犬耳娘コルンの修行と称したしごきもすっかり俺のルーティーンになった。今の俺の一日はと言えば、朝起きて散歩して飯食ってコルン苛めて飯食って散歩して町でジジイと酒飲んで散歩してコルン苛めて飯食って寝るというこのままボケていくんじゃないかと思うくらいに同じことの繰り返しだった。
コルンには避けることとそこから可能ならカウンターとかしたらええやんと適当なアドバイスをしていたら、最近は俺の剣を避けた後に生意気にもカウンターしてこようとするので念入りに苛めるようにする。性格が悪い? これは師匠の威厳を保つためだから……。
山の散歩も相変わらず何も掛かっていない罠の手入れとたまに見かける木の魔物やら鹿や熊の魔物をずんばらりんしては持って帰るくらいで何も変わり映えがしない。
それに最近は師匠絶対ぶっ殺すマンモードになっているであろう元弟子達の噂も聞かないので割とのんびりと過ごしている。まあ酒場に行ってもジジイとコルン以外は誰も話しかけて来ないので周りのおっさん共が話しているのに聞き耳立ててるだけなんだけどな!
こういう田舎町で弟子の噂が届くのを聞いて一人ニヤニヤしながら酒を呷るのが俺のやりたいことだったのに、どうして俺にはジジイしか飲み友達が出来ないんですかね……。あ、マスター、お酒お代わり。
コルンはと言えば情けないことに修行でへとへとになっているのか、俺が酒場に行くと大体隣に席でへばっているのでこれ幸いと耳をモフらせてもらっている。ん? なんでそんなに撫でてくるんだって? そらこんだけモフモフな耳があったら触るに決まってんじゃん。とは流石に言えないので適当なこと言ってお茶を濁すことにしておく。
気にすんな。ちょっと色々思うところがあるだけだから! 思うところってつまりは耳モフりたいってだけなんだけどな!
具体的なことは何も言ってないのにコルンはそれっきり何も突っ込んでくることなく黙って撫でさせてくれた。なんやこのええ娘は。あ、そういや最近修行ばっかで気晴らしさせてあげてなかったな。よし、散歩に連れて行ってやるか! コルンや、今日の散歩はお前も連れて行くからね。たまには修行以外のこともしましょうねー。
なんてことを言っていたらクローネがこっちに向かって手招きしていた。なんだよずっと別のおっさんと喋ってたのに急に呼び出すなんて。
「今日は山の様子がおかしい。いつもの見回りは止めといた方が良いかもな」
近くに寄ってみればクローネは俺の耳元でそう囁いた。本当に急に何を言い出すんだこの爺さん。お前は最近俺に山の見回り任せっぱなしで山小屋か酒場にこもってばっかやんけ! 今朝も散歩してきたけど何も変わらんかったわ。というかどうせ出てきても薪か鹿の魔物くらいだろ? ならいつも通りサッパリ狩ってくればええじゃろがい。
今日はコルンも散歩に連れて行くって言ったからそれを急に止めるとも言えないし。
そう言うとジジイは急に大声で笑いだした。え、なんで急に笑ってるんです? それでこそお前だ? なんで俺が散歩に滅茶苦茶拘っている奴みたいな認定してくれてるんですかね。まあ雪崩とか起きても怖いし、今日は早めに帰るようにするけどさ。よし、ジジイもなんか言ってることだし、今日はさっさと見回って終わりにするか。
まだくたびれた様子でうにゃうにゃ言ってるコルンを担ぎ上げて酒場の外に向かう。こらこら暴れるんじゃないよ、君が動けないって言うからこうしてお米様抱っこで運んであげてるんじゃないか。
ということでさっさと山に向かうことにする。天気は雲一つない晴天だし、風も強くない。なんと素晴らしい散歩日和か。俺はコルンを引き連れていつも通りのコースを歩き回って罠の手入れに励む。コルンもコルンで俺の後ろを歩きながら楽しそうな様子で話しかけてくる。やっぱり適度な散歩は大事なんだなって。え? 俺がよく話すライネルってどんな奴か? いや、アイツこそ主人公ってくらい優秀な弟子よ。剣の腕も立つし、勇者の末裔だって言うし、魔王ってのがいるとしたらライネルが倒すんじゃないの?
なんてことを言うと何故かコルンの機嫌が急降下した。なんでぇ? 君のパートナーにもなるんですけど? 君が敵を惹きつけてライネルが倒すっていう黄金パターンで仲を深めるんだからね? え? 魔王を倒すのは俺? いや、俺は別にそこまで強くないし。そもそも魔王もいるか分からんし、いたとしてもそんなことするつもりも無いが?
何故かコルンの中では俺が魔王を倒す勇者的ポジションになっていたらしい。君はこんなおっさんが勇者とか本当に思ってるのかね?
