「船長は?」
「知ってるだろ、今日もあの人魚と話してら」
「またか……」
ロクシスがまさかの人魚を海から引き揚げてからしばらく。はっきり言って船の空気は最悪です……。何を隠そう、ロクシスが人魚さんに夢中になってしまったのである。人魚が目を覚まして少し話したかと思うと、故郷に彼女を帰すのだと張り切って人魚の言う通りの方角に舵を切り、それからは船室で人魚と暇さえあれば話している。頼れる船長であったロクシスが人魚にデレデレしている姿に、他の船乗り達は嫉妬やら呆れやらで日々不満を口にする始末。何なら何故か俺に愚痴をこぼしにくる輩も出てくるのだ。いや、俺に言われてもどうしようもないんですが。というか俺だって人魚と話したいわい!
愚痴を言いに来た船員達にも、黙って聞くくらいしか出来ないし、今はロクシスが満足するまで放っておくしか無いんじゃない? なんて当たり障りのないことしか言えなかった。二人の話を邪魔してロクシスに殴られたら鼻血じゃ済まなさそうだし。
「悪いな、お前さんの仕事じゃねえだろうに」
俺が船員達の愚痴聞き係に徹している間は、何故かジルファが申し訳なさそうな顔でそう言ってくる。とはいえ、ロクシスだって年頃の男、可愛い女の子に頼られたらそりゃそうなるでしょ。俺だってあんな可愛い人魚に頼られたら弟子達と喧嘩になってでも二人で話す権利を勝ち取ろうとしてたかもしれない。……いや、やっぱり弟子に勝てる気がしないから喧嘩は止めよう、うん。平和が一番だな!
「まるっきりオヤジだな」
俺が人魚さんと話したくて血涙を流しそうになっているのを横目に、ジルファがそう言って横で笑う。誰がオッサンじゃい! 俺よりも歳食ってる船乗りのおっさん達も鼻の下伸ばしてんだろぉ!? と言いたくなるのを抑える。中には本当に人魚の言う通りに船を進めて大丈夫か、という真面目な悩みを持つ船員もいるのだ。そういう人には、そもそも明確な目的地だってあまり決めてなかったし、ちょうど良い目標が出来たと思いねぇ、などと適当なことを言って宥めておいた。俺の横でジルファもそうだそうだと頷いておられたので、ベテラン船乗りの権威もあって良い感じに丸め込めたと思っている。
「ねえ、あなたは人魚のことを知ってたの? 私は初めて見たわよ」
人魚のことが気になっているのはフィリも同じようで、俺が思わず呟いてしまった人魚というワードに食いついて色々と聞き出そうとしてくる。しかし俺も実物を見たのは初めてなので何も言えることが無いのだ。人魚なんて上半身が人で下半身が魚だったら皆そう言うでしょ。
「そう? でも前から知ってるように見えたけど……」
くっ、鋭い……! 確かに前から知ってはいたのだ。アニメやゲームの中でだけど。まあフィリに前世の話だなんだと言ったところで通じる訳も無いのでこれもまた適当に誤魔化しておくしかない。こうしてロクシスが色ボケてしまって船の雰囲気が悪くなってしまったという致命的なデメリットに目を瞑れば概ね船旅は順調と言えた。致命的なデメリットから目を逸らすなというツッコミは無視するものとする。
「今はまだ連中の不満も抑えられてるが……、このままで良い訳でも無え。何か考えはあるんだろう?」
そんな感じでのらりくらりと過ごしていた訳だが。ある日、ついにジルファからそう言われてしまった。何か考えはあるんだろう? と言われても何も考えなど持っていないのである! というか船長はロクシスだけど副船長はジルファじゃないの?
「俺が言うよかお前さんから言った方が奴にゃ効くだろ」
いやー、そうでもないと思うけどね。だって普段からオヤジなんて揶揄われてますし……。とはいえ、名目上はロクシスの師匠ということになってしまっている上、ここは船という逃げ場の無い閉鎖環境。責任を取れというむくつけき船乗り達からの熱い視線を背中に受けつつ、俺はロクシスにきちんと船長の仕事に戻るよう説得に乗り出すことになった。
ロクシスと人魚さんの二人に割り当てられた船室の扉をノックするが返事は無し。ここまでは想定内だ。めげずに扉を押し開けて部屋にそっと入って行くと、二人の話し声が漏れ聞こえてくる。
「剣だけで魔物を? ロクシス、強い」
「まさか、俺よりも強いのは陸にはもっといるさ。それより、ルーの故郷の話も聞かせてくれねぇか」
「私達のこと? 面白いかな」
二人で楽しそうに話している。それだけでもう俺の内心は羨ましさと妬ましさで台風もかくやという程の荒れ具合である。俺だって人魚からそんなキラキラした目を向けられたい! 俺が倒せる魔物ってリスだったり馬だったりスライムだったり木だったりパッとしないけど! 陸地の魔物の強さがパッと通じない人魚だったら雑魚魔物だってこともバレなかっただろうが、ロクシスの後だと二番煎じな上に魔物の強さも既に知られており、俺が倒した魔物なぞ大したものじゃないと見抜かれるに違いない。尊敬されるどころかガッカリされるのがオチである。
ロクシスに対する妬みをほんのりと混ぜ込みながら咳払いで存在を主張すれば、人魚さんとロクシスが弾かれた様に俺の方を向いた。
「お、オヤジ!? いつの間に入って来てたんだよ」
「気付かなかった」
どうやら二人だけの世界に浸っていた様子。う、羨ましくなんかないやい!
