金髪エルフの兄ちゃんをついついぶっ飛ばしてしまった俺は、気が付けば両脇を双子に固められてこの島の王様とかいうお爺さんの前に連れて来られていた。
王様の隣には殴られた鼻を押さえてこっちを睨み殺そうとせんばかりの先ほどのエルフの兄ちゃんも立っている。
「客人に無礼を働いたようだ」
俺が何も言わずに黙っていると、王様の爺さんがそう言ってこちらに頭を下げた。どうしよう、偉い人に頭下げさせちゃってるんだけど。どうにかしてよと俺は後ろにいるエルフの爺さんとジルファに視線を送るけれども、二人とも何も言わずに首を振ってため息を吐いた。オッサン仲間のよしみで少しでも助けてもらえると思った俺が馬鹿だったよ!
ということで何とか俺一人でこの状況を脱しなければならない。まずは俺に頭を下げる必要は無いと断っておく。別に俺が何か失礼なことを言われた……気もするけど構わない。だってこのエルフの兄ちゃんってどうせ貴族的な立場なんだろうし。それに比べたら俺は住所不定職業自称冒険者の旅人という社会不適合者である。社会的地位で言えば完敗だ。自分で言ってて悲しくなってきたな。
「師匠師匠、そこまで言うのは流石に可哀想」
俺がエルフの王様に言い訳をしていると、俺の右手を拘束しているアルシェがそう言って手をクイクイと引っ張る。そんなに自分を卑下するなと励ましてくれるとはなんて優しい弟子だろうか。なお俺の腕をがっちりホールドして逃げられないようにしていることには目を瞑ることとする。
「師匠が許しても無礼を働かれたのは事実。師匠が悪く言われるのは我慢ならない」
左腕を拘束しているノルンがそう言ってエルフの王様と傍に控えるエルフの兄ちゃんをキッと可愛らしく睨みつけた。美少女の冷たい視線ってちょっとドキッとするよね。同じことを思ったのかどうかは分からないけれども王様もエルフの兄ちゃんも少し身を固くしていた。
ノルンの言い分は俺にも理解できる。つまり、仮にも二人の師匠を名乗る人間が下に見られるということは、対外的に弟子であり俺よりも下ということになっている双子が地の底を突き抜ける勢いで株を落とすことになる。俺はこの双子だけでなく弟子達の前ではどの面下げてと言わんばかりの師匠面をこれからもし続けなくちゃいけないということである、辛い。アルシェが飴担当でノルンが鞭担当なの?
ただやれと言われたら俺に拒否権は無い。というか今の状態で拒否しようものなら俺の首が文字通り飛ぶ。なので双子に止めなさいと言って窘める。俺がキレたのはエルフ美少女のフィリを泣かせたからだと説明する。自分で自分のことをクソ雑魚だと自覚しているので事実を指摘されたところで怒る理由も無いしな! あ、ちなみにこのエルフの兄ちゃんそもそも誰なんですか。まだ名前も聞けてないと思うんですが。
「エルネスト。島の守り人だ」
俺の質問に答えてくれる王様。ちなみにエルネストというらしいエルフの兄ちゃんはさっきからずっと俺に向かって唸っている。そんなに嫌われることしましたぁ? でもクソ雑魚の俺程度に地面に転がされてやーんの! ……いかん、心のクソガキ様がまだ元気いっぱいだ。
「ぐっ、この……!」
「止めよ。先に無礼を働いたのはお主だ」
「しかし……!」
尚も食い下がろうとするエルフの兄ちゃんを手で制した王様っぽい爺さんはしかし、俺に少し険しい目を向けてくる。やだ、貫禄ある人の鋭い視線も怖い。
「じゃが、お主から微かに感じる魔の気配。何を抱えておるのかは知っておきたい」
急に魔の気配とか言われて背筋がむず痒くなった。在りし日の黒歴史を暴露されたような気分である。いや、現在進行形で自分より強いだろう弟子の前で師匠面し続けるとかいう黒歴史を量産しているのですが。とはいえ、王様っぽい爺さんから言われたことに心当たりが無いわけでもない。ということで双子に腕を離すようにお願いし、懐から問題のブツを取り出す。フィリも興味津々で見ていた謎の種である。エルフって皆この種が気になるんですかね。やっぱり植物とかに詳しいから?
