それはさておき、今話は時雨と田中が罹っていたウイルスの正体です
致死率ほぼ100%のウイルスと聞いてピンと来る人は中々いないでしょう。今の日本では聞かないと思います。それでもご存知の方がいることには驚きましたが。それはともかく、そのウイルスは1957年以降、国内で発症例は無いのです。しかし、犬を飼っている人にとっては名前は聞いたことがあるでしょう。最近では海外で犬に噛まれて国内で発症したというニュースがありました
狂犬病という感染症を
呉鎮守府
提督達が出発してから居残り組はテレビを見たりして待機していた。除染は終わっているため自由である。副作用で体調が悪い者もいるが回復傾向である
一方、提督室には長門と数人の人物がいて賑わっていた
「浦田副社長である武田は日本に上陸したらしい。何でも国会議事堂を占拠を計画しているとか」
「ゲリラ戦法とは言え、武器が豊富じゃからのう。ジェット機も持っておるし」
502部隊の小隊長である大佐と提督の父親である博士も居り話し合っていた。階級は上なので提督代理である長門のサポートとなっている。長門は先程、大和の見舞いに行ったため不在であるが
「しかし、結衣の方を何とかしませんとと」
加賀は何気なく呟いたその時、提督室のドアが思いっきり開き明石が入ってきた。紙を手に持ちながら
何か慌てているようだが、明石は長門ではなく博士の方へ駆けつけていた
「中将! これを! 時雨が罹っていた病気が分かりました! 教授が置いていったみたいですが!」
「そんなに慌ててどうしたのじゃ?」
博士は息切れしている明石に落ち着かせるように言うと博士は差し出された診断書を手に取り読んだ
診断書を博士は目で追って読んだが、意外にも彼は驚かなかった。寧ろ、納得している
「アイツ……あの病に罹っておったのか。納得じゃ」
「本当に驚いています」
明石は息切れし、博士は眉間にシワを寄せていた。大佐も加賀も診断書を読んだが、双方とも同じ反応である
「何時、時雨は噛まれたのでしょう?」
「それもあるが、ワシが尤も疑問に思っていることがある」
加賀の疑問に博士はため息を付いた
「時雨はどうやって発症したら致死率が100%である感染症から回復したのじゃ? 確か──」
「ワクチンはありますが、時雨はワクチン接種をしていないです! 医務室でさっき確認しました! 接種したのは夕立と足柄だけです!」
明石はきっぱり言った。鎮守府にはある程度ワクチンを備蓄している。季節性インフルエンザワクチンや結核のワクチンであるBCGワクチンなどはある。その中にはあのウイルスに有効なワクチンもあるのだ
「柳田教授の言う『奇跡の度を超えている』は正にそうじゃろうな。試作段階である抗ウイルス薬だけで治ったとは思わんわい」
博士は唸った。そして、確かに教授の言う通りだ
田中を暗殺する理由はない
○✕県のある山荘
ある山荘では警察と終末宗教団体・浦田残党の連合との間で銃撃戦が行われていた。包囲しているが、敵はただのテロリストではない。突撃銃だけでなく、迫撃砲やロケットランチャーまであるらしく、被害は甚大だ
しかも、報道によりあちらに同調する者が増えている
「艦娘の呪いや生物兵器説は一種のプロパガンダでしょう」
「そんなことはどーでもいい! 奴等を追い込んだからには制圧する!」
杉田刑事は指摘したが、同僚である板倉警部補はそうは思っていない。リーダーが2人倒れたのだから身柄を確保出来ると踏んだのだ。一方で手柄は自分のものになると考えていた。逮捕すればそれでよしである
そんな時、後方で爆発音が聞こえた。黒煙が上がってきている事から誰かが爆発物か何かを爆発させたらしい
「何事だ!」
「確認取ってきます」
部下はすぐに行ったが、数分後に物凄い勢いで帰ってきた
「山荘の反対側から軍が突入しました!」
「憲兵を送ってきたんだな。まあ、無茶しやがる。憲兵隊なんて小銃程度だろうに」
重武装していたため、県警は軍に支援を要請した。今は手柄の横取りとか気にしている場合ではない。浦田残党は特に厄介だ
しかし、部下からの報告は違った
「いえ、その戦闘部隊です! 502部の部隊の。艦娘までもいます」
「はぁ!?」
板倉刑事は唖然としたが、杉田は冷静だった
「そう言えば502部隊は艦娘がいる鎮守府を警備している部隊でしたね。確か建前では特殊部隊から憲兵に変わったはず」
「ふざけるな! 生物兵器の件はどうなった!?」
刑事は頭をかきむしっていたが、後から既に解決したと連絡があった
「親父が元帥に頼んでいたから問題ない。後はやっつけるだけだ」
提督はそう言ったが、提督の父親は相当苦労したのにちがいない。時雨は直感的にそう思った
だが、これは最後のチャンスだ。ここで逃したら、捕らえるのは難しい。浦田副社長と結衣艦娘に合流されては困るからだ
「よし、行け!」
トラックや輸送車から502部隊の兵士たちと艦娘が吐き出された
艦娘もそれなりに連れてきた。武蔵、瑞鶴、鳥海、夕張、天龍、雪風、夕立、そして時雨である
「よし、作戦は機内で伝えた通りだ。マスコミや人質はいるが、やることは変わらない。分かったな!」
「「「「「「「「はい!」」」」」」」」
武蔵たちは即答し直ぐに実行し、502部隊も続いた。突然の出来事にその場にいた警官隊は混乱した。確かに応援は呼んだ。火力が高いため共同で鎮圧させるのが妥当だろう。マスコミからはつるし上げられそうだが
しかし、まさか戦闘部隊か来るとは思わなかった。憲兵隊ではないのか!?
