後方師匠面したい系転生者   作:TATAL

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まさか故郷を上回る田舎があるとは

 久しぶりにジジイの顔でも見ておくかと思い立った里帰りで、何故か俺の黒歴史がアルシェとノルンに聞かれた上にフィリにしっかり記録されてしまったわけですが、俺は元気です。

 ジジイにもお土産を渡せたし、俺のことを変な生き物を見るような目で見てくる家族との再会も果たせたことだし、俺は朝から出発の準備をしていた。

 

「なんだ、もう帰るのか」

 

 そんな俺の背中にジジイの声が掛かる。やだ、結構早起きしたのにジジイも早起きなのね。

 

「朝っぱらからゴソゴソと物音立ててりゃ目も覚める」

 

 そう言いながらジジイが俺の横に腰を下ろす。

 

「次はどこに行く」

 

 どこと言われましても、特に決めていないというのが正直なところ。俺の意思とは関係ないところで弟子達が俺を引きずり回す予定が立てているため、弟子達を怒らせないようにそれについて行くことになるんじゃないでしょうか。

 

「弟子の旅に、ね」

 

 俺の言葉にジジイはそう呟いたかと思うと何かを考え込むようにじっと俯く。

 

「目的も無えなら、腰を落ち着けても良い頃だろう」

 

 そして急にそんなことを言い出したものだから思わずジジイの顔を覗き込んでしまった。どうしたんだジジイ、俺は介護する気は無いぞ。とは流石に言うのは憚られたので独身が寂しくなったのかと言っておく。ん、どっちにしろ失礼だな? 

 

「かもな。お前の顔を見ちまったからかもしれん」

 

 そう言うとジジイは俺の頭を軽く叩く。やだ、このジジイ、ツンデレだわ。誰得だよジジイのツンデレだなんて。確かに弟子達の武勇伝を聞いて一人で酒でも飲むような田舎暮らしが当初の目的だったが、今そんなことをしようとすると漏れなく怒れる弟子達が俺を物理的に山分けにしようとするのでしばらくは旅を続けることになると思いますねハイ。

 

「魔王だのなんだの、俺に転がされてヒイヒイ言ってたガキがそんなことになってるなんざ思いもしねえや」

 

 まあ魔王を倒したのはライネルであって俺は木の魔物のちょっと進化版みたいな奴にボロカスにされてたんですけどね、それも二回も! 

 

「だからまぁその、なんだ……こんなジジイより先に死んでくれるな」

 

 ジジイに言われるまでもなくそんなつもりは更々ありませんが? どうしたんだろうか、やっぱり村から離れて一人で山小屋暮らしなんてしてるから人恋しくなったのかジジイ。その歳じゃ厳しいかもしれんが今から婚活でもするか? というか寂しいならジジイも村を出たら良いと思うんです。クローネとライラというジジババフレンズがいるでしょ。王都に来たらライラ婆さんが待ってるよ。「あのクソボケによろしく言っとけ」って伝言も貰ってるし、向こうもジジイのことを認知してる模様。いっそのこと便利な都会に引っ越したら良いと思うの。

 

「また懐かしい名前を……。今更このジジイに旅に出ろってか」

 

 俺の言葉にジジイが苦笑する。行商人の兄ちゃんに乗せて貰ったら大丈夫でしょ。まだガキだった俺でも出来たんだからジジイでも出来るって。

 

「簡単に言ってくれる……王都にいりゃ、お前はそこに帰ってくるのか?」

 

 個人的にはあまり帰りたくないところですが恐らく連行されると思うんです。俺を雑談相手兼苛立ったときのサンドバッグとして引き摺り回そうとしてる弟子達が逃がしてくれなさそうなので。

 

「そうか……なら、待つのも良いかもな」

 