二人からのコイツ何しに来たんだよ、という視線にも負けずに丸椅子を引っ張ってくるとロクシスの隣に腰を落ち着ける。人魚さんや、お呼びでないオッサンが割って入ってきやがったみたいな顔は止めてくれないか。俺にだって傷つく心はあるんだぞ?
「ど、どうしたんだよいきなり……」
そう言いながらロクシスは視線を落ち着かなさそうにあっちこっちへと泳がせている。なんで俺が来ただけでそこまでテンパってるんだお前は。どうした、さっきまで楽しそうに会話してたじゃん。オッサンが一人入っただけでそこまで気まずい空気にならなくても良いじゃない……。半ばいじけたようにそう愚痴を零すと、ロクシスは増々挙動不審になっていく。
「言いたいことは分かってる、つもりだ」
ロクシスは俺から目を逸らしながらそう呟く。俺の言いたいことといったら俺も人魚さんと話したいってことくらいな訳だが、そんな俺の浅はかな思いはロクシスにとってはとっくにお見通しだったらしい。とはいえそれなら俺も遠慮することは無い。早速人魚さんと楽しい会話ターンである。え、ロクシスが仕事に戻るように説得? そんなことはどうだって良い、今の俺にとっては人魚さんの方が大事である。ということでまずは自己紹介から始めません?
「……ルー」
依然として警戒心を露わに俺をじっと睨んでいる人魚さん改めルーさん。ロクシスさん、あなたからも言ってやって下さいよ、俺は怪しい人間じゃないって。そんな思いを秘めながらロクシスに視線で助けを求めるが、二人だけで話す時間を邪魔されたのがどれほど腹に据えかねたのかロクシスは俺と目を合わせようとしない。どうして俺を見捨てるんです!?
「ロクシス、この人は……?」
警戒するルーさんと何も言えない俺。そんな気まずい空間になってしまった結果、ルーさんは当然のようにロクシスに助けを求める。
「……大丈夫だ、ルー。少しばかり話し過ぎたみたいだ。ちょっと俺は船の仕事に戻る。その間は俺の代わりにオヤジが付いててくれる」
「え?」
ルーさんがキョトンとしたような顔をするが、俺も同じ心境である。この気まずい空気を放置してよりにもよってお前が出て行くと申したか? いや、確かにジルファやその他船員からすればロクシスが船長の仕事に戻るのは嬉しいことかもしれないが、その間に俺とこの人魚さんは気まずいなんてもんじゃない空気の中で放置されることになるんですよ? 出来ればもう少し場を温めていっていただいてもよろしい?
「悪かったな、オヤジ。言いにくいこと、言わせちまって」
え、俺何も言ってないんですけど? ロクシスには一体何が聞こえてたんですかね……? 俺が言ってもいないことを勝手に聞き取って勝手に納得するの止めてもらって良いですか……? などと俺が弁解する間も無く、ロクシスは席を立つとそそくさと部屋を出て行ってしまった。後に残されたのは警戒心が最高潮に達している人魚さんと俺のみ。
「…………」
俺と人魚のルーさんの間に横たわる重苦しい沈黙。人魚さんからしたら俺は命の恩人であるロクシスを追い払った邪魔者でしかない。そんな彼女が俺を警戒するのは当然の話な訳で……ロクシスが帰って来るまでこの状態で放置されるとか罰ゲームでしかないんですが。
あの、ご趣味は……。
「……」
ロクシスとはどんな話で盛り上がってたので……?
「……」
沈黙が、痛い……!
よし、質問タイムはここまでにして、ここは俺の方から話さねばなるまい。ロクシスの後だと見劣りする気しかしないが、このまま質問していたところで気まずい沈黙が続くだけだと苦し紛れに俺の話をつらつらと語り始める。あなたを助けたロクシスの過去が気になったりしません?
