「師匠、ここは私達が!」
絶体絶命のタイミングで訪れた援軍たるアルシェとノルンが、蛇の魔物と俺の間に割り込んで剣を構える。それを見た俺はもう一安心である。小脇に抱えた迷子の少年を地面に下ろし、心配そうな表情で駆け寄ってくるフィリを安心させるように手を振ってやる。
「大丈夫、怪我は無い!?」
そう言って俺の身体に手を当てて怪我が無いか確認してくれる。フィリさんは本当にお優しいお方……。俺が怪我してる時って大概追撃を食らってるんですよね。主にシャーレイとかいうワンコ娘のせいなんですけど。的確に俺が怪我している部位に攻撃を与えてくるものだから俺の鉄の表情筋が何度崩れそうになったことか。
とはいえ、今回に関しては本当に無傷なので心配するなと言ってまだ不安そうに蛇の魔物を見上げている少年のお世話を任せる。この子? 俺が迷子になってた洞窟の中で一緒に迷子になってた子だよ。
「お前……」
その子の顔を見たカウロ君が死人でも見たような物凄い表情をしてらっしゃる。どしたん、話聞こうか?
「ごめん、お兄ちゃん……」
そしてカウロ君を見た少年が俺の背中に身体を隠しながらそう呟いた。君、弟だったの? うーむ、よく見れば顔立ちが似ているような似ていないような……。ふむ、ということは俺は離れ離れになった兄弟を無事引き合わせた立役者ということでよろしいか? 山で遭難して魔物が住んでる巣穴に迷い込んだ子どもを保護したんだから、酒癖が悪かったって少しは許されるってもんである。俺の後ろでは双子が頑張って蛇の魔物と戦ってくれている。もう少ししたらあの魔物もアルシェ達に倒されて万事解決だろう。
「お前、お前が! 大人しく山神様に喰われないから!」
なんて暢気なことを考えていると、カウロ君が突然のお怒りである。凄い剣幕で俺の身体にしがみつく少年に食って掛かっている。というか山神様とはなんぞや。
「どうやら村の人達はあの魔物を神様と称して生贄を捧げていたみたい」
話について行けていない俺をフィリがフォローしてくれる。ほう、あの蛇の魔物を神様と……。いや、あれどう見ても魔物ですよね? 額からトレードマークの立派な角も生えてますし。なるほど、俺は酒癖が悪かったから家から追い出されるついでに魔物の餌にされそうになったのか……。やだ、村の倫理観が殺伐とし過ぎてるわ。
「身体が弱かったお前が唯一村の皆の役に立てる役割だってのに!」
そしてカウロはますますヒートアップしていらっしゃる。とりあえず落ち着きなさい、弟にそんなこと言うもんじゃないですよ。
「うるさい! あの二人が言ってたぞ、お前は魔王とやらより強いんだろ!? あれがただの魔物だって言うんならさっさと倒してみろよ!」
俺が窘めると今度は俺の方に食って掛かってくる。待て、アルシェ達から何を吹き込まれたというんだ。魔王より強いのはライネルやソーンという主人公であって断じて俺では無い。どちらかというと木がモチーフの復活怪人な二番煎じ魔物に腹をぶち抜かれる重傷を負わされる程度には頼りない。しかし、それを言ったところでカウロ君は信じてくれなさそうである。双子達め、剣も持っていない丸腰な俺が逃げられないようにこうやって根回しをしてくるとは恐れ入った。一体誰にそんな策略を教わったんだ。
とはいえ、実際に武器も無い俺がここで出来ることは無い。精々が双子の代わりに蛇の魔物に追いかけ回されるくらいだが、ちょっと勘弁願いたいところである。あー、剣さえ手元にあったらなー! 双子の援護くらいは出来ると思うんだけどなー!
