*この作品は漆黒5.3までのメインストーリーと漆黒秘話のネタバレを含むカットシーンが連続します。プレイしていない方の閲覧はあまりお勧めしません。
大火山を中央に抱く島。
その島は年々火の気配が強まり、空気はひり付くような炎のエーテルが漂っている。
火属性それ自体は作物に影響を及ぼさない。しかし。
『噴火まで、間もないか』
島が破局を迎えるその日は、着実に近づいていた。
島は水はけの良い土により、葡萄を名産品としていた。
人々は必ずしも食を必要とはしなかったが、甘い葡萄は休息中の菓子として好まれ、渋い葡萄は酒の原料として使われている。
もちろん、酒を飲んだとて人々が酩酊することはないし、酒に辛い記憶を忘れさせる力があるわけでもない。
故にその酒は島より外に出て飲まれることはほとんどなく、島内におけるごく一部の人々の嗜好品として親しまれていたものである。
バックスは農夫であった。彼はたった一人で島の葡萄を栽培し続けている。
イデアによって土を整え、水をやり、実を育む。
他の人々とは違ってイデアそのものによって革新的な創造を成すことを不得手としていたバックスは、原始的な農業そのものが楽しみの一つだった。
もちろん、イデアで創り出せばいつでも最高の葡萄は手に入る。
しかしバックスは手間暇をかけてランダムな環境から育て上げた、作るたびに味わいの変わる葡萄が好きだった。
島で暮らす人々の中にはそうしたバックスの葡萄趣味に理解を示す者も多く、バックスはそうした理解者に囲まれながら葡萄を味わう日々を、なによりも愛していたのだ。
ところがある日、島に噴火の予兆が現れた。
噴火はここ数千年ほど見られなかった規模であり、島の形を大きく変えるものであるという。アーモロートから調査にやってきた人々は、淡々とバックスたちに調査結果を告げた。
島の人々はすぐに集まり、話し合うことにした。
彼らの島には会議所がない。葡萄酒樽の並ぶサロンが皆にとっての集会場だった。
『噴火によって島はほぼ全ての形を失うらしい』
『我々が力を尽くして水属性を注ごうとも、噴火を防ぐことはできないそうだね。数千年の間溜め込まれた自然の力は偉大だ』
『摂理だね。我々にはどうすることもできないよ』
『大陸に移住する場合は、調査団の人々と共に渡った方が良さそうだ。この地で暮らすことができないのは惜しいけれど、仕方ない』
人々は概ね、諦念を抱いている。
調査団の報告によれば火山の有する火属性は既に臨界に近い上、相殺するには途方も無い水属性を必要とするらしいのだ。
人が自身の存在を捧げればある程度緩和はできるかもしれない。それでも数人ほどは必要であろうし、なによりそれは摂理に反すること。
噴火は仕方ない。あるがままを受け入れなければ。自然が齎す苦難に流されることも、時には必要だ。人々はそう考えている。
先程から一言も言葉を発さない、バックスを除いては。
『私は、この島に残るよ』
バックスの手には葡萄酒のコップが握られていた。
去年の葡萄酒は天候のきまぐれもあってか、特に出来が良かった。
『バックス』
『しかし噴火の規模は』
『私は残りたい。噴火があるならば……その前に、今年の葡萄の世話だけは、やっておきたいんだ』
人々は不死だ。
しかし、自然が齎す大規模な破壊は時に不死の存在にさえ傷を与える。無事で済むかどうかはわからない。
だが人々はバックスが葡萄を愛する気持ちを知っていたし、噴火について最も思うところがあることはわかっていた。
それでも人々は島を離れ、移住を決めた。
島には噴火寸前の火山と、バックスだけが残された。
『やあ』
一人きりで島の暮らしをしていたバックスの前に、ある日前触れもなく客人がやってきた。
ローブを着て赤い仮面をつけた、どこにでもいる人の姿。しかし声には聞き覚えがない。
島の者でもない、見知らぬ誰かが訪れたのだ。
『ここに美味しい葡萄があると聞いて』
そして客人は葡萄目当てに来たらしい。
