弟子達から怪我してるところに殺す気かと思うようなタックルを受けた後しばらく、俺は怪我が治るまでライネルの城に滞在し、怪我が完治するとしれっと当たり前のような顔して一緒にいたエルフの爺さんを連れて再び旅に出ていた。
俺としてはライネルの城に戻りたくなんか無かったのだが、弟子達のタックルを受けた俺はあまりの激痛に気絶、気が付けば城まで舞い戻っていたというわけだ。
「良かったのか、弟子達を置いて来て」
寂れた漁村の酒場で、俺の目の前に座っているのはエルフの爺さん。気遣わしげな表情で俺を窺いながら木のジョッキを手で弄んでいた。
何が気になってるのか知らないけど弟子達は置いて来るに決まってるでしょ!
「あのまま城で歓待を受けていても良かっただろうに」
爺さんがそう言ってため息を吐くが、俺としては爺さんが何を言わんとしているのか分からない。
ライネルが魔王を倒し、弟子達に連行されるままにライネルの親父さんの所、つまりは王城にまで引っ立てられた俺は、そこでライネル達のついでに怪我が治るまで色々ともてなしてもらった。その時は実は俺って案外弟子達に憎まれてないんじゃないかと能天気に考えていたわけだ。
しかし、
「師匠! 俺と訓練しようぜ。俺がどれだけ強くなったか見せてやるよ」
とソーンを筆頭に男共は隙あらば模擬戦と称して俺をリンチしようとする。どうして俺一人に対して弟子達が勢揃いで向かって来ようとするんです? こちとらまだ怪我も完治してないんですが? ということで弟子達が諦めるまで奴らの攻撃を死ぬ気で避け続ける羽目になった。やっぱりコイツら俺を殺しに来てんな?
アルシェとノルン、シャーレイの女性陣は俺が疲れてて早く寝たいのに夜に部屋に来て監視してくる。あの、気になって寝られないんで俺のベッドの横に陣取り続けてずっとこっちを見つめるのは止めてくれませんかね? 何なのこの子達、俺を寝不足にして殺す気なの?
加えてたまにライネルの弟改め妹のユーリまで部屋に襲来するものだから気が休まるときが無かった。性別を間違えて認識していた上に決闘の白ハンカチを最後の最後で俺の血で汚してしまい、凄まじく気まずい思いをする上に俺の死罪が確定すると思って出来れば顔を合わせたくなかった。
とはいえお世話になる身で挨拶しないわけにもいかず、俺が意識を取り戻した翌日、何故か微笑ましいものを見るような顔のライネルに連れられて来たユーリにハンカチを見せながら謝る一幕もあった。
俺の謝罪を聞いたユーリは、「最後の戦いまで本当に肌身離さず持っていたという事か、ふーん」と何か含みを持たせるような言い方をしたかと思えば俺の腹に開いた穴を見てご機嫌な様子で俺の看病をしてくれるようになった。人の傷見て機嫌良くなるとか怖すぎません? 殺すのは俺の怪我が完治してからってこと?
こうして俺の怪我が完治するまでの間、何故か競うように俺の手当てをしようとする双子とユーリのいがみ合いが発生し、野郎共の訓練と称したリンチから逃げる傍ら、ライネルからは降って湧いたお貴族様特有の婚約者云々の相談をされる。ただの農民だった俺に聞いて何か参考になることでもあるんですかね? 実際に会って話してみたら良いじゃない。側室を迎えるにあたっての心構えとは、なんて俺みたいに浮いた話の一つも無い男にそんな相談するなんて嫌味かキサマ!
