「へぇ、そんで魔物をぶっ倒して帰って来たと。相変わらずオヤジは行く先々で魔物と縁があるよな」
アルシェとノルンとの里帰りからしばらく、今の俺はというとロクシスと共に海の上にいた。
雨宿りに訪れた村で蛇の魔物と出くわしてしまい、アルシェ達に倒してもらったところまでは良かった。しかし、あの魔物は村の人からすると神様的な扱いをされている存在だったものだから扱いとしては神をも畏れぬ不信心者。こちとら生贄にされかかったんだが? と半分キレそうなりつつも、村人達に囲まれては多勢に無勢。髪を逆立てんばかりに怒りを露わにしていたのに、何故か途中から急に大人しくなった双子の手を引っ張りながら王都に帰ることになったのである。何故か俺が洞窟で拾った少年も連れて行くことになったけど。まあ先に王都に着いていたジジイに預けたからヨシ。
「あの双子の嬢ちゃん達がえらくおっかなかったのはそういう訳か。くわばらくわばら」
俺の話を聞いてそう冷やかすのはいつの間にかロクシスの船に乗っていたジルファの爺さんである。どうやらロクシスとは互いに船乗りということで意気投合し、現役復帰宣言をしてロクシスの下で船員をやっているのだとか。これがシルバー再雇用というやつか。俺も歳とったら雇ってもらえたりしないだろうか。
「いや、まああの二人はな……」
ロクシスはそう言ってやれやれと言いたげに肩を竦めているが、そんなにあの二人怒ってたのか。俺と王都に帰ってくる道中はそんなに怒ってる様子は無かったというか、何故か俺に対して妙に気を遣ってくれていたんだけど……。よく考えてみたら魔物を倒すにあたって逃げ回る程度にしか役立ってない上にそれで村人達から責められた俺を哀れに思ってくれたのかもしれない。そして王都に戻ってきた段階で、俺に対してそんな接待みたいなことをさせられたという事実に怒ったのか。このまま遠くまで逃げたくなってきた。
「ま、今は俺との旅なんだ! ノックス達に頼まれた調査だが、楽しまねえとな!」
「そうだな。俺もここまで遠海に出るのは初めてだ。年甲斐も無く興奮しちまう」
俺が遠い目をしているとロクシスがそう言って励ましてくれる。うーん、この船長の鑑。というか驚くべきはベテラン漁師だったであろうジルファもあまり遠くまで海に出たことはないという事実。まああんなタコの魔物とかいたら漁船なんかあっという間に沈められちゃうのか。
ノックスの話によると魔物の数も減ってきているだろうということで、ここらで海の向こう側にもっと探索の幅を広げたいのだとか。王都に戻ってそれを聞かされたかと思うと、あれよあれよと言う間にロクシスに拉致られてこうして海の上にいるというわけである。もうちょっと休ませてくれませんか? 里帰りで休めただろって? うーむ、否定できない。
出発する前にロクシスの母ちゃんに久しぶりに会ってご馳走になったりもした。突然訪ねてきた俺とフィリを見て驚いた顔はしていたものの、優しく迎えてご馳走してくれる女神っぷりは健在だった。お土産持って帰らないと。
「オヤジさえ良ければこのまま俺のとこに腰を落ち着けても良いんだぜ?」
彼女への感謝を口にすると、ロクシスがそんなことを言い出す。非常に魅力的な提案だが、あそこまで優しくされるとニート生活するのも気が引けてしまう。いや、どこかの大金持ちに養ってもらえるとかなら思う存分お世話になる気満々なのだが、シングルマザーの家に居候するニートなんて外聞が悪いどころの話じゃない。
「なんでぇ、案外お前さんも隅に置けねえな?」
俺が断腸の思いでロクシスの提案を断ると、ジルファがニヤニヤとしながら俺を肘で突いてくる。ヒモになることを容認されるって隅に置けないって言うんですかね? というか船乗りから見たら働かずにただ飯食う人間とかぶん殴る対象では? 嫌味かキサマ!