俺がそう言うもコルンは納得していない様子で頬を膨らませている。んもー、何がそんなに気に入らないのよ君は。何を言っても機嫌が直りそうも無いのでとりあえず耳をモフって誤魔化すことにする。ちゃんとライネルと会ったら仲良くするんだよ? いや、いつ会うことになるかはまったく分からんのだけどさ。
そんな感じにちょっとご機嫌斜めなコルンとのお散歩になってしまった。彼女はプンスコしながら俺の前を歩いていたのだが、急に尻尾と耳をピーンと逆立てると立ち止まった。どしたん? トイレ?
そんな暢気なことを思っていたら急に道を外れ、木々の枝の下に引っ張り込まれた。え? 俺ここで殺されるんです? と思ったが違うらしい。雪道の向こう側を見ながらコルンが唸っていたからだ。どうやら縄張りに変な奴が入り込んできたから警戒していたらしい。あれかな、狼の魔物でも出たか? 一匹くらいなら別に問題無いが? なんて考えていると道の向こうから歩いてきたのは立派な二足歩行の動物。木を削り出したであろう棍棒を片手に持った筋骨隆々の緑肌の……あれってゴブリンですかね?
「小鬼……!」
コルンが食い縛った歯の隙間から漏らした言葉であれがゴブリンなんだと確信する。いや、君ら
しかもゴブリンめっちゃ臭え! そらお風呂とかいう文化無さそうですもんね! 臭いとか気にしなさそうな見た目だしね君達。というかコルンさんや、さっきから俺の服掴んで震えてない? 顔真っ青よ? あ、そういや村滅ぼされたとか言ってましたね。トラウマの元凶でしたね、ゴブリン。
これが俺一人だけだったらさっさと逃げるんだがコルンもいるもんだから易々と逃げる訳にはいかない。貴重な犬耳娘かつライネルのヒロインは死なせてはならぬ(使命感)。ということで罠に引っ掛けて逃げましょうねー。え? ゴブリンは狡猾で罠には掛からない? 詰んだわ。それじゃあアイツが通り過ぎるまで息を潜めて待ってましょうかねぇ、なんて暢気に考えていた俺の顔の横、雪の地面に鋭く尖った木の枝がぶっ刺さった。投げたのはのしのしと道を歩くゴブリン。あ、これバレてますわ。
諦めてコルンの手を振りほどいてゴブリンの前に出る。コルンは涙目で嫌々と首を横に振ってるけど君はとりあえずここに隠れててね。そんなに怖がってちゃまともに動けないだろうし。
ゴブリンさんったら棍棒を両手に握って凶暴な笑みを浮かべていらっしゃる。てか枝投げてきたり、知性もしっかりあるじゃん君。やっぱりゴブリン詐欺だよコイツら!
そのまま突っ込んでくるゴブリンの棍棒を躱す。いや、コルンより速くない? 結構強いんじゃないのこのゴブリン? でも所詮棍棒じゃあ限界があるんだよなあ! こっちにはノックスが買ってくれた上等な剣があるんだが?
気分は粗末な武器ながら日々の鍛錬で技術を磨いてきた主人公を、圧倒的な資金力で豪華な装備を身に付けた悪役がボコボコにするかのような爽快感。いや、絵面的にはゴブリンの方が悪役なんですけどね? なんというか、その、気分的にね?
ということで棍棒を真っ二つに斬り、その勢いでゴブリンの身体も袈裟切りにしてやる。その筋肉は見掛け倒しかぁ? いや、俺の剣が切れ味良すぎただけか。ゴブリンはそのまま倒れて動かなくなったが、念のため首を落とす。やっぱり死んだふりしてたじゃないか! よし、終わったから帰るよ、コルンさんや。少なくとも俺は今までゴブリンとか見たこと無いし、一応ジジイにも話しておこうか。
隠れていたコルンにも手伝ってもらいながら穴を掘ってゴブリンの身体を地面に埋めてから下山する。いやあ、俺も気が付けばタイマンならゴブリンくらいなら狩れるようになったんだな。多少は強くなったんじゃない?
酒場に入り、コルンと一緒にジジイのテーブルに座るとこんなことがあったよーと報告する。どうよ、俺も結構やるでしょ? というかなんでこのゴブリンたった一匹で山歩いてたんでしょうね? そう言うとジジイは思案顔になり、どこかに行ってしまった。あれ? もっとやるじゃん、とか褒められると思ってたんですけど。あれか、ジジイからすればゴブリン一匹狩ったくらいで喜ぶなってこと? これでもまだ素人冒険者レベルってことなの? やだ、俺のレベル低すぎ?
ちょっとしょげてしまった俺は店主に酒を注文してコルンとグダグダする。コルンもトラウマに出会ったせいで疲れてしまったのかまた机で伸びていた。まあ流石にこれを叩き起こすのは可哀想だから寝かしておいてあげよう。ジジイもいなくなってしまったので俺は一人寂しく酒とつまみを消費することに。いや、誰か話しかけてきてくれても良いのよ? ほら、こんなに寂しそうに酒飲んでるおっさんがいるのよ?
