完全に個人的な話ですけど、貫禄のある師匠キャラっていいですよね。師匠キャラが未熟な一面を出す相手の「師匠の師匠キャラ」なんかも大好物です。イケおじや強い女性とかだと特に。何なら一度も屈辱なんて味わわず余裕を崩さない存在でいて欲しい。師匠になる前の幼き過去については別ですが。
それを踏まえて、どうぞ。
或る師弟
電車・新幹線を乗り継ぎ5時間。その後タクシーを頼ること1時間半。
身体が鈍るような長時間をかけて、雨宮はある孤立した小さいテナントへと辿り着いた。
ここはずっと変わらない。自分が初めてこの地に立った二十年前から見渡す限りの殺風景で、疎らな農家がせっせと草を刈っている。雨宮の目的地は、そんな平地にはぐれたように建てられた、喫茶店を下に構える二階建ての上階である。
和やかな空気に当てられ、社会情勢だの政治だのは兎も角こういう場所も不可欠だなと感慨に耽り階段を上る。何でも、これから会う男の強い要望によって、場違いながらも拠点を置くことができたそうだ。おかげで大変みすぼらしい見栄えとなっている。
しかし、叩く戸とその窓越しに見える内装はそれと異なる。やけに瀟洒な、西洋をモチーフにしたであろう景色が確認できた。
返事はない。ただ、それこそ入室を促している合図だと、雨宮はとうに知っている。アポイントは取ってあるのだ。実に可笑しな男だが、こういったことに不真面目な対応はしない。
躊躇わず、ゆっくりと開ける。心臓の鼓動の早さに気付き、恥ずかしさをどうにか抑える。
「少しはオトナのヨユウというものを身に付けたようだね、雨宮君」
久しぶりに聞く、恩師の声だ。
「……耳にタコができるほど聞きましたから。淑女は相手を刺激しないって」
「脈拍を制御してから言い給え。緊張で何時もの調子が出なかっただけだろうに」
ただの揶揄だったようだ。やはりこの男に、隠し立ては通じない。
「それと、其の嫌に畏まった敬語は止めてもらおうか」
「無理ですよ。あなたは私の先生――」
「弟子は卒業、と伝えたのは十年以上も前になるが」
敬愛しているのだから仕方がない。と、自身を先生と慕う少年と似た意固地な感情を抱く。
「浅川少年は元気かね?」
「表面上は。ただ、取り繕っているのはあからさまです。だから私は、何としてもこの事件を解かなければならないんです」
「……ふむ。ようやっと私に顔を見せたと思えば、飽くまで専門家の見解を採りに来ただけと?」
「……あなたはそんな傷心、嬉しくも何ともないでしょう」
「何を言う。私とて愛着というものがある。君がこうして、凛々しく快活な華のようになって逢いに来てくれたのだ。仕事ですら整えない眉を仕上げ、薄い口紅を塗り、不快でないラインを守った香水まで嗜んできたことを、非常に愛らしく思うよ」
不意を突く文句にドキッとしてしまう。変にかぶれた彼なら何ら特別でもない褒め方であるはずなのに、全くもう。
おまけに――らしくないとは承知だが――背伸びして施したオシャレを全て気付いているときた。これも所詮彼の洞察力を以てして当然のことなのだが……口角を慌てて隠す。
「だが、化粧は少し甘いようだね。作った色だとバレバレだ」
「……女性は大変なんですよ」
「解っているとも。其の指先に付いた痕跡。何度かやり直して、不慣れなりに自分が納得できる程度にまでしたのだろう? 潔癖症の君なら、時間さえ許せば洗い落としていた筈だ」
「……はぁ」
わかっているなら言わないで欲しい。乙女心は理解できないのか、理解しているからこそ揶揄っているのか。
「私は恭介君を助けたい。直接できることはもうないかもしれないけど、この事件を終わらせることで、僅かでもいい、彼の救いになるはずなんです」
「……ふん、善いだろう。だが其の前に――一つだけ出過ぎた助言をしておこうか」
整理整頓された自分のデスクから離れ、雨宮の向かいのソファに腰を下ろす。
「
「え……?」
意図がわからない。首を傾げるも、彼はその先を語るつもりはないようだ。
「事件解決とは無関係の話題だ。今は気にする必要はないよ」
「そんな、理由くらいは、」
「君の依頼は捜査協力だったと記憶しているが? 自身のプライドを懸けた大一番で人様を頼る姿勢は三流だよ」
「う……」
「私の教えを今も尚大切にしているからこそ、ここまで躍起になっているのだろう。――最後には私の言っていることも理解できるさ」
恐ろしいことだ、どうやら彼は自分以上に浅川のことを分析できているらしい。たった一度、事件後間もなくの放心状態だった浅川と接見しただけだというのに。あるいは、それだけで得られる何かがあったと言うのだろうか。