「おっと、そろそろ交代の時間だったな」
ジルファはそう言うと船室の扉を開けて甲板へと出て行く。それと入れ替わるように、生温い潮風と共に船室に入ってきたのはフィリだ。先ほどまで興味津々に甲板で大海原を見渡していたのだが、強い日差しにやられたのか顔に汗を浮かべてげんなりとした表情で俺の隣に腰を下ろした。
「暑くて倒れそうよ……」
そりゃプロの船乗りですら熱中症になりそうな天気なんだから、日光を遮るものが無い甲板をウロウロつぃていたらそうなるでしょ。ちなみに俺はさっきから船酔いの前兆を感じ始めており、露骨に黙っております。
「こっから先はどこまで海が続いてるか分かったもんじゃねえ。今からそんな調子じゃ辛いぜ?」
「山から帰って来たと思ったらすぐだもの……」
「まあ安心しな。古い海図だが、もう少し進めば島があるはずだ」
グロッキーになっているフィリに水の詰まった皮袋を差し出しながら、ロクシスはかび臭い羊皮紙をテーブルに広げる。どうやらまだ魔物が少なく、船であちこちに出ていた頃に作られた海図なのだとか。あっちこっちに子どもの落書きみたいなモンスター的な何かが描かれているのがこれまたそれっぽい。これだよ、こういう如何にも宝の地図でございみたいなのを見たかったのよ。
「俺達はまだ運が良い方だぜ? 長耳族の魔法使いが同乗してくれたから、魔法で水と風をそこまで心配する必要が無い」
「彼らがまさか同行するなんて思わなかったわ。頑固者ばかりだけど、あの戦いから少しは変わったのかしら」
ロクシスの言葉の通り、今回はなんとエルフも船に乗っていたりする。とはいえ彼らの役目は主に風が無い時に魔法で風を吹かせたり、魔法で海水から飲み水を作ったりといった歩く扇風機、浄水器扱いである。それはそれで怒られたりしない? 魔法をそんな便利扱いしやがってみたいに。などと不安に思っていたものの、慣れない船旅と暑さで疲労している以外は上手く馴染めているとのこと。どうして俺のときは邪険に扱われたんですか。
エルフさん達に言いたいことは多少あるものの、勝てない喧嘩はしない。俺は大人しくエルフさん達が休憩するときの為に水を用意しておくのだ。この船で船乗りのスキルも無ければ魔法も使えないお荷物である。掃除や雑用くらいでしか役に立てない。
「船長! 前方に影が!」
俺が雑用係としての決意を新たにしていると、その声と共に飛び込んでくる船乗りのおっちゃん。おや、もうロクシスの言っていた島が見えたんだろうか。
テーブルに伸びてるフィリを置いて甲板に出てみれば、船の目指す遥か先にぼんやりと浮かぶ黒い影。それ以上に目を惹くのはその島のような影よりも空に立ち込める真っ黒な雲。あれって俗にいう嵐というやつではなかろうか。
「島のようだが、オヤジの言う通りあの雲の方がマズい……。帆を畳め! 嵐が来るぞ!」
俺の嫌な予感が的中したようで、ロクシスがそう言うや否や甲板が慌ただしくなる。雲はあっという間に俺達の頭上にまで広がって行き、日が遮られて暗くなる。
急に風が冷たく感じてきたな―、なんて思っていると顔にポツリと雨粒が当たるのを感じた。かと思うとあっという間に視界が真っ白になるような横殴りの大雨で全身がずぶ濡れになる始末。ロクシスと船員達があっちこっちのロープを縛ったりなんだりと慌ただしく甲板を走り回っている。俺はそれを尻目にそっと船室に戻ることにした。だって仕事無いんだもの。
「どうしたの? そんな濡れ鼠になって」
部屋を出たかと思ったらずぶ濡れになって戻ってきた俺を見てフィリが目を丸くしているが、雨に降られただけだから心配しないで欲しい。そう言って椅子に腰かけると、船の揺れが先ほどよりも大きくなる。あ、この揺れはマズい、酔う。随分前に船に乗った時もしっかり船酔いした俺である。その時よりも酷い揺れなんて酔わない訳が無い。それからしばらく、俺はフィリが横で不安そうにしているのをよそに吐き気を抑えるのに必死になるのだった。
どれくらいの間揺られていたのかは定かじゃないが、ようやく窓を叩く雨粒の音と揺れが収まり、雲の隙間から差した夕日が部屋に差し込む頃。俺は今にも胃の中身をぶちまけてしまいそうになっていた。
「大丈夫……?」
どれくらい酷いかと言うと俺の様子を横で見ていたフィリが心配して背中をさすってくれる程。なお俺の強烈な船酔いは美少女エルフの介護ですら歯が立たないらしく、加速度的に吐き気が増してきている。さっきまでは平気だったのに揺れが増した途端にあっさり酔ってしまうあたり、俺の三半規管が強靭なのか貧弱なのかいまいち判断に迷うところだ。とはいえ、これは潔く吐いてしまった方が楽になるだろうと思い、ヨロヨロと立ち上がって出口を目指す。あ、フィリはついて来ないでね、吐いてるところとか誰にも見られたくないし……。
フラフラと船室を出て、まだ甲板を歩き回っているロクシス達とは反対側、人の少ない方へと向かって手すりにもたれかかる。ここから魚たちに餌をぶちまけてやる……。そう考えていると、波間に何かが揺れているのを見つけてしまった。木片かと思ったが、何やら肌色にも見えるような……、もしかして誰か船から落ちてません? ロクシスさーん!
