王都から逃げ出した俺は、王都に来る前のホクホクな懐はどこへやら、再び素寒貧状態に逆戻りしていた。とはいえ道中はそこまで気にしていない。最低限の旅の装備があれば、食料なんかは適当に獣を狩って得れば良いだけだし。一番困るのは水くらいだ。なので旅は出来るだけ川沿いを行くようにしていたりもする。結局、シャーレイと会った日以来はスライムと会うことは無かった。どうやら王都とは言っても始まりの街以下だったわけだな。いたとしてもスライム以下の経験値効率のリスや熊、狼くらいしかいなかったし。全く、一体いつになったら主人公の卵に出会えるのだろうか。
さて、王都を出てから北へ北へと進路を取っているわけだけども、これに大それた理由があるわけではない。俺は前世の知識でただ知っているだけだ。
北って食べ物とか美味しそうなイメージあるじゃん? 北海道とか。
そろそろ肉にも飽きてきたので新鮮な海産物も食べたいというのが北を目指す理由だ。やはり元日本人としては刺身とか食べたい。具体的にはマグロとかイカとかタコとかな!
そう思いながら川を下り、北へ北へと歩いて行く俺。その途中で川を利用して荷物を運んでいる商人なんかにも会った。どうやらこの川は王都を南北に貫いているらしく、それもあってこの川を使えれば色々なところに顔が利くようになるらしい。だけどその分使用料も高くて大きな商会しか使えないのが悩みなんだとか。へぇ、そうなんすね(興味なし)。その後も冒険者がどーのと色々話していたが興味が無くなったので右から左に受け流していた。
そしてついに俺は港町に辿り着くことが出来た。商人の話ではこの付近では一番規模が大きな港らしく、他国とも繋ぐ船が出ているらしい。へえ、いいじゃんいいじゃん。海鮮料理への期待に胸を膨らませていた俺なわけだが、町を歩けばどこか雰囲気が暗い。港町と言えば筋骨隆々で日焼けしたおっさん達が昼間っから酒を飲んで騒いでるイメージだったんだが、この町の活気無さすぎない?
誰かの葬式でもあったんかねえと思いながら手近な店に入り、俺は意気揚々と海鮮料理を看板娘に注文する。
刺身の盛り合わせ一つ! え、無い? なんでや!
俺の注文はすげなく却下されてしまった。看板娘も暗い顔をしているので事情を聴いてみると、どうやら今は殆ど漁に出ることが出来ていないらしい。禁漁期間とかあるのか……。これは来るタイミングを間違えてしまった。俺は諦めて肉料理で我慢することにした。って滅茶苦茶料金高くない? え? 今はどこもこんな感じ? 噓でしょ……。
看板娘の可愛さで誤魔化されていたがどうやらこの店はぼったくりだったらしい。あんまり払わないでいるとカウンターの奥でこっちを睨んでる髭もじゃのおっさんにぺしゃんこにされてしまいそうだし。ってかホントになんでそんなに睨んでるんです? 怖すぎません?
そして店を出たところで気付いた。宿に泊まるための金が無い……。さっきのぼったくり店で残りの有り金を使い切ってしまった。冒険者ギルドに何か売ろうにも売り物になるようなものを持っていない。いつも町について拠点を決めてから魔物狩りをしていた弊害が出てしまった……。
こうして俺は野宿が確定してしまい、どこで寝ようかと町をぶらつくことにする。せっかく港町まで遊びに来たんだし、海が見えるところで寝たいな、桟橋とか。
そう思って港を目指していたところ、桟橋のところで一生懸命に剣を振っている少年を見かけた。健康的に日焼けした肌に、短く刈った黒髪。頬に小さな傷跡が活発さを示している、まさしく海の町の少年というやつだ。おやぁ、これは……。俺の勇者の卵感知センサーが久々にビンビン鳴っている! この少年、恐らくは勇者の卵候補!
そうと決まれば早速唾を付けよう。素振りを見たところまだまだガキンチョで遅いし型もバラバラ。決まった先生がいて剣を教えてもらっているわけでは無さそうだし、コイツに俺のなんちゃって剣術を押し付けてあわよくばこのガキンチョの家に泊めてもらえば金の掛からない宿のゲットだ!
君、中々いい振りしてる(お世辞)けど、誰か先生でもいるの?
え、独学? やるじゃん(知ってた)。
君のやる気があるんだったら剣の振り方くらいは教えてあげても良いけどぉ、どうする?
そうやってねっとり勧誘してみたものの、その少年は不審者を見るような目で俺を見てきた。俺はどこも怪しくないだろ! なに? 実力が分からない奴の指導は受けない? この生意気なガキンチョめ、……中々鋭い目をしてやがる。
とはいえ俺のなんちゃって剣術は素人の目を誤魔化すことにかけては一級品だと自負している。そこまで疑うならかかってきなさい。ほーれ、俺は剣も構えてないぞぅ?
そんな感じに煽ってみれば、ガキンチョはムッとした顔で木刀を構える。いくら俺が底辺雑魚冒険者と言っても、こんなガキンチョ相手を相手に剣を使うまでもないな。遅い振りだぁ、止まって見えるな!
そう言ってドヤ顔でガキンチョの剣を躱し……、やべぇ、ちょっと掠った。だが俺の表情筋は何も知らない勇者候補を騙すために鍛え上げた一級品、動揺などおくびにも出さず、ガキンチョの剣を手から捩じり取る。ガキの握力で握られた剣を奪うのに技なんていらないんだよなぁ!
ガキンチョは俺の強さを勘違いしてくれたのか、手から捥ぎ取られた剣を見て呆然としている。もっと俺を尊敬しても良いのよ?