「さて、そろそろ肩の力も抜けてきたかな。始めるとしよう」
「……敵いませんね」
「ふっふふ、そう思える程度には成長したようだね。劣等感を受け入れる懐の厚さも無い小童だった頃が懐かしい」
やっと落ち着きを取り戻した雨宮は、深山が起こした事件を初め、現在進んでいる調査の状況を余すことなく説明した。
「彼女は浅川夫妻をそのまま殺害し――」
「そういえば君、ジャムは何を使っている?」
「じゃ、ジャム?」
「オススメはべジマイトだ。悪臭だと罵るジャパニーズは多いようだが栄養素は豊富でね。まあ個人的にはパンより白米にぶっかける方が食べやすいと思うのだけど――」
「恭介君の証言は矛盾しているということになり――」
「……」
「あ、あの」
「何だい?」
「急にどうしたんですか? 床にマットなんて広げて」
「ツイスターゲームを知らないのか!? いくつになろうと柔軟性は大事なのだよ。頭も体も」
「先日現場に行ったところ、何故か緊急閉鎖されていて――」
「カオラ! カオラ!」
「……恭介君たちのグループは私たちが思っているより歪な――」
「アウパネ! アフパネ!」
「……まだあの子たちについて知らない側面があるんじゃないかと――」
「ヒーーーィ……!」
「聞いてんすか!?」
その間、目の前の男の全く緊張感のない空気と言ったらなかった。
「聞いているに決まっているだろう。見ろ」
「あたしに見えるのは奇声発して不気味な踊りする中年男性ですよ!」
「ハカを知らない……? 毎朝己を誇るためのルーティンだ、悪いが欠かせない」
「くぅ……!」
「ヒーーーィ……! だ」
「同じ趣味はしてませんっ!」
大仰な溜息が響く。どうして自分がわからず屋かのように扱われなければならない。
「善し、何時もの調子が戻ってきたな。ありのままであってこそ、女性の魅力は輝くというものだよ」
「それっぽいこと言って逃げないでください」
「真理さ。栄えある芸術に描写される女性のほとんどは、身を包むベールが極限にまで薄い。自然体というものの素晴らしさと、其れがもたらす福音は太古から知られているごく当たり前のことなのさ」
わかっている。先生は一度も嘘を吐いたことはない。だが今は雑談に興じている暇はない。さっき確認したはずだ。
それを咎めるより先に、相手の声音が変わった。
「報告はもう終わりかな?」
「報告どころじゃ……」
「私が情報をみすみす逃すわけなかろうに。君から見て私はそんなにも老いてしまったか?」
息を呑む。いつの間にか変化した目つきは、これが尋問であればこちらの黙秘を許さないような鋭さがあった。決して一片の真実も韜晦させない強硬的な。
「……これで全部です。この先どう展開していけばいいのか、助言をもらいたくて」
納得したように頷き、先生は席を立ち窓に黄昏る。彼曰く、絵画のようで気に入っているのだとか。後ろに手を組む立ち姿には底知れぬ威厳と、余裕が感じられた。
「そうだね、一つ確認しておきたいのだが……」
彼はそのまま、口を開いた。
「
「え――」
「おやおやまさか、正気かい?」
「しょう……っ、言われてようやく理解しました」
「ふっふふ、老いてしまったのは君の方ではないのかな?」
相手がレディーと知っての狼藉か、この男。これが風見であったら確実に鉄拳制裁だ。
「前者は政府と無関係の権力者だと言ったね。現在の浅川少年に手を出せないのは其の所為と」
「はい。でも、もしそうなら現場の規制を促すことは不可能になる」
警察など政府の息がかかった典型例。そちらに干渉できてあの学校に干渉できないわけがない。
「やり口と動機も一致しないからね。脳の切除を強要できる愉快な倫理観を持つ者なら、現場を燃やせば簡単だという思考に走る筈だ。一方が情報の抹消を目的としたのに対し、他方は隠蔽のみを図っている」
「た、確かに……いや! でも残虐性を語るのであれば、脳の切除などせず医療事故として処理しようと考えるのでは?」
「ん? 其れは勿論、対象が人か物かの差だ。況して浅川少年は――おっと。ふっふふ、此れ以上は無粋か」
……勿体ぶって。こうも歴然な実力差を見せつけられて呆然とするのも、久しぶりの感覚だ。
とりあえず、二つの陰謀が別人によるものだということに疑いようはない。それだけ理解しておけば良いだろう。
「そして後者については、実行者の目星を付けることも可能だ」
「な、何だって?」
まさか。どうして話を聞いただけでそこまでのことが?
