とある優しい風の流れる谷に生まれた少女ラナ
魔法の才能のある彼女は、ある日王都に行くことになり、そして英雄になる
その胸の中には淡い恋心があった
静かな風の流れる谷がある。
険しい山道を通りやっとたどり着ける峡谷の麓には小さな村があった。
丈の低い草の生い茂ったそこでは牧畜を営んでいる。風に撫でられるようにさあ、と緑の波が通り過ぎていく。
一匹の山羊を先頭に数十頭の羊の群れがのんびりと進んでいく。そこには一人の少年がいた。彼は手にカラカラとなる小さな鐘を突けた棒を振り、その群れを動かしている。
まじめな性格なのだろう。その顔は真剣そのものであった。
その少年のことを羊の後ろから見る、少女がいる。短い赤い髪が羊の背から見えた、彼女はたっと走り出すと少年の背中をおもいっきりたたいた。
「!」
少年は驚いてよろける。彼が振り向くと白い歯をみせて、楽しそうに、嬉しそうに笑う秋赤い髪の少女が佇んでいる。
「何をするんだよ。ラナ!」
仕事の邪魔をしないでくれとばかりに少年は叫んだ。ラナと呼ばれた少女は両手を頭の後ろで組んでへへへと笑う。
「だって暇だったんだもん」
「だったら、家の手伝いでもすればいいじゃないか」
「やーだよ」
「ちぇ」
少年はからかと鐘を鳴らしながら歩いていく。ラナはその後ろをなぜか楽しそうについていく。小さな、本当に小さな草原を2人は歩いている。
「私、今度村を出ていくことになったの」
ラナは歩きながら言う。その目は少年の背中を見つめていた。少年は振り返ることもなく、何も言わなかった。
「私には魔法の才能があるんだって。だから王都で勉強させてもらえるって」
ラナは少年の反応を試すように言う。
少年は一度立ち止まって、空を見た。その蒼さに目が染みたのか、少し顔をこすった。
「そうか、良かったじゃないか」
振り返ることもなくいった。この村をでればラナは帰ってこないのかもしれない。だが、それはいいことだと彼は思っていた。王都という場所は想像もつかないがきっとここよりは豊かなのだろう。
「よかった?」
ラナはむっとした。手を下ろして、唇を噛んだ。
「ほんとにそう思うの?」
「…………俺は嘘はつかない」
「そうだね。嘘をついたところを見たことがないよ」
ラナは少年の服を引く。少年はやはり振りらない。
「じゃあさ。私はいつかここに帰ってくるから、待っててよ」
「……できない約束はできない」
「……ばか! ばかばかばかばかばか!」
ラナは少年を後ろから蹴った。目元に涙を湛えて、その唐変木を蹴倒すつもりでそうした。
だが予想していたのか少年はよろけたが、倒れることはなかった。それも憎たらしくてラナは彼に背を向けて走り出した。
☆
ラナと少年は子供のころから一緒だった。何をするにしても全て一緒にしてきた。
兄妹というわけでもない。元気なラナに少年が振り回されることもあったが、少年自身もラナのことを嫌いだと思ったことは一度もなかった。
少年の名前はフェイと言う。素朴で簡単な響きの名前をラナは好きだった。
ラナはどこにいくにしてもフェイと一緒に行きたがった。谷の奥に行くときも、山の上に行くときも森の中に分け入っていくときも、フェイはラナと一緒だった。
それはまるで守っているかのようで、実際ラナが獣に襲われたときはフェイは命がけで守ったこともある。だが、彼はそれを自分から口にすることもなく。ラナが行くところにはどこにでもついていってあげた。
そして彼らの歳が10を数年超えたころ王都から王国中の才能ある子どもを集めるお触れがこの山間の小さな村にも届いた。
着飾った役人がやってきて、村の子供たちを見定めたところラナの才能を彼らは認めた。ラナに簡単な魔法を教えて、その両手から美しい炎が花の様に咲いた時、彼女の運命は決まったといってよい。
村では彼女を祝福した。ラナもまんざらではなかったし、フェイも喜んでいるかどうかはわからないいつもの硬い表情で「よかったな」と言った。
ラナはフェイがそう言ってくれたことに心の底から喜んだ。
