ライネルの助けもあり、俺を追いかける修羅と化したであろうかつての弟子達からの逃亡は無事に最北端の町にまで達した。いや、割と道中死にかけたんですけどね? まさか膝まで埋まるくらいに雪が降るなんて思わないじゃん? 途中の森で前に見た時みたいな薪に最適の木の魔物くんがいて助かった。コイツら斬ったらすぐに乾いてくれるもんだから火を起こすのに困らない。しかも根を張ってるので逃げすらしない。見つけ次第根狩っては薪として利用させて頂いた。
そして何とか町に辿り着いたわけだけども、えらくデカいなこの町。しかも壁も高くて分厚いし。あれか、山も近いから雪崩対策とかか。そんなことはどうでも良いから早く町に入らせてもらおう。
そう思って門まで歩いて行くと、何故かまた門番の兵士さんに止められた。なんでや!
この町に来た目的? 旅行、みたいなもんです。
え? 剣を持ってるけど冒険者か? ……ッスー、まあ、そんな感じです。
腕に覚えは? ……そ、それなりには?
これまでの討伐記録は持ってるか? ……持ってないっすね。冒険者登録したこと無いんで。
外吹雪いてるけどよく来れたな? 割とマジで死にかけたんで早く町に入りたいっす。
どうして俺はそれなりにデカい町に入ろうとすると職質を受けるのか。あれか、人相が悪いのか? 自分ではあんまり思わないんだけど実際どうなんだろう。なんか不安になってきた。そうやってソワソワしていると、俺の様子を見かねたのか取り調べをしていた兵士さんが親切にも教えてくれた。
どうやらこの町は魔物の襲来が多いらしく、腕の立つ冒険者は常に募集しているらしい。報酬もそれなりに出されるのでそれを目当てにやってくる冒険者も少ないなりにいるが、それだけじゃなくそれっぽい人物を見たらこうして話を聞いて協力を依頼しているのだとか。へぇ、大変そうですね。俺はこれまでギルドで冒険者登録なんてしたことが無く、それ故に魔物をどれだけ討伐したかの記録も無いため、対象外とのことだ。やったぜ!
まあ記録があったとしてもリスだか狼だかスライムばっかりの記録なんで戦力外には変わりなかっただろうけどな!
こうして今回はあまり騒動も無く町に入ることが出来た俺は、当面の拠点探しの前に久しぶりに人間らしい食事をしようと昼下がりからやっている酒場へと訪れていた。店内に一歩入るとむくつけき男どもがひしめき合った汗臭そうな店内。なんだコイツら、外が吹雪だから他にやること無いんで酒飲んでるのか? ったく、俺に似て自堕落な人間ばっかりだな。親近感湧いてきたじゃないか。
ジロジロとこちらを値踏みするような視線を感じながら空いている席を探す。テーブルどころかカウンターまでいっぱいやんけ! これは別の店を探すしかないか? でももう寒いし腹減ったしで今すぐ何か腹に入れたい気分なんだよこっちは。そう思っていると店の一番奥の丸テーブルに座れそうな隙間を見つけた。白髪のジジイが一人座っているけど、背に腹は代えられない、相席させてもらおう。
ここ空いてます? 座っていい? あ、どうも。
聞いてみるとあっさりと相席を許してもらったのでこれ幸いとジジイの目の前の席にどっかりと腰を下ろす。ふいー、雪の中を歩いてきたから靴の中までびしょ濡れだわ。行儀悪いけど脱いじゃお。あ、店員さん、なんか身体が暖まるものとお酒頂戴ね!
え、なんか急に店内が静かになったんだけど何? 怖……。
俺が注文を終えて濡れた靴を逆さにして乾かそうとしていると辺りのおっさん共が皆こっちを見て黙っているのに気付いた。え、何この空気。例えるなら授業中に爆睡してる自分を教師と他の生徒が皆黙ってこっち見てるのを何故か感じて起きちゃうくらいの気まずさを感じるんですけど?
俺がキョロキョロと辺りを見渡すと、おっさん共はサッと目を逸らす。なんだよその腫れ物に触るみたいな扱い! 俺は転校生か何かか? いや、この町に来たばかりという意味じゃ似たようなもんだな。
あんまり気にしすぎても仕方ないので俺は給仕のお姉さんが運んできてくれた酒と肉に舌鼓を打つ。わーい、久々のまともな食事だー!
「お前さん、見ない顔だが、最近ここに来たのか?」
いざ食うぞ、と思った矢先。俺の目の前に座るジジイに声を掛けられた。今日来たばっかりですねぇ! でも話すより先に飯食って良いですか? こちとら腹減ってるんですよ!
そう言うと周囲のおっさん達がまたなんかザワっとした。なんなの君ら? 新顔が気になるのかもしれないけどただ飯食ってるだけなんだから無視してよ。
「おお、悪い悪い。腹ごしらえは大事だぁな」
ジジイからも理解を得られたので俺は目の前の皿に盛られた肉を片付けることに集中する。きちんと味付けされた肉とかマジで久しぶり過ぎて美味すぎるんだが?