「武器を取り上げられてるのね、なら私が取ってくるわ!」
俺が言い訳交じりに武器も持ってないと口を滑らせてしまったばかりに、その言葉を聞いたフィリがふんすと鼻息荒く立ち上がった。ちょっと待って欲しい、武器があったとしてもあの戦いに割って入るつもりは無いんだ。子ども一人抱えて真っ暗な洞窟を走って逃げてきたからちょっと休憩したいんです。と、そこまで考えて閃いてしまった。ここは武器を取りに行く口実で村に戻らせてもらい、双子が蛇の魔物を倒すのを待っていれば良いのでは?
「武器、武器があれば山神様だって倒せるんだな? だったら案内してやる」
カウロ君も村まで案内してくれるようである。なら善は急げだ、弟君も連れてさっさと村に帰りましょうねー。などと言いながら立ち上がり、双子達にちょっと村まで戻ることを言っておこうと先ほどから派手な戦闘音を響かせている方向へと視線を向ける。
「危ない!」
その瞬間、俺の耳に届くフィリの悲鳴のような声、同時に視界に飛び込んでくるアルシェの背中。俺は反応する間も無く、アルシェを受け止めるような格好になって背後の木に叩きつけられてしまった。背中が痛ァい!
「ぐっ……! ごめん、師匠」
アルシェが痛みを堪えるような表情で俺を見上げる。恐らく蛇の魔物に吹き飛ばされたんであろうことは当の魔物が尻尾をぶんぶんと振り回しながらこっちを睨みつけているところから想像が出来るので、気にするなと言っておく。背中へのダメージは甚大だがな! でも強がっちゃう、男の子だから。
「村に戻るんだろ! さっさと行くぞ!」
「あ、ちょっと待ちなさい!」
そして蛇の魔物がこちらを向いてることに怯えたのか、カウロ君が俺を放置して森に飛び込んで行ってしまった。フィリは弟君の手を引いてそれを追い掛け、同じように森に消えていく。あれ、もしかして逃げるタイミングを逃してしまったのでは? こうなったらアルシェ達に蛇の魔物をさっさと倒してもらうしかないけど、動けそう?
「っ、足を捻ったみたい……!」
立ち上がろうとしたアルシェがそう言って体勢を崩し、俺の膝の上にぽすりと座り込む。やだ、戦力が一瞬で半減したわ。ノルンもこちらを気にしているようだが、蛇が自身の身体を壁にして俺達とノルンを分断してしまっていてこちらに来ることが出来なさそうである。ふむ、これは普通にピンチだな?
「師匠、私のことは良いからノルンを!」
アルシェがそう言って俺に剣を渡そうとしてくるが冗談ではない。ノックス印の最高級な剣でもなければ俺の攻撃力はひのきの棒を装備した勇者にも劣るのだ。というかアルシェの代わりに俺が戦線に加わったところでプラマイゼロどころか足手纏いが増える分マイナスでしかない。よってその提案は却下だ! というか怪我人を放置していたらそれこそ先にアルシェの方が魔物にぱっくんちょされてしまいかねない。そうなるとノルンが怒りのあまり蛇の魔物どころか勢い余って俺までぶった斬ってしまってもおかしくない。
「でもそれじゃあノルンが……」
そう言って悲壮な表情になるアルシェを抱えて立ち上がる。安心するんだ、俺は剣の腕には欠片も自信は無いが逃げ足にはそこそこ自信がある。弟子達の追跡から逃れ続けた俺の逃げ足は中々のものだと自負しているのだ。最終的には追いつかれた? コルンまで含めたら九人に追い掛けられたんだぞ、主人公みたいな奴ら九人相手に勝てる訳無いだろ!