「なあ、ここに座っても構わねえか?」
そうしてしばらく寂しく酒を啜っている姿があまりにも哀れに映ったのか、俺の背中にそんな声が掛けられた。良いよ良いよ、全然相席気にしないから!
とうとう俺にもジジイ以外に話しかけてくる飲み友達ができたんだなって。そう思い俺の対面に腰掛けた男の顔を見る。
ほうほう、目を惹く赤毛ですねえ。ちょっと野性味あふれるけどイケメンじゃないか。それによく身体も鍛えられてる。得物は剣? 良いじゃないか。
……いや待て、必ずしもそうと決まったわけじゃないだろう。まだ希望はある。
ちなみに君の名前ってソーンとかって言ったりしない? あ、合ってます? やっぱり?
……アイエエエエエ!? ソーン!? 弟子ナンデ!?
これはマズい! いつの間にこの町に来ていたんだ! 俺の盗み聞きスキルじゃ何もそんな噂をキャッチ出来なかったぞ! いかん、そんなことを言ってる場合じゃない、逃げなければ!
そう思って席を立とうとした次の瞬間、俺の両脇を鏡写しのようによく似た白黒の姉妹が固めた。やだ、両手にめちゃくちゃ綺麗な華じゃないか。お嬢さんたち、あんまり聞きたくないけども、アルシェとノルンだったりします? そう聞くと揃ってこくりと頷くご両人。そして俺の両腕は二人に完全に固められてしまった。逃げ道が断たれたー!
おかしい……! 俺はいつも通り酒場でグダグダした後にジジイとコルンと山小屋に戻って爆睡するだけだったはず……! それがどうしてこんなことに……!
なんか俺の前と両隣でソーンとアルシェ、ノルンが何か言ってるがもう耳に入らない。だってこれってあれでしょ? この後「よくも今まで騙してくれたな、お前を殺す」ってなる流れじゃないですかヤダー!
俺がそうやって絶望しているといつの間にかコルンが目を覚ましていて、何故かアルシェとノルンに向かって唸っていた。いやなんで? まあよく分からんけど俺を助けてくれませんか? というか双子も俺を離してくれません? 流石にもう逃げないから。というか逃げられないから!
俺の決死の説得が通じたのか、双子は死ぬほど渋々、といった空気を隠そうともせず俺を解放してくれた。すかさずコルンが俺と双子の間に割って入ってくれる。おお、忠犬コルンや、なんて健気なんだろうね、君は。頭を撫でてやろう。あれ? なんで双子がさらに目を鋭くして俺を睨みつけてくるんです?! 俺何も悪いことしてないよ?
つかぬ事をお聞きしますがソーン君や。君がここにいるということは俺の他の弟子達は……? 来てる? 向こうのテーブルにいる? あ、いますね、ハイ。なんかシャーレイっぽいポンコツ美少女がこっちに手を振ってますね。しかもちょっと前に別れたライネル君もこっちに微笑みかけてますね、うん。つまり逃げ場は完全に塞がれたということですね(絶望)。
俺が逃げられないことが確定したのでいっそ開き直って最後の晩餐とばかりに酒と肉を注文する。君らも食べるでしょ? 向こうのテーブルにも差し入れしてやってくれませんかね。お代? お代は気にしなくて良いから。だってもう俺が貯金を気にする必要が無くなったからな! これでちょっと見直して情状酌量の余地が生まれたりしませんかね? ダメ? やっぱり?
「師匠、コイツら、何?」
ところでなんでコルンさんはさっきからそんなに唸り声をあげて威嚇してるのかね? 前にも話したでしょ、俺の(元)弟子だよ。あそこに座ってるのもそう。皆何故かこんなところまで来ちゃったんだよ。何故だろうね(震え声)。
流石にソーン達もこんなに人目があるところで俺をぶった切ったりはしないだろうから飯を食ってる間は安全だ。とりあえず世間話で何とかコイツらの機嫌を取らねば。
よくここが分かりましたね。え? 北って言ってたからここに来ると思った? なんで?
というかどうして皆大集合してるんです? ノックスが皆を集めてここまで率いてくれた? あのボンボンめ! 俺の黒歴史をばら撒きやがって!
今でも剣の修行はしてる? あ、してるんですね。しかも冒険者の中でもかなりの腕利きになった? ほう、そうなんすね。もうちょっと慢心しても良いと思うけどね、俺は。
ところでずっとコルンと双子が威嚇し合ってるんですけど? 気にするな? ハイ……。
双子もよく元気だったね、うん。あのギルド長のおっさんだったら悪いようにはしないと思ってたけど心配してたんだよ。ホントダヨー。
という感じで世間話に花を咲かせる。よしよし、良い感じに酒も進んでいるな。これならソーンも酔っぱらった状態で俺をずんばらりんしようとは考えまい。なんとか今日、今日の命を繋ぐんだ。そうすれば今日の夜更けにはこの町を脱出して奴らから逃れられる!
え? なんで俺達を置いて行ったか? そら……、まだ子どもの君らを連れて旅するとか危ないからですヨ?
