裏路地から這い上がる系主人公のソーン。それは良い。逆境から立ち上がる主人公は王道だ。俺を見る度に模擬戦と称して亡き者にしようとしてくるけど。
魔物に村を襲われた復讐系主人公のアルシェとノルン。これもまた良い。その過程で信頼できる仲間なんかと絆を深めて表情豊かに笑ったりなんかしたら素敵だ。俺を見る目がいつもジト目で怖いけど。
踏み台貴族系主人公のノックス。少し捻りを加えた味付けだが良い。忠実ムキムキマッチョな付き人ローエンも添えてバランスが良い。バランス調整を間違えたような強武器をドロップするなんて踏み台系にあるまじき仕様だと思うけど。
ドジっ子女騎士のシャーレイ。主人公じゃなくてヒロイン枠だろうけど可愛いから良いと思う。今のところ一番俺にダメージ与えてくるのこの娘だけど。
船乗りアウトロー系主人公のロクシス。荒っぽくも義理堅く、皆を引っ張って行ける性格は間違いなく未知の大陸を求めて冒険するリーダーだ。俺のことをオヤジ呼ばわりしてくるけど。
王道貴公子主人公のライネル。まさしく王道。選ばれし勇者の子孫で魔物に特効の力を持つとか主人公以外の何者でもない。力を使いこなすまでは周囲からの期待に重圧を感じていたというのも主人公らしくてグッドだ。
犬耳娘のコルン。多分ライネルのヒロイン枠だろうけどケモ耳系ヒロインは王道なのでヨシ。ライネルも双子にシャーレイ、コルンとより取り見取りだな。爆発しろ。
とまあ俺が今まで見てきた弟子達は皆それぞれ方向性こそ違うものの、皆素晴らしく主人公、ヒロインらしいポジションだ。俺は主人公ポジションならば王道系以外も好きなので、弟子達から見えないところで噂を聞いてはニヤニヤするのに何の否やも無い。
だが、だがしかし。そんな俺にも許せぬものがある。悪堕ちヒロインである。どうして折角の可愛いヒロインをこんな虚ろな表情にしてしまうんだ。というか敵のボスにヒロインが一時的にでも奪われるとか俺の脆弱な脳味噌が耐えきれないので絶対にNGだ。
「ヤッと……あナたと……!」
俺の目の前には俺の方へと手を伸ばしたフィリが、うわ言のようだった言葉を徐々にはっきりさせて何かを伝えようとしてくる。そんな可哀想な姿になっちまって、今すぐ解放してやるからな、ソーンが。いや、俺は別に魔物とかに特効の力とか無いし……、ソーンも特にそんな力は無いかもしれないけど多分主人公補正で何とかなると思うんですよ。
「アなたも、私と一緒にナりましょう?」
まさかの勧誘であった。伸ばした右手で俺に向かって手招きしているフィリは、虚ろな笑みを浮かべている。やだ、こんな悪堕ちのお手本みたいな表情見てられないわ! 俺は優しい世界しか認めませんよ! というか一緒になるって何!? その台詞はもっと違う場面で聞きたかったよ!
「私とアナタは同じ時を生キられない。デモ、この力があれバ……! アナただって!」
ほう、普通なら何を言ってるのか分からないところかもしれないが、転生者である俺には分かる。これは悪堕ちの誘いだ。それも恐らく、種族の違いによる寿命の差とかそういう弱味を敵に握られて良いように吹き込まれたとかそういうやつだ。
「モウ、嫌なの……。優しくシテくれる人ハあなたしかいない……!」
そう言いながら、フィリは俺への攻撃を再開してくる。勧誘するか攻撃するかどっちかにしてくれません? というかフィリみたいな可愛いエルフ娘に優しくする奴なんてそこら辺に大量にいると思うんですが。確かにエルフの島だとその耳に希少価値は無かったかもしれないが一歩外に出れば希少価値の塊だぞ。モテまくるだろ。
「だったラ、私と一緒にキテ……!」
俺の懸命な説得も虚しく、フィリの泣きそうな表情とまったく噛み合わない凶悪なパンチが俺の顔に向かって来る。それを剣で何とか弾いたかと思うと、間髪入れずに刀身に連打を喰らって剣が手から弾き飛ばされてしまった。
「師匠!? 今そっちに!」
遠くでソーンがその様子を見ていたらしく、焦ったような声が聞こえるが、安心して欲しい。フィリに拳での戦い方を教えたのは俺である。ジジイ式ブートキャンプで叩き込まれた体術なので動きの予想も付きやすいし、剣が無くても何とか凌ぐことは出来るはずなのだ。何より万が一剣でフィリの顔に傷でも付けてみろ、ヒロインを自分の手で傷付けるとか許されませんよ! でも予想以上に動き速くていつまで耐えられるか分からないからなるべく早く助けに来てね!