混乱したのは警官隊だけではなかった
「ウソだろ! 艦娘は生物兵器でやられたはずでは!」
「潜入したスパイからは一切何も無かったのに!」
浦田残党は驚愕したが、それは一瞬でありやることは変わらない
「何している! さっさと撃て!」
号令と共に残党軍は一斉に重火器で応戦した。重機関銃に対戦車ロケット砲などが火を吹いた。残党軍は重火器も持っており、拳銃しか装備していない警察ではどうにも出来ず、手がつけられない
しかし、502部隊は違った。流石に戦車は持ってきていないので、苦戦するだろう。だが、ロケットランチャーでもびくともしない者がいたため強硬突入することが出来た
「後ろから付いてこい!」
「「「「了解!!」」」」
それは武蔵である。防御力はそれなりにあるため重機関銃やロケット弾を受けてもへっちゃらである。銃弾やロケット弾が来ても強引に進行し、銃座を手で破壊した。立て籠っている建物さえつけばこっちのものだ
更に瑞鶴による艦載機の攻撃により攻撃しにくい
「制圧するぞ!」
曹長が敵を殴ると陣地にいる敵を制圧した。近距離であるため、白兵戦が生じた
「入り口を確保したぞ! 侵入出来る!」
曹長の合図で他の艦娘も提督も突入した。柳田もターズもである。入り口には中継車がいたが、そこは攻撃していない
「提督、テレビの中継車だよ!」
時雨は報告したが、提督は無線機を持ちながら頷いていた。誰かと交信していたが、どうやら警察らしい
「杉田刑事、こちらは生物兵器の攻撃を受けた。黙っている訳にはいかない。安心してください。敵兵は殺さず無力化するよう命じたので後で逮捕するなりしてください。ただ田中秦だけはこの手で殺害します」
『待ってください! 司法で裁く必よ──』
相手は杉田刑事だったらしいが、提督は無視した。話す必要は無いのだろう
「もう中継されているから、中継車をどうにかしないと」
「あー、マスコミは僕がやっていいか?」
提督はマスコミの中継車をどうにかしないと考えていた。残党軍は兎も角、マスコミは民間人だ。下手にやると大騒ぎになる。ここまでやっておいて心配するのもあれだが。そんな中、柳田が案を出していた
「そういや、お前は民間人だな。なら、やってくれ」
「分かった。ターズ、中継車を頼む」
『分かりました』
ターズは命令を受けると中継車に接近。何と中継車のドアを強引に破壊すると中に入った。中継車の中から悲鳴が聞こえたが、直ぐに治まった
「……戦闘用ではない、って言ってたよな?」
「自己防衛は必要最低限でしょう」
提督は訝しげに言ったが、柳田はわざとらしく否定した
「提督、僕たちは先に進まないと」
時雨は焦った。入り口は制圧したが、増援が来てもおかしくない
「分かった。直ぐに来い!」
時雨の言う通り、先に進まないと行けない。提督は時雨と共に山荘に入っていった
『教授、中継車を制圧。電波ジャック出来ます』
「よし、良いぞ。下手にCMとか流されては困るからな。しかし、骨董品だな」
「な、何なんですか、あんた達は!」
柳田とターズが話しているとロープでグルグル巻きにされた作業員が抗議を挙げていた。変な機械が入ってきたと思ったら、あっという間に押し倒され拘束されていた
「報道を邪魔するようなものなら──」
「それはない。途中で中継切られるような事を防ぐためだ」
作業員は柳田の呆れた口調に呆気に取られていた
妨害は兎も角、中継を邪魔されないため?
そんな中、中継車の中に人が入ってきた。軍医だ
「おい、田中秦が罹っているウイルスは他人に感染しないんだろうな?」
軍医は痺れを切らしていた。タイミングとはいえ、ヒトヒト感染しない強力なウイルスなんてあるのか?
「そう慌てるな。ちゃんと診断書を複数作って置いたから。時雨が感染していたウイルスはここに書いてあるから。軍医も知ってるはずだ。君たち特殊部隊が警備犬を導入した事は提督から聞いたからな。では、僕はいく。ターズ、頼んだぞ」
『分かりました。電波ジャック開始』
柳田はそう言うと中継車から出ていった。軍医はため息をつきながら診断書を開いたが、没頭で感染症の名前を見た時、眉をつり上げた
「何?」
時雨と提督は山荘の中に進んでいった。と言ってもそこまで大きくない。しかし、守りが固いであるはずなのに、廊下には破壊された銃座と延びている敵兵たけだ
「全部、武蔵がやったみたい。真っ先に突入して漫画やアニメみたいに敵兵を拳で殴り飛ばして」
「……取りあえずはゴム弾や閃光弾は要らないな。『田中秦以外は殺すな。敵兵を無力化しろ』は伝えたが、『殴るな』は言ってなかったが」
「怒りに満ち溢れているのは分かるが……それだったら先日の東京テロの時に陸奥よりも武蔵の方が良かったですね」
時雨は状況を報告したが、提督と曹長は呆れていた。一騎当千とはこの事だろう。お陰で502部隊ところか艦娘は誰1人かすり傷すらしていない
戦闘にきたはずなのに、武蔵の無双を見に来ただけである
後で『過剰防衛』とか言われそうだが、相手は重火器を持っているので多分、大丈夫だろう
天龍達も全部武蔵に任せていいと思ったのか、提督と共に行動している
「田中秦は?」
「二階にいる! 扉は──」
