アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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過去にふれるミゼラブル

 綾小路が高円寺を真剣に追い始めた時には、ぎりぎり目視できる程度の距離になっていた。

 普通の手合ならともかく、今の対象はあの高円寺だ。追い付くの至難の業。

 綾小路は本当に久しぶりに、黙然と筋肉を働かせることに集中した。

 視界に映る有機物たちの輪郭が鮮明になり、昏さを帯びる。

 一つ幹を飛び立った時には、既に次の安定した着地点に目星がつく。どこを踏みしめるのか、どこを掴むのか、どの樹木を使うのが最短か。一手二手、二手三手、自分の行動の予測が引き延ばされていき、身体が丁寧にルートを辿っていく。

 やがて、

 

「……ハッハッハ! これは驚いたよ、まさかこれほどとはね」

 

 息もきれきれな綾小路とは対照的に、高円寺は大した汗一つかいていない。

 

「……どうして、……止まってくれたんだ」

「君がそこらの凡人ではないと認めてあげようと思ってね。この島の構造にも推測は立ったのだろう?」

「…………ちょっと息整えていいか?」

 

「オーケイオーケイ」許可を与えた高円寺は太陽を見上げ目を閉じ、神々しい姿を見せつける。感嘆の声を漏らしそうになったが、向こうのペースに飲まれまいとなんとか堪える。

 

「この島は、ほぼ人工だな」

「ザッツライト。明らかに『手入れ』された自然だ」

 

 考えてみれば、その結論に至るのは全く難しくない。

 学校側とて、大自然に生徒を放つ危険性など重々承知している。その上ベースキャンプやスポットの存在など、生徒が身を置き警戒を解ける場所を態々定めているのだ。最低限の安全性の確保をするのであれば、毒性のある草花や食糧(と見紛う物)を取り除いたり獣を払ったりしているのが当然である。

 

「いつから気付いていた?」

「船さ」

 

 旋回の時。高円寺も興味本位で島を眺めていたようだ。あれだけで気付くとは、何たる洞察力。

 

「どうりで、自信たっぷりな単独行動に出るわけだ」

「ハハッ、多少は理解してもらえたようで嬉しいよ。そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、衣食住に困ることなくね」

 

 これは一層この男を説得するのは無理そうだ。諦観の色が強まる。

 

「まぁそんなことはどうでもいいのだよ」

「どうでもいい? じゃあなんで、」

「しらを切るのはおすすめしないねぇ。私に聞きたいことがあるのだろう? この上なく適した機会だと思うがね」

 

 これには驚愕を隠せなかった。最近の変化とか、一瞬の機微などではない。漫然と気にしていただけのことを指摘され、綾小路は目を見開いた。

 

「……気前がいいんだな」

「今日の私は機嫌がいい。私達を囲む大海原のようにおおらかさ」

 

 なら、お言葉に甘えるとしよう。

 

「一つだけ、気になっていた」

「ほう?」

「お前確か、『跡取り息子』っていうやつだったよな?」

「いかにも。私こそ高円寺コンツェルンの一人息子にして、いずれはこの日本社会を背負って立つ男だ」

 

 最初の自己紹介とほとんど同じことを言う。

 そう、思い返せば、あの時から彼に僅かながらの興味があった。

 

「どういう気持ちなんだ? その、親を継ぐというのは」

 

 言語化はし難かったが、高円寺はその意図を汲んでくれたようだ。

 

「私からすれば、大した難問ではないね。私が跡取りをプランに組み入れているのは、ペアレンツに諭されたからではない。私の意志だ。私には、先代よりも優れた成果を叩き出せるという自負がある」

 

 世襲には拘らない。いっそそれを利用し自分の意のままにしてやろうという野心さえ感じられる。

 ……羨ましい。そう思った。

 

「ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 しかしそれだけでは終わらなかった。高円寺らしくもない、自分と相反する思想にも触れ始める。

 

「重力を知り、その重さを知り、独力で抗うことのできない者がいる。ならばその者たちは、私のような美しさを享受する資格はないのだろうか? 私はその問いに『否』と断言しよう」

 

 演説に近い彼の表明を、綾小路は固唾を呑んで聞き込む。

 

「人には認めないからこそ生まれる尊さがある。それでもと否定し続けることで完成する強かさこそ、欠けている者の特権だ」

「それは……」

「君もその一人だ。と、どうやら心当たりがあるようだね」

 