「っ! すぐに片付けてそっちに向かう!」
俺の決死の訴えを聞き届けてくれたソーン。やはり主人公は格が違った。なんてアホなことを考えていると目の前に黒い金属質な足裏。危なぁい!?
「どうして、分かってクレないの!」
俺の顔面を蹴り抜こうとしてくれやがったフィリが言葉だけは悲壮感に満ち満ちて言う。口調とは裏腹に攻撃には殺意漲ってましたけどね!
というか古今東西そんなあからさまな誘いに乗ってハッピーエンドになった例なんて聞いたこと無いし受ける訳無いでしょ!
「でも、これナらあなたハ私より先ニ死なない!」
その言葉と共に俺の腹をぶち抜こうとした拳を躱し、その勢いを利用して地面に引き倒す。フハハ、お前のやろうとしていることなどお見通しだ。勢い殺し切れなくて割と痛かったけどな!
「くゥ……!」
それに俺は別に不老不死とかにはそもそも興味は無いのでそんな勧誘は意味が無い。俺の目的はただ一つ、後方主人公面することだけなのだから! 全然出来てないけどな! 何故か知らんがずっと弟子から追い掛けられ続けてるし、その割に別にボッコボコにされる訳でもなく何か変なことに巻き込まれるという謎な状況に陥っているが。
「あナタが居なくなった世界じゃまた私ハ孤独になる……!」
安心しろ。主人公、特にライネルにはヒロインが片手の指じゃ足りなくなるくらいに出来るはずだ。勇者の子孫とか絶対に続編主人公になるやつじゃん? その前に意味深に現れて前作主人公である祖先との関係とか繋がりを匂わせるミステリアスなサブキャラポジションが楽しめるから! ……自分で言ってて何だが楽しそうに思えてきたなそのポジション。やだ、ちょっと不老不死に興味が湧いてきたかもしれない。でも弟子達の子孫から見たら俺は祖先をがっつり騙した詐欺師なわけで、主人公らしく性格が聖人君子な弟子達はともかく、その子孫には顔見た瞬間に流石に殺されるのでは? うーん、やはり悪堕ちルートはキャンセルだ。
「繋がる……?」
俺の言葉の何が琴線に触れたのかはよく分からないが、フィリの攻撃の手が僅かに緩んだ。よしよし、説得は順調だな。ソーンや、後何匹くらい魔物倒したらこっちに来られそう? あ、まだまだたくさんいるみたいですね、はい、もう少し頑張ってみますね。
孤独とかなんとか言っているが、そんなことよりもエルフの爺さんとの二人旅は潤いが無さ過ぎるので、流石に俺の旅にも潤いが欲しい。そこに現れたエルフ美少女のフィリはまさしく天啓。悪堕ちなんか止めて一緒に旅してどっかで弟子の噂聞いてニヤニヤしようよ。絶対その方が楽しいって。
「一緒に、旅ヲ……」
そうそう。そんな悪堕ちエルフ仮面なんてやめて冒険者になってあっちこっちの美味いもの食べた方が幸福度は遥かに高いと思うんですよ。というか俺が死んでも多分エルフの爺さんは長生きだから寂しくないって。あの爺さん枯れ木みたいな見た目のくせしてまだまだ元気に生きそうだし。故郷のジジイしかり北の街にいるクローネしかり、元気なジジイが多すぎるなこの世界。
「でも、私はもう……あの種に……」
ついに俺の説得が功を奏したのか、フィリの拳が力無く落ち、地面に膝をつく。心なしか表情にも人間味が戻ってきたようにも思える。さっきまでの虚ろな表情の代わりに今度は悲しそうに沈んだ表情だけど。多分あの種、というのはエルフの島でエル……エル何とか君が誤嚥してしまった種のことだろう。まさかフィリも種を誤嚥したんですか!?