瑞鶴が艦載機を通じて連絡しようとした時、二階から物凄い音がいた
何かを破壊したと同時に武蔵の怒鳴り声が響き渡った
「田中ー! よくも仲間達に酷いことをしてくれたな!」
「あそこだな」
「……みたいですね」
遠くから武蔵の声が鳴り響いたのだからあそこだろう。瑞鶴も半ば呆れているのか力なく言った
しかし悲鳴や銃声は聞こえるものの、艦娘の艤装に搭載されている砲からの砲声はしていないため発砲していないだろう
時雨達は階段を登り悲鳴がする方へ向かった。廊目を回している敵兵が沢山転がっている廊下を走り、現場に到着した。ドアは無かった。武蔵が壁ごと破壊したらしい。爆薬は持ってきていないのでパンチで破壊した……らしい
「動くな! 田中秦は何処だ!」
中にはいると部屋には大勢の人がいた。20人くらいはいたのだろう。全員、部屋の片隅にいて怯えている。アナウンサーとテレビカメラもおり、彼らは必死に不当弾圧であることを強調していた。数名の人は床に転がっていた。近くにアサルトライフルや拳銃が無惨にも破壊され屑鉄と化している事から武蔵がやったのだろう。
「クソ、馬鹿力が!」
「黙れ。提督の命令だ。殲滅作戦なら空爆か艦砲射撃でここを木っ端微塵に破壊していた!」
敵兵は呻いていたが、武蔵は烈火如く怒っていた。生物化学兵器の攻撃を受けたのだから怒るのも無理もない。それでも感情的にならないのは流石というべきか
「よくやった。それで奴は何処だ?」
「それが提督。あれを」
提督は床に倒れている敵兵に質問したが、武蔵は部屋の棲みにある2つのベットの方へ指を指した
田中秦がベットに横たわっていた。もう1人は教祖だろう
「あれが田中秦?」
時雨は驚いた。驚くのも無理もなかった。東京でのテロ行為で田中秦と何回か出会ったが、彼は艦娘相手でも怯まなかった。浦田結衣やリリのお陰もあるが、厄介な人物には変わりない
しかし、今の彼はその面影はない。何かから怯えているかのようにベットで震えている。何かに怯えているかは分からないが、艦娘ではない。それに顔色もよくはない。時雨や他の艦娘をみても反応は変わらない。以前なら武器で反撃していたはずだ
その光景を見たため武蔵は殺害を躊躇った。情けではない。する必要性すら無かったのだ
何だ、これは?
「これって……時雨が罹ったのと同じ」
「そうなの!?」
夕張の呟きに時雨は驚いた。僕はこんな病気に罹っていたのか? 時雨は訳が分からなかった。教授がいってた通り、夕張が時雨を診断したPTSDは誤診だったらしい
「ご覧ください! 艦娘が来ました! 502部隊もいます! 呪いをかけた集団が──」
「君はアホか。呪いとかこの世に存在するわけないだろうが。非科学的な事ばかり言っても笑われるだけだ。事実を報道しないようならカメラとマイクは貰うぞ」
アナウンサーは仕切りに艦娘達の悪口を言っていたが、誰かによって邪魔された。502部隊の兵士と柳田教授だった
「ちょ、ちょっと待って下さい。いきなりきて何なんですか、貴方は? カメラを返して下さい!」
「黙れ。五月蠅い。終末論者だか艦娘不要論だか知らないが、こんな分かりやすく症状をみて、まだ呪いとか言ってるのか? ああ、すまん。君達そんな頭が無さそうなのは見て分かるな。見落としていた」
柳田は罵詈雑言を投げかけたため、アナウンサーだけでなくその場にいた人はポカンとしてしまった
そのためカメラを奪うことに成功した
「いつでもいいですよ。ターズも妨害されることはないと言っていたので」
「そうか」
柳田がニヤリとしたその時、警察がやって来た。時雨と提督が知っている杉田刑事と鶴川巡査長は勿論、この現場を担当している刑事と警察特殊部隊がやって来た
「全員その場に動くな! 応援には感謝するが、現場を荒せとは言ってないわ! それに何で田中の野郎が倒れているんだ! お前らがやったのか?」
「それは違います。監視からの報告では勝手に倒れたと言っていたので何かしらの理由で倒れたと思われます」
板倉刑事は喚いていたが、杉田刑事は冷静だった。立て籠りは解決したのはいいが、手柄を持っていかれたと危惧したのだろう
そして、軍医も警官隊と共に行動したのか彼も来ており、真っ先に時雨に駆けよった
「おい、時雨! お前は何ともないのか? 身体に異常は!?」
「ぼくは大丈夫だよ。教授の治療のお陰で治ったから」
「いや、それはあり得ない! 一体、どういう事だ!?」
時雨は軍医の反応に驚いた。軍医はまるで時雨が生きている事に信じられない風である。一方、柳田は時雨と軍医のやり取りを見ても冷静だった。それどころか楽しんでいるみたいだ
「あー、軍医はどうやら診断書を読んだようだ。役者は揃ったから僕が事実を教える。全く患者が脱水状態になってるじゃないか。誰か水を貰えるか。曹長、ありがとう。それではお水をどうぞ!」
柳田は曹長に渡された水筒を手に取ると田中に差し出した。脱水状態が本当ならなら水を与えないといけないし、本人も喉が乾いて水を飲みたいはずだ
しかし、田中の行動は違っていた。水筒を避けたのだ。それどころか、あり得ない事を言い出した
「う……うぅ……嫌だ……水は……水は嫌だ」
