「じじょぉ~~!!」
いだだだだだだ!! と叫びたくなるのを辛うじて耐える。けれど俺の身体は確実にミシミシと限界を迎えそうな音を立て始めていた。
夢の中でツインジジイにボコボコにされるという珍妙な体験をしたかと思えば、目を覚ますとポンコツ美少女騎士にリアルで身体を破壊されそうになっているというのは一体どういう罰ゲームなんですかねぇ!?
頼むから落ち着け、そして離れてくれと伝えれば、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔をしたシャーレイは未だグスグス言いながらも言うことを聞いてくれた。
ところで、ここはどこなんですかね?
「こ、こごはぁ……」
俺が質問すれば、鼻声で八割くらいは解読不明な状態で説明をしてくれた。なお、説明といいながら俺が聞き取れた内容としては俺とシャーレイの二人だけが砦から逃げてきたこと、そして魔物の侵攻がまた迫っているらしいということだけ。仕方ないので後は俺の異世界あるある知識で脳内補完するしかあるまい。
まず、俺とシャーレイだけが砦から逃げたということと魔物の侵攻が近いということ、ここから導ける答えは一つ。俺がマネキン野郎に一撃で伸されたことによって、俺は魔物の侵攻どころかマネキン野郎一匹すらまともに倒せないとして戦力外通告がされたのだろう。ライラのババアはその辺り容赦無さそうだから間違いない。
「ど、どごににげでも、い、いっしょだどおぼっでぇ!」
お前は号泣会見でもしてるのかと言いたくなるくらいの抑揚である。何言ってるのかもはや聞き取ることすら出来ないので俺の脳内補完が火を噴くことになる。
恐らく今言ったのは「どこに逃げても一緒だと思った」ということだろう。では何から逃げるのか、十中八九ライラのババアである。恐らくあのババア、夢にも出てきたツインジジイの知り合い、つまりバーバリアンだ。戦えぬのなら死ぬが良いという修羅の精神を宿していることは想像に難くない。
そんな阿修羅をも凌駕する恐ろしいババアからシャーレイは何とか俺を逃がそうとしてくれたのだろう。魔物の侵攻でババアが少し忙しくなる瞬間を見計らって砦から連れ出してくれたということだ。そして、あのバーバリアンから逃げられるはずが無いと思い至って途方に暮れたところで俺が目覚めた。ふむ、点と点が繋がって線になるどころか立派な絵になるくらいに完璧な補完が出来たな!
というか俺を殺すんじゃなく庇ってくれるとかやっぱりシャーレイは俺を憎んだりして無いんじゃないだろうか。いや、目を覚ました瞬間に鯖折りされそうになったんだけど。顔を合わせる度に俺の腹にダイブをかましてくることに目を瞑れば、俺を助ける程度には好感度を稼げているのだと思いたい。
「アルシェもノルンぼぉ……! ヴぁだし達を庇ってぇ……!」
なるほど、アルシェとノルンはシャーレイと俺を守る為に砦に残ったのか。戦力外通告を受けた俺の代わりにあの二人が戦力になってくれているのだろう。実はあの二人もそこそこ好感度高かったりしませんかね? いや、単純にシャーレイを庇うためで俺はたまたま庇われた形になったオマケ扱いなのかもしれないけれど。
しかし困った。恐らくライラのババアのことだ、今度の魔物の侵攻もしっかり撃退するだろう。そうした後に何をするか、部下であろうシャーレイを詐欺にかけた下手人の首を柱に吊るそうとするに違いない。つまりは俺を殺しに掛かるということですね、分かりたくありません。
ならばそうなる前に動かなければなるまい。俺はシャーレイに砦の方向を聞く。さりげなく自分の服を探っているが、エルフの王様に持たされたコンパスはどこかに落っことしてしまったのか見つからない。俺の今の持ち物と言えば、シャーレイが持ち出してくれたのだろう剣くらいしか無いのだ。
「ふぇ……?」
俺が聞けば、シャーレイはキョトンとした顔で俺を見つめる。うーん、美少女は泣き顔も呆け顔もどうしてこう絵になるんだろう。王都のお風呂屋さんで優しいお姉さま達に経験を積ませてもらっていなかったらまかり間違って惚れていたかもしれない。そういえば、前に王都に行ったときには顔を出すことも出来なかった。まだ元気にしてるかな、あのお姉さま達。
などと変な方向に飛んでいきそうになった思考を元に戻し、再度シャーレイに砦の方向を聞く。
「ど、どうして……?」
どうしてと言われても、俺としてはとにかく砦に戻ってライラのババアの地に墜ちた評価を取り戻さねばどちらにしろ待っているのは死のみというクソゲーである。魔物に殺されるか、怒り狂ったライラのババアに殺されるかの違いはあるものの、どっちにしろ俺は願い下げだ。というかあの歳になっても前線でバリバリ戦ってる上に馬鹿みたいな威力の魔法を連発するババアなんて勝てる気がしない。それならまだ魔物の方がワンチャンあるというものだ。ということをそれとなーくぼかして伝える。
「で、では、あの魔物にも勝てるのですか!?」
驚いた様子でシャーレイが聞き返してくるが、正直分かりません。でもツインジジイに夢の中でボコボコにされたことは鮮明に覚えている。これってよくあるパワーアップイベントじゃないかと思っているのだ。いや、なんで主人公でもなんでもない俺にパワーアップイベントがあるんだよとは思ったが、もしかしたら主人公のなんちゃって師匠ポジということで急遽イベントが用意されたのかもしれない。そこまで柔軟な異世界なのかどうか分からんけど。
「師匠……!」
シャーレイは何に感激したのかよく分からんが目をウルウルとさせている。うん、だからさっさと砦までの方角をですね……。
なんか一方的に色々と聞いてくるのに肝心な俺の聞きたいことを何一つ教えてくれないんですけどぉ!