 それっきり、ジジイは黙ってしまう。その後、淡々と出立の準備を済ませた俺とアルシェとノルン、そしてフィリはどこかぼんやりと何かを考え込んでいるジジイに見送られながら、故郷の村を後にすることになったのだった。なお次の目的地は特に決めていないが、「もう少しこの時間を堪能する」という双子の謎の発言により、とりあえず王都とは反対方向の今まで行ったことの無い方角を目指すことになった。

 

「師匠、お爺ちゃんも王都に来る?」

 

 行商人の荷馬車によって出来たであろう山道を歩いている最中、隣を歩くアルシェがそう言って俺を見上げる。表情は乏しいものの、ワクワクといった擬音が聞こえてきそうなくらいに目を輝かせてらっしゃいますね? やだ、この子達まだ俺の黒歴史を掘り起こす気だわ。でも否定はしない、だって怖いもの。多分来るんじゃないですかね。

 

「良かったわ、まだまだ聞きたい話がたくさんあるもの」

 

 それを聞いたフィリも嬉しそうに顔を綻ばせていらっしゃる。どうして君達は俺の恥ずかしい過去を聞きたがるんですか。その後もジジイから聞き出したのであろう俺の過去の話が書かれたフィリの本を覗き込んで何やら騒がしい三人娘の会話を意識的にシャットアウトしながら山道を歩く。なんで君達特に整備もされてないこんな獣道で文字読みながら歩けるのよ。

 そうして三人娘の健脚に慄きながら歩き続けることしばらく、にわかに雲行きが怪しくなっていることに気付く。おや、などと思う間もなくシトシトと雨が降り始めた。山の天気は変わりやすいのは当然なのでもちろん雨具代わりの外套はあるものの、問題になるのは今日の寝床である。雨が降って無ければ野宿上等だったのだけど、こうして雨が降ってきてしまうと泥だらけになった地面に寝る訳にはいかない。風邪ひきたくないし。

 

「雨が凌げるような場所はあるかしら……?」

 

 フィリが尖った耳の先から水をポタポタと滴らせながら困ったような表情で俺を見上げる。美少女エルフは水に濡れても絵になるなぁ、眼福眼福。などと思っていると、雨足も徐々に強くなってくる。マズい、本格的に屋根がある場所を探さねば。そう考えて周囲を見渡せば、道の傍に生えた木に巻き付けられた縄が目に入る。

 

「師匠、この縄。近くに村がある?」

 

 アルシェの言葉の通り、木に括り付けられた縄はその先に村があることを示す目印なんだそうだ。つまりこの目印を追って行けばその先に村があるということ。地獄に仏とはこのことかと先を急げば、雨が降りしきる視界の先にぼんやりと橙色の明かりが見える。

 

「村があったわ!」

 

 俺の心を代弁してくれるような喜色に満ちたフィリの声。俺達は四人揃って村に入って一番近いところにあった家に向かい、扉を叩く。

 もちろん急に現れた怪しい旅人四人組など信用される訳が無い。なのでせめて軒先だけでも貸してもらえないかと交渉するのだ。異世界の人間に転生者の本場の土下座を見せてやろう。

 

「ど、どなたですか……?」

 

 扉を少しだけ開けて顔を覗かせたのは、おどおどとした表情の茶髪そばかす少年。どうも村人さん、怪しいことこの上ないことは理解してますが怪しいものではございません。ただの旅人四人組でございます。一晩泊めてくーださい! 

 

「た、旅の人ですか」

 

 俺の無茶ぶりを聞いた少年は、何故か家の中に視線をやるとただでさえ小さかった声を更に潜めて呟く。雨の音に掻き消されて聞き取り辛いくらい。

 

「その、雨が降っているのは分かりますが、早く村から出て行ってください」

 

 宿泊拒否どころか入村拒否されたんですが。俺が怪し過ぎるせいですか? でもせめて後ろの三人娘だけでも屋根の下に入れさせてあげてくれませんかね。女の子を雨の外に放り出すなんて良心が痛まないんですか、あなた! 