なんて内心鼻高々になっていたら、突然ガキンチョが転んだ。正確には転んだというより転ばされた、か。よく見ればガキンチョの足には太いタコの触手が巻き付いていたのだ。ほう、やはり港町ともなると魔物も海の魔物になるわけだな。ガキンチョは半狂乱になっているが、タコにしては太い足かもしれないが所詮は大人の腕くらいの太さ。どうせ本体の大きさも大したことないに決まってるのになんでそんなビビってるんだ。
そう思っていたが、ずるずるとガキンチョが桟橋を引っ張られていくものだからそろそろ助けてあげることにする。ヌメヌメしてるけど、斬れるかなぁ? いや、ノックスのくれた剣を信じろ!
ジタバタ暴れるガキンチョの足近くを斬るのは怖いので海に向かって伸びている触手へと先回りして剣を適当に一振り。お、何回か斬らないとダメだと思ってたけど一回で斬れた。ということはコイツ魔物じゃなくてただのタコなんじゃねえの?
斬られた触手はまだジタバタと暴れていた。そのままだと海に落ちそうだったので桟橋に縫い付けるように触手を突き刺す。しばらくすると動きが止まったので一安心して触手を担ぎ、まだ桟橋に倒れているガキンチョに手を貸して立ち上がらせる。まったく、たかがタコに巻き付かれた程度でビビりやがって、情けない奴め。そう言うとガキンチョもプライドが傷ついたのか黙って俯いていた。ま、俺が師匠になったらそんなことでビビるようにはならなくなるけどな! 知らんけど!
ここぞとばかりに俺式剣術ゼミの宣伝をしておく。さ、君も契約して俺の弟子になろうよ。するとガキンチョは今度はあっさりと承諾した。
ロクシス、と名乗ったガキンチョに今日泊まるところすら無くて苦労している、とぶっちゃけるとロクシスはあっさりと家に泊まっていってくれと招いてくれた。やったぜ、宿問題解決だ!
どうやらロクシスの家につくと、綺麗な美人お母さんが出迎えてくれた。ってかお母さんめちゃくちゃ若いですね。やっぱちょっと田舎に出れば結婚も早いんだなって。あれ、そういえば親父さんは? と聞けばいないと言う。どうやら母子家庭というやつなんだそうだ。大変っすね、なんて言いながら俺は台所を借りてタコの足を調理していく。横でロクシスもロクシスのお母さんも悪魔を見るような目で俺を見ていたが。こんなにデカいタコ見たことないってこと? でもタコなんて美味しいに決まってるんだから食べれば分かる!
塩で揉んでぬめりを取って皮を剥いで……、このタコやっぱり死ぬほど筋があって固いな。包丁じゃなかなか刃が通らないんだけど? 腹も減ってきたこともあってムカついてきたのではよ切れろやと力を籠める。すると今度はあっさりと切れた。なんで?
まあ切れたんならそれで良いやとスパスパと切って刺身にする。あ、醤油とかあります? 無い? ギョショウ? 何それ? まあ醤油っぽいなら何でも良いや。デカいんで残った奴はカルパッチョにでもしてみる? カルパッチョが何かはよく分からんけど。まあロクシス母に任せとこう。
それで俺は皿に刺身を盛り付けるとドン引きしているロクシス親子と共にテーブルにつく。え、そこまで引かれる? ……いや、確かに勝手に台所借りたのも良くないかもしれない。反省の気持ちを少し籠めて謝っておいた。すんません、反省してまーす。
ということで醤油モドキに浸してタコの刺身を味わう。うーん、歯応えがあり過ぎるけどまあ旨い。これはいける!
食べて旨かったのでロクシス親子にも勧めると、おずおずと食べ始めた。すると二人も気に入ったのか、旨そうに食ってくれた。あれ? なんか泣いてません? そんなに旨かったの? 泣くほど? 今まで刺身文化が無かったりしたの、この町には?
湿っぽい空気に耐えかねたのと一宿どころか何宿もお世話になるのだから雑用くらいはしておこうと俺は日課の素振りも兼ねて薪割りを買って出た。そして家の裏で薪を割っていると、飯を食い終えたロクシスが顔を出した。
え? 俺から剣を学べば強くなれるかって? どうだろうね、君次第かもね! 言質は取らせんぞ!
そして翌日からロクシスの修行が始まった。もちろんやることは今までと全く変わらない。死ぬ寸前まで走らせたり手から血が出るまで俺と一緒に剣を振らせたり町の外に出て魔物を狩ったりだ。どうやらロクシスはあのタコの本体を仕留めるのが目標らしいが、海の中にいる相手に剣とか役に立つんかね? そんなこと言ったら弟子を辞められて宿を失いそうだから言わないけど。
あ、ロクシスも例に漏れず俺をキチガイを見る目で見るようになりました。俺の弟子は皆師匠を何だと思っているのかね……? いや、多分ソーン辺りは今頃騙されたことに気付いて「野郎、ぶっ殺してやる!」状態になっているかもしれんけど。
ロクシスに剣を教えていたある日、俺はロクシスを伴って燦燦と日が輝く砂浜に来ていた。せっかく海に来たのに海水浴もナンパもしてないじゃないか! というのが理由だけど、ロクシスには海で戦う感覚を身に付けろーとか適当なことを言っておいた。なんだよ、海で戦う感覚って。俺も知らないよ。まあロクシスは誤魔化せているみたいだからヨシ!
そしてウキウキで水着美女を探したのだが、待てど暮らせど水着美女の影も見えない。なんでぇ?
ムカついたので砂浜ダッシュやいつも以上にロクシスをボコボコにしていると、海の方が何やら騒がしくなってきた。なんだなんだと目を向けてみれば、海からタコが上がってくるじゃないか! まさかこの世界のタコは陸上にも進出してきているのか! 美味いものが向こうからやってくるとか最高だな!