バックスが言えたものではないが、いつ噴火するともわからない火山がすぐそこにあるというのに、呑気なものだと思う。
『……君はとても珍しい時期に来たね。でも、私の葡萄を楽しみに来てもらえたのなら、嬉しいよ』
『あ』
『うん? どうかしたのかな』
『それと葡萄酒っていうのも美味しいと聞いたんだ』
『……ははは。どちらも私はおすすめするよ。両方とも、味わっていっておくれ』
『やった! ありがとう!』
客人は子供でもないはずなのに、やけに純朴で、溌剌としている。
どこか空に浮かぶ太陽を思わせる、天真爛漫という言葉の似合う人だった。
『私の名はアゼム。この島で一番良いお酒と葡萄を頼んだ!』
アゼムは親指をぐっと立て、笑っていた。
アゼムという客人はバックスから見て、飽きない人だった。
甘く実った葡萄を差し出せば、甘い甘いと騒ぎながら子供のようにはしゃぎ。
ならば渋いのはどうなのかと言われたので(一応止めはしたものの)差し出すと、赤い仮面の眉間に情けない皺が寄った。
最後にその渋い葡萄で作った去年の葡萄酒を差し出すと、アゼムは恐る恐るそれを口にして……。
『もう一杯!』
ひどく上機嫌になってしまった。
人々は酒に酔わないが、それでもアゼムにとっては陽気になる味わいであったらしく、口が止まらない。
元来さほど話さないバックスはその饒舌さに圧倒された。
やがてアゼムが上機嫌になりすぎて机の上に立ち上がり、黄金の扇子を広げて“これが私のアゼムステップだ! うおおお! ”とか言いながら奇妙な踊りを披露し、滑って頭から落ちたあたりでようやく少しは冷静になった。
『ここの葡萄は素晴らしいよ! 私も色々なものをヒュトロダエウスに頼んで出してもらったけれど、ここのものは年代によって違うのが良い!』
『ありがとう。そう言ってもらえると、私も嬉しいよ』
騒がしいが、しかし悪い気はしない。
バックスにとって、島の外からやってくる人に褒めてもらえるのは純粋に誇らしいことだ。
『それに、お酒は毎年段々と、なんというのかな。私の口に合うようになっている気がする! その違い、年を経ることによって生まれる変化は、イデアに記録しきれないものだね!』
『……うん。うん、そうだ。そうなんだ』
何より、軽々と「イデアとして記録したい」と言われなかったのが、バックスにとっては何よりも嬉しかった。
『葡萄はね。時間とともに繊細に変わっていくんだ。少しずつ、だけど着実に。時間とともに無限に変わり続けるこれは、イデアにできない。無限にある全てを輪切りになんて、できないからね』
『そう。そうだ! よく言った!』
『ありがとう、アゼム。だから……だから。最後に私の葡萄を味わってくれたのが君で、嬉しかったよ』
そうバックスが零すと、アゼムはピタリと動きを止めた。
『……最後?』
『うん。最後。この島の火山の話は聞いているだろう? もうじきあの大きな火山は爆発して、この島を消し飛ばしてしまうんだ。島が少しの形を残すのかも……怪しいと。前の調査団は語っていたよ』
『でも……それは委員会でも話し合われていたはず。噴火に対処すべきか、どうするかって』
『そう、話し合われはしたみたいだ。けれど、結論は出ていないらしい。……自然の噴火は止められるものではない。摂理だ。捻じ曲げてはならない……私にも、そう言う人々の意見はよくわかる』
大陸側の人々は、島を“救済”しようとは考えていない。島の人々も、されたいとは思っていないだろう。
この噴火はあくまで自然現象なのだ。塞きとめることはあまりにも難しい。
『それに、無理矢理火属性のエーテルを押しとどめては、必ず別のどこかで大きな歪みが生まれてしまう。……仕方のないことなんだ』
『バックスは』
アゼムは飲み干したコップをテーブルに置いた。
『バックスは、島が噴火に飲まれても良いの?』
バックスは答えに窮した。
『私は、来年の葡萄が楽しみなんだけどな』
アゼムは席を立ち、店の出口へと歩いてゆく。