道中はどうしても適当なリスとか鹿の魔物をサパっと狩って焼いて食うくらいしか無かったからなぁ。他の野生動物と違ってリスや鹿の魔物は弱いくせに逃げずにこっちに向かって来るから助かった。
肉を平らげ、人心地ついた俺は、そこで初めて目の前に座るジジイをまじまじと観察する。胸の真ん中あたりまで伸びた白髭と同じく長く伸びた白髪。こっちを見る目は楽し気に煌めいていてお茶目ジジイな雰囲気をぷんぷんと感じる。なるほど、コイツ、酒場の名物的なお喋りジジイだな? 周囲のおっさん共はそんなジジイに俺が絡まれそうだから憐れんでいた、といったところだろう。
まあ話すくらいは全然構わんよ? 相席させてもらってるんだし、誰にも相手にされてないジジイの話し相手にくらいはなってあげようじゃないか。
この町に来た目的? 門のところでも聞かれたけど旅行みたいなもんです。
上等な剣持ってるけどどこで手に入れた? 昔の弟子のプレゼントですねぇ。良い剣だから重宝してるんすよ。あ、じっくり見ます?
剣の流派? ……いや、そんな立派な流派じゃないですね。自己流なんで。
流派名? ……特に決めてないですね、ハイ。
手を見る限り滅茶苦茶鍛錬してそうだけど強いのか? ……ソレナリジャナイデスカネー。オレナンカマダマダデスヨー。
クローネ、と名乗ったジジイは本当にお喋りなジジイらしく。これまでの俺の旅についても色々と聞きたがった。ついでに俺の自己流の剣についても。なんで底辺冒険者モドキの剣に興味なんて示してんですかね、このジジイ。まあ多分このジジイは冒険者でもないただのお喋り爺さんだから俺の実力なんて見抜いちゃいないんだろうけど。
そんな爺さん相手にイキリ倒すのも恥ずかしいので適当に話を流していると、酒場の入り口からずかずかとこちらに向かって来る足音。
「爺ちゃん! いつもより来るのが遅いと思ったら……、今日の仕事が待ってるよ!」
俺とクローネのジジイが座る席の前まで来たその足音の主は、可愛らしく、全く怖くない声でドスを利かせようとしていた。
「おお、もうそんな時間か、すまんな。コルン」
クローネがコルン、と呼んだ少女を一目見た瞬間。俺は全身に電流が走ったような気がした。
犬耳が生えとる!
思えばこのファンタジー世界に生まれ落ちてからというもの、ファンタジー要素といえば俺が全く使えない魔法だとかスライムにも劣る経験値効率のクソ雑魚魔物だったりで、ファンタジーの醍醐味を全く味わえていなかったのだ。そこに来てこの犬耳娘の登場だ。俺に走った衝撃は容易に想像できるだろう。
髪色が茶色なのがファンタジー感が無くて残念だが、柴犬を彷彿とさせるピンと立った耳がそれを補って余りある。なんなら尻尾もある。こっちも柴犬みたいにクルンと巻いていてグッド!
ようやく俺も堪能できるファンタジーに出会えたかとホクホクしていると、俺を放って話をしていたクローネのジジイとコルンがこっちを向いた。え? 出来るだけバレないようにさりげなく観察していたつもりだけどバレてた? いや、セクハラするつもりは無かったんです。ただ珍しかったからちょっと目が惹かれただけで……。
慌てて言い訳していたらどうやら誤解されずに済んだようだ。なんでも、これからクローネのジジイは仕事場である山小屋に行くらしいのだが、良ければ仕事を手伝ってくれないかとのこと。手伝ってくれれば寝床と食事は用意してくれるらしい。なんだこのジジイ、神か仏と見紛う聖人だな。俺はジジイの提案に一も二も無く頷いていた。コルンは不安そうに俺を見ていたけど。まあいきなり見ず知らずの人間が知り合いのジジイの仕事手伝うとか不安よな。でも安心してくれ、どうせ大した金も持ってなさそうなジジイを襲ったりしないから。
ということでジジイに連れられて仕事場だという山小屋に向かう。せっかく町に入れたのにまた町から出て今度は山に登ることになるとか……、いや、山小屋って言ってたから予想してたんだけどさ。まあ我慢だ俺。宿代と飯代が浮くと考えろ。
山小屋への道中も俺とジジイの会話は続いた。どうやらジジイは山小屋にコルンと一緒に住んでいるらしく、山から下りてくる魔物を牽制する罠なんかを仕掛けたり、山に入る冒険者が迷わないような道標を作ったりしているらしい。なんかやってることが俺の故郷にいた爺さんと似てるな。ふとそんなことを口にすると、クローネのジジイが驚いたように目を丸くしていた。え? ジジイ同士のシンクロニシティがそこまで珍しかったのか、と思っていたらどうやら違うらしい。
聞けば、俺の故郷で炭焼きしていた爺さんはクローネのかつての仕事仲間とのこと。若い頃は一緒に山で魔物狩りをしていた凄腕だったんだとか。はえー、そんなところで繋がりがあったんすねぇ。え、あの爺さん結構やり手だったの? リスの魔物にあそこまでビビってたのに? やっぱり寄る年波には勝てないんだなって。若い頃にはバリバリ言わせてた爺さんも歳食ってああなっちまったのか。でも若い頃は凄腕だったってことならクソ雑魚冒険者だと馬鹿にしてたのは申し訳なかったかもしれない。多分もう二度と会わないけど心の中で謝っとこう。お歳暮とか送った方が良いですかね……?