俺はロクシスを伴って嬉々としてタコ狩りに精を出す。ロクシスはタコのヌメヌメした表皮で刃が滑っているようだが。やっぱりノックスの剣はそこらの数打ちの剣とは格が違うな! 俺はスライム二匹分しか経験値が入って無いから多分レベルとしては3くらいだけど剣のおかげで攻撃力がすさまじく水増しされてるんだろうな。
ウニョウニョと触手で器用に砂浜を歩くタコの動きは存外素早い。ロクシスなんかは翻弄されているようだが、いくら素早くともこの剣なら一撃で斬れるから関係ないんだよなぁ! ヒャッハー! タコ共を刺身にしてやんよぉ! 墨なんぞ吐きやがって小賢しい! 服が汚れるから全部避けるけどな!
気が付けばあっちゃこっちゃにバラバラにされたタコ共が転がっているだけになった砂浜で、ロクシスは肩で息をして俺を見ていた。俺? 魔物でもないタコ相手にして息切らす師匠とか噂されると恥ずかしいし……。
後はまだ状態が良く、食べられそうなタコ足を何本か拝借すると残りは海に流して捨てた。流石に食べきれないからね、後は海のお魚さん達の餌にしときましょうねー。
その日の夕食はタコ尽くしだった。ロクシスの母親もタコを食べるのに慣れたようで、色々な料理を作ってくれる。でもどうやらタコを切るのが難しいらしく、それだけは俺の仕事だったけど。居候なんで雑用くらいいくらでもやりますよ!
そしてその日はさらにロクシスの母親の機嫌が良かったのか、なんと酒まで出してくれた。新鮮な刺身と酒をしっかり堪能した俺は上機嫌で寝床に入ったのだった。なお起きた時には記憶を失っていた模様。いかん、飲み過ぎたか。それ以降、ロクシスは俺を見るとオヤジ、と呼ぶようになっていた。そんなに酒が入った俺の醜態が親父臭かったってか? よろしい、ならば今日の修行は素振りマシマシ手合わせガチガチにしてやろう。
俺はオヤジって言われるような歳じゃないからな! 忘れんじゃねえぞ!
それでもめげずに俺をオヤジと煽ってくるロクシス。こいつ、そんな方向に根性見せやがって……! 良いだろう、お前がビビらずに魔物を狩れるようになったら少しくらいはそう呼んでも許してやるよぉ!
そんな感じにロクシスをしごくことしばし、彼も立派に育った。日焼けした肌、短く刈り揃えた黒髪はそのままに、野性味溢れる良い男になったのだ。ソーンが野良の柴犬、ノックスが血統書付きのレトリバーとすれば、コイツは土佐犬みたいな。いや、犬で例えるのもどうかと思うけどさ。
港町付近で出る魔物も一人で狩れるようになってきた。俺が何も言うまでもなく冒険者ギルドに登録してきたようで、意気揚々とプレートを俺に見せつけてきやがった。俺? 俺は相変わらず冒険者なんかになることも無くフラフラしてますけど? だってただでさえお金に余裕ないのに保証金なんか払えるわけないだろ!
というところでロクシスも育ってきたし、何故か最近港から船が出るようになったのでこの町もそろそろ出ようかと思う。
なんでも、この町の港を出る船を無差別に沈めていた魔物が討伐されたことが最近判明したらしい。ほーん、この町の冒険者もやるじゃないか。海の魔物を倒せるくらいに強い冒険者に目を付けられるのも怖いのでさっさと町を出たいところだ。
ロクシスが寝静まった後、俺はロクシスの母親に町を出ることを告げた。すると彼女は何も言わずに俯いた。俺がろくに働きもせずにロクシスをボロクソにしたり雑魚魔物狩りをしてることはとっくにバレてロクシスと同じ目で俺を見てきていた。ロクシスよりも大人な彼女は俺がロクデナシなことに気付いていたということか、それでもロクシスの為に何も言わずに今日まで我慢するとか、この人も聖女なのでは……?
北に向かう船に乗って出ることを告げると、「そうですか」と言って引きつった笑みを俺に向ける。あ、これはさっさと出て行けって顔ですね? ……悲しくなんかないやい。え? ロクシスに何か言っておくこと? うーん、お母さんと仲良くしなさいよって言っておいてください。後俺はオヤジじゃないからな! とでも言っておいて。
彼女はその後、戸棚の奥から何やら文字の書き綴られた紙を手渡してくれる。聞けば、これを見せれば商船に同乗させてくれるだろうとのこと。どうやら最後の餞別として船のチケットやろう、ということらしい。半ばニートだった俺に対してどれだけ優しいんだこの人。ロクシスは良い母ちゃんを持ったな。引きつった笑顔じゃなくて最後まで誤魔化してくれてれば満点だったんですけど……。
まあもう俺はこの町を出るので関係ない。……強がってなんかないからな!
俺は夜明け前に北の町に向かう商船に相乗りさせてもらうことになった。船長にロクシスの母親からもらった紙を見せるとかなり良い待遇で乗せてもらえることになったのだ。実はロクシスの母親って結構お偉いさんだったりする?
まあいい。あばよロクシス! お前が冒険者として強くなって船乗りになってクラーケンとか幽霊船とかを相手に大立ち回りして酒場の酔っ払い達の定番武勇伝になるくらいになったら俺もどっかの酒場で管巻いてニヤニヤするからな!
