痛い。もはや痛いを通り越して熱いよ! 目の前のフィリには俺の腹からぶちまけられた血がべっとりと掛かってしまっており見るもスプラッタな様相を呈していた。やだ、ごめんね? でも俺の方がよっぽど酷い状態になってるんですよこれ。
「え……」
唐突にお腹から木製の拳が飛び出してくるというスプラッタびっくり箱を目にしてしまったフィリが呆けたような顔をしている。誰だってそうなる。俺もフィリの立場だったら状況が飲み込めないもん。でも、そんなこと言ってる場合じゃ無いんだよねぇ!
ぐじゅり、と俺の腹から拳を引き抜こうとする動きを感じ取ったので、俺はすかさず飛び出している拳を捕まえた。こういう時は不用意に刺さったのを抜いちゃダメだと聞いた覚えが無きにしも非ず。アドレナリンなのか謎の脳内麻薬のお陰なのか、痛みが麻痺してきたような気もするので死ぬ気でマネキン野郎と力比べをする。というか復活前といい今回といい、人の腹ぶち抜くのが好きな奴らだなお前はよぉ!
「師匠ぉぉ!」
俺が百舌鳥の早贄状態にされているのを目にしたソーンが凄まじい形相でこっちに向かって来る。その周囲には推定ゴブリンのものだった肉塊の山。やっぱソーン君しか勝たん。頼むからこのマネキン野郎をやっちまってくだせぇ!
俺の祈りの籠った視線を受けたソーンが力強く頷き、全身の力を籠めて剣を振り下ろす。その軌道は俺の腹をぶち抜いているマネキン野郎の腕。木と鋼がぶつかったとは思えない鈍い金属音と共に、急に俺が握っていたマネキン野郎の手から力が抜ける。振り返れば、ソーンが振り下ろした剣がマネキン野郎の腕をさっぱりと斬り落としていた。俺はというと腹から引き抜かれようとしていた腕を全力で捕まえていたので、その勢いのまま前方に倒れ込んでしまう。
「ダメ!」
あわや地面と熱烈なキスをするかもしれないと思った矢先、俺の身体はフィリによって抱き留められていた。こんな時じゃ無ければ役得だって素直に喜べたのに!
「血、血が止まらない! どうすれば……!」
俺を抱きかかえたフィリが俺の腹に生えた三本目の腕を見ながらボロボロと涙を流す。うん、取り敢えず腕を引っこ抜かないように圧迫してくださいね。もう俺も手が震えて中々力が出ないんですのよ。
「こ、これで良いの!?」
俺の言う通りに両手を傷口に添えて圧迫してくれるフィリ。美少女エルフに膝枕してもらって介抱されるなんていう夢みたいなシチュエーションなのに俺の腹に穴が開いているとかいう悪夢。そういやソーンはそろそろあのマネキン野郎倒してくれましたかね? 出来れば助けを呼んできて欲しいんですけど。
「わ、分からないわ……。目で追えないもの……!」
そう言って頭を振るフィリに、そんな馬鹿なと俺も頑張って顔を横に向けてみる。すると片腕を失ったマネキン野郎に対して鬼の形相で剣を振り回して迫るソーンの姿。……フィリさんや、血が目に入って染みたのかもしれないけど涙は拭こうね。そりゃ視界がぼやけてたら見えないでしょうに。
ソーンの剣をマネキン野郎が弾く度に赤い火花が散っている。なんで木製のくせにあんな硬いんだよアイツ。しかも身体をグネグネと曲げて剣を避けている。あの中にあの金髪エルフさん入ってんだよね? 人間の可動域無視してません?