 

「で、でも……」

 

「さっきから何をボソボソ話しとる! お客は……見かけない顔だね。もしかして旅人さんかい?」

 

 尚も渋る少年の後ろからそんな言葉と共に現れたのは、恰幅の良いおじさま。

 

「旅人なんて珍しいお客だ! 雨に降られて寒かったろう。どうぞどうぞ、中に入って暖まってくれ!」

 

 そして俺達を見るなり顔をパッと輝かせて扉を開け放ってくれた。やだ、なんて良いおじさんなんだ。俺達のことを嫌っているであろう少年には申し訳ないが、泊めてくれると言うのなら全力でその言葉に甘えさせてもらおうと家に上がらせてもらう。少年はまだ何か言いたそうにしていたが、結局何も言わずに扉を閉めた。

 

「いやー、こんな山奥の村に行商人以外の旅人が来るなんてなぁ! さあさあ、遠慮せずに座って座って」

 

 家主のおじさんはと言うと、パチパチと音を立てる竈の傍に椅子を並べてくれる。人の気遣いがあったけえ……。

 

「男一人に……、後ろの頭巾被ったお二人もお嬢さんかい?」

 

 椅子に腰を下ろすとおじさんが早速とばかりに俺達にあれこれと質問をしてくる。俺の故郷もそうだったが、行商人以外の旅人なんて山奥の寒村なんかにはまず来ないのだからこのおじさんの気持ちもよく分かる。それにしても警戒心が無さ過ぎて心配になるけどな! せめてものお礼としておじさんに付き合おう。だっておじさんお酒まで出してくれるし、これで黙って寝床だけ貸してもらうなんて申し訳なさすぎない? 

 

「ほう、はるばる王都の方から旅を……。俺には想像もつかねえや」

 

 心優しいおじさんに俺達が山を越えたところにある王都からやってきたのだと説明すれば、おじさんは目を丸くしてうんうんと頷いている。そして王都は一体どんな場所だと質問を重ねてきた。このおじさん、よほどの話好きらしい。しかもお酒が入っているとなると、おじさんの相手は俺がやるしかあるまい。アルシェとノルン、それにフィリに酔っ払いのおじさんの相手は流石に可哀想だと思うんです。だって雨に降られてるし今日もずっと歩きっぱなしだったからね。そろそろ寝かせてあげた方が良いと思うの。おじさんの接待は俺に任せて寝てても良いよ? 代わりにおじさんに付き合って次の日は二日酔いでグロッキーになってるから介抱を頼みますね! 

 

「ああ、申し訳ない。狭い部屋だが、隣にもう一つ部屋があるからそこで寝ると良い。カウロ、案内しろ」

 

 おじさんの言葉に、最初に俺達を出迎えてくれた少年がアルシェ達に声を掛ける。なお顔色は依然として悪い模様。怪しい人間なのは自覚してるけど、あの三人くらいの美少女を見たら多少は鼻の下伸ばしても良いのよ? いや、俺という怪しいおっさんと父親であろうこのおじさんを二人っきりにする方が不安なのかもしれない。

 三人がカウロ少年について歩いて行ったのを見送りながら、部屋の中を見渡す。そういえば奥さんいないんですねーなんて呟いていた。

 

「妻は昨年病で亡くしてしまって……。今は息子のカウロと二人だけでな」

 

 その言葉と共におじさんが少し寂しそうな表情に変わる。俺のバカ! どうしてデリカシー無いこと聞いてるんだ! やってしまったと思いながら、気まずい沈黙を誤魔化すようにおじさんから頂いたお酒をまた口に含む。

 

「いや、申し訳ない。客人にする話じゃなかった。おかわりはいるかい?」

 