『また来るよ。その時は……また、美味しい葡萄を食べさせて欲しいな』
その言葉を最後に、アゼムは島を立ち去ったのだった。
アゼムが去り、島には再びバックス一人が取り残された。
バックスはいつものように葡萄の世話をし、細々としたイデアによって作業を行う。
普段は他の人の手で刈り込まれていた頑強な植物の根が、一晩経った後に何メートルも侵食していることも珍しくない。
不慣れな斧で伐採し、土地を整える日々。毎日が自然との格闘で、時には多くの作業が徒労に終わることも珍しくない。
一人きりの孤独な生活はその分やることが多く忙しかったが、それでもバックスは忙しさの中で寂しさを感じずには済んでいた。
噴火はいつか必ず訪れる。けれど、その日までは葡萄を作ろう。
それは意地でもあったかもしれないが、葡萄にかける情熱は、バックスの本当の気持ちだった。
『……!』
ある日の朝。
火山の方から強大な力の波動を感じて、バックスは飛び起きた。
家を出て火山を見上げれば、そこには見たこともない火属性の濃密な力が渦巻いている。
既に大気は震え、嫌な音を立てていた。
噴火だ。ついに終わりの時がやってきたのだ。
もうじき実るはずだった今年の葡萄を想い、しかしバックスは力なく膝から崩れ落ちた。
『やあ』
声が聞こえたのは背後からだった。
バックスが背後を振り向くと、そこには見覚えのある人が立っている。
アゼムだ。
『アゼム……どうして……』
『どうして、って。私はまた来るって言ったじゃないか』
別れ際のあの言葉は嘘や冗談ではなかったのか。バックスは驚いた。
『でも、しかし。ああ、君はなんという時に来てしまったんだ。もうじきあの火山は爆発する。それに巻き込まれると、流石に危険だ。早く逃げた方が良い』
『バックスは逃げないの?』
アゼムに訊ねられ、バックスは答えに詰まった。
『……私は、逃げたくない』
『だろうね。すぐそこの畑に、斧がある。つい最近までずっと、あれで蔦を刈ったり、整えていたんだろう。来年のことも考えて、さ』
『……おかしいかい? もうじき噴火がくる島で、来年の葡萄のことを考える私のことが』
『おかしくないよ』
アゼムは首を横に振った。
『この島の葡萄は美味しいからね。残したいという気持ちは、よくわかるよ』
朝陽がアゼムの姿を照らす。
その仮面の赤色を見て、バックスはふと思い出した。
そうだ、赤色の仮面。それは十四人委員会の人々がつける……。
『バックスはどう思う? 噴火の方が好き? それとも葡萄の方が好き?』
『……葡萄さ』
俯きながらそう小さく呟いたバックスの言葉に、アゼムは無言で頷いた。
『私は……噴火なんて。摂理なんて。本当は、どうだって良い。炎と葡萄? 天秤になんてかけるまでもない。私は……自然の力の前に葡萄が消えてしまうのは、とても悔しい』
『うん』
『私は……私はこの島の農園を、葡萄を守りたい!』
それは人々の一般的な美徳や考えからすれば、身勝手なものが多い考え方だった。
『アゼムは……そう思う私を、おかしいと思うかい?』
『思わないよ』
それでもアゼムは軽く笑い飛ばす。
『噴火は綺麗だけど、食べられないからね』
アゼムは切り株に突き立てられていた大斧を掴み、引き抜いた。
良く研がれた斧はシャキンと軽やかな音を立て、鋭い刃に朝陽を受け、輝いている。
『それじゃあバックス。一緒に噴火を止めに行こう!』
『……噴火を、どうやって?』
『それはね……ふふふ。これがある!』
アゼムは懐から一つのイデアを取り出した。
それは赤い輝きを宿した緻密な作りのイデアらしく、見ているだけでもわかるほどに美しい。少なくともバックスは、この島でそのような精巧なイデアを見たことがなかった。
『これは火精イフリータのイデア! あの噴火寸前の火山から火属性をこいつに吸わせ、イフリータを顕現させる!』
『吸わせて……顕現? で、でもあれだけの莫大なエーテルとなると、危ないのでは』
