俺を見つけてくれたエルフの美少女に先導してもらいながら、浜辺から森の中へと分け入って行く。あの、俺ってまだ目が覚めたばかりなんでもう少し歩くペース落としてもらっても良い……? ダメ? そうですか。
俺の無言の要求を悉くスルーして、目の前の美少女はさっさと歩いて行く。こっちはまだ服が濡れて重たいんですが!
「あなた、霧の中に迷い込んだの? それとも自分から入って来た命知らず?」
歩ける程度に均された道を行きながら、前の美少女が肩越しにこっちを振り向いて聞いてくる。うーん、どっちかと言うと後者ですかね。エルフの爺さんの仲間を見つけようと思ってここに来たので。
「……驚いた。この島の外で同胞が生き残っていたなんてね」
外に残ったのは皆死んだって聞かされていたわ、と言いながら美少女はまた目に向き直ると歩を進める。
そこからはしばらくは無言の間が続き、俺も靴の中が濡れて気持ち悪いなぁなんて思いながら黙って後ろをついて行く。すると、鬱蒼と茂った木々がまばらになり、少し拓けた場所に出る。頭上から日の光が差し込んでいるその場所の真ん中には、他の木よりも高く、太い樹が聳え立っている。よく見れば幹のところには扉らしきものがついており、所々に窓と思われる穴も開いている。
あの爺さんといいこの美少女といい、エルフは皆木を住処にしてるんだな。ファンタジー要素、良いと思います。
「ここが私の住んでいるところ。今は私一人しかいないけれど」
そう言いながらエルフの少女は扉を開けて中に入って行ってしまう。俺はと言えばようやく魔物も弟子もいない平和なシチュエーションで出会えたファンタジー要素に感動してじっと木の家を見上げ続けていた。
「何か気になる?」
そんな俺を不審に思ったのか、家の中から少女が顔を出して聞いてくる。いや、こういうの珍しいから見入っちゃったんですよと返せば、少し不思議そうに首を傾げる少女。はい可愛い。さらりと流れる白髪がグッド。ファンタジー美少女万歳である。ノルンも綺麗な白髪だけどエルフの尖った耳がこれまた素晴らしい。
「家が? ……そういえば只人って家を育てることをしないんだっけ」
俺の答えに合点がいったように彼女は頷くと、頭上を見上げた。
「私達は木と共に生きるの。家は苗木を植えて、自分達で育て上げる。チャントを使ってね」
これまた俺の知らないファンタジーワードだ。ちゃんと? と俺が首を傾げた様子を見て、彼女はどう説明したものかと腕を組んだ。
「歌よ、歌。私達の言葉は古い、力ある言葉。正しく諳んじれば、祈りとなって私達の意志を木に伝えてくれる」
そう言うと彼女はハミングを始める。最初は小さな鼻歌だったそれは、小声で、次第に木に語り掛けるように俺の理解出来ない言葉を用いた歌に変わっていく。
柔らかな日が降り注ぐ中、大木の幹に手を当てて不思議な歌を口ずさむ白髪赤目の美少女エルフとか俺が妄想したファンタジーが今まさに目の前に繰り広げられている……!
あまりの感動に何も言えず、思わず目頭を押さえた。雑魚魔物をしばき倒し、弟子に追い回され、木の魔物なんぞに腹をぶち抜かれたけれど、こんな素晴らしい光景を生で見れたのならオーケーだ。
「ま、今の私じゃ歌うくらいしか出来ないんだけど……ってどうして泣いてるのよ?」
あ、いやこれについてはお気になさらず。ちょっとした発作みたいなものなんで。歌、上手いですね。
ちょっと怪訝な目で見られるハプニングもあったものの、俺は美少女エルフの家にお邪魔させてもらい、木の家の中で電気ヒーターのように暖かい光を放つ謎のランプを前に服を乾かしていた。
「熱蛍がそんなに珍しい?」
熱蛍っていうんですか。いやこんなトンデモびっくり生物見たのは初めてなんですが。
「島の外じゃもういないのかしらね。木を燃やさないけれど、暖かい。長耳族は皆使っているわ」
そう言いながら湯気を立てる木のコップを手渡してくれる。美少女エルフが手ずから用意してくれたお茶だと? ……危うく俺の師匠面フェイスがだらしなく崩壊してコップを捧げ持つところだった。辛うじて仕事をしてくれた鉄壁の表情筋に感謝しながら俺はお茶を啜る。うーん、マズい! もう一杯!