田中は何と水を恐れていたのだ。水を恐れる事なんて
「え?」
時雨は唖然とした。無理もない。自分も経験したのだ。あの時、なぜか水が怖かった。飲むと喉が痛いからだ。今は何ともないが
「おい、教授! さっさと言ってくれ!」
「武蔵、待て! ……これってまさか!」
武蔵は痺れを切らして苛立ちを隠していなかったが、提督は気づいたのだろう
「何で水くらいで恐れているんだ、アイツ?」
「いえ、恐れて当然です。暇潰しにはっちゃんと一緒に本を読んでいましたが、見たのは初めてです」
「嘘だろう。罹っていた人を以前みたことあるが」
天龍は田中のあり得ない行動に呆れていたが、鳥海も曹長も気づいたらしい
「お、気づいた人がいるのか。良かった。君達はわからない? ……そこの君、知ってるだろ。あからさまに目をそらしている、君だよ」
柳田は感心していたが、未だに抗議を上げている片隅にいる人達に向かって指を指していた
「おい。何を言っているんだ、あの野郎は」
「待ってください。この症状は」
「え、杉田さんは知っているんですか?」
板倉刑事は鬱陶しそうに言い取り押さえようとしたが、杉田刑事は気づいたらしく彼を止めた
「皆の人は分かっているのに、君たちは分からないとは情けない。大方、不治の病を艦娘に擦り付ければそれで良しという安易なやり方だろう。しかし、二人とも助からない。手遅れだよ。君達が崇める神は助けることも出来ない」
「何だと!?」
信者らしき男性用が1人激昂したが、時雨は柳田の言い方に引っ掛かっていた
確か僕が罹っていた病気を不治の病と言っていた。恐らくは同じ。柳田は見破ったが、別世界からといえ、高度な科学技術をこちらに持ってきた集団だ。それを呪いとして艦娘のせいにするにしては不自然すぎる。現に田中秦の症状は演技ではない
「じゃあ何なんだ! 呪いではないなら何だ!? 言ってみろ!」
男は喚いたが、柳田はマイクを近づけはっきりと言った
「狂犬病だ」
柳田の宣言に一瞬、間が空いた。反応は様々だ。唖然とする者、微かだが驚く者、狼狽する者。アナウンサーとカメラマンは顔を見合わせて田中秦をマジマジとみていた
「きょ、狂犬病!?」
「そうだ。狂犬病だ。知らない人でもこれは聞いたことがあるだろ。犬に噛まれたらヤバイ病気にかかる、と。2人は発症している。水を恐れる恐水症は狂犬病の症状の1つだ」
柳田は再び水筒を田中に近づけ、田中は水筒から逃れようともがいていた。立ち上がれないらしく、ヒーヒー言っている。数カ月前にテロ事件で出会った面影は全く無かった
狂犬病……それは犬に噛まれたら感染すると言われている感染症である。狂犬病の存在は約4千年前から知られており*1、日本でも18世紀以降、江戸時代から流行していた。狂犬病ワクチンが出来て対処出来るようになったのは1885年からである
知らない人でも狂犬病という病は知られていたため、聞いたことはあるのだろう。テログループは柳田の説明に信じられなかった
「出鱈目を言うな! 田中さんは犬になんか噛まれていない!」
柳田に指を指された別の男が抗議したが、柳田は首を横に振った
「そうだろうな。田中の場合は特別な方法で感染したんだ。艦娘の時雨から、な」
「え? ぼ、僕が?」
時雨は驚いた。名指しされたため、テロ組織だけでなく、提督や艦娘、更には502部隊や警官の視線が集まった
「僕は何もしていないよ!」
「そうだ。時雨は何もしていない」
時雨は抗議したが、意外にも柳田は落ち着くよう手で制した
「待ってください。狂犬病は動物から人に感染する事はありますが、人から人へ感染する事はありません!」
杉田刑事は前に出て否定した。時雨もその場にいた艦娘も提督も同じ意見だろう
柳田教授が出発前に言ったのだ
これはヒトヒト感染しない、と
しかし、柳田は否定するどころか寧ろ拍手をしていた
「ご名答。確かに狂犬病は人から人への感染はしない。伝染病ではない。だけど、狂犬病でもあることをしたら人から人へ感染する事もあるんですよ。例えば、狂犬病患者から臓器を取り出して移植手術をしたり*2、とか」
「ウソだ! そいつを捕まえ眠らせた時に感染症検査をしたが、問題ない! そんなワケ──」
「バカ、おい止せ!」
柳田教授の指摘にテログループからは反論したが、ボロが出たらしい
「つ、捕まえた!? まさか誘拐して不当に臓器移植していたのか!」
「ち、違う! 出鱈目だ!」
鶴川巡査長は怒鳴りテログループは慌てて否定したが、既に手遅れだった。しかも中継されているのだから全国の人達は見たはずだ。テレビを見た人の反応は様々だ
「はっ? 艦娘を誘拐して臓器移植?」
「狂犬病? 呪いですら無いじゃないじゃないか」
「臓器移植して罹ったのなら自業自得だ」
「お、俺は信じていなかったけどな。呪いなんて」
「ウソつけ。信じていたくせに良く言うわ」
視聴者からの反応は、困惑と唖然と呆れである。それどころか、不当に臓器移植した行為に対しては怒りをあげた者もいたらしい。テレビ局は不都合な映像だと判断してCMに切り替えようとしたが、映像は止まらない
「映像が切れない! 中継車から強力な電波が発しているせいで操作できない。乗っ取られて改造されたかも」