 自分より幾分か高い立ち姿。降り注ぐ日差しで、その表情は見えなかった。

 

「……だが、志だけでどうにかなる身分じゃない。お前の言うような生き方を、徹底的に否定されたらどうする? それでも、抗えと?」

「……? 何を言っているんだい? 理解できないねぇ」

 

 珍しく彼は真面目くさった顔で考える。それもごく僅かな時間だった。

 

「――ハッハ! そうか、私としたことが。君がそんなことにも気付いていないとは思っていなかったよ。失礼した」

「そんな、こと? 一体……」

「憐れなロストシープ、一つ助言をしよう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ロストシープ……言い得て妙だ。どうやらこの男には本当にこちらの腹積もりが見透かせているらしい。

 しかし、肝心の助言とやらが理解できなかった。

 

「縁の解消はそう簡単に起こらない。友との絶好も、親子の絶縁も、全てはある二つによって成り立つものだ」

「ある、二つ……」

 

 片方は簡単だ。裏切り、その一言に尽きる。

 では、もう一つは?

 

「裏切りと――裏切られたという『被害妄想』さ」

「……」

「例え事実がなくとも、信用できないと決めつける猜疑心が妨げとなる。幻想に惑わされるほど人間は脆弱なのだよ」

「……オレは、幻想の中にいると?」

 

 躊躇いなく、彼は頷く。

 

「単純な例ならいくらでもある。心の青い内は上から物を言う親に不満を溜め込むらしいが、自分が同じ歳になればそのありがたさを思い知るそうだ」

 

 オレがそんな誤解を? ホワイトルームの最高傑作という称号に愛情の見え隠れが……?

 あり得ない。坂柳親子も言っていた。あれは非人道的な施設だったと。その被検体に自分を押し当てるような男を、父と認められるわけがない。

 

「オレには、理解できない感情だ」

「本当にそうかね? 君が思っているほど、周囲は敵ばかりではない。その無意味な思い込みは心を窮屈にするだけだ」

 

 高円寺ははっきりと、綾小路の疑問と反論に答えた。

 

「人の記憶は曖昧で、朧げで、時にそのようなくだらない幻想を作り出す。他人の複雑さや気まぐれから目を逸らし、自己の敵であるという疑念を正当化するために、実を虚へと変える」

 

 不確かな記憶。そもそも、自分には親子の記憶というものが限りなくゼロに近かった。高円寺の言う誤解について吟味できるほどの思い出さえ存在しない。

 ……だが、それは裏を返せば、判断材料が少ないとも言える。

 

「私はマイペアレンツに劣っている要素があるとは毛頭思っていないし、直接アシストを受けたような覚えもない。しかしそれは相手に何ら敬意を抱かないことを認めはしない。――私という完璧な存在をこの世に産み落としてくれたこと、私自身の望む生き方を阻まなかったこと。この二つには大いに感謝している」

 

 ――人は人を憎むことに理由を探しがちだが、本来愛することにこそ具体性を己に提示すべきだ。

 

 彼の強さが前面に出た言葉に、綾小路は圧倒されるばかりだった。

 

「私からのアドバイスはここまでだ。その先にある答えは自分で探したまえ」

「あ、ああ。……なあ、どうしてこんな律儀なことを?」

 

 冷静になって思う。高円寺が誰かの声に耳を貸し、応えようとした場面など一度たりともなかった。そんな彼が、一体なぜ。

 

「さっきも言っただろう。君は憐れなロストシープ。それこそが君の疑問に対する答えさ」

「……大きくでたな。お前は神の子にでもなったつもりか?」

「私は『持つ者』だ。『持たざる者』にもあらゆる義務が課せられるように、私のような人間には君達に施しを与える義務がある」

 

 筋は通っている。しかし、本当にそれだけだろうか。彼が真に自分を与える者だと思っているのなら、今までそれを見せる機会はいくらでもあったはずだ。

 自意識過剰かもしれないが、何か個人的な感情があるのではないか? そう邪推する自分がいる。

 

「それでは私は行くよ。美の探究は、まだ始まったばかりだからね!」

 

「ハーッハッハッハ!」と声を轟かせて、高円寺は余韻も残さず綾小路を置いて去ってしまった。

 

「…………実を虚へ、か」

 