今はもう子どもじゃない? ……そうですね? だから俺を追いかけてきたんでしょ?
え、なんでソーン君泣いてるの!? しかも気付いたら双子も泣いてるし!?
コワイ! 君ら泣き上戸なの? そんなに酒回ってたの!?
物心ついた頃、ありふれた悲劇が私の故郷を襲った。クローネの爺ちゃんが口癖のように言うありふれた悲劇という言葉。だけどそれは私にとってはありふれたものじゃなくて、私の心を深く傷つけ、消えない傷跡を残した出来事だった。
今でも目を閉じれば鮮明に思い出せる。
家の焼ける音、人が焼ける臭い、ゴボゴボと血に溺れながら苦しむ人の叫び声、もう何も映さなくなった虚ろな目。
血と煙の染みついた緑の肌、腹の底から揺さぶられるような恐ろしい声、略奪と残虐の染みついた臭い。
夜、眠ろうとする私に襲い掛かるのは幼かった頃に刻まれた恐怖。その象徴が音と臭いを伴って鮮明に瞼の裏に蘇る。
小鬼によって殲滅された私の村。生き残ったのは当時幼く、両親がかまどの下に隠し、最期はその身体を呈して隠しきってくれた私だけだった。北の町が小鬼の襲撃に気付いて増援を送ってくれた頃には、村は小鬼の縄張りになってしまっていた。
そんな小鬼をやっとの思いで押し返したクローネの爺ちゃんに拾われた私は、最初は何も口にすることすら出来なかった。何かを食べれば吐き戻し、怯えて泣くばかり。クローネの爺ちゃんはそれでも私を見捨てずに根気強く世話してくれた。
ようやく夜に眠れるようになり、食事も摂れるようになった私の心に残ったのは復讐心だった。私の故郷を焼いた魔物をどんな手を使ってでも殺し尽くす。その為の方法をクローネの爺ちゃんに聞いた。
「俺が教えてやれるのは剣だけだ。剣じゃ奴らは殺せねえ」
小鬼の強靭な皮膚はそれ自体が鎖帷子みたいなものだと言う。その下に隠された筋肉は力を籠めれば生半可な矢すら弾く。油で焼くか、魔法で貫くか。あるいは複数人で囲んで穴に落とし、殴り殺すか。ひ弱な只人じゃそれくらいしか無いと爺ちゃんは言った。
「犬人族の力なら、あるいは断ち切ることも出来るかもしれんが。魔力の素養が無いお前じゃそれも望み薄だぁな」
それでも良いと懇願し、クローネの爺ちゃんに剣を教わった。犬人族は優れた耳と鼻で只人には読み取れない動きを読み取る。その能力を活かして、クローネの爺ちゃんには相手の先の先を取る術を叩きこまれた。相手の意識の間隙を嗅ぎ分け、犬人族の速さで間合いを詰めて一太刀で沈める。爺ちゃんの鍛錬は厳しかったけど、それでも目標があったから頑張れた。そして町の冒険者の誰よりも、クローネの爺ちゃん以外には負けないと思えるくらいになった頃に、その人はやって来た。
「なあ、コルン。お前はアイツに弟子入りしな。アイツなら、俺じゃ連れて行ってやれなかった所まで連れて行ってくれるだろうよ」
爺ちゃんがそこまで言うほどの人。確かに恐ろしかった。爺ちゃんは常人には見ても分からぬ剣気が心地良いと言っていたけれど、私にとってはただ隙だらけにしか見えなかった。なのに爺ちゃんはそう言って勝ち筋が見えないと言う。その私と爺ちゃんの認識のズレが恐ろしかった。
爺ちゃんに言われて、山の見回りルートを教えているときに少し話した。身の上話もした。
「そうか……、やはり滅ぼさねばならんな……」
そのときに独り言みたいに呟いたそれを聞いて、どうしてそんなことが言えるのかと思った。旅をしてきて、何人も弟子を取って来たくらいなら分かるだろう。魔物の恐ろしさを、人の及ばぬ力を持つ魔物の脅威を知っているはずだろう。なのに簡単なことのようにそう言ってしまえる。
更にその人は、一人で散歩に行くように山に入って行っては、魔樹や魔狼を狩りの成果として持ち帰って来た。
「ちょうど良い薪だ。こっちは筋張ってるが肉は肉だろう」
その底知れなさに、私は恐怖した。
だからクローネの爺ちゃんが私の弟子入りをその人に打診したとき、心の奥底ではそれを嫌がっていたのだと思う。彼はそんな私をチラリと見ると、
「魔物に村を滅ぼされた。それをクローネが助けたんだろう。これ以上背負わせてやるな」
そう言った。私の身の上を知り、気遣いから出た言葉なのだと分かる。だけど、背負わせるとはなんだ? 私が何を背負っていると言うんだ。私は私の意思で奴らに復讐を誓い、クローネの爺ちゃんに剣を学んだ。そのことだけは、誤解されたくない。
「舐めないで! 私はもうこの町の冒険者にだって負けてない!」
「俺の棒振りを覚えたところで意味は無い。俺に出来るのはお前が死なない程度に痛めつけることだけだ」
死なない程度に痛めつけるだけ、それはつまり私と彼の間にはそれほどの差があるということだ。勝負にもならないと、そう言っているのだ。只人が、膂力で犬人族に劣る只人が!
