大切な仲間たちと最悪の再会を果たしてから、数十分後。
意味不明で情報量の多すぎる現場を目撃したレッカは『頭を冷やしてくる』といって病院の屋上へ退散。
彼が持ってきてくれた俺の荷物の中から、取り出した財布と着替えをコクに渡すと、彼女もまた『冒険だぁ~』と意気揚々と病院の売店へと駆け出していった。
今は病室で音無と二人きりだ。
「はい、お水です」
「お、おぉ……サンキュな」
ベッドに座っている俺に手渡されたものは、自販機で買ってきたばかりであろう良く冷えた水のペットボトルだった。
さっと開けて口の中に流し込む。
うまい。このしっかりと喉を潤す感覚は夢の中では味わえなかった。
やっぱり現実世界にいてなんぼだな。
「……あの、音無さん?」
「何ですか」
「怒ってらっしゃる……?」
しかし見るからに不機嫌というか、ずっと無表情なのだ。こわい。
いや、あんな場面を目撃された後なのだから当然と言えば当然なんだが……これどうやって言い訳するんだ。
「いいえ、別に怒ってませんよ。反応に困ってるだけです」
「えっ」
怒ってないの。
「ほら、先輩だってレッカさんが部室でバニーガール衣装のヒーロー部に囲まれてるとこ、見たことあるでしょ」
確かにある。夢の中で改めてそれを見たこともあってか、昔の事にもかかわらず何故か記憶に新しい。
あの時はれっちゃんがハーレム侍らせて抜きゲーみたいな事してると思って失望したわけだが、それも結果的には誤解だった。
「慣れましたから、こういう誤解を招くような現場に遭遇するの。レッカさんなんて生徒会室で私と会長と3Pした事にされかけましたからね、昔」
「大変だったんだなヒーロー部……」
どういう流れになったらそうなるんだって状況を第三者に目撃されて誤解される──だなんてラブコメじゃありがちな展開だ。
物語然とした道筋を辿ってきたレッカたちなら、当然それを経験した回数も一度や二度ではないのだろう。
常に
「で、先輩は何でコクちゃんそっくりのロリっ娘と対面座位してたんですか?」
「だから誤解なんだってェッ!!」
少々からかわれつつも、ようやく数ヵ月ぶりに俺たちは二人きりで会話をする事が出来たのだった。
話す暇もなく俺が姿を消したりとか、再会した時には精神状態が終わってたりだとか、彼女にはいろいろと迷惑をかけてしまった。
失った信頼を取り戻すのは今までの百倍くらい大変かもしれないが、いくら時間を掛けてでも、なんとか以前までの良好な関係へ戻る為に頑張りたい。頑張ろうな、うん。
それから、聞いた話によるとコクが警視監の男を殺害したという事件も、既に大方収束しているとのことだった。
彼が悪の組織に属する怪人だったことも俺の両親やレッカの兄貴であるグレンの尽力によって公にされ、なにより数ヵ月前にヒーロー部の世界救済の裏で起きた事件などもうほとんどの人が興味を示していないこともあってか、コクが出歩いてパニックになるような時期は当の昔に過ぎ去っていたらしい。
既に多くの人から顔を忘れられたコクが病院を闊歩したところであまり問題は無い……ということで、音無も彼女の自由行動を黙認する事に決めたらしい。
「──で、あの子は誰なんですか?」
私にもわからん。
……なんて答えたら怒られそうなので、現時点での仮説だけは話しておこう。
「あれはいろんな人の魔力をベースに勇者パワーと魔王ウイルスがマザルアップして融合召喚されたペンダントバグスターだ」
「一言一句正確にもう一度言ってください」
「……あの、ごめんなさい俺もよく分かんないです……」
優しい人をからかうのは優しいうちにやめるべきだよね。
真面目に解説しよう。
「あのペンダントにはいろんな人の魔力が宿っていて、装着者である俺には勇者と魔王の力が与えられた。……その、恐らく理屈を超えた化学反応だったんだと思う。本人も言っていたように
すべてが憶測であり、何も分からないのが本音だ。
だがそこを誤魔化すとまた面倒なことになってしまうのは目に見えていたし、何より音無になら正直に話しても問題ないと思った。
受け入れてくれると思った。
