後方師匠面したい系転生者   作:TATAL

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新天地に辿り着いた…のか?

 ジルファのオッサンが持っているという船に乗せてもらえることになった俺とエルフの爺さん。

 もう黴が生えた骨董品だとジルファは言うがそこそこ立派な船に乗せてもらうと、俺達は霧の向こう側目指してさっさと大海原に漕ぎ出したのであった。

 

 そうしてどんぶらこ、どんぶらこと波に揺られること数日。

 

「ここまで霧が濃いと逆に笑えてくるな」

 

 船の舳先に立って辺りを見渡していたジルファがそう言ってこっちに向き直る。俺はそれを横目に船のへりから釣り糸を垂らし続けていた。

 はい、見事に遭難しました。自信満々に船を出した後、霧に囲まれて速攻で現在地を見失ったのだ。

 

「明らかに魔力を感じる霧。間違いなく、同胞達のものだ」

 

 エルフの爺さんは訳知り顔でそんなことを言っているが、じゃあさっさと合図か何か送ってこの霧晴らしてもらえませんかね? 

 

「我らが霧の中にいることは同胞達も知るところのはず」

 

 じゃあ何ですか、俺達は相手の玄関先に来てるってのに一向にドア開けてもらってないっていうことですか。エルフの爺さんがいたら同胞の好で招待してもらえると思ってた俺の淡い期待を返してもらっても良いですか。勝手に期待しといて何だけどさ。

 何ならそろそろ最初に積み込んだ食料が心許なくなってきているのだ。最初こそジルファに俺と爺さんの話をしたり、ジルファから昔の武勇伝を聞いたりなどしていたのだけども。

 

「弟子がいるってことはそれなりに腕に覚えがあるわけだ」

 

 なんてジルファに言われたのでそこはかとなく誤魔化す羽目になった。

 ジルファの武勇伝は海の男らしく、荒れた海を何とか乗り切って帰ってきただとか。海の魔物に遭遇して生きて帰って来られたというもの。身体に無数に残る傷跡は海で戦って来た男の勲章だと豪快に笑った。いや、このオッサン格好いいなマジで。俺もこんな渋い男になりたかったもんだ。

 気が付けばたかが木の魔物に腹に穴開けられた上、弟子に追撃の殺人タックルを喰らって気絶するという体たらく。どう誤魔化そうが失笑不可避なので俺の話はそこそこにして弟子の話をして時間を稼ぐことにした。

 俺の弟子なんですけどぉ、結構有名になってあちこちで噂になってたりするんですよこれが。いや、俺はそんな大したことをしてやったわけじゃないんですけどね? っかー! 弟子が才能の塊でつれーわー。俺みたいなのが師匠でも一人で立派に冒険者出来るくらいに強くなっててビビるわー。

 

 これぞ後方師匠面流、俺は大したことしてないんだけどと謙遜してる風に見せて凄い弟子を育てたんだぞと暗に自慢する話術! 

 

 なお弟子が俺の命を虎視眈々と狙おうとしてることは当然伏せた。弟子が俺を狙って後を追いかけてきたり、隙あらば訓練と称したリンチを仕掛けに来ていたことは絶対に話さず、ソーン達が俺に自慢げに言ってきた奴らの旅の話を中心にした。俺の旅? 俺の旅の話なんてしたって「ふーん、で?」で終わっちゃうだろ! 

 

 なんかエルフの爺さんとジルファが俺が弟子の話をし終わってからコソコソと話をしていたけど俺の悪口じゃないと信じたい、マジで。

 

 ちなみに爺さんと話し終わったジルファは俺をどこか呆れたような目で見てくるようになった。このジジイ! 俺がクソ雑魚冒険者だってバラしやがったな! 

 そこからはあんまり喋らないようにして俺は魚釣りと言う日々の食糧調達の雑務に逃げることにしたのだった。だって弟子が魔王倒したって言えば聞こえは良いけど「じゃあお前は何したん?」って聞かれて正直に「あ、リスとか馬とかスライムの魔物倒して木の魔物に腹に穴開けられたりしてました」なんて言えないでしょ! もっと呆れた顔されちゃうわ! 

 

 そんな感じで俺が船旅に出た当初を振り返って釣り糸を垂らしながら、思い出し怒りに肩を震わせそうになっているとエルフの爺さんが徐に口を開く。

 

「我らを招き入れたくない、招き入れられぬ理由があるのかもしれぬ」

 

 なんか不安なことを言いだしたぞエルフの爺さん。どういうことだ。やっぱり小汚いオッサン三人は受け入れ拒否ってことか。そりゃそうか、俺だってオッサンよりは美少女の方が嬉しいもんな! 