「ロクシス」
俺を呼ぶあの人の声はいつも素っ気なく、なのにそれでいて優しかった。
「剣の振りは悪くない。師事している人間がいるのか?」
桟橋で海に向かって木刀を振っている俺に声を掛けてきたあの人は、まるで全てを見透かしたような目をしていた。
数か月前から港の出口に大量の魔物が発生し、商船や客船が見境なく沈められてしまうようになった。この町は漁業が無ければ成り立たない。備蓄も底をつき始め、今や王都の商人からの支援が無ければ立ち行かなくなってしまうくらいにまでなってしまっていた。
そうなる前に、多くの船乗りと冒険者が状況を打開するために船を出した。だがそれはいずれも失敗した。俺の父が船団を率いて出港していったのを最後に、この町に残っている船乗りと冒険者は今や諦観に支配されてしまっていた。
そんな腑抜けた奴らの為に親父が死ぬことになったのか? こんな奴らの為に、俺とお袋は苦しむことになったのか?
そんなこと認められるか! その一心で俺は剣を振っていた。誰もやらないなら俺がやる。俺が親父を継いで、この町を救ってやると。
そんな子供の妄想にも劣る大言壮語を抱えている俺を見抜いたようなあの人の目は、俺には正面から受け止めることは出来なかった。
「……独学だよ、それがどうした?」
だから最初はそんな生意気な返しをしてしまった。それでもあの人は気分を害した様子もなく、むしろ驚いたように目を微かに見開いた。
「独学。なるほどな、その歳にしちゃ筋は悪くない」
だが、とあの人は続けた。
「闇雲に振り続けるだけじゃいつまで経ってもその先は無い。自己満足で終わらせたけりゃそれで良い。だがそうじゃ無いなら、俺が棒振りのやり方くらいは教えてやる」
正直に言おう、最初はこの人のことを信じるなんて出来なかった。いきなり現れて、それでいて上から目線で俺に剣を教えるだのと宣う。腰に佩いてる剣を見れば、恐らく剣士なのだろうが、実力だって定かじゃない。口だけのハッタリ野郎だっていうこともあり得る。
「信用できない、って目をしてるな」
そんな俺の内心を見透かしたように、あの人はそう言った。俺はギクリとして身を強張らせたが、あの人は俺から少し距離を取ると俺を迎え入れようとするように軽く両手を左右に開いた。
「ならひとまずはお前自身の目で確かめてみろ。俺は剣を抜いちゃいない。どうする?」
そう言ってニヤリと笑ったあの人に、無性に腹が立った。それは海の向こうに消えた親父の姿とダブったからかもしれない。何も知らないくせに、ずけずけと俺の内心に踏み込んで来るな、と。
その憤りのまま、俺はあの人に肉薄する。これでも俺は同年代の中じゃ喧嘩で負けたことはない。親父の船に乗っていた頃、船乗り同士の喧嘩を仲裁したこともあるから身のこなしには自信があった。だというのに、あの人は見せつけるようにギリギリで木刀を避けたかと思えば、気付けば俺の手から剣は消えていた。
「え……?」
「俺の剣は人を斬るのには使わん。ましてや、子供を斬るのにはな」
俺の手から奪った木刀に目を走らせながら、あの人は呟く。俺の体裁きや剣の振りなんかじゃこの人にとっては止まって見えるも同然なのだと、言葉も無く分からされてしまった。
「あ……」
そのとき俺は何を言おうとしたのか。突然足が何かに引っ張られたかと思うと、俺は桟橋の上を海に向かって引きずられた。足に巻き付いているのは、港の出口で船を襲っているという魔物の触手!? まさか港まで押し寄せてきていたのか!?
半狂乱になって暴れる俺とは対照的に、あの人は冷静に俺と、俺の足に巻き付いている触手を見ていた。
「た、助けて……!」
あの人に届くなんてとても思えない小さな声。俺が心の底から魔物に怯えているから、声が出なかった。
船乗りは皆海を愛し、同時に海を畏れる。水面の下には人間の及びも付かない世界が広がっていて、この魔物はそこに人を引きずり込もうとする。息も出来ず、身体も満足に動かせない暗くて冷たい世界。そう思うと息が喉の奥で詰まって声が出なくなる。
「……この程度か」
そう呟いたあの人が何を考えていたのかは未だに分からない。だが、桟橋の上にいたあの人の姿が俺の視界から掻き消えていた。
そして次の瞬間には、俺を海へ引きずり込もうとする力は無くなっていた。何が起きたのだと桟橋の先を見れば、師匠が剣を振り抜いた姿勢で止まっているのが見えた。あの一瞬で俺より先に桟橋の先まで走って触手を斬った? 嘘だろ?