アホなことを考え始めた頭を振って目の前の魔物に意識を集中させる。俺はアルシェを抱えつつ蛇の攻撃を避けるだけ、後はノルンに隙を見てトドメを刺してもらう作戦である。それを伝えれば、ノルンも心得たとばかりに頷いた。それと同時に、蛇の魔物が大口を開けて俺達の方へと迫ってくる。アルシェを抱えているので転がって避ける訳にはいかず、横っ飛びで避ける。
「上、尻尾!」
腕の中に抱えたアルシェの言葉に反射的に地面を蹴って無理矢理方向転換。目の前にズドンという音と共に落ちてくる真っ白な鱗に覆われた太い蛇の尻尾。逃げ足に自信があるなんて言った傍から危うくぺしゃんこにされるという情けないところをばっちりアルシェに目撃されてしまった訳だが……。アルシェからの視線を感じつつ、それを努めて無視しながら無様に走る。視線を下げたら冷え切ったアルシェと目が合いそうで下が見れません。でも指示出してくれてありがとうございます、次も頼みます。
「師匠、後ろからまた来る!」
俺の逃げ足に信用が置けなくなったのか、アルシェが蛇の攻撃が来ていることを知らせてくれる。情けない奴ですみません、いやホントに。内心でアルシェに平謝りしつつ、地面を蹴って跳ぶ。その直下を蛇の顔が通り過ぎて行った。ちょっとでも跳ぶのが遅れていたら二人揃って蛇の夜食になっていたところである。というか勢い余ってジャンプしたは良いが着地を考えてなかった。健脚を自負している俺だが、流石に漫画やアニメのように宙を蹴って移動出来たりはしないのである。当然、俺とアルシェの身体は重力に引かれて落下し始め、その落下地点にあるのは先ほど俺達を口に放り込もうとした蛇の脳天である。俺の足は見事に蛇の脳天に突き刺さり、二人分の体重が乗ったことによって蛇は俺の足と地面に挟まれて盛大に舌を噛んだ。やだ、痛そう……。
「師匠……狙った?」
蛇が痛みに悶えている隙に隣に合流してきたノルンがそう言って首を傾げているが、まったくもって偶然です。こんな曲芸染みたことを狙ってやれる訳無いだろ! そんなことを言っていると、噛んでしまった舌からダラダラと血を流した蛇がこちらに向けて吠えた。そりゃ頭蹴られて舌噛んだら怒るよな、うん。
そこからは更に動きが激しくなった蛇の攻撃をノルンと俺で何とか避け続けるという不毛な時間が続く。もはや最初にいた洞窟の入り口からも離れて森にどんどんと入り込んでいき、蛇が暴れるのに合わせて木が薙ぎ倒されるものだから後で村人達に環境破壊でしこたま怒られるんじゃなかろうかと俺は戦々恐々である。というか後先考えずに逃げてるけど、いつになったらフィリ達は戻ってくるんですかね!?
「アルシェ、ノルンどうしてこんなところまで!?」
そう考えていると、俺の耳に待望のフィリの声が届く。……ん? どうしてこんなところまで? なにやら不穏な言葉が聞こえた気がする。
「や、山神様が村まで下りてきたぞ!?」
フィリの声だけでなく、あちこちから悲鳴のような声が上がる。まさかと思い周囲を見渡してみれば、そこにはフィリの後ろにぞろぞろと怯えたような表情をして連なっている村人たちの姿。どうやら逃げるのに夢中で魔物を村の方まで誘導してしまったようである。……ここからどうやったら許してもらえますかね?
「師匠、危ない!」
こっからどうやって土下座して許してもらおうか、などと考えているとアルシェの声。それに反応して足を踏み出すが、それよりも先に俺の背中に襲い掛かる衝撃。蛇が振り抜いた尻尾に盛大に打たれた俺は、アルシェを抱えたままくるくると回転しながら吹っ飛んでしまう。そのまま俺とアルシェは民家の壁に突っ込んだのだった。背中が痛ァい! 腹を二回もぶち抜かれたと思ったら今度は背中に重点的にダメージを食らってるんですけど!?