 俺の手の中にあるカップが空になっているのを見たのか、おじさんはそう言って俺に手を差し出している。その言葉に全力で甘えてお酒を頂きながら、何か別の話題は無いかと目と頭を働かせる。そこで目に入ったのは部屋の隅に立て掛けられた剣だった。おや、このおじさんも田舎あるあるの冒険者に憧れたクチか? 親近感が湧いてきたじゃないか。なお俺も含めて弟子達の武器はもちろん簡単に抜けないように紐で縛っている。せっかく快く泊めてくれる第一村人なんだもの、怖がらせてはいけないのだ。

 

「ん? あぁ、そう、そうだな。俺も若い頃は切った張ったに憧れたもんよ」

 

 おじさんは俺の問いにどこか歯切れが悪そうに答えると、それよりも呑め吞めとばかりに俺のカップに酒が注がれる。アルハラおじさんめ、もっと注いでくれても良いのよ? などと思いながら飲んでいると、気が付くとすっかり酔いが回ってしまったのか視界がぐるぐるとしている。

 

「この村はたまーに来る商人以外は人の出入りも無くてな」

 

 半分寝ている俺をよそにおじさんは静かに語り続けている。や、やめろ、こんな状態で眠くなるような話をするんじゃない! なんて言おうとしたが、どこかふわふわとして呂律が回らない。俺も雨に打たれて疲れていたのか、思った以上に酔いが回ってしまっている。

 

「お客人……?」

 

 おじさんが傾げた首につられるようにして俺の視界も傾いていく。やだ、眠いわ……。

 

「眠っちまったかい?」

 

 その言葉を最後に俺はスヤスヤと寝息を立てていた。

 

 そして次に目が覚めると辺り一面真っ暗な上に暖かい寝床どころか冷たい岩に囲まれていたでござる。あれ、狐に化かされたりしました? 

 

 


 

 

 隣でゴソゴソと何かが動く気配がしたような気がして目が覚めた。

 何故か部屋の隅で寝ようとする師匠の隣を占領する権利を賭けたフィリとノルンとの戦いを制した私は、まだ日も昇りきらないうちに師匠が起きたのを察した。

 私達がまだ師匠に修行をつけてもらっていたときから、師匠は私達よりもずっと早く起きては鍛錬を欠かさなかった。そして私達が起きてくると、疲れた様子を欠片も見せずに朝ごはんを用意してくれる。

 耳を澄ませば、まだフィリとノルンは規則正しい寝息を立てている。その寝息に混じって、微かにまた何かが動く気配がした。薄っすら目を開ければ、師匠の師匠、お爺ちゃんが起きたのか、師匠を追って小屋を出て行くのが見えた。目で追っていたからお爺ちゃんが動いているのが分かったけれど、足音どころか最初に身体を起こした時の僅かな気配の他は物音一つ立てていなかった。それが師匠とそっくりで、やっぱり師匠はお爺ちゃんの弟子だったんだと理解する。お爺ちゃんは師匠に勝てないと言っていたけれど、そこらの冒険者に負けたりもしないだろう。

 

「二人で何か話してる……?」

 

 お爺ちゃんが小屋を出て行ってしまってから、まだ眠っている二人を起こさないよう私も静かに身体を起こす。そして小屋の扉へと足音を立てないようにそっと近づいた。私達がいないところで、あの二人はどんなことを話しているのだろうということが気になってしまったから。

 

「……はどこに行く」

 

 扉に耳を寄せると、お爺ちゃんの声が微かに聞こえてきた。

 

「俺は好きに旅をした。次は弟子の旅に付き合う番らしい」

 

「弟子の旅に、ね」

 

 そしてお爺ちゃんの問いに答える師匠の声も。

 

「目的も無えなら、腰を落ち着けても良い頃だろう」

 

 お爺ちゃんの言葉に、私は微かに身体が強張るのを感じた。師匠の旅は既に終わった。今はただの後日談でしかない。師匠の優しさに甘えて、私達が師匠を連れ回しているだけ。だからもし、師匠がどこかに腰を落ち着けることを決めたのなら、師匠と私達の旅はそこで終わる。そして師匠が旅を終えるとするなら、故郷の村はそれに相応しい場所になる。