だが、魔物の触手は切り離されてもまだ意思を持っているように、俺の身体を這い上がり、首に巻き付こうとしてきた。
「しつこいな」
それを見たあの人は、一言だけ呟くと剣を桟橋に深々と突き刺して触手を桟橋に縫い留めてしまった。それがトドメになったのか、触手からは今度こそ力が抜けた。
「いつまで寝てるつもりだ?」
俺が呆けていると、あの人は魔物の触手を担いでこっちに手を差し出していた。あれほどの動きをしていて息一つ乱していない。俺は彼の手を取って立ち上がった。
「それで、どうする?」
「え……?」
「お前は今、コレに怯えた。生き残るに怯えは悪くないが、剣を極めるに怯えは不要だ。俺はお前に怯えを無くす術を与えてやれる」
この人は、どこまで俺のことを見透かしているのだろう。俺のことだけじゃない、この町のことも見通していた。今この町は怯えている。状況を打開することも出来ず、怯えて生き残ることだけを考えている。それを不満に思う俺だからこそ、この人は俺を鍛えてくれると言っているのだ。
「とはいえ、今日の宿も無い俺が言ったところで、怪しい勧誘には違いないがな」
その言葉に、俺は一も二もなく彼の手を引いて家へ案内していた。しどろもどろに家に招待することを伝えていると、小さく微笑んでくれた。長年の鍛錬によるものか、人の手とは思えないくらいに硬くなった手を引きながら、俺はまるで親父が帰って来たような錯覚にすら陥ってしまった。
「お袋、この人をしばらく泊めてやってくれないか? 俺の命の恩人で、俺に剣の稽古を付けてくれる師匠なんだ」
事情を説明すると、お袋は何度も頭を下げてお礼を言っていたが、あの人は気にするなとだけ言った。
「父親はいないのか?」
「夫は、既に……」
「そうか……」
目を伏せて言うお袋に、あの人はそれだけ言うと、
「ところで、台所を借りても良いか?」
「え? えぇ、構いませんけど……」
強引にも思える方法で話題を変え、あの人は担いだ触手を持って台所へと入っていった。何をするつもりなのかとお袋と一緒に見ていると、あの人は触手を手早く下処理し、皮を剥いでいく。ただ、あまりにも魔物の触手が固いのか包丁の刃が通らず苦労しているようだった。あの人の持っている剣は名剣だろうが、あの包丁はただの日用品だ。それじゃあの魔物を切れないんだろう、等と思っていたが、あの人は一度目を閉じて息を吸って吐くと、今度は何の抵抗もなく包丁が魔物の触手へと入っていった。
「……刺身だ。醤はあるか?」
俺とお袋が覗いていることに気付いていたのか、お袋に向かってそう声を掛ける。
「えっと、魚醤なら……」
「魚醤……、それで構わん。それを付けて食う」
更に魔物の触手の刺身を盛り付け、お袋から渡された魚醤を片手にテーブルに向かう。
「すまん。俺はこういうやり方しか知らん」
あの人について俺とお袋もテーブルにつき、食事を始める。あの人が何の躊躇いも無く口に運ぶものだから、俺とお袋も恐る恐る一切れ食べる。コリコリとした歯応え、噛むと魚醤の味だけでなく微かに甘みを感じるそれは、俺とお袋だけじゃなくこの町の誰もが今は食べることが出来ていない新鮮な魚介の味。
気付けば、あの人に親父の姿を重ねていた。口数が少なく、けれど俺とお袋を深く愛してくれていた人。船乗りとしての誇りをいつでも失わず、魔物に怯える町を救おうと立ち上がった俺とお袋にとっての勇者。漁を終えて帰って来た時は、親父自ら捌いた魚を食わせてくれた。何故だろう、後から涙が溢れて止まらないのは。横を見ればお袋も泣いていた。多分、俺と理由は同じだと思う。
「……薪割りをしてくる」
食事を終えたあの人はそう言って家の裏手へと姿を消した。薪割りなんかただの口実で、俺とお袋を気遣ってくれたことなんてすぐに分かった。俺もお袋も、親父が死んだことが分かっても泣かなかった。同じ思いをしている人は自分たち以外にもいるから、辛いのは自分だけじゃないからと。でも、あの人の料理を口にして、あの人の言葉の意味を理解して、俺とお袋は許された気がした。泣いても良いと、ここにいる間は俺が守ってやると、あの人の背中が語っていた。
俺は涙を拭うと、あの人を追って家の裏手に出た。あの人は本当に薪割りをしていて、家から出てきた俺を無言で見つめていた。
「なあ、俺はあんたに師事すれば、強くなれるか?」
口を衝いて出てしまった質問に、あの人は薄く笑った。
「さあな。俺は俺の棒振りを教えてやるだけ。強くなれるかはお前次第。俺の棒振りはお前の心を強くする。お前の心が、剣を強くする」
その言葉に、俺は深々とあの人、師匠に頭を下げた。俺の心は、この人のものだ。
それから、師匠は俺に剣を買い与えると、そこから過酷、というには生温い修行が始まった。息が出来なくなるまで走らされたかと思えば、剣を振り、そして不意打ちのように手合わせが始まる。手から血が流れようと、息が出来なくて気絶しようと、師匠の修行は終わらなかった。それでも、俺は師匠に畏敬の念を感じこそすれ反発することは無かった。何故なら、俺の修行と同等、いやそれ以上の修練を師匠は俺と一緒にこなしていたからだ。その上、俺がぶっ倒れてしまうと俺を置いて町の外に魔物を討伐しに行く。つまり、俺に付けている修行は師匠にとっては魔物を討伐する前の準備運動にも満たないというわけだ。師匠は雨が降ろうと修行を止めることは無かった。あれだけ硬く固まった師匠の手が、苛烈過ぎる鍛錬に再度裂け、血が滲もうと師匠は鍛錬を続ける。その姿を目の前で見せられていて、どうしてそれ以下の修行しか出来ていない俺が文句を言えるというのか。