「タイミングだよ。最初の現場検証で規制が行われたのは三か月前、其れから今月の一時的な解除に至る迄は自然な流れだった。元より詮索されないようにしたかったのなら二度目の規制はここまで遅れなかったし、そもそも解除されなかったとしても可笑しくない。つまり――」
「つまり、急遽行われたものだった?」
振り向く先生の表情は柔らかい。その通り、と物語っている。
「じゃあ、どうして急に……」
「如何して? 有るではないか、至極単純な理由が」
こちらに指を差して、彼は言った。
「あ、あたし?」
「考えてもみろ。隠す相手が一般人であるならそれこそ規制を解かなかった筈だ。後から調査に乗り出す姿勢を見せたのは君達しかいない。その上、捜査権限を有する組織を想定していたとして、普通なら捜査そのものを規制すれば善い。其れをしなかったのは、自分の力が及ばない独立した組織が相手だと解っていたからだ」
抜け目のない推理に言葉に詰まる。特殊事件専門監査署は覇蔵によって設立された監査機関。その性質から明らかな通り、
「……待ってください。てことは」
「ふっふふ、寝ぼけた脳も漸くお目覚めかな?」
先生の見解を吟味して間もなく、一つの結論にたどり着いた。
「真っ先に或る問題に行きつく筈だ。独立している君の部署の行動方針、更に言えば君個人の動向を把握していなければ、此れ程迅速な対応は出来ない」
雨宮が浅川夫妻の別荘を調査しようと決めてから実際に訪ねるまで、一か月も空いていない。公表していないことも考えると、雨宮の捜査状況を知るルートは限られる。
「つい最近、私が事件の調査をするという情報を間近で聞いていた人物が一人だけいます。その人は私の異名まで知っていた。警戒していたはずです、その相手が触れて欲しくない事情に踏み込もうとしていると知り、焦った」
雨宮の二つ名は当然関係者だけが認識している。それに――
「練馬の女鬼」は、「孤高の女鬼」よりもマイナーだ。
「
ねっとりとした拍手で称賛される。ゆったりとした動作で、先生は再び同じソファに座った。
前のめりに覗き込まれる。
「此の程度の『人探し』にすら梃子摺るとは、未だ未だのようだね」
あっという間に疑うべきポイントを一つ導いてみせる手腕、確かにご健在のようだ。
「本来君の持つ情報だけでももう二、三点は指摘出来るが、とりあえずは此れで十分だろう」
坂柳が隠蔽したかったのは浅川の両親について。きっとそこには、浅川自身の問題に繋がる何かが秘められているはずだ。重要な手がかりを得られるかもしれない。
「ああそれと。君、まさかとは思うが、浅川少年についての調査は足りているなどとは思っていないだろうね?」
「そ、それは……」
「はぁ……全く」肩を竦め、いかにも呆れたような顔をされる。「何度も教えてきたろう。追究なき信用は盲目を招くと」
「す、少しばかり躊躇いがあるだけです。恐らくあの子を傷つける領域だ」
「其の憂いが不要だと言っている。本当に君の信じる通りの少年なら、白日の下に曝すことに何ら問題は無い筈だ。――善いか? 疑い続けた果てに信じることが出来なければ、意味は無いんだ」
ああ、しまった。これは、説教だ。
あまり多くはない彼の琴線に触れてしまったようだ。
「下らない保身の為に生半可な追究を行うのは、陽の目を待ち侘びている『真実』に失礼だとは思わんかね?」
彼は分別が非常に上手い。自分に向ける情愛や友人との信頼関係は正しく本物だが、それは彼自身が志している通り「まずは疑ってかかる」という信念を全うしているからだ。だからこそ善い点も悪い点も全て寛恕を以て受け入れられている。
そういう意味で、雨宮が弟子として半熟気味なのは否定しようがないだろう。未だに情に肩入れしてしまうことがある。
「……それでも私は、真心を以て向き合いたいんです。無情な尋問なんて、AIにでも任せておけばいい」
「ほう! 事物に向き合うべき心が宿っていると? 君が守りたいものは何だ。事件の真相か? 手掛かりか? 一体何処のパンドラを恐れているかは知らんが、報いも救いも与える相手は『人』であるという摂理を疎かにしてはならない」
無慈悲なまでに正論を叩きつけられる。
浅川を本当の意味で救済することは、彼の本質――傷口に触れなければ叶わない。先生はそれを確かに信じられているからこそ断言している。いつもならこちらの裁量に委ねてくれることも多かった。
雨宮とて厚顔無恥なわけではない。自分が余計な心配をし、無駄に怯んでしまっていることは自覚している。先生がこうも強い語気で諭すのは、それさえもわかっているからだろう。
「矢張りもう三年は、私の下に置いておくべきだった」
「先生、私は……」
珍しく見せる、心の底から嘆く表情に胸を締め付けられる。
「大方、覇蔵氏にも言われたのではないかね? 重ねていると」
「――! ……はい」
「其れが今の君の弱さだ。真実という刃を恐れるあまり、撤退の判断が早過ぎる。――はっきり言おう。君は未だ、全く立ち直れていない」
これは先生なりな優しさだ。どんな庇う言葉よりも、雨宮にとって価値のある啓示だった。
「其の状態で平静を装える精神力は長所かもしれないが、君が担うべき役目はそんな甘えを許さないぞ」
「……わかっています」
そもそも何故、雨宮がこの事件に執着しているのかという話だ。
凄惨だったから? 浅川が可哀想だったから? 大きな裏を予感したから?
