さて、エルフの美少女の下でまったり田舎暮らしを始めて数日。相変わらず俺はフィリオリーネという美少女エルフのところに居候させてもらっているわけなのだが。
「ちょっと、また素振り?」
ここで暮らすのも良いかもしれないと思い始めているくらいには居心地が良い。
俺が振りかえれば山菜なんかが詰まった籠を抱えたフィリオリーネが腰に手を当てて少しふくれっ面。その少し拗ねた顔、素晴らしいと思います。陽の光を浴びて輝く銀髪がグッド! そして半袖から見える眩しい二の腕もエクセレンッ!
さらに何より素晴らしいのはこの島には魔物の魔の字も無いこと。
フィリオリーネによれば、島を囲っている霧はエルフにとって害のあるものを遮断するらしく、そのお陰か魔物もこの島には入って来れないのだとか。じゃあこの霧で魔王の周り覆っとけば良かったじゃない、とそれを聞いた俺は言ってしまったのだが。
「さあ、私も母から聞いただけだもの。昔のご先祖様がどうしてそうしなかったかなんて興味無いわ」
俺の言葉にフィリオリーネはそう言って少し沈んだ顔になってしまったのでそれ以上の追及は出来なかった。美少女を曇らせるのは大罪ですゆえ。
それから、俺は逸れた二人と合流するという建前でダラダラと彼女のお世話になり続けているというわけだ。え、ただのニート? ちゃんと森で動物狩って来てるし料理もしてるから居候分くらいは働いているわい!
「聞・い・て・る・の?」
俺が脳内で誰に聞かれるでも無い言い訳を並べ立てていると、いつの間にやらフィリオリーネが俺の目の前にまでやって来ていた。
上目遣いでこっちをジト目で睨みつけるんじゃない。可愛さで危うく昇天するところだったぞ。
顔面が醜く崩壊しないように普段以上に表情を引き締めながら、家の前に積んだ薪を示す。ちゃんと仕事はしてるから! やることやってから遊んでるだけだから!
「薪割りしたからって?」
他にも野兎狩っといたんで、とも付け加えておく。
俺のファンタジー知識との乖離と言えば、エルフが実は肉も食うってことだ。俺のイメージだと森に住むエルフって野菜とか果物だけ食べてて肉なんて食わないイメージだった。それも出会って最初の方に聞いてみたが、
「果物だって野菜だって年中採れるわけじゃないんだから。食べられるものは食べるに決まってるじゃない」
とあまりに当たり前なことを言われたので頷くしかなかった。そりゃそうだ。妙なところで現実的だよこのファンタジーの塊。
俺がちゃんと雑用をこなしていたことに納得してくれたのか、まだ可愛らしく頬を膨らませていたフィリオリーネはこれまた可愛らしくため息を吐くと緩く口元に笑みを浮かべた。
「それじゃ朝食にしましょうか」
うーん、この理想のファンタジースローライフ。俺はもしかしたら勇者育成する系のファンタジーじゃなくて美少女とスローライフをする系のファンタジーに転生していたんじゃないかと思うくらいだ。あ、でも朝食は俺が作りますね。
「……何よ」
俺の提案にフィリオリーネがジト目に戻る。でもそれだけは譲らない。訳の分からない物体を料理と言い張って出されるのは困る。そんなところはファンタジーしなくて良いんだよ。
「仕方ないじゃない、私一人じゃ料理とか拘る意味無かったんだから」
うんうん、だから料理以外を頑張りましょうねー。
俺は今、最高にファンタジー異世界を堪能している! ちなみにさっきも言ったけど台所には君は入れません。
ぶー垂れるフィリオリーネの背中を押して退け、これまでの一人旅で培ってきた独身男の生活スキルが火を噴くぞと俺は朝食の準備を進める。その間フィリオリーネは手持ち無沙汰に椅子に座って足をブラブラとさせてこちらを観察していた。
「不思議な感じ。この家に私以外の人がいるなんていつ振りかしら」
そういやこの家ってそもそもお母さんが作ったんでしたっけ? そもそも親父さんとかどうしてるんですかね?