といったようにライネルの城にいる間、心休まらなかった俺は怪我が治ると早々に城を出ることにしたというわけだ。とはいえそれについてもひと悶着あった。アルシェとノルン、シャーレイそれとユーリまでが俺の部屋に押しかけてくるからまあ逃げるタイミングが無い。奴らの連携が恐ろしい限りだ。なのでこっそりと逃げるのは諦め、世話になった礼を言うのも兼ねてライネルの親父さんに言って堂々と旅に出ることにした。旅に出る名目は俺の目の前で酒を飲んでいるエルフの爺さんだ。
「我が同胞を探しに行くなど、お主がやることでも無いだろう」
元々は自分だけで旅立つと爺さんは言っていたけれど、お前だけがエルフの美少女とかいう特大のファンタジー要素と会ったところで意味無いんですが。俺もエルフ美少女をお目に掛かりたい。ということを遠回しにライネルの親父さんに言ったのだ。そしたら何故か「そこまで考えておったとは」的なことを言って旅に賛成してくれた。どこまで行っても俺の考えって弟子達とユーリに殺されたくないってのとエルフの美少女に会いたいってだけなんですけど、この親父さんは一体何を見抜いたというのか。俺の下心じゃないことを祈るばかりだ。
そして俺はエルフの爺さんと一緒に旅に出たのである。弟子達は皆それぞれの仕事があるだろうからと言って置いて来ました。連れて行ってまた殺人タックルされても堪らないからな! 出発を告げた時、主に双子から剣呑な目を向けられて内心ビビりまくっていたのは内緒である。
ちなみにロクシスとシャーレイは一旦故郷に帰るとのことなので途中まで一緒に旅をした。途中でロクシスのお袋さんと会ってまた飯も食わせてもらった。ロクシスのお袋さんは相変わらずお綺麗でした。向こうからしたらようやく追い出したと思った居候のニートが何故か息子に連れられて帰ってくるという悪夢。最初に顔を合わせた時にはそれはもう驚いた顔をされたが、ロクシスの顔を見て仕方ないといったように笑って迎え入れてくれた。なんだこの聖母。いや、すいませんね、毎度毎度食わせてもらっちゃって。
そうして少しの間ロクシスの故郷の町に滞在し、ロクシスの知り合いの漁船に相乗りさせてもらって辿り着いたのがこのどこだか分からない漁村というわけだ。ロクシスは置いて来た。俺の居場所が割れてたらすぐに双子に追いつかれるからな!
これまでのことを思い出しながら、俺は懐から手のひら大の大きな植物の種っぽいものを取り出してコロコロと手の上で転がす。この種も気が付いたら俺の懐に潜り込んでいたのだ。多分、あの樹のマネキン野郎に腹を刺されたときに偶然入り込んだんだろうと勝手に思っている。この種って植えたらまたあの樹が生えてきたりするんだろうか。
「その種……」
俺が手で弄んでいる種をエルフの爺さんが苦々しい表情で見つめている。どうしたのよ。
「あの樹と同じものが生まれているかもしれん……」
エルフの爺さんは深刻そうに呟いてるけどあの樹ってそんなにヤバい物だったんですね。いや、確かにデカかったけどさ。木の魔物のデカいバージョンとか思ってたよ。魔王の城と一体化してたんだからそりゃそうか。
「お主はあの樹、自然に発生したものと思うか?」
え、植物なんだから当然自然発生したものじゃないんですかね……。いやもしかしたらどっかの誰かが品種改良とかしたのかもしれないけどさ。
「魔力を喰らい、周囲の生物を従属させ、自身の住みよい環境に作り変える。何者かの作為があるのやもしれぬ」
そう言われたらそんな気もしてきたけど、じゃあ誰がそんなことしたんですかね。
「それこそ、あの環境こそ住みよいと感じる何者かによって」
はえー、そんなことあるんですかねぇ。まあエルフが見つかったらその辺りも調べてくださいな。俺は何も分からないけどな! 俺としてはエルフ美少女を見られたら満足だ。そんな感じのことを言うと、エルフの爺さんはさっきまでの難しい表情を緩めて笑った。
「まず同胞を見つけることからか、お主の言う通りだな」
そうそう。そもそもこの漁村に来たのだってロクシスの町で漁師連中から噂話を聞いたからだ。
どうやら、この漁村から出てしばらく東に向かうと、どこからともなく濃い霧が漂って来る海域があるという。その霧が出たところで引き返せば帰ることが出来るものの、霧の先に向かった船で帰って来たものはいない。「霧の守り、我らが良く使う防衛方法だ」とはその噂を聞いたエルフの爺さんの言。じゃあ霧を突破できるんですね、と聞いてみたらそれに関しては煮え切らない回答しかもらえなかった。不安しかない……!