その上、師匠は魔物を討伐したかと思えば、お袋を手伝って家事までこなす。修行で疲れ切って泥のように眠る俺と対照的に、師匠は規則正しく朝早く起き、そしてお袋の手伝いをしてから俺に修行をつけ、その後魔物を単身で討伐して帰り、またお袋の手伝いをする。
気付けば、俺とお袋は家にいるときによく笑うようになった。師匠は声を出して笑うことは無かった。だけど、俺とお袋を見て口元だけ優しく笑うのだ。
そんなある日、俺は師匠に連れられて町を出て少し歩いたところにある砂浜に来ていた。
「お前の目標はあの日お前を襲った奴を倒すことだと言った。なら、それを忘れるな。海を見ろ、お前の仇はお前の目の前にいる。その感覚を忘れるな」
師匠の言葉と共に俺はあの日のことを思い出し、身が震えるような心地がした。目の前が暗くなり、あの日の触手が幻となって俺の前に立ち塞がる。
「だが恐れるな。恐れは心を鈍らせる。鈍った心で振るう剣は遅い。遅い剣はお前自身を傷つける」
その言葉と背に添えられた手に、俺の心に巣くった恐怖がゆっくりと溶けていった。
「お前の心は鍛えた。今のお前は奴に怯えるだけか? 違うだろう。剣を振れ。恐怖を覚え、それでも前を向け、怯えをねじ伏せ、心を従えろ。そうすればお前の剣は真っすぐと振るわれる」
師匠の言葉一言一言が俺の耳から心に染み入り、揺れていた視界が定まる。恐怖を克服しきったわけじゃない。けれど、恐怖を御す術は知っている。恐怖に心を失い、剣を鈍らせることが無いように師匠は俺を導いてくれた。
だが、そんな俺の決意を嘲笑うかのように、海が荒れた。
俺と師匠の前には、波を掻き分けて地上に乗り込もうとする大量の魔物。港の出口に留まっていたのが、抵抗が無いと判断してこんなところまで迫って来ていたのだ! 視界一面を埋め尽くさんばかりの魔物に、静まったはずの俺の心に再び嵐が訪れようとしていた。
「ちょうど良いな、ロクシス」
「ぇ……?」
師匠はしかし、いつもと変わらぬ様子でニヤリと笑うと剣を抜いた。
「向こうからこっちに来てくれた。さあ、斬るぞ」
そう言うと共に俺の視界から師匠の姿は消え、先頭にいた魔物が血のように墨を噴き出して両断された。恐らく、魔物もいつ斬られたのかすら分からないだろう。
そして俺にチラリと目を向けると、師匠は魔物の波へと躍りかかっていった。師匠が剣を一度振るう度に魔物が両断され、魔物が口から吐く黒い溶解液を一滴も掠らせることすら無く、いっそ優雅にすら見える所作で剣を振るい続ける。
『怯えるな、剣を信じ、心のままに振るえ』
師匠はいつも自由に剣を振るう。ギルドに屯している冒険者から聞いた剣の型なんか無視して、心の赴くところに剣を振るえば、それこそが正しい剣閃だと師匠は分かっているのだ。俺もそれには及ばないにしても一匹くらいは!
心を奮い立たせ、師匠の剣撃の嵐から外れたところにいた一匹と対峙する。恐いか? ああ、恐いに決まってる。だが、この恐さは魔物に対する無条件の恐怖じゃない。今まで師匠に鍛えられた俺の剣を満足に振るえぬまま終わることへの恐怖だ!
「うぉおおおおお!」
自分を鼓舞するように雄叫びを上げて魔物へと剣を振るう。こちらを絡め捕ろうとする触手を剣で弾き、確実に距離を詰める。俺には師匠のように魔物が捉えられない速度で動くことなんかできない。だけど、師匠は言っていただろう。
『早く動くことは必須じゃない。一撃で魔物を断ち切ることもまた必須じゃない。必要なのは、正しく剣を振り、正しく剣を通すこと。一撃じゃなくて良い。百回でも千回でも剣を通せ。必要なのは、心だ』
諦めなければ、心が折れなければ剣を取り落とすことは無い。触手を弾き、魔物の額へと突きを放つ。その一撃はしかし、魔物の粘液で滑り、強靭な表皮に弾かれる。その程度で諦めたりなどしない、百回でも、剣が折れようとも、俺はこの魔物を倒すと心に決めた!
心を研ぎ澄ませれば魔物へと俺の全神経は集中され、それと同時に師匠が修行で俺に叩きこんでくれた動きをどうすれば魔物に打ち込めるか、それだけに思考は焦点を合わせる。
魔物の動きがゆっくりと見えるようになり、ただの剣が俺にとっては鋭さを増した名剣となって手に馴染む。俺の中に撒かれていた師匠の剣理の種が、この魔物との戦いで急速に芽吹いていくのを実感していた。
触手を弾く
魔物の額に突きを放つ
少し距離を取り、後ろから迫る触手を避ける
思考する前に身体が魔物の動きに合わせて反応する。師匠との手合わせを思えば魔物の動きは遅い。師匠の剣よりも触手の動きは鋭くない。
そして俺の剣はついに魔物の額を貫いた。魔物は一度大きく身体を震わせたかと思うと、俺に襲い掛かろうとしていた触手が力無く砂浜に落ちた。やった、ついにやったんだ!
そこで、俺は目の前の魔物との戦いに集中しすぎて他にも大量の魔物がいたことを忘れていたのに気付いた。だが、その心配は杞憂に終わった。俺の周りには、一刀両断された魔物の死体が夥しい数転がっていたからだ。そんな様相を作り出した張本人である師匠は、俺の方を見てやっと終わったかと言わんばかりに笑っていた。あれだけの数の魔物を相手にしてどうして息一つ切らしてないんだ、この師匠は……。
「この程度で息を切らしちゃ、お前の師とは言えねえだろうよ」
そう言って俺の頭をくしゃりと掻き乱した。そのゴツゴツとした手の感触と、掛けられた言葉の温かさに、俺は今度こそ、終わったのだと思うことが出来た。
師匠は死んだ魔物から触手をいくらか切り取ると、残りの死体は海へと流してしまった。魔物の死体なのだから、食う以外にもギルドに持っていけば売れるというのに、師匠はそれに頓着していないようだった。
「残りは海に流す。餞別だ」
その言葉に、師匠は海に消えていった親父や他の船乗りへの手向けとするのだと悟った。お前たちを苦しめていた魔物はもういなくなったと。海の藻屑にしてやったと、親父達に教えてくれたのだ。それは剣を振るうのに心こそ肝要だと言う師匠の譲れない価値観なのだろう。金よりも、心を取るのが師匠だと、俺は理解した。