「ふざけるな! 五年前といい、不都合な映像を流すのは止めろ!」
テレビ局はパニックだが、止めることが出来ない。実はターズがテレビの電波をジャックするよう急ピッチで改造して発信させたのだ。勿論、全チャンネルで見せたのだ
『送信レベル問題なし。視聴率も記録更新です』
ターズは親指を立てたが、拘束された中継車の作業員は不満そうだった
「臓器移植はしていない! これは本当だ!」
「ウソをつくんじゃね!」
テログループの抗議に天龍は怒ったが、提督は抑えた。ここで殺したら、こちらが不利になる
「ま、いいさ。否定したければそれで構わない。ただ狂犬病に罹り発症したらほぼ100%死ぬ病だから助からない。患者が死ぬまでそういい続けるんだな」
「「「ひゃ、100%!?」」」
柳田の呆れた口調に瑞鶴と武蔵と夕張は怒りを忘れて驚愕し、時雨は頭が真っ白になった
「100%死ぬ病? え? 僕はそんな恐ろしい病気に罹っていたの!」
時雨は狂犬病の恐ろしさが分かると真っ青になり、頭を抱えていた
「軍医さん、本当!?」
「あ、ああ。狂犬病は発症したら助からない病だ」
夕立は驚き軍医に聞いたが、軍医は否定しなかった。狂犬病は予防が出来るものの、発症したらほぼ助からない感染症である。余談ではあるが、あのエボラウイルスでさえ致死率は90%。僅かな望みはあるが、狂犬病ウイルスはその望みすらないのである*3
驚くべき事実に時雨が混乱していた
テログループも例外ではなく混乱して騒いでいる最中、柳田は時雨に近寄った
「で、時雨。お前は狂犬病に罹っていた。しかも僕が見た時には昏睡状態になっていて死にかけていたぞ」
「ぼ、僕が狂犬病に罹っていたのはホントなの?」
「ああ。のどが激しくけいれんして水が飲めなくなる。そよ風や光が痛くて怖がる。不安に襲われる。そんな事は無かったか?」
柳田の説明に時雨はゆっくりと頷いた。確かに喉が痛くて水が飲めず光も痛くて避けていた事があった。更には村雨如月吹雪の撃沈や浦田結衣の事で普段よりも不安に襲われた事もある。PTSDではなくて狂犬病の症状?
「普通は発症したら一週間以内に死亡する。全身麻痺になり末期になると麻痺による呼吸不全に陥り昏睡状態になる。君は死亡する1歩手前だったぞ」
「……僕は下手したら死んでいた」
「そうだ。艦娘は兵器とかそういうのは間抜けな言い草だ。狂犬病という名前から犬の病気というイメージが強いが、このウイルスは人を含む全ての哺乳類に感染する。ネコ、ウサギ、リス、コウモリなども感染する。艦娘も例外ではない」
時雨はゾッとした。艤装は確かに艦娘の能力を上げるが、艦娘はあくまでも生命体。エボラウイルスによる生物兵器で倒れるのが良い例だ
「まあ、君の場合は奇跡的に回復したからいいとして……過去に君は噛まれたはずだ。恐らく浦田結衣とかいう人に捕まる前だ。狂犬病は犬など動物に咬まれたり、引っ掻かれたりすることで感染する」
「浦田結衣が野犬で拷問した可能性もあるんじゃない?」
瑞鶴は指摘したが、柳田は否定した
「狂犬病は噛まれたら直ぐに発症する病ではない。噛まれた場所にもよるが、傷口から侵入した狂犬病ウイルスは神経系を通り伝って脳神経に到達して発病するものだ。速度は1日数ミリ程度。その理由から狂犬病の潜伏期間はおおよそ1ヶ月から2ヶ月。2週間という早い時もあるが。しかも、臓器移植で田中が狂犬病に感染したことから、時雨は捕まって手術した時には狂犬病ウイルスは脳に到達して増殖し身体中に巡り始めていた頃だろう。何時、噛まれた?」
柳田の説明に時雨は半分ほど理解できたが、時雨は分からない。噛まれた事なんてあるわけ……
「そんな事言われても僕は──」
「いや、時雨はあの時に噛まれていた。オレと暁達がメアリー・イザベラや平和党が雇ったテロ組織に捕まったアジトで。もう大分経っているけど」
時雨は否定しようとしたが、天龍が突然口を挟んできた
「そうなの? 僕は覚えていない」
「テロリストの誰かが犬を飼っていたのか野犬だったのかは知らねぇが、犬が時雨の左腕に噛みついたのは見たぜ。その時に浦田結衣が生き返ったから忘れちゃっているのは無理もねぇが*4」
天龍の言葉に時雨は段々と思い出した。東京テロの時、テロリストのアジトを攻撃した時……確か天龍達を救い出した時に犬に噛みつかれたっけ?
いや、噛まれた! そうだ、思い出した!
時雨の表情を見た柳田は頷いた
「どうやら思い当たる節があるな」
「あの時か。あの時の事件から捕まった時期間は二、三週間程ある」
提督も考えながら言っていた。どうやら、時雨が噛まれたのは浦田結衣が復活した日らしい。時雨は放心状態になっていたが、後ろから震え声が聞こえた。夕立だ。何かに怯えている
「提督さん……時雨……夕立……夕立も……もしかして犬に噛まれたっぽい!」
夕立の突然の叫びに周りは騒然とした。時雨も思い出した。確か夕立も犬に噛まれていた!
「そうだ! あの時、夕立も噛まれていた! 教授、夕立が危ない! 早く治療を!」
時雨は夕立に治療するよう懇願した。本当に噛まれたのなら夕立は狂犬病を発症して辛い目に合ってしまう!