馬鹿な。その程度の特徴、今まで当てはまる事件はいくらでもあった。そのどれも、態々上司に直談判してまで追いかけはしなかった。
初めからそのつもりだ。自分は、
「御蔭であらゆることが中途半端だ。君を育成するためのプランも、君に押し付ける筈だったタスクも、君が癒える迄のリハビリも」
「それについては、申し訳ないとは……」
「善いんだ。彼の時は少々嬉しさもあった。私の推測を完全に裏切る行動を取ったのは君で二人目。見送った身として、最小限の助力はしてやろう」
……やはり、あなたは。
師匠らしい一面を久しぶりにまざまざと感じ取り、涙腺が緩む。いけない、これではまた笑われてしまう。
あの頃と同じだ。自分が逃れるようにこの部屋に転がり込んだ時と同じ――。
最後に穏やかな感情が蘇り、少しだけ救われた気分になる。
「ありがとうございます。次ここに来る時は――」
「おいおい待ち給え。何を勝手に締めくくろうとしている?」
え?
「此処まで御足労したくらいだ、どうせ今日は非番なのだろう? 此の後は私と付き合い給え」
「は!? つ、つつ付き合い……?」
大きく動揺する雨宮そっちのけで、扉を開ける。
「下の喫茶店は利用したかね?」
「い、いえ」
「ふっふふ、ならば其処で一服しようか。感謝するのだな。この鬼羅真平が、逢引のお誘いをしようと言うのだよ」
「……ホント、調子がいいんですから」
曲がりなりにも彼に間近で鍛えてもらった身だ。彼がこちらに気を遣ってそう言っていることはすぐに気が付いた。雨宮の「次はプライベートで伺いたい」という言葉を遮ったのも、きっとメンツを保たせるためだ。
そして先生は、気付かれていることにも気づいている。
こういうところがあるから、私は――。
「雨宮君、何をニヤついている? 表情筋のトレーニングか?」
「なわけないでしょう」
「何だ。また一つ共有出来る趣味が出来たと思ったが」
「あ、やってんすね」
話を聞くと、彼と親しい喫茶店は、随分と良い味を出すらしい。先生の舌を唸らせると言うのだから、さぞかし魅力的なのだろう。
「……ありがとうございます」
「ふっふふ、一体何に対する感謝か知らないが、先ず其の必要は無いだろうね」
階段を降りる背は、まだ雨宮にとって、頼れる程に大きかった。
「君と分かち合う時間も、未だ未だ中途半端なのだよ」
もうあまり書こうという気はないのですが、鬼羅は別の原作の二次創作を書くとなった時に主人公に添えようと思っていたキャラです(ですので今話限りのゲスト出演という形になると思います。我ながら勿体ない……)。岐阜の人間で、仲間と死線を潜り抜けて、政府に良い感情を持っていない……うーん、もしかしたら何の作品かわかるかも?
もっとわかりやすい描写を最後に加えるか迷ったのですが、一度忘れてしまっていたくらいには綺麗に纏まってしまったのと、やはり実際に制作するかも微妙なので止めました。よう実しか知らないという人もきっといるはずですからね。
番外編第一弾(題はナイショ)
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六月下旬(1章~暴力事件)
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七月下旬(期末テ⦅暴力事件⦆~三巻)
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八月中旬(四.五巻前後)
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夏休み以降の時系列がいい
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やらない