「本日は研究にご協力頂きありがとうございます」
そう私達は頭を下げた。通訳がそれを伝え、伝統部族の案内人が答えた。
また、通訳がそれを返した。
「再三言うが、私が案内するのは山の麓までだ。それ以上は行かないし、行かせない」
そんな憮然とした答えに、私達は機嫌が悪くなるのを抑えた。
山を登らずにどうやって彼等……鷹獣人の生態を知ると言うのだ。遠目から望遠鏡を覗いて、運良く空を飛んでいる所を眺めていろとでも言うのか。
先日から二人で再三頼み込んでいたが、金を積んでも物を渡しても、この研究の価値を伝えようとも、結局誰も首を縦に振らなかった。
もう、獣人が脅威と見做されたり、人が罰を受けたその末路だとか、はたまた神の使いだとかと持て囃される時代は終わっているのに。
そんな、獣人もただの生き物であると人々が理解したのは、沢山の過ちを犯してから、そして今も金の為だけにその尊い命を奪っていく密猟者共の手によって過ちは犯され続けている。
だからこそ彼等は保護されなければいけないし、その為にも生態を知らなければいけないのに。
ここの人達は誰もそんな事を理解しない。
思い出すと更に苛ついてきたが、しかし案内人の機嫌までを損ねてしまっては元も子もない。
案内人はもう時代錯誤な長弓と矢筒を担いで馬に乗る。
顎をくい、と動かし、そして一言。
「乗れ」
通訳が介する前に私達はそれに従っていた。
私と相棒、案内人と通訳でそれぞれ一匹の馬に二人乗りで現地へと向かう。
「確かに、この部族の文化は保存されるべきものだろう。その衣服に刺繍された複雑な紋様は、宗教とこの自然の厳しさに裏打ちされた祈りが込められている」
不満を零すように私が呟いていると、相棒がそれに返してきた。
「物品と交換して都会にでも持ち帰る事でも出来れば、その物品の五倍、十倍の値段が付く事は間違いないだろうね」
「そうだろうな」
しかし、科学が跋扈するこの現代で、未だ祈りという非科学的で不毛な行為を続ける人々の事は、正直私には理解出来ない。
どがらっ、どがらっ、どがらっ、どがらっ。
多少スピードを上げて、馬が走る。自ずと下半身に力が入り、慣れていない身ではすぐにでも筋肉痛になってしまう程だった。体力にはある程度自信があった方ではあるが、それでも数日間は体を慣らすのに時間が必要だった。
ただ、こうして馬に乗って揺られながら、風を感じて駆けるのは気持ち良くもある。
冷たい風。その風に揺れる一面の、やや枯れつつある草原。乾いた空気。人工的な物が一切ない自然の光景。
しかし、訪れた今は感動したそれも、今の苛立ちを収めるには全く足りない。
「****!」
唐突に先導している案内人が叫んだ。馬を止め、咄嗟に辺りを見回して近くの起伏の陰に私達と通訳を先導する。
それに従い、馬から降りると、案内人は馬を落ち着かせながら弓に手を掛けた。その目の先には、一面の青空……そこに黒っぽい点が一つ。
私が背中に担いでいた万が一の為の猟銃を手にしようとすると、止められた。
通訳を介した会話。
「使った事はあるのか?」
「いや……使い方を習って何度か撃っただけだ」
そう通訳が伝えると、案内人はその点から目を離さないままに、呆れた顔をした。
「そんな人の弾が当たるのなら、とうの昔に彼等は絶滅している」
「……」
だからと言って、弓と矢がその代わりになるのか? 何故彼等はそこまでして伝統に倣う?
私には分からない。この猟銃を手放せない。
案内人は、そんな私に続けた。
「それを使えば最期、私達は敵であり、そして余所者であると見做される。その鋭い目で顔を覚えた後には、私達をどこまでも、いつまでも、そして死ぬまで追い立てる」
相棒が聞いた。
「……弓矢でも変わらないのでは?」
すると案内人はその弓矢に思い入れがあるように握り直しながら言った。
「少なくとも。私達がここに暮らし続けていられるのは、お前達の文明を受け入れなかったからだ。
車や銃、電気などをここに持ち込んでいたならば、私達は彼等と共に生きる事は出来ていない」
「……共に、生きる……」
そういう、ものなのだろうか?