机に種を置けば、王様が顔を顰めつつしげしげと眺める。何なら双子もエルフの爺さんもジルファも覗き込んでいた。いや、そんなに見てもただの種なんですが。
「……ただの種にしか見えねえが」
とはジルファの言葉。うん、そうだよね、俺もそう思う。
「妙な気配」
「あの時戦った魔王と似てる」
双子が魔王と似ていると言うのでそれが正しいと思います。自分の意思が無い? だって俺とかジルファみたいなオッサンよりも双子の方が絶対にこういう発言の説得力あるし……。
「だが、どうしてこうも惹きつけられる……」
この場での俺の発言力は皆無に等しいもんだと結論付けて置物化していると、何故か王様が何やらブツブツと言いながら種に手を伸ばしていた。フィリもそうだったけどエルフってのは植物に執着心強すぎませんかね。なんて思いながらぼんやりとそれを見てたのだけれど、種を手に取ろうと指先が触れた王様が熱いものにでも触れたように大袈裟にも思える様子で手を引っ込めた。え、どうしたんですか?
「まさか、このような姿になってもまだ……!」
右手を痛そうに押さえているが、良く見てみれば右手の指が火傷でもしたように焼けている。え、俺の懐ってそんなに熱かったんです?
推定危険物となった種が弾かれた衝撃でコロコロと机を転がるけれど、流石にあの王様の怪我を見て触ろうという人は誰もいなかった。今まで何も気にせずに持ち歩いてましたけどあの種って実は激烈なアレルギー持ってたりするような危険物だったりします?
というか仮にも王様名乗ってる人を怪我させるような物持ち込んでしまった俺は割と危うい立場になってしまったんではなかろうか……。
「これは我らには毒。魔力を持つ者には……」
なんて言う王様と俺の目が合う。
「お主が無事なのは魔力を持たぬ故か」
エルフの王様直々にお前、魔法の才能無いから! 宣言されてしまった。雑魚敵くらいなら倒せるようになってきたし、少しくらいは魔法の才能が芽生えてても良いんじゃないかなんて思ってたのに希望が潰えた瞬間である。
泣きそうになるのを堪えながら俺は種を拾うと大人しく懐にしまい込んだ。ハイ、魔法の才能が無いので俺には何の害もありません。
王様も怪我しちゃったのでいったんお開きにしましょうということで、俺達は退出を促された。俺は他の人達が先に出て行くのを見送り、部屋に王様とエルネストだけになるのを待つ。なんでかって? そりゃ謝罪するために決まってるでしょうが! 王様怪我させちゃったんだから! もし機嫌損ねてたら無事に帰れなくなるかもしれないでしょ!
ということで大の大人の謝罪ターンである。まずいつまでも部屋に残っている俺に怪訝な目を向けた王様に向けて腰を直角に曲げた綺麗な謝罪体勢を披露する。すんませんっした!