「口に合わなかった?」
少し不安そうな顔をしてこちらを見てくるので、俺は何も言わずに目を逸らす。家に招いてもらっておいてお茶がマズいなんて言うほど俺も礼儀知らずじゃない、んだけどマズいのはマズい。なんだよこの汁。雑草をそのまま煮出しました?
「……ずっと一人で暮らしてきたんだもの。どういう風にしたら良いのか分からなかったのよ」
何も言ってないけれど俺の言わんとするところを察したのか、エルフの少女はそう言って恥ずかしそうに俯いてしまった。やだ、これじゃ俺が助けてもらっておいて気を遣わせてばかりのクソ野郎じゃないですか。いや、実際そうなんですけどね?
流石にこのままだと居た堪れないため、俺はコップを持って立ちあがる。俺がお茶淹れてよりマズく作れば彼女の家事能力が低いわけじゃなく、茶葉がダメなんだってことに出来るだろ。
「え、あなたがお茶を淹れるの?」
俺が台所の場所を聞けば、少女は目を丸くして俺の顔を見返す。おっさんだけどお茶を淹れるくらいなら出来らぁ! これでも弟子から逃げる為にずっと野宿し続けてきたんだもの。
内心情けないことを言いながら、少女の案内を受けて台所に案内してもらう。なるほど、湯を沸かすのもこの虫を使うのね。火が使えないって不便だな!
木の家だから仕方ないことなのかもしれないが、俺がそう愚痴を零せば少女の表情が曇る。
「……仕方ないじゃない、私は魔法が使えないんだから」
……しまった。これは地雷を踏んでしまったようだぞ。先ほどよりも数段は重くなった空気に嫌な汗をかきそうになりながら俺はぎこちない手付きでお茶の準備を進める。やだ、あまりにも気まずいわ!
「この家だってそう。
お湯が沸くのを待っている間、思った以上に重たい事情を聞かされてしまう。それを尤もらしい顔を取り繕いながら聞く俺は、エルフって皆が皆魔法を使えるわけじゃないことにちょっと安心していた。何故かって? あの爺さんみたいにえげつない魔法使えるようなのがゴロゴロいたら機嫌損ねた瞬間に殺されるからだよ。
「長い間ずっと一人だった。そろそろこんな生活を続けるのも飽き飽きしていたところだったわ」
そしてエルフの美少女は沈んだ表情を少しだけ明るくさせて俺を見上げた。
「外からこうして客人がやって来たのだもの。この時が止まった島にようやく新しい風が吹いてきたのよ」
期待してもらっているところ悪いんですが俺が連れてきたのはエルフの爺さんにジルファのオッサンです。オッサン二人に爺一人というなんとも格好の付かない新しい風なんです。この風、なんだか加齢臭がする……なんて言われないだろうか。
あんまり期待させるのも居心地が悪いので過度な期待は止めてね? とやんわり伝えたが、彼女は俺の言うことを冗談だとでも思ったのか、クスクスと笑って受け流した。やだ、これで俺が爺さんとジルファにこの子を引き合わせたらどれだけ失望されるんだろう。今からちょっと怖くなってきた。
「さ、お湯も沸いたわ。お茶を淹れてくれるんでしょう?」
これ以上言っても多分冗談にしか受け取ってもらえなさそうなので俺はお茶の準備に戻ることにした。まあ後は茶葉をお湯に浸して煮出すだけですけどね。
ということで適当に用意したお茶を二人分カップに注げば、彼女はお手並み拝見とばかりにそれを早速口に含んだ。俺もそれに倣って自分のお茶を飲んでみる。頼むからマズくあってくれ……!
「……私が淹れるより美味しいわね」
どうやらエルフの美少女は家事能力がポンコツということがはっきりしてしまった。気まずい空気が流れる。やだ、助けてもらってからこっち、恩人に恥を掻かせてしかいない気がするわ!
目の前で眉をハの字にしてしょぼくれるエルフの美少女に対し、これまで一人で暮らしてきたんだから仕方ないとフォローにもなってないフォローをしておく。うん、自分だけの為に作る物とか結構適当になったりするよね。だから仕方ない、そういうことにしておこうな!
「フフ、慰め方が下手ね」
俺が何とかフォローせねばと下手な言い訳を並べていると、そう言って彼女は笑った。結局何もフォロー出来てない気がするけど取り敢えず笑ってくれたからヨシ!
