アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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明瞭な夢現

「不干渉が妥当ね」

 

 堀北の復帰前、独りお見舞いに足を運んだ綾小路は、早速今後の方針を訊いた。

 

「いくら何でも協力までするのは難しいわ。私達は最終的に三クラスを越えなきゃならないし、Bクラスもいきなり相互扶助を望まれては疑ってしまうでしょう」

「対立はしないんだな」

「……多分それでやっていける力はない。まだね」

 

 大きめなベッドの柵に寄りかかり、堀北は率直な意見を述べる。

 

「散々だったな。怖かったろう、攫われた時は」

「……別に」

「悪かった。オレが迂闊に目を離さなければ」

「いいの。直前まで話していた相手が前触れなく拉致されるなんて、誰も予測できないわ」

 

 そうは言っても、だ。もしあの時自分が側にいれば、彼女を守り抜くことくらい十分可能だったはずだ。綾小路の抵抗を掻い潜り堀北に手を出すことなど、ホワイトルーム生とて至難の業。

 ……それも含めて理解していたから、まんまと誘導できたのだろう。明らかに相手は、自分があのタイミングで堀北のもとを離れることを確信していた。

 監視カメラを偽装する策を破られたことで、こちらがホワイトルーム生の可能性に気付く。迅速な情報収集のために連絡すべきは坂柳。会話の内容は聞かれるわけにはいかないのでその場を離れる。残された堀北は手持ち無沙汰に周囲を見回し、不自然に開いた自分のポストを発見する。

 ここまでの流れが、全て相手の掌の上だったわけだ。ポストに気付いた浅川なら、きっとそこまで察しているだろう。

 

「……ありがとう、須藤君のこと」

「気にするな。オレだってあいつを助けたかったんだ」

「でもそれはっ、私も同じだった。あなたたちのような情ではないけれど、兄さんのようになるためにはきっと必要なことだったのよ……」

 

 やけに今日はしおらしいと思っていたが、原因は体調だけではなかったか。

 

「あの人のことだけじゃない。クラスに貢献することさえできなかった。私自身が納得できる努力すら、できないで――本当に不甲斐ないわ」

「それが今回はしょうがないことだと、お前もわかっていたじゃないか」

「馬鹿ね。それで開き直れるなら、私はもっとおおらかよ」

「キツイ自覚はあったんだな」

 

 余計な指摘をしてしまった。鋭い眼差しにたじろぐ。

 

「……まあ、なんだ。あまり抱え込み過ぎるなよ。戻ってからもそんなんじゃみんな心配するぞ。お前も鬱陶しいのは御免だろう」

「それは……確かにそうだけど」

 

 ただの気持ちの問題だ。無理にでも前を向いてもらうしかない。

 あまり責任を感じられると、何だか守ってやれなかったこっちが罪悪感を覚えてしまう。

 

「こんなところで折れるお前じゃないはずだ。挽回のチャンスなんて、いくらでもあるさ」

「……そうね」

 

 苦虫を噛み潰したような顔のまま言われても、その同調には何ら説得力がない。

 今はこれ以上言っても無駄だろう。綾小路は静かに席を立った。

 

「ああ、そういえば」

 

 尽きたと思っていた話題に一つ新着があったことを思い出す。

 

「お前の知り合いで、学籍番号が同じやつっているか?」

「嫌味かしら」

 

 ……兄妹そっくりなことを言う。

 

「そんなものを共有する仲なんていないわ」

「そうか……」

 

 ゆっくりと扉を閉め、端末を開く。

 今まで触れてこなかった、けれど解消される兆しの見えない違和感。

 頼った偉い二人はどちらも、果たして善き回答は得られなかった。

 

「……一体どういうことなんだ」

 

 その疑問に終止符が打たれる日は、まだ先、呆気なく訪れることとなる。

 

 

 

〇高度育成高等学校学生データベース《7/1時点》

【氏名】綾小路清隆(あやのこうじ きよたか)

【クラス】1年D組

【学籍番号】S01T004651

【部活動】無所属

【誕生日】10月20日

<評価>

【学力】B

【知性】C⁺

【判断力】C⁺

【身体能力】B

【協調性】C

〈担任メモ〉

入学当初と比べ、総合的に成長していると思われます。クラスを纏める平田洋介や櫛田桔梗とも交流が多く、性格に問題を抱えていた堀北鈴音の更生にも貢献しており、自己研磨や対人コミュニケーションへの積極性が高いことも含め報告します。

