目が覚めると私の目の前には天使のような幼女が居た。
…繰り返しお伝えします。めっちゃ可愛い幼女が私の目の前で安心しきった様子で、私の身体を抱きしめてすやすやと眠っていました。
「…んー。4二ひしゃぁ…」
「…昨日まで居飛車派だったのに、いつのまにか四間飛車?にジョブチェンジしていらっしゃいますね…取り合えず今は諦めて居飛車で戦いましょう?」
「ふぁーぁい……んぎゅー…」
夢の中でもアドバイスを聞いたのか、嬉しそうな表情で私を抱きしめたあいちゃんを見つつ…私は嬉しそうに頬を緩ませながら周囲の音を聞く。
パチンパチンと真剣な音と同時に、香苗の息遣いが聞こえ…私はあいを起こさない様にゆっくりと身体を起こす。
…其処には珈琲を飲みながら片手で本を読み、もう片方の手と目で竜王と戦いをしている香苗の姿があった。
「…香苗。まだおきてたんですかー?」
「う、うん。もう少し打っておきたくて…一応竜王から許可は貰ってるの」
「ふーん……じゃあ私と一緒に寝てくれないんですね」
「あっ違…いや、一緒には寝たいんだけど……えっと、もう少し練習したくて…」
私の言葉を聞いて慌てて私と竜王を見つめる香苗を見て、私は少しだけ微笑みながら冗談ですよと優しく撫でてから香苗の身体を抱きしめた。
まだ夜の冷たさに身体が冷えたのかひんやりとした香苗の身体を、私は優しく抱きしめて温もりを与える。
…と言うか将棋に夢中で体温調整出来なかったら駄目だろう。竜王はそこら辺しっかりと叱ってほしいものだ。
「…」
「……」
パチン、パチン。
将棋の駒を指す音を聞きながら、私は香苗の盤面を見て…そして思わず顔をしかめてしまった。
…やばい、全然わからない。
唯お互い良い勝負と言った感じだろうか?いやもしかしたらそれも竜王の策略によってそう見せかけている状態で…
「…?どうしたの?」
「ああいえ。なんというか危ない橋を渡ってそうだなぁって思いまして」
「……?…どうしてそう思ったの?」
香苗が首を傾げながら私に聞いたのだが、私も正直分からない。
取り合えず中盤で戦いが発生してたら危ない橋渡ってると言えば正解っぽく聞こえるのだ。
今まで培った知ったか知識の内、上位のランキングに位置する程の要らない知識だ。
取り合えず今の質問には答えなければ知ったか野郎と言う烙印を押されて好感度が下がる事になるので…取り合えず此処は何か答えておこう。
…なんて答えようかな。
「…なんかこう、竜王の動き方に違和感があったから」
「……龍王?」
私の言葉を聞いて必死に盤面を見つめる香苗を見ながら、私は心の中で香苗に謝り続けた。
…ごめんなさい香苗。私別に何も考えてないんです!本当に何もないから安心して打って!ほら今言われた竜王だって「えっ俺変な動きしてた?」みたいな目でこっち見てるじゃないですか!
私の所為で変な空気になったこの空気に耐えきれなくなり、私は思わず布団に戻ってあいちゃんに引っ付き始める。
そろそろ寒くなってきたし普通に限界だった。後正直二度寝したいのだ。
「…あ。えい」
「うぐっ…」
パチンと音が鳴るのと同時に、竜王が何か辛そうな声を上げる。
どうやら香苗は竜王にクリティカルヒットを与える事が出来たらしい。私の言葉なんて聞かずに自分らしい将棋を打とうね。香苗。
そのままパチンパチンと音が鳴り続けるのを聞きながら、私は眠っているあいと見つめあって……見つめ、合う?