「どうした、オヤジ!」
俺の声を聞きつけたロクシスがすぐさま駆けつけてくるので、海上にぷかぷか浮かんでいる推定転落者を指差す。
「あれは……!? 誰かロープ持ってこい!」
ロクシスもあれが人だと判断したようで、怒鳴るように船員に指示を出す。そして船員のおっちゃんが持ってきたロープを、ロクシスはあろうことか自分にぐるぐると巻きつけると海へと飛び込んでいった。
「ロープ離すんじゃねえぞ! 船長が海に落ちたバカタレを掴んだら一斉に引けぇ!」
海に飛び込んでいったロクシスの代わりにジルファが指示を飛ばし、それに従って船員達がロープを握り締める。なんなら手すりにもたれかかっていた俺は先頭でロープを握っていた。おかしい、ちょっと海に向かって色々ぶちまけようとしてただけなのに、どうしてこんなことに……。
手すりから身を乗り出してロクシスの様子を見ていたジルファの合図に合わせてむくつけき男たちの一心不乱の綱引きの結果、びしょ濡れになったロクシスとそれに掴まれた推定転落者が甲板上に引き揚げられるが、それを見た船員のおっちゃん達がどよめく。なんなら先頭で見ていた俺もびっくりしていた。ロクシスが救助したのは、船員のおっちゃんどころか長い黒髪を持ち、下半身が鱗に覆われ先端に見事な尾ひれを備えた女の子だったからだ。……いや人魚いるのかよこの世界!?
「ロクシス、少し手合わせをしよう」
「最近死線を潜ってなかったから鈍ったかもしれない」
「手合わせするのは良いが……、なんで二人してそんなに不機嫌なんだよ」
里帰りをするという親父に引っ付いていったアルシェとノルンだったが、王都に戻ってきたと思ったら鬼気迫る様子で手合わせをするようになった。いや、今までも鍛錬や手合わせはしてたが、そのペースが上がった。
「私達が不甲斐ないせいで師匠が責められた」
「あの村人達……いや、それは八つ当たり。とにかく、もっと強くならないと」
聞けば、三人が訪れた村では魔物が神様だと崇められていたようで、何も知らずに巻き込まれた師匠達がその魔物を倒したら村人達にかえって責められたとか。それで師匠は何も反論することなく村を後にしたらしく、双子からしたら色々とモヤモヤしたものを抱えちまったようだ。
「魔物が人間をただ襲うんじゃなく、支配する。そんなことあるのか?」
「無い訳じゃ無い。小鬼達だって陽動作戦で街を攻めようとしていた。師匠がそれを正面から潰してしまったが」
双子から聞いて気になった点をノックスに聞いてみると、そんな答えが返ってきた。
「師匠が魔樹の化身を打ち倒してから、魔物の勢力は少しずつ弱体化してきている。けれど、それ以上に魔物達が狡猾になっているのかもしれない」
そう言いながら、ノックスが机の上に広げられた地図をトントンと指で叩く。そこは、俺達が師匠と共に魔物の軍勢と戦った砦だった。
「師匠の師匠、あの翁の故郷でも、山の頂上付近を根城にしていた鼠獣がいたというし」
「ああ、親父がまだ子どもの頃に討伐しちまったっていう……」
「それは師匠のおかしいエピソードですが、今はそういうことでは無くてですね」
親父に誘われ、王都にやってきた親父の師匠という老人。あの人から聞いた親父の幼少期の話は、俺やノックス達の想像を超えたものだった。俺が親父と出会った時の歳よりも幼い自分に、たった一人で魔物を倒しちまったとか。それを聞いたライラ団長がエラい顔をしてたが、多分俺達も同じような顔をしていた。
「魔物が弱くなったとはいえ、それでも人間を遥かに超越した力を持っています。それが小鬼のように知恵を付け始めたというのが恐ろしい。人知を超えたとはいえ、単純な力に対しては師匠なら理外の力で対抗出来る」
「理外って……そこまで言わなくてもよ」
「少なくとも僕は腹に大穴を開けられた状態で、折れた剣で魔樹の化身を斬り飛ばしたりなんか出来ない」
「あー……、おう」
それを言われると俺も何も言えねえ。親父が眠っている間にソーンから聞いたあの戦いの話を思い返すほどに、俺達の剣の師は人間という枠から半分くらいは飛び出してんだろうと思わされる。