 

 

 

 帰路を辿った綾小路は、櫛田の部屋を訪れていた。

 ……めっちゃ緊張した。

 初めて入る異性の部屋。男としての興味ではなく、純粋な好奇心もあった。

 内装は予想通りのガーリーな部屋で、友人と撮ったであろうプリクラと呼ばれる写真であったり、美容に力を入れているとすぐにわかる棚だったり、自分の部屋とは違いやけに良い匂いがするのも、単に女子だから、だけではないのだろう。

 中でも目を引いたのが、この、

 

「熊のぬいぐるみ……」

「それが気になるの?」

 

 何故この少女は自分に話しかける時は決まって背後を取りたがるのだろう。

 ベッドの上に置かれたぬいぐるみ。この部屋の小洒落た雰囲気に惑わされそうになるが、綾小路にそのカモフラージュは通用しない。

 これだけは、人付き合いに有効とはならないアイテムだ。

 

「好きなのか? 熊」

 

 そのようなピンポイントな指摘をするわけにもいかないので、適当な質問をする。

 

「うーん。普通かな」

「は? じゃあ何で」

「それ、貰ったんだ」

「貰ったって、誰に」

「浅川君」

 

 意外な人物だった。

 彼は無一文のはずだが、と思った矢先頭を振る。一時だけあった、彼が物を買える時期が。

 

「もしかして、ちょうど二ヶ月くらい前か?」

「え? そうだよ、良くわかったね」

「ポイントが足りていたのなんてその頃までだろうからな」

 

 それっぽいことを言って誤魔化す。

 

「いつの間に恭介と会っていたんだ」

「偶々出くわして。何だっけ、何かお話もした気がするんだけど、忘れちゃった」

 

 ……本当だろうか。

 不審に思ったのは櫛田にだけではない。お話というのは気になるが、別に自分の把握していない範囲で浅川が櫛田と交流しているのは咎めることではない。

 しかしだ。その頃は確か、彼が迷っていた時期。どことなくしっくりこない部分がある。まして、彼が人に物を買い与えるなど……てっきり堀北へのプレゼントが初めてだと思っていた。

 櫛田に誕生日を聞いてみても、まだ祝うには早すぎる。

 ――まさか、盗聴や盗撮の類か?

 そう疑ってみるが、今それを確かめる手段はないし、警戒心を持つ櫛田が気付き既に処理している可能性もある。一先ずは頭の片隅に保留しておくことにした。

 

「それで、一体何の用だ? 急に呼び出して」

「迷惑だった……?」

「……そう思ったら断っている」

 

 あくまで今日は一人の予定だった。櫛田は真逆だと思っていたが、いつしか一之瀬の言っていたことを思い出し、そういう日もあるかと納得する。

 

「実は特にないんだよね」

「えぇ……」

「そうだなぁ、一緒にいたいって思ったから?」

 

 まただ、男を魅了する声音と艶めかしい表情。これを自分にだけ見せる意図は……。

 

「何もないなら、帰るけど」

「――待って」

 

 こういう空間に慣れていないため、どちらかが会話の主導権を握れるよう誘導した結果、ぎゅっと袖元を掴まれる。

 

「……どうした桔梗」

「お願い。本当に、一緒にいたいって思ったの。だから……」

 

 何だ。一体何なんだ。

 彼女の考えていることがわからない。こちらをどうしようと言うのだろう。

 しかし、体裁的にもここは頷くしかない。きっとここまでされたら男は断れないものだから。

 

「……いるだけな」

 

 そうして手を引かれ招かれたのは、ベッドの上。

 数日前とは逆の立場だ。

 

「い、言っておくが、そういうことはするつもりないぞ」

 

 不安になってわけのわからない言葉が溢れる。

 

「え? ――ふふ、わかってるよ。だから許してるんだもん」

 

 発言とは裏腹に、誘惑するように横から覗きこんで言われた。

 

「知ってる? 私まだ、誰も部屋に入れたことないんだよ。女の子の友達も」

「……へえ」

 

 確かに、あれだけ親しく時間の共有も繰り返してきた堀北でさえ、綾小路や浅川を自室に招いたことがない。そう考えると、櫛田のこの行動も随分と思い切ったもののように感じる。

 

「どうしてだ?」

「……?」

「どうしてオレに近寄る? 自分で言うのも虚しいが、顔の広いお前の認識の中で、光るものを持っているとは思えないんだが」

 

 薄暗いものなら、あるいは。

 