「父親なんかいないわ」
俺の言葉にフィリオリーネが凄まじい形相になる。地雷踏みましたね、これは。ここからでもフォロー出来たりします? 無理?
「母と私を捨てたクズ。私に魔力が無いからってね」
出来損ないらしいわよ、私。
そう言って自嘲するように笑う彼女。うーん、このどう返しても地獄になりそうな空気。ライネルかノックスみたいなイケメンだったらここでバシッとフォローして好感度稼ぐんだろうが生憎俺にはそんなスキルは無い。ソーン? 既に相手がいる奴にこれ以上のヒロイン追加はちょっと……。
とりあえず俺も魔力無いんだからそう悲観しなくても良くない? と言っておく。何の慰めにもなってない? 分かってらぁ!
でもこんなしょぼくれたオッサンでもなんやかんや普通に生きてんだから。君みたいな美少女だったらもっと人生イージーだと思うよ?
「長耳族にとって魔力が無いっていうのは片腕が無いのと同じよ」
苦し紛れのフォローもどきに終始していると、追い打ちを掛けられたでござる。爽やかな朝食の空気が一転して極寒地獄に。誰だこんな空気にした奴は! 俺でしたね、ごめんね!
まあでもあれよ、実際に片腕だけなわけじゃないんだから。魔法以外の特技があれば良いじゃない。
テーブルに朝食を並べながら俺は諦めずにフォローに入る。ここで家主である彼女の機嫌を損ねる訳にはいかないのだ。俺の理想の異世界スローライフの為にはな!
「魔法以外……?」
そうそう、例えば俺がやってるみたいに剣振ってみるとか。
俺がそう言えば、彼女はキョトンとした顔で皿から野苺らしき果物を摘まんで口に運ぶ。
「剣なんて、これまで触ったことすら無いわ。母から弓は教わったけれど」
弓、良いじゃないですか。
俺なんて遠距離攻撃手段無いから空飛ばれたらおしまいなんです。そういや今まで魔物の中で空を飛ぶような奴に出くわしたこと無いな。ドラゴンもトカゲもどきみたいな奴で拍子抜けだったし。
「竜を倒したの?」
あ、俺が倒した訳じゃ無いんです……。俺の弟子にソーンっていう主人公みたいな奴がいましてね?
「あなたの弟子……、強いの?」
おや、何故かフィリオリーネが俺の弟子の話に興味を惹かれているぞ? 何故かは分からないがこの地獄みたいな空気を入れ替えるチャンスだ!
ということで朝食の時間はそのまま俺の弟子語りの時間になる。俺が弟子達の話をすれば、彼女は興味津々に目を輝かせるものだから気分が良い。そうだよ、俺はこうして田舎でのんびりと若者に弟子自慢をする師匠がやりたかったの!
調子に乗った俺は彼女に聞かれるままに旅の話を続けた。ソーンやノックスみたいな野郎以外にも美人姉妹もいたり美少女騎士もいたりしたんですよね。ちなみに俺の弟子達は例外なく今は俺を始末しようとしていることは伏せておく。
「美人姉妹、美少女騎士……へぇ」
何故かフィリオリーネの視線の温度が下がった。何故だ!?
「なんでも無いわ。それより、続きを聞かせて」
先を促されたので妙な圧力を感じながら話を続ける。それで魔王とかいう奴を俺の弟子達が倒してですね。
「その時あなたはどこにいたの?」
フィリオリーネの質問に俺の口がピタリと固まる。どう答えるべきだ……。素直に弟子達から逃げようと思ったら木の魔物のデカい版みたいな奴に思った以上に苦戦してましたなんて言えるわけが無い。ちょっとくらい話盛っても……バレへんか。
俺は徐に懐から例の種を取り出して机に置くと、ちょっと勿体ぶって話を続ける。実はこの種はな、魔王を影から操っていた呪われた樹の種だったんだよ!