その爺さんとどういう関係か? まあ俺に棒振りの基本と旅を教えてくれた師匠みたいなもんですね。内心馬鹿にしてたのは秘密だけど。あの爺さんに教わったのならここまで来れたのも納得? どんだけクローネの中であの爺さんの評価高いの? それ本当に合ってる? 勘違いじゃないよね?
まあ疑ったところで俺が知ってるのは年取った爺さんだけだし、若い頃は凄かったって同年代っぽいクローネが言うのならそうなんだろうな。
というところで山小屋に到着した。内装は本当に故郷の爺さんの炭焼き小屋とほとんど変わらない。山小屋って大体似通ったものになるのかもしれないけど懐かしそうに思い出話してるジジイ見てると爺さんとジジイってかなり仲良かったんすね。
で、仕事は何すれば良いんで? 山の見回り? 罠の手入れ? それくらいなら故郷の爺さんの手伝いでよくやってたから余裕っすよ!
見回りルートと罠の場所はクローネの弟子であるというコルンが知っているらしく、俺は山小屋に荷物を置くと剣だけを持ってコルンについて行くことになった。クローネは小屋で炭を熾して暖めといてくれるらしい。気配りジジイめ、大好き。
ということでコルンと連れ立って雪深い山に分け入っていく。歩きながら、決まった木の皮を一部剥ぎ、そこに染料を擦りつけて目立つようにするらしい。なるほど、これで雪が降ってようと目印にするんだなって。故郷の爺さんは炭塗りたくってたけど似たようなもんだな。コルンさんや、君みたいな犬耳娘は結構いるものなんですかね?
いるにはいるけど少ない? 魔物との戦いで数を減らした? 自分は魔物に滅ぼされた村の生き残りでクローネに助けられた? おおう、思っていた以上に重たい事情を抱えてらっしゃる。あれだな、アルシェとノルンに似た境遇なんすね。そんときはどんな魔物にやられたんすか? 小鬼? ゴブリンか、ついにチュートリアル魔物のスライムから進化して魔物っぽい魔物が出てきましたねこれは。ゴブリンくらいまでなら自分でも倒せると思うんだけどなー俺もなー。
にしても犬耳娘の数がかなり減ってしまっているとは悲しい。魔物はやはりライネルが滅ぼさねばならぬ(他力本願)。
こうして仕事も教えてもらった後は早々に一人で見回りを済ませられるようになった。やっぱりガキの頃に山を駆け回った経験って効くんだなって。一度見ただけで何となく景色とか道を覚えられるようになってるし。まあ俺の山を駆け回った経験ってリスの魔物に追っかけまわされたトラウマなんだけどな!
それからは俺の一日のルーティーンはと言えば、起きて飯食って山の見回りして酒場で昼飯食ってジジイと酒飲んでコルンに怒られながら晩飯食って山の見回りして寝る。完全に老後のセカンドライフか何かだな? でも犬耳娘のいる生活は潤いがあって素晴らしいと思います、ハイ。
俺としては山を散歩するだけで飯と寝床の心配をする必要が無いので城暮らしほどじゃないにしろ楽な暮らしだ。流石に散歩だけで飯をジジイに奢らせているのも申し訳ないのでたまに山で見かける木の魔物(薪)を見つけたらこれ幸いともって帰ることにしている。ついでに群れからはぐれたっぽい狼の魔物なんかもいたりするのでそんな魔物もサパっと狩って持って帰って飯にしてもらう。その度にジジイは大笑いするしコルンはドン引きするんですけど何? そんなに俺が真面目に働いてたらおかしいか!
というかこのお喋りジジイ、結構町の冒険者からは慕われてるみたいで、たまにおっさん共が列をなしてジジイに相談を持ち掛けている姿を見る。良い歳したおっさん達が何してんだと言いたいけど俺は俺で町の冒険者から避けられてるみたいで、ジジイとは対照的に誰も話しかけてきてくれない。……悲しくなんかないやい。あ、コルンさん、ちょっと耳モフモフさせてもらっていい?