「何を……」
驚いたように目を見開く王様。後エルネスト君にも謝っておく。王様はともかくエルネスト君は謝ったからこれで終わりね、ということで。
「気にすることは無い。儂が軽率なことをした。あそこまで弱っておればあるいは制御下に、とも考えたが。元より我らが手を出して良いものではなかった」
「しかし、あれを支配下に置けば……!」
王様は諦めたようだがエルネスト君はまだ未練があるらしい。そういや君、机に種置いてた時めちゃくちゃ欲しそうな顔してましたもんね。まあエルフが触ると大火傷しちゃうみたいだから触らせないようにするけど。
「どうしてお主は我らに接触を試みたのだ。我らは既にこの島で枯れて行くのみだと言うのに」
王様からの質問にどう答えたものかと頭を捻る。流石に馬鹿正直に「エルフの美少女に会いたかったんです」とは言えない。ここは建前としてあの爺さんを使わせてもらうことにしよう。一人ぼっちは寂しいもんな。いや、俺はずっとぼっちで旅してきたんですけどね。
「……そうか。改めて、我らの同胞を連れ帰ってくれたこと、礼を言う」
適当なこと言ってたら何故か王様にお礼を言われたでござる。どうしよう、適当に爺さんと旅してそれっぽいところ回ってただけなんて言い出せる空気じゃなくなった。
「それだけに、これを言わねばならんのは心苦しい。お主にはすぐさま島を出てもらわねばなるまい」
あ、実は結構指火傷したの気にしてたんですね……。
怪我させたのは見逃してやるからさっさと帰れと言われてしまったので明日には帰ろうかとぼんやりと考えていたけれど、そういえばフィリどうしよう……。
「フィリオリーネは元の生活に戻るだろう。あれに定められた生き方なのだ」
えぇ……、あんな美少女をずっと村八分するとか正気ですか?
なんて内心思ったけど多分王様の方が内心は怪我させた俺に激おこだろうから流石にあんまりじゃないですかね、的なことだけ言って従っておく。帰るときにしれっと船に乗せても、バレへんやろ。
などと思っていた翌日、俺は何故か思い詰めたような顔をしたフィリに背後から剣を突き付けられております。目の前には殺気立った双子とジルファ、そしてエルフの爺さん。どうして俺が囚われのヒロインになってるんですか。やめて、剣を抜かないでアルシェにノルン! 絶対君達俺ごと切ることに躊躇しないでしょ!?
「誰に剣を向けている」
「離れろ」
多分双子の殺気は後ろのフィリに向いているんだろうけど、その射線上に俺が立っているので俺が真っ先にその殺気に貫かれている構図である。ちなみに滅茶苦茶怖い。しかし双子から殺気を向けられたフィリが俺の背後で俺よりも遥かにビビってる様子を見て冷静になれたのでフィリさんに落ち着くように声を掛ける。止めなって、絶対に勝てないから、あの双子相手じゃ。だから俺の懐から抜き取った種を返しなさいって。
「でも、でも……! 私を置いて出て行くんでしょ!? また一人になるんでしょう!?」
俺の後ろのフィリは震える声で絞り出すように叫んでいる。もしかしなくても俺が王様と話してた内容聞いてましたねこれは。しかしそれなら安心して欲しい、別に置いて行くつもりは無いのだ。
「ウソ……?」
嘘じゃないです。だってせっかく見つけたエルフヒロインやぞ! もう少し仲良くなっても罰当たらんでしょうが! 俺にもそろそろ一人くらいヒロインが出来ても良いと思いませんか!?
ということでこっそり連れて行くつもりでした。誰にもそのこと言ってないけど。
「止めよ、只人と我らが交わって良いことなど起こらぬ」
そんな俺を止めようとするのはエルフの王様。凄い悲しそうな顔でこっち見てるけどもとはと言えば君らがフィリを村八分にしてたからではと言いたい。君らが要らないなら俺が貰っていく! もし兵士とかが出て来ようものなら双子に土下座してでも協力してもらう心つもりである。多分双子ならこの島の兵士が束になっても敵わないだろうし。
「……そも、力づくでは止められぬか」
そのことを王様も理解しているのか、諦めたようにため息を吐くと好きにしろと手を振った、やったぜ。島から出て欲しくないならちゃんと仲間外れにせずに仲良くしてれば良かったんじゃないですかね。
まあ許可が出たならこれ以上は事を荒立てたくないので俺はフィリの方に向き直る。そんじゃ一緒に島から出ましょうね。
「うん……!」
フィリは島から出られるのがよっぽど嬉しかったのか嬉しそうに涙を流していた。うんうん、そんじゃ種を回収しますねー。というかなんでフィリはこの種触っても平気なんですかね? などと暢気に考えていたのがマズかった。
「それを寄越せぇぇぇっ!」
突然物陰から飛び出してきたのは血走った眼をしたエルネスト君。俺と少し距離があったフィリにタックルして地面に組み伏せると、手を怪我するのも構わずに種を奪い取ったのである。え、どうしてぇ?