爺ちゃんの後押しもあり、気が付けば私は彼と手合わせをすることになっていた。互いに向かい合って立ったは良いものの、相手は剣を構えることすらしないまま。耳と鼻を使うまでも無く、隙だらけなことが分かった。だから手加減も何も無しに襲い掛かった。酒場にいる冒険者達に向かう以上の気迫を籠めて、一太刀で終わらせてやると。
「非力で、遅い。冒険者共も酔っていたか」
そして気が付けば私の手から剣は捥ぎ取られていた。何をされたのか、結果だけ見れば簡単な話。だけどそれを為すにはどれほどの修練が必要だというのか。
たった一度の立ち合いで、私は自分が彼よりも下だと格付けされてしまった。その日から、私に二人目の師匠が出来た。
「お前は良い耳と鼻を持っている。だが柔い剣だ。一度じゃ斬れないだろう。だから避けろ」
師匠の言葉は難しい。私の剣を柔いと言う。確かに師匠の剣と比べればそうなのかもしれない。だけど、魔樹を一太刀で切り捨てられる師匠の剣と比べられたらどんな剣も柔いと言われると思う。
「俺の弟子の剣は鋭い。それは剣を意識せずに振るからだ。剣の重みを感じずに振るからだ」
師匠は自分の弟子の話をよくした。特に、一番最後の弟子だというライネル王子の話を。
「ライネルの剣は重く、鋭い。よく研ぎ澄まされている。お前とも相性が良いだろう」
なぜ私が顔も知らない男と剣の相性が良いと言うのだろう。今目の前にいるのは私だ。
「私だって魔物を斬れるようになりたい!」
「……なら後の先を取ってみろ」
まただ、また分からない言葉。だけど剣を合わせればその意味は身体に馴染む。避ける、そして避けた相手の勢いすら利用して断つ。自分の力だけじゃ斬れない敵も、相手の力を利用すればより深く剣を沈ませることが出来る。師と剣を合わせる度、師の剣はクローネの爺ちゃんと似ていると思うようになっていった。クローネの爺ちゃんも師匠も共に剣をとても静かに振る。歩くことを無意識に行えるように、握手をするのにどこに手を差し出すかを考えないように、師匠もクローネの爺ちゃんも自然に剣を振る。だけど師匠のそれはクローネの爺ちゃんよりも更に研ぎ澄まされていて、それは犬人族の力に任せて剣を振っているだけの私には辿り着けない境地。力だけでも、技だけでも見えない地平に師匠は立っていた。
そして私は今までやっていた山の見回りを師匠に任せ、代わりに師匠に修行をつけてもらうことが日常となった。師匠と剣を合わせ、地面に倒れるまで鍛錬したと思えば、そのまま山の見回りに行ってしまった師匠の為に湯を沸かし、食事の準備を整える。戻って来た師匠が食事を終えると残りの見回りをして爺ちゃんと町に下り、そのまま夕方まで酒場で過ごす。私はそんな師匠にくっ付いて酒場にいることが増えた。
師匠は本当に色んな話を知っていた。旅の道すがら見てきたもの、ここよりも大きな町にはどんな娯楽があるか。今までにどんな弟子を取って来たか。私は鍛錬で疲れ切ってへばっているので、机に突っ伏してそれを聞くことが多かったのだけど、いつしか師匠はそんな私の頭を撫でながら話をするようになった。
「なんで私の頭をいつも撫でるの?」
「……お前を見てると思い出すものがある。気に障ったなら止める」
頭を撫でる理由を聞くと、師匠はそう言ったきり黙り込んでしまった。思い出すもの、師匠が話した昔の弟子の話だと私は分かった。私と同じように村を滅ぼされ、師匠に拾われた双子。師匠は自分の目的の為にその子達を置いてきたと言うが、その子達と私が重なるのだろう。……だから、頭を撫でることを止めたりはしなかった。
犬人族は耳と鼻が鋭い。そんな耳を易々と他人に触らせたりはしない。だけど、師匠の手はとても優しくて、暖かくて、気が付けばその手に頭を擦り付けては微睡みに沈んでいた。そして目が覚めると、師匠はそんな私を微かに口元に笑みを浮かべながら眺めているのだ。師匠は、私を通して何を見ながらその笑みを浮かべているの?