「あ、あんた……!?」
しかも突っ込んだ先にいたのはこの村に来て最初に出会った第一村人のおっさんだった。剣返してもらってもよろしい? あの剣ってシャーレイに連れて行ってもらった鍛冶屋さんで貰った奴だし、ノックス印の魔剣よりも安いとはいえ恐らく高級品だろう。そんなものを失くしたら十中八九あの娘に殺されると思うんです、ハイ。
「村まで山神様を連れてくるだなんて……!」
なお俺の要望は聞き届けられることは無く、おっさんはブルブルと震えて部屋の隅っこに逃げて行ってしまった。というか俺より先にフィリ達が来たと思うんですが、彼女らはどこに行ったんですかね。
「し、知らん! 俺は何も知らんぞ! ここから出て行ってくれ!」
そう言って崩れた壁の瓦礫を拾ってこっちに投げてくる。確かに家の壁をぶっ壊したのだからおっさんもカンカンだろう。仕方ない、一旦諦めてノルンにあの魔物を倒してもらって改めて返してもらいに来よう。
「師匠! また来た!」
そんなことを考えていると、腕の中でアルシェがそう叫ぶ。その声に釣られて視線を上げれば、壁の穴からこちらをじっと覗き込んでいる蛇の魔物とバッチリ目が合う。周囲は崩れた瓦礫だらけで、扉もその中に埋まってしまっているため逃げ場は魔物の顔がこんにちはしている壁の穴だけ。
「こっちを向け!」
その後ろではノルンが必死の形相で魔物に剣を叩きつけているが、あまり注意を惹くことは出来ていない様子。魔物としては舌に甚大なダメージを与えた俺とアルシェに対するヘイトの方が高いらしい。アルシェに関しては俺が抱えていただけで完全にとばっちりである。ちなみにそろそろ回復とかしてない? まだダメそう?
「大丈夫、まだ少し痛むけど動けないほどじゃない」
アルシェも俺の不甲斐なさにこのままじゃダメだと考えたのか、痛みを押して立ち上がる。いつまでも自分よりも弱い人間の世話にはならないということか、自分で言っていて情けなくて悲しくなってきそうだが今更である。思わず熱くなった目頭を押さえる。
「師匠、どうしたの?」
ちょっと自分で弱いとか言ってて目が……、いや、何でも無いです。アルシェは目の前の魔物に集中してどうぞ。
少し気分が落ち込んだが、俺の横に並んで剣を構え直すアルシェと未だに丸腰な俺。これはどう考えても脅威なのは俺よりアルシェだろう。つまりこれで俺が狙われることは無くなって一安心といったところか。それじゃあ後はアルシェが走るのに合わせて反対側に回り込み、さっさと魔物の攻撃が届かない範囲に逃げるだけだ。希望の未来にレディゴーとばかりに走り始めた俺だったが、何故か魔物は俺の方をギョロリと睨みつけてこちらに狙いを定めている。なんでぇ!?
未だに血がダラダラと流れている舌をこちらに伸ばして俺の足を絡めとろうとしてくるが、それを跳んで躱し、壁の穴から外に抜け出す。地面に着地したところに、鎌首をもたげた魔物が再度喰らいつこうと迫ってくる。
「アルシェ、今!」
だが俺に喰らいつくよりも先に、高く跳躍したアルシェとノルンが鏡合わせのような動きで魔物の上で交差する。二人は空中で手に持った剣を交差させると、そのまま落下して魔物の両眼に深々と剣を突き刺した。やだ、日曜朝のヒーローものみたいなアクションからえげつない技繰り出してる……。
見上げるほど巨大な蛇の魔物。月明かりを反射して、どこか神秘的にも思えるくらいに白く光る鱗を纏ったその姿は、私とノルンにとって拭い難い痛みを伴う記憶を想起させた。
「まるであの時の魔狼みたい……」
「ノルン、集中して」