 

「おい、魔法使いってんならこの霧を無理矢理吹き飛ばしてくれねえか。いつまでもモタモタしてられんだろう」

 

 そして痺れを切らしたように、ジルファがエルフの爺さんに詰め寄るが、一方の爺さんはあんまり乗り気じゃなさそうだ。なんでや、爺さんが仲間を探すって言い出したんだから何か手立てがあるはずなんでしょう? そうだと言ってよぉ! 

 

「儂の魔力だけで干渉し切れるものか……」

 

 そんな俺の儚い願いを裏切り、爺さんは不穏なことを言い始めた。

 おいちょっと待て。俺はお前の魔法をアテにしてたんだが? 最悪は爺さんの魔法でごり押し出来ると思ったからジルファの船に意気揚々と乗り込んだんですが!? 

 ジルファが今度は俺を睨みつける。あ、いや、違うんですよ。考え無しに取り敢えず船を出してもらったわけじゃなくてですね……。私としましては頼れる仲間が予想外にキャパが少なかったと申しますか……。いかん、こんなことを言うと見るからに職人肌のジルファをガチギレさせてしまう! 

 じっと俺を睨みつけるジルファの迫力に耐えきれず、俺は気まずさから何か気を紛らわせる物でも無いかと懐を探る。すると、手に当たる硬い感触。おやこれは。

 

「何だ、そいつは」

 

 ジルファが怪訝な顔をして俺の手元を覗き込んで来る。あ、これはですね旅の途中で拾った木の種と言いますか何と言いますか。このタイミングでこれを取り出した理由? いや、あんまりにも気まずいんでなんとなく懐探ってたら出てきただけですけど何か!? 

 とは流石に言えないので黙って誤魔化す。……いや誤魔化せねえわこの空気! 誰でも良いからこの重たい空気を何とかしてぇ! 

 

「まさか……、その種子の気配を感じ取っているのか」

 

 俺が心の中で切実な叫びをあげていると、爺さんが助け舟を出してくれる。ほう、この種の気配とな? 俺には何も分からんが? 

 

「この種が何だってんだ。俺には何にも感じられんぞ」

 

 ジルファが白いふさふさの眉を片方だけ上げ、迫力ある顔を俺の手の上に乗せた種に近づける。良かった、置いてきぼりになってるのは俺だけじゃ無かったんですね。

 

「お前もこの種が怪しいって思ってたわけか?」

 

 そう言ってジルファが俺の顔を鋭い目で見上げる。ここで全然分かりませんなんて言ったらぶん殴られる未来が見えるので、さも分かってましたよ感を出しながら頷いた。いやーはじめからあやしいとおもってたんですよー。

 

「この種がねぇ……」

 

 俺の言葉に納得してくれたわけでは無さそうで、ジルファが疑り深くジロジロと種を睨みつけるが、種は当然動いたりしない。まあそらただの種だし。

 あれかな、ちょっとデカい木の魔物だったからその種も魔物っぽい気配があったりするんですかね? 俺には魔物の気配とか欠片も分からんのだけど。

 

「まあ何にせよ、だ。その種が怪しいってんならさっさと捨ててくれや。そうすりゃ霧の向こう側に行けんだろう?」

 

 とはジルファの言葉。だけど俺としてはこの種を捨てるのはちょっと嫌だったりする。

 それを聞いたジルファは鬼の形相で俺に迫って来た。

 

「じゃあ全員ここでおっ死ねってか? お前はそんなくだらねぇ拘りで俺達全員の命を無駄にしようって言うわけか?」

 

 怖すぎぃ! 海の男の迫力凄すぎるよぉ! 俺はビビったあまり顔に浮かびそうな脂汗を何とか押し留め、背中がびしょびしょになっていくのを感じる。なんとなく捨てるの嫌だなぁって口に出しただけでここまで怒られるなんて思わなかったよ。

 というか怪しいって思ってる種を捨てるとか厄ネタの香りしかしないじゃないですかヤダー! え、持ってても厄ネタだろって? ……確かに! 

 

 自分で言っててやっぱり捨てた方が良いかもしれないなんて思っていると、ジルファのおっさんが先ほどまでのお怒りはどこへやら。ポカンとした顔で俺の後ろに視線を送っているのに気付いた。何ならエルフの爺さんも俺の後ろを見ている。嫌な予感がするよぉ……? 