「違う! でも、私の身体には瘴気が……っ、ぁぁああ!?」
必死な表情で何かを言おうとしたフィリだったが、それよりも前に彼女の身体が糸か何かで無理やり引っ張られたような奇妙な軌道を描いて立ち上がると、滅茶苦茶に両腕を振り回して俺を殴ろうとして来る。
「な、どうして……!?」
フィリ本人が驚いた表情を浮かべているのを見るに、恐らくあれだろう。身体が意思に反して勝手に~というやつ。操ってるのはあの復活怪人たるマネキン野郎というのがこういうときのお決まりのパターンだ。
「師匠! 剣を!」
どうすんべと考えていると、ライネルが大量のゴブリンの間を縫って俺に剣を投げてくれる。やっぱりソーンって主人公だわ。もうこのタイミングの良さは主人公補正が掛かってるとしか思えないもん。こっちに向かって飛んでくる剣の柄を握ると、支離滅裂な軌道で振り抜かれるフィリの腕を剣で丁寧に弾く。
「だ、め……!」
当の本人も言うことの効かない身体をどうして良いのか分からず、痛みと絶望に歪んだ表情で俺を見つめていた。うーん、なんとかしてやりたいがこういうのは主人公補正を持ってる人間じゃないと何とか出来ないやつだ。俺に出来ることは拳や足を剣で弾いて勢い余ったフィリの身体がこれ以上痛まないように気を付けながら時間を稼ぐくらいなわけで。
「いや、嫌ぁ! もう止まって、よぉ……!」
ソーン君なる早でお願い出来ませんか!? フィリさんがもう限界みたいなんです! このままじゃ腕とか足から変な音が鳴っちゃうかもしれない! あと俺もそろそろ疲れてきたかもだから出来れば助けてもらえると嬉しかったりするんですが!
俺がそんな決死の思いを込めた視線をソーンに投げれば、ゴブリンの壁の向こうにいるソーンもこちらを見ていたようで、俺とソーンの視線はバッチリとぶつかった。そして俺の思いが通じたのか、ソーンが一度頷く。
「大丈夫だ! こっちは俺が何とかする! 師匠はそいつに集中してくれ!」
通じてない! 通じてないよソーン! やっぱりお前主人公だよ! その鈍感さは主人公補正掛かってるよ! なんでヒロインからの好意どころか俺からのSOSも届かない仕様なんですか!
悲しいことにソーンが主人公特有の鈍感をここに来て発揮してしまい、俺は操られたフィリをどうにか解放するという無理ゲーに直面することになってしまった。いや、本当にどうしたら良いんだこれ。
「もう、もう嫌……! 私を斬って……!」
どうしようもないと思ってしまったのか、涙を流しながらそう訴えかけるフィリ。おま、ヒロインを自分の手で斬るとかそんな鬱展開はNGだって言ってるでしょうが! 俺のなんちゃって剣術は魔物は斬ってもヒロインは斬らないの!
……むう、こうなったらノックスから貰ったこの魔剣様にお願いするしかないかもしれない。鞘に入ったままでも魔物を斬ってしまうような剣だ。多分魔物だけを都合よく斬ってくれるような特殊能力だって付いてるはず……!
