「くっ! この、……なんで当たらないのよ!?」
どうも、この前くっそ気まずい空気になってしまったかと思ったら次の日から何故かエルフっ娘相手に毎日のように組手をすることになった推定遭難者です。
悔しそうにこっちを睨みつけながら俺の手を取ろうと飛び掛かってくるフィリオリーネをひらりと躱す。くくく、遅い、遅すぎる。弟子達の鍛錬と称した私刑に比べればハエが止まりそうだな!
そんな感じで軽く煽ると増々顔を赤くしてムキになって掛かってくる。やだ、意外と負けん気強いわこの娘。
「昨日見せてくれたあの種、もう一度見せてくれない?」
こんなことになった発端はフィリオリーネの何気ない一言だった。なんで見せる必要があるんですかと空気を読まずに聞き返してみれば、彼女は何やら口ごもって目線をあちこちに泳がせる。いや別に見せるくらいは良いんだけどね? エルフの爺さんの言葉的にあんまり良くないものの可能性もあったり無かったりするかもしれないじゃない。じゃあそんな危険物をホイホイ持ち歩くな? 反論出来ねぇ!
「と、とにかく! 何か気になるのよ、あの種が……」
強引に話を進めようとするようにフィリオリーネがこっちに手を差し出してくる。うむ、美少女エルフからのおねだりだもの、叶えてやるのもやぶさかではない。そう思ったところで俺の脳裏に邪な考えが過った。これを利用すればちょっとした役得が味わえるのでは?
ということで見せるのは良いけど条件を出すことにする。これから毎日組手をする時間を設けるので、そこで俺を倒すことが出来たら好きなだけ見せてあげるというものだ。どうして組手かって? 合法的に美少女エルフと触れ合えるからに決まってるだろ!
「く、組手……?」
俺の提案に少し戸惑っているように見えるフィリオリーネ。そっちは俺にどうにか一撃与えたら勝ち。こっちは一定時間逃げきれたら勝ちというもの。ちなみに負けたら罰ゲームもあるよ! せっかくの機会なので吹っ掛けるだけ吹っ掛けさせてもらう。この千載一遇のチャンスを逃してなるものか。
「……良いわよ! 私が勝ったらちゃんと見せてもらうからね!」
しばし逡巡していたフィリオリーネであったが、勝負に乗って来た。良かった、これで俺の下心を見抜かれてセクハラ呼ばわりされていたら無抵抗でこの種を献上する羽目になっていたかもしれない……!
「それじゃ早速今日から始めるわよ!」
そう言うとフィリオリーネはやる気十分とばかりに準備体操をしながら部屋を出て行った。俺がただの遭難者のオッサンだと思って油断しているのかもしれないが、甘いな。俺はあの何かにつけて俺を事故に見せかけて葬ろうとしてきた弟子達から逃げ続け、私刑を潜り抜けてきた逃げ足だけには自信のある男。弓みたいな飛び道具を使われたら負けるが素手勝負なら早々負けんよ!
ちなみにこの日の勝負は当然のように俺が勝ちました。
「このっ!」
ぼんやりと組手勝負を始めることになった経緯を思い出していると、目の前に拳が迫ってきているのに気付いたので慌てて顔を逸らして避ける。
あんまりにも勝てなくてムカついたのか、不意打ち上等で日課の素振り中に突然挑みかかってきたりしてくるようになった。何なら今日の勝負は俺が朝起きて顔洗ってたらその背後から襲い掛かって来た。やだ、この娘たった数日で俺の弟子達みたいな勝てば官軍的思考を身に付けてきてるわ!