「な、なんですって……! そ、そんな物を持っていて大丈夫なの!?」
俺の言葉にフィリオリーネは満点の反応を返してくれた。彼女が俺の弟子達と出くわして本当のことを知る可能性なんてほとんど無いだろうからこれくらい盛っても問題無いよな!
この種は俺が樹を倒した時に手に入れたわけだが、これがどこから来たのかを探るためにまた旅をしているってわけですよ。なお嘘である。
「確かに妙な気配を感じてたのよね……」
フィリオリーネはそう言って種に触れようとするのでそれを妨げるように俺は机から種を拾い上げた。これで良く観察してみたら何の変哲もない種だってバレたらマズいからな!
俺以外の人が触れるとあの魔王みたいになるかもしれないからと適当なことをでっち上げてまた懐にしまい込んでおいた。まあエルフの爺さんもなんか怪しんでたし、曰くつきなのは確かなのかもしれない。俺には何も分からんけどな!
「あ、もう……」
種に手を伸ばしていたフィリオリーネは少し不満そうに口を尖らせたが、その可愛さに負けないように俺は席を立った。良い感じに話も逸らせたし、昼まで少し身体でも動かそうかね。
「また剣の鍛錬? 飽きないのね」
だってこれくらいしかやること無いし。もはや習慣になってるから歯磨きと一緒で素振りをしないと落ち着かない。ここまで毎日鍛錬してるのに一向にレベルアップする気配が無いってマジ? 俺はどれだけ才能無いんですかね。
家の前でいつも通りに剣を振っている俺をフィリオリーネは軒先にちょこんと座って眺めている。その姿を視界の端に捉えながら、そういや俺の鍛錬姿をこうしてまじまじと観察されるなんてあの弟子達に理不尽な修行をつけていた時以来だな? なんて益体も無いことを考えていた。
「……ねえ」
そんな俺の適当な素振りを見かねたのか、フィリオリーネに声を掛けられる。
「私でも剣を扱える?」
どうやら俺の煩悩に塗れた内心が見透かされたわけではなかったらしい、一安心だ。ってか剣? なんで弓扱えるのに剣なんか使う必要あるんですか。
「私の弓は狩りくらいにしか使えないもの。剣なら、魔王を操る呪われた樹も倒せるあなたに習えるじゃない」
しまった。俺のホラ話が予想以上に彼女の興味を惹いてしまっていたらしい。実際は弟子が魔王とやらを倒すのを隠れて待ってただけなんて言い出せる雰囲気ではなくなってしまった。
いや、ほら弓も立派な武器なわけで。極めたら剣なんかよりもよっぽど強くなれたりするじゃない? 君のお袋さんだって弓使いだったんでしょ? だから君はまず弓を極めよう、そうしよう。
「私の弓が……本当にそこまでになれるの?」
不安そうな顔でこっちを見てくるフィリオリーネに俺は流石に良心が耐えかねて分かりませんと正直に返すしかなかった。でも努力次第ですって。俺だってただの山奥の寂れた村のガキだったんだよ? いや、今も別にそこまで強くないんだけども。
「そう……、あなたがそう言うのなら。少し頑張ってみようかな」
俺の泥縄的な説得は何かの間違いで彼女を上手く言いくるめられたらしい。うん、彼女がもしこの島を出て一人旅でもしようとか言い出したら頼りになる大人を付けてあげるようにしよう。絶対に簡単に騙されちゃうわこの純粋無垢な娘。
孤独に慣れ始めた頃にやってきたその人は不思議な人だった。
「仲間と逸れた」
浜辺で倒れていたところを見つけて、放っておくことも出来ないから介抱していたら第一声がそれだった。
見知らぬ場所で、霧に迷う中で船から放り出されてここまで流されてきたと淡々と説明する彼は、自分の置かれた状況をまるで他人事のように語るのだ。
「何か気になるの?」
家に案内すれば、それを前にしてじっと佇んでいる。何が気になるのだろうと思って聞いてみると、
