夕暮れの屋上。近くて遠い、彼女との距離。ややこしくて曖昧で、言葉にできない、あたし達の関係。
あたしが彼女に出会ったのはいつも通りの昼休みだった。
朝起きて、登校して、授業を受けて、幼馴染と他愛のない話をする、いつも通りの日常だった。
ああ、一つだけ、いつも通りじゃないことがある。その日の昼休みはみんな何かしらの用事があってあたしだけ先にお昼を食べることになった。
でもこんなのいつも通りの範疇だ。少しだけ溜息をついて、あたしは屋上へと向かった。
屋上の扉を開く。知らない女子生徒がいた。少なくともクラスメートではない、はず。その少女は寝転んでいた。
あたしは驚く。女子生徒がいたことじゃない。いやそれもか。……じゃなくて。それだけじゃなくて肌寒くなってきた今日この頃に校内で一番それを感じる屋上で寝転んでゆっくりできることに驚いた。他人のこと言えないところあるけど。
「誰?」
寝ぼけた声。その女子生徒は眠り眼を擦りつつ、身体を起こした。
「って、ああ……いつもの屋上の」
「え」
なんだその認識は。初耳だ。あたし達はどうも屋上の主的なモノだと思われてるらしい。失礼じゃない?
「あー……ごめんね。失礼過ぎたね」
自分の失言に気付いた彼女は頭を軽く掻く。ブラウン色をした綺麗な長髪が乱暴に揺れる。
その時、彼女と目が合う。エメラルドの澄んだ瞳の中にあたしが捕われていた。
「美竹さん、だよね」
そうだよね合ってる、と付け足して彼女は言った。
「そう、だけど」
あたしは恐る恐る頷く。
「……もしかして、もう昼?」
「……もう昼だけど」
オウム返しのようにそのまま言葉を返す。
「そっかぁ、もう昼かぁ……」
間延びした彼女の呟きは空気の中に溶けていく。
「…………」
「…………」
そうして沈黙が屋上を支配する。あたしは彼女の瞳の中にいた。彼女もあたしの瞳の奥を覗き込んでいた。目と目が合って、離せなくなった。自分でもどうしてかわからない。ただどうしようもなく綺麗で、お互いに見つめ合ってる時間はお互いのことがわかり合えた、そんな気がした。もちろん錯覚だ。
「……じゃあ、お邪魔しました。私はこれで」
切り出したのは彼女。彼女は立ち上がってすぐさま校舎の中へと向かう。
「ちょ……待って!」
あたしは彼女を引き留めようと声を上げる。思った以上に声が出た。
「え?」
彼女は不思議そうに、だけど足を止めた。
引き留めてから思う。あたしはなんで引き留めてんだろう。
「……『お邪魔しました』ってどういうこと?」
はっきりと理由はわからないまま、彼女の言葉で気になったことをぶつける。
「え? だって今からここ使うでしょう? だから邪魔しちゃ悪いかなって」
彼女の言い方は嫌味がないというかさっぱりしていた。
「確かに使うけど……」
彼女の言う通りで、彼女が去ってくれてと気兼ねなく使えるからありがたいけど。
「……ここは別にあたし達だけの場所ってわけじゃないから」
そんな言葉が出て来た。ここは学校なんだ。自分たちの場所ではない。そんな当たり前のことを口にしてる。
ただ言ってから思う。あたしがそんな意図でこの言葉を口にしたのだろうか? 本当はきっと違う意図があるように自分でも思った。それがなんなのかわからないけど。なんとなく見つめ合っていた視線からあたしは外れて、顔を横に背ける。
彼女の顔を見るのが少し怖い。彼女がどんな捉え方をしてるのか、それを知る勇気がない。
ふっと笑った、声が聞こえた。あたしは彼女を見た。微笑んでいた。
「そっか。じゃ、寝たくなったらまた来るよ」
それだけ言って彼女は屋上から去ってしまう。一人残されたあたしは閉じていく扉をぼんやりと見ていた。
「はぁ」
冷たい風が強く吹く。熱を帯びた身体を冷やしてくれる。それでようやく落ち着けて、あたしは溜息を零した。