非常に身勝手で都合のいい解釈である。
しかし彼女は共に旅をした仲間……もとい相棒だ。
勝手に期待してしまうのも当然ではないだろうか。
「……まぁ、先輩を助けるためにアレコレ変なことをしまくったわけですからね。終わった後に妙なことが起きても不思議ではありませんし……」
続けながら、俺の目を見て──
「病み上がりの人をこれ以上質問攻めにするのもアレですし……うん、流石にやめときましょっか」
音無は仕方なさそうに笑った。
精神的に追い詰められていた俺を気遣って見せたあの時のような、心の痛みを押し込んだものではなく──年相応の自然な微笑みだ。
彼女の笑った顔を最後に見たのはいつだったか。
沖縄を発ってからは辛い状況ばかりだったから、もしかしたら四ヶ月ぶりとかかもしれない。
ほんとにハードモードな旅だった。
本業は高校生なんだし、もうしばらく旅はお休みしたい。五年ぐらい。
「あ、そうそう果物持ってきてたんだった。特に食事の制限はないって電話で看護師さんから聞いてたんで──」
程なくして、彼女は見舞いの品をカバンから取り出しながら、さりげない所作で近況報告の会話へと移っていった。
隙のない話題転換や本当はもっとしたいであろう質問をぐっと飲みこんだりなど、音無の対応は高校一年生とは思えないほどに大人だ。
やっぱ名前にもオトナって入ってるだけの事はあるよな。礼節の格が違う。
俺が音無を守った場面の数より彼女が俺を支えた回数の方が圧倒的に多いし、これじゃどっちが先輩と後輩なのか判断に困る。
これからは尊敬を込めて音無パイセンとでも呼んだ方がいいかもしれない。
「……ほんと、目を覚ましてくれてよかった」
心底安心したようにそう呟いた音無の目は、いささか疲れているように見受けられた。
俺が死にかけて寝込んだことで、少なからず気苦労もあったのだろう。
これまで頑張ってくれた後輩へのせめてもの労いとして、頭を撫でて──
「は? 何ですか急に」
……あげようとしたら目にも止まらぬ速さで躱されてしまった。
いつの間にか椅子ごと数センチ後ろに下がっている。
おい何だ今のスピードは。
ニンジャって危機感を覚えたらあんな速度で反応してくるのかよ。
ていうか俺本気でキモがられた感じなの?
想像以上に後輩に嫌われてて凹む。
「あの、頭撫でようとしただけなんだけど……」
「えぇ……いきなり何しようとしてんですか。そんなにベタベタした関係じゃないでしょ、私たち」
何言ってんだ! 隠れ家にいた時は結婚するかどうか聞いてきたくせに!
一緒に罪を背負う発言からして、もう俺に対してはデレデレだと思ってたのに……。
とんでもない自惚れだったようだ。
恥ずかしすぎて爆裂しそう。
「ていうか抜け駆けなんか出来ませんし……」
「なんて?」
抜け駆けって何ですか。
「いえ、ですから衣月ちゃんや部長を差し置いて、先に撫でられるなんて出来ませんって話です」
「なんだそれ……遠慮すんなって」
「遠慮とかじゃないんですってば。順番なんですよ」
そんな撫でる順番なんて決めた覚えはないんだが?
俺の知らないところで何かが起こってる。こわい。
「目覚めた先輩に最初に撫でてもらうのは衣月ちゃんって決まっててですね。二番目は風菜先輩で三番目は部長で……みたいな」
「どんな会話してたらそんな流れになるんだよ」
握手会みたいなノリで勝手に撫でる順番決められた俺はどんなリアクションを取ればいいんだ……。
俺って別にそんな人気者ではなかった筈なんだが。
いやまぁ、警視監の男の事を考えると悪い意味では確かに有名人だけども。
てか何で部長は三番目にランクインしちゃってるんですか?
「じゃあ音無は何番目なの」
「へ? ……い、いえ、別に立候補なんてしてませんけど」
スーッと俺から視線を逸らし、前髪を指でいじり始める音無。
ごめんなさい。いま最も撫でながら褒めてやりたい相手が、そもそも順番に組み込まれてなかったとき……どんな顔をすればいいか分からないの。
笑えばいいですかね。でも変に笑ったら誤解されそうだよな。あんたバカぁ?