私は照れ隠しのようにお酒ばっかり呑んでる爺ちゃんと師匠を引っ張って山小屋に帰り、夕食を三人で囲む。クローネの爺ちゃんが楽しそうに話し、師匠がそれを静かに聞いてはたまに返す。爺ちゃんと二人だけの頃よりも、食事は賑やかになった。
「今日は久しぶりに一緒に山を見回る。散歩だ」
ある日、師匠は鍛錬で疲れ切った私の頭を例のごとく撫でながらそう言った。その頃には、師匠ならもう山に一人で入ったとて何も問題ないことは分かっていたし、私もいつもの見回り程度なら一人で問題なくこなせる。だけどちょっと甘えてみたくなった。
「まだ疲れてるから一人じゃ動けないー」
こんなワガママを言えば師匠はどんな顔をするだろう。困ったような顔か、呆れたような顔か、それとも、無いとは思うけど怒る?
「……そうか、なら運んでやろう」
「え? ぐえっ!?」
答えはどれとも違った。師匠は私をひょいと持ち上げるとそのまま肩に担いで歩いて行こうとするではないか。こんな酒場の、顔見知りの冒険者もたくさんいる中で!
私は顔から火が出そうな思いで早く下ろしてくれと暴れるが、師匠は意にも介さず私を担いだまま酒場を出ると、そこでようやく下ろしてくれた。
「暴れるだけの元気は出たか」
「……あい」
いつもの仏頂面でそう言われてしまい、私は何も言い返せずに師匠と山へ向かった。
山を歩き、罠の手入れをしながら師匠の後ろを追いかける。
「師匠、師匠が前に言っていたライネルってそこまで強いの? 師匠が認めるくらい?」
ふとした疑問が口を衝いて出ていた。師匠はいつもライネルを高く評価していたけれど、その理由は分からず仕舞いだった。
「……もし、魔王なんて眉唾物の伝説が本当にいたとしたら。それを倒すのはライネルだろうな」
師匠から返ってきたのは相も変わらず非常に高い評価。それほどまでに評価されるライネルに、私は知らず知らずのうちに声に苛立ちが混じり始めていた。
「どうしてそこまでライネルを評価するの? 魔王がいたとして、倒せるとしたらそれは師匠じゃないの?」
「奴は勇者の末裔だ。そしてそうあろうとしている。そういう奴は、強い。中途半端な俺なんぞよりもな」
師匠の言葉は難しい。師匠が中途半端? その剣の腕で、それだけの力を持ちながら?
私には分からない言葉で煙に巻かれたような気がして、私は不機嫌さを隠そうともせずに師匠の前に出た。
私の機嫌が悪くなったことを悟った師匠が、後ろで小さく笑ったのが聞こえた。
「俺の弟子だ。お前も会えば分かる」
そう言っていつものように私の頭を撫でる。違う。ライネルを認めていないわけじゃない。私の師匠が、私以上に認めているという人がいることが悔しいのだ。大して弟子になってから時間も経っていないけれど、そんなことは関係無い。一度会って剣を合わせなければいけない。
そうして山を歩いていると、微かに私の鼻が異臭を捉えた。それは……、まるで、あの日のような……。
気が付けば師匠を道の脇に引っ張り込んでいた。この臭いは、覚えている! 私の、私の村を滅ぼした……!
身体が震え、歯が砕けそうになるくらいに食い縛っていないと叫び声が漏れてしまいそうだった。師匠はそんな私を怪訝な表情で見ていたけれど、私の様子で何かに気付いたのか、同じように雪道の向こう側に目を凝らす。
「小鬼……!」
「小鬼、あれが」
額から突き出した捩じれた角、日光を反射して鈍く輝く緑色の肌。そして大きく肥大した筋肉。何もかも、あの日私の脳裏に刻みつけられた恐怖の象徴そのままだった。どうしてこんな時間に? はぐれ? いや、統率された集団の小鬼にはぐれはいない。ということは、まさか斥候?
「罠に掛けてその隙に逃げるか?」
「ダメ、アイツらに罠は効かない」
奴らは罠を見抜く。魔狼程度ならまだ巧妙に隠せば罠に掛けることは出来るが、小鬼は巧妙に隠された罠ですら看破する恐るべき狡猾さを持つ。それにその体躯に見合った持久力も持ち合わせており、追いかけっこになったらまず獲物を逃したりしない。
一匹なら、こちらが後二人いれば何とかなるかもしれない。でも二人じゃダメだ。殺される!
師匠の服を知らずに強く握り締め、身体がガチガチと震えていた。
「逃げることも無理か」
師匠が頭上でそう言った。顔を上げれば、先ほどまで無かった鋭く尖った枝が師匠の顔の横に突き刺さっていた。バレた?! いや、そうか、足跡を見られたんだ。恐怖で混乱していたから足跡を消すことすら忘れていた。
師匠が起き上がって小鬼のもとに行こうとするのを何とか止めようとする。行っちゃダメ!