「木を家にして住んでいるのか。人の住む町じゃ見かけない」
そう言われて、これが私達長耳族の特有のものらしいことに気が付いた。生まれてからずっと、この霧に囲まれた島に閉じ込められていた私にとって、只人というのはまさに未知との遭遇だった。
「家が? ……そういえば只人って家を育てることをしないんだっけ。私達は木と共に生きるの。家は苗木を植えて、自分達で育て上げる。チャントを使ってね」
頭上高く聳える私の家を見上げて説明すれば、感心したようにほうと彼はため息を吐いた。そして直後、チャント? と言いながら首を傾げる。それも只人は知らないのね。
「歌よ、歌。私達の言葉は古い、力ある言葉。正しく諳んじれば、祈りとなって私達の意志を木に伝えてくれる」
そう言いながら私は口の中で小さく口ずさむ。それは幼い頃、母が子守歌代わりに歌ってくれたもの。私ではこの歌に籠められた力を発揮させることは出来ないけれど、それでも寂しさを紛らわせる効果はあった。
と、そういえば今日はお客さんがいるんだったっけ。
「ま、今の私じゃ歌うくらいしか出来ないんだけど……ってどうして泣いてるのよ?」
歌うのを止めて彼の方を見れば、何故か彼の頬には一筋の涙が伝っていた。私の歌が何か気に障ったのかと聞いてみたけれど、彼は頬を手の甲で拭うと何でも無いと答えた。
「良い歌だ。心に響く」
それは私にとって初めて母以外から掛けられた褒め言葉だった。
それから、私と彼の奇妙な共同生活が始まった。
私は毎朝森に入って野草や果物を採取し、たまに小動物を狩る。彼はと言えば、私が起きるよりずっと早くに起きだして森に入って行ったかと思うと、枯れ枝を集め、私よりもよっぽど上手く動物を狩って戻ってくる。そして無言で剣を振るのだ。
「俺は火の扱いの方が得意だ」
そう言って彼は家の外で焚火を熾すと、それで狩って来た動物の肉を調理する。……悔しいけど、私が作るよりも美味しかった。
「一人で旅をしてきたからな、慣れたもんだ」
彼との共同生活は、正直に言って悪くなかった。自分以外の誰かと一緒に過ごすなんてあんまりにも久しぶりなことだったから、どうすれば良いのかも最初は分からなかった。
「肉も食うのか。てっきり野菜や果物だけだと思っていたが」
ある時、彼が意外そうな顔でそう言った。
「果物だって野菜だって年中採れるわけじゃないんだから。食べられるものは食べるに決まってるじゃない」
彼の中のイメージがどうなっているのかと思ったけれど、そもそもこの島の外には長耳族がもういないのだと思うと無理もないか。彼の仲間に一人、長耳族がいるらしいけれど、浮世離れしていてあまり何かを食べているところを見たことが無いらしい。
私の言葉を聞くと、彼はそれもそうかと納得したように頷いた。むしろ私からすれば、毎日毎日飽きもせずに剣を振っている彼の方が不思議だった。
「ちょっと、また素振り?」
私が朝の山菜採りから戻ってみれば、彼は家の前で汗を流しながら剣を振っていたので、思わず声を掛けていた。
剣なんて触ったことも無い私にとって、彼がどれくらいの実力者なんて分かるわけも無い。それでも、音を置き去りにするような、剣の通り道が白く輝く線と見えるようなその剣が余人の手の届かぬ領域にあることは察せられた。
声を掛けるまで山菜採りから戻った私に気付かなかったようで、彼は手を止めて私をじっと見ると、何か考え込むように視線を宙に彷徨わせた。そのままボーっとしているものだから、私が痺れを切らして彼の目の前まで詰め寄れば、彼は私から目を逸らす様に家の前に積まれた薪に目をやった。
「薪割りしたからって?」
「野兎も狩った」
だから自分の仕事はきちんとやったということだろうか。