しかし、柳田は眉をつり上げ首を傾げた
「落ち着け。何処を噛まれた?」
「右腕の肩の近くっぽい! 教授、提督さん、助けてっぽい!」
夕立の悲鳴に周りは動揺したが、杉田刑事は違った
「それはないでしょう。教授の説明の通り噛まれた場所が脳に近ければ近いほど発症する期間は短くなります。なので、時雨と同じ時期に発症するはずです。発症しない理由は1つ。君は狂犬病ワクチンを接種しましたね?」
杉田刑事は指摘したが、夕立は激しく首を横に振った
「夕立、注射が嫌いっぽい! 受けたこと無いっぽい」
「いや待て。……夕立、お前は狂犬病ワクチンを接種したぞ? 杉田刑事と鶴川巡査長が始めて鎮守府に訪れた時に。俺が冗談半分で狂犬病ワクチンを打ち込むぞ、と言って明石もノリノリで注射したのを見たぞ。足柄もワクチン接種したはずだ」
提督の指摘に夕立は固まり、目をぱちくりした
「ええ。あの時の事は覚えていますよ。君が私達が来た事で固まっている隙にピンクの髪をした女性が注射していたのを」
杉田刑事も覚えていたらしい。夕立も思い出したのか、左手を右腕に当てた*5
「ワクチン接種したのなら発症することはない。夕立は大丈夫だな。噛まれた後でも発症前ならワクチン打てば防げる。というか、鎮守府に狂犬病ワクチンはあったぞ。しかし、念のためだ。帰ったら検査はするぞ」
「よ、良かったっぽい」
柳田の説明に夕立は安心したのかヘナヘナと床に座り込んだ
「ハイハイ、それは良かったですね。では、柳田教授。我々は田中秦を逮捕しなければならない。彼の治療を頼んでくれませんか?」
板倉刑事は柳田に近寄り田中秦に指を指した。警察にしては、犯人を逮捕して起訴する事だ。脱獄やテロなどをする田中は警察にとっては顔に泥を塗るような行為だ。だから、まだ生かして置かないと行けない
しかし、これには時雨は内心不満だった。勿論、法律関連は尊重しないといけない事は分かってはいた。だが、こんな状態でも殺人犯を助けないと行けないのは納得が行かない
しかし、柳田教授は予想外のことを告げた
「治療? 狂犬病の治療なんて出来ない」
「何を言っているんだ?」
「知らないのか、板倉だったっけ? 狂犬病を発症したらほぼ確実に死に至る恐ろしい病だ。予防は兎も角、医学では治療法なんて確立されてない。もう手遅れだ」
柳田のとんでもない言葉に板倉は固まったが、何とか声を出し時雨に指を指した
「じゃあ、何で時雨という艦娘は生きているんだ?」
「奇跡的に生還した。それだけの事」
柳田の説明に板倉刑事は愕然とした。奇跡的に生還した?
「出鱈目を言うな!」
「そう思うなら勝手にそう思ったらいい。しかし、これは事実だ。狂犬病はワクチン接種で予防は出来るものの発症したらほぼ助からない。有効な治療法もない。時雨の場合は奇跡的に助かっただけだ。僕自信も驚いているのだよ」
板倉は顔面蒼白になった。助けを求めて杉田刑事や軍医の方に顔を向けたが、2人の返事は柳田教授と変わらない
「狂犬病は発症したら助かりません。残念ですが、病院に搬送するしかないでしょう。助かる見込みはほぼありませんが」
「これは手遅れです。教授の言った通り、狂犬病は発症したら助かりません。柳田教授の説明は間違っていません」
「何てこった! 田中を見つけたと思ったら不治の病に罹るなんて! クソ! これじゃあ、裁判にかけられない。不起訴で終わるのが目に見えているわ!」
杉田刑事と軍医の言葉に板倉刑事は悔しそうに言ったが、言ったところでどうすることも出来ない。時雨は柳田が新薬である抗ウイルス薬の存在が頭に浮かんだが、口に出さないで置いた
自業自得だろう
「なあ、教授。狂犬病が発症して死ぬまでどんな感じになるんだ?」
武蔵は柳田に質問してきたが、武蔵は微かだが笑っていた。どうやら武蔵も柳田の意味が分かったらしい
(出発前に柳田教授が殺す必要性はない、と言ったのはこれが理由だったんだ)
時雨は心の中で呟いた
確かに暗殺する理由が無い
「そうだな。発症した人はかなりの悲惨な末路を辿る事になる。最初は風邪のような症状が出て噛まれた箇所は痒みや違和感が出始め、症状が本格的になると不安感や胃に食べ物を送る筋肉の痛みから水を恐れ、次第に麻痺や精神錯乱などの神経症状が出て光や風などの外からの刺激全てに過敏になって恐れる。しかも、脳細胞は破壊されないから意識はハッキリしているため、最終的に全身の筋肉が麻痺して呼吸困難になり昏睡状態に陥る。死に至るまで苦しみを味わい続ける事になる。時雨は死ぬ手前で生き返った。これは前例が無い訳ではないが、そうだな……田中秦の場合は無理だろう」
「ふざ……けるな……何で時雨は回復して……俺は死ぬんだ……」
田中は苦し紛れに言ったが、とても辛そうだ。こちらを睨んでいるが、顔色が悪いため怖さは全く感じない。彼には覇気が無いのだ
「これは不測の事態って奴だ。まあ、悪い言い方をすれば君たちはアフリカからエボラウイルスを鎮守府に向けて打ち込んだじゃないか? バチが当たったんだ。それだけのこと」
「エボラウイルス?」
板倉刑事を初め知らない人はいたが、テログループは顔面蒼白していた
「というわけで出発前に話した通り、もう殺す必要性は無い。時雨は奇跡的に助かったが、田中は無理だ。もう助からない。僕でも治せない。お見舞いしたらどうだ。ヒトヒト感染はしないから、お別れの挨拶はできるはずだ」
「そうだな。確かに殺す必要性はない。後は警察に任せよう。じゃあな、殺人さんよ」
「ふざけるな!」
武蔵と柳田の会話にテログループの1人が逆上し、柳田に向けて拳銃を向けた。警察は慌てたが、相手は既に拳銃を発射していた