『まぁ多分とんでもなく恐ろしいものが生まれるだろけど多分へーき。んで、その後なんやかんやしてイフリータを……まぁちょっと離れた場所で討滅する! どうだい、素晴らしい作戦だろう!』
『なんやかんやって何をするつもり……』
不安を隠しきれないバックスの手に、大斧が握らされた。
『え……これ……』
『さあ、バックス。葡萄を守るため、共に火精イフリータを討滅しよう!』
『ええええっ!?』
『大丈夫大丈夫! 私も斧で戦うから! さあ行こうバックス! 待ってろイフリータ! うおおお! これが私のアゼムステップだぁあああ!』
『ちょ、ちょっと待って! 置いてかないで! 考えさせてー!』
その日。とある孤島の外れに、イデアの製作者すら想像していなかった規模の巨大イフリータが現れ、大いに暴れたという。
イフリータはたった二人の人により、とはいえ三日三晩の死闘の末にどうにか討滅され、無害なエーテルへと還っていった。
それきり火山は沈静化し、噴火する様子も見られない。
島の葡萄は、守られたのだ。
反対側にある海岸は酷い有様ではあったが。
『……死ぬかと思ったよ、アゼム』
『ははは。楽しかったね、バックス!』
二人は海に沈みゆく夕日を眺めながら、並んで座っている。
アゼムは拳を打ち付けて楽しそうにしているが、戦いの最中は何度も炎を浴びたり楔に貫かれたりしていたので、普通に満身創痍である。バックスにはアゼムの元気がどこから湧いて出ているのか、わからなかった。
『……話し合いでは、噴火は摂理だったはず。受け入れるべきものとして、手出しはしない……そんな結論になっていたと、思うんだけど。良いのかな。こんなことになってしまって』
『おや。バックスは不満かい?』
言われて、バックスは笑い、首を横に振った。
『いや。いいや。私は、この結果に満足しているよ。イフリータは恐ろしかったけれど、それでも葡萄が守れたなら、それだけでもね』
『うん! 大丈夫、委員会だってきっとわかってくれる。誰だって、君の葡萄を食べればその良さに気付いてくれるさ』
『そう、だろうか?』
『そうだとも! このアゼムが保証する!』
どこから取り出したのかもわからない金の扇子を広げ、アゼムはホホホと笑いながら立ち上がった。
『いくのかい、アゼム』
『うん。私はもう行かないと』
戦いは終わった。葡萄は守られた。
激動の数日間だったと、バックスは思う。けれど、不思議とこの恐ろしい日々は、楽しかった。
『それじゃあね、バックス。また来るよ』
『……アゼム。帰りにまた、葡萄を食べていかない? 葡萄酒もあるんだ。せっかくだし』
『ごめん』
アゼムは申し訳なさそうに短く謝った。
それに、バックスは“ああ”と納得する。
アゼム、赤い仮面をつけたこの人は、十四人委員会の一人だ。
それは世界を管理する、とても重要な人々である証。本当ならおいそれと会うこともできないような。
住む世界が、きっと違うのだろう。そう納得して、バックスは少しだけ寂しくなった。だが。
『早く帰らないとさ……あのイデアを使ったことが爺さんにバレると、すごい怒られそうなんだ。だから早く帰りたい』
付け足された理由はあまりにも子供っぽいもので。
『ははっ……あははは! そ、そうだね。それは、早く帰らないとダメだ!』
『そう! そうなんだよ! あの爺さんはとても怖くてね!』
『……じゃあ、また今度!』
『うん! また!』
アゼムはきっと偉い立場の人だ。それでも、バックスはアゼムが再び、またなんてこともないようにやってくるのだと確信できた。アゼムはまた来ると言ったのだ。その言葉に、きっと偽りなどない。
アゼムが去り、島に再び静寂が訪れる。
孤独な島の夜。けれど、これからは少しずつ、この島も賑やかさを取り戻して行くだろう。
それまでは。
『さて。私はもう少し、世話をしないと』
再び友人たちと会える日々を、葡萄酒を飲み交わす日が来るのを楽しみに。
バックスは三日間放置してしまった葡萄畑を整えるために、歩き出すのだった。
今年の葡萄は、より良くなればいいのだが。