そうノルンに言いながら、私自身強張る手から余計な力を抜くことを意識しながら剣を構える。その巨大さよりも、纏う雰囲気に気圧される。ともすれば、師匠と共に乗り込んだ北の地で遭遇した魔物とも劣らないと思わされる威容。魔王や魔樹から遠く離れた地でこんな魔物がいるなんて思いもしなかった。
「どうしてこんなところにこれだけの魔物が……」
「分からないけど、今は師匠達のところに行かせないことを最優先」
私と同じことを考えていたノルンにそう返す。私達の後ろでは師匠とフィリ、師匠が連れていた男の子とカウロもいる。彼らの方にこの魔物の注意が向かないようにしなければ。地面を蹴って魔物の右側に回り込むように動けば、合図の必要も無くノルンは左側に駆ける。私達のどちらを警戒すべきかを逡巡した魔物の一瞬の隙、それを逃さぬよう私達は月明かりを宿す鱗へと剣を振り下ろす。
「くっ、やっぱり一撃じゃ無理……!」
「なら何度だって斬り続けるだけ」
私達の剣は魔物の強靭な鱗にあえなく弾かれる。鋭く研ぎすまされ、岩だろうが断つであろう魔力を纏った剣であっても、瘴気を取り込んだ理外の強度を誇るこの魔物の体表を傷つけることは出来なかった。けれどそれで動揺するような段階はとっくに過ぎている。折れた刀身で魔樹の化身を切り捨てる師匠の領域に自分達が至っていないことなど百も承知だ。だから私達は師匠の最初の教えを忠実に繰り返す。一度でダメなら二度、三度、百度だって斬る。
「ごめん、お兄ちゃん……」
「お前、お前が! 大人しく山神様に喰われないから!」
ギラリと獰猛な輝きを放つ魔物の牙を避け、まともにくらえば身体が破裂すると思わされる尻尾の一撃を躱している背後から、師匠が連れていた男の子とカウロが交わす会話が妙にハッキリと私の耳に届いた。
「身体が弱かったお前が唯一村の皆の役に立てる役割だってのに!」
視線は魔物から一瞬たりとも逸らしていない。だというのに、聴覚は何故かカウロの声を拾う。魔物という理不尽から身を守る為に弟すら生贄に捧げようとした。そんな人間と自身を重ねようとしていた。違う、私はノルンを見捨てようだなんて考えたことも無い!
心に溢れる怒りのまま、何度目になるかも分からない斬撃が魔物を襲う。その剣は、ついに魔物の体表に僅かに傷を付けることに成功した。
「アルシェ!」
しかし次の瞬間、私の身体は真横に飛んだ。ほんの一瞬、心を乱したその隙が、魔物がその太い身体をくねらせて繰り出した殴打への反応を遅らせた。
まともに受け身を取ることすら出来ないまま吹き飛ばされた私の身体は、けれど予想していたよりも幾分か弱い衝撃と共に停止した。
「っ、まともに食らったな」
「ぐっ……! ごめん、師匠」
私の身体は師匠に受け止められていた。師匠の背後の巨木にはその衝撃を物語るかのように亀裂が入っている。師匠に受け止めてもらっていなかったら、頭から木に突っ込んでいたかと思うと身体に震えが走りそうになる。
「気にするな。最悪の事態にならなくて良かった」
私を受け止めたせいで師匠も少なからず傷を負ったはず、なのにそれをおくびにも出さずにそう言ってのけると、私を気遣うようにじっと見つめてくる。そんな場合じゃ無いのに、そういえば師匠とこれだけ接近したのは久しぶりかもしれないだなんて暢気な思考が私の脳裏を過る。
「手ぶらの俺じゃ二人に頼るしかないが、怪我は無いか?」
師匠の言葉に、暢気な自分を自覚した私は先ほどまでとは違った熱さを顔に感じながら立ち上がろうとする。けれど、私の足はその意思に反して身体を支え切らないまま再び師匠の膝の上にぽすりと収まる結果になる。
「っ、足を捻ったみたい……!」