「ロクシスの……?」
ロクシスの名を出すことでルーさんの興味をようやく惹くことが出来たらしい。よしよし、昔のロクシスの話をダシにしてルーさんの興味を惹こう作戦大成功だな!
「魔物を倒せるのはロクシス以外にもいるのか?」
「ロクシスが人間の中で一番強い?」
「これまでどんな魔物を倒してきた?」
なおちょっと話し始めたらルーさんから質問攻めにあった模様。俺が倒してきた魔物なんて大した奴らじゃなかったんですよぉ!
ひとしきり質問を捌き切ったころには、小さな窓から見える空は真っ暗になっていた。そんな時間まで話したというのに、肝心の人魚さんはロクシスと話していたときに見せていたような微笑みを一切見せてくれないのである。心の扉固すぎない?
最悪のファーストコンタクトになってしまった俺は、そろそろロクシスも戻って来るだろうと彼女に告げると椅子から腰を上げ、部屋を出る。すると案の定、仕事を終えて部屋に入ろうとしていたロクシスと鉢合わせた。
「お、オヤジ、ルーはどうだった?」
ソワソワと落ち着かない様子で聞いてくるロクシス。残念ながら警戒は解いてもらえませんでした……。
「そうか……、俺以外にも安心して話せる奴が出来ればと思ったんだが。このままルーの故郷に向かったときに説明もしてもらわないといけねえしよ」
どこに向かってるのかと思ったらルーさんの実家に向かっていたらしい。いや、そうだろうなとは思っていたけども。船員にはちゃんと説明したんだよね?
「ああ、ちゃんと話したさ。ルーの故郷が海の化け物に襲われてるらしいからな、俺とオヤジなら倒せる」
ちょっと待て、俺にもちゃんと説明してもらっても良いか?
「俺達は人魚、ルーの故郷に向かう」
ここ数日、海から引き揚げた下半身が魚のような鱗とヒレになってる美女に現を抜かしていたロクシスが船室から出てきたかと思うと、甲板の俺達に向かってそう言い放った。あの男に何を言われたのか分からんが、ちゃんと頭を冷やしたらしい。今のロクシスの様子を見て俺は小さくホッと息を漏らした。
海の上で船乗りが何を信じるか。風の流れと星の位置、そして船長の言葉だ。そのどれかが揺らいだ瞬間、船は容易くひっくり返る。ロクシスに頼まれたってだけで俺が副船長なんてもんを名乗っちゃいるが、引退漁師に出来る仕事なんざ大して無い。
進路の指示だけして船室に閉じ籠っちまった船長に対し、船員達が不安を覚えるのなんざ当たり前の話。特にまだロクシスよりも若い船乗り達の中には、このままで大丈夫なのかなんて口に出して相談して来るような奴もいた。
「信じて待て。ロクシスが船長だろう」
そんな時に誰よりも揺るがなかったのは、船乗りでもないこの男だ。副船長だと言われちゃいるが、俺だって今のロクシスの状態に含むところは当然ある。そんな俺がロクシスを庇ったとして、如何ほどの説得力があるだろう。だというのに、コイツは一寸たりとも揺らいじゃいなかった。
「悪いな、お前さんの仕事じゃねえだろうに」
本来なら俺が一番揺らいじゃいけねえ。ロクシスが船の竜骨なら、俺は船の帆柱だ。船員達の言葉を受け止め、船を進める原動力にしなくちゃならない俺の仕事を肩代わりしてくれていた。不甲斐ない自分への自戒も込めて謝れば、いつも通りの顔でコイツは肩を竦める。
「ロクシスだって男だ。美人に目が釘付けになるだろう」
そう言った顔は、ロクシスがこの男を親父と呼ぶ理由がよく理解できるものだった。普段は口数も少ないくせに、弟子のことになると饒舌になる。そんでもってこの顔だ。
「まるっきり親父だな」
俺がそう言って笑えば、隣で何かを言いたげに口を開いて結局何も言わずに黙り込んじまう。コイツにも照れくさいなんて思うことがあったのかもしれないと思うと可笑しくなって増々笑えちまった。
とはいえ、このまま船員達の不満をずっと抑え続けることが出来る訳じゃない。
「船長は……」
「分かってんだろ、今日もあの人魚のとこだよ」
あの人魚が示した方角には何があるのか、どうして俺達はそこを目指すのか、船長であるロクシスからは碌に説明も無いまま。俺達が話を聞き、説得してはいるがそれだけで全員が今の状況に納得できるわけが無い。水も食料も確実に減っていく。どこまで進むのか、どこで折り返すのか、それが分からないまま海を進むのは、月も無い夜の森を手探りで進むのに等しい。いや、それよりも不安な状況と言っても良い。海の上じゃ逃げ場は無い。水が無くなれば、食料が尽きれば、俺達に待つのは逃れられない死だ。だからこそ、俺達は船長の言葉を信じて従う。