「お願い! もう終わらせて!」
頼みます、魔剣様。この泣いてる可愛いエルフ娘にだけは傷が付かないように良い感じに外側の黒い鎧みたいな奴だけ斬ってください。
頭の中でノックスから貰った剣に必死でお祈りし続けながら、俺はフィリの拳をやや強く払い除け、姿勢を崩す。そしてがら空きになった胴体に向けて、お祈り斬りを叩きつけた。もちろん万が一があってはいけないので刀身は絶対に当たらないようにした。もうだいぶ前になるが、双子の前で木刀を使って薪を斬るフリをしたみたいなイメージだ。
その瞬間、パキンという甲高い音が響いた。目測を誤ってもしかしてぶつけた? いや、でも当たったような手応えは無かったし……。
「あ……」
目の前から聞こえたフィリの声に、恐る恐る視線を上げてみると、フィリの身体を覆っていた黒い鎧が真っ二つに裂け、ボロボロと崩れ落ちていた。その中から現れる彼女の身体には傷一つ無い。やっぱりノックスのくれた剣はすげーや。マジでどんな理屈で斬れたんですか。
「ホントに、言った通りだった……。あなたの剣は人を斬らない、魔物を斬る剣」
その言葉と共にようやくフィリが嬉しそうに笑った。ほら、やっぱりヒロインは笑ってなんぼなんですよ。だから悪堕ちなんて止めようね。
フィリが俺に向かっておずおずと近づいてくる。お、これはようやく俺にもヒロインが出来たと見て良いのでは? ソーンがまだ頑張ってるところだけど、ちょっとくらい役得があっても良いんじゃないかと思うわけですよ俺は。
「師匠!」
少し離れたところからソーンが俺を呼ぶ声が聞こえる。フハハ、エルフ美少女のハグが羨ましいか。だが、今は俺が役得を楽しむ番だ。
などと思っていると俺の背中に凄まじい衝撃。それから次いで感じる背中からお腹にかけての痛み。視線を下げてみると、俺のお腹からマネキン野郎のものと思しき木製の拳がこんにちはしていた。お前らつくづく俺のお腹に何の恨みがあるんだよぉ! 痛ぁぁい!
「チッ! 鬱陶しい!」
俺に殺到してくる小鬼に向けて剣を振るう。魔王と共に再びどこからともなく現れた小鬼共は、魔王と師匠の戦いの邪魔をさせないとばかりに俺に向かって来る。
俺は師匠のように小鬼の武器ごと斬り裂けるような鋭さにはまだ至っちゃいない。だから極力攻撃を回避し、その隙に急所に一撃を叩き込む。数が多すぎて一撃が浅くなったとしても、次もまた同じところに打ち込む。まだこんなところでくたばったりはしないが、それでも師匠の下に近づけないことへの焦りは募っていく。
「アなたも、私と一緒にナりましょう?」
「……もっと違う時にその言葉を聞きたかった」
小鬼の壁の向こうで、魔王と師匠が言葉を交わしている。さっきまでの師匠の剣幕を見るに、あのフィリと呼ばれた長耳の女も師匠の知り合いのはずだ。それも俺達と同じ弟子のような立場の。
「私とアナタは同じ時を生キられない。デモ、この力があれバ……! アナただって!」
「悪いが、俺はそんな力に興味は無い」
「モウ、嫌なの……。優しくシテくれる人ハあなたしかいない……!」
「島の世界に囚われるな。あの島の者だけが世界の全てじゃない。フィリを認める人間はいる」
「だったラ、私と一緒にキテ……!」
長耳の女の言葉を師匠が否定した直後、師匠の剣がブレた。同時に響く金属音。魔王の拳を、師匠の剣が防いだ音だ。だが、続けざまに放たれた魔王の攻撃が師匠の手から剣を弾き飛ばしてしまった。師匠の剣が、クルクルと回転しながらこちらに向かって飛んでくる。しかし、それは途中で小鬼の壁の中に落ち、俺の視界からも消えた。
「師匠!? 今そっちに!」