「…あの、あいちゃん?何時から起きてたんですか?」
「何時からだと思いますか?将棋してる香苗ちゃんに甘えながらアドバイスを行った挙句今日は一緒に寝ないんですか?と襲われても文句言えない台詞を吐いていた衣ちゃん」
「……全部、見てたんですか?」
「全部じゃないですよ?えぇ」
ハイライトが無いあいちゃんを見ながら、私は一歩後退りをする様に布団から出ようとして…そのまま私はあいちゃんに捕まる。
それはまるで頭金の練習問題の様にあっさりと、一手で詰められた私は…
「…私じゃ駄目なんですか」
あいちゃんの頬が膨らんだままお説教をされ始める。
…お蔭で眠気が一気に吹き飛び、私は二人の方を確認しながら逃げる方法を考えていたのだが…それが分かったあいちゃんが最終手段を行う。
「…むぅ。ふぅ…」
「…ぁっ、ひゃう…」
耳に息を吹きかけられ、私は小さく身体を捩らせてしまう。
それを見たあいちゃんが新しい玩具を見つけたという様にニコニコと微笑み、私の耳元に口を近づけてくる。
「やめ…ぁ…」
「えへへ。かわいい……んっ、ふっ」
「…っっ!」
「ほら、向こうで感想戦始まってるよ?静かにしないと駄目ですよね?」
こうして、転生して二回りも三回りも下の幼女に耳を責められて許しを請い続ける残念な幼女になりつつも…私は気絶する様に眠りに落ちていった。
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「……」
トントントン。
まな板の上で何かを切っている音を聞いて、私はゆっくりと目を開く。
最終的に私の上に乗って全力で耳を責めて来ていたあいちゃんの姿は既になく、私の傍には香苗が私のお腹に頭を当てて眠っているのが見えた。
…更に向こうには布団で眠っている竜王の姿が見え…私は二人を起こさない様にリビングからキッチンへ移動する。
「おはようあいちゃん。今日は何を作っているんですか?」
「あっ…おはよう衣ちゃん。えっと今は佃煮の海苔を作ってるんだよ?」
「そうですか」
佃煮の海苔を作ってると言われても分からないので、私は適当に相槌を打ちながらあいちゃんの料理の光景を見つめる。
最初は暇じゃないんですか?と聞かれたが「あいちゃんが楽しそうにしてるのを見てるのは楽しいですよ」と言ったら顔を真っ赤にしてしまった。
…よくよく考えたら今の一言はかなり変態チックだったかもしれない。ごめんねあいちゃん。
「…そういえば衣ちゃんって将棋の勉強はやってるの?」
お味噌汁に火を掛けながらあいちゃんが質問するのを聞いて、私は少しだけ首を傾げながら呟く。
「将棋の勉強…と言っても何をすれば良いか分からないんですよね」
「詰将棋とかは?」
その言葉を聞いて、私はあいちゃんが持っていた本を思い出しながら苦笑する。
…いや、あれをやるのはもう少し大人になってからだろう。
今の私は一手詰めですら偶に間違えるのだ。あんなに長いのをやったら途中で駒が分身するに違いない。
「考えておきますね」
「ふふ。もしやるなら一緒にやりましょうねっ!…あ、お風呂はそろそろ沸くのでわたしのランドセルから入浴剤いれてくれますか?」
「はーい」
取り敢えず万能の言葉で返事をしておき、私はあいちゃんのランドセルから入浴剤を取り出した。…あっこれ高い奴だ。
心の中で竜王に合掌しながら、私は入浴剤を適当に入れて…そのまま香苗から貰った(何故かサイズもあっている)寝巻から何時もの私服(これも香苗が持ってきていた)に着替える。
「……うーん」
…やる事がない。
長期の休みは一人で色々やる予定だったのに全部今回の一件でなくなってしまった。
取り合えずもうひと眠りをするか、それとも折角だしここにある本格的な将棋の道具を磨くか…どっちにしよう?