「なら、こちらも今の状態で留まっているわけにはいかないか……」
そう言ったきり、何かを考え込むように黙り込むノックス。その指先は、地図の上をフラフラと行ったり来たりしているが、また一点でピタリと止まる。そうして顔を上げたノックスは妙に良い笑顔で俺の方を見つめた。
「……ロクシス、良い機会ですし師匠を連れて船旅というのはいかがです?」
「は?」
「魔物によって海が閉ざされてから、我が国はライネルのいる隣国としか行き来していません。ですが、過去にはより遠くまで船を出していた記録もある。魔物の勢力が弱まっているうちに僕達はもっと多くと繋がり、強くなっている必要がある。魔物の主が師匠の倒したあれっきりだという楽観的な見方は、僕には出来ません」
「それで船か」
「陸はソーン達やローエンに任せています。師匠とアルシェ達が遭遇した魔物の調査も。ですが海に関してはロクシスに任せるのが一番ですから。人員は一任します。お願いしても?」
「おう、任せときな!」
勢いのままに引き受けた俺はその足で師匠とフィリを連れて港に向かい、船乗り仲間達を集めると海へと繰り出したのだった。
「へぇ、そんで魔物をぶっ倒して帰って来たと。相変わらずオヤジは行く先々で魔物と縁があるよな」
そして今は海の上、親父とジルファと一緒に船室で休憩がてら、親父から旅の話を聞いていたところだった。
「俺にとっては魔物だが、村にとっちゃ神様だ。それを殺したんなら、追い出されるだろうよ。こっちも殺されかけたんだが」
大体はアルシェ達から聞いた話と一致しているが、村から追い出されたというところについては、俺が思った以上に親父の怒りは尾を引いていない。いや、あの二人曰く、村人達に迫られているときは二人もビビるくらいに怒ったらしいが。
「あの双子の嬢ちゃん達がえらくおっかなかったのはそういう訳か。くわばらくわばら」
「魔物を倒したのはあの二人だ。怒るだろう」
「いや、まああの二人はな……」
間違いなくあの二人が怒ったのは親父が生贄にされそうになったことだと思うが、まあ親父が気付いてないのなら言わなくてもいいか……?
「ま、今は俺との旅なんだ! ノックス達に頼まれた調査だが、楽しまねえとな!」
「そうだな。俺もここまで遠海に出るのは初めてだ。年甲斐も無く興奮しちまう」
万が一これ以上話して親父が思い出し怒りなんてして欲しくない。早々に船旅へと話を切り替えれば、ジルファもそれに乗っかってきた。
「……そうだな。ロクシスの母親にも、また世話になった」
「オヤジさえ良ければこのまま俺のとこに腰を落ち着けても良いんだぜ?」
久しぶりに顔を見せたらお袋も喜んでいた。まだしばらくは俺や他の弟子達にあっちこっち引っ張り回されるだろうが、それがひと段落したらお袋と一緒に暮らしても良いんじゃないか。王都にも近いし、船を出せばライネルの国にだってすぐに向かうことが出来る。自分で言っておきながら良い考えだと思う。
「なんでぇ、案外お前さんも隅に置けねえな?」
俺の言葉を聞いたジルファがそう言ってからかうようにニヤニヤと笑って親父を見るが、親父はまさかとでも言いたげに首を振った。
「棒振り以外に能の無い人間だ。あまり揶揄うな」
これで何度目かの誘いだが、今日もまた断られちまった。それからは、交代で作業に戻ったジルファと入れ替わるように甲板で海を眺めていたフィリが戻ってきて、顔ぶれは変われど三人での取り留めの無い会話が続く。まさか北の森にいたあの長耳の爺さん以外にもいるなんて思いもしなかったから、船に同乗すると言ってきた奴らを見たときは驚いたが、話してみればなんてことは無い。あの爺さんや俺達と同じように、親父の戦いに、生き方に影響を受けた仲間だった。今回の船旅は魔法に長けた長耳達が乗ってくれたから随分と楽を出来そうだ。
「船長! 前方に影が!」