 

 なんだなんだと後ろを振り返ろうとしたら、それよりも早く俺が頭からばしゃりと水が掛かる感覚。いや、これ水が掛かるっていうか水に包み込まれてるやんけ! 

 

「何だこりゃあ!?」

 

 ジルファの素っ頓狂な声が水越しにくぐもって聞こえてくる。驚いてないで助けてくれませんか!? 俺泳げないんですけど! 

 

「今魔法を……!」

 

 エルフの爺さんがそう言って杖を構えたところで、俺の身体は水に包まれたまま船から引き摺り下ろされる。あれ、これ死んだ? 

 

 え、エルフの美少女を見る前にこんな間抜けな死に方をするだなんて……! 

 

 今わの際だというのにそんなアホなことを考えながら、俺は意識を手放したのだった。

 

 ────―

 

 ──―

 

 ──

 

「…………い」

 

「……おい!」

 

「おーい! 生きてるかー!」

 

 ハッ!? 

 

 どこからか聞こえてきた声に俺は意識を取り戻し、ゲホゲホと咳き込みながら水を吐き出す。ヤバかった、花畑の向こうに故郷の爺さんがいた気がする……! いやなんで爺さんが既に死んでんだよ。何なら俺が城を出る前に手紙来てたよ。故郷帰って猟師にならないかとか勧誘されたよ! 

 

「ようやく目が覚めたか」

 

 俺の意識が現実から離れているのを引き戻す様に、涼やかな声が俺の耳朶を打った。

 そういや誰かに呼びかけられていたような……? 

 

「浜辺に死体が打ち上がってるかと思えば生きていたから驚いた。よくあの霧を抜けて来られたな」

 

 驚いたなんて感情を感じさせない平坦な声でそう言うのは、ノルンのような真っ白の髪をした赤い目の少女。何より特徴的なのはその耳だった。

 

 先の尖った、長い耳。

 

 それが太く三つ編みにされた髪の隙間から覗いていた。

 

「……なんだ、人のことをジロジロと見て。言葉が通じていないのか?」

 

 こ、これは……! 

 

 

「おかしいな。過去の伝承だと只人はこの言葉を話していたはず……」

 

 エルフの美少女だー! 

 

 俺はこの世界に来てようやく真っ当なファンタジー要素に出会うことが出来たのだった。ようやく干し柿みたいに萎びたエルフの爺さん以外の瑞々しいエルフに出会ったぞ俺は! 

 

 


 

 

「男三人で寂しい船旅だ。面白れぇ話の一つでも聞かせてくれるんだろうな?」

 

「……面白いかは保証出来んが」

 

 霧の向こうに行くと古びた俺の船に久々に帆を張った日。船上で酒を呷りながら、奴は相変わらずの仏頂面で重っ苦しい口を開いた。

 

「俺の弟子の話だ」

 

 そんな言葉から始まったコイツの言葉はまあとんでもねえ話だった。なるほど、村の連中が噂していた凄腕冒険者ってのはコイツの弟子だってことらしい。何でも町で腐ってたところを捕まえたり、魔物に滅ぼされた村の生き残りを拾ったりなんてことをしてきたらしい。

 無愛想な顔して、意外と情に厚いところがあるんじゃねえかと茶化してみれば、

 

「優しい、ね。俺の我儘を押し付けてきただけだ」

 

 そう言って自嘲するように笑う。

 ワガママ? と俺が怪訝な顔をしたのが伝わったんだろう。口を開いたり閉じたりして言い淀んでいたかと思うと、また一口奴は酒を含んでから話しを続けた。

 

「剣を教えた。強くなれと言って放り出して行った」

 

 俺の疑問が全く解消されない言葉だった。てめぇの子どもでも無いのに拾っては面倒を見てひとり立ちさせた。それを放り出したとコイツは言う。

 

「だが噂になるぐらいに弟子は強えんだろう?」

 

「結果的にはな。噂を聞いて、アイツらが元気だと一人で笑いながら酒を飲むくらいが俺には似合いだ。俺みたいなロクデナシにはな」

 

「そりゃまた……」

 

 随分と勘違いしたアホだコイツは、と長耳の爺さんの方に視線を向けた。爺さんの方も仕方ないと言いたげに笑って肩を竦めるものだから、なるほど、弟子達と一緒にいるときもコイツはこんな調子だったんだろう。

 いったいどこの世界に子どもを何人も育て、剣で身を立てられるまでに鍛え上げるロクデナシがいるってんだ。

 