なんでこんなに緊張したんだろうか。わからない。
けど、彼女と見つめ合った時のあの感覚。あの感覚はきっと……。
その先は考えない。今はまだ。また、彼女に会って、それからだ。だから、できれば彼女にはまた屋上に来てほしかった。そう思った。
☆☆☆
……それから、あたしと彼女は屋上で偶に顔を合わせるようになった。屋上以外でも会うことは何度かあったけど、やっぱり一番会うのは屋上だった。
顔を合わせてする会話はどちらかといえば短い。あたしは長々と話すタイプの人間じゃない。もしかしたら彼女もそうなのかもしれない。
……実のところはわからない。もしかしたら、彼女はあたしに合わせてくれているのかもしれない。
だからだろうか、彼女と過ごす時間は心地が良い。気を張らなくていい。そんなのは幼馴染たち以外では(もしかしたら)初めてかもしれない。
「ほんと、なんでだろ」
なんか、言葉が出た。いや本当になんでだろう。あたしと彼女、趣味が合ってるとかそういうわけじゃないのに。
「なにが?」
近くから声が聞こえる。夕陽に照らされた彼女がいる。あたしの隣にいる。
「……なんであたしたちこんなに話すようになったんだろうって考えてた」
「まあ、確かにそうだよね。私と蘭じゃ正反対だし」
彼女の言う通りだ。彼女とあたしは違い。言う通り、正反対だ。友達の数だったて彼女はあたしと違って多い。
「そーかな?」
あたしがそのことを言うと彼女は疑問を呈した。
「蘭の方が深い付き合いが出来てると私は思うんだよ」
私はそういうの苦手だしね、って彼女は付け足した。
「……そうかな」
「そうだよー」
彼女は軽い調子でそう返す。
彼女の横顔をちらりと覗く。いつも通りの横顔が、なんだか遠くに感じた。これ以上距離が開いてほしくなかった。だから手を伸ばしたいと思った。もっと近づいて、彼女の気持ちが知りたかった。でもそれは本当にあたしが望んでいることなんだろうか。
あたしにはこの気持ちがなんなのかわからなかった。いつからこんな気持ちだったのかもわからない。いつの間にか彼女を視線が追っていた。わからない、わからない。
この距離感が心地いいのに、もっと近づきたいって思ってしまうのはどうしてなんだろう。もっと近くにいたいのに、この間の開いた距離感が堪らなく愛おしいのはどうしてだろう。
「どうしたの?」
彼女は少し心配そうにぼうっとしていたあたしを見て声をかける。覗き込んできた顔が近い。無邪気な微笑みが眩しい。
「なんでもない」
素っ気なくそう返す。本当になんでもないように、装って言う。
「そっかー」
彼女も素っ気なく返してきた。うん、いつも通り。あたしと彼女はこんな感じ。話の内容なんて中身のないものだ。……そうじゃないことはあたしだけが知っていればいい。
「蒸し返すようだけどさ」
誤魔化す意図はない。けど、あたしは少し気になって話題を変えた。
「あんたさ、そういうの苦手って言ったじゃん?」
「まあねえ」
「あたしとこうやってここで会うのも……嫌、だった?」
絞り出すようにあたしは言葉にする。平常心を保とうとしても出来てない気がする。
「…………」
「……ぷっ」
あたしが彼女の反応を今か今かと待っていると彼女は沈黙の後、吹き出した。
「あはははは!」
そして、大笑いした。
「なんで笑うの?」
あたしは面白くないので不機嫌な口調が出てしまう。
「だって蘭が面白いこと言うから」
彼女はそんな理由を口にする。けど、あたしは面白いことを言ったつもりはない。
「嫌だったら屋上に来たりなんてしないよ」
あっ。
「好きだよ。蘭と過ごすこの時間」
嬉しくて身体が火照る。ああ、本当に。本当に、もう。
「でもま。そういうの、そろそろ改善しないとなぁ」
「……」
……あれ? なんでだろう? その言葉を聞いてあたしはどうしてかもやっとする。なんで?