ジジイが他のおっさん達と話している間は俺の話し相手はコルンだけになるので、耳をモフって慰めてもらっている。
それと、何故か最近はジジイに頼まれてコルンに剣の稽古をつけてやるようになった。
「俺も最近は歳のせいか腰が痛くてな。それにコルンは俺の孫みてえなもんだ。どうしても甘やかしちまう。そこに来てお前さんだ。奴の弟子だってんなら不足は無いだろうよ」
なんかめっちゃ故郷の爺さんを高く評価してるけど肝心の剣についてはほぼ自己流って言いましたよね? その同期のジジイ同士にある謎の信頼感は何なの? 俺に出来ることってでたらめに剣振らせて死ぬ寸前まで苛めることくらいですよ? ホントに良いんです? あ、良いのね……。
やめとけよ、マジでフリじゃないからな! と念押ししたにもかかわらず、当のコルン本人から構わないと言われてしまった。でもジジイの手前そこまで無茶するのもなあと躊躇していると、
「舐めるなよ若僧。俺の弟子がてめぇ程度の修行で音を上げるわきゃねえだろうが」
と凄まれた。普段笑ってばかりいるジジイが急に怒るとめっちゃ恐い。何なら普段から全幅の信頼を置いている鉄壁の表情筋が一瞬崩れるくらいには恐かった。ちなみに膀胱も縮み上がりそうになった。とばっちりで横のコルンも泣きそうになってたから耳モフって落ち着かせてあげた。
そういう訳で何故か日々の仕事に山の散歩とコルンの修行も加わることになった。もう弟子は主人公キャラのライネルを弟子にしたから十分なんだけどなぁ。それにコルンってどう考えても主人公じゃないじゃん。どっちかって言うとヒロインじゃん。主人公と種族を越えた愛を育んでいくタイプのヒロインじゃん。
あ、そうか。コイツをライネルのヒロインにすれば良いのか。なら強くするというかひたすら攻撃を避ける訓練をさせて生き残り特化戦法を教え込んでやろう。コルンの話だと犬耳族って膂力は一般人より強いって話らしいが、一度手合わせしてみるとやっぱり女の子なだけあって非力だし足も遅い。なんかコルンは「酒場のおっちゃん達には負けなかったのに」とか言ってたけど手を抜いてもらってたか酔っぱらってたんじゃないですかね?
とりあえず後手に回っても対応できるように死ぬ気で回避しましょうねー。ということで少なくとも俺程度の攻撃は避けられるようになってもらおうとひたすら回避の訓練を積んでもらう。決してジジイにビビってしまった鬱憤晴らしをしているわけじゃないからな!
え? 攻撃はどうすれば良いのか? 君どうせ攻撃に向いてないんだからそこは誰か攻撃に向いてる人を仲間にして任せたら良いじゃん。王都にライネルとかいう勇者候補がいるからそいつとか有力候補よ? この町に飽きたらライネルを探してみ? 今なら俺の名前だせば無下にはされんだろうし。
一目見たときからソイツは異常だと分かった。
いや、それはこの最北の魔境で幾度も死線を越えた俺だから感じたのかもしれん。
厚手のローブの下は粗雑な皮鎧。鼠獣の角も逸らせるか怪しそうな簡素な防具のくせに、剣の拵えは上等だ。
だが一番目を惹いたのはそこじゃない。ソイツは歩くだけで周囲に異質な空気を振り舞いている。ソイツ自身が極限まで研ぎ澄まされた剣に見えるのだ。足先から髪の先まで、触れれば容易く皮膚を裂くような剣が意思を持って歩いている。そう感じさせられるような、剣という生き物が目の前にいると感じさせられた。
この町は雪深く、瘴気の源たる極北山脈に最も近い人間の生存圏にして最前線の要塞だ。そんな町にたった一人で乗り込んでくるような人間にまともな奴はいない。冒険者であっても徒党を組まなきゃ道中の雪の森を越えられない。そこらに魔樹が生えてやがるし、魔狼が闊歩してるような環境を踏破出来るのは練度、精神共に相当に錬磨された熟練冒険者クランしかいない。いや、いなかった。
それを目の前で飯をかっ食らう男は一人で越えてきたと言う。
町の酒場の一番奥のテーブル席は俺の指定席だ。いつからかは知らんがそうなった。この最前線で冒険者として活動を続けた若い頃、相方の引退に合わせ、俺も隠棲しようかと思ったが、この町の領主に乞われて山小屋の主をずるずると続けている。気が付けばこの町に居つく冒険者の相談役みたいなものに収まっちまった俺は、今日も今日とて山の見回りまで酒を飲んでいたのだ。
「席、空いてるか?」
突然掛けられた声に酒場が一瞬で静まり返った。俺が見上げると、そこにいたのは壮年の男。歳は……、いくつだ? 歳はくってるだろうが、さりとて俺みたいなジジイでも無え。
俺の前の席に座ろうとする奴は大きく分けて二つの種類の人間がいる。
自分の実力を過信して俺に挑もうとしてくる奴。
自分に自信を失くして俺に道を示してもらおうとしてくる奴。
そのどちらだろうと俺には大して興味は無い。そういう奴らは席に座るどころか周りの奴らが俺に話しかけることすら許さねえ。だが、それを抜けて来たということは少なくとも周りの冒険者どもは認めた、認めざるを得なかったということ。この男の力を、この男の剣気を。
「空いとるよ。今日は吹雪のせいで混んでてな。こんなジジイの前で良けりゃ座ってくれ」
だから俺は興味が惹かれた。この男から出る剣気は常人には理解できない、感知し得ないものだ。そこに至るまでどのような鍛錬を重ねた? 何を見て、何を経験すればそのような凄まじい剣気を放つようになる?