彼は言葉少なだ。言いたいこと、言わなければならない核心しか言わないから、文脈は私が補う必要がある。人によっては誤解されちゃうんじゃないかしら。
そう思いながら、彼の言いたいことを予想出来るようになってきたことが少し嬉しい。
「それじゃ朝食にしましょうか」
「……そうするか」
剣を仕舞った彼と連れ立って家へと戻る。家の中に戻って、彼と一緒に台所に入ろうとすると彼が立ち止まってこちらをじっと見ているのに気付いた。
「俺が用意する」
「……何よ」
何が言いたいのかしら、と言わんばかりにじっと見上げるけれど彼はピクリとも表情を変えずに居間を指差した。座って見てろってことね。
「仕方ないじゃない。私一人じゃ料理とか拘る意味無かったんだから」
「今は俺がいる。まずは見て学べば良い」
そう言われて背中を押される。それに対して私はあからさまに頬を膨らませて抗議してみせるけれど、彼は意にも介さない。
彼は優しい人だ。自分でも歳不相応に甘えているのだと分かっている。そんな私を、何も言わずに受け止めてくれる。
「不思議な感じ。この家に私以外の人がいるなんていつ振りかしら」
食事の用意を始めた彼の姿を椅子から眺めながら、誰に聞かせるでも無く私は呟いていた。
「母親のことは聞いたが、父親は何をしている?」
そんな私の言葉を聞きつけたのか、彼がそう言った。その言葉に私は嫌なことを思い出してしまった。
「父親なんかいないわ」
自分でも驚くほどに冷たい声だった。
「母と私を捨てたクズ。私に魔力が無いからってね。出来損ないらしいわよ、私」
自分で言っていて笑ってしまった。今もあの男は私と母を捨ててふんぞり返っているのかしら。
「魔力が無いのは俺も一緒だな。慰めにもならんが」
「長耳族にとって魔力が無いっていうのは片腕が無いのと同じよ」
こんなことを言ったって、彼が困ってしまうだけだと分かっているのに私の口は止まらなかった。
「魔力が無くとも腕はついてる。なら魔法以外の何かがあれば良いだろう」
「魔法以外……?」
「例えば剣。俺がやっている棒振りのように」
そう言いながら、彼は机に朝食を並べていく。魔法以外の何か、そんなもの考えたことも無かった。
「剣なんて、これまで触ったことすら無いわ。母から弓は教わったけれど」
私が一人になっても困らぬように、母は私に弓を遺してくれた。
「弓か、上等だ。俺は棒振りしか無い。鳥のように飛ばれたら手も足も出ん。もっとも、竜ですら空を飛ばなかったが」
「竜を倒したの?」
「俺の弟子がな。ソーンという。自慢の弟子だ」
そう言って懐かしむように目を細める彼の姿に、私は胸の奥が締め付けられたような気がした。彼にはここ以外の居場所がある。私には、ここ以外に懐かしむような場所も、楽し気に語ることが出来る人もいないのに。
「あなたの弟子……、強いの?」
彼は優しいから、私が聞きたくないと言えばそれでこの話は終わりだろう。だけど私は続きを促した。
「俺なんかよりもずっとな」
だって、弟子のことを語る彼はとても嬉しそうだから。鉄面皮な彼が、柔らかく口元を緩めて語るのだから。
これまでの彼の旅の中で彼が見出した弟子の話を聞けば、彼が弟子達一人一人を大切に育て上げたことが分かる。
ずるい、と思った。私はずっと一人ぼっちだったのに、彼の弟子には彼という親がいたのだから。
アルシェ、ノルンという双子や騎士というシャーレイ、只人族以外の弟子というコルンの話を聞いた私は、自分でも無意識のうちに不機嫌になっていたらしい。目の前に座る彼が怪訝な表情をしていたから気付いた。
「どうして睨む?」
「なんでも無いわ。それより、続きを聞かせて」
「……北の山を越えた先で弟子達は伝承の魔王を見つけ、打ち倒した」
「その時あなたはどこにいたの?」