異世界で俺が関わってきた女性は揃いも揃って思考がバーバリアン過ぎる……、いやこれに関しては俺が勝つたびに「こんなオッサンに負けるとか恥ずかしくないんですかぁ?」とか「これじゃあ一年経っても種を見せてあげたり出来ませんねぇ」みたいなニュアンスで煽ったりしたのが悪いのかもしれない。すぐ調子に乗る阿呆とは俺のことです。
「っきゃあ!?」
彼女の拳を避け、その勢いのままに脇の下を潜るようにして背後に回ると、背中をちょいっと押してやる。するとフィリオリーネは前につんのめって姿勢を崩すが、初日とは違ってそのまま地面に突っ込むのではなく、何とか堪えてこちらに向き直る。
「っ、相変わらず掴みどころが無い……!」
こっちをキッと睨みつけてくるフィリオリーネに向かって手を前に伸ばし、来い来いと挑発する。フハハ、避けるだけの勝負なんてまさしく朝飯前よ! なんせ弟子達がまだまだ俺よりも弱い時に模擬戦もしてたんだからこっちは。
「また、弟子の話……!」
俺の言葉の何かが癇に障ったのか、フィリオリーネはさっきよりも鋭い目つきになると再びこっちに飛び掛かってくる。そろそろお腹空いたから朝飯にしたいんですけど!?
今度も最初と同じようにこっちの手を取ろうとしているので、次はそれを利用して転ばしてやろうかなどと考えていると急に視界から彼女の姿が消える。はて?
少し呆気に取られたものの、俺の鋭敏な臆病風センサーが嫌な予感を察知する。魔物に追い回され、弟子に追い掛けられ続けたことで鍛えられた俺の臆病風センサーの導きのまま、地面を蹴って前に跳ぶ。
「もらった!」
その直後、下から聞こえてきた声の方を見れば、屈んだ姿勢でこっちを見上げているフィリオリーネの姿。どうやら俺を転ばそうと地面スレスレまで姿勢を低くして足払いを仕掛けてきたらしい。しかもそれを避けた俺をきっちりと目で追っている。急に成長してくるじゃない、才能の差を見せつけるのは止めてもろて……。
たった数日で昔の俺が見たら絶望するくらいの戦闘センスを見せつけてくる彼女だが、生憎と俺は逃げに特化したこれまでの経験がたっぷりあるのだ。空中にいる俺に向かって鋭い蹴り上げを放つ彼女の靴底に、俺は自分の足を合わせる。向こうがこっちを蹴るために曲げた膝を伸ばす勢いを利用して更に高く飛ぶと、少し離れた位置に着地する。変なことしたせいで膝が痛ぁい!
「噓でしょ!?」
俺の曲芸を見たフィリオリーネは驚きからか目を丸くしている。なおこっちも咄嗟にやっただけなので驚いている。こんなこと出来るんだ。火事場の馬鹿力って凄い。
お互いに少しの間フリーズしていたが、気を取り直したフィリオリーネが再度こちらに接近しようと駆け寄ってくる。対して俺は膝が痛くてまだ動けない。あれ、詰んだ?
「今度こそ、喰らいなさい!」
その言葉と共に俺の上体を捕らえようと挑みかかってくる彼女を前にして、俺は苦し紛れに頭を下げる。さながら仕事でミスしたことを上司に謝るときのような美しい直角のお辞儀である。せめて捕まえようとする腕からは逃れようという算段で繰り出した俺の破れかぶれの回避術は、何の奇跡か見事に彼女の腕を掻い潜ることに成功し、それに加えて勢い余った彼女の身体が俺の背に乗りかかる形になった。背中に感じる微かな柔らかさ、まさかこれは!?
「何が……、ふぎゃあ!?」
突然の役得に急速に元気になった俺が上体を跳ね上げてしまったせいで俺の背中に乗り上げたフィリオリーネが素っ頓狂な声を上げて地面に墜落した。あ、ごめん。
地面に転がった彼女に謝りながら手を伸ばす。今日はこれくらいにしときません? お腹空いたでしょ?