「ちょこまかとぉ!」
ソーンもイライラしてるのか、ますます顔が怒りで歪んでらっしゃる。というかよく見たら剣もボロボロで、あちこち刃毀れしていた。そりゃ斬れませんよそれじゃ。
「そんな……!」
俺がブツブツと呟いていた言葉が耳に入ったのか、フィリが絶望的な表情に変わる。だが安心して欲しい、俺が使っていたノックス印の謎進化を遂げた魔剣がそこに転がってるはずだ。それを渡してやればソーンならすぐにあのマネキン野郎程度ぶっ倒してくれること間違いなしだ。
「無理よ! あなたでも倒せないのに!」
何故そうなるんですか。どう考えてもソーンの方が俺より強いのに。ということでソーンにはなんとか俺の足下に転がっている剣に気付いてもらいたいのだが、いかんせんイライラで激おこな状態になっているせいかこっちに目もくれない。そうなるとこの剣をどうにかしてフィリにパスしてもらいたいが、視界が血と涙で愉快なことになっている彼女のコントロールを信用出来るかについては、腹に穴が開いている俺と比べても中々微妙なところ。これなら脳内麻薬で辛うじて動ける俺の方がまだマシかもしれないと頑張って身体を起こす。
「何をする気!?」
フィリが肩を掴んで止めようとするが、そうこうしている間にソーンの剣がもう限界そうな訳で、それにここでちょっとでも奴を倒すのに貢献出来たら不意打ち食らって情けなくぶっ倒れたという汚名も少しは返上出来ると信じたい。ここまでボロボロになったら流石に他の弟子達も俺をすぐにボコボコにしようなんて思わなくなるだろうし。ソーンを助けたという功績であわよくば多少の感謝くらいは貰っても罰は当たらないんじゃないかな。
そう言いながら剣を杖代わりにしてなんとか立ち上がる。生まれたての小鹿もかくやと言わんばかりの足の震えっぷりだが、頑張れ、マジで頑張れ俺の足。
「ダメよ!」
俺に続いて立ち上がったフィリが、尚も俺を制止しようと手を伸ばす。ただ、その制止は悲しいかな、俺の身体を前につんのめらせてしまうには十分な威力を持っていた。図らずも背後から突き飛ばされる形になってしまい、俺の身体は地面に向けて倒れ始める。今度は受け止めてくれる美少女エルフも前にはいない。このまま倒れてしまえば受け身も取れないまま、俺の腹に刺さったままの腕が地面と接触して射出される未来が濃厚だ。そんな変則的なロケットパンチを披露するだけのオチは断固拒否しなければ!
転倒を免れようと震えに震える足を気合で前に出し、その勢いで走る。というかこけてしまわないように足を前に出し続けている、という言い方が正しい。何はともあれ、俺はマネキン野郎とソーンに向かって近づいて行くことが出来ていた。
「いい加減、沈めぇ!」
一方でソーン君はと言うと、相も変わらぬ激おこ状態で剣を振っている。俺が近づいているのにも気付いていない様子だ。ただ、鬼気迫る様子のソーンに圧されているのかマネキン野郎も俺には気付いていない。これは千載一遇のチャンスではなかろうかという邪な考えが俺の頭を過る。このまま背後から俺が一撃で倒してしまえば最高に恩を売れる状況では?
そんな俺の考えを見抜いたかのように、ソーンの剣がついに限界を迎えたのか、甲高い音と共にポッキリと折れた。あ、まずい。
「なっ!」
ソーンにとっても予想外だったのか、真ん中から折れてしまった剣を見て目を見開いていた。その隙をマネキン野郎が逃すはずも無く、残った方の腕でソーンに襲い掛かろうとしている。ソーンがやられたら俺が生き残る可能性も無くなるぅ! 俺の目が黒いうちはそんなことさせんぞ!
俺はマネキン野郎の注意を引くために声を出す。馬鹿め、俺はまだ生きておるわ!