パンッ! パンッ! という2発の銃声が聞こえると同時に金属が弾く音も聞こえた
武蔵が柳田教授の前に立ちはだかると銃弾を受け止めたのだ。銃弾は虚しく艤装を弾き床に落ちる
「撃つなら気が済むまで撃ちな」
武蔵は挑発していた。もうこちらから手を出す必要性は無い。テログループを追い詰めたからだ。天龍も刀を構え瑞鶴は弓を引いて威嚇していた
「クソ……お前ら化け物かよ」
「化け物はどっちだ? 生物化学兵器を撃ち込んだ癖に良く言うわ。俺も含めて艦娘達は死にかけていたんだぞ」
提督は呆れるように言っていた。提督も生死を彷徨っていたのだ
「もういい! 罪状有りすぎて全部言う気になれん! 全員逮捕だ!」
板倉の命令により警官隊は突入し浦田残党を含むと終末論を唱える宗教団体は全員逮捕された
呉鎮守府
「柳田教授はこれが狙いだったのね」
明石はため息をつきながら診断書を再び目をやった。テレビでは皆が熱心に見ていた。中継映像ということもあり、柳田の説明が分からない人でもヤバいウイルスであることは分かったようだ。陸奥も矢矧も感染症の図鑑を食い入るように読んでいた
「しかし、どうやって柳田は時雨を治療したのかしら?」
「……彼の言う通り奇跡というものじゃろう」
明石と博士は顔を見合わせた。2人は田中秦の末路よりも時雨の生命力に驚いていた
そう、普通なら死んでもおかしくないのだ
○✕県の山荘付近
「まだ浦田副社長である武田が率いる軍団と浦田結衣がいるから油断は出来ない。結衣の場合は深海棲艦の力のせいか狂犬病は発症しない。しているならニューヨーク防衛戦で姿を現さないはずだ」
事件は幕を閉じ、山荘の外で撤収作業に当たっていた。それまで待機していたが、提督は切り出した
「そうだね。アイツは僕の心臓を奪って埋め込んだけど、ウイルスごときで死ぬとは思っていない」
時雨は頷いた。テロリストの件は完全に警察に任せた。大本営からは手のひらを返すように逮捕しなくていい、と言ってきた
実際はそれどころではなく、元帥はニューヨーク防衛戦で浦田結衣を迎撃体勢する防衛陣地の対応に追われていた。国防大臣は不在である事もあり、報告も『分かった』と言っただけで電話を切った。田中秦や教祖が発症したら100%死に至る狂犬病に罹ったのであれば要はない
警察からしたら、完全に後始末を擦り付けるようなものだが、仕方ない
ターズも役目が終わると拘束した者を解放し中継車を返した。アナウンサーなどは悪口雑言で去っていったが、気にはしていない
「雪風、余り活躍出来ませんでした」
「いいさ。無事で何よりだ。正直言って、田中秦があんな形で人生終わるなんて思いも知らなかったな」
雪風はあまり活躍出来なかった事に落ち込んだ。サポートのために、そして時雨を支えるためのはずが呆気ない終わりであったため仕方の無いように想える
「時雨ちゃん、ごめんなさいね。私はまだまだだったんですね。勝手にPTSDと診断しちゃって」
夕張は診断ミスに時雨に謝ったが、近くにいた柳田は首を振った
「夕張のせいではない。脳炎と誤診する医者もいるくらいだから気にすることはない。僕も久しぶりに見たから手こずった」
「久しぶりってどう言うこと?」
夕張は興味津々で柳田に聞いた。久しぶりに見たというからには柳田が住む世界の日本では狂犬病はどうなっているのか?
「僕の世界だと日本は1950年に狂犬病予防法が制定し犬の登録やワクチン接種義務化を徹底したことにより7年後には国内での狂犬病発症例はない*6。この世界は歴史が違うから出来るかどうか分からないが、今回の事で早く施行されるかもな」
「そうだったんですね」
「それに海外では未だに狂犬病ウイルスは撲滅されていない。海外で犬に噛まれ、帰国してから発症した人も居たからな。また、発症例はないとはいえ万が一、というのは大事だ。安心はできない*7」
柳田は説明していたが、時雨はこれを狙ったのではないかと思った。恐らく、この世界の日本の情勢を調べたに違いない
「しかし、狂犬病治療できないなんて教授も悪いな。治療出来る新薬の存在を隠すなんて」
武蔵は笑いながら言ったが、柳田は眉をつり上げた
「何を言っている? 治療出来ないのは本当だ*8」
「え?」
柳田の不機嫌そうな言ったため、武蔵は固まった
「時雨は教授の新薬で治ったんじゃないの?」
瑞鶴も柳田の治療薬で回復したと思ったらしい。時雨も教授が治療成功したと思っていた。それを感じたのか柳田は呆れたように言い始めた
「いいか! 僕が作った新薬の他にミルウォーキー・プロトコルという治療法もあるが、あんなのは治療とは言えない! 君たちから見たら治療かも知れないが、まだ研究途上だ! 人体実験のような処置に過ぎない! 新薬も全身激痛する薬品を治療薬とは言わない! しかも治っても後遺症が残る事もあるんだ!*9」
「え……じゃあ何で時雨は完治して……」
瑞鶴は信じられない風に言ったが、柳田は首を横に振った
「だから言っただろ! 奇跡だって! 致死率100%のウイルスから生き返るなんて奇跡の度を過ぎている、と。言い方が悪いけど田中秦の末路が普通。時雨は例外中の例外だ! 分かったか!*10」
柳田は説明するのに疲れたのか荒い息をしていた。だが、それで十分だ。ようやく武蔵も瑞鶴も理解したようだ
柳田教授のお陰だけで治った訳ではない? 新薬の存在を隠したのは治療させないためではなくて、責任追及されないため? 確かに時雨の荒治療を見れば治療には見えないだろう。彼自身も生存確率を0から2%あげるだけの新薬と言っていた!