流石に魔王相手に武器を持たずに戦うなんて無茶だ。そう思って俺が無理をしてでも小鬼共の間を突破しようと構えた直後、師匠から制止の声が掛かった。
「焦るな。フィリに戦い方を教えたのは俺だ。……だが、助かる」
「っ! すぐに片付けてそっちに向かう!」
師匠が俺達の助けを必要としている。そのことに嬉しさを感じないわけではないが、それ以上に師匠が俺を頼ろうと思うくらいに追い詰められているという事実の方が俺にとっては衝撃的だった。師匠が容赦なく斬ることの出来る相手じゃないということも理由の一つだろうが、それ以上にあの魔王が師匠を追い詰めるだけの力を秘めているということだ。なら、俺がやるべきことは。
「まずは武器を拾うところからだよな……!」
目指すは師匠の剣が落下した場所。そこに向けて小鬼の壁を切り拓いていく。その最中にも、師匠と魔王が戦う音が、交わす言葉が俺の耳に届く。
「あナタが居なくなった世界じゃまた私ハ孤独になる……!」
「安心しろ。俺だけじゃない。俺の弟子もいる。その子孫だって繋がる」
「繋がる……?」
死角から飛んで来た小鬼の棍棒を、剣の腹で辛うじて受け流し、返す刃で棍棒を持つ両手を斬り飛ばす。剣を振るう腕が徐々に重く感じてくるが、それで止まってなどいられない。
「寂しいのなら、俺と旅をすれば良い。孤独を感じる暇が無いくらいに楽しい旅になる」
「一緒に、旅ヲ……」
小鬼の群れの向こうから、ちょっと聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。俺達だって師匠から直接旅に誘われたことは無かったぞ? 今だって師匠の後を追いかけてばっかりで一緒に旅をしたって言えるのは極北山脈を越えて魔王を倒しに行ったときくらいだ。確かに楽しい旅だった。きっとあのフィリという長耳だって楽しいはずだ。だが、師匠から直接誘ってもらえるってのは……。
「ちょっと、妬けるよなぁ!」
その言葉と共に力いっぱい剣を振り抜けば、ついに棍棒ごと小鬼の身体が斬り裂かれ、血しぶきが吹き上がる。そして足下には、師匠の手から弾き飛ばされた剣。
「だからこれくらいは、役得の範囲だよな」
その剣を拾い上げ、自分の剣を右手に、師匠の剣を左手に構える。片手で扱うには重たいが、青銀の剣はただの鋼の剣よりも遥かに軽い。
「オラァ!」
片手で振るう分、どうしても力は落ちる。だが、それを感じさせない切れ味で小鬼の身体を剣が斬り裂く。師匠の剣を手にしてから、明らかに小鬼を倒すペースが上がっていた。徐々にまた壁が薄くなり、師匠と魔王の姿が見え始めてきた。
「ぁぁああ!?」
再び視界に入った二人の戦いは、どうやら先ほどまでとは少し様子が違うらしい。長耳の女の表情がさっきまでの虚ろなものから戸惑いの色が強くなってる。そしてその表情と噛み合わない滅茶苦茶な身体の動き。まるで人形を操っているような不規則な動きだ。それでいて速度はもう俺が目で追えないほど。辛うじて視界に残る軌跡が師匠と魔王の攻防を読み取る術だった。
「師匠! 剣を!」
俺は声を張り上げると、師匠に向かって左手の剣を投げる。
あれを相手に流石に徒手空拳は師匠と言えど分が悪いはずだ。向こうはこっちを一撃で殺せる力を持っているのに、こっちは無手。師匠じゃ無ければ防いで凌ぐことだって出来やしない。
チラリと俺の方に目を向けた師匠は、クルクルと回転して飛ぶ剣の柄を正確にキャッチすると、魔王の攻撃を剣で的確に弾いて行く。俺の方も背後から迫っていた小鬼共の攻撃を何とか躱せば、再び四方を奴らに囲まれた状態に戻って苛烈な攻撃に身を曝すことになった。
「いや、嫌ぁ! もう止まって、よぉ……!」