「そもそも、この村で我らの為に船を出してくれる者を見つけねばならん」
そう言って爺さんは酒場を見渡す。今は昼も過ぎた頃で、漁も終わったのかあちらこちらで酒を飲んで顔を赤らめているオッサン達がいる。
ちなみにこの村に来て最初に色々と声を掛けたけど、今目に入るオッサン達相手には大体玉砕している。そりゃそうだ。誰だって危ないところに行けと言われて行きたいと思うわけが無い。こんなことならもっとライネルの親父さんにお金貰っておくんだった……! 格好つけて少なめにするんじゃなかったよ……!
そもそもエルフの美少女を探すのもそうだが、このままここで足踏みをしていたらまた弟子達がぞろぞろと追いかけてきかねない。何なら旅に出るときに言われたのだ、「そうかそうか、今度顔を合わせるのが楽しみだ。双子にもよく言って聞かせておく」とはユーリ嬢の言葉。怪我が完治してようやく処せると思った男が逃げ出すと知った彼女は素晴らしく良い笑顔だったが背筋が凍りそうな威圧感を漂わせていた。もう絶対にあの城に戻れない。
「今の仕事が終わったら追いかける」
「あの雌猫とも話はついた。戦果は山分け」
なお城を出るときに双子からストーカー予告を受けた模様。話はついたって何ですか。ユーリも双子もどうしてそんなにじっとりした目で俺を睨みつけるんですか。双子が俺の右半身をめった刺しにしてユーリが左半身をぶった斬るみたいな話ですか? 山分けって物理的な意味ですか!?
ということで俺はこの漁村で立ち止まっているわけにはいかないのだ。
「だが、目ぼしい者からは既に断られてしまった」
俺の目の前で爺さんはそう言ってため息を吐く。わざわざ口に出して言わんでも良いじゃないか! 俺が交渉下手で悪かったな! でも爺さんだって後ろで黙ってるばかりで何も助けてくれなかったじゃないですか。
なんて文句が口から出掛けたものの、エルフの爺さんはあのデカい蜘蛛の魔物を一撃で仕留めるえげつない魔法の使い手だ。俺の口が滑って滅多なことを口走ろうものならその瞬間に魔法でぶちのめされる可能性もあるので情けない言い訳をしながら大人しく酒をチビチビと舐めることしか出来ない。
「おい、聞いたかよ。北の魔王を勇者の末裔である王子が倒したっていうお触れ」
「んなもんずっと前にお上の遣いだっている騎士様が来て方々に触れ回ってたじゃねえか」
そうしていると酒場のオッサン達が話している内容が耳に入ってくる。内容はライネルのことについてのもののようだ。
「これでここんとこあっちこっちに湧いてた魔物の被害も収まってくんだってな」
「王子と魔王討伐を成した仲間の冒険者も破竹の勢いで魔物を討伐して行ってるとか」
そうそう、こうやって弟子達の活躍を場末の酒場でチビチビと酒飲みながら悦に浸る。これがやりたかったのよ。
「この間ここに来た船の乗員から聞いたんだが、ライネル王子と魔王討伐を成したとかいう冒険者が王都を出てこっちに向かってるとか。何でもどえらい美人の双子だって話だ」
思わず酒を噴き出しそうになった。アルシェとノルンがもう俺を追って来ているだと……!
「へぇ、俺も一目見てみたいもんだ」
「日の光を反射して輝く白い髪と煌めく黒い髪に男は皆魅了されるってなぁ……、そんでもって強いときた」
俺の内心の動揺を他所に酒場のオッサン達の暢気な噂話は続く。何故か俺の前に座るエルフの爺さんはホクホク顔だ。なんでお前がそんなに笑顔なんだよ!
