アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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薄々察している方もいるでしょう。はい、しなきゃいけないこと全くできておりません。逃げまくってます。


心地悪い偽善の咎

 けたたましい蝉の音と、滴る汗に不快感が込み上がる。

 更にこの男と相対しなければならないとあれば、得意のしかめっ面は必然だった。

 

「今日は終わりですか?」

「そうですね。恭介君については、これで」

「では――」

「ただし、調査自体はまだ終わっていませんよ」

 

 わざわざもたついて主導権を渡すこともない。単刀直入、それこそ雨宮の宝刀だ。

 

「あなたですね。私達の監査を足止めしているのは」

「――何を仰っているのか、わかりかねますね」

 

 本気の雨宮にポーカーフェイスは通用しない。僅かな動揺を見抜く。

 

「既に裏は取れています。抵抗はおすすめしませんよ」

「ハッタリですね」

「そう思うならどうぞご自由に。権力濫用と、公務執行妨害として検挙するだけの証拠はここに揃っていますから」

 

 ひょいと、理事長のデスクに紙束を投げつける。

 彼の堅牢さはわかっている。こういう相手には、事実だけが武器だ。

 政府運営の学校を治める彼は、当然公に政府の人間だと知られている。だからこそ、今回規制を復活させた痕跡も残っていた。

 ――今回ばかりは感謝するよ、一さん。

 そう、一通りのデータをかき集めたのは一の手腕。雨宮も風見も、この短時間で膨大な情報は処理できなかっただろう。

 

「……いやはや、少々侮っていました。練馬の女鬼の名は伊達ではありませんね」

「あら? 前からおかしいと思ってたんだけどねぇ。その二つ名を知ってるやつらはみんなご存知なはずなんだよ、もう雨宮由貴は孤高じゃないって」

「――っ、どういうことですか?」

「チグハグなのさ。確かにあたしはやんちゃな頃から下らん異名が付けられてた。でもそれはあくまで『孤高』。練馬の女鬼と呼ばれるようになったのは案外最近。あたしが部署を移って丸くなってからさ」

 

 坂柳は最近の二つ名を知っていた。にもかかわらずこちらへの印象は昔のもの。

 この小さな矛盾が示している事実は――。

 

「あんたはかつて、個人としてのあたしだけを知っていた。だから当時政府内での通り名までは聞き及んでいなかった。そして奇妙な再開を果たした二ヶ月前、ようやくあんたはお役人としてのあたしを見ることになったのさ」

「……」

「もうわかってるよなぁ? 言い逃れはできないよ。あんた、去年の火災事件の後、あたしと恭介君が会った現場を目撃しているね」

 

 本命はこっちだ。師匠の助言のもと、独自で思考を巡らせ至った結論。

 当時はまだ部署を移り風見を相棒に当てられたばかり。浅川の状態を考慮していたものの、まだ身勝手さや短絡さが顕著だった。

 こっちも伊達に、あの人の弟子をやってきていないのだ。

 

「あんたは間違いなく、浅川恭介の何かを知っている。しかも家族ぐるみの闇ときた。生憎ここまであたしらに突き止められちまったら、あんたらの隠蔽よりこっちの監査が優先される。――もう隠れんぼは終わりだよ」

 

 堂々たる勝利宣言に、彼は目を閉じ黙したまま、何かを悟ったようだった。

 重たい口を、やっと開く。

 

「あなたは、知らない方がいい」

「何だって?」

「浅川君のことを思っているのであれば、決して開いてはならない箱なのです」

 

 あくまで、彼は誠実に忠告しているだけのようだ。

 

「いいや。恭介君の心を救うために、この秘密は白日の下に晒す必要がある。あの子は自分の家庭にも問題を抱えていた。その苦悩を、今も引き摺っている」

 

 頼む。折れてくれ。そう願う他なかった。ここで折れてくれなければ、きっとあの子に与える傷を最小限にすることは叶わない。そんな予感があった。

 果たして――

 

「…………危険過ぎる。私が憂いているのは、彼の心だけではない」

「それは、私も……?」

 

 重々しく頷く彼の言葉には真実味があった。

 薄々わかっていた。政府、あるいは政府に匹敵する何かが蠢いている。そのパンドラに踏み込めば、何らかの危険が自分に付き纏うことになると。

 だが、少なくとも今の彼には、残念だという評価を与えるしかないだろう。

 