その晩、事の次第を聞いたお袋は涙を流して喜んだ。感極まって師匠の胸に飛び込んで泣いたほどだ。親父を殺した魔物の仇を取った。この町の誰もが出来なかったことを、師匠は顔色一つ変えずに成し遂げた。そしてお袋と師匠は台所で連れ立って魔物の触手を料理する。お袋じゃ触手を切れなかったから、その手伝いの為だと分かっている。だけど、俺はお袋と師匠が並んでいる姿も悪いものじゃないと思った。
親父が死ぬ前に飲み、帰ってから飲むと残していった酒を開けた。今日、親父はようやく海から解放されたのだから。
「ロクシス、お前は強くなった。剣じゃない、心がな」
酒を飲んで少し口数が増えた師匠が、いつもだと絶対に見せない笑顔で俺の髪をぐしゃぐしゃと混ぜた。
「自分の心を守れるようになった。次はお前の母親を守れ。それがお前の役目だ。お前にしか出来ない、役目だ」
まるで親父が海から帰ってきたような気がして、俺は涙を堪えられなかった。師匠は俺にとってただの剣の師ではなくなってしまった。師匠は、俺のもう一人の親父だ。
翌日、俺は今日も朝からお袋の手伝いをしている師匠を見つけるとその傍に立って言う。
「おはよう、親父」
「……」
そのときの師匠の顔を何と言えば良いか。むず痒そうな、どこか居心地の悪そうな、でも口元が少し緩んでいるように見えた。だけど、すぐに師匠は顔をいつもの仏頂面に戻してしまった。
「俺は親父じゃあない」
師匠は優しい。どこまでも優しくて、赤の他人の家族の死まで受け止めてしまう。師匠ほど強くなけりゃ潰れてしまう生き方だ。だからこそ、俺は師匠を親父と呼ぶ。この不器用で、優しくて、いつも俺に道を示し続けてくれる人を、俺は他にどう呼べば良いか分からない。
その日から、師匠の鍛錬は更に厳しさを増した。魔物を単身で討伐出来るあの人に少しでも近づくために、俺もがむしゃらに鍛錬をこなし、師匠の魔物討伐にも同行した。
そしてある日、ついに俺は師匠の前で魔物を単身で討伐することに成功した。あの海の魔物以来、二度目の単身討伐だ。
「……よくやった」
魔物を討伐した俺を見て、師匠はいつもと変わらない口調でそう言った。まだ、俺はこの人を親父と呼ぶことが出来ないのかと肩を落とした。
「お前の親父として、鼻が高い」
俺の前を歩く師匠が肩越しに告げた言葉に、俺は全身に歓喜の震えが走った。認められた! 俺はこの人の息子として認められたんだ!
その日は俺にとって人生最高の日だと言っても良かった。師匠と酒を酌み交わし、師匠の故郷の話を聞いたりもした。師匠の為人を知れて、師匠の歩んできた道筋を知れて、俺もお袋も笑っていた。
だがその翌日、師匠はお袋に伝言を託すと町を出てしまった
『母親を守れ、心も身体も。俺は結局、お前の親父にはなれなかった。悪いな』
師匠はある目的があって北を目指しているという。師匠が海の魔物を殲滅してくれたので船が出せるようになったのだ。師匠は北へ向かう商船に乗って行ってしまった。
「あの人を引き留めるべきじゃないって思ったわ。あなたも分かるでしょう、ロクシス?」
昨晩、師匠と話をしたお袋は寂しそうに笑っていた。師匠の手前、堪えたもののお袋だって師匠を悪く思っちゃいなかった。だけど送り出したのは、それだけ師匠のやるべきことはここに居ちゃ出来ないことで、誰にも邪魔できないものだったんだろう。
お袋は、師匠に親父が残した慰問証を渡したと言った。船乗り達は皆、海に出る前に遺書と一緒にこの慰問証を家族に渡していく。船乗りが海で命を落としたとき、この慰問証があれば他の船乗りに助けてもらえる。船乗りの家族にとっては命綱に等しく、何より死んだ船乗りの形見ともなるものだ。それを師匠に渡したということは、お袋にとっても師匠はそれほどの人だったということ。
「……お袋、俺は強くなる。この町の船乗りと冒険者をまとめ上げ、もう俺やお袋みたいな人を出さない為に」
師匠の目的をはっきりと聞くことは出来なかった。だが、あの人はいつも誰かを助けるために剣を振るっていた。だからその為に師匠は町を出た。俺だって師匠について行きたかったが、それを出来るだけの力も、度胸も無かったから俺は師匠に置いて行かれた。なら、俺が今やることはここで腐ることじゃない。俺がここで地盤を作り上げることだ。
師匠との日々を語り終えた俺は、目の前で穏やかに笑みを浮かべる金髪の冒険者を値踏みするように見つめた。
「これが俺と師匠、親父との日々だ。それで、急に俺と手合わせを願い出てきてそれが終わったかと思えばこんな話をさせたことについて説明はしてくれるんだろうな?」
「ええ、説明させていただきますよ。でも先に謝っておきます。港町のギルドをまとめるギルド長に対し、突然の無礼申し訳ありませんでした。近頃はあの人の弟子を名乗る不届き者が増えたもので、確認が必要だったのです」
ノックス、と名乗ったその男の言葉に、コイツも俺と同門だということに気付いた。
「町から町へ渡り歩き、人知れずそこの魔物を狩り尽くす。そして弟子を育て、また旅に出る。剣神と噂される人の使うその剣術は盾を使わない、攻撃のみを頭に置いた一点突破の神剣。師から流派は聞いていますか?」
「いや、師匠は流派を教えちゃくれなかった。くれたのはこの剣と心だ」
もしかしたらこの答えではダメかもしれない。ノックスに、兄弟子に俺が弟弟子だと認めてもらえないかもしれないという不安はあった。だが、そこで不誠実な嘘をつくことこそ師匠への裏切りだ。俺の予想に反し、ノックスはむしろ安心したように笑った。