でも変なことを言ってまた号泣会見モードになられたりしたら困る。このままライラのババアが順調に魔物を討伐しきって俺をジェノサイドする準備を始めたらどうしてくれるのよこの子は! あれか、もしかしてそれを狙って敢えて何も言わないのかと疑ってしまいそうになるくらい。
誰か助けてくれませんかと天を仰げど、目に入るのは空に向かって元気よく伸びる木々と青い空ばかり。うーん、どうすればこの窮地を脱することが出来るのか。なんて思っていると、突如として俺の視界に影がかかる。そして頭上を過ぎ去っていく巨大な何か。
「し、師匠、あれは……?」
シャーレイもポカンとした顔でそう呟くが、ついさっき目を覚ましたばかりの俺が分かるわけがないでしょ!
いや、異世界の魔法だったらあり得るのかもしれないけどシャーレイの様子を見ているとそんなことも無さそうだ。
「いつからこの世界では船が空を飛ぶようになったんですか……!?」
俺とシャーレイの頭上をゆっくりと飛び去って行くのは立派に帆を張った巨大な帆船だった。なにあのファンタジー要素たっぷりの移動手段! 俺も乗りたいんですけど!
生まれてこの方俺の主な移動手段って徒歩だったんですけど!! 船に乗るのですらちょっとワクワクするくらいには代わり映えしない移動手段しか無かったのに俺の手の届かないところで異世界ファンタジーするのズルくないですか!?
「それにあの船、砦の方に向かっています!」
そしてついにシャーレイが俺の聞きたかったことを教えてくれた。つまりはあの船を追い掛けて行けば砦に辿り着けるんだな?
そうと決まれば話は早いと俺は立ち上がると、ケツに付いた土を払う。あ、シャーレイは別に無理せずにゆっくりついて来たら良いからね? 魔物の侵攻を止める戦力なんだから消耗してもらったら困る。なんて言っていると、目の前の茂みがガサガサと揺れる。おやぁ? と思っていると突然目の前に飛び出してくる鋭い角。間一髪でそれを避ければ、茂みから姿を現したのは額に立派な角を生やしたリスの魔物。おいババア、魔物の侵攻止められてないじゃん!
「鼠獣!?」
シャーレイが弾かれたように立ち上がって剣を構えるが、流石に止めた。ここは雑魚専冒険者の俺に任せてもらおうか。
「ですが師匠は目覚めたばかりで……!」
確かに目覚めたばかりだけども……! 俺はリスの魔物すら倒せないクソ雑魚だと思われてるのか!? いや、確かにマネキン野郎にあっさりノックアウトされたもんなぁ……。俺の評価が下方修正されていても已む無し……!
ならばここで少しでも株を上げておかねばなるまい。リスの魔物倒した程度で上がる株って何だよと自分でも言いたくなるのを堪えつつ、俺は剣を握る。
俺が戦闘態勢に入ったのを感じたのか、目の前の魔物も歯を剥き出しにして威嚇しながら姿勢を低くして角をこちらに向けてくる。いくら威嚇しようが今更お前に負けるような俺ではないわ!