「それを決めるのは、綾小路君じゃないんじゃないかな」

「だとしても」

「それに、そんな大層な理由は求めてないよ」

 

 それから暫く、お互い黙ったままだった。

 やがて空気が揺れ、櫛田はまるで日常のように活動を始める。

 

「前、オレにとってお前がどういう存在なのか、聞かれたことがあったよな」

「そうだね。佐倉さんと会った後」

「……少しだけマシな答えが、見つかったよ」

「……そっか」

 

 多分、間が耐えられなかっただけなのだろう。しかし口を衝いて出た言葉は、思いの外真面目くさったものになった。

 それを密かに理解しているのか、櫛田は内容まで聞かなかった。

 

「初めから、オレも直球で聞けば良かったな。――お前は、オレのことをどう思ってるんだ?」

 

 思えば一度も、この聞き方をしたことはなかった。最も簡潔な問いかけであるはずなのに。

 何となく、理由はわかる。今まで打算的なものばかり前提にしていたから。だから「近寄る理由」だの「何を考えている」だの、怪しむような言い方しかできなかった。

 櫛田は綾小路に何度かそう問いかけていた。彼女だけではない。各々が互いにその示し合わせをしてきたのを知っている。しかし綾小路が櫛田にその質問をしたのは初めてで、けれどどこか、この問い方なら答えてくれそうな期待があった。

 櫛田は洗い上げをしながら、徐ろに口を開く。

 

「……綾小路君と、似ていると思う」

 

 曖昧に聞こえて、二人にとっては決定的な答えだ。

 どうりで、ここに招き入れたわけだ。

 ここ最近、引き寄せあっているように感じたわけだ。

 なら、

 

「それは、良くないな」

「やっぱり、綾小路君はそう思ってたんだね」

「やっぱりって……わかってたのなら、」

「……」

「……いや、そうだな。すまない」

 

 この前の会話を顧みれば、櫛田が同じ考えでないことは察しがつく。

 

「ううん。これに関しては、綾小路君の気持ちもわかるから、本当に。でも私だけ、置いてかれちゃった」

 

 キュッと、ノズルを締める苦しそうな音。

 そんなことは。などと、無責任なことを言えるわけがない。

 言えるのは、慰撫とは真逆の言葉だけだ。

 

「悪い。オレは抜け出さないと。毒で仕上がったぬるま湯に、いつまでも浸かっているわけにはいかないんだ」

「知ってる。綾小路君はそういう人だもんね」

「……初めてそんな風に言われた」

「綾小路君が変わってるってことを、私達がわかり始めた証拠だよ。きっと」

 

 一通り家事を済ませた櫛田は、再び隣に戻る。

 今度はしっかりと、こちらを向いて。

 

「……親離れって、辛いね」

「慣れるさ。すぐに」

「痛みに慣れるなんて、不幸だよ」

「人は誰だって不幸だ」

「今の君でも?」

「ああ、結局はな」

 

「じゃあ一つだけ、お願いしてもいい?」しっとりとした、細い声で、「これからも、会いに来て欲しいな。気が向いたらでいいから」

 

「……わかった」

 

 拒否することもできた。拒否したほうが良かった。それをわかっていながら、綾小路は頷いてしまった。

 その理由は明白だ。

 

「……ズルいよね、私。大したこともしてないのに恩着せがましく」

「いいんだ。ただしオレも、それ以上のことはしてやれないから」

 

 彼女は恐らく知らないだろう。近い未来、自分にどんな罰が訪れるのか。その罰を、誰が与えるのか。

 この関係が、その時彼女に裏切られたと思わせることに繋がるのだとしても、それまでのささやかな慰めになる。そう信じて偽善に走る。

 露にも、あるいは露ほどだけ知っているかもしれない少女は、ポツリと言った。

 

「――ありがとう」

 

 

 

 

 

 翌日、退院した堀北の数日ぶりの登校。お節介もしれないと思いつつ、浅川と共に付き添うことにした。彼は「一番乗りが……」と逡巡していたが、何を閃いたのかすぐに同意した。 

 蓋を開ければ簡単なことだった。両手の開いている姿を見て、全て察した。

 

「こうやって、三人でゆっくりするのも久しぶりだな」

「そう? 高々二週間とかじゃない?」

「いいえ。三人揃って、は結構前よ」

「……よく覚えているな」

「――! ……あなたたちの記憶力が低いだけよ」

 