「……また何も出来なかったわ」
俺の手を取って立ち上がりながら、彼女は頬を膨らませて拗ねたように口を尖らせる。武器を使った戦いならともかく、そっちが慣れてない素手での組手ならまだ負けませんよ、ええ。
「只人よりも私達の方が身体能力は高いはずなのに」
え、そうなんです? まあ彼女は別に兵士とかそんなんじゃないからそこまで強くないんだろう。犬耳っ娘のコルンだって異世界あるある的には力が強かったりするはずなのに俺が簡単に転がせたし、やっぱり鍛えないとダメだってことだな! ということで鍛え方が足りん! とちょっと師匠面しておく。言ってる本人が一番鍛え方が足りないというツッコミは無しだ。
「ぐぬぬ、負けたから言い返せないのが何より悔しいわ……」
俺の手をにぎにぎとしながら悔しそうに顔を歪めるフィリオリーネさん。あの、立ち上がったんですからそろそろ離してもらっても?
「地面に落とされたからまだフラフラしてるの」
手を離そうとするとそう言って握る力を強くされる。頭から落ちたわけじゃないからそこまでダメージは無いだろうが、足元が覚束ないというなら手はこのままにしておこう。俺としても役得ですからねぇ!
というか美少女エルフとのんびり修行っぽいことしながらスローライフとか俺の理想の異世界生活を今満喫出来ているのでは? これで後はアルシェとノルンがここまで俺を追い掛けて来なければ本当にここで隠居しても良いかもしれない。逸れちゃったけどエルフの爺さんも他の仲間と会ってるだろうし、この種の出処とかそういうメインイベントっぽいのは弟子の誰かに任せて俺はここで隠居生活を送っても許されるんじゃないだろうか?
「あなたを追ってる人?」
心の中で唱えていたつもりだったが、独り言として漏らしていたらしい、耳聡く俺の言葉を聞きつけたフィリオリーネが隣できょとんと首を傾げている。ああ、俺を追ってるっていうのは弟子の美人姉妹ことアルシェとノルンの二人でしてね。なんでか知らんが次見つかったときは覚悟しておけとか言われてるんですよ、ハイ。
「姉妹……」
俺の言葉の何が引っ掛かったのか分からないがフィリオリーネの顔が能面のように無表情になる。美少女の無表情ってコワイ! なんで急に感情を失ってるんです?
「何でも無いわ」
何でも無いって言う割にはさっきから俺の手を握る力が強くなってきてイタタタタ!? なんで俺の手を握り潰さんばかりに力を籠めるんですか!
「……別に」
何故か分からないがご機嫌が急降下なされていらっしゃる。これ以上話を続けていても俺の右手が犠牲になるだけだと思われるので強引にでも話題を変えることにする。
ということで今日の勝負に負けた罰ゲームを決めましょうねー。
「ああ、そう言えばそうだったわね」
これまでは交代でやっている家事をやらせたり、俺の日課の鍛錬に付き合ってもらったりといった罰ゲームがメインだったが、そろそろ俺の欲望をもっと解放しても良いかもしれないと俺の中の悪魔が囁いている。ということで罰ゲームとしてフィリオリーネにあだ名を付けようと思う。というか名前が長くて毎回呼びにくいんじゃい!
「あだ名……?」
呼びやすいようにフィリオリーネを縮めてフィリ、というのはどうでしょう?
「フィリ……、母も私をそう呼んでいたわ」
はい、話題を変えるつもりがまたしても地雷を踏み抜いた大馬鹿者はこの私です。俺のバカ! どうしてこう俺の口は余計なことばっかり言ってしまうんだ!
気分を害したのなら申し訳ないと平謝りしながら、別の呼び方にしようかと考えを巡らせる。だが俺の残念な頭ではすぐに他のあだ名は出てこない。このポンコツな脳みそめ!