その点は、大きくなる事も小さくなる事もなく、微妙に旋回し続けている。
「取り敢えず、落ち着けよ」
相棒がそう言いながら双眼鏡を取り出していた。
私も取り出して、その黒い点に焦点を合わせてみる。それでもはっきりとは見えず、しかしそれ程の大きさの生物が空を飛んでいるというだけで、かなりの存在感を感じさせる。
今はきっとその真下に居るであろう動物を狙っているのだろうが……。
ここに隠れ続ける必要は何だろう。
双眼鏡から目を離して、けれど案内人は張り詰めた警戒を続けている。
幾許かの時間が経ち、その点は一気に急降下して地平線と同化した。そこでやっと、案内人は緊張を解く。弓に手を掛けたままではあるが。
そして話しかけて来た。
「あの鷹は私達の事などもうとっくに認識している。気性の荒い鷹だったら、その銃を目にしただけでも襲い掛かって来るだろう」
「そう、ですか。……ならどうして、銃に関して何も言わなかったんですか?」
他には目立たない色にしろだとか、荷物は出来るだけ少なくしろとか、前日に食べるものまで色々と注文されたのに。
「言ってもこれまで聞かなかった人間の方が遥かに多かった。隠されてまで持たれるよりは、そのままにしておく方が良い」
「はぁ」
まあ、私も流石にこれだけはと言って聞かなかっただろうが。
それからもう少し、その鷹獣人が獲物を掴んでその先にある山へと帰っていくのを見届けると、案内人は弓と矢を仕舞い、また馬に乗った。
「あの鷹が掴んでいたの、羊だったぞ……」
また双眼鏡を手にしていた相棒がそう呟く。
「おお」
人をも連れ去る事があると文献にはあったが、実際に見たらやはり驚くのだろう。
その目先に見えるのはその鷹獣人の帰って行った山。他にも数種類の獣人が生息しているという山。
この地に住む部族達が神聖視する場所でもある。
山の麓には年に一度、部族達が集まって踊りをする為の祭事場がある。夜中に焚火をガンガン焚いて、また弓矢等で武装した人達が数多に集まる。獣人が数を為してやって来たとしても、獣人達が怯えて後退る程の。
そしてその中央で踊り子達が鏡のように研がれ、細密に紋様を刻まれ、飾りを施された刀を握って踊るのだと言う。
それを聞いた時は、獣人に人間の脅威を知らしめる為に行おうとしたのが起源なのだろうと思った。ただ、そうしても人が獣人に襲われる事はあったし、その逆も普通に起こり続けたと言う。
減ったのかもしれないが……自己満足なだけなのでは? とも思う。
馬から降りると、早速案内人が話しかけてくる。
「私達は、ここから先には決められた時にしか行く事は無い。貴方が行くというのなら、私は全力で止める」
「分かりました、よ……」
警戒態勢を解いてはいない。私が銃に手を掛けた瞬間、それよりも早く弓に矢を番えて狙いを定めて来る、それ程の雰囲気。
多分、そういう風に無理矢理中に入ろうとした人も居るのだろう。
かと言って、ここまでで何を調べられると言うんだ。
祭事場と言っても、そこにあるのは踏み固められて草が大して生えていないだけの場所だ。他にあるのは、大規模に焚火をしたであろうその燃えカス位。そして、獣人の痕跡は多少あっても、足跡程度。
糞尿でもあれば幾許かはマシだが、あったとしてもとうに乾いたものしかなかった。
「はぁ……」
大金を掛けてここまでやって来たと言うのに、得られるものはこれだけなのか? 間近とまではいかなくとも、もっとフレッシュな痕跡を収集したり、双眼鏡で覗けば仕草までがはっきりと見える位までの距離に近付けると思っていたのに。
案内役も通訳も、もう私達の方など大して興味など無いというように空を眺めている。何もない青空、毎日見ているだろうに飽きないのだろうか?
