから、師匠の頑丈さは本当に人間離れしてる。
「師匠!」
「離れろ雌猫。怪我をしてるのに飛びつくバカがいるか」
シャーレイに追いついたアルシェとノルンがそう言っていつものようにシャーレイを捕まえる。少し遅れて追いついてそれを見ていた俺の横で、ノックスが呆れたように笑っていた。
「さっきまで生きるか死ぬかという戦いをしていたのに、緊張感もあったものじゃない。そう思いませんか、ソーン?」
「……ま、師匠の近くにいるからな」
この人の傍にいて、死ぬような目に遭うなんてことは俺達の頭には思い浮かばない。あちこちから血を流していて、俺やライネルよりもボロボロなのに、師匠が俺達に負ける姿なんて想像できない。だからこそ、ここまで師匠に傷を付けた何かはよほどの相手だったんだろう。
「師匠、手当てを……!」
ローエンがそう言って師匠の傷の中でも特にひどい、腹の傷の手当てをしようとすれば、師匠はそれを手で制した。
「暢気に手当てをしている暇は無いだろう。ここを出ろ。俺が足手纏いになるようなら置いて行け」
そう言って師匠が指し示した先は、上に続いているであろう壁に開いた穴。こんな時まで、自分よりも俺達を優先しようってのか。俺達の中で、その言葉を聞いて一番大きな反応を見せたのはロクシスだった。
「置いて行く訳ねぇだろ! オヤジは俺が担いで行く!」
そう言って文句は無いな? と言わんばかりに俺達を睨みつけるロクシスだが、文句などある訳もない。船乗りでもあるロクシスは仲間を人一倍大事にする。それに師匠を見捨てるような選択を俺達が採る訳が無かった。
幸い、先ほどまで感じていた揺れは少し収まっている。この空間が頑丈なおかげか、今しばらくは崩落まで時間がありそうだ。俺は隣のノックスにチラリと視線を送れば、心得たとばかりにノックスが頷いた。
「先に簡易でも良いので止血を。少し痛むでしょうが、我慢してください」
そして師匠に有無を言わせず、ローエンとノックスの二人で包帯を使って腹をきつく締めあげ、応急手当を進める。本当ならリミィに治療をお願いしたいところだが、まだ何が起こるか分からない以上、俺達が生き埋めにならないように出来るだけ魔力を温存しておいてもらう必要がある。
包帯を巻かれた師匠は、やはり痛むのか、僅かに顔を顰めた。しかし、それ以上に呻き声を上げたりすることも無く、手当は終わる。
「まだ血は滲んでいますが今はここをさっさと出ましょう。崩落は地上部だけで収まったのかここはまだ小康状態を保っていますが、いつまで保つか……!」
ライネルの言葉に従って師匠を中心に陣形を組み、師匠が示した穴へと向かう。ロクシスは師匠を担ごうとしたが、何が起こるか分からないからと師匠はそれを拒否した。
「ところで師匠、師匠はここで一体何と戦ってたんだ? それに剣は……」
と、そこで俺は師匠の手に剣が無いことに気付いた。師匠はここで魔王に力を与えていた存在と戦っていたのは確かだろう。だが、ここまで傷を負い、更には剣まで失うほどの相手だったというのだろうか。
「……いつもの薪だ。少し大きくてすばしっこい奴だった。どうにも近づけんから、投げた」
師匠はいつもの素っ気ない口調でそう言って歩を進める。師匠が素早いとまで評する相手は、この世界でどれほどいるだろう。どんな魔物の攻撃も掠りもしない、どんな悪路だろうと誰も追いつけないような速度で走る師匠が、速いというような敵。
「師匠が近づけない程の相手、それほどの……」
俺と師匠の話を聞いていたノックスもそう呟いていた。大蜘蛛の大群を相手にし、四方八方から砲弾のような糸の塊を飛ばされても歯牙にも掛けなかった師匠が苦戦したというだけで、その魔物がどれほど強大か想像もつかない。
出来れば俺達は顔を合わせたくないもんだと思いながら穴へと足を踏み入れようとした瞬間、ガラリ、と背後から瓦礫が崩れるような音がした。
その音に嫌な予感がして、武器に手を伸ばしながら振り返ったところで、瓦礫が大きな音を立てて吹き飛ばされ、そこから人の上半身を模った木の彫像が飛び出してくる。腰から下は蛇のように伸び、大樹の根と接続されているあたり、あれがこの樹の核のようなものなのだろう。そして何より、その胸にあたるところに突き立っている剣、それがあるということは。
「コイツは!?」
「師匠と戦っていた魔物か?」
「まだ生きてやがったか!」
ライネル、ロクシスと共に前に出て武器を構える。師匠がここまで傷付きながら、それでも一度は打倒したはずの大樹の化身。それが、口以外についていない顔でも分かる程の憎しみをこちらにぶつけながら迫ってくる。
「ローエン、預けた剣、少し借りる」
「し、師匠!? 何をするつもりですか!?」
「師匠が出ずとも三人に任せれば……!」
俺達の後ろで何か騒いでいる。師匠が何かしようとしてるのか?