「ううん、フィリで良いわ」
俺があーでもないこーでもないと内心首を捻りまくっていると横から救いの声。
「そう呼んでくれる人はもう誰もいないと思ってた。だからちょっと嬉しい、かも」
そう言いながらフィリオリーネ、改めてフィリは俺と繋いだ方の手を胸の辺りまで持ち上げてじっと見ている。
「……うん、だからフィリで良いわ。そう呼んで欲しい」
恐る恐るといった様子でこちらを上目遣いに窺いながら彼女はそう言う。まあ本人が良いって言うならこれからそう呼ばせてもらいますね、はい。
俺が頷いてフィリ、と呼ぶと彼女は一度目を見開いたかと思うと、俯いた。
「フィリ、フィリ……」
そして反芻するように何度か呟いたかと思うと、クスクスと笑っている。さっきまで無表情で俺を睨んでいたとは思えない上機嫌ぶりである。彼女にとっては母親との大事な思い出なはずだが、俺が付けたあだ名で昔のことを思い出して機嫌が良くなったということ?
……何が何だか俺にはサッパリな訳だが、フィリの機嫌が良くなったのでとりあえずヨシ!
「ったく、どこを見ても木、木、木、やってらんねぇな……」
長耳の王様に案内されたその部屋も、例に漏れずここの長耳達が
人が生活するだけの調度品はきちんと整えられているそこは、話によると俺と長耳の爺さんが長話に付き合わされている間に用意されたらしい。「長らく客人を迎えることもなかった」なんて言ってやがったが、自分から引き籠っておいて何を言ってんだ。
俺は部屋の隅で座ってぼんやりと床を眺めている爺さんに視線を向ける。話を聞いてからずっとあの調子で心ここにあらずだ。昔の記憶が殆ど無くなっちまってたらしいし、さっきまで聞いた話が本当だとすればこの爺さんにとってはキツいだろう。
「大丈夫か?」
「…………」
声を掛けてみたが、やはり反応は無い。身動ぎ一つしないもんだから、この爺さんがこの部屋の家具と同じように木から作られた像か何かになっちまったようにも見える。
爺さんから反応をもらうことを諦めて窓の方に目を向ければ、遠くからこっちをチラチラと窺っている長耳と目が合った。かと思うとすぐに目を逸らされちまったが。よほど人間を見るのが珍しいらしいな。人を珍獣でも見るような目で見やがって。こんな視線に囲まれながら散策をするって気分でもなし、ここで何するでもなくぼーっとするしか無い。
「まだこの島に辿り着く前、我らは豊かな緑に囲まれて繁栄を謳歌していた」
そう言うと共に机の窪みに貯まった水は、その水面に鬱蒼と茂った森を映し出した。どうやらそこがこの長耳達が逃げ出してきたかつての故郷とやららしい。
話し始めた王様は、映し出された景色を懐かしむような表情で眺めている。
「峻厳たる山々には石と土から出でたと言われる炭鉱夫の小人族。また彼らを介して只人とも繋がりを持っていた。互いに足りぬものを補う関係だった」
間違いなく、長耳族が繁栄を極めていた頃だと王様は言う。なるほど、水面に映った景色を見れば森の中にはここに来るまでに見たよりも立派な木が数え切れないくらいに目に入るし、歩いている長耳の服装や住居となっている家には精緻な飾りが施されている。それを興味深げに眺めていると、こっちをじっと見つめている王様に気が付いた。
「どうした?」
「気付いたのだろう? 既に我らの文化の多くは失われておることに」
俺の考えていたことを言い当てた王様はまた水面に一度手を翳すと、今度はそこに一人の長耳の女が映し出される。背中まで伸ばした真っ白な髪と、赤い目。精巧に造られた人形のような造形の女だった。