「魔王とやらを倒すほどに俺の弟子は気付いたら強くなってやがったらしい」

 

 なんて嘯く目の前のアホ。魔王ってのを倒せるくらいに強い弟子の師匠をしてるんならお前も十分に強いだろうがと言いたくなるが、コイツの口ぶりからすると、コイツは本気で自分が弱いと思ってやがる。まあその気持ちも分からなくはない。

 俺だって何十年と海に出て、漁をしてきた。息子も、孫も俺の船に乗せて育てた。息子たちは今では立派な漁師だと俺は胸を張って言えるが、一方の俺はと言えば引退する直前だってまだまだ未熟なもんだと思ったもんだ。

 

 自分が歩んできた道は振り返るとずっと遠くまで続いていて、今自分がどこにいるのか分からなくなる。先を見ても然り。ずっと続いている道を見れば、自分なんてまだまだ途上にいるんだと思わされる。

 

 人の行く道は良く見えるくせに、自分が行く道ってのはいつだって霧の中を手探りで進んでるようなもんだ。

 だから俺がいくら言ったとてコイツの勘違い、というより認識を変えることなんか出来やしない。他ならぬ俺がそうなんだからよ。

 

「弟子がいるってことはそれなりに腕に覚えがあるってことだ」

 

 だが、俺はお節介だと分かっていながら口に出していた。まだ俺ほど歳もいってねえ、まだ悟るには早いだろうコイツに、同じように道半ばだと思い続ける先達としてちょっと小言でも言いたくなったのかもしれねえ。

 

「俺なんざあの小さい村で生まれてからずっと漁師をしてきた。時化の中で船を転覆させねえように舵を握り締め続けたこともある。海の魔物を息を潜めてやり過ごしたことだってあらぁな。そこらの漁師連中よかよっぽど経験してきたが、それでもまだまだ満足出来てねえ」

 

 そう言いながら俺は袖を捲って日に焼けた腕を露わにする。そこには過去の様々な出来事で刻まれた傷跡がある。これらは全部俺の糧になってる。目の前の男の身体にも、服の裾から覗く肌には幾重にも重なった傷跡がある。それはコイツが常人じゃ考えられん鉄火場を潜り抜けてきたって証拠だ。

 

「傷跡ってのはそいつが一皮向けた証だ。木の年輪みてえに、傷跡が重なる度にそいつは強くなる。俺はそう思うがな」

 

 だからお前も自分の身体に刻み込まれたそれを自身の糧にすれば良い。

 そんな思いを込めて言ってみたが、コイツは分かっているのかいねえのか、俺の腕を覆う傷跡をまじまじと眺めてやがる。

 

「なるほど。海で戦う男の腕だ」

 

 結局出てきたのは暢気な感想だけ。それだけ言うと、奴は船からのんびりと釣り糸を垂らす仕事に戻って行った。

 俺達の話を黙って聞いていた長耳の爺さんが俺の横に来ると、そっと顔を寄せて耳打ちしてきた。

 

「こういう人間だ。情深く、飽くなき理想を求め続ける求道者よ」

 

「……仙人か何かってか」

 

 俺は内心の呆れを隠すつもりも無く、少し離れたところで釣り糸を垂らす奴の背中を見つめた。

 だがどうなんだろうな。コイツの話しぶりには、ただ理想が高すぎる以外の何かもまたあるようにも見える。

 

 自分が本気で弱いとでも思ってるんだろうか。

 

 いや、まさかそんなことは無いだろうよ。俺は自分の中に浮かんだ考えを振り払った。

 

 

 幸いにして、波も風も穏やかな船旅の序盤は快適なものだった。その雲行きが文字通り怪しくなってきたのは、船の周りに深い霧が立ち込めるようになってからだ。

 太陽も見えず、日が沈めば星どころか自分の指先すら見えなくなる。これまで多くの船乗りが迷い込んでは帰って来られなくなった霧は、なるほど言い伝えの通り人を吞み込んじまう恐ろしい霧だ。

 

「明かりは儂が」

 

 長耳の爺さんがそう言えば、身長の高さほどもある杖の先に灯りがともる。それを頼りにどこに向かっているのかも分からないまま船を進めていくが、日に日に食糧も水も減っていく。

 三人で魚を獲ろうとしたが、それもあまり大きな成果にはならず、俺の胸中には薄らと不安が広がり始めていた。

 

「ここまで霧が濃いと逆に笑えてくるな」

 