「よし、面倒ですしもうひと眠りし始めましょうか」
「私服に着替えてからもうひと眠りはしわが出来ちゃうから駄目だよ?」
私の一言を聞いて目が覚めていた香苗が、私を抱きしめながらゆっくりと喋る。
…寧ろ何時も抱きしめている方が皺が出来そうな気がするが、彼女もとりあえず言っただけで、別に皺が出来ようが出来ないが気にしないのだろう。
私も勿論気にしない。
「それだったらどうしますか?」
「……そうね。暇だし将棋の勉強でもする?」
「香苗が教えてくれるんだったらやりますけど…それよりも良いんですか?」
「良いって、何が?」
私の一言を聞いて首を傾げる彼女を見ながら、私は思わずため息を吐いて…
「親に言ってないんでしょう?」
「親には言ったわよ」
「じゃあ許可は貰えたんです?」
「……それ、は…」
私の一言を聞いて困った様な表情で私の手を掴む香苗を見ながら、私はやっぱりと小さく溜息を吐いた。
それを見たあいちゃんが頬を膨らませていたのだが…話の内容を聞いてやっぱり同じなのだろう…あいちゃんも料理を置いてから困った様に私の手を握った。
「…二人とも家出みたいに出て行って…私も結構大変なんですよ?お二人の両親と将棋連盟から電話が掛かってきましたからね。所でお二人書置きの一つくらいは残さなかったんですか?」
「「…あ」」
「お二人の両親が心当たりがあったからよかったものの、もし本当に無ければ警察に通報されて…最終的には竜王が誘拐騒ぎに巻き込まれていた可能性もありますからね。
竜王のお師匠様も将棋連盟の方も大きな騒ぎにはしたくないらしいですし、諦めて帰りましょう?」
「「嫌!」です!」
私の一言を聞いて駄々をこね始めた二人を見て、私は思わずため息を吐いてしまった。
…いやまぁ、確かに竜王はイケメンで格好良いし優良物件ではあるんだけど…そんな小学生の頃から逃避行覚えちゃ駄目でしょうに。
まぁ、それだけ将棋に対する想いが強いという事だろうか?でも勝率3割なんだよなぁ…。
「…三人ともどうしたんだ?」
「ああ、お騒がせして申し訳ありません。実は将棋連盟の方かんぐっ…」
「なんでもないです!ねぇ香苗!」
「そうだよ!そうだよね?あい!」
私の口を塞いで二人が捲し立てる様に喋るのを見ながら、私は思わず苦笑してしまった。
「…ふーん…って、これ全部三人で作ったのか!?」
「んっ……んー…」
私が答えようとするが、二人の手の所為で口をもごもごとさせるだけだ。
そのまま私があいちゃんと香苗の指を優しく舐めた瞬間、二人がびくっとさせて手を緩めた隙に…私は喋り始める。
「んっ…ふぅ…これはあいちゃんが作ってくれたんですよ。なんてったってあいちゃんは旅館の天才女将ですからね」
「へ?…て、天才じゃないよ…これくらい出来て当然だから…」
「でも昨日読んでた本は結構難しそうな奴じゃありませんでした?確か…」
「『将棋図巧』の寿ね。確か…611手じゃなかった?」
「そうです」
私達の言葉を聞いて目の前の竜王が驚いていた。
…と言うか私も驚いた。611手って何。下手な勝負より手数多いんじゃないの?
「…さ、三人ともそれを解いているのかい?」
「私は勿論解いたわ」
「私も昨日の電車で解きましたー!解けたら解けた!っていうと衣ちゃんが撫でてくれるんです!」
二人解いてて私が解いてないというとなんか可哀想な子と思われるので曖昧に微笑んでおく。
別に解いたとは言ってないのだから嘘は言ってない。
というか二人共解けてるの?えぐっ…
「…三人は将棋を何時から始めたんだ?」
「「三ヶ月前」」
「私は香苗がゲームで無双している頃に知ったので…約一ヶ月半ですかね?」
「……嘘、だろ?」
何か竜王がダメージ喰らってる。
落ち着いて竜王、最年少竜王は伊達じゃないからね。私じゃ多分後五回転生しても無理だと思う。
他の二人?知らん。私は二人が明日プロになってても可笑しくないって思ってるからね。
「…ま、まぁ所詮は江戸時代の作品だから。現代詰将棋にはもっと長手数の物が…」
「『ミクロコスモス』ですよね。改作前は1519手で6二桂成スタートで、その後の改作後は1525手で4一歩成開始な筈です」
「……えっ、覚えてるの?」
「一番長いって言われたら覚えません?バンコクの儀式的正式名称とか、世界で一番高い山ベスト10とか」
「…あ、うん…ソウダネ」
やはり竜王も覚えていたらしい。実は『メタ新世界』とか覚えてたけどあっさりと『ミクロコスモス』に抜かれてがっかりしたのかな?
…私が生まれた頃にはもう『ミクロコスモス』は発表されていたらしいですが。
「…さて、冷めない内に食べちゃってくださいね。此処の主は竜王ですから」
「それもそうだな。頂きます……どうして名前で呼んでくれないんだ?…美味いな」
「逆に聞きますが私の様な小学生から-やいちおにいちゃぁん?って呼ばれたら喜ぶんですか?」
私が声を作って竜王にそう問いかければ、竜王は喉に何かが詰まったのか咳込み始めた。
ほらね?これするぐらいなら竜王の方が良いだろう?