 須藤の事件が起こって以降は浅川の立ち回りや堀北の拉致の関係で落ち着ける時間もほとんどなかった。慌ただしさのせいで余計、過去が遠く感じる。

 

「期末を過ぎれば、夏休みか」

「いよいよ待ちに待ったヴァカンス!」

「よくもぬけぬけと待ち侘びれるわね……。絶対何かあるに決まっているわ」

「どうせ何があるかなんてわからないんだ。今の内にげんなりするより、期待に胸を膨らませておくのもいいかもな」

 

 少数派であることに不満なのか、にわかに頬を膨らませる堀北。今しがた膨らませた方がいいのは胸と言ったばかりなのだが。

 まあ確かに、櫛田や一之瀬などと比べると膨らんでは――

 

「ギャァッ!」

「清隆!?」

 

 馬鹿な。全く見えなかった。いつコンパスを取り出した? そもそも何故わかった?

 目を白黒させている間に、堀北は何事もなかったかのように矛を、文字通り収めた。

 

「仲が深まっていると思うのなら、そういうのも悟られやすいかもとは思わないのかしら」

「え、何考えてたの? 全然わからんのだけど」

「……何でもないです」

 

 気が緩みすぎていたということか。どれだけ打ち解け合おうと、この点は要注意のようだ。

 

「全く、男はケダモノという言葉も、強ち冗談ではないわね」

「お、オレなんてマシな方だぞ。この前池とか山内なんて櫛田をどうのって」

「その内容をこうして女子に聞かせようという時点で、あなたも大差ないわ」

 

 判断を誤った。どうもあの二人に基準を寄せると他人からの評価が下がる。初めは思春期の高校生はこんなものなのかと思っていたが、その点に限っては初期の友人選択を失敗してしまったかもしれない。

 

「……まあ、オレたち三人、そういうことは疎か恋愛すら考えるキャパがないもんな」

「キャパの問題ではないわ。必要を感じないだけ」

「ほう! 必要だと思えばすぐにでもできると?」

「慣れてきたわ。あなたのそのムカつくくらいな揚げ足取り」

「善いことだね!」

 

 浅川でなければ十中八九殴られていただろう。不思議と不快感を受けないのは、やはり彼の親しみやすさ故か。

 カラカラと笑っていた浅川は、次にこちらを見る。

 

「そもそも清隆、決めつけはよくないぜ」

「お前は恋愛したいのか?」

「いやあ」

「なんなんだよ……」

「好きな人がこの先できるとは思えないのよねえ。性行為も、やっぱそういう人とじゃなきゃ嬉しくないし」

 

 時が止まった。というより、綾小路と堀北の足が止まった。

 今、何て言った?

 

「何? どしたの、二人共。そんな大豆マシンガンヒットしたような顔して」

「豆鉄砲を喰らっただ。――じゃなくて。お前、経験あるのか?」

 

 あまりに自然な言い方だから、性行為というワードに何ら反応を示すことができなかった。しかもそれ以上に衝撃的な情報が飛び出たともなれば、そこに触れるのは寧ろおかしい。

 

「ん、あるよ」

「……」

「何だよ。別に変なことでもないだろう?」

 

 変ではない。変ではないが……この何とも言えないムズムズした感覚、筆舌に尽くしがたいが誰もが同じ気持ちになるはずだ。

 

「その、ごめんなさい。意外で……」

「そっか。にしても、池らは何であんなことに躍起なんだろうね。善いものでもないのに」

「……恭介。とりあえずお前、アイツらには絶対経験済みだって明かすなよ」

「勿論。無駄に騒がれるのは目に見えてる」

 

 一瞬ひりついた空気。何気ない会話の中で、浅川に秘められている闇の一端を垣間見てしまったような気がする。センシティブな話だったこともあり追究する機会を逃してしまった。

 ――性行為も、やっぱそういう人とじゃなきゃ嬉しくないし。

 ……『やっぱ』、か。

 浅川は一体どうして、何を思って、他人と身体を重ねただろう。

 思春期には似合わない、性に対する重い疑問が、綾小路の脳裏に過った。

 朧気な不安も、隠れて。

 




綾小路君との関係性で、櫛田と最も対照的なのは坂柳とだけ言っておきます。

番外編第一弾(題はナイショ)

  • 六月下旬(1章~暴力事件)
  • 七月下旬(期末テ⦅暴力事件⦆~三巻)
  • 八月中旬(四.五巻前後)
  • 夏休み以降の時系列がいい
  • やらない
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