「ここしばらく、ずっと指示された方角に進んでますが島影一つ見えやしません。このまま進んで大丈夫なのか……ジルファからも何か……」
「落ち着け、ロクシスがあの人魚から情報を聞き出してる。話が纏まれば俺達にもちゃんと話があるだろうよ。今は船長を信じて船を進めろ」
俺達のところに相談しに来た若い船員をそうやって宥め、持ち場に戻らせる。不安は互いに伝染し、増幅し、不満に変わる。俺達で話を聞いて何とか保たせちゃいるが、それももう限界に近付いていることは明らかだった。普段のロクシスなら、こんなことにゃならない。今の俺達の状況が目に入らないくらい、あの人魚に心奪われちまってるってことか。
船の上を動き回る船員たちの動きが日ごとに精彩を欠いていく。その不満の矛先は船長だけじゃない、船長の体たらくを許している俺と隣の男にも向いている。船に女を乗せるなとは昔の船乗りはよく言ったもんだ。
「今はまだ連中の不満も抑えられてるが……、このままで良い訳でも無え。何か考えはあるんだろう?」
「……俺は副船長じゃないが」
「俺が言うよかお前さんから言った方が奴にゃ効くだろ」
俺が言って聞くようならとっくに船は正常に戻ってる。そうじゃないってことは俺の言葉はロクシスに届いちゃいない。なら、後はもうこの男に頼るしかないだろう。
俺の言葉を聞くと、小さくため息を吐きながらもロクシスと人魚が過ごす船室の扉を開き、中へ入っていった。俺だけじゃなく、他の野郎どももその様子を伺っているのは見なくても分かる。
「おら、サボってねえで動け動け! あいつが動いたなら船長もすぐに戻ってくるだろうよ!」
そう言えば、船員達が慌てて持ち場へと戻っていく。それからほどなくして、ロクシスは戻ってきた。あの人魚を元居た場所に返すという目的を言葉を聞いてまだ多少の不安はあったが、それでも腑抜けた顔が幾分かはマシになっている。何を言われたか分からんが、これまでよりは船の雰囲気も良くなるだろう。
そう思いながら、船はロクシスの指示通り進んでいく。俺達の船を襲った嵐。その黒雲が生まれていた方角へと向かって。
「船長ぉー! もうこれ以上は無理だ!」
「馬鹿野郎! 今波に横っ腹を見せたらそれこそ船がひっくり返る!」
顔面を横から殴りつけるような大雨の中、俺達を振り落とさんばかりに荒れる海の上で、ロクシスの怒号が飛ぶ。雨粒が白い煙になって視界を遮るが、それでも隣で操舵輪を握るロクシスがどんな顔をしているかは想像がつく。
「ロクシス! これもお前の予想通りか!?」
「あぁ? そうだったらこんな情けない体たらくになってねぇだろうが!」
「そうかよ! 良かったぜ、もう茹だった頭は冷めたみたいだな!」
船乗りであってもまともに立っていることが出来ない揺れ。その船上に、ロクシスの師はいない。
「あの人魚共は何が目的でアイツを攫っていったんだ!?」
「知るか! 俺だってルーに聞きたいくらいだ!」
隣にいても怒鳴り合わないと互いの声が聞こえないくらいの豪雨。その中で、俺とロクシスの怒鳴り声は周りの船員達に聞こえ辛いのを良いことに、互いの内心に抱え込んだ苛立ちを発散するようにトーンが上がっていく。
嵐が来る直前、船が人魚共に囲まれた。手に持った銛を掲げ、船で一番強い戦士を寄越せと要求したえらの張った男人魚の顔が脳裏に甦る。ああ! 今思い出しても腹が立つ!
「だがルーは何も知らないって言ってた!」
「だったらあの女人魚は無関係だってか!? やけに庇うじゃねえか!」
「疑っても良いことが無い! 今は親父を追いかけるしかない! 少なくとも奴らも親父を殺すつもりは無さそうだった!」
「それもどこまで信用出来るか分からんがな!」
船底に穴でも開けられたら船の全員が溺れ死ぬしかない。それを船乗りでも無かったアイツが一番最初に気付いた。だから俺達が止める間もなくアイツは海に飛び込んで人魚共と行っちまった。誰もが動けなかった中で、アイツだけが動けた。まったく、情けなさ過ぎて自分に腹が立つ。
絶対に助けに行くから、死ぬんじゃねえぞ馬鹿野郎。