「暢気なもんだ。魔王が死んだからって、あのクソッタレな霧は無くなって無いのに」
俺の内心を代弁するかのような声がオッサン達の噂話に割り込んだ。
「王子サマが魔王を退治してくれたからって俺達の生活が変わったか? 霧に遮られて大回りして漁に出なくちゃならねえってのに」
声の主は、そう言って俺と爺さんの座っている椅子にドカりと腰を下ろした。
「なあ、あんたらどう思う?」
髭もじゃの老人。と言っても真っ黒に焼けた肌にあちこちに残る傷。こっちを細い目で睨みつけるその様はまさしく海の荒くれ男。ハッキリ言って超怖い。なんならさっきまで噂話をしていたオッサン達もすごすごと別の席へ行ってしまった。
「魔王とやらが生きてようが死んでようがこの田舎町じゃ何も変わらん」
「あのままアレが生きておれば……」
老人の言葉に口を挟もうとしたエルフの爺さんに目配せをして黙らせる。この怖そうな老人に口答えをしようとするんじゃないよアンタ!
「人喰いの霧に向かおうっていうのはアンタらか?」
俺が黙っていると、老人がギロリと俺を睨みつけながらそう呟く。怖くて何も言えないのでコクリと頷いた。
「お前と、そこのジジイならあの霧をどうにか出来るってか? 俺のひい爺さんの、そのまたひい爺さんの代に現れた霧だというが」
あ、そんな古いんですねあの霧。それであの霧をどうにか出来るかって? エルフの爺さんがそっと目を逸らしたのが視界に入る。お前また俺に全部擦り付けようとしやがってぇ!
正直に分かりませんと言う。だけど何とか出来るかもしれないんですよ。その為にもあの霧の中に行く必要がありましてね? だけどこの辺りの船乗りの皆さんに断られちまったんですよ、何かアテがあったりしませんかね……?
「……えらく煮え切らねえ答えだ。そんなんで船乗りの命である船を出せってか」
ひえぇ、めっちゃ怒っておられる……!
ここで目を逸らすとぶん殴られるだけじゃすまなさそうなのでじっとご老人と目を合わせ続ける。しばらくそうしていると、ご老人は一度目を伏せると、立ち上がった。
「良いだろう。もう引退した身だが、船はある。あの霧をどうにか出来るってんなら見せてもらおうじゃねえか」
旅の仲間に荒っぽい船乗りの老人が加わったぞ! 旅のパーティメンバーの平均年齢が高すぎる……!
だがアテが出来たのは事実。待ってろ新天地、そしてエルフの美少女よ!
「これで私も、あなたと共に生きることが出来るわ」
風化していく記憶の中に響く声があった。あれは誰の声だ。同胞達の顔も、声も、霧の中に薄れつつあって尚、儂の中で消えぬ声。それが儂を霧の灯台に縛り付け続けた。立ち向かう勇気も無く、逃げる決断も出来ぬまま、霧の中に自らを閉じ込め続けた。それはいつかの誰かを待つためだったはず。
もはや名すら風化しつつある儂を見出した勇者がいた。かつてかの王を一時押し留めた銀の輝きを持った者。
「良かったのか、弟子達を置いて来て」
「何が言いたい?」
言葉少なに返す男に儂の口からため息が漏れる。
「あのまま城で歓待を受けていても良かっただろうに」
帰って来た勇者達を出迎える只人の王の様子を見ていれば、この者があの城であのまま何不自由なく過ごすことが出来るのは疑いようも無かった。
自分を慕う弟子達に囲まれ、心安らかに過ごすことも出来たはずだ。怪我をしてなお、弟子達が総出で掛かってかすり傷一つ負わせることも叶わぬあの実力を見てこの男を軽んじる者などいない。
「まったく、何が贈り物を汚してしまった、だ。本当に言葉通り最後まで持っているなんて。仕方ない奴、……あんな物、いくらでもまた縫ってやる」
「おい、何を蕩けた顔をしてる雌猫」
「良いから私達にもやり方を教えろ。山分けと言ったのはお前だろ」
そう言い合いながらかの勇者を労わる娘たちの姿を見れば、勇者がここに腰を落ち着け、伴を持つのだろうと想像がついた。
「まだ果たしていない約束がある。同胞を見つけてやる約束をした」