遅れてジンジンとした痛みを訴えかけてくる右足をぎゅっと握り締める。痛みは我慢できても、無意識の防衛反応まではコントロールできない。今の私じゃこれ以上の戦闘は無理だ。
視線を前に向けると、魔物の身体を挟んで反対側にいるノルンへと次の狙いを定めたのか、魔物は鎌首をもたげてノルンを見下ろしている。
「師匠、私のことは良いからノルンを!」
そう言って剣を渡そうとしたが、師匠はそれを受け取る代わりに私を抱えたまますっくと立ち上がった。
「動けない奴を放っておけるか」
「でもそれじゃあノルンが……」
危ない、そう言おうとしたけれどその言葉は途中で詰まってしまった。視界の端では、脅威でないと見做していた私と師匠が動いたのを感じたのか、魔物がノルンから私達に注意を向けているのが見える。だけど、先ほどまでと違って私は少しも焦ることは無かった。
「安心しろ、これでも足には少し自信がある」
そう言って口の端だけでニヤリと笑みを浮かべる師匠の姿は、どんなことがあっても安心だと無条件に信じさせてくれるから。
「俺が注意を惹く。攻撃は任せた、ノルン」
師匠がそう言うと同時、魔物が私達を喰らおうと大口を開けて迫る。けれど師匠は人一人を抱えているなんて思えない足取りでそれを避けた。そんな師匠を追うように、私達の頭上には魔物が振り上げた丸太のような尾。
「上、尻尾!」
その言葉を聞くや否や、師匠の足が地面を一蹴りし、魔物が振り下ろした尻尾を寸でのところで躱す。
「助かった。次も頼む」
避けた反動で落としてしまわないようにと力が籠められた師匠の腕が、私を師匠にますます密着させる。こんな時じゃ無ければ……! そんな思考が頭を過りそうになったのをどうにか振り払うと、背後から私達に噛みつこうと牙を剥き出しにして迫る魔物の姿が目に入った。
「師匠! 後ろからまた来る!」
そう言った直後、師匠と私の身体がふわりと浮いた。その直下を魔物の頭が通り過ぎていく。魔物からすれば、急に私達の姿が視界から消えたように見えたに違いない。そしてそのまま私達の身体は落下し、その頭を踏み砕かんばかりに師匠の足が魔物の頭にめり込む。その衝撃は魔物が私達の身体を絡めとろうと伸ばしていた舌を、魔物自身の牙で貫いてしまう程の威力。魔物が痛みに咆哮し、私達の存在も忘れて口から血を流して悶え苦しむ。その隙を衝いてノルンが私達のところまで走り寄ってきた。
「師匠……狙った?」
「まさか、足を下ろしたらヤツの頭があっただけだ」
それよりもまだ走れるか、と師匠がノルンに目配せをする。ノルンはそれに頷くと、今度は師匠の腕の中に収まっている私の方へと視線を向けた。
こんな時に言う事じゃ無いけど、ズルい。
言葉にするまでもなく、ノルンのジト目がそう言ってきていることが理解出来る。ただ、これは足を怪我したから仕方ないのだ。ノルンと、そして自分にもそう言い聞かせるようにして、師匠の身体に顔を寄せた。
私が戦えず、師匠は動けない私を守る為に加勢が出来ない。そうなると、ノルン一人では魔物相手に有効打を与えることが出来ないまま、私達は木々を薙ぎ倒しながら迫ってくる魔物から逃れるように森を駆けた。私もノルンもどこに向かっているのかは分からない。けれど、どこか確信を持って進む師匠の後に続くようにして、私達は山を下りていく。
「アルシェ、ノルンどうしてこんなところまで!?」
「や、山神様が村まで下りてきたぞ!?」
師匠の狙いが理解できたのは、フィリの声とそれに続く男の声が聞こえてきてからだった。視界に入ってきたのは、私達が雨の中で辿り着いた村。魔物を神様と崇めて生贄を送る人達が住む村だった。師匠は足を止めると彼らを見回す。彼らの前に魔物の姿を見せつけようとしているのか、けれどその停止は魔物に追われている今は致命的だ。