「でもさ、この足跡見て見ろよ。特に鷹獣人のヤツ。この爪、熊なんかよりよっぽどでかい。
掴まれたら一巻のお終いだろうな……」
「剥製で見た事あるだろ」
そう、獣人も剥製にされてしまう程度の存在だ。その剥製を見た時の感情は良く覚えている。
人や数多の動物よりも力強く、巨大な生物への畏敬。そして、そんな生き物でさえもこうして人の手によって簡単に殺され、見世物にされてしまう儚さ。
そんな事を思い出すと、やはり銃を持ってきたのは間違いだったかもしれないと思う。そんな儚さを再び覚える為にここにやって来た訳でもないのに。
……事前に言われても、多分これだけは、とか言っただろうけど。
銃を手に取る。ただ、今からでも弾を抜く事は少し怖い。
「何してるんだ?」
「後、何日居られるんだったか」
「……変な事は考えてないよな?」
「いやいや、ちょっと思い直しただけだ」
そう言いながら銃を背中に戻す。
「ここの暮らしにしっかり慣れて行けばそれはそれで見えてくるものもあるかもしれない、って思ってな。
案内人の名前もちゃんと言えないし、ほら、ここに着いてから、我関せずというスタンスじゃないか……?」
そう言ってから案内人の方を見ると、何故か馬に乗っていた。通訳も私達が乗って来た馬に乗って、そして駆け出した。
「え、おい!? 何をしている!? 待て、待ってくれ、撃つぞ!」
背中に担ぎ直した銃を取り出し、そして一瞬迷って、空に一発。
ダァンッ!!
「あ、くそ、くそっ!」
耳がキィンと鳴る、脚がふらふらする。イヤーマフを付けなかったらこんなにも銃声は耳に響くのか。
視界が揺れている。けれど案内役も通訳もちょっと私達の方を見ただけ。
あれ、何で私は押し倒されている? 首が誰かに握りしめられて。
――その鋭い目で顔を覚えた後には、私達をどこまでも、いつまでも、そして死ぬまで追い立てる。
ああ、最初から。
ぼきっ。
私の首が折れる音は、こんな音だったのか。
背後から、森の中をすり抜けながら唐突に現れた、人よりも一回りも二回りも大きい鷹獣人。
銃を持っていた人間は背後から押し倒されて首を折られるその直前まで、そんな巨大な存在に気付けなかった。そしていとも容易く一人の人間を事切れさせた鷹獣人は、それがぴくりとも動かない事を確認してからもう一人、共に居た似た服装の人間に目を向けた。
その人間は鷹獣人に殺された人間を呆然と見ていたが、顔を前に戻すと鷹獣人と目が合い、そしてがくがくと震え始める。
淡々とした、獲物を見る目。
「え、あ、あ、あああああああああああああああ!」
一目散に逃げ始めるその人間に、鷹獣人は翼を広げてふわりと飛んだ。
羽ばたきを数回すれば、それだけで全速力で走る人間に無情にも追い付いてしまう。
その肩を掴んで押し倒した。
「いぎゃあああああああああ!!」
それだけでもその爪は深く肉に食い込み、骨に突き刺さり。
叫ぶその人間の頭を掴み直すと、
「ごめ゛ん゛な゛ざびぇっ」
捩じって事切れさせた。
静かになったその祭事場で、鷹獣人は逃げて行ったもう二人の人間の方を見る。
「…………」
もう遠くまで逃げ去っているその二人は、そんな忌々しいものは持っていない。
鷹獣人は、銃だけを鍵爪で拾うとそのまま空へと飛んだ。
高く、高く飛び、岩肌の上まで来ると、銃を掴んでいた鍵爪が開かれる。
ただひたすらに落ちていくその最後、銃は一度だけ音を鳴らした。
やっぱり殺されたいんですよね~~~~!!!!