 彼の言葉を反芻する。

 実のところ、取っ掛かりはないわけではなかった。たった一つだけ、あの寂れた日常とは異なる時間。その存在のみの自覚で、感性を喪失していた自分が蔑ろにした記憶。

 ……まあいい。満足だ。

 高円寺に対して求めていたタスクは完了した。彼の『気まぐれ』とやらに、今は感謝しておこう。

 ついでに一帯の探索を済ませようと、綾小路は再び周辺を回ることにした。

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 そうして辿り着いた先が、葛城と戸塚という二人の男子生徒が顔を出した洞窟のすぐ前だった。

 

「これほどの大きさの洞窟があれば、テントはニつで十分ですね。運が良かったです、こんなに早くスポットを抑えられるなんて」

「運? お前は今まで何を見ていた。ここに洞窟があることは上陸前から目星が付いていた、見つかるのは必然だったということだ」

 

 葛城も船上からの景色で色々と気付いていたようだ。

 

「それと、言動には気をつけろ。どこで誰が聞き耳を立てているか分からん。俺にはリーダーとしての監督責任がある。些細なミスもしないように心掛けろ」

「す、すみません。でも、これで坂柳も黙るしかありませんね」

 

 坂柳?

 なるほど。あまり他クラスの全体像には明るくなかったが、坂柳の台頭を阻んでいる対抗勢力、そのリーダーがあの葛城というわけか。

 そして、彼はAクラスと。

 

「内側ばかりを気にするな、弥彦。足元を掬われることになるぞ」

「で、ですがクラスポイントを考えれば、」

「三年間の戦いのほんの序章だ。いくらでも巻き返しは起こる。――それに、他のクラスにも侮れない相手がいることは承知しているはずだ」

 

 ん……?

 やけに実感のこもった響きに眉を顰める。

 

「……っ、葛城さんはやっぱり、アイツを認めているんですね」

「警戒もしているがな。中間テストの時、やつが過去問を持って来なければ、俺たちは坂柳派に対し遅れを取るところだった。それを免れたことの大きさ、わからないわけではないだろう」

 

 そこまで聞いて、やっと脈略を理解した。いつしかの足りなかったピースが、今ぴたりとはまった。

 

「与太話はもういい。スポットを抑えられた以上長居は無用だ、次に行くぞ。あと二箇所ほど船から見えた道があった。その先も施設等何かが……」

 

 その場を離れようとする葛城だったが、不意に言葉と、足を止める。

 

「葛城さん?」

「……待て」

 

 マズイ……!

 こちらにじわじわと足音が近づくのを認め、綾小路は窮地を悟る。

 さすがの彼とて、葛城の進路を変えたり自分の姿を消したりはできない。

 見つかることを覚悟し、言い訳を考えながらじっとその時を待つ。

 すると、

 

「……!」

 

 綾小路のいる場所より少し離れたところで、茂みの歪む音がした。葛城の注意はそちらに逸れる。

 ゆっくりと綾小路から離れ、茂みに近づき、その中を覗いた。

 

「……」

 

 時の止まったような沈黙。やがて、

 

「……行くぞ」

 

 一難去ったことに、綾小路は安堵の息を漏らした。

 ふと、背後に気配を感じる。慌てて振り向くと――口元に人差し指を当てる浅川の姿があった。

 

「恭介――お前が助けてくれたのか」

「うん。ひょいっと小石を投げ込んでね」

 

 素直に礼を述べた。

 彼の後に続き、王、三宅、長谷部も顔を出した。

 

「綾小路? どうして独りなんだ」

「いや、それが――」

 

 手短に経緯を話すと、それぞれ異なる反応が返ってきた。

 

「ええっ!? 大丈夫なんですか高円寺君!」

「アイツ、相変わらず勝手なことを……」

「ご愁傷様だねぇ、綾小路君」

 

 自分への労いの言葉を掛けてくれた長谷部が、とても女神だった。

 

「……ところで、さっきの二人の会話。清隆は聞こえてた? こっちはちょい厳しかったんだけど」

 

 思案顔で、浅川は情報を求める。

 綾小路も、何と答えようか、一瞬の間を空ける。

 

「……Aクラスのやつらだった。どうやらあの洞窟の中にスポットがあるらしくて、占有したばかりだったみたいだ」

「え、ということは、あの二人のどっちかがリーダーだってこと?」

 

 無造作に頷く。

 

「大手柄じゃないか。他クラスのリーダーをこんな早くに絞るなんて」

「まあ、そのどちらかを絞るのが難しいんだろうけどな」

 

 口先ではそう言うが、綾小路の中で既に答えは出ていた。口外しなかったのには、理由が『二つ』ある。

 一つは、要らぬ混乱を避けるためだ。

 