「……髪変えてみようかな」
自分の心の動きに戸惑っていると彼女はそんな言葉を呟いた。
「え?」
思わず聞き返してしまう。彼女の言った言葉がいまいち信じられない。……信じたくない、のかもしれない。
「髪型変えるの?」
「うん。髪型変えてみようかなって」
「……変える必要ある?」
「まあ積極的な理由はないけどさ」
こういうのは気分じゃん、と彼女は言う。髪の毛の先端をくるくると巻いて遊ばせている。
あたしは彼女が髪型を変える理由を改めて考える。彼女の言葉を信じられないわけじゃない。ただなんとなく嫌な想像をしてしまう。例えば、恋人が出来た、とか。
「……今のままでも」
「ん?」
「今のままでも十分、綺麗だって、あたしは思うけど」
あたしの放ったその言葉はそのままの意味ではなかった。さらに綺麗になってほしくなかった。
「ありがと」
「それでも変えるの?」
「うーん、まあ、多分」
「……変えない方がいいよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
「じゃあ、そうしよっかな」
「それがいいよ」
どうしてだろう、と思う。綺麗になる彼女を想像すると胸がズキズキと痛む。妙としか言いようがない焦燥感があたしを支配する。嫌な想像がそうさせる。
「……あのさ、彼氏とかいるの?」
なんて言葉を気がつけば口走っていた。そして気がつく。あたし、嫉妬してるんだ。見知らぬ誰かに、あるいは存在しない誰かに。
その言葉を聞いた彼女はぽかんと呆気に取られた顔をする。そしてくしゃくしゃな笑みをみせてくれた。
「いないよ」
その短い4文字があたしを心底安心させた。溜息が思わず溢れた。
それを見て、彼女はさらに笑った。なんで、そんなに笑うのさ。
「馬鹿」
あたしの短い罵倒に彼女の笑いは止まらない。あたしは妙に苛立って、恥ずかしくて、穴があったら入りたいし、地団駄だってしこたま踏みたくなった。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿」
みっともなくてそんなことできない代わりに、でもやっぱり小さな子供みたいな言葉を放り投げてぶつけてしまうんだ。なんだ、どっちにしろみっともないや。
「はいはい、馬鹿ですよー」
仕方ないなあ、みたいな表情であたしの言葉を肯定するからあたしは彼女にムカついているんだ。だから、あたしは彼女のことが好きなんだ。
「……ほんと、馬鹿」
その言葉は彼女に対してじゃなくてあたし自身に向けられた言葉だ。
「うん」
そして、きっと多分、彼女はそのことをわかって受け止めてくれている、思う。……あたしの思い違いじゃなければいい。だって思い違いじゃなければ、彼女とあたしは同じことを考えて、思っているってことなんだから。
「そろそろ帰ろ」
いい時間だしね、なんて彼女は言う。夕焼けが滲む。
彼女が手を差し伸べる。あたしに向けられた手。細く長い腕。その腕に、その手に触れたくて、でも躊躇ってしまう。
「うん」
短いセンテンスに何も気持ちを込めなかった。そうしなきゃとても握れない。変な言葉を口走ってしまうだろう。
きっとあたしは妙に強張った表情をしてるだろう。でも手を差し伸べる彼女はただ微笑んでるだけ。ちょっとありがたい。
ぴとっと触れる。柔らかくて、温かい。心臓の鼓動が速くなる。速くなって、その加速が止まらない。
顔は熱い。赤くなってないといい。いや、無理か。なら夕焼けが誤魔化してくれるのを願うばかりだ。
ああ、あたしばっかヤキモキさせられている。なんかちょっと悔しい。彼女が驚いたり、呆気に取られたりする表情を見たい。仕返ししたい気分。彼女は悪くないんだけどさ。
「行こうか」
だからあたしは差し伸べられて触れた手をぎゅっと握る。握って走り出す。彼女を引っ張って扉に向かう。
ちらりと彼女の顔を窺う。やっぱり呆気に取られていた。狙い通り。
満足したあたしは彼女を連れて、屋上を出た。
「……どこにっ?」
戸惑い、焦った声が聞こえた。どこに、彼女は言った。だけどあたしは考えていなかった。二人で行けるならどこだってよかった。
「どこか」
人気のない廊下を二人で走る。けたたましい音が響く。
ふと気づくと二つ分の笑い声が聞こえる。彼女を見る。口を開けて思いっきり笑っていた。きっとあたしも。
走り、走り回って、昇降口に着いて、あたし達は立ち止まった。上履きのままじゃどこにもは行けないじゃないか。そのことに気づいて二人して余計に笑った。
「…………」
「…………」
靴を履き替えて、あたし達は言葉を交わすことなく、手を握り合う。今度は走らないで、ゆっくり歩く。行き先はまだ決まってない。