「ふ、普通に呼んでくれ!」
「でもこの歳の差で八一って呼び捨てにしたり八一さんって言ったらハイエースとかパパ活疑われますよ?」
「っ!?ゴホッゴホッ!」
私の一言に香苗は首を傾げ、あいちゃんは頬を赤らめた。…ませてるねぇ。
-----------八一side--------------
「…あの二人の事どう思います?」
二人が風呂に言っている間、俺達は将棋を打っていた。
理由は単純に彼女の才能が本物か見たかったのと、お風呂が幼女二人で一杯一杯だからだ。
「……才能はある。正直、あんまり認めたくないけど。悔しいけど」
「分かりますね。あんな才能見たら私なんて燃える生ゴミみたいな物ですよ」
正直お前が言うなと言いたかった。
あんな悪魔みたいな二択を選ばせておきながら、最終的にトマホーク使ってくる様なお前の方が異常だと。
「私としては二人をプロにしてあげたいんですよね。竜王としてではなく、八一さん個人の意見としてはどうですか?」
「…それはわかる。あれだけ才能があれば女流棋士にはなれるだろう」
「あいちゃんは詰将棋の天才ですからね。終盤は気を抜けば一瞬で詰められますよ。あの時の貴方みたいに」
「うるせぇ」
声と共に駒を指せば、目の前の少女はノータイムで一番嫌な手を打ってきた。AIかよ。
ちらりと見れば彼女は
「…そして竜王から見ても、その才能は本物ですか?」
「……」
俺は持っている駒の手を止めて目の前の少女を見つめた。
…そして、少しだけ考える様に視線を動かし、あいちゃんの才能と香苗ちゃんの才能を比べて…小さく息を吐いた。
「……香苗ちゃんも才能はある。でも…」
「同世代に
「…
「……ああ、
魔王を認めた目の前の少女を見て、俺は苦笑しながら
…全部ノータイムで打ってきたから時間が全然余ってるんだよ!もう少し俺と同じくらいまで減らせ!
「あいちゃんは記憶力が異常なんです。今日の料理を食べたらわかったでしょう?」
「…?」
「あの料理、旅館で出された料理と殆ど同じ味付けなんですよ。多分ちょっと違う部分は此処には無かった食材や調味料なんでしょうけどね」
その一言を聞いて、思わず俺は驚き駒を落とす。
…丁度落ちた場所が置く場所だったから良かったが、もしこれが大会で別の所に落ちてたら大変な事になっていただろう。
因みに驚いていた理由はあいの記憶力が異常な事ではなく、目の前の魔王の記憶力と経済力だ。
「あいちゃんが終盤力だったら香苗ちゃんは序盤から中盤だね」
「余り使われて居ない戦術を使っているのもありますよ。香苗は」
「…そうなのか?俺の時は相掛かりで一般的な…」
「…竜王戦相掛かりで勝った人相手に相掛かりをするのは一般的じゃないと思いますよ?」
それもそうだわ。
「…余り整備されていない戦術を研究し、相手がそれに乗っかればそれでよし。もし乗っからなくても別の研究した戦術を使って乗っけて…」
「待て待て待て待て。どれだけあるんだ?」
「さぁ?私が確認した限りでは一場面に約五十くらいでしょうか?面白いですよね。香苗、調べるのが大好きって言ってましたから」
「ごじゅ…」
小学三年生は化物しかいないのか?
…もし、香苗ちゃんが前線から引いて二人に全ての研究を渡した場合……どんな化物が出来上がるんだ?
というか其処までの研究なんて出来ねぇよ!俺の人生全部研究しかやってなくても無理だわ!
「…ん?」
「チャイムなりましたね。私が行くので竜王は次の手考えてて下さいね」
「おう。もし知らない人だったらちゃんと逃げるんだぞ」
「私からすれば竜王の知り合いさんは全員知らない人ですけどね」
玄関の方へそういいながら歩いていく衣ちゃんを見つつ、俺は次の一手に集中するが…やばい、これ詰んでね?
此処に置いたら…あっ駄目だ。銀打ちで詰み?だったら合駒して角道を封鎖…いや絶対気付いているだろこれ!どうする?どうする?
「…ん?何か忘れている様な……」
「私とのVSの予約忘れて小学生とVSなんて、良いご身分ね八一」
「……あっ」
その声を聴いて俺は思わず振り向く。
其処にはニコニコと微笑んだ
…やべぇ。これは…
「竜王とお知り合いと聞いたので扉を開けてみました。良いお嫁さん候補が居るじゃないですか」
「…ちょっと…」
「違うんですか?てっきりそうなのかと。お似合いだと思うんですが…」
「……もう…」
頬を赤らめながら
…これが俺の命日かと思いながら、俺はそっと目を閉じた。