気になる。久しく疼かなかった腕が疼く。今すぐ仕込み杖を抜き放って斬りかかってやろうかと思うくらいには。こんなこと、現役時代のアイツを見ていた時以来、いやそれ以上だ。
肉と酒を手早く頼んだ男を前にして、俺は黙っていられなくなった。
「お前さん、見ない顔だが、最近ここに来たのか?」
「……今日来たばかりだ」
この男! 外の猛吹雪の中、この町にやってきたと言うのか! しかも見たところ一人で!
口角が上がるのが抑えきれなくなり、更に言葉を重ねようと口を開く。
「それで、俺はまだこれを食わせてもらえないのか?」
だがその間隙を狙い済ましたかのような男の言葉に俺の出鼻は挫かれた。言われればなるほど、確かに来たばかりで腹も減っているだろう。それを邪魔するのは良くないことだ。
こんなときに俺の名前、クローネという名がこの町で軽くない意味を持つことになったのが悔やまれる。周りの有象無象共がこの男を無礼だとさざめいてやがるからだ。無礼なものか。この男は最初にきっちり俺に挨拶をかましたじゃねえか。極上の剣気をぶつけてくれてよ。
「おお、悪い悪い。腹ごしらえは大事だぁな」
俺はそう言って男が食事を終えるのを待った。男はよほど腹が減っていたのか、ガツガツと肉を腹に収めてしまうとグイっと酒を飲み干して一息ついた。良い食いっぷりだ。見ていて気持ち良くなる。さて、食い終わったなら俺とお喋りしてもらっても良いよな? お前だって俺をジロジロと観察してるのは分かってんだ。
「そんでよ、色々聞かせて欲しいんだが。お前さん、なんだってこんなど田舎に来たんだよ?」
「……旅の道すがら寄っただけだ」
旅か! この人外魔境と背中合わせの町に旅と称して来るような奴がまだこの世界にいたというのか!
腹の底からこみ上げる笑いを何とか堪えながら次の質問を考える。この男、見た目に違わず無口な男だ。こっちから話題を提供しないと何も語らんだろう。
「腰の剣、えらく上等な拵えだな。盗りゃしねえから見せてもらえるか?」
「昔の弟子に貰った剣だ。上等な剣で、重宝している」
今度は男の身に付けた剣に話題を移せば、弟子からの贈り物だと言う。それを無警戒に俺に差し出してくるあたり、コイツは馬鹿かと周りは思っているだろう。だが見ろ、コイツの目を。コイツの目は剣に何の価値も見出しちゃいない。コイツにとってこの上等な剣はあくまで長持ちするという意味で上等なだけだ。コイツはその身そのものが剣なのだから。刀身に触れられもしない人間がオマケを触ったところで何を警戒する必要があるって話なだけだわな。
俺は剣を受け取ると、刀身を半分程鞘から引き出す。特徴的な青みがかった刀身。研ぎ跡もほとんど見られない美しいままに保たれた剣。それだけでこの男の異常性はハッキリ分かる。
それに、この柄に近い刀身に彫り込まれた特徴的な楔文字……、こりゃあの石頭の鍛冶屋の作品だな? 相も変わらず目立ちにくいところに印を彫りやがる。この男、理解してるのかね? この剣はそこらの木っ端貴族なんかじゃまず手に入れられん。王族だって持ってるのは稀なくらいの名工の手によるものだってのは。いや、気付いてないんだろうな。この男にとっては数打ちの剣も聖剣も変わらんだろう。違う意味で鍛冶師泣かせな剣士だ。
「良い剣だ。剣の流派は?」
「自己流だ。上品な棒振りは俺の性に合わん」
剣を鞘にしまい込んで返しながら、次の話題を振る。だが、返ってきたのはすげない答えだ。それでも俺の興味を惹くには十二分だった。
「ほう、自己流か。流派名はあるのか?」
「……易々と言うもんじゃない。棒振り、それで十分だ」
ここか。ここがこの男の核。剣士なら皆当たり前に持っている自分の剣術への自負。自己流であるなら猶更そこには余人には計り知れない想いが込められている。流派名すら口にしないのは、その名こそがこの男の剣が目指す頂きを示しているからだ。故に簡単に口にすることを憚る。この線をもう一歩踏み込めば俺はこの男と斬り結ぶことになる。それを恐ろしいと感じながらも期待しちまっている辺り、俺も剣狂いか?
「そうか、その手を見る限り相当な鍛錬をしとる。腕に覚えはあるんだろう?」
「……かもしれんな。それでもまだ足りんが」
剣を手渡すときにチラリと見えたコイツの手。岩と見間違えそうなほど固く締まった手だった。剣の柄模様が薄っすらと写っているようにも見えるほどだから、これまでコイツは鍛錬を欠かしたことは無いだろう。その手の皮が何度裂けたのか。想像も出来ないが、この酒場に屯している冒険者共の中で、俺も含めてコイツ以上に剣を振ってきたという男はいないだろうな。
そのコイツがまだ足りんと言う。ならばコイツの目指す頂きとはどこにあるのか。旅の途上で寄ったこの町。なるほど、繋がってきたわい。この歳になってよもやこんな場面に遭遇することになるなんて人生は分からんもんだ。
「まだ足りんか、そうかそうか。まあ剣の道なんぞ一夜にして成らずとは皆したり顔で語るもの。それより、お前の今までの旅の話も聞かせてくれんか」
「俺の旅?」
「おうさ、俺はこの町が長いからな。旅人が来たら町の外の話を聞くことにしとるのよ」
普通の旅人や冒険者だったら興味など湧くことも無い。ただ、この男の話だったら別だ。この剣鬼が何を見て、何を感じ、何をしてきたのか。たとえ平凡な道だとしても、この男が歩んできたというだけでそれは俺にとって金塊にも勝る価値を持つ。
「……そうさな、大して変わり映えのしない話だ。町を渡り、弟子をとった」
「ほう! 弟子か!」
この男の弟子! この剣鬼の理を継いだ弟子もいるのか!