「まだ自己紹介をしていなかったわね。私はフィリオリーネ。長耳族の最後の王国、逃げ出した王の末裔が作り上げたこの退屈な牢獄の囚人よ」
エルフの美少女あらためフィリオリーネは、そう言って俺に右手を差し出してきた。
「歓迎するわ、新しい風。この島を覆う霧を払ってもらえることを期待しているわ」
握手を交わせば、フィリオリーネはそう言って俺に重すぎる期待をかけてくる。俺はただの一般通過クソ雑魚冒険者なのでそこまで期待しないでもろて……。それを言うなら俺が連れてきたエルフの爺さんに他のエルフを説得してもらうことを期待して欲しい。
「そういえば言っていたわね。本当に生き残りがいたの? 口から出まかせなんかじゃなく?」
疑わしいと言わんばかりの顔で聞いてくるフィリオリーネだが、本当にいるんですよ。ここみたいな霧の中で一人だけ大樹の中に隠れてた爺さんが。
俺がそう言えば、フィリオリーネは顎に手を当てて考え込むような仕草をする。
「……あなた、三人で船に乗って来たって言っていたわよね? あなたはここに流れ着いたけれど、残りの二人は島の反対側に着いた可能性があるわ」
島の反対側とはこれまた俺は一体どれだけの距離を流されたんだ。とはいえそういうことなら森を突っ切って島の反対側を目指せば爺さん達と合流できるということだ。
「残念だけど、それは難しいと思うわ」
俺の言葉に、フィリオリーネは困ったような顔で返す。どうしてなんですか。最悪海岸線沿いに歩いて行けばいつかは辿り着けるじゃないですかなんて思っていると、俺の疑問を見透かしたように彼女は言葉を続けた。
「さっきも言ったでしょ、ここは逃げ出した王の末裔が作り上げた退屈な牢獄。この島は外から来る者も、中から出る者も拒む監獄なのよ。それが長耳族最後の王国、緩やかに死に向かう停滞の国ルスフェル」
「大地を蝕む魔樹は我らの天敵だ」
俺達を案内すると抜かしながら、武器を持って周囲を固めた長耳共。まるで俺達が罪人だと言わんばかりの様子で森の中へと入って行きながら、俺達を出迎えた金髪の長耳が平坦な声で語る。
「地脈の魔力を吸い上げ、瘴気に変じ、大地とそこに生きる者を蝕み変容せしめんとする魔樹が一体どこからやって来たのかは誰にも分かってはいない」
だが一つ言えることは、あの魔樹は我らにとって致命的な特性を備えていた。それ故に北の森を追いやられ、小人と只人、獣人にまで縋る無様を晒した。
苦虫を噛み潰したような顔で話す男は、長耳族が他の種族に頼ったことをこの上ない恥だと言わんばかりだ。
「愚かな王は他種族に縋るばかりか我らの血と力を只人に分け与える愚を犯した。その結果生まれたのが悍ましい銀だ」
「一時でも魔王を押し留めた過去の勇者が悍ましい、と?」
前を行く男の語り口に何か言いたげに、長耳の爺さんが口を挟んだ。その表情こそ読めないものの、恐らく内心は俺とそう変わらないだろう。
気に入らねえ。自分達以外が全て下だと言って憚らないようなその態度も、それでいて臆病にも霧の中に引っ込んじまってることも。こんな腰抜け共の為に俺の先祖様は苦労させられたのかと思うと腹の底から怒りがこみあげてくる。
「フン、アレが魔王だと? 魔樹に魅入られただけの者を魔王とは随分とおめでたいことだ」
だが、返ってきたのはこちらを嘲るような言葉。
「俺達がおめでたいってんならお前さん方は何だよ? そんなおめでたい奴らに全部押し付けておめおめと逃げ隠れした腰抜け共ってか?」
思わず口を衝いて出た言葉。それが目の前の男含め、長耳共に与えた効果は想像以上のものだった。
気が付けば俺の喉元に突き付けられた刃先。何本もの槍や剣が俺の首を落とそうとピタリと首筋に添えられていた。
「……逃げたのは確かだ。それでも、我らの血と力を盗み出した挙句あのような悍ましいものを生み出して平然としている貴様らに謗る資格などありはしない」
「……ハッ、何も出来なかったからって人間サマのやって来たことにケチ付けようってか?」
「人の寿命は我らよりも遥かに短い。だからこそ貴様らは美しく飾られた鍍金しか見えていないのだ。あの時何が行われていたのか。それを許した時の王がいかに愚かだったか。そして、霧の中に潜み力を蓄えようとした最後の王がいかに賢明であったことか。貴様らが魔法と持て囃す力が、魔物を穿つと誇るそれが我らから簒奪したものであることを自覚すべきだ」