「俺の不始末だ」
「だからってその剣じゃ……!」
後ろが気になるが、今目の前の相手から目を逸らせば間違いなく死ぬ。そう思わせられるほどの速度だ。右へ左へとこちらを惑わせるように蛇行する大樹の化身は、俺ですら目で追うのがやっとの速度、気が付けば俺達の目前にまで迫っていた。コイツの相手は、覚悟はしてたが魔王以上に厄介だろうな!
「振り慣れた、手に馴染む剣。上等だろう」
覚悟を決めた俺の前に、いつもと変わらない調子の声で現れた影。それはいつも俺が夢に見て、焦がれ続けた背中。
「師匠!?」
怪我をしているだなんて思わせない程の足取りで、師匠は大樹の化身の前に躍り出ると、剣を構える。あの剣は、ローエンがずっと手入れを欠かしていなかった剣だ。俺が師匠に拾われた頃、師匠が持っていた剣。最初に俺が目にした、原初の剣閃。
いつだかノックスが言っていた。ノックスが師匠に贈ったのは、今や失われたとされる
違う。師匠の剣は、ノックスと出会う前から特異だ。ただの数打ちの剣がどうして魔物を何度も斬ることが出来たのか。
ローエンが手入れを欠かさなかったとはいえ、数え切れない魔物を討伐してきた師匠の剣が未だ実用に耐えるだけの能力を有しているのは何故か。
師匠は剣で強さが変わるのか? だったら師匠は俺と出会う前に死んでいる。
「往生際が悪いな」
その言葉と共に、師匠の剣が白い軌跡を描く。それは大樹の化身の首を通り抜け、まるでそこに何の障害物も無いかのように振り抜かれる必殺の一閃。それは大樹の化身の首をあっさりと斬り飛ばしてしまった。
「剣を返しに来てくれたのか、悪いな」
そして動きを止めた化身の胸から師匠は剣を引き抜くとこちらへと向き直る。
「お、オヤジ……」
俺達が覚悟を決めた相手を、あっさりと一太刀で切り捨ててしまった師匠にロクシスが何かを言おうと口を開くが、師匠はそれを制した。
「ここもじきに崩れる。外に出るぞ」
その言葉を証明するかのように、小康状態を保っていたはずの揺れが勢いを増し始めているのを感じる。それに急かされるように塔を脱出した俺達は、背後で轟音と共に崩れ落ちる塔から逃げ続け、被害を避けられそうな高台まで避難する。
「ふう、ここまで来れば大丈夫よね?」
「ああ、多分な」
汗を拭いながら言ったリミィにそう返しながら、ノックスの指示のもと、野営の準備を始める。もう日も傾き始めている上、師匠の治療だってしないといけない。
そういえば当の師匠はどこに行ったんだと見渡してみれば、師匠はライネルと並んで崩れた塔と枯れ落ちた大樹を見つめていた。
「今度こそ魔王は斃れ、伝承ですら成し遂げられなかったことを、私達は成し遂げました。ですがその旅路ですら、私達は師匠について行くことだけで精一杯だった」
野営の準備を進めながら、ライネルと師匠の会話を聞く。誰も何も言わず、二人の会話に耳をそばだてていた。
「師匠、私達はあなたの目的を達成する一助になれたでしょうか」
その言葉に、俺を含む弟子全員がピクリと反応する。人類と敵対する魔物、それを率いる者は魔王だったが、それを生み出すものはあの大樹だった。師匠は過去の伝説が遂げられなかった本懐をどうにかするためにここまで旅を続けてきたはずだ。
「俺の目的はこんなものじゃあ無かった」
だが、師匠の口から出た言葉は、俺達全員の予想を裏切るものだった。
「違ったのですか? 魔王を倒すのが師匠の目的なのだと、私達はずっとそう思っていたのですが」
北を目指す。魔物を倒す剣を広く伝える。勇者の末裔であるライネルの才能を開花させる。師匠のやってきたことは、その全てが魔王を、魔物を生み出すものを討伐するための準備だったはずだ。
「師匠、師匠の本当の目的とは何だったのです?」