聞けば、これまでに数人の弟子をとってきたという。いずれもある程度まで育ったと感じたら放り出して次の町に向かったらしいが、俺には分かる。この男が見出したのなら、その弟子達は皆全て剣士として申し分のない実力に育っているだろうことが。でなければある程度まで育つところまでこの剣鬼の弟子でいられる訳が無い。
それからも奴の旅の話をあれこれと聞き出した。弟子をとっては放り出して北に向かった話。そのどれも、コイツはつまらない話のように語るがとんでもねえ。ここまでネジの外れた奴を見たのは本当に生まれて初めてだ。コイツの話の中でも一番興味を惹いたのは魔物に全滅させられた村の生き残りの双子を拾った話だ。俺の身近にいるのと妙にダブっちまったからかもしれねえが。
そんな悲劇はこの世界ではありふれている。魔物が増えれば滅ぶ村も増える。伝承の勇者が瘴気を極北山脈の向こう側に封じ込めてからその話が伝説になるくらいの時間が流れてしまった。勇者の末裔である王族がこうして北の町を要塞化し、山から湧く魔物を押し留めようと、地脈を通じて漏れ出す瘴気は北に留まらない。
鼠獣や魔狼、角獣だけならともかく、粘獣まで出たというのだからもう過去の伝説に縋るにはもたない時が来ている。
そう考えていた俺のもとにやって来たのが、この剣狂いだ。神様ってやつが本当にいるとしたら、それはどんだけ性格が悪いんだろうな。こんな耄碌しかけのジジイがまた元気になっちまいそうな奴を送りこんで来やがって!
「爺ちゃん! いつもより来るのが遅いと思ったら……、今日の仕事が待ってるよ!」
と、話にあまりに熱中していたのか、コルンの声で俺の意識は現実に引き戻された。視線を上げれば腰に手を当てて怒っていますよとアピールしている犬耳娘。
ありふれた悲劇の一幕、そのありふれた犠牲者の小娘だ。かつて極北山脈にあった犬人族の村、小鬼の群れに蹂躙された村、その最後の生き残り。町の冒険者が俺を含めて総出で打って出て多大な損害と共に山の奥に押し返した。その時に俺が拾って育てている娘。
「おお、もうそんな時間か、すまんな。コルン」
コルンにそう言って詫びると、俺は目の前の男に視線を移す。そこで男がコルンを見て固まっているのに気付いた。そうか、犬人族を見るのは初めてだったか。初めて見る人間にゃ犬人族も魔物に見えるらしい。かつて勇者と共に戦った長耳族もいるってのに。たかが耳の形が変わってるだけで人間ってのは狭量だ。
この男はそういうクチとは違うと思いたいが……。
「犬人族を見るのは初めてか?」
「……そうだな。見慣れないから驚いた」
俺が聞いてみればソイツから返ってきたのはそれだけ。やはり俺の見立ては間違っていなかったようだ。この男ならつまらないことに拘ることは無い。
コイツとこの場限りで終わらせちまうのがあまりにも勿体ない。
「おい、旅人さんよ。お前、来たばかりなら宿も無いんだろう? 俺ぁ町からちょっと離れた山小屋で住んでんだけどよ。お前が俺の仕事を手伝ってくれるなら寝床と飯の面倒は見てやれるが、どうする?」
言いながら少しばかし脅かすために気を当ててみる。コイツもこんだけ無遠慮にばら撒いてるんだ。よほどの実力者でないと分からないとはいえ、そのよほどの実力者はこんな滾る気を当てられちゃ疼いて仕方ねえ。だからちょっとした意趣返しのつもりだった。あわよくばここで一合斬り結んでみたいという思惑が無かったかと言われちゃ、嘘になるが。
「宿と飯か。良いだろう、世話になる」
だが、俺の期待に反してコイツは乗ってくる素振りを全く見せなかった。それどころか俺の気なんか気付いてすらいませんとばかりの反応だ。気付いてないわけがねえのにこの反応ってことは、俺のことすらコイツは歯牙にも掛けちゃいない。コイツはどこまでも鋭く研がれた剣だ。自分を如何に研ぎ澄ませるか、頂きに至るかしか見えてねえ。弟子はその為の砥石だ。自分の剣理を更に錬磨する為の。
面白え……!