「師匠!?」
ソーンの驚きの声に答える余裕も無いため、マネキン野郎がこちらに振り向く前に剣を思いっきり振り抜く。残念ながらマネキン野郎が飛び退いたせいで空振りに終わってしまい、剣を振った勢いでよろよろと地面に倒れそうになったところをソーンに抱き留めてもらう体たらくである。情けない。
「そんな傷で動くなんて無茶だ!」
はい、ごめんなさい。でも剣折れちゃったでしょ。だからこれを渡しに来たし、尚且つピンチを助けたつもりだから大目に見て欲しい。
「この剣……」
俺が差し出した剣をマジマジと見つめるソーン。ノックスから貰った魔剣です。切れ味はピカイチだからこれ使えばあのマネキン野郎もスパスパよ。そっちの折れた方は俺が持っとくから、君はこっちを使ってあのマネキン野郎をさっさと倒してね。
「……いつも簡単に言うよな、師匠は」
そう言って呆れたように鼻で笑うソーン。いや、ソーンなら簡単でしょ。俺でも復活前の奴は何とかなったんだから。強くてニューゲーム状態のアイツには腹ぶち抜かれたけど。
「その言葉を嘘にはしねえよ。俺はあんたの弟子だからな」
うーん、いつも嘘か適当なことしか言ってない俺の弟子とは思えない好青年。やっぱりお前が主人公だよ、うん。
いつまでも俺が居たら邪魔にしかならないため、倒れそうになりながら何とか足を引き摺ってソーンの後ろに下がる。あ、やばい、今度こそ倒れそう。
「無茶しないで!」
膝から崩れ落ち、地面に尻もちを着いたところでフィリに支えられる。そろそろ脳内麻薬も切れてきたのか、吐き気と一緒に耐え難い激痛が襲い掛かって来る。痛い、どれくらい痛いかというと痛すぎて何故か呼吸がラマーズ法になるくらい痛い。
フィリに支えられながら、なんとか意識を繋いでいると、ソーンが俺の渡した剣を構えている後ろ姿が見える。……これ、俺がやりたかったことが出来るチャンスじゃなかろうか。ちょうど俺の隣には固唾を呑んで見守るフィリという観客もいる。せめて死ぬ前に本懐を遂げねば!
「ソーンが負ける訳が無い」
俺はフィリに聞こえるような声量で、だが独り言のように呟く。
「え?」
狙い通り、フィリは俺の言葉を聞いたようで、首を傾げて俺の顔を覗き込む。俺はフィリと目を合わせないようにソーンの方をじっと見つめておく。今のポジションは、傷ついて後ろで控える師匠ポジを守るように主人公キャラが強敵と対峙する最高のシーン。……後方師匠面をするとしたらここを逃したらもう次は無い!
「どうして、言い切れるの?」
信じられないと言いたげな様子のフィリ。素晴らしいリアクションだ。この場において俺の後方師匠ムーブを最高に引き立ててくれる。
「どうして? 当然だ。ソーンは俺の弟子だからな」
ここで会心のドヤ顔である。やった、やったぞ! 俺のやりたかった後方師匠ムーブが出来たぞぉ! 内心大喜びだが、それはそれとして腹が痛すぎて意識が飛びそうである。出来ればソーンがマネキン野郎を倒してくれるところまでは見届けたいんですが。
ソーンの方はと言うと、何故か警戒した様子のマネキン野郎を前にして剣を両手に持ち、正眼の構えだ。うーん、見事な主人公ムーブ。聞こえてないと思うけどそれっぽいアドバイス的なこと呟いとこ。本人には聞こえて無くともこういうのは様式美なのだ。
「悪いな、不意打ち野郎。一撃で決めてやるよ」
ソーンがそう挑発すれば、マネキン野郎が首を傾げた後、のっぺらぼうだった顔に金髪エルフの兄ちゃんの顔が浮かび上がる。すっごく怒ってそうな顔だぁ。
「なんだ、見下してる人間に生意気言われて怒ったか?」
なおも挑発するソーン君。うむ、この程度の煽りはソーンのような裏路地から這い上がった系主人公であれば当然だ。いやー、やっぱり主人公っぽいと見抜いた過去の俺の目は間違ってなかったな! マネキン野郎が金髪エルフの顔を得ただけの変身しかしない程度の魔物だとしたら、今の主人公力溢れるソーンに勝てるわけが無い。やっぱりソーンがNo.1!