「他には何も言ってなかった?」

「――ああ、()()()()()()()

 

 浅川と二人、視線が交錯する。

 不自然に思われるかどうか、絶妙なラインまで、そのアイコンタクトは続いた。

 

「…………そっか、わかった。じゃあ清隆は、三人と一緒に平田のところへ戻って」

「浅川君はどうするの?」

「大きな迷子を探してくる」

「高円寺をか? あんなの放って置いても変わらないと思うが」

 

 綾小路としても首を傾げたいところだった。

 表向きの性格とはマッチした行動だ。困る人を放っておけない。

 しかしここは無人島。そして相手は高円寺。特殊過ぎる条件でその選択肢を選ぶのは些か不自然に思えた。

 

「だ、だったら私も行くよ」

「ふぇ? いやいやみーは、」

「船の上での約束、忘れたとは言わせないからね?」

「……酔ってて記憶が曖昧だっただけだよ」

 

 高円寺探しは二人で決まりのようだ。

 浅川と高円寺に接点があるように感じたことはなかった。もしあったとして、やはりあの高円寺が誰かと対等なやり取りをしている場面が想像できない。

 変に首を突っ込む必要はないと判断した。

 

「……わかった。あまり洋介を心配させるわけにもいかないからな。三宅も長谷部も、それでいいか?」

「まぁ、最初の探索にしては歩き回れたかなって思うし、十分だよ」

「俺としてはありがたい限りだ」

 

 別行動を開始する間際。綾小路と浅川は再び言葉を交わす。

 

「無理はするなよ」

「当然。みーもいるしね」

 

 何はともあれ、だ。

 予感はあったが、試験開始早々察したことがある。

 オレと、あいつの関係性――。

 面白いと疼いてしまう――喜ばしかったはずの自分を必死に抑え、来たるべき時に身構える綾小路だった。

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

「え、え? どうしてそんなことを……」

「ごめん。頼めるのは君くらいしかいないんだ。その、理由はあまりいいものじゃないのは百も承知なんだけど……」

 

 二人きりになり、これを好機と捉えた浅川は王にある頼み事をしていた。

 

「……別にいいですよ」

「ありがてえ!」

「でも、私にも見せてね。面白そうだから」

「いっ……十中八九拝めるんじゃない? 寧ろ離れないためにすることだから」

「楽しみにしてます。……何だかんだ似合いそう」

「自覚があるから言ってんの。って、言わせないでよ恥ずかしい」

 

 さっきから堪え気味に笑ってばかりの彼女に嘆息が溢れる。なかなか微妙なお願いだったので、断られなかっただけマシかと思っておく。

 

「高円寺君、どこにいるんでしょう」

「すぐに見つかるよ」

「心当たりが?」

 

 無言で頷く。

 彼の今朝からの言動、島の構造、その他観点を踏まえれば、綾小路から授かった『目的地』というキーワードの正体は自ずと見えてくる。

 

「みー、先に聞いておきたいんだけど。六助から接触を受けたことはあるかい?」

「ど、どうしたの、急に」

「イエスかノーか半分か」

 

「半分……?」戸惑いながらも、彼女は答えた。「何度か。不思議な人だなって思っていましたけど」

 

「……じゃあ、その時身の上話をされた記憶は? 例えばー……アマゾンでサバイバルとか」

「あ、はいそうです! アメリカで射撃訓練もしたとか、国内だとサイコーにクールな友人と冒険に出たとか言ってて。高円寺君のことだから、もしかしたら本当なのかなって半信半疑で」

 

 ……やっぱりか。

 浅川の中で、疑惑が確信に変わる。あいつにしては、随分と純情めいたことをする。気持ちはわかるけど。

 

「これからはもっと真に受けていいよ。全部ホントだから」

「えぇっ、そうなんですか!? ……あれ? どうして浅川君がそれを知っているの?」

「母校一緒なの」

「衝撃の事実っ!」

 

 元気だね。

 元より無理に隠すつもりはなかったことだ。向こうの気は知らないが、この少女には話しても問題ない。

 ……ああ、自分も結局、この子には甘いのかも。

 

「色々言われるのも嫌だから、絶対内緒ね」

「わ、わかりました。高円寺君と面識のある者どうしの秘密ってことにしておきます」

「マジで助かります」

 

 ぶっちゃけ王がどこまで秘密を守ってくれるのかは未知数だが、とりあえず釘は刺しておく。

 そしてようやく、

 