山小屋に向かう道すがら、俺はコルンのこと、手伝ってもらう仕事のことを簡単に説明する。
「山にはこうして罠を仕掛けてある。丸太だの岩だのを転がしたり、穴掘ったりだな。あの畜生どもにゃあまり効果は無えが、それでも無いよりマシだ。その手入れをして、目印を付け直す。ルートはまたコルンが教えるから聞け」
道中の罠をいくつか見せてやれば、ソイツは驚くほどに手際よく罠の仕掛けを見抜き、傷んだ箇所の修繕をこなしやがった。あり得ん。この罠は俺が相方と一緒に考えた罠だ。その構造をここまで熟知しているなんぞ。
「……おい、お前、剣は自己流だと言ったな? だが罠まで自己流なんてこた無いだろう。誰に習った?」
我慢できずに疑問が口を衝いて出ていた。
「ああ、故郷の爺さんに習った。棒振りも、基礎は爺さんのものだ。積み上げたものは俺のものだが」
そしてコイツの口から出た名前に、俺は今度こそ笑いを堪えることが出来なかった。あの野郎! 相棒の奴、冒険者は引退して田舎に引っ込むと抜かしておいて、こんなに面白い奴を育ててやがった! 現役時代から俺と正反対に慎重に過ぎる性格のアイツから何がどうしてこんな剣狂いが生まれたのかは分からねえが、なるほど、アイツの弟子なら剣の腕だって、森を一人で抜けて来られたことだって頷ける。そんなことが出来るのは俺かアイツだけのもんだ。
俺が笑っているのが理解出来なかったのか、ソイツは不思議そうに首を傾げていたが、訳を教えると納得したように頷いた。
「爺さんの知り合いか。こんなところまであの爺さんが来てたとはな、驚いた」
ポツリと呟いた言葉にそうだろうそうだろうと俺も笑う。あんなに慎重で、ともすれば臆病とも思われそうな奴が俺と肩を並べる冒険者だったなんてのは信じる奴も少ない。だが事実だ。この町の黎明期、魔物を前にして単独で五体満足に生きて帰れたのは俺と奴だけだった。俺と奴は正反対だった。
片やどこまでも入念な準備を怠らず、剣だけじゃなく環境の全てを利用して魔物と対峙する。
片や己の剣腕のみを頼りとし、身一つで魔物と渡り合うことに喜悦を見出す。
俺達は互いに互いを補い合い、互いを高め合った戦友だった。奴が引退することを明かしてから、俺は奴のノウハウを受け継いでこの山に罠を巡らせたのだから。そして奴も俺の剣を学び、「無いだろうが、見どころのある奴がいたら剣を仕込んで送り出す」と酒を片手に頼りない約束を交わした。奴は約束を果たしたか!
山小屋に戻った俺は、コルンに山の案内を任せて小屋で炭の世話をする。こんなに気分が良いのはいつぶりだ? 赤く熱を吐き出し始めた炭を突きながら、俺の腹の底からも熾った炭に似た愉快な笑いがくつくつと口から漏れた。
奴が育てた剣鬼。考えなくとも分かる。ありゃ一番新しい神話だ。いずれアイツはあのクソッタレの山の向こうにまで辿り着いちまう。誰にも追いつけない所にまで、たった一人で行っちまうだろう。もう故郷だって忘れちまった俺のように、何もかもを置いて行くだろう。弟子達だって間に合うか分からない。
勿体ない……勿体ねえよなぁ。あんな剣鬼を、剣理を体現した男を一人で行かせるのは、勿体ねえ。俺はもうついて行けねえだろう。そんなことが出来る身体じゃねえ。俺に出来るのはアイツが北に向かっている最中、畜生どもをここで押し留めておくくらい。
だが、コルンは別だ。只人を越えた身体能力を持つ犬人族なら、畜生どもへの復讐心を内に秘めたあの娘であれば、あの剣鬼について行ける可能性が僅かなりとも生まれるかもしれねえ。
相棒が俺に寄越した、恐らく人生最初で最後の弟子だ。それなら俺はアイツを、アイツの向かう先に発てるように下準備をしてやらなくちゃいけねえ。
だがアイツの目的が達成されたその時は、俺との立ち合いを望んでもバチは当たらねえよな?
俺はアイツに山の見回りを任せる傍ら、町の領主と冒険者連中に声を掛けて回るようになった。
近々でかいことが起こる。山の向こうからクソッタレ共が死ぬほど湧いてくるようなことがな。備えろ。剣を研げ、魔力を研ぎ澄ませ、火薬をかき集めて奴らを焼き払う準備を進めろ。
何故そんなことが分かる? あの剣鬼を見りゃ分かるさ。銀糸の勇者がやり切れなかったことを、あの剣狂いが成し遂げちまうのさ。
山の向こうに何がいるかなんか分かりゃしねえ。だが、ただでやられるようなタマじゃないのはこの町にいる全員が知ってる。
だからお前らもここで死ぬ覚悟を決めな。あの剣鬼が山の向こうに辿り着く為に。
そう言って町の冒険者共を纏め、領主に物資を集めさせ始めた。そんなことをしていても、アイツは我関せずとばかりに俺に任された山の見回りを淡々と済ませ、剣の鍛錬をしてやがる。しかも山の見回りのついでだと魔樹だの魔狼の素材をたびたび持って帰ってくることもあった。
「ちょうど良い薪だ。こっちは筋張ってるが肉は肉だろう」
「ま、薪か! カッカッカッ! そうだな、薪だぁな!」
魔樹だの魔狼だの、コイツにとっちゃそこらの木や獣と変わらないのだとまざまざと見せつけられる。コルンは何を言ってるのか分からねえと言いたげな顔してやがったが、少なくともコイツの後ろに引っ付いていける程度にはお前も強くなってもらわなきゃ困るんだぜ?