数日後にラナは役人とともに王都に向かうことになった。彼女は村でできるだけ上等な服をもらい出発した。役人から見れば素朴なものだったが、だんだんと離れていく村を振り返ってラナは「行ってくるね」と言った。
遠くで見送るフェイの姿にちゃんと彼女は気が付いていた。
☆
ラナの才能は本物だった。
辺境で育ったこともあり、基本的な教養からはじめなければならなかったが、その才能は歳を経るごとに開花していった。
炎、水、土、風、そして雷などの多彩な魔法を縦横無尽に扱い。王都の天才少女として有名になった。
彼女が16になったときのことだった。魔獣の大量発生が起こった。
それはともすれば周辺の村や町を食い荒らすことになるであろう大きな事件だったが、ラナは自分の仲間たちとともにその脅威を治めることになる。
バラスティア大魔法の発動、と後世に言われる事件であったが、ラナにとっては自分と自分の周りが救われたことで十分だった。
彼女はこの事件の後に赤い髪の英雄と言われるようになる。ラナは最初は少しうれしく、そして恥ずかしいことだったがだんだんと煩わしくなった。そのこともあって一度故郷に帰ることにした。
彼女の頭の中にはいつもあの風の流れる谷があり、あの少年の顔があった。
ラナは一人で帰ることにした。魔法を身に着けた彼女に太刀打ちできる山賊などほとんどいない。ラナは少し着飾って、普段したことない化粧道具を持って帰ろうかと思ったが恥ずかしくなってやめた。
数日歩かなければたどり着かないようなへき地である。
ラナは焚火を炎の魔法で起こし。綺麗な星空を見ながら旅路を楽しんだ。
村は昔のままにそこにあった。
ラナが英雄と言われていることも伝わっており。彼女は大歓迎された。
その夜に村長の家で宴会が催された。
そこでラナは最近生まれたという赤ちゃんから花で作った素朴な冠をもらった。もちろん赤ん坊が一人でできるわけもなく、その母親である少し地味で笑顔がかわいい女性と一緒にであった。
その女性のことをラナは知っていた。あまり遊んだことはないが、村は狭いからこそよく知っている。ラナより一つ上だったはずだ。
ラナは幸せだった。自分の故郷に祝ってもらえることほどうれしいことはない。
「そういえば、フェイは?」
ラナは気が付いたように言った。いや、彼女は最初から気になっていたがそのことを口にするのが恥ずかしくなかなか切り出せなかったのだ。
「どうせ、仕事に行っているんだよね。あいつのことだからさー」
よく知っている彼のことを楽しげに話す。先ほど花の冠をくれた女性もくすくすと笑いながら。
「ええ、主人は山の向こうに行っています。そろそろかえってくるはずですが……」
「……あ」
ラナは時が止まったように感じられた。
それでも魔法が解けたように心臓がだんだんと鼓動を早くなっていく。
彼女は助けを求めるように周りを見回した。全ての人の優し気な顔がそこにあった。
「……」
言葉が出せない。
少し呼吸が荒い。
「そ、っかー」
無理にだした明るい声が自分の何かを傷つけている。ラナは必死に、必死に表情を作って立ち上がった。
「少し外の空気をすってくる」
村長の家から彼女が出る。胸元をぎゅっと片手で握りながら、何かを堪えるように外に出た。彼女はそのまま駆け出していく。夜の綺麗な日だった。
草原を走りながら、ラナは泣いていた。
何かに躓いて、彼女は転がるように草原に投げ出された。
仰向けに倒れたラナは両手で顔を覆った。頬が赤くなっている。
「ああ、ああぁあああ」
子供の様にラナは泣きじゃくった。
王都で彼女は才能を開花させ、栄光をつかんだ。だが、その間に大切なものを取りこぼしてしまったことを後悔した。
「……………ばかばかばか、ばかばか、ばか、ばかぁ」
今はそこにいない人に対してラナは言った。その言葉を聞いてくれるものはもういないのだと彼女にはわかっている。
遠くからからからと鐘の音がしている。ラナは起き上がった。彼女は唇を噛んだ。魔物との闘いの時にも感じたことがない恐怖に顔をゆがめて、はいずるように逃げていく。見つかりたくなかった。
「もうやだ。帰る、帰るぅ」
英雄となった彼女の失ったものは深い。