そしてリスの魔物が俺を串刺しにせんと突っ込んで来るのに合わせ、剣を振り抜こうと力を籠めたところで気付いた。いや、剣を鞘にしまったままじゃないか……。
気分は出掛けた後にガスの元栓を締め忘れたか、家の鍵を閉め忘れたことに気付いたくらい、それももう引き返すのも早々に出来ないところまで来ておいて気付いたときの焦りである。ノックスのくれた剣が魔物の硬い毛皮だろうがスパスパ斬る業物だったとしても、鞘に入ったままではその切れ味は発揮できない。というか俺の手がスパスパと切断されてしまうので鞘に入っているときくらいは大人しく斬れないでいて欲しい。
しかしどうする。このままじゃあ寝惚けて剣を鞘から引き出すことすら忘れたクソボケ冒険者という謗りは免れない。とりあえずはコイツの突進をぶっ叩くか何かして止め、改めて剣を抜いてトドメを刺すことにしよう、そうしよう。いや、むしろ鞘で思いっきり頭殴れば流石に死んだりしないだろうか、よしんば首を横から叩けば骨くらい折れると思うんだ、折れてくれ、頼む。
リスの魔物が突っ込んでくるまでの僅かな時間で俺の灰色の脳細胞が導き出した結論。それは単純にこのリスの魔物を撲殺するというもの。ということで突進を紙一重で躱した俺は、無防備なリスの魔物の首目掛けて渾身の力を籠めて鞘に入ったままの剣を振り抜いた。
すると俺の剣は予想していた抵抗を受けることも無く、すんなりと魔物の首を通り抜けて行ってしまう。あるぇー?
「え……、えぇ!?」
その様子を後ろで見ていたシャーレイも素っ頓狂な声を上げていた。うん、俺も驚いてます。まさか鞘に入ったままの剣でリスの魔物の首を斬り飛ばせるなんて思いもしませんでした。
頭を失ったリスの魔物の身体は、呆気なく地面に墜落してしまった。はえー、ノックスの剣しゅごいよぉ。まさか鞘に入ったままでも魔物を斬ろうとするなんて。やっぱ魔物の血を吸い過ぎて魔剣になったとかそんな感じになってませんかね?
「ど、どうして鞘に入った剣で魔物が……」
うん、それは俺にも分からないんだよシャーレイ。なんて言えるはずも無く、俺は初めからこれが狙いだったんですよとばかりにカッコつけて立っていることにした。何が起きたかを説明することも出来ないので手持ち無沙汰なのを誤魔化す為にじっと手に持った剣を眺めたりもする。やだ、血も付いたりしてないわ。どうしよう、俺が鞘を持ったら指とか持って行かれたりしない? 切れ味良すぎて鞘越しに魔物斬るとか生半可なファンタジーよりファンタジーな性能してるね、俺の剣。
とはいえ、これはシャーレイの中で俺の株も少しは上がったんじゃないだろうか。いくら雑魚魔物とはいえ、鞘に入ったままの剣で斬ったりすることは普通出来ないだろう。武器の性能におんぶにだっこだとしても、それがバレなければ良かろうなのだ。
ということで俺はさっさと空飛ぶ船を追い掛けることにする、と思って上を見上げれば、船は遠くに米粒のような大きさで浮かんでいる。もうあんなところまで行っちゃったの!?
俺が慌てて追いかけようとすると、今度は頭上からガサリという音。また魔物か!
「師匠ー!!」
そう思って身構えた俺に降ってきたのは、無いはずの尻尾が左右に勢いよく振られているのが幻視されてしまうくらいに満面の笑みを浮かべた犬耳娘ことコルン。
水平方向からの衝撃については事あるごとに俺の腹筋の耐久試験をしてくるシャーレイの突撃によってある程度の耐性を付けていたが、まさかの垂直方向である。俺はコルンを受け止める、というには無様過ぎる格好で地面に押し倒されることになった。
「これで!」
「最後……!」
私とアルシェの声が重なり、飛び掛かってきた魔狼へと鏡合わせのように息の合った動きで対峙する。鋏のように両側から私達の剣が魔狼の首に迫り、その首を切断すれば、魔狼の身体から力が抜け、夥しい血と共に地面に沈む。周囲を見渡せば、他に動いている魔物の姿はもう無い。お爺ちゃんが出してくれた霧の壁を新たに越えてくる気配も無かった。
「終わった……?」
「そう思いたい、けど」
アルシェの声にそう返しながら、私は息を整える。アルシェに受け渡した分も相まって、もう魔力は尽きかけている。師匠やソーン兄のように、瘴気すら自身の力へと転じさせる技術はまだ身に付けられていなかった。つまり魔力が尽きてしまえば、私もアルシェも魔物に有効打を与えることは出来なくなってしまう。アルシェの言葉は私も望むところだったけれど、そう簡単にはいかないだろうとも思ってる。