「これさえ、これを使えば我らの栄光ある時代が再び戻ってくる……! 魔力を持たない小娘が受け継がないと言うのなら、私が……!」
なんか悪の三下みたいなことを言いだしたエルネスト君をまた殴り飛ばしたいところだが、足元にフィリが転がされているので変に動くわけにもいかない。美少女を足蹴にしやがってぇ……! こいつはめちゃ許せんよなぁ!
エルネストはこっちを睨みつけると、手の中でジュウジュウと音を立てる種をまさかごくりと飲み込んでしまった。え、あれ食べられるの!?
そして案の定、身体の中で激痛が走ってるのか恐ろしい咆哮をあげていた。なんで自爆してんだあのエルフ坊ちゃん……。これ放っておいて良いやつですか……? なんて思っていると、エルネストの身体からニョキニョキと木の根っこのようなものが生えてきたかと思うとその身体をうぞうぞと覆い隠してしまい、あっという間にエルフの坊ちゃんの身体がつるりとしたのっぺらぼうのマネキンみたいになってしまった。
……なーんか見覚えあんな、あのマネキン姿。っていうかあれって俺の腹に穴開けてくれやがったマネキン野郎では?
まさかあの時ずんばらりしてやったマネキン野郎が再生怪獣だったとは思いもしなかった。とはいえまだ変身したばかりで自分の身体をしげしげと眺めているのでその隙に不意打ちでフィリを回収じゃい!
そう思って全力疾走してマネキン野郎に近づいて剣を振ったけれど、マネキン野郎は腕で俺の剣を受け止めるとフィリを抱えて後ろに跳んだ。やっぱり体力削っとかないと斬れないんですね(絶望)。
そしてマネキン野郎は俺の剣を受け止めた腕を眺めたかと思うと、背中から木の根が絡み合って形成されたような翼が生えて空を飛んで行ってしまった。もちろんフィリを抱えたまま。
あれ、せっかく見つけたヒロイン候補が爆速で攫われたんですが……?
「師匠……」
船の舳先に座り込んで微動だにしない師匠。そこに近づこうと思っても、師匠の間合いに入ろうとすると空気そのものが鉛のように質量をもっているかのように足を止める。私やアルシェでもそうなのだから、船に乗っているジルファも、長耳のお爺さんも近づけるわけが無い。それほどまでに今の師匠が、怖かった。
その怒りの原因となるほんの少し前の出来事を、私は思い返していた。
「所詮は根無し草だ。そも無礼も何も無いだろう」
長耳の王と名乗る人物に頭を下げられたときも、師匠はふざけたことをしでかしたエルネストとかいう長耳のことを何も気にしていないように振る舞っていた。いや、事実師匠にとってはどうでも良かったんだろう。
「旅人だから礼儀には疎い。俺が心得違いをしていたのだとしたら、謝るのは俺の方か。怪我もしていない」
「師匠師匠、そこまで言うのは流石に可哀想」
師匠を挟んで反対側を確保していたアルシェがそう言って王様の横に立っているのを示した。師匠の言葉に悪気は無いのだろうけど、アルシェに示されたエルネストとかいうのは顔を怒りに歪めていた。自分の攻撃が相手に何の効果も無かったどころかむしろ相手にもされていないと思うと無理もない。そして私はアルシェと違って可哀想だなんて思わない。
「師匠が許しても無礼を働かれたのは事実。師匠が悪く言われるのは我慢ならない」
その言葉と共に幾分かの殺気を乗せた視線を長耳達に向ければ、流石にそれを感じ取れない程の無能じゃなかったのか身を固くしていた。もう少し脅しつけてやろうと思っていたら、師匠に頭を撫でられて止められた。
「そう睨むな、俺の為に怒るのは無駄だ。怒る程ご立派なプライドなんざ持ってない」
だが、フィリを泣かせたことは許さん。
私を止める手は優しく、けれど視線に乗せるのは私以上の威圧。いつだって師匠は自分以外の誰かの為に本気になれる人だ。目の前の長耳達は私に睨まれたときよりも緊張を増してしまったようだけど助け舟は出さない。それよりも私もアルシェも久しぶりの師匠を堪能するので忙しいのだ。