だけど、そんな私の頭をいつものように師匠は撫でた。
「隠れてろ。そして見ていろ」
それだけ言うと師匠は小鬼の前に出る。小鬼はその顔に獰猛な笑みを浮かべて棍棒を構えた。小鬼は魔樹の枝を加工した棍棒を持つ。瘴気を保ったままの魔樹の枝は鋼を越える硬さを持ち、それを人を越えた膂力で振るう小鬼はたった一振りで三人の大人を殴り殺せるとも言われているのだ。
そんな小鬼の前に、師匠はいつものように立つ。小鬼は棍棒を顔の横に構え、その体躯からは想像もつかない速度で師匠に肉薄すると、頭をかち割るために勢いよく振り下ろした。絶死の一撃、けれど師匠はそれを既のところで身を捻って躱す。避ける動作すら最小限に、まるで落ちてくる葉を避けるような気楽さで。
そして次の瞬間には剣が二度、振り抜かれていた。何故二度と分かったのか。一度目の振りで小鬼の棍棒が横に真っ二つにされ、次の一振りで小鬼の左肩から腰に大きな傷跡が生まれたからだ。分かったのはその結果だけ。その過程は、その剣の軌跡は、私の目では追うことすら許されなかった。小鬼の表情を見れば、奴も何が起こったのか分かっていないだろう。
盛大に血を噴き出して倒れこんだ小鬼。けれどまだ手は微かに動いていた。それを見逃さなかった師匠は一刀で小鬼の首を断ち切った。私はそれをずっと見ていた。師匠の言う通り、片時も目を離すことなく。
「……コルン、穴を掘るのを手伝ってくれ」
私の恐怖の象徴は、師匠という絶対の剣理の前に容易く敗れ去ったのだ。
「小鬼が出た!?」
まだ頭が現実を理解していないまま、私は師匠に連れられていつもの酒場に戻って来ていた。
師匠の報告を聞いた爺ちゃんの第一声はそれだった。他にも酒場に屯していた冒険者がざわついている。
「こんな時間に、たった一匹で小鬼が出歩く。これは尋常な出来事か?」
「いや、まさか、既に……、すまんが俺は少し出る!」
師匠の言葉に爺ちゃんは考え込むように顔を伏せていたけれど、突然顔を上げると慌てて酒場を出て行ってしまった。多分、領主に報告に行ったんだと思う。あの小鬼は間違いなく斥候だ。かつて爺ちゃんたちが山向こうに追い返した小鬼達が、その勢力を回復して再びこちらに来ようとしているのだ。私の村を襲った時のように。
「慌ただしいな」
けれど、師匠はそれだけ言っていつものようにお酒を飲み始める。そんな様子に、私はようやく安心できたのか、身体から力が抜けて机に伸びてしまった。
師匠は何も言わないで私を労わるように頭を撫でてくれた。その手の温かさに安心する。こうして師匠が生きていることが嘘では無いと分かって。師匠なら、あの暴虐の象徴すら歯牙にもかけないということが実感できたから。そのまま私は優しい微睡みの中に揺蕩っていた。
「なあ、ここに座っても構わねえか?」
そんな至福の時間は、無遠慮な声によって終わりを告げた。
「……席なら空いてる」
若い男の声。薄っすらと目を開ければ、まず目を惹くのは鮮烈な赤毛。
「綺麗な赤毛だな」
師匠も同じことを思ったようだ。いや、少し違う? 私の頭から手を離して、目の前の男に驚いたように、微かに目を見開いていた。
「そうだろ? 俺の自慢だ」
「それによく鍛えている。得物は剣か」
「俺の師匠が剣を使っていたからな」
師匠の反応、そして赤毛。ああ、コイツは師匠が話してくれていた人だ。師匠が楽しそうに話す、最初の弟子。
「……久しぶりだな、ソーン」
「……ああ、会いたかったぜ、師匠」
私よりも、師匠の心に長くいる人。
「私達も」
「ここにいる」
そしてソーンと名乗った男に続くように、師匠の両脇に現れたのは互いに鏡写しのようによく似ているけれど、色だけは反転したように白黒の双子姉妹。
「アルシェ、それにノルンもか。懐かしい顔をよく見る日だ」
私は流石に我慢できなくて身体を起こしていた。唐突に現れたかつての師匠の弟子達。それは、私にとって受け入れ難い侵略だった。
「師匠、会いたかった」
「もう離れない。あの日、置いて行かれた力不足の双子じゃない」
「守られるだけじゃない」
「今度は私達も師匠を守る」
「おーい、二人とも。いきなり飛ばし過ぎだ。気持ちは分かるが落ち着け」
ごちゃごちゃと言っている双子に対し、赤毛の男が宥めてはいるが師匠から引き剥がす様子は見られない。
「何をしている?」
「おっと、騒がしくしてすまん。お前は師匠の今の弟子、で合ってるか? 俺はソーン、そんでこっちの白黒姉妹はアルシェとノルン。黒い方がアルシェで、白い方がノルンって言うんだが」
「そうじゃない。さっさと師匠から離れろ」
「……とうとう雌犬まで現れた」
「しかも躾がなっていない。姉弟子への態度じゃない」
姉弟子? うるさい。師匠は私の師匠だ。先に弟子になっていたとかそんなの関係ない。今の弟子は私なんだ。