壁の向こうからはそんな悲痛な声が聞こえてくる。意識して聞こうとしていた訳じゃないが、それでもそっちに意識が多少なりとも向いていたのは確かだ。小鬼の振り上げた棍棒が俺の額を掠り、薄皮を抉り取っていく。どろりとした血が顔の右側を流れるのを感じた。
「ってえな!」
視界が赤く染まるのを拭う間も惜しく、俺は剣を振り下ろして棍棒を振り上げた小鬼を両断する。その向こうで、こっちを見ていた師匠と目が合った。師匠にしては珍しく、目を少し見開いて俺を見つめていた。俺が頭から血を流しているのを見て心配させただろうか。だが、俺の方を気にしていて戦えるほどぬるい相手じゃないだろ。
「大丈夫だ! こっちは俺が何とかする! 師匠はそいつに集中してくれ!」
俺はそう言うと、師匠にあえて背を向ける。この先、俺が傷ついた姿を師匠にはもう見せない。目の前の相手に集中できるように。
小鬼共の棍棒を躱し切れず、徐々に腕や足にも掠り始めてきたが、同時に向こうも増援が底を尽きかけているはずだ。魔王は元のフィリという女の意識を完全に取り戻していて、今は身体を操られているだけ。魔物を指揮する存在は他にいない。何より、俺と師匠の後ろにはライネル達がいて戦い続けている。
「もう、もう嫌……! 私を斬って……! お願い! もう終わらせて!」
小鬼の数が減れば、師匠達の言葉も耳に入りやすくなる。
「……俺の剣は、人を斬る剣じゃない。魔物を斬る剣だ」
ライネルにかつて言った言葉、それを師匠が再び口にした。もう何匹目になるか分からない小鬼を斬り伏せた先で、師匠が姿勢を低く、腰の横に剣を構えているのが目に入った。そして瞬きをした瞬間、師匠の剣は上へと振り抜かれていて、遅れて金属が割れるようなパキンという硬質な音が響いた。その瞬間だけは、俺だけじゃなく、戦場の全てが止まったような気がした。
「あ……」
フィリという女を包んでいた黒い鎧は、師匠のたった一太刀で崩壊していった。かつて、永い眠りから覚めた手負いの魔王、ライネルも含めた弟子の総出でようやく穿った
装甲は、師匠の前じゃ他の魔物とそう変わらぬものだと斬って捨てられた。自分達が誰を、どんな存在を敵に回したのかを今更知ったのか、それを見て固まってしまっている小鬼共を俺も斬り裂いていく。
これでこの戦場の勝敗は明確になった。魔物を指揮していた巨大な鬼を倒し、続けざまに現れた次の魔王も師匠が最高の形で討伐してしまった。後はライネル達の後方に向かって俺と師匠が魔物を倒しながら戻っていくだけだ。
「ホントに、言った通りだった……。あなたの剣は人を斬らない、魔物を斬る剣」
「約束通り終わらせた。もう自由だ」
黒い鎧から解放された長耳の女は、嬉しそうな表情で涙を流しながら師匠へと歩み寄っていく。師匠も小さな笑みを浮かべて彼女を迎え入れようと手を差し伸べていた。俺だけじゃない、師匠だってもう終わったと思っていた。
だから師匠の背後に突如として現れたその存在に気付くのが遅れた。どこから現れたのか分からない。いつから俺達を見ていたのかすらも。だが、師匠が戦場にいる以上、奴だってここに現れるはずだと警戒しておくべきだったんだ。これまでの敵の中で、師匠に最も深い傷を負わせた相手だ。そして一度は師匠に敗北し、今はその経験すらも得て最初から師匠を最優先で狙う敵。
「師匠!」
俺の声に師匠がこっちに顔を向けようとした瞬間、魔樹の化身がその右手を師匠の背に突き立てていた。師匠の腹から突き出している拳から、真っ赤な血が地面に夥しい勢いで広がっていく。
「え……?」
師匠の前に立つ長耳の女の口から漏れた小さな困惑の声。それは何故か、俺の耳にもはっきりと聞こえた。