「図星突かれて怒るんだったら俺を殺せば良いだろうが。それでもお前らが腰抜けだって事実は消えないぜ。力を蓄えたって抜かして何もしなかったお前らより、実際に魔王とやらを倒した勇者がいるんだよ。お前らがビビって逃げ出した魔樹とやらを剣一本で倒した男だっているんだよ!」
俺の村の周りがそれで大きく変わったかと言われりゃ何も変わらねえ。だが、それでも一歩を踏み出したのは確かだ。こんな島で引き籠ってた長耳共じゃねえ。あの仏頂面で、自分をロクデナシと勘違いした阿呆が己の力で成し遂げたんだ。
剣と槍を突き付けられ、身動き一つ出来ないまでも俺はジロリと周囲を睨みつける。海の男がこの程度で怯むだなんて思われているんなら笑い種だ。こんな剣や槍よりもよっぽど恐ろしい海を相手に長年生き残って来たのが俺達船乗りだ。
「止めよ」
そんな一触即発の空気に割り込んできた声。その言葉に周囲の長耳共の様子が変わった。
「王!? このような所にどうしてお出でに?」
「霧の守りに同胞の気配を感じたのだ。この目で確かめねばならないだろう。だから武器を下ろせ、エルネスト」
その言葉と共に木々の隙間から姿を現したのは、隣にいる爺さんと同じくらいに年を食った長耳。髭こそないものの、髪は真っ白で長く伸びており、木の枝を編んだような冠を被っていた。そして右手には、爺さんと同じく肩の高さまである捩じれた木の杖を持っている。
「同胞が失礼をした」
王と呼ばれたその長耳が右手に持った杖を軽く振れば、周囲の長耳共がその王に向かって跪いた。
「彼らはこの島をずっと守り続けてくれている。故に来訪者に対して厳しくなるのだ。無礼を詫びさせて欲しい、只人と灯台の守り人よ」
ぼうっと突っ立っている俺と爺さんに向かって、長耳の王が左手を胸に当てると頭を下げる。
「……まだ腹に据えかねるところはあるが。王様に頭を下げられたってんなら何も言えねえ」
俺はそう言って腕を組む。隣を見れば、爺さんは何か言いたげな顔をで王様を眺めていた。
「儂のことを知っているのか……?」
「当然だ。この島に落ち延びた我らを見送り、戦いに身を捧げた同胞達を見守った守り人」
驚きに目を瞠る爺さんに対して、王様は少し悲し気な表情でそう言うと、俺達を迎え入れるように左手を少し広げた。
「ここからは私が案内しよう。聞きたいこともあるだろう。我らも、語らねばならんことがある」
エルネストと呼ばれた男がギラギラと怒りに満ちた目で俺達を見送るのを感じながら、俺と爺さんは長耳の王とやらの後に続いて森の中を進んでいく。
気付けば、周囲からこちらを窺うような視線をチラホラと感じるようになっていた。辺りを見渡してみれば、周りに生えている木の中から、こちらを観察するように覗く長耳と目が合った。
「この島に落ち延びて来て以来、初めての客人だ。同胞達の好奇の視線が気になるかもしれんが許して欲しい」
「……これまでにも霧に迷い込んだ船乗りはいたはずだ」
初めての客人、という言葉に引っ掛かった。俺のご先祖様は突如現れた霧を怪しみ、霧の中に探索に向かった船乗り達も多くいたと聞く。その船乗り達は二度と帰ってくることは無かった。
「霧の守りに足を踏み入れた者は我らの許しが無くば出ること能わぬ。我らは霧の外からやって来る者に対して臆病であり続けた」
そう言って沈痛な表情で押し黙る王様に、俺は何が起こったかを何となく察した。要は霧の中で彷徨い続け、船乗り達はそのまま命を落としたんだろう。身体に纏わりつくような霧に風も無いあの海じゃ進むことも戻ることも出来やしない。
「我らは戦争状態にあった。魔樹と魔樹が使役する魔物達に対し、私は少なくなった同胞をどうにか守る必要があった」
それが赤の王と結んだ約定であったが故に。
そう言った王様は肩越しにこちらを振り返ると、目を伏せて謝意を示した。
「許して欲しいとは言えぬ。それが私の役目だった。謝ることも出来ん」
その言葉は、王として自身のしてきたことが間違いでは無かったと暗に物語っていた。それは船長が時には残酷な選択を採ることを躊躇わないのと同じ。感情としては割り切れないが、それをただ糾弾することは俺には出来なかった。
「……ジルファ」
「分かってるよ。ここでグチグチ言ったところで話は進まねえ。これまではこれまで、大事なのはこれからの話だ」