「師匠、危ない!」
後ろから迫る魔物が振り抜いた尻尾、それが師匠の背中を強かに打った。私を抱えたまま、師匠は一軒の民家に突っ込む。師匠の身体に庇われた私には大きなダメージは無いものの、師匠は強かに背中を打ったのか少し顔を顰めていた。
「あ、あんた……!?」
「また会ったな。悪いが、俺の剣を返してもらいに来た」
この村に来て最初に出会った男。私達に薬を盛って魔物の生贄にしようとしていた男が、崩れた壁の奥に震えていた。
「村まで山神様を連れてくるだなんて……!」
「フィリ達が剣を取りに来たはずだが」
師匠は怯えた様子の男に淡々と話しかけるが、それに答えることも無く男は少しでも自分の身を隠そうと部屋の隅に這っていく。
「し、知らん! 俺は何も知らんぞ! ここから出て行ってくれ!」
「今は話が通じそうも無いか」
師匠も半狂乱な男の様子に諦めたようにそう呟いた。魔物が目の前に迫ってきている状況で師匠みたいに落ち着いていられる人間は稀だと思う。私達だってそこまでじゃない。というより、魔物に吹き飛ばされてどうしてここまで暢気な会話を。そう考えていると、背筋にゾクリと走る怖気。それに従って視線を壁の穴に向ければ、私達を睨みつけている魔物と目が合った。
「師匠! また来た!」
「こっちを向け!」
ノルンが気を逸らそうと攻撃しているけれど、強靭な魔物の鱗に阻まれて有効打にはなっていない。
「アルシェ、動けるか?」
その様子を見た師匠が、私にそう問いかける。ノルンだけじゃ魔物に痛打を与えることは出来ない。私がこのままだと師匠も満足に動けない。なら、足が痛むくらいが何だ。師匠はどんな怪我をしても魔物を倒すまでは倒れたことは無かった。
師匠から降りて地面を足で踏みしめれば、右足からジン、という疼痛を感じる。だけどそれだけだ、意に反して足から力が抜けることも無い。少なくとも短時間なら動ける。
「大丈夫、まだ少し痛むけど動けないほどじゃない」
私が師匠にそう言うと、師匠は頷いて立ち上がる。その時に、師匠が目頭に手を当てているのに気付いた。まるで泣いているようにも見えるけれど、師匠の目に涙が浮かんでいる様子は無い。
「師匠、どうしたの?」
「目だ……。集中しろ」
師匠はそれだけ言うと、魔物の注意を惹くように走り出した。まともに傷を負わせられなかった私とノルンに比べて、師匠は丸腰でも魔物自身の牙を利用して魔物に痛みを与えてみせた。魔物の注意が師匠に向くのは当然の結果だった。足を絡めとろうと伸ばされた舌を躱し、師匠が壁の穴から抜け出せば、魔物もそれを追う。
「ノルン!」
「分かってる!」
その動きを見て、私もノルンも師匠の狙いに気付いた。自分を囮にするような動き。そしてさっきの言葉。私達の攻撃が通じないのなら、通じる場所を狙えば良い。その為の隙は、師匠が用意してくれる。
魔物が鎌首をもたげて地面に着地した師匠に狙いを定める。少しの間静止した師匠に向かって、魔物は好機とばかりに飛び掛かった。それが師匠によって誘い出された罠だとも知らずに。
「アルシェ、今!」
ノルンの言葉に合わせて、私は足が痛みを訴えるのも無視して地面を思い切り蹴った。魔物の頭を越え、同じように跳んだノルンと空中で交差するときに互いの剣を擦り合わせる。ノルンから剣を通して受け渡された魔力を呼び水に、私の剣が魔力を纏う。その切っ先が狙うのは、師匠だけを視界に捉えている魔物の眼。
私とノルンの剣が、深々と魔物の眼を貫き、その脳天に柄まで深く突き刺さった。