「――ハッタリだね」

「……っ!」

「舐めてもらっちゃ困るよ。あんた、その正体に確証がないまま遠ざけようとしているだけだろ」

 

 ただ危険だと喚くだけで、その実具体的なことは何一つ話していない。全てというわけにはいかなくとも、雨宮のような相手にそんな口八丁が通用するわけないと、簡単にわかるはずだ。

 となれば、答えは一つ。

 

「あんたの一番の失態は今この時さ。長ったらしく規制続けて、あれじゃ自分たちはまだお目当ての物を見つけられていないってバレバレだっての」

 

 恐らくこれも看破した上で、鬼羅はあのようなやり取りを誘導していたのだろう。

 坂柳の行動は隠すことが目的。逆に言えば、隠すものを隠した時点で雨宮を近付かせない理由はなくなるということだ。しかし実際、今もなお規制は解除されていない。

 つまり、

 

「あんたも確信にたどり着いちゃいない。あるかもわからない重要な何かを、ずっと探し続けている」

「………………くっ」

 

 ようやく見れた。彼の、崩れる瞬間。

 

「見られてはいけないものをあたしが見つける可能性があった。それだけでも十分、あんたが動く動機だったわけだ」

「……」

「あんたはどこまで知ってるの? 恭介君はあんたを知っている様子じゃなかった。記憶が欠けているからか、あんたが一方的に知っているだけかは知らないけど、見逃していい関係性だとは思えない」

「彼の脳のことまで、御存じでしたか」

「はぁ……やっぱあんたも無関係じゃなかったか。師匠め、紛らわしい言い方しやがって……」

 

 これも雨宮個人で出した結論だ。確かに別の立場にいる別人による二つの工作だが、どちらも浅川の闇を知っている。だから隠している。

 今のところ、両者に繋がりがあるのかは不明だが。

 

「…………一つだけ信じてほしいのが、私は本当に、浅川君たちのためにと思ってこうしているということです。あなたが何かを発見した暁には、きっとそれを彼に突きつけるはずです」

 

 当然だ。そのつもりで、自分は浅川家の調査をしようというのだから。

 

「あの子が前を向くためには必要なことなんですよ。だから、」

「彼だけではないのです。彼の周りをも傷つけかねない」

 

 何だって……?

 

「もしそうなれば、浅川君は何人分もの悲しみを受け止めることになる。今の彼ではとても耐えられないでしょう。つい先日も、改めてそう確信したばかりです」

 

 譲らないという、強い思いが感じられた。

 確かに、これほどまでの頑固さがなければ、わざわざ機関に掛け合って規制線を張らないだろう。

 

「それを決めるのは、あんたじゃないでしょ」

「なっ――」

「あの子は確かに望んでいるよ。両親のことも友達のことも、ちゃんと知りたいって」

 

 事件のことに関して何か隠しているのは事実だろう。しかしそのほとんどは例の少女のことや慎介のことであり、新塚と深山への思いも、両親に降り掛かった事件も、決して蔑ろにしようとはしていなかった。

 向き合おうとする意思が見えていて、それを裏切る道理などあるものか。

 真実があの子を傷つける? きっと耐えられない? 冗談ではない、どれだけ重かろうが関係ない。

 

「全てが終わる頃には、あの子の支えは十分さ。自分の学校、もっと誇んなよ」

 

 既に雨宮の中に、迷いはなかった。

 少年の青さを心配するのは何ら自然で、正しいことだ。しかしそれも過剰になれば、子離れできない親と同じだ。

 師匠の話とは少し違うが、別の意味でも自分は――病院で芽生えた後ろ向きな感情に――囚われたままだったのかもしれない。

 自分こそ、浅川のことを信じきれていなかった。大人になっていくべきであるはずの彼を、子供扱いしていた。

 そんなものはいらなかった。自分の責務を果たすべき。

 だって、それがあたしの志した刑事だから。

 

「正当でない封鎖だって根拠は既に足りてる。あんたが何と言おうと、数週間の内にはこっちに監査権が与えられるだろう。あたしは止まらないよ、あの子を救うためにね」

 

 一のデータだけでもゴリ押せたかもしれないが、これでいよいよ相手も首を縦に振らずにはいられない。

 今度こそ今日の仕事を終えた雨宮は外に出ようとする。

 