その後も何か言っているようだったけれど、師匠の腕にしがみついている私の耳にはどうでも良いことばかりだった。そんな至福の時間が邪魔されたのは、長耳の王様が師匠に何やら告げ、師匠が懐から何かを取り出そうと私達から腕を離してしまったから。
「魔の気配とやらはさっぱりだが、怪しいのはこれか」
そう言いながら師匠が机に置いたものを私もアルシェも顔を近づけてしげしげと眺める。丸い、少し黒ずんだ植物の種のようなもの。けれど、何となく嫌な気配を感じる。私が感じているということは当然アルシェもそうだ。
「妙な気配」
「あの時戦った魔王と似てる」
朽ちかけた巨木のようでありながら、強烈な存在感を放っていた魔王。ソーン兄を始めとして私達弟子が総出でかかってようやく倒すことが出来た化け物。この種は私達に手出しなんて出来ないはずなのに、近づくことすら躊躇われる気配を感じる。
「だが、どうしてこうも惹きつけられる……」
だというのに、長耳の王様は何かに取り憑かれた様に種に手を伸ばしていた。それを止めるべきかどうか師匠を見上げてみれば、師匠は何も言わずにそれを眺めているだけだった。そこに警戒も何も無く、だから私達も止めることなくその指先が辿る結末を黙って見ていることにした。
果たして、王様の指は種に触れた途端に何かが焦げたような臭いと共に弾かれ、種はコロコロと机の上を転がった。王様の指先はまるで焚火の後に指を突っ込んだときみたいに黒ずんでいる。
「まさか、このような姿になってもまだ……!」
「お前達にとっては害にしかならないか」
「これは我らには毒。魔力を持つ者には……。お主が無事なのは魔力を持たぬ故か」
「かもしれん。嘆くべきか喜ぶべきか分からんが」
右手を庇うように抱えた王様を見ながら、師匠は何の気負いもなく種をひょいと掴み上げると懐にしまう。それだけで、さっきまで私達が感じていた嫌な気配も引っ込んでしまった。まるで、師匠が触っている間はあの種が怯えてでもいるみたいだ。
その後、怪我をさせてしまったこともあってか師匠がこの場をお開きにすると言ったので私達は部屋の外に出る。ジルファや長耳のお爺さんは何が起こるかヒヤヒヤしたから少し休むなんて言いながら自分達に割り当てられた部屋へと戻っていく。
私とアルシェは何となく気になって師匠が出てくるのを待っていたけれど、いつまで経っても出てくる気配はなかった。私達と同じことを考えていたのか、じっと扉の前に立っているフィリと呼ばれていた長耳の女と目が合う。
「……何よ」
こっちを睨みつける女に近づくと、私とアルシェはまず自分達の名を改めて名乗った。私達のすることが予想出来てなかったのか、目の前の女は目を白黒させてこっちを見ている。
「なに?」
「私達は名乗った。次はそっちの番」
「えぇっと……、フィリオリーネ、です」
フィリオリーネと名乗った女はおずおずと頭を下げる。
「てっきり私はあなた達に嫌われてると……」
「師匠の隣を狙うのが増えたのは業腹。だけど」
「師匠が泣かせるなと言ったから。ならあなたは私達と同じ」
私とアルシェが彼女を嫌って邪険に扱うと思われていたのかもしれないが、師匠が泣かせるなと言って守った人をそう扱ったりはしない。躾のなってない雌猫と雌犬ならともかく。……さっきまでたっぷり師匠とくっつくことが出来たから今は機嫌が良いとかではない、断じて。
「……何か余裕を感じるのだけど」
「気のせい」
「気にするな、妹弟子3号」
「勝手に妹扱いしないでくれる!?」