血が流れ過ぎてそろそろ意識保つのもしんどいので早よ始めてくれませんかね、なんて願いが届いたのか、ソーンが一歩踏み出すと同時、マネキン野郎も勢いよくソーンに向かって飛び掛かる。
「……だがな、俺の方がもっと怒ってんだよ!」
その言葉と共にソーンが振り下ろした剣は、見事な銀色の軌跡を描いてマネキン野郎の肩口から腰までを斜めに斬り裂く。先ほどまでは金属音と共に弾かれていた剣だったが、今は豆腐を切るようにあっさりと斬り裂かれているのを見るに、やっぱりノックスの剣ってあんな序盤で手に入れて良いレベルの武器じゃないよね。
さて、マネキン野郎がこのままぶっ倒れて終わりだろうと思っていると、最後の力を振り絞ったのかマネキン野郎が思わぬ俊敏さを見せて俺とフィリの方へと向かって来た。復活前といい往生際悪すぎるだろお前ぇ! とはいえ向こうはもう上半身が辛うじて下半身と繋がっている程度。俺の手元にある折れたソーンの剣でも何とかなると思えそうなくらいの瀕死状態だ。いや、瀕死具合で言うと俺も変わらんけど。
俺はフィリを庇うように立ち上がると、折れたソーンの剣を構える。狙うはソーンが付けてくれた傷。そこに向けて折れた刀身を叩きつけるように振り抜いた。かと思うと、折れた刀身が触れる前にマネキン野郎の身体が真っ二つになっていた。……これは既にソーンの攻撃が致命傷だっただけじゃな? でも傍から見たら俺が倒したように見えるし、俺が倒したことになったりしませんかね? 俺がやったことってただ折れた剣を素振りしただけだったけど!
「われ、らの……栄光を……」
マネキン野郎の顔に浮かび上がった金髪エルフの兄ちゃんの顔が驚愕に歪み、その口から途切れ途切れに何かを発しながら地面にドシャリと崩れ落ちた。同時に俺も今度こそ地面にぶっ倒れる。
「師匠!」
「しっかりして!」
ソーンとフィリが俺の傍に駆け寄ってくる。
「死ぬな、師匠! リミィのところに連れて行く。アイツの魔法ならその傷だって治療出来る!」
うん、だから出来れば早く運んでくれると助かる。
「ちょっと揺れるけど、我慢してくれよ!」
その言葉と共にソーンに担ぎ上げられ、左右をソーンとフィリに支えられて歩く。
「結局、最後の最後まで師匠に助けられちまった!」
ソーンがまたよく分からないことを言い出したが、今回の俺は不意打ち食らって大怪我した間抜けである。
というか多分聞こえてないと思うけど思う存分後方師匠面させてもらった上に尻拭いまでしてもらったのでソーンには頭が上がらない。いや、ホントすいませんね。
「なんで師匠が謝るんだよ!」
ソーンがそう言って笑うが、そろそろ俺も意識が飛びそうだ。むしろ腹に穴開けられてよく動いた方だと自分で自分を褒めてあげたいくらい。だが、意識を失ってしまう前にこれだけは言っておかねばなるまい。もう意識も朦朧としてきてて何言ってるか分からなくなってきてるが、この台詞だけはちゃんと言っておきたい。頼むから保ってくれよ俺の意識ィ!
「俺はお前を誇りに思う。よくやった、我が弟子よ」
言いたかった台詞第一位を言うことに成功。それと共に俺の意識は落ちていく。出来れば次に生まれ変わるときはもうちょっと穏便に後方師匠面出来る世界にしてくれませんかね!?
目が覚めたら弟子全員に囲まれていた。何故か皆凄い顔して俺を見てる。死ななかったけど死ぬより酷い目にかもしれない。
師匠の腹から突き出した腕。師匠の背後に立つのっぺらぼうの木像が、表情も無いくせにニヤリと笑ったような気がした。
「師匠ぉぉ!」
俺の周りに残っていた小鬼を怒りに任せて斬り飛ばす。その勢いのまま師匠の下へと走れば、自身の腹を貫いた腕を握り締め、動かないように固定した師匠が俺を見つめていた。逸るな、まだ師匠は生きてる。まずやるべきことは何だ!