 

「急にどうした。独り身が寂しくなったか?」

 

「かもな。お前の顔を見ちまったからかもしれん」

 

 そんなやり取りの後、少しの間二人の声が途絶えた。

 

「魔王だのなんだの、俺に転がされてヒイヒイ言ってたガキがそんなことになってるなんざ思いもしねえや」

 

「情けないことに腹に穴を開けることになったがな」

 

「ハァ……だからまぁその、なんだ……こんなジジイより先に死んでくれるな」

 

 師匠の言葉に呆れたようなため息を吐いたお爺ちゃんは、少し言葉に詰まりながらもそう言った。お爺ちゃんがそう言う理由は、多分師匠が私達に向けてくれるものとその源泉は同じ。自分の弟子に対する愛情。その表現の仕方が不器用なのは、師匠の師匠だとよく分かるものだった。

 それに対して師匠はどう答えるのだろう。旅をここで止めてしまうのだろうか。山小屋に住み、森で炭を焼いて獣を狩って暮らす日々。師匠のそんな姿も想像してみれば案外しっくりときた。瘴気を生み出す魔樹を打ち倒し二度も只人を救った師匠は、けれど栄誉や報酬を求めることも無かった。求めたのは、私達弟子の噂を聞いて暮らすという細やかなもの。

 

「先に死ぬつもりなんか更々無い。人恋しいならジジイも村を出たら良い。王都にはライラの婆さんもいる。あのクソボケによろしくなんて伝言付きでな。クローネだって会いに来るだろう」

 

「また懐かしい名前を……。今更このジジイに旅に出ろってか」

 

 そう思っていた私の予想を裏切るように、師匠はお爺ちゃんに村を出ることを勧めた。

 

「行商人の馬車に乗せて貰えば良い。まだガキだった俺にも出来た。ガキもジジイも変わらんだろう」

 

「簡単に言ってくれる……王都にいりゃ、お前はそこに帰ってくるのか?」

 

「帰るだろうさ、弟子と一緒に。一人より、話し相手がいる旅の方が良い。それがあいつらの望みだ」

 

 師匠のその言葉は、お爺ちゃんが師匠のことを想うのと同じように師匠が私達を想ってくれていることの証。師匠が私達に胸の内を明かしてくれることは少ない。けれど、時折言葉少なに口にするそれは、私達の心をいつもじんわりと温めてくれる。そして同時に、また別種の熱が心を焦がすのだ。

 

「そうか……なら、待つのも良いかもな」

 

「待ってると良い。退屈は、しないだろう」

 

 お爺ちゃんは師匠の言葉にそう返すと、それっきり二人の会話は途絶えた。私はお爺ちゃんが帰ってくるのに備えて扉から離れると、先ほどの二人の会話を思い返す。

 いつもより少しだけ子どもっぽい師匠と、静かだけど楽しそうなお爺ちゃん。ちょっとズルいかもしれないけれど、これはノルンにも秘密な私の宝物になるだろう。

 

「師匠、お爺ちゃんも王都に来る?」

 

 それから、師匠の故郷を発った私達は、王都とは反対の方角に歩を進めることにした。もう少しだけ師匠を独占したいという思いもあったし、どうせならまだ見たことの無い場所を見てみたい私達のワガママだ。けれど、師匠は嫌な顔一つせずこうして私の隣で歩いている。

 

「まだ話し足りなかったか? まあ、来るだろう。案外寂しがりやだ」

 

 そう言う師匠の顔は照れ隠しなのか少し苦笑いしている。でも内心は私と同じで嬉しいんだと思う。ソーン兄達も喜ぶだろう。

 その後しばらくは穏やかな道のりだった。私とノルンで周囲に気を配っていたけれど、魔物どころかこちらを窺う獣の気配も感じられない。フィリが書き留めたお爺ちゃんの話に、ノルンも加わってああでもないこうでもないと師匠の描写に注文を付けながら歩く。