「ええ、その答えこそ、あなたが紛れもなくあの人の弟子たる証拠ですよ。師は安易に流派の名を伝えない。名よりも大事なものを弟子に伝えるために。そんなあなたに、師が僕に伝えてくれた流派の名をお教えします。僕のクラン名にもなっていますけどね」
穿神一刀流。ノックスが口にした流派名を俺は小さく繰り返す。なるほど、神を穿くとは、また大層な名前だ。
「港を魔物に封鎖されて死にかけた町を救ったのは師匠だ。だが、師匠は自分の功績を何も誇らず、気付けばギルドを纏め上げていた俺の功績になっちまってた。俺じゃあの魔物の大群を捌くことなんか出来なかったっていうのによ」
「けれどそれから町のギルドをその腕一つで纏め上げ、船乗りとの連携を重視した新たな冒険者ギルドの形を作り上げたのは紛れもなくあなたの功績だ。僕はそれに敬意を表する」
「よしてくれ。師匠ならもっと早く出来た。俺はあの人が均してくれた道を歩いてるだけに過ぎん」
ノックスの褒め殺しを手で制し、俺は席を立つ。窓に寄って外を見れば、ノックスの後ろについてギルドに乗り込んできた面々が市場を物珍しそうに見て回っているのが見える。あれが、師匠の他の弟子達。俺の兄弟子や姉弟子達。
「ロクシスギルド長」
「ロクシスでいい。兄弟子に敬称なんて付けられちゃむず痒くてかなわん」
「ではロクシスと。ロクシス、僕達のクラン、穿神一刀流は師を追って北を目指しています」
「さっきも言っていた極北山脈を目指してか?」
俺の言葉にノックスは頷いた。
「他にもその途上で、師の弟子達を一つのクランに纏め上げようともしています。そうすることで、師の目的を果たすための一助となるために」
だから、とノックスは俺の手を取った。
「どうか僕達と一緒に来てくれませんか? ギルド長であるあなたはここから離れることに躊躇いがあるかもしれませんが、あなたほどの使い手が来てくれると助かります」
ノックスの目に嘘の色は無い。コイツは本気で師匠を追うと言っている。極北山脈、瘴気の源があるという、呪われた伝説の地へ。
俺の後ろ髪を引くのはお袋のことだ。お袋だって師匠に会いたいと思っているはず。だがお袋は旅について来ることなんか出来ないだろう。
「……俺はお袋を置いていくこたぁ出来ねえ。俺は母を守れと、師匠に言われた」
「いつまで甘ったれたことを言ってるの、ロクシス!」
「ハァ!?」
突然俺とノックスの間に割り込んできた声に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げていた。扉を見れば、赤毛の男と緑髪の女に連れられた俺のお袋が、鋭い目で俺を睨みつけていた。
「ああ、ソーン、リミィ、ありがとうございます」
「気にするなよ、ノックス」
「これくらいお安い御用だしね」
ソーン、リミィと呼ばれた彼らは、お袋を部屋に案内するとそのまま出て行ってしまった。部屋には俺とノックス、お袋の三人だけが残される。
「ロクシス、確かにあの人はそう言ったかもしれないけどね。私はもう十分、守ってもらったよ。あの人にも、あなたにもね」
「だが、だがよ、お袋。この町のギルドを纏めてる俺がいなくなっちまったら……」
「あなたは十分やってきた。この町はロクシス抜きでももうあんなことにはならないわ」
「そうですよ、ロクシス。あなたが鍛えた冒険者は王都の騎士にも劣りません。いや、シャーレイの部下と良い勝負になるくらいです。生半可な魔物の攻勢なんかじゃビクともしませんよ。ただあなたは怖がっているだけです」
「あ? 俺が怖がってるだと?」
ノックスの言葉にこめかみがヒクリと引きつった。俺が何に怖がってるってんだ。
「あなたは師に会うのを恐れている。自分の力が足りないから置いて行かれて、追いかけても師匠に認められないんじゃないかと」
「っざけんじゃねぇ! 分かったように俺の心を代弁しやがって!」
「分かるんですよ! 僕らも同じなんですから。でも、僕らは師匠を追いかけたい。たとえ力及ばずとも、あの人と肩を並べられるようになりたいと! あなたの怯えも分かっています。ですが、師の言葉を怯えの言い訳にしないで頂きたい」
俺の怒鳴り声を搔き消すようなノックスの怒声に、俺は何も言えなくなる。何もかも図星だったからだ。俺は師匠について行きたかった。だが、それ以上に師匠に失望されたくない。だから師匠の言葉を守り、それで俺は満足していた。満足していると自分に言い聞かせてきた。
「ロクシス、あの人を追いかけたいんでしょう? あなたの心に従いなさいな」
「心が鈍れば剣は鈍る。あなたの剣が最も鋭く振るえるのは、ここですか? それとも師の隣ですか?」
ノックスとお袋の両方に手を取られ、俺は自分があの日のガキに戻ったような気分になった。俺はお袋を守っているつもりで、お袋にいつも守られてきたんだと、思い知った。お袋の身体も心も守ると誓っておきながら、情けない。そして今また、俺はお袋に醜態を晒そうとしている。
「……お袋、俺は、俺の心の赴くままに行っても良いか?」
「最初からそう言ってるわ。あの人を追いなさい、そして一緒に帰って来てまた食事をしましょう、ロクシス」
お袋は俺の後押しをするように頷いた。
「ノックス、お前らは北に向かう船がいるんだな?」
「はい、船とその船を操る頼れる船長を探しています」
ノックスはそう言って笑う。ああ、師匠。離れていても心は守れるんだ。師匠がずっと俺の心を守ってくれているように。だから、俺は今こそあんたに並び立ちたいと思うんだ。
「ならギルド長であるこのロクシスが承った! お前らのクランに加わり、北に向かう船を用意してやる!」
「ええ、歓迎しますよロクシス。ようこそ、穿神一刀流へ」
北に向かう。俺は今もう一度、あんたを親父と呼ぶためにあんたを追う!