動けない師匠と魔樹の化身に駆け寄り、渾身の力を籠めて剣を振り下ろす。狙うは師匠の腹を貫いている化身の腕。俺の剣は、木を斬りつけたとは思えない金属音と共に化身の腕を斬り落とすことに何とか成功した。
「ダメ!」
師匠が倒れそうになったところを、先ほどまで師匠と戦っていたフィリと呼ばれた長耳女が受け止める。俺も師匠のところに行きたいが、後ろに跳び退った化身を放っておくことは出来ない。腕を斬られたというのに、大した動揺も無く再び師匠に攻撃を加えようとするのを迎え撃つ。
「お前だけは許してたまるか。殺してやる!」
斬り落とされていない左腕が俺を殴ろうとして来たのを剣で弾き飛ばし、その表情が無い顔に向けて呪詛を吐く。コイツだけは殺す。
疲労も蓄積して剣を握っている感覚すらも曖昧になってきた両手だが、不思議と剣を手放してしまう気はしなかった。この胸の内に燃える激しい怒りがあるうちは、剣を取り落としてしまうことは無い。
どれだけ滅茶苦茶な姿勢からでも防御に回ることを捨て、攻撃を加え続ける。敵はたった一本しかない腕と両足を使って俺の剣を弾く。
「硬い……!」
最初の一撃で腕を落とせたのが不思議なくらいに、こっちの攻撃が通じていると思えない硬さだ。俺の剣と奴の表皮がぶつかる度に火花が散り、金属音が響く。ライネルなら魔力を籠めて斬ることが出来たのかもしれない。だが、俺にそれは出来ない。俺には魔力を扱う才能が無い。リミィやライネルが言うには、俺の剣は魔力を纏うらしい。それを俺は認識出来ない。ただ師匠の言う通りに剣を振れば、鋭さが増して魔物を斬ることが出来ることを知っているだけ。それでも尚斬れない相手が出てきたとして、俺が切れ味を増す為に能動的に出来ることは無い。
「それでも、諦めてたまるかぁ!」
俺がここで死んだとしても、コイツを倒して師匠を生きて帰らせる。リミィの魔法なら、あの傷でも何とか助かるはずだ。これまでもリミィの魔法で助かったことが何度もあった。
「いい加減、沈めぇ!」
そう叫びながら振り下ろした剣が、敵の左腕に防がれる。それと共に、妙に手の中の剣が軽くなった。
「なっ!?」
半ばから折れ、長さが半分になってしまった自分の剣を見つめる。コイツを斬るどころか、先に剣の方がダメになっちまった。目の前で敵が俺に向かって拳を放とうとするのが、妙にゆっくりと見える。この剣じゃまともに防御することも出来ない。
「俺を殺したとでも思ったか?」
底冷えするようなその声と共に、魔樹の化身の背後に黒い影が現れる。それが師匠だと認識するのが僅かに遅れるほど、鬼気迫った気配を纏う師匠。
「師匠!?」
敵も気付いたのか、師匠の剣が振り抜かれるのを避けて後退した。俺の剣を躊躇なく受ける敵が、師匠の剣は回避することを選択した。
剣を振り抜いた師匠は、しかしその反動に振り回されているようにフラフラとよろめく。その足下にボタボタと血が垂れるのが見えた。
「そんな傷で動くなんて無茶だ!」
慌てて師匠の身体を支えれば、すぐ隣で師匠が荒く息を吐くのが聞こえる。極北山脈で、かつては全身に傷を負いながらもシャーレイの突進を受けて微動だにしなかった師匠が、今はその表情を歪めるほどに痛みを感じていた。
「すまん。だが、剣が折れたようだからな」
俺に支えられた師匠が、そう言いながら自身の手に持った剣を俺へと差し出した。
「この剣……」
ノックスが師匠に贈った剣。これほど師匠と長く、激しい戦いを共にしても僅かな刃毀れや曇りすら無いその刀身に、俺の呆けた間抜けな顔が映った。
「剣を信じろ、ソーン」
その声は、荒い息の隙間から出たものだったが不思議と俺の耳に入ってきた。