「あー、こりゃまた重たいのが……。師匠、どうすんだよこれ」
赤毛が何か言っているが今の私の耳には入っていなかった。今の私の頭の中はいかにしてこの双子を師匠から引き剥がすかに思考を割いていたからだ。
「……離れろ、アルシェ、ノルン。俺は逃げたりしない」
だけど、その難題は師匠のたった一言で解決した。
「名残惜しいけど」
「師匠が言うなら」
そう言って二人が離れた瞬間、私は代わるように師匠に引っ付いて二人に向かって唸る。それが犬人族特有の、主と認めた人物への独占欲の表れだということは後からクローネの爺ちゃんに聞いて分かったことだった。
「お前達がいるということは」
「もちろん、ノックス達もいる。最初の挨拶は俺に譲ってもらえた。我慢できずに入ってきちまったのもいるけどな」
「そうか、なら……。店主! ここと、向こうのテーブルに飯と酒を頼む。俺の奢りだ」
「良いのか?」
「弟子に飯の一つも食わせられん師匠なぞ情けないだろう」
師匠と赤毛が何か話しているが、私は目の前の二人に威嚇することに全精力を傾けていた。
「この……!」
「落ち着いて、ノルン。気持ちは分かる。分かるだけ、だけど」
二人から鋭い目と共に研ぎ澄まされた殺気を感じる。それに呼応するように私の唸り声も大きくなるが、そんな私の頭に師匠の手が乗せられた。
「落ち着け」
その一言で私の頭はスッと冷える。そして同時に、目の前から飛んでくる殺気がより鋭くなった気もするが、そんなものはどうでも良かった。
「師匠、コイツら、何?」
訂正。やっぱり落ち着けていなかった。師匠にまでかなりドスの利いた声で問い質してしまった。師匠はそんな私を見てため息を一つ零した。
「前に話しただろう。弟子だ」
そんなことを聞きたいんじゃない、と言いたかったが、師匠にとっては本当にただの弟子なんだろう。だから、それ以上聞いても無駄だと悟った。私は師匠に横に退けられてしまうと、アルシェ、ノルンの二人と師匠の隣を巡って熾烈な争いを繰り広げた結果、ホクホク顔の二人に師匠の両隣を占拠されて再び机に突っ伏すことになった。
「よくここが分かったな」
「ノックスのお陰だ。師匠は北に向かうと言った。だとしたら目指すはここだろうって。最後はライネルが教えてくれたけどな」
「全員が集まっているのもノックスが?」
「ああ、あんたが流派名を教えたのはノックスだけだったからな。アイツをリーダーにしてクランを結成した。あんたを追いかけるために」
「ハッ、ご苦労なことだ……。今でも剣は振っているのか」
「もちろん。一日だって欠かしたことは無い。あんたもだろう?」
ソーンと師匠は二人だけで話している。ソーンが話しているときはアルシェとノルンも邪魔をする気は無いらしい。私も今の二人の間に割って入ることが出来る空気じゃないことくらいは分かった。だからといって白黒姉妹と仲良くやれるかは別問題だけど。
「ところで、どうしてアルシェとノルンはあんなにコルンと険悪なんだ」
「ああ……、いや気にしないでくれ。シャーレイのときもライネルのとこでも似たようなことはあったんだ」
「そうか……。アルシェとノルンも久しいな。元気なようで何よりだ」
師匠に話を振られた二人は、犬人族じゃないのに元気に左右に振られる尻尾を幻視してしまうような勢いで顔を上げた。
「元気だった。あれからもずっと鍛錬した」
「二人なら誰にも負けない」
「あのギルド長なら、悪いようにはしないと思っていた。だが、心配しなかったわけじゃない」
師匠はそう言うと、二人の頭を優しく撫でた。私を撫でる時と同じような手つき。師匠が誰を私に重ねていたか、それを否応なく見せつけるような光景だった。
そこに私には踏み入ることの出来ない年月を感じさせられて、私は何も言えなくなった。
「あの日、あんたは俺達を置いて行った」
「そうだな。俺の目的に、旅に、ガキを連れて行く余裕は無かった」
「分かってる。だから俺達は皆、あれから鍛錬を欠かさなかった。今はもう、ガキじゃない」
ソーンの言葉、それは迷子の子どもがようやく親に会えた時のように、頼りなく震えていた。一見すると涙を流す姿なんか想像もつかない、勇猛そうな男が、そこまで弱った姿になっていた。師匠は、そんなソーンの言葉に一度黙り込むと、お酒が少しだけ残ったカップをグイッと呷った。
「知っている。だからお前達はここに来た。そうだろう?」
「……ああ、そうだ。そうなんだよ、師匠」
その言葉は、ただ現状を言葉にしただけ。少なくとも私にはそう聞こえた。だけど、目の前のソーンとアルシェ、ノルンにはそれだけじゃない、もっと大きな意味を持っているのだと分かった。
三人とも、喉を震わせて泣いていたのだから。師匠は何も言わず、ただ胸に縋りつくアルシェとノルンの頭を撫でていた。