「終わったぞ!」
「生き残った……!」
けれど、周囲の騎士達は魔物の侵攻を退けたと思ってチラホラと喜びの声を上げ始めていた。その声は私達が背に守っていた砦の防衛線からも聞こえてくる。何匹か取り逃がした魔物が防衛線に取り付いていたけれど、幸いにも防衛線の騎士達は全滅していなかったらしい。
「気を緩めるな! 隊列を整えろ!」
そんな騎士達に向かって声を張り上げながら、ノックスとローエンがこちらに向かって走って来る。
「アルシェ、ノルン。生き残った者達で再度隊列を組み直します。お二人も少し下がってください。今の間に息を整えておかないと……!」
「足をやられた者は防衛線まで下がれ! 砦から魔法で援護を!」
ノックスにそう言われて騎士達の隊列に合流した私達は、ローエンの命令に従って足を引き摺っていく騎士達の数にため息が漏れそうになった。
今この場に集まることが出来た騎士は何人だろう。辛うじて隊列を組むことは出来ても、もう魔物の侵攻を押し留められるような規模では到底無い。師匠の弟子である私達がそれぞれ単独で魔物を相手取れるとしても、疲労は溜まる。事実、私も腕が重たいし、少し動くのですら息が切れそうになっている。身体のあちこちに出来た傷から流れ出す血は、自慢だった私の白い髪を赤く染め、確実に私の命を削り取っていると感じられた。
「ノックス、次の波はどれくらいの規模だと思う?」
「……どうでしょう。先の波よりは少なければ良いですが。ノルンは怪我の程度は」
「大丈夫。ここで私が下がるわけにはいかない」
私を気遣うノックスの表情が、痛ましさに満ちたものに変わる。多分、傍目に見てもボロボロな姿なんだと思う。だけどそれはノックスやローエンも同じ。
「ノックスの方こそ、美形が台無し」
「多少傷がある方が、箔が付きます」
「ハハッ、違いないですなぁ!」
ノックスの言葉に、ローエンがそう言って笑う。言葉こそ元気で、気丈に振る舞ってはいるものの、二人とも鎧も服もあちこちが裂け、顔に伝う血を拭うことも出来ていない。剣を手に持ってはいるけれど、それを持ち上げる体力すら惜しいのだということがよく分かった。
「ノルン、霧が晴れそう」
アルシェのその言葉に、私達は前方へと視線を移す。お爺ちゃんが出してくれた霧の壁は、徐々に周囲の空気に溶けて消え始めていた。明け方から、日が天辺に来るまでずっと魔法を展開し続け、魔物と戦っていた上に、それまでも休みなく魔法を使って働いていたのだから、もう魔力も尽きてしまったのだと思う。そして霧が晴れていくにつれ、向こう側にいる存在が私達の視界にも入るようになる。
最初に声が上がったのは私達よりも戦場を俯瞰して見ることが出来ている防衛線の上にいる騎士達。その声色は、先ほどまでの喜色を含むものから一転、困惑と緊張に満ちたものだった。次いで、私達の周りにいる隊列を組んだ騎士達からも同じようなどよめきが上がった。
霧の向こうにいたのは、こちらに向かって整然と並んで歩いてくる小鬼の集団。それも先ほど霧を抜けてきた個体よりも大きな体躯のものばかり。そしてその後ろに控えているのは、見上げるほどの大きさまで育った粘獣。
「こ、小鬼の集団に粘獣……」
「あんな大きさの小鬼や粘獣なんて見たこと無え……」
「勝てる訳が、無い……!」
そんな声が風に乗って耳に入ってきた。先ほどまで、魔狼や鼠獣、そしてすばしっこいがまだ身体が小さく比較的非力な小鬼程度だった。それですら、私達にとっては大きな脅威であり、ここまで消耗させられた。
どこかで私も期待していた。これまでも侵攻してきた魔物達をこの砦は凌いできた。魔物の戦力は粘獣が最大であり、それを越えるようなものは無いんじゃないかと。先の第一波が最初にして最大の戦力じゃないかと、淡い希望を抱いていたのかもしれない。
「アルシェ」
「分かってる」
横にいる双子の姉の名を呼んで剣を差し出せば、アルシェの剣が私のものと重なる。魔力を受け渡すためのその儀式は、けれど普段は感じられない震えを柄を通して伝えてきた。どちらかが、あるいはどちらもなのかもしれない。格好つけたことをシャーレイには言ったけれど、いざ目の前に明確に姿を現せば、その感情は顔を覗かせる。