 

「お爺ちゃんの話をそのまま記録することが大事なの!」

 

「それも大事。だけど師匠の幼い頃をもっと詳しく書いておくべき」

「これは貴重な記録」

 

「分かったから、二人ともそろそろ本を返してくれないかしら……?」

 

 フィリから奪い取った本に私とノルンが覚えている限りの話を綴ると、私は満足して本をフィリへと手渡す。その時、本の表紙に一粒の水滴が落ちた。その水滴は見る見るうちに数を増やし、私達の身体にも落ち始める。

 

「雨が凌げるような場所はあるかしら……?」

 

 すぐに勢いを増した雨を避けるように木の陰へと向かったけれど、それだけではとてもじゃないが凌げそうにない。外套があるとはいえ、こうも雨が強いと体温が奪われてしまう。どうにか屋根のある場所を探さなければと思って周囲を見回せば、ちょうど私達が逃げ込んだ木の幹に縄が巻かれているのが目に入った。

 

「師匠、この縄。近くに村がある?」

 

「不幸中の幸いか。目印に従って進もう」

 

 師匠の言葉に従って目印を辿れば、少し歩いた先に人の営みを示す暖かな光。

 

「村があったわ!」

 

 フィリの喜んだ声もそこそこに、師匠は腰に佩いた剣の柄と鞘を紐できつく縛り始める。私とノルンもそれに従う。初めて訪れる村、そんなところに武器を持って向かえば雨風を凌ぐどころか大騒ぎになりかねない。そうして外套の下に封印した武器を隠してから、師匠が扉を叩く。

 

「ど、どなたですか……?」

 

 その音に扉を開いたのは、茶髪の少年だった。

 

「旅の者だ。雨に降られて難儀している。部屋の隅だけでも貸してもらえると助かる」

 

「た、旅の人ですか」

 

 師匠の言葉を聞いた少年は、表情に不安を湛えて視線を私達と家の中を行き来させる。突然現れた旅人への警戒? それにしては、彼の注意は家の中へと向けられているような気がする。

 

「その、雨が降っているのは分かりますが、早く村から出て行ってください」

 

 そして彼が口にした言葉は拒絶。しかし、その顔には私達に対する恐怖や警戒以上に、どこか切羽詰まったものを感じさせる。隣に立っていたノルンの指先が私の手に触れた。その合図に私も微かに頷いて返す。何かが変だ。

 

「……この雨の中だ。体調を崩すかもしれん。せめてこの子らだけでも頼む」

 

 師匠は少し考え込むように黙ったかと思うと、私達の方を手で示しながらそう言った。師匠も少年のおかしな様子には気が付いているはず。なのにそんな様子をおくびにも出さない。まるで少年を何も疑っていないかのように。

 

「さっきから何をボソボソ話しとる! お客は……見かけない顔だね。もしかして旅人さんかい?」

 

 そのとき、少年の後ろから現れたのはこんな山奥の村に住んでいるにしては随分と肉付きの良い男。彼は師匠とその後ろに控える私達を見ると顔をぱぁっと輝かせて両手を広げた。

 

「旅人なんて珍しいお客だ! 雨に降られて寒かったろう。どうぞどうぞ、中に入って暖まってくれ!」

 

 そう言いながら私達を迎え入れた男は、火の近くに椅子を並べて私達に座るように促した。

 

「いやー、こんな山奥の村に行商人以外の旅人が来るなんてなぁ! さあさあ、遠慮せずに座って座って」

 

 その言葉と共に、私達にカップを差し出してくる。中からは湯気の立つ酒の香り。いやに丁寧で、大袈裟に持て成されていると感じる。

 

「男一人に……、後ろの頭巾被ったお二人もお嬢さんかい?」

 