私と似た白い髪。私以外に同じ色をした髪の人は今まで見たことが無かったからか、少し目の前の長耳には親近感が湧いたのかもしれない。少なくともあなた達よりも年上なんですけど、と膨れるフィリオリーネをあしらっていると、扉の向こうから話し声が漏れ聞こえてきたので私達は慌てて扉に耳をくっつけた。
「…………お主にはすぐさま島を出てもらわねばなるまい」
「俺達が出て行くのは構わんが、フィリはどうなる。また一人にするつもりか」
扉の向こうの声に、フィリオリーネの表情が凍り付いたのが見えた。
「フィリオリーネは元の生活に戻るだろう。あれに定められた生き方なのだ」
その言葉が聞こえると同時にフィリオリーネは耐えられなくなったように走って行ってしまう。私とアルシェが追いかけるべきかどうか悩んでいると、師匠の声がまた聞こえてきた。
「……定められた生き方などあるものか。また置いて行けというのか」
平坦な口調で紡がれたその言葉は、けれど不思議と師匠が内心に押し殺したであろう感情が滲み出ているように感じられた。また、という言葉が指し示すのは私達が想像している以上に重たいのだろう。
そして翌日のこと、私達は乱心したフィリオリーネと対峙することになった。一触即発の空気となったその事態は、「もう置いて行く必要も無い」という師匠の言葉で何とか収まりそうだった。けれど、
「これさえ、これを使えば我らの栄光ある時代が再び戻ってくる……! 魔力を持たない小娘が受け継がないと言うのなら、私が……!」
まるで焼けた石を素手で掴んでいるような嫌な音を立てているのに、エルネストとかいう長耳の男は狂喜したように口の端を吊り上げて笑みを浮かべて手元の種を見つめ、あろうことかそれを飲み込んでしまった。
耳をつんざくような絶叫の後、種の力によるものか木の根で覆われて木像のようになった長耳。その気配は間違えるわけが無い、師匠がかつて対峙した魔の大樹の化身。
その化身が放つ異様な気配に、私とアルシェは剣を抜いたまま動けなかった。どう動いても、先に私達が殺されるという予感があった。
「いつまでフィリを足蹴にしている……!」
そんな敵に向かって、師匠だけは変わらずに動いた。私達ですら目で追うことがやっとの速度で距離を詰めたかと思うと、白い軌跡だけを残すほどの鋭い剣閃。その剣閃が通った後の結末はいつだって決まっている。あの化身の首が飛ばされて終わりだ。
そう思っていた私とアルシェの予想は、甲高い金属音と共に裏切られることになる。師匠の剣を、化身の腕が受け止めていた。今まで誰も、どんな存在も見切ることが出来なかった師匠の剣が、完全に防がれていた。
師匠の剣を受け止めた化身は、背中から木でできた奇妙な翼を生やすとフィリオリーネを抱えて私達の前から姿を消した。
その後すぐに船を出してフィリオリーネを追うと言った師匠に、誰も文句は言わなかった。
船が出てから、師匠はずっと船の舳先に座り込んでどこか遠くを見つめている。その姿は師匠の間合いに踏み込むことを躊躇わせるほどの剣気に満ちていて、けれど見ていると胸が締め付けられてどうしようもないくらいに寂しそうで。
「ノルン」
「……分かってる」
私の隣に立つアルシェが言わんとすることは分かってる。師匠が誰に怒りを向けているのか。それは他でもない師匠自身だ。師匠の剣は鋭い。鋭すぎて、容易く師匠自身をも斬り裂いてしまうくらいに。
私とアルシェはゆっくりと師匠の下へと近づく。ピリピリと肌を刺すような気配を感じながら、足を止めない。これは私達に向けられたものじゃないから。師匠が自分自身を傷つけてしまわないように、師匠が私達をいつも救ってくれるように、今度は私達が師匠を助けられたら。
「師匠、それ以上はダメ」
「自分で自分をダメにしちゃうから」
私とアルシェで師匠を両隣から包むように抱きしめる。優し過ぎるこの人が、これ以上自分を責めなくて済むように。