「安心しろ、よく切れる剣だ。奴を斬ることが出来るくらいにな」
その言葉を聞けば、血が昇って茹だっていた頭が冷えていく気がした。
剣を信じろ、良く切れる剣だ。
師匠の剣を手に取ってみれば、見た目に反して軽い。この剣を信じろという意味じゃ無い。俺が今まで積み上げてきたものを、師匠が体現してきたその術を信じる。
「折れた剣は、俺が預かる」
師匠がそう言って俺の手から刀身が半分になってしまった剣を取る。その言葉と共に、俺の中にあった諦めにも似た感情が奪い去られたような気がした。
いつか、長耳の爺さんが言った言葉が俺の脳裏に蘇る。道標の灯り、人の諦めぬ意志の輝きを体現する者が勇者だと。
「……いつも簡単に言うよな、師匠は」
人の諦めない意志を体現した勇者、確かにその通りだ。だけど、師匠はそれだけじゃない。
「簡単だ、ソーン。お前なら」
その輝きを、俺達の心にも灯してくれる。
「その言葉を嘘にはしねえよ。俺はあんたの弟子だからな」
だから俺はいつだって、アンタの期待に応えたいんだ。俺がアンタの最初の弟子で、一番弟子だって言い張るんだ。伝説の勇者の血を引くライネルにだって負けない。
「なら、後は任せた」
師匠はそう言って後ろに下がる。その途中で倒れそうになったところを、フィリが支えていた。
それを見届けると、俺は目の前で構えている魔樹の化身へと視線を移す。律儀に師匠が下がるのを待っていたのは、あれだけボロボロになってもなおコイツが師匠を警戒しているからだ。かつて同じように重傷を負わせながらも、師匠に倒されたからだ。
「無茶しないで!」
背後で師匠に向かって言っているのだろうフィリの声が響く。ああ、師匠には無茶をさせちまった。俺が不甲斐ないばっかりに。
「ソーンが負ける訳が無い」
だが、もう負ける気がしない。
師匠が小さく呟いた声を背に、俺は柄を両手で握り締める。元は何色だったんだろうか、師匠の度重なる鍛錬の跡が、柄に血となって染み込んでいる。それだけの研鑽を積み上げてきた剣は、軽いけれど重い。この剣を持った以上、俺はもう負けない。
「どうして、言い切れるの?」
どうして? 当然だ。俺は師匠の弟子だからな。
「どうして? 当然だ。ソーンは俺の弟子だからな」
俺の後ろにいる師匠の言葉と、俺の内心が一致した。思わず口元に笑みが浮かんだ。他の弟子達の前では常にそう振る舞うように、自信に満ちた笑みが。
「悪いな、不意打ち野郎。一撃で決めてやるよ」
どの道、気力だけで立っているようなものだ。次の一撃で決まらなければコイツに殺されるより先に身体が限界を迎えてぶっ倒れる。
さっきまでまともに痛痒を与えられなかった人間が急に自信満々になったのが気に入らなかったのか、つるりとした顔の部分に、長耳の男の顔が浮かび上がってきた。それも視線だけで俺を殺してしまわんばかりの怒りに満ちたものだ。
「なんだ、見下してる人間に生意気言われて怒ったか?」
俺は両手で握った剣を正面に構えながら挑発を重ねる。コイツがどうしてここまで怒ってるのかなんて分かりゃしない。だが、一つだけ言えることがある。
「……だがな、俺の方がもっと怒ってんだよ!」
そう言って一歩踏み出すと同時、魔樹の化身も俺に向かって飛び掛かってきた。相変わらず目にも留まらない速さ。だが、今この瞬間の俺なら、それを斬ることが出来ると確信していた。
剣を振り上げ、振り下ろす。
何千何万回と繰り返したその動きは、目を瞑っていても寸分違わぬ軌道を描く。
化身と俺の剣が交差した瞬間、俺の手には予想していた衝撃は無く、いっそ呆気ないと感じるほどにその刃は化身の身体を斬り裂いていた。肩口から腰に掛けて斜めに裂かれ、辛うじて腰部分で上半身と下半身が繋がっている。奴の顔に浮かんだ表情が驚愕のそれに変わっていた。