それが映ったとき、隣で同じように水面を見ていた爺さんがガタリと音を立てて腰を上げ、顔を水に突っ込まんばかりに身を乗り出す。
「彼女は……!?」
「記憶は薄れておろうと、見れば思い出すか……」
爺さんの様子を驚いた素振りも見せずに、いっそうため息に憂いを多く含ませながら王様は話を続けた。
「我ら長耳の間にあって魔力を持たぬ者。故に、彼女は魔法以外にて生きる道を見出した。剣を振るい、我らの森を外敵から守る刃となった」
故に、彼女が最も外敵と触れることになり、その誘惑から逃れることも難しかったのだろう。
そう言うと、場面がまた移り変わる。水面に映し出されたのはさっきの長耳の女と、向かい合うように立っている男。二人の手を取り合い、見つめ合っている様子を見れば、二人の関係性にも何となく想像がついた。
「守り人のそなたとあれが出会ったことが、あるいは間違いの始まりだったのかもしれん」
「……ただ我らと同じ道、同じ時を歩むことを望んだだけだ」
爺さんは水面と窪みの境を指でなぞりながら、痛ましいものを見るような目で水面に映る二人の長耳を見つめていた。
「それが我らの長きに渡る受難の端緒であろう」
「そうせざるを得なかったのは儂らの過ちだ」
もう一度水面が揺らぐと、場面は一転する。森は火と煙に覆われ、逃げ惑う人々。それを後ろから追い立てるように迫る魔物。その最後方に立っているのは。
「さっきの女か……?」
「魔樹に魅入られ、その力を我らに向けることを選んだのは、他ならぬ我らの同胞の一人だった」
俺の呟きを肯定するように王様は重々しく頷く。先ほどまで目にしていたサラサラと流れるような白い髪は禍々しい突起が付いた兜に覆われ、視界に入るもの全てが忌まわしいと言わんばかりにその瞳には憎悪が燃えている。
「その考えこそが儂らの傲慢だった」
そんな王様の言葉を否定したのは、机の上に置いた手が酷く震えている爺さんだった。
「儂らの過ちだ。魔樹に魅入られるまでに追い詰めたのは他ならぬ儂らだ」
「……魔力を持たぬ者は我らと同じ時を生きることが叶わぬ。只人が我らの瞬きの間に老いていくように、彼女もその運命にあった。それが故に彼女を哀れんだこともまた、隔たりを深くしたのかもしれぬ」
凡その話は見えてきた。つまりはこういうことだ。長耳達の間に生まれた逸れ者の女。彼女を腫れ物扱いしていたら、そいつはそれを気に病んじまって魔樹とやらに操られ、俺達が寝物語で聞く魔王とやらになったと。
「つまりはてめぇらの内輪揉めでこっちは大迷惑したって話か? つくづく余計なことしかしやしねえな、オイ」
「異質な者を除こうとするのは我らもまた、只人も変わらぬ」
「人間だって同じだってか?」
だから自分達は悪くないとでも言うつもりか。そういう意味を籠めて睨みつけてやったが、王様は顔を上げて俺を正面から見つめ返してくる。その目には俺に対する何の感情も湛えていない無機質なものだ。
「彼女は初めて只人と我らの同胞が交わって生まれた者。白い髪と赤い目により只人から受けた迫害を逃れ、我らの森に親子共々逃れてきたのだ。そうして逃れてきた子を保護したのが、霧の守り人であったそなただった」
俺から視線を移した王様に俺は口を閉ざすしかない。過去の人間もやらかした結果だってことを言われちまったら偉そうなことも言えなくなる。それよりも、この爺さんが魔王とやらになる前の長耳の子どもを保護したってことはこの爺さんは一体いくつだ?