他人事のように話すものだから別の場所にいたのかと聞いてみれば、彼は沈黙した。何かを言いあぐねているようだった彼は、懐から手のひら大の植物の種のようなものを取り出して机に置いた。
それを一目見た瞬間、私は何故かそれから目が離せなくなった。ただの種、というには不気味な気配を放つそれは、彼の手から離れたことを喜ぶようにその存在感を主張していた。
「この種の主と戦っていた。魔王を操る、呪われた樹」
魔王を操る樹、その言葉に私は目を瞠る。彼の弟子達が魔王と戦っている間、彼は魔王の裏に潜む存在に気付き、たった一人でそれと対峙していたという。
「な、なんですって……! そ、そんな物を持っていて大丈夫なの!?」
「樹を斃して、気付けばこれが懐に入っていた。魔王を操るような樹。それがどこから来たのかを知るために再び旅に出た」
目の前に置かれた種から目を離せないまま、耳から入る彼の言葉も右から左に抜けていくような気がした。誰かが私の耳元で囁いているような、そんな気がした。
「初めて見た時からその種に妙な気配を感じてたのよね……」
気が付けば手を伸ばしていた。何故だか、そうしないといけない気がして。
もう少しで指先が触れる、といったところで種がひょいと掴み上げられ、彼の懐にしまわれてしまった。それと同時に、誰かが耳元で囁いているような気配は消えた。
「あ、もう……」
あと少しでこの妙な気配の正体が掴めたかもしれなかったのに、と彼を見上げたけれど、彼は話は終わりだと言わんばかりに席を立った。
そして傍らに立てかけた剣を手に取ると、玄関へと向かっていく。また剣を振るつもりかしら、さっきも振っていたのに。
「また剣の鍛錬? 飽きないのね」
「身体が落ち着かんからな」
そこまで熱中できるものなのか、と彼の後ろについて出て行き、軒先に腰を下ろして彼が剣を振る姿を眺める。
何度見ても淀みの無い軌跡。ここに至るまで、彼はどれだけ剣を振り続けたのだろう。
「……ねえ、私でも剣を扱える?」
気付けばそう口にしていた。
彼は剣を振るのを止めて私をじっと見ていた。
「弓があるだろう」
「私の弓は狩りくらいにしか使えないもの。剣なら、魔王を操る呪われた樹も倒せるあなたに習えるじゃない」
少し動揺した内心がバレないように言葉を重ねた。彼の弟子の話を聞いて、彼が嬉しそうに語る姿を見て、その中に自分がいないことが少しだけ寂しく感じたなんて、言いたくなかった。
それ以上に、剣を彼から学ぶという理由があれば、彼がもう少しここに居続けてくれるんじゃないかと思ってしまった自分から目を背けた。
「母親の遺してくれたものだろう、貶めるもんじゃない」
そう言われて言葉に詰まる。
「俺の棒振りなんぞより、よっぽど上等だ」
魔王を倒す剣よりも上等だ、なんてあんまりにも大言だ。だけど彼の表情は真剣そのもので、彼は自分の言葉を何一つ疑っていないのだと分かった。
「私の弓が……本当にそこまでになれるの?」
「俺は寂れた村のしがない農民だった。そんな人間がガキの頃から剣を振り続けて今だ。自分が手に取ったものを信じ、磨き続けるかそうでないか、それだけだ」
自分が手に取ったものを信じる。それは彼にとっては剣だったんだろう。彼は自分が剣を極められるかなんて分からないままに剣を振り続けた。私にもそれが出来るか、私の顔をじっと見つめる彼は、そう言っているような気がした。自分の手を握ったり開いたりしてみる。片腕が無いようなものだと言った魔力無しの私。そんな私が、一つでも誇れるものを見つけられるのだとしたら。
「そう……、あなたがそう言うのなら。少し頑張ってみようかな」
「……そうか」
その姿を見て欲しいと思うのは、無愛想で言葉少なだけど、父親みたいなこの人しかいないから。