 そんなある日、俺は少しでも目印になるものが見えないかと儚い希望に縋って船の舳先に立っていた。

 どれだけ絶望していようと、それを表に出すのはご法度だ。海の上じゃ恐慌状態に陥った奴から死んでいく。いや、恐慌状態に陥った奴は船から下ろすのだ。他の者を巻き込んでしまわぬように。だからこそ俺は平静を装って二人に話しかけた。

 

「魚も霧の海には少ないらしい」

 

 俺が舌を巻かされたのはコイツらの胆力だ。船乗りの俺ですら腹の底では少し怯えちまっている。なのに長耳の爺さんも、目の前で釣り糸を垂らしているコイツも、普段と全く変わらぬ様子だ。船に乗った経験もさほど無ければ、遭難した経験だって無いだろうに。恐怖を感じるところが吹っ切れてしまっているかのよう。

 

「明らかに魔力を感じる霧。間違いなく、同胞達のものだ」

 

「同胞だと言うなら俺達が味方だという合図でも出せないか」

 

「我らが霧の中にいることは同胞達も知るところのはず」

 

「門前払いをされている、か」

 

 長耳の爺さんの言葉によれば、俺達が霧の中にいることは分かっているはずだし何より長耳の爺さんが仲間だってこともこの霧を通して見ているはずだという。

 だとすると今の俺達はそれでも尚この霧を抜けさせてもらえない難物を相手にしてるってことになる。

 

「我らを招き入れたくない、招き入れられぬ理由があるのかもしれぬ」

 

 長耳の爺さんはそう言ったきり黙り込んで考えに耽っちまってるが、そうこうしている内にも俺達の体力は奪われ、貴重な食糧と水も減っていく。

 

「おい、魔法使いってんならこの霧を無理矢理吹き飛ばしてくれねえか。いつまでもモタモタしてられんだろう」

 

「風を吹かすことは出来るが、これだけの霧を晴らすのは不可能だ。あるいはこの霧そのものに干渉するとしても、儂の魔力だけで干渉し切れるものか……」

 

 あれだけ船を出す前は自信満々なことを言っておいて、いざ霧の中に入ったらこの体たらくか。

 何か考えでもあるんだろうなと釣竿をしまって懐を探っている奴を俺はじっと睨みつけた。

 

 俺の苛立ちを感じているのかそうでないのか。奴はしばらくゴソゴソと懐を探ったかと思えば、手のひら大のゴツゴツとした石のようなものを取り出した。

 

「何だ、そいつは」

 

 意味ありげにそれを眺めているもんだから思わず聞いてしまった。手の中にあるそれを覗き込んでみれば、植物の種のようにも見える。にしては随分と大きな種だが。

 

「旅の最中に拾った」

 

 そして帰ってくるのは相変わらずどこかずれた答え。これまでの旅もコイツはこんな調子で一本ずれたことばっかり言って来たんじゃねえのか。

 俺が今度は助けを求めるように長耳の爺さんを見てみれば、爺さんは何かに気付いたような顔をしていた。

 

「まさか……、その種子の気配を感じ取っているのか」

 

「この種が何だってんだ。俺には何にも感じられんぞ」

 

 爺さんはこの種に何か原因があると思っているのかもしれないが、俺から見れば少し大きいだけのただの種だ。顔を近づけてみても特に怪しさは感じられなかった。

 だが、爺さんが気付くより先にこの種を懐から取り出したこの男なら、やはり何かに気付いていたのかもしれねえ。

 

「お前もこの種が怪しいって思ってたわけか?」

 

「……確証は無いがな。出処が真っ当じゃない」

 

 真っ当じゃない種。船旅の途上で聞いた魔物との戦いで手に入れたものということか。だとすると、瘴気とやらをこの種も発しているっつーことになるんだろうか。

 

「この種がねぇ……。まあ何にせよ、だ。その種が怪しいってんならさっさと捨ててくれや。そうすりゃ霧の向こう側に行けんだろう?」

 

 俺から見てもさっぱり分からんが。少しでも可能性があるならこの種を捨てて何か変わるかを見てみたい。

 当然そのつもりでコイツも種を取り出したんだろうと思っていたが、俺の予想とは裏腹に渋い顔をされてしまった。

 

「あまり捨てたくはない」

 

 あ? 今何を言いやがったコイツは。

 

「じゃあ全員ここでおっ死ねってか? お前はそんなくだらねぇ拘りで俺達全員の命を無駄にしようって言うわけか?」

 