気付けば、俺達は皆師匠とライネルの後ろに集まって声を潜めて二人の会話を聞いていた。野営の準備なんか手に付くわけもなかった。
師匠はしばらく黙っていたかと思うと、徐に口を開いた。
「俺はただ、旅をしていた。それで目についた奴に剣を教えた」
ああ、師匠はかつて言っていた。旅が好きだと。
「それでソーンやアルシェ達を見出されたのですね」
「一人立ちしたら、また旅に出た。同じような奴を見つける為に」
それも言っていた。俺みたいに見込みのある奴に剣を教えてみたいと。
「あなたの見出した弟子達は皆強くなりました」
そうだ。師匠の見出した奴は、皆強くなった。それは師匠の目が間違っていなかったことの証明だ。だけど、俺達の目は曇っていたのかもしれない。
「ああ、驚くくらいにな。こんなろくでなしが師匠だって? 笑い話だ」
師匠は最初からずっと、俺達みたいな人間を放っておけないくらい優しい人間だ。
「だが、それで良かったんだ。俺はこんなところに来ようなんて考えちゃいなかった」
ロクシスが親父と呼んで慕うくらい。俺やアルシェ、ノルンにとっては師であり、父であり、兄であり、そしてもっと重たい意味を持つ人間でもあるくらいに。
「強くなったお前達がどこかで噂になる。それを聞いて酒でも飲めれば上等よ」
そんな師匠だから、その目に映る誰もを放っておくことが出来なかったんだ。俺達を守る為に、魔王との戦いに身を投じるくらいに。
「俺の夢は、初めからお前達だ」
頬が濡れるのはどうにか堪えることが出来た。だけど、視界が滲むのは無理だ、堪えるなんて出来るわけが無い。
「やはり、師匠は師匠ですね」
そう言ってライネルがこっちを振り向く。
「後ろで聞いている皆さんも、そう思うでしょう?」
師匠もライネルに釣られてこちらを向き、聞いていたのかと言わんばかりに目を見開いた。
「俺らの噂を聞いて一人で酒を飲むのが夢?」
俺達が強くなると信じて疑わなかったんだ。
「そんなことを考えていたの?」
「そんなささやかな、ちっぽけなことを?」
そんなささやかな夢で満たされるくらいに優しい人なんだ。
「僕達がどれほどのものをあなたから貰ったか」
自分が持ってる全てを惜しみなく与えるような人なんだ。
「俺は驕っていた自分を知り」
自分の剣を棒振りだなんて言って、決して満足しない人なんだ。
「私は剣の何たるかを学びました」
常に剣を磨き、新たな境地を目指し続ける人なんだ。
「俺は恐怖に打ち克つ人の強さを」
魔物に負けない、剣のような心を持つ人なんだ。
「私は理不尽に負けない心を」
理不尽を許さず、それに怒る人なんだ。
「そして私は勇者としての在り方を」
誰もが勇者と呼ぶような、そんな人なんだ。
俺達の言葉を聞いた師匠は、口元に小さな笑みを浮かべた。いつも表情が固い師匠の、ほんの少し見せる柔らかなそれ。
「どれも、俺が教えたなんて言えるもんは無いがな。お前達がそう育った」
そう言って笑う、そんな優しくて、強くて、温かい人が俺達の師匠なんだ!
俺達は皆、涙を流していたんだと思う。だけどそれを気にすることも忘れて、皆師匠に抱き着いていた。師匠が怪我人だってことも気にする余裕なんて無かった。ただ、言葉にならないこの胸の内の衝動に衝き動かされるまま、師匠に縋りついて泣いた。
「あーあー、大の大人が皆して泣いちゃって」
「仕方あるまい。儂らで準備を進めておこう」
書籍化に関する呟きその②(活動報告)
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=311791&uid=311923
更新が遅くなった言い訳もしています。石投げるときはこっちへ