 ノルンとフィリは頭巾を被って顔を半ば隠したまま。その中を覗き込むような仕草を見せながら、男はにっこりと笑みを浮かべた。雨の夜に現れた、顔を隠した人間を引き連れた旅人の一行。そんな人間達を、ここまで無警戒に歓待するような村人がいるだろうか。これまでの旅でも、ここまで持て成されたことは無い。

 

「王都から故郷に戻るついでに、ここまで足を伸ばした。途中で雨に降られたが」

 

「ほう、はるばる王都の方から旅を……。俺には想像もつかねえや」

 

 私達がどう答えるべきか考えている間に、師匠がそう言って話の矛先を自身へと向ける。

 

「山を越えたところからだ。商人の馬車に乗せて貰ってな」

 

「はー、俺も倅もこの小さな村しか知らん。ぜひとも話を聞かせてもらいたいもんだ」

 

 そして飲め飲めと師匠と私達に促してくる。温められた酒は、濡れて冷え切った身体にその温もりを与えてくれることだろうが、どうにもそれを飲む気にはならなかった。私はカップに口だけを付けて飲むフリをする。ふと隣に座る師匠を見ると、師匠はカップを一息で呷って空にしていた。

 

「俺はまだまだ付き合えるが、この娘達は先に休ませてやってくれ」

 

「ああ、申し訳ない。狭い部屋だが、隣にもう一つ部屋があるからそこで寝ると良い。カウロ、案内しろ」

 

 驚きで目を丸くしそうになった私を尻目に、師匠はそう言って私達に席を立つように促した。カウロ、と呼ばれた先ほどの少年がやはりおどおどとした様子で私達のところにやって来ると、部屋に案内すると言って歩き始める。

 私は席を立ったものの、あまりにも無警戒な師匠に何を言うべきか悩んで立ち止まってしまった。まさかとは思うけど、師匠は本当に何も気付いていないのかもしれない。だとすると師匠を一人だけ残して行くのは危険だ。

 

「アルシェ、ノルン。後は頼む」

 

 けれど、続く一言で師匠の狙いに気付いた。頭巾に隠れて表情が見えないけれど、ノルンも気付いたはず。

 

「……分かった。じゃあ先に休ませてもらう」

 

 私はそう言って、カウロと呼ばれた少年の後ろについて師匠を残して部屋へと入る。

 

「……すみません」

 

 辛うじて聞こえるかどうかという声量で呟かれた謝罪を残して、部屋の扉が閉められる。部屋の中には私とノルン、そしてフィリの三人だけだ。それを確認してノルンとフィリが頭巾を脱ぐと、二人の白い髪が露わになる。部屋の中には私達だけだとしても、聞き耳を立てられていないとも限らない。私は口に人差し指を当てて声を潜めるように指示を出した。

 

「ノルン、フィリ。二人ともあれは飲んでない?」

 

「当然」

 

「飲もうと思ったらノルンに止められたのだけど……」

 

 旅に慣れていないフィリはともかく、やはりノルンは気付いてくれていた。

 

「冷めてきたから分かる。妙な匂いがする。蜂蜜でもない、甘ったるい変な匂い」

 

 まだ酒の入ったカップを持って来ていたノルンが、カップに鼻を近づけたかと思うと顔を顰めて床に置く。

 

「最初から妙だったけど、確定だと思う」

 

「剣を見せていたのは師匠だけ。私達は外套で上手く隠せた。多分師匠は囮になるつもり」

 

「アルシェ、ノルン? さっきから何を言ってるの?」

 

 私達の会話について来られていないフィリが、交互に私達を見て首を傾げている。フィリのこの様子だと、師匠がもし少しでも警戒している様子を見せていたら彼女が動揺してそれを気取られていたかもしれない。だからこそ、師匠はああして私達に任せることにしたのだろう。

 

「フィリ、ここはもうただの山奥の村じゃない。私達を狙った狡猾な罠」

 

「あの目印からして、罠だったかもしれない」

 

「罠……?」

 

「そう、この村は、少なくとも私達を迎え入れたあの男は、私達を殺そうとしてる」

 

 

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