 船の上じゃ船員の命は全て船長の責任範疇だ。船長の判断で船員を可能な限り生かすことが求められるし、そのためには時には残酷な選択だってしなくちゃならない。

 だからこそ、船長に圧し掛かる重圧は大きい。短い船旅だが、俺はそのことをコイツにも長耳の爺さんにも伝えてきたつもりだ。

 思わず語気も荒く詰め寄ってしまったが、当の本人はどこ吹く風とピクリとも表情を動かしやしなかった。一体どこまで肝が据わってやがる。

 

「この種は真っ当なものじゃあない。だからこそ目の届く範囲に置いておく。手放すのはそれこそ無責任だろう」

 

 そして淡々と俺に言い返してきたのだ。無理矢理奪い取って捨てることも考えたが、目の前の男の顔を見て、そして更にその後ろにあるものを見て俺の怒りはあっという間に引っ込んじまった。

 

 男の背を越す高さまで立ち上がった水の柱。いや、鎌首を擡げるようにしている様はまるで水で出来た蛇と言ったところか。それが海面から顔を出していたのだ。

 そして次の瞬間には、目の前の男をその腹の中にごぷり、という音と共に呑み込んでしまった。

 

「何だこりゃあ!?」

 

 船の上では冷静であれとしてきた俺の口から素っ頓狂な声が飛び出る。俺が驚いている間にも、水の蛇は男を呑み込んだまま海に消えようとしていた。

 

「今魔法を……!」

 

 俺の後ろから聞こえた爺さんの焦ったような声。それから少し遅れて船の欄干に突き刺さった霧を固めて出来たような白い棘は、しかし水の蛇に掠りもしない。意外な素早さを見せて水蛇は俺達の目の前から一人の男を連れ去ってしまっていた。

 

「い、一体何だってんだ……?」

 

「分からん。だが、気を付けよ。儂らは何者かに狙われておる。それがこの霧の主か、あるいは別の者かは分からんが」

 

 杖先に強い灯りをともして周囲を照らそうとする爺さんと背中合わせになり、俺も手にナイフを構える。

 何年も海の上で俺の身を守ってきたナイフがここまで頼りなく思える日が来るなんて思いもしなかった。

 

 そうして警戒をしていると、今度は足下から大きく揺れるような感覚がして思わず体勢を崩しちまう。気が付けば、船が勝手に海面を掻き分けて進み始めていた。風もないのに、オールで漕いですらいないというのに。

 

「ど、どこに連れて行かれてんだよ俺達は」

 

「この魔力……まさか……」

 

 ナイフを構えた俺と杖を構えた爺さんを乗せた船は、何か目に見えない力に引っ張られるようにして霧の中を進んでいったかと思うと、急激に霧が晴れ始める。

 視界の先には長らく見ていなかったせいか目に染みるような緑と、砂浜の白。そしてそんな砂浜に立つ何人かの人影。

 

「おい爺さん、あれは……」

 

「……恐らく、間違いないじゃろう」

 

 俺がその人影を指差せば、爺さんもそうだと言って頷きを返す。多分だが、あの人影が俺達をここまで引っ張って来たんだ。

 やがて船はその先端を砂浜に沈めて停止する。そして俺達に向かって人影が歩を進めてきた。

 

「懐かしい同胞の気配と、かすかな澱みの気配。澱みが消えたからこちらに呼び寄せてみたが。なるほど、我らの知らぬ間に永い時が流れていたようだな」

 

 まるで頭の中に直接話しかけてきているような声。耳を介さずに聞こえるその声に気分が悪くなりながら、その声の主に目を向ける。

 絹のような純白の衣を身に纏い、頭には枝飾りを身に付けた輝く金の髪をした長髪の男。

 俺の隣にいる爺さんと同じく、その耳は長く尖っていた。

 

「久しく出迎えることの無かった古い同胞だ。まさか只人を伴っているとはな」

 

 俺達を冷たい目で見つめるそいつは、お伽噺の中でしか知ることの無かった存在。隣にいる爺さんを除けば、俺のそれなりに長い船乗り人生でも最も衝撃的な出会いだ。

 

「ここに来られた幸運を噛みしめると良い、只人」

 

 そう言いながら目の前の男は自身の背後にある島を振り返る。

 

「ここはかつての災厄を生き延びた長耳族の最後の楽園。緑の王が治める長耳族最後の国ルスフェル」

 

 古い同胞の帰還の功により、特別に島への上陸を認めよう。

 

 俺なんか何の価値も無いと言わんばかりの目で、ソイツは言い放った。

 

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