「ノックス」
「どうしました、アルシェ?」
「死んだ人の魂はどこに行くんだろう」
アルシェがノックスにそう問うた理由は、私じゃなくても分かったと思う。この場にいる誰もが、知れるものなら知りたいと思っただろうから。
「聖教の教えでは、主の御許に導かれ、生前の苦しみや穢れを洗い清められた後、再び世界に生み落とされるとされています」
「そう、また生まれるんだ」
「ええ。ですから、ここで戦うことは無駄じゃない」
ノックスの言葉に、私がそう呟けばローエンが剣を構えて眼前に迫る魔物達を睨みつける。
「それに、そう考えればまた生まれ直して師に弟子入りすることも出来るでしょう?」
そして横目で私を見てローエンは笑った。それに釣られて、私も口元に笑みが浮かぶ。確かにそうかもしれない。最近はしてくれなくなったけど、また小さかった頃のように、アルシェと師匠と一緒に一つのベッドで眠りたい。あの温かさに触れて、眠れることが出来るのなら。
「ここで死ぬのも、悪くない」
「はっはっ、違いない!」
もう霧の壁には魔物を押し留めておけるだけの力は無かった。薄っすらと白く見える程度にまで薄まってしまった霧を抜けて、小鬼達が棍棒を掲げて咆哮する。その声は、私達を最後の一人まで磨り潰すという殺意を明確に感じさせるもの。けれどもう手は震えてはいなかった。
「来るぞ、構えろー!」
ノックスの声に、先ほどまで怯えていた騎士達も含め、剣を構える。明確に戦う意思を見せたわけではない。ただ自身が死にたくないという恐怖に駆られたものであっても、逃げ出すことを選んだ騎士はいない。
私達の頭上を越えて魔法によって生み出された火球が魔物達に向かっていく。その数は、第一波の時と比較して遥かに少なくなってしまっているけれど。
爆炎と共に痛みに叫ぶ魔物達の声が響く。それすらも、私達只人の耳を乱雑に引っ掻き、怖気を生むものとして届いた。しかし、いくら魔法を撃ち込んでも淡々とこちらに迫る魔物の波はその勢いを緩めることは無い。その様子は、覚悟を決めた騎士達も震えを隠せなくなる威容を放つ。
「嫌になりますね、魔物が戦闘でなく戦争をするなど……!」
ノックスがそう言って歯噛みをする。もう騎士達の士気は限界だ。私達も、辛うじてここに立っているだけみたいなもの。明確に自分が死ぬと分かっている状況で、冷静に振る舞える人間なんてそうはいない。
再び魔法によって生み出された火球が飛ぶ、けれど数えるほどになってしまったその魔法は、魔物達に痛痒を与えることすら出来なくなってしまったみたいだ。
「師匠……」
誰にも聞こえないように呟く。師匠に届くわけも無いけれど。忌み子として生まれた私が人として生きることが出来るようになったのは師匠のお陰。師匠が命を賭して私に生をくれたのなら、師匠の生を繋ぐために私が命を賭すのも当たり前。だから、生まれ変わってもまたあなたの弟子になりたい。
身体に残った魔力を搔き集めて剣へと宿す。もう幾分と戦えないかもしれないけれど、諦めるという選択肢は無い。剣が折れても、この身一つでも、魔物に立ち向かうことを諦めたりはしない。
そう決意を固めた瞬間、私達の頭上に影が落ちる。見上げれば、太陽を遮って空に浮かぶ大きな物体。それは徐々に高度を下げ、私達と魔物の波の間に壁となるように降り立ち、轟音と土埃を響かせた。その事態は魔物達にとっても予想外だったのか、小鬼達の足が止まっていた。
「一体何が……!?」
飛んでくる土塊から顔を庇うように腕を交差させながら、ノックスがそう口にするが、そんなものお構いなしに事態は進んでいく。魔物達を包み込むように霧が再び立ち込め始めたのだ。もうお爺ちゃんの魔力は尽きてしまっているだろうに。その霧の中から、魔物の苦悶に満ちた声が響く。
「はっはっはぁ!! まさか船乗りを引退して久しい俺が船を空に浮かべることになるなんてなぁ!」
そして地面に降り立った船の上から、豪快な笑い声と共にそんな言葉が響く。甲板の上に立ち、私達の方を見下ろしているその人物は、日に焼けた真っ黒な肌と顔を覆う髭の奥で私達に向けて歯を剥き出しにして笑っていた。
「遅くなって悪かったな、嬢ちゃん達! 腑抜けた長耳共連れて、文字通りの助け船だ!」
そう言ってまた豪快に笑ったジルファに、私達も自然と笑みを浮かべていた。