爺さんの気遣わし気な声に俺はそう返す。俺の息子や孫たちがこれから苦労しないようになるんなら、ひとまずは俺の個人的な怒りは腹に収めるしか無いだろう。そう考えるしかないくらいには、あの霧は古くからあり続けた。そういうもんだと船乗り達が思っちまうくらいの時間、俺達はあの霧と共にあったのだから。
長耳の王に案内されたのは、立ち並ぶ木々の中でもひときわ立派な大樹の中。その中には大きな円卓と、それを囲うように十の椅子が並んでいた。不思議なことに円卓も椅子も、全て木の幹からそのまま生えてきたような形だ。
「ここは王の間。ここならば誰の邪魔も入らぬ」
王様はそう言うと、急に小さな声で歌を口ずさみ始めた。俺の理解出来ない言葉で歌われるそれに呼応するように、窓のように開いた穴を木の幹が成長して塞いでいく。
「これは
今こうして我らの声がお主達に通じているのも、力ある言葉はその意を直接伝えるからだと王は続けた。
言っている意味はいまいち分からねえが、長耳の言葉は何故か俺の頭に直接響いて来て何が言いたいかを伝えるもんだということは分かった。
「この気持ち悪い感覚には慣れねえな。お前らの口の動きと俺の理解してる言葉が一致しねえ。酔っ払った時みてえな感じだ」
「しばし辛抱して欲しい」
薦められるがままに椅子に腰かけた俺と爺さん、それを見届けた王様が最後に椅子に腰を下ろした。
「何から話すべきだろうか、古き同胞と客人よ」
「あのクソッタレな霧を無くしてくれるんだろうな?」
まずはそこだ。村の全員がもう慣れちまって、それでも何とかしたいと思い続けているあの霧。コイツらにもコイツらの事情があることは分かる。
「もう魔樹とやらはいねえだろう。今は逸れちゃいるが、俺と一緒に来た仲間がそれを倒したんだ。お前さんらが怖がるものは無いだろう?」
あの自称ロクデナシとその弟子が魔王とやらを退治してくれたんなら、もうコイツらがコソコソとはた迷惑な霧の中に隠れる意味も無い。そう思っての問いだったが、目の前の長耳は悲しそうな表情になったかと思うと首を横に振った。
「それは出来ぬ」
「……一体どうして?」
危うく怒鳴りつけそうになった自分を何とか抑えつけた。怒るのは理由を聞いてからでも良いだろう。
「我らは知っているからだ。まだ脅威は去っておらんことを」
「まだ魔王とやらがいるって?」
「あれは魔樹に魅入られた眷属。魔王と呼ぶのなら、魔樹を生み出したものこそ魔王と呼ぶべきだろう」
「やはりあの樹は何者かの作為によって生み出されたものだと?」
王様の言葉に爺さんが反応する。やはり、と言っている辺り爺さんも予想していたんだろうか。俺としちゃ物語の中でしか聞いたことの無いような話で想像の及ぶところじゃない。
「まだ魔樹は死んでおらぬ。霧の中に微かに感じたその気配が何よりの証左」
「あの種子……」
「お主達と共にあったあの悍ましい気配は今は消えておる。どこかに隠されたのだ」
その言葉に、船の上から消えたアイツを思い出す。見たことも無い、海がまるで引き込むようにアイツを船の上から掻っ攫っていった。あれがあの程度で死ぬような男だとは思ってないが、それでも気配が消えたってのはおかしな話だ。それじゃあアイツは一体どこに行っちまったってんだ。
「あれが邪な誰かの手に渡れば、かつてと同じことがまた起こるだろう。故にこの霧を解くことは出来ぬ。それは守り人のお主こそ分かっているはずだ」
王様はそう言って爺さんを見つめるが、当の爺さんは何を言われているのかさっぱりと言った困った顔だ。
「儂が何を知っているというのか。儂の記憶は諦めに満ちた記憶の中で薄れてしまったのだ」
「……長きに渡る監視者としての孤独な役割がそなたの記憶を削り取ってしまったのだな」
王様は寂しそうな表情で言うと、円卓に手を翳す。手を翳された部分が円形に凹み、その底から染み出す様に現れた水で窪みが満たされる。
「では語るとしよう、古い記憶を。そなたの失われた記憶を呼び覚ます為に」
その言葉と共に、窪みに満たされた水の表面がまるで鏡のように俺達の顔を反射して映す。やがて水面に映った俺達の顔が不自然に揺らいだかと思うと、ここじゃないどこか別の景色を映し出す。
「澱みに魅入られた我らの同胞の話を。そして我らがこの地に、最後に残された安息の地ルスフェルに辿り着くまでの話を」