「なあ、山の見回りだけじゃ暇なら、俺の代わりにコルンの剣を見てやっちゃくれねえか?」
「……必要無いだろう」
頃合いを見て切り出したコルンの修行の話は、予想通りすんなりと受け入れられることは無かった。
「魔物に村を滅ぼされた。それをクローネが助けたんだろう。これ以上背負わせてやるな」
「舐めないで! 私はもうこの町の冒険者にだって負けてない!」
「俺の棒振りを覚えたところで意味は無い。俺に出来るのはお前が死なない程度に痛めつけることだけだ」
コルンも自身の強さを誇示しているが、それじゃあ意味が無い。コイツにとっちゃ他者の強さなんか鼻くそほどの価値も無え。コイツは自分の目で見て認めた人間にこそ剣理を示す。だから必要なのは実力を示すことじゃなく、
「舐めるなよ若僧。俺の弟子がてめぇ程度の修行で音を上げるわきゃねえだろうが」
その言葉と共に練り上げた剣気を奴に突き刺す。そのとき、初めて奴はこっちを見て手を震わせた。眉を顰めさせた。ただその程度だ。だが、その程度のことでも俺にとっちゃ大金星。何なら初めましてのときは眉一つ動かすことが出来なかったんだからよ。
俺の言葉が決め手になったのか、コルンの修行をつけることを認めさせることが出来た。最初にどの程度の実力があるか見せてみろと言って手合わせをすることになったとき、娘ながらに羨ましさに歯噛みしちまったが。
「さっきも言ったけど、私は爺ちゃんに鍛えられたお陰で町の冒険者にだって負けないだけの力を身に付けてる」
「……なら見せてみろ」
それだけ言うと、山小屋の前で剣の間合いと言うには遠い距離で向かい合ったコルンと剣鬼。だが、剣が一振りで届かないからと言って間合いじゃないわけじゃない。ろくな構えすら見せてない剣鬼に対し、コルンは青筋を立てて突撃する。その速さはなるほど、コルン自身が言う通り酒場の冒険者連中にだって勝てるだろう速さだ。俺が仕込んだんだから当然だが、並の相手ならその速さからの一刀で勝負あり、だ。相手がコイツじゃ無けりゃな。
俺でも目で追える速さだと言うなら、剣鬼にとっちゃ止まって見える速さだ。人を大きく越えた膂力を発揮する犬人族? 剣を握るために生まれてきた人間と剣を握る力を比べてどうする。
結局、手合わせは一方が剣を抜くことも無く終わった。その手から剣を捥ぎ取られちまったコルンは呆然とした表情でソイツを見てたが、当の本人は相も変わらん醒めた表情でコルンを見下ろしてやがった。
「非力で、遅い。冒険者共も酔っていたか」
これで格付けは終わりだ。コルンはコイツの弟子になった。コイツの下でコルンは強くなるだろう。俺じゃ辿り着けなかった境地にまで、この鬼が連れて行ってくれるはずだ。後は、俺も他の準備を進めていくだけ。
「爺さんの言う通り辺りの腕に覚えがあるクランには声を掛けた。何でも大陸一とも噂される新興の剣客クランもこっちに向かってるらしいが」
「そうかい。そりゃ多分、アイツの弟子が立ち上げたクランだろうよ」
いつもの酒場。この町の冒険者の顔役にもなってる男と酒を酌み交わしながら近況報告をしていると、剣客クランという興味深いものをそいつが口にした。
十中八九、あの剣鬼の弟子が立ち上げたクランに違いねえ。剣客なんて呼ばれるクランがこれまでも、そしてこれからの歴史上、アイツの弟子以外で噂になるだなんて俺には思えねえからだ。
「ってことはそのクランはアテにならんということだな」
「だな。まず山越えに加わるだろうよ。俺らはあの剣鬼抜きで備えなきゃならん」
「頭が痛い……。魔狼に小鬼だって出る、魔樹もだ。それに俺らみたいな凡人だけで立ち向かわなきゃならんとはな」
「なぁに、まだその程度楽なもんだろうよ。山越えの先に待っているものを考えりゃな」
俺はそう言いながらグラスを傾け、少し離れた席でコルンと黙々と飯を食っている奴を見る。いつの間に仲良くなったのか、コルンの頭撫でてやがる。犬人族がそう易々と他者に耳を触らせたりしないってのによ。ありゃまるで親子か、あるいは兄妹か。
二人いりゃこの町の冒険者が全滅させられちまう兄妹か、物騒な兄妹もいたもんだ。
俺は自分で考えていて笑っちまったそれを酒で飲み下した。