「――あ! あれ、」

 

 王が指差す方へ。二人で飄々と向かっていく。

 

「豊かな自然に囲まれての筋トレは格別かい? 六助」

「……ほう。これはまた珍客を連れてきてくれたみたいだねぇ、アグリーボーイ。嬉しい誤算だ」

 

 高校生になってから会うのは三度目だ。といっても、全くぎこちなさはない。

 腕立て伏せを中断し、高円寺は徐ろに立ち上がる。照り輝く汗を纏う顔が大変凛々しい。

 いつになく硬い表情で見つめ合う両者。傍からは睨み合いにまで感じられることだろう。

 暫しの沈黙の後、高円寺は重い口を開いた。

 

「君達も一緒にどうかな? 心身が清々しくなるよ」

「楽しそうやるー」

「嘘でしょ……!?」

 

 

 

 

 湿り気のある地面に自分の汗が滴り落ちるのを、浅川は漫然と見つめる。

 91、92、93……

 荒くなる息遣いで、自分が今「鍛錬」の真っ最中であることを実感する。

 97、98、99……

 

「リタイアは、止めて欲しいな」

 

 100。とは呟かず、浅川は一つ目の用件を切り出した。

 腕立て伏せをやめ額をを拭う。これを短いインターバルで2セットか、大したものだ。

 

「何を選択するかは、私の自由さ」

 

 真嶋先生が言っていた。試験のテーマは『自由』、そういう意味では高円寺に軍配があがる。

 しかし、浅川がしたいのはそういう話ではない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 なおもハンドスタンドプッシュアップを続ける彼の眉が僅かに動く。

 

「理由はその意志を抱き続けるためのものであって、きっかけである必要はない。後付けでいくらでも探せばいい。それが大変だから、『継続』というものは難しい。――覚えてるだろう?」

 

 関係、という面であれば結婚なんかがそうだ。好きな人より続けられる人と言われることがあるくらいには、離婚という結末は枚挙にいとまがない。

 添い遂げる理由が、なくなるからだ。しかし、その始まりは確かにあって、曖昧なものであっても決断される。

 

「君は奇しくも持つ者だ。なら、愚かな僕らのことも愛してみせろ」

「傲慢だねぇ。それで説得したつもりかい?」

 

「いいや」欺瞞ではない。「僕が君に、そうあって欲しいというエゴだ」

 

「……それに応える義務はないよ」

「だから無視する? まるで子供だね、傲慢なのは君の方じゃないのかい? 未来の日本を背負う御曹司が、とんだ暴漢だ」

 

 退路を潰す。決定的に。

 

「約束だけで十分だろう? 僕たちの間には」

「……」

「君を漢と見込んでの、切実なお願いだ」

 

 彼は暫く黙っていたが、やがて呆れたように溜息をついた。

 

「やはり君は醜いね。殺し文句は禁じ手だろうに」

 

 まずは一つ。妥協点は定まったようだ。見えない緊張が解かれる。高円寺もようやく元の体勢に戻った。

 

「……何故、彼女を連れてきたんだい?」

 

 意外にも高円寺の方から、二つ目の話題に入る。薄々察していたのかもしれない。

 

「勘違いしないでくれよ。あの子が自分で言い出したんだ」

 

 遠くを見ると、何やらしゃがみ込んで何かを見つめ――弄る王の姿が映った。

 

『わ、私は遠慮しておきます』

『ほう! 実に勿体無い。断る理由がないと思うがね』

『やめな六助。理由はあるんだ』

『……?』

 

 乙女の事情というやつもあり、王に過度な運動を強いるわけにはいかない。元々浅川の補助係を買って出ていたので、見える位置に待機してもらうことにした。暇潰しはできているようだ。

 

「ふむ……確か彼女には想い人がいたはずだが」

「だから僕に懐くのはお門違いって? よく見てるんだね、みーのこと」

「それで茶化したつもりかな?」

 

 閑話の如く、浅川は本題を切り出す。

 

「初めてあの子と遭って、話をして、まるで初対面とは思えない話やすさがあった。静と似ているのかと思ったけどそれも違くて、二つの理由があったことに気付いた」

 

 一つは、自分を見てくれた他人だったから。

 もう一つは――

 

「……君、僕らと出会ってからも度々海外に出かけていたよな。世界を股にかける旅行記と、そのプランにはよく聞き惚れていた――」

 