俺がガキの頃にはお袋が語り聞かせるようなお伽噺になっていた魔王と勇者の話。それがまだお伽噺にもならない頃からこの爺さんはずっと生きてたってのか。思わず俺も爺さんをじっと眺めるが、精々村の長老方と同じくらいにしか見えやしない。長耳の歳ってのは見た目じゃ分からないもんだ。
「だからこそ、そなたは霧の中に残ることを選んだ。かの魔王を止められなかったことを悔いたのだ」
「……儂が」
「この出来事故に我らは心までも霧の中に閉じ込めてしまうようになった。魔法を使う只人はすなわち我らの血が僅かでも流れている者達。どうしても受け入れられぬ同胞もいる」
今日はここまでにしよう。そなたらも今しばらく時間が必要だろう。
どこかぼんやりとした表情で自分の手を見つめている爺さんに対し、王様はそう言って出口の方を手で示した。
「部屋を用意させている。同行者が見つかるまで、滞在すると良い」
王様からされた話を思い返していた俺だが、ふと視界の隅で何かが動いた気配がした。そちらに視線を向ければ、爺さんがこっちを見つめていた。
「おい、どうした?」
「分からぬ。何か気に掛かるのだ。儂の擦り切れた記憶と重なるところもあるはずなのだが……」
相変わらずまだるっこしい言い回しをする。あの王様といいこの爺さんといい、長耳共は皆遠回しな言い方をしないと死んじまう生き物なのか。
「あの王様の話が信用ならねえってことか?」
「……分からぬ」
「これは俺のただの感想だけどよ。ここの長耳共の言うことは話半分で聞いとくべきだと思うぜ。どいつもこいつも言い訳がましい。悪いのは若い頃の爺さんが魔力の無い長耳と仲良くしたからだと? 責任を押し付けてるようにしか見えん! あの王様とやらの言うことを全部聞いたら俺達が悪者にされちまうようにしか思えねえな」
王様だなんだと言っておいて、言い訳することばかり達者になった奴だ。
俺が腕を組んで鼻を鳴らすと、爺さんはさっきまでの能面みたいな表情にようやく人間味を取り戻したらしい。口元を少し緩めて微笑ましげにこっちを見てくる。
「気を遣わせてすまぬ」
「ただでさえ鉄面皮な野郎がいるんだ。爺さんまで人形みたいになるなんて勘弁してもらいたいもんだ」
それもそうだと俺と爺さんは互いにくつくつと笑う。あの野郎、今頃どこで何をしてやがるのか。得体の知れないもんに連れ去られたんだろうが、あの男のことだ、案外楽しくやってやがるだろう。
「ま、俺達はのんびりとアイツが戻るまで待つとしようや。何にせよ、同胞を探すって爺さんの目的は達成だろう?」
「……そう、そうだな」
「招かれざる客人達よ」
そんな俺と爺さんの会話に不機嫌そうな声が割り込む。これまた面倒な奴が部屋を訪ねてきたもんだ。
「部屋に入るときはノックしろって習わねえのか、長耳共は。ええ? エルネスト、とか言ったか?」
「それは失礼した。礼を解するとは思わなかったものでな」
部屋の入り口に立っていたのは不機嫌そうな表情を隠す気も無い長耳の男。俺達がこの島に辿り着いたときに出てきて散々言ってくれやがった野郎だ。
「で、何の用だ」
「霧の守りにまた何者かが入って来た。ここ最近は無かったことだ。特にこうして立て続けにくるなどな。それも霧の中に微かな同胞の気配まで感じる」
その口調は、俺達の関係者だろうとはなから決めて掛かっているようで腹が立つ。だが生憎と俺には心当たりはない。そう思って爺さんの方を見れば、爺さんは何か思い当たることがあるような顔をしていた。
「儂の知る者達だ。儂らに協力するために追って来たのだろう」
迎え入れてもらえるだろうか。
そう言った爺さんに向かって、エルネストとかいう長耳はこれまた不快そうに顔を歪めたかと思うと何かを小声で呟いた。
「出迎えに行く。ついて来てもらうぞ」
仲良くお手々繋いで、とはとてもじゃないが言えない様子で奴は部屋を出て行く。それを見送ってから、俺は爺さんへと近づくと外にいるであろう奴に聞かれないよう声を潜めて尋ねた。
「知り合いか? ここに来る前に呼び出しておいたのか?」
「いや、だがここに来る者の心当たりはある。同胞の気配は儂には分からんが……。いずれにせよ、今の儂らにとっては良い知らせであろう」
どうやら俺達を助けるために仕込んでおいた策、という訳では無いらしい。このままじゃ俺は何も役に立たない以上、爺さんの考えを今は信じるしかない。