只人の王にそう言い放つ姿を見て、どこまでこの男は義に厚い者なんだと思わされた。
「……魔王はライネルによって討たれた。そこにお主の果たした役割を軽んじる者はこの城にはおらん」
「俺の功など何も無い。ユーリがそんな俺の周りにいるのは良くないことだろう」
「だからこそ、か。どこまでも鋭い目を持っている」
そうして只人の王から許しを得た勇者は、再び旅に出ることにした。儂一人を伴い、僅かな路銀のみを受け取って。
「我が同胞を探しに行くなど、お主がやることでも無いだろう」
安寧の暮らしを捨て、あての無い旅に同行する。定命の只人がその選択をどうして出来るのか。霧に隠れ潜み、偽りの安寧に逃げた儂には分からぬことだった。
「一人の旅はつまらないからな」
ただそれだけ言い、勇者は懐に手を入れたかと思うと、そこから手のひら大の種子を取り出して手遊びに弄ぶ。
「その種……」
世界を喰らわんとしたあの樹が、最後にこの勇者に押し付けたそれは一見すれば何の変哲もないただの種でしかなかった。
「気になるか」
「あの樹と同じものが生まれているかもしれん……。お主はあの樹、自然に発生したものと思うか?」
最初にあの樹を見出した者がいたはずだ。遠く風化した記憶に響く声が、種子を見ているとより鮮明に蘇ってくる気がした。
胸の奥が妙にざわつくような気がする。風化した記憶の底に、深く根を張った後悔が潜んでいる。
「自然に発生したものでないと?」
「魔力を喰らい、周囲の生物を従属させ、自身の住みよい環境に作り変える。何者かの作為があるのやもしれぬ」
「何者かの作為?」
「それこそ、あの環境こそ住みよいと感じる何者かによって」
はっきりとは分からない。だが、それを明らかにせねばならないと何かに急かされているような気がしていた。
「それも良いが、まずは同胞探しからだろう」
「まず同胞を見つけることからか、お主の言う通りだな」
あの樹がただ自然に生まれたのか、あるいは何かによって生み出されたのか、それを知るためにも同胞を見つけ、儂の風化した記憶を補う者を見つけ出さねばならない。
だが、問題が一つあった。
「そもそも、この村で我らの為に船を出してくれる者を見つけねばならん」
この村に訪れた際、船を持つ者に声を掛けた。目的は村から出てほどなくした海域に漂う霧の発生源に向かう事。儂の知る霧の守りとよく似た気配をそこから感じたからだ。向かうものを飲み込む霧の壁、それは我らが外敵から身を隠すのに使う術。
霧は村の船乗り達にとって古い言い伝えとなっており、この村の船乗り達は霧に近づくことを嫌った。
「だが、目ぼしい者からは既に断られてしまった」
「仕方ないだろう。晴れぬ確証も無い霧。誰もが自分の命は大事だ」
そう言いながら、焦りも何も無いとばかりに酒に口をつける。
「おい、聞いたかよ。北の魔王を勇者の末裔である王子が倒したっていうお触れ」
「んなもんずっと前にお上の遣いだっている騎士様が来て方々に触れ回ってたじゃねえか」
儂らの間に横たわった沈黙、そこに酒場の噂話が聞こえてくる。
「これでここんとこあっちこっちに湧いてた魔物の被害も収まってくんだってな」
「王子と魔王討伐を成した仲間の冒険者も破竹の勢いで魔物を討伐して行ってるとか」
それはこの男の弟子達の噂。心なしかこやつの口元も緩んでいるように見えた。
「この間ここに来た船の乗員から聞いたんだが、ライネル王子と魔王討伐を成したとかいう冒険者が王都を出てこっちに向かってるとか。何でもどえらい美人の双子だって話だ」
「へぇ、俺も一目見てみたいもんだ」
「日の光を反射して輝く白い髪と煌めく黒い髪に男は皆魅了されるってなぁ……、そんでもって強いときた」
弟子の話、それも強さだけでなく美貌までもが噂となっているらしい。弟子達の活躍を聞いて酒を飲むことが夢と言ったこの男、今彼が口に含んでいる酒はさぞ美味いことだろうと儂まで口が緩む。