「……最後に。最後に一つだけ」

 

 背後の声に振り返る。

 

「浅川君の言葉を思い出すといい。鍵は恐らく、彼が握っている」

 

 もうこれ以上の会話をする気はないようで、早く出ていけと言わんばかりに黙ってしまった。

 彼なりな協力なのだろう。雨宮は、そう受け取ることにした。

 

 

 

 

 校門まで歩くと、何やら慌てた表情の風見が向こうから走ってきた。

 

「先輩! ――あ、えーと、どうでした?」

「言質取った。情報も得た。じきにあそこも調べられるようになるよ」

「おお! 完璧じゃないっすか、さすが先輩」

「師匠のおかげだよ」 

「あー、また始まった。先輩の師匠陶酔」

 

 本当なのに。と、咎める気にもならない。

 

「って、そうっす先輩。先輩がいない間に色々あったんすよ」

「何だ何だ。聞いてやるからゆっくり説明して」

 

 なかなかなキョドりっぷりだったが。

 

「純君が、目を覚ましたそうです」

「……! やっぱりね」

 

 間違いなく朗報だった。謎に包まれた一夜を唯一目撃した人物。まだ面会は難しいかもしれないが一安心だ。

 

「おまけに静ちゃんとの接見、……なんと許可が下りました」

「マジか……!」

 

 風見の言う通り、立て続けに道が開かれる。やっとツキが向いてきたようだ。

 

「二人の容態は?」

「純君は昨日の真っ昼間に覚醒。今のところ後遺症の類は見られず安定しているらしいっす。静ちゃんは……」

「……フン、まぁわかっちゃいたよ」

 

 進展無し。だからこっちに丸投げしてしまおうという魂胆だろう。だが好都合だ。

 

「事件当時の状況は純君に聞ける。静ちゃんは最悪お見舞い程度になっても初回は平気。会わないことには始まらない」

「鬼が出るか蛇が出るか。……前は仔猫みたいな愛嬌があったんすけどね」

「あんたがビビってどうする。もしかしたら浅川夫妻のことについてわかることがあるかもしれない。そうだね、まずは……」

 

 今まで待ちぼうけを食らっていたが、一気に状況が動き始めた。

 真実の果実、もう皮だけ齧るのは十分だ。そろそろ踏み込ませてもらおうか。

 放火事件から続く悲劇、浅川夫妻殺傷事件。その途方もない闇に。

 

「ハッ、――調子づいてきたじゃねえか」

 

 

 

 

 

 全くの誤算だった。

 あの刑事が、あんなにもこの事件に執着するなど。まして、ここまで核心に近づいてくるなど。浅川の脳のことまで嗅ぎつける鼻の良さは、何とも恐ろしい。

 一体何が彼女を焚き付けているのかはわからない。しかし自分の予想以上のところにまでたどり着いているのは事実であり、危機感を覚えるには十分だった。

 やれやれ、守るものが多いと不便なものだ。

 雨宮の看破した通り、自分が探しているのは本当にそこにあるかもわからない代物だ。立場上現場に赴くことができないのが何とも歯がゆい。自分ならあるいは、見つけられるかもしれないのに。

 だが、間違いなくあるはずなのだ。『彼』なら、そうするはずだ。

 全く――。死して尚、こちらを振り回すというのか。

 公になってしまったらどうするつもりだったんだい。彼が黙っていないぞ。……まあ君のことだから、意にも介さないんだろうが。

 あるいは、こうなることまで予測して……。

 ……まさかな。

 

「君は、あの子をどっちに見ていたんだ……? それを最後まで知れなかったのが、唯一の心残りだよ」

 

 今となっては誰にも見せることのない。弱ったまま、頭を抱えた。呟く声は、老化を匂わせる弱さだった。

 

「私の望む通りの答えなら、きっと――」

 

 時計の針の、淡々と進む音だけが、虚しく響いている。

 




さあさあ、オリ主側のこと、段々とわかってきたのではないでしょうか。

次回の幕間では更にぐんと捜査が進む予定です。

番外編第一弾(題はナイショ)

  • 六月下旬(1章~暴力事件)
  • 七月下旬(期末テ⦅暴力事件⦆~三巻)
  • 八月中旬(四.五巻前後)
  • 夏休み以降の時系列がいい
  • やらない
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