「まだ、だ……!」
これで終わりだろうと思った瞬間、微かに奴の口から漏れた音を聞いたのは俺だけだった。俺へと向かって来た勢いそのまま地面に倒れるかと思われた化身は、どこにそんな力が残っていたと言わんばかりの俊敏さで俺を掻い潜ると背後にいる師匠の下へと駆ける。俺もそれを追い掛けるが、身体が疲労を自覚し始めたせいで足が鉛のように重たい。
「変わらんな。往生際が悪い」
それを見た師匠が再び立ち上がる。折れた剣を構えているが、それじゃ無茶だと俺の口から声にならない声が漏れかけた。
「ここにお前が触れられるものは何一つ無い」
その言葉と共に師匠が折れた剣を振り抜けば、あっさりと化身の身体が真っ二つにされていた。刀身が触れた様子も無い、ただ素振りしただけに見えるそれ。
「われ、らの……栄光を……」
「まるで薪割りだな」
師匠がそう言うと同時、化身はあっさりと地面に崩れ落ちた。最後に奴が吐いた言葉の意味を考えるよりも、俺の意識は地面に倒れた師匠へと向いていた。
「師匠!」
「しっかりして!」
もう師匠の服は血で染まっていない部分を見つける方が難しいくらいに真っ赤に染まっている。師匠の腕を自分の首に回して何とか持ち上げれば、反対側をフィリが支えてくれた。
「死ぬな、師匠! リミィのところに連れて行く。アイツの魔法ならその傷だって治療できる!」
「そう、か……」
「ちょっと揺れるけど、我慢してくれよ!」
先ほどまでとは打って変わって弱々しくなってしまった師匠の声に、俺の心臓が戦っていたときとは比べ物にならないくらい早鐘を打ち始める。ここまで弱った師匠を見たのは初めてだ。
「結局、最後の最後まで師匠に助けられちまった!」
「は……、戦ったのは、お前だろうに。……すまん」
「なんで師匠が謝るんだよ!」
喉に張り付きそうになりながら無理に笑ってみせる。話しかけ続けないとダメだ。今、師匠が意識を失ってしまえばもう二度と目覚めないんじゃないか。そんな恐怖が腹の底からせり上がって来る。
「お前、だけじゃない。皆、にも……謝ることが、ある……」
「何だって聞いてやる! だから寝るなよ、師匠!」
うわ言のように呟く師匠の瞼が徐々に下がり始める。それと共に師匠の足取りも乱れ、俺とフィリの二人で半ば引き摺るような形になっていく。肩に感じる重みが徐々に増していくのが、師匠が生きた人からモノに変わり始めていることを示しているようで。
「俺は……、大嘘、吐き……だ」
「どんな嘘だって許すから! 頼むから死なないでくれ! もう少しなんだ、もう少しでリミィのところに着くんだ!」
そう言う俺の意思に反し、俺の歩みも鈍い。もう身体が動くことを拒否しているようだった。だが、意地だけで足を前へと出し続ける。
「だが、これだけは……、これ、だけは……」
吐く息に紛れて消えてしまいそうな声を、必死で拾い上げる。まだ生きている、まだ間に合うと自分に言い聞かせながら師匠の身体を引き摺り続けた。視界が滲む。底知れない恐怖のせいだ。
「俺は、お前を誇りに思う。よく、やった……、我が、弟子よ……」
「止めろよ……! そんな遺言みたいな言葉、絶対に許さねえからな! 何が何でも、アンタには生き残ってもらう!」
もう自分の足先しか見えない。涙で歪んだ視界の端に、力無く垂れ下がる師匠の手がフラフラと揺れていた。
俺達を追いかけて来ていたライネル達と合流したときには、既に師匠の意識は無かった。
悩み過ぎて危うく月一更新すら出来なくなりそうでした。
大体書きたいシーンを書けたので次回エピローグです。