一瞬、辺りが静かになり他の艦娘は時雨の方に目を向けた
「あー、時雨。無事で何よりだ。今度、一緒にシブヤン海へ行かないか? 無事に航行出来そうな気がするんだ」
「時雨って超幸運の駆逐艦だったの!? 運も実力に入るとは言うけれど!」
「予測不可能な事情が今後も起こりそうです」
「更なる大改装が出来そうな予感がする」
「オレ、ちょっと怖くなってきた。時雨の運の強さに」
「時雨ちゃんには、超幸運の女神がついているの?」
「時雨は前世では大天使だったっぽい?」
武蔵、瑞鶴、鳥海、夕張、天龍、雪風、夕立はそれぞれ口にしたが、どういうわけか気が引いていた
悪い意味ではないため時雨は気にはしていないが、致死率ほぼ100%の病を医学では説明がつかない強運で生き残ったとなればそう受け止められても仕方ないだろう
「ちょっと、関係に距離を置かないで!」
時雨は慌て提督に助けを求めたが、提督も同じらしい
「この戦いが終わったら鎮守府近くに神社を建てようか。名前には時雨をつけよう」
「提督も僕に気を遣わなくていいから!」
時雨は頭を抱えた。この調子なら鎮守府にいる艦娘達の反応が容易につく
何しろ博士と明石がいるのだ。恐らく狂犬病ウイルスについて説明しているはずだ
そうなると皆は疑問に思うはずだ
時雨はどうやって100%死に至る病から完治したのか?
多分、明石も博士も説明出来ない。新薬で完治する病だなんて思っても無いだろう。何しろ、教授本人も認めているのだから
「確かにこれは柳田教授の対応のお陰もあるが、狂犬病完治した時雨の方が凄いな」
軍医も呟いたため、時雨は頭を抱えていた
「まあ、冗談は兎も角、こんな奇妙な出来事は初めて見たぜ。まさか臓器移植で100%死に至る病に田中が罹るなんてよ」
天龍はそう言ったが、柳田は違った
「何言ってる? 今回の件よりもぶっ飛んだ感染例はあるぞ?」
「そうなのか? 臓器移植よりもヤバい感染の仕方をした人がいたのか?」
「ああ。僕の世界の話のモロッコで起こった事情だが、狂犬病の感染の仕方が特殊でね。ある少年グループがロバを獣姦……要はロバ相手に1発ヤったために狂犬病に感染し少年グループは病院送りになったことがあった*11」
「ハハハハ。流石にそれはネーだろ。教授も冗談が言えるようになったな」
天龍は獣姦の意味は分かっていたが、余りにもぶっ飛んだ内容であったため恥じらうどころか盛大に笑っていた
だが、柳田の表情は変わらない。天龍も気づいたのか、顔から笑いが徐々に消えた
「え……マジであったの?」
「冗談ではない。実際にそのロバは殺処分されたからね*12」
天龍はドン引きし、それを聞いた他の者も絶句した
「だから君たち、間違ってもロバ相手にヤるなよ」
「「「「「「「それは絶対に無い!」」」」」」」
時雨も他の艦娘もそれを聞いた502部隊の兵士達も叫んだ
夕立はいつも語尾に『っぽい』とつけていたが、今回に限ってはつけていなかった
『教授、流石にそれはレベルが高い感染例です』
ターズも淡々とした口調だが、もしターズが人だったらドン引きして居ただろう
一方、板倉刑事は田中秦と教祖を治療させるため片っ端から病院に電話をしたが、どの病院も同じ回答だった
『狂犬病? しかも発症している? 残念ですが、治療なんて無理です』
判を押したかのような回答に板倉は業を煮やした。だが、杉田刑事の言う通り、狂犬病は発症すると治療法はない
「先輩、もう諦めましょう。起訴するのは無理ですって」
「……仕方ない」
後輩からの指摘に板倉刑事は肩を落とした。起訴したら間違いなく死刑か無期懲役だが、それが早まっただけと自分に言い聞かせた。刑事部長である警視長から嫌味を言われそうだが
そして、柳田教授の宣言通り田中と教祖は数日後には昏睡状態に陥り死亡した
青年時代から沢山の人を殺し脅威である浦田結衣を育て、挙げ句の果てには生物化学兵器を使う浦田残党に手を貸していた殺人鬼が狂犬病ウイルスに感染し死亡したのは皮肉であった
世界では年間5万人以上の人が狂犬病で亡くなっているとされる
尚、狂犬病は発症したらほぼ100%死ぬ病であり、高度な医療技術でも有効な治療法は無い
現実の世界では、犬の所有者は年に1回、犬に狂犬病予防接種を打つことを狂犬病予防法で義務付けられている。違反すれば20万円の罰金である。だが、実際は予防接種率は約7割に留まっているのが現状である
※注意
この作品はフィクションとはいえ、狂犬病の特徴や過去の事例などを元にしています
現実で犬などに噛まれたら医療機関等に相談してください