「じゃあ封印されしゼロ番目って事で撫でるよ。衣月たちには秘密って事で」
「だから別に撫でられたいわけじゃ……」
「起きた時からこうしたかったんだよ。病人のお願いを叶えると思ってさ、な?」
「そんなこと言われても困りま──ぁわっ」
隙あり。
狼狽して油断していた音無の頭にそっと手を置くことに成功した。
女の子相手なので流石に髪型が崩れるほど強く撫でるつもりはないが、軽く触れるくらいなら怒られる事はないだろう。
何より俺は病み上がりだし、そんなに強くは当たれまい。
これが病人の特権というやつだ。ふはは。
「音無たちのおかげで命拾いした。本当にありがとな」
「……い、衣月ちゃんに顔向けできませんって」
「そんなの秘密にすればいいんだよ」
頭撫でるだけで大袈裟な、とは思う。
しかしこれもまた音無の責任感が強すぎるが故のことだ。
俺よりも遥かにしっかりしてる真面目な彼女を撫でて褒めるにはこうするしかなかった。
……割と邪な考えなのは理解しているのだが、音無に触れたかった気持ちも確かにある。
最低かもしれない。
でもこれまで頑張った自分に少しだけ報酬を与えたかった。
ついでに離れた期間が長かった分、彼女のことも褒めてやりたかった。
ワガママなのは重々承知だがこれまで美少女ごっことかいう人類最大のワガママを貫き通してきたのだから、コレくらいなんてことはない。
「俺たち二人だけの秘密、な」
「ぁっ。……もう、まったく」
優しい声音でそう言いながら撫でるのをやめると、音無は少しだけ名残惜しそうな表情(であってほしい)をしつつ、これまた仕方なさそうに微笑んだ。
ちょっと待て。
この女、改めて見ると顔が良すぎるな?
もしかして美少女か。
ヒーロー部の顔面偏差値ハーバードかよ。
「絶対衣月ちゃんにバレちゃダメなんですからね。先輩口を滑らせたりしないでくださいよ」
「……病室の扉、開いてるな」
「うぇっ!」
この後はお決まりの展開を挟みつつも、至って平和な時間が続いた。
衣月や両親には揉みくちゃにされ、ヒカリや風菜はおいおい泣き始め、収拾が付かなくなりそうな辺りでレッカが戻ってきてくれてなんとかなって。
楽しく、愉快だった。
しかしそんないつも通りの彼らとの触れ合いの輪の中に──コクの姿だけが無かった。
(やばくね……?)
全員が病院を去った後でも彼女が病室に帰ってくる事はなく、心配になった俺は腕から点滴をぶち抜き絆創膏で出血を押さえ、こっそり病室を抜け出した。
最悪の場合あいつがこれまでの俺の頑張りを利用して、レッカに対して“美少女ごっこ”なんか始めたらいよいよ大変だ。
事情を知らない他のみんなを気遣ったのか、今日のレッカは俺にコクの事は聞いてこなかった。
さりげなく探りを入れてみたが彼女とは会話すらしていないらしい。この状況における最善の行動を取ってくれたれっちゃん、まじでナイスファインプレーだ。
状況を複雑にしないでくれた彼に報いる為にも、探して、探して、探しまくった。
そうして俺が最後に辿り着いた先は──屋上庭園だ。
「…………おいおい」
その屋上にある柵の外側に彼女はいた。
最上階の柵の向こう側はつまり外だ。
足を踏み外したら確実に命はない。
俺に気がつき、コクは艶やかな黒髪を靡かせながら振り返った。
「あれ、来ちゃったんだ」
「待て待て、早まるな。急展開すぎてついていけてねぇ」
「……? 今日の様子を見るに、私は余計な存在でしかないと思ったから、消えようと思っただけだけど……」
何言ってんだあのロリっ娘。倫理観バグってんのか。
ともかくこっち側に連れてこな──
「さよなら〜」
「だああぁァァッ!!!?」
まるで迷う素振りも見せずに屋上から飛び降りたコク。
俺は人生における最大最速の風魔法を発動して、彼女を回収するために死に物狂いで同じく飛び降り後を追ったのだった。
※助かります