そんなことを考えながら会話に興じていると、部下の一人がそう言って部屋に飛び込んで来る。まだ島が見えるまでは距離があると思っていたが、もうそこまで進んだのか。そう思って外に出てみれば、視界の遥か先にポツリと見える黒い影、そして黒く空に広がっている雲。あんな雲が来るような空模様じゃ無かった。どう考えても不自然な黒い雲。
「嫌な雲だ……」
「島のようだが、オヤジの言う通りあの雲の方がマズい……。帆を畳め! 嵐が来るぞ!」
俺と親父の予想通り、それからは横っ面をひっ叩くような雨と風が船を襲った。さっきまで見えていた遥か先の島影なんてもう気にする余裕も無く、ただ船と船員が波に持って行かれないようにするので精一杯だ。だが、不自然に始まった暴風雨はその始まりと同じくらい唐突に終わりを迎え、日が落ち切る前には雨は止み、風も収まって雲間から夕日の光が差し込んでいた。
「なんだったんだ、さっきの雨はよ」
隣に来たジルファが髭から水を滴らせながらそう言って鼻を鳴らす。俺と同じように、他の船員達も腑に落ちないような顔をしている。
「今の雨、微かだが魔力を感じた」
「魔力だ?」
そんな俺達の疑問に答えらしきものを投げかけたのは、同乗してくれている長耳の一人だった。
「唐突に終わったのも、魔法を続けられるだけの魔力が尽きたからだろう。あそこまでの風や雨を起こすほどの魔法、我々でもそう長くは保たせられない」
「っつーことはもうあんな雨は降らないのか」
「分からない。術者の姿も見えないが、どれほどの距離から展開しているのかも」
「参考になるのかならねえのか分からん意見どうも」
「何にせよあの雨にゃ意図があるってことが分かっただけでも収穫だろ、ジルファ」
顔を顰めるジルファを宥めつつ、雲が流れてきた方角に目を凝らしてみるが、先ほどまで視界に薄らと写っていた島影らしき影はもう見当たらない。あの雨風で船が流されたか。方角が分かるうちに帆を張り直して進んでおくべきか悩む。
「ロクシス!」
どうするべきか考えを巡らせていたところに、親父が俺を呼ぶ声がして意識をそちらに向ける。俺達がいる場所から正反対のところに立っていた親父が、俺に向かって手招きをしていた。
「どうした、親父!」
それに従って親父の隣に走れば、親父は船の下を覗き込んで指さす。
「誰かが落ちてないか」
その言葉に慌てて下を覗き込むと、確かに波間に人が浮かんでいる。さっきの風雨で滑り落ちたバカが出やがった!
「あれは……!? 誰かロープ持ってこい!」
慌てて後ろにいた船員に指示を出し、持ってきたロープを身体に縛り付ける。船乗りなら泳ぎの心得はあるが、こんな周りに何も無い沖で泳いだ経験なんざ誰にも無い。もしものことを考えれば、溺れる人間をもう一人増やすよりは俺が行く方が安心だ。
「俺が下の奴を掴んだら引っ張り上げてくれよ!」
それだけ言い残すと手すりを乗り越えて身体を海へと投げ出す。着水の衝撃の後、雨に当たって冷えた身体に、妙に生温く感じられる海水が纏わりつく。まるで何かに舐め回されているような不快感を覚えつつ、ぐったりと揺蕩っている身体の下に肩を入れると腕でしっかりと固定する。
「掴んだな? 良ぅし、引けぇ!」
俺が海に落ちた奴を掴んだのが見えたのか、頭上でジルファがそう号令を出す。だが、その頃には俺は目の前の光景に目を奪われてジルファの声が耳から滑り落ちていた。水に潜った瞬間、俺の目に飛び込んできたのは二本の脚じゃない、腰から下は鱗に覆われ、先端には尾ひれが付いていた。だが、腰から上は確かに人間、しかも女だ。親父のような黒髪を長く伸ばし、気を失っているのかぐったりと身体を俺に預けているのは、とてもじゃないが魚には見えねえ。
「よし、無事だったな? 船から落ちやがったバカ、は……?」
船に引き揚げられた俺達を見たジルファの言葉が途中で途切れる。船上の誰もが、自分達の目の前に現れた存在を説明する言葉を持っていない。
「……人魚だ」
そう呟いた親父の言葉が、目の前の存在を表すのに妙にしっくりときた。