「暢気なもんだ。魔王が死んだからって、あのクソッタレな霧は無くなって無いのに。王子サマが魔王を退治してくれたからって俺達の生活が変わったか? 霧に遮られて大回りして漁に出なくちゃならねえってのに」
そうして緩んだ空気を消し去るような荒々しい声が、儂と勇者の間に落ちた。
「なあ、あんたらどう思う?」
儂らの前に腰を下ろしたのは縮れた髭で顔の下半分が覆われた只人の老人。老人とはいえ、真っ黒に焼けた肌に残る傷跡は歴戦の風格を醸し出していた。
「魔王とやらが生きてようが死んでようがこの田舎町じゃ何も変わらん」
「あのままアレが生きておれば……」
世界を瘴気が覆い尽くし、辺りを魔物が闊歩する地獄に変じていたことだろうと儂が言いかければ、それより先に鋭い視線が儂の口を縫い付けた。勇者の視線だ。
儂らの前に座る只人の老人よりも鋭く剣気に満ちたその視線に、儂は口を噤まざるを得なかった。
「人喰いの霧に向かおうっていうのはアンタらか?」
どう答えるのかと勇者に目をやれば、勇者はただ黙って頷くのみ。
「お前と、そこのジジイならあの霧をどうにか出来るってか? 俺のひい爺さんの、そのまたひい爺さんの代に現れた霧だというが」
霧の守りは、術者にしか解くことが出来ない。噂の霧が真に同胞達の操るものだと言うのなら、霧を通して儂らの姿を見通せるはず。そうして術を解いてくれることを祈るしかない。
「さあ。俺達にも分からん。晴れるかもしれんし、晴れないかもしれん。俺達を見て、賭けをしようという命知らずを探してる」
「……えらく煮え切らねえ答えだ。そんなんで船乗りの命である船を出せってか」
その言葉を最後に、張り詰めた沈黙が勇者と老人の間に漂う。勇者もさることながら、この老人も歴年の重みを感じさせる迫力を持っている。戦いに身を置いて来なかった儂では言葉一つ発せないような威圧感。ただ視線を交わしているだけだというのに、二人はまるで戦っているかのような空気を醸し出していた。
どれほどの時間そうしていたのか、一瞬かもしれないし、思った以上に長かったかもしれない。やがて、老人は視線を下に向けると、観念したように息を吐いた。
「良いだろう。もう引退した身だが、船はある。あの霧をどうにか出来るってんなら見せてもらおうじゃねえか」
その言葉を聞いた勇者はまた小さく口元だけに笑みを浮かべた。
「船乗りなんぞ元より命知らずだ。俺はもう死ぬだけの男。カビの生えた船だがお前らを霧の向こう側に届けてやる」
「命知らず仲間だな」
そして二人は固く握手を交わす。この男はいつだって、不可思議に人を惹きつける。何故かこの男ならやってしまえると思わせる力を持っている。
「仲間っていうなら、まずは名前を教えてもらおうか。仲間になる第一歩だ」
老人の言葉に、そういえばこの男の名を今の今まで聞いていなかったことに思い至る。弟子達はこの男を師と呼び、儂は勇者と呼んだ。勇者が名を告げることは無かったし、誰も勇者に名を聞くことも無かった。
「名前……」
勇者はそう言いながら頷くと、少し考え込むように顔を伏せた。
「どうした、まさか名無しって訳でも無いだろう?」
それを不思議に思った老人が首を傾げるが、すぐに合点がいったという表情になった。
「ああ、人に聞くならまずは俺からだな。俺は元船乗りのジルファってんだ。んで、お前とその耳が長い爺さんの名は?」
船乗りジルファに促され、勇者は顔を上げた。
「ああ、名前は大事だな。俺の名前は──」
恐らくその名は最も新しい歴史書に刻まれることだろう。この先、この世界の誰もがその名を覚え続ける。魔王を討ち倒した者を見出し、只人に銀の光を授けた剣の化身。
その旅路は、まだ続く。
キリ良さげなところまで書いておきながらまだもうちょっとだけ続くんじゃ(DB並感)
ちなみに書籍化については現在進行形で更なる加筆修正中らしいですよ。
何か書き下ろしもめっちゃ書くらしい。精神と時の部屋はいずこ