 高円寺があの事件の起こった日に居合わせなかったのは、彼がちょうど外国に身をおいていたからだ。

 

「……そうだねぇ。アマゾンでは密林でサバイバル、アメリカでは射撃訓練――」

「そして、中国では武術をスタイリッシュに。だったよな?」

 

 当然、その行き先も聞き及んでいる。

 

「僕がまだ心神喪失状態だったころ、君は僕を元気づけようとしてくれた。――あの時は、本当に救われたよ。ありがとう」

「……」

「だからこそ、あんな植物人間だった僕でもちゃんと覚えているんだ。君がどこで何をして、何を思ってきたのか」

 

 核心を突く答えを、浅川は放つ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 高円寺がこちらを向き、ようやく目が合った。

 

「それが、何だと言うのかね?」

「別に。追及したいことがあるわけじゃない。君が話したくないならそれで構わないし、僕には君の道楽に救われた恩があるから。……ただ、少し嬉しかった。君はこの学校で、自分を語れる相手に出会えたんだって」

「……解せないね。まるで君が私の一歩先を行っているような物言いだ」

 

 そんなつもりはなかった。本当に、あの頃と比べて寂しそうに見えたから。

 余計なお節介、なのだろうけど。

 

「今思えば、君は静にあの子を重ねていたのか」

「さあね。少なくとも、私が静の魅力を悟ってからは、彼女自身を見ていたよ」

 

 珍しく馬鹿な言い方をする。それでは半分答えじゃないか。

 違和感は解消された。高円寺にとって二人の少女は、思い入れの順番が逆だったということだ。

 

「いい子だね、あの子は」

「君がそう言うのであれば、そうなのだろうね。君が惹かれているわけだ」

 

「なっ」目をむく。「何言ってんのさ」

 

「自覚はなしかい? 惚けているだけかい?」

「……知らないよそんなの。あんま女々しい男にさせないでくれ」

「それはすまなかったねぇ、ノンデリカシーだったよ」

 

 大仰に肩を竦める姿が、様になっているのが尚更腹立つ。

 

「……でも、そうかも。何かが違ったら――ううん、何かが変われば。その通りになるかもしれない」

「君の『自由』さ。周囲の存在によって盲目にならないことだ」

 

 自由……。難しい話だ。高円寺の言うとおり、今の自分は見えない鎖に縛られている。

 それをどうにかしたくて、浅川は間違った道を自覚しながら進んでいるのだ。

 

「…………そろそろ、行くよ。聞きたいことは聞けたから」

「また語らおう。ミゼラブルボーイ」

 

 どうせ呼びかけたところで一緒には戻らない。役目を終えた浅川は、王の元へ向かおうとする。

 

「君の」

 

 声に、振り返る。

 

「君のやろうとしていることは、きっといいエンディングを迎えるのに必要なことだ。だからこそ、その茨に屈してはいけない」

「……っ、君は、どこまで知って、」

「今回ばかりは本当に勘さ。前を見据える今の目を、大事にするといい。――君のハッピーエンドを、期待しているよ」

 

 高円寺でもそんなことを言うのか、激励なんて。

 目を点にさせていた浅川だが、表情を緩ませて頷く。

 大丈夫だよ六助。屈したところで、誰も傷つかない。気付くことはない。

 唯一懸念があるとすれば、まさに目の前の少年がまた、嘆く可能性があるくらいだ。となると、色々なものを背負わせてしまうな。

 

「お待たせ。みー」

「あ、終わったんですか?」

「うん。最低限の働きはしてくれるみたい」

「そう、なんだ。良かったっ」

「戻るよ。体調は?」

「大丈夫。でも明後日ごろには……」

「うん、安静にしてな」

 

 似た色の髪を垂らす彼女と、みんなのもとへ帰る。

 その間、往きよりもわかりやすく弾む鼓動を、浅川は静かに噛み締めていた。

 




綾小路と高円寺の後半のやりとりは、「見失った羊のたとえ」で検索してもらえればわかります。

それと、高円寺のセリフ。ちょっとそれらしくもじっていますが、どれくらいの方が気付いたでしょうか。ヒントは原作者繋がり、ですかね。

二人が原作で語り合ったことのない共通点だなと思い、世襲の話を挟んでみました。自由人の彼が跡取りはするというのなら、こういうことなんだろうなあっていうのを。

オリ主と高円寺のやり取りはオリ主が一度立ち直って以来でしたねえ。
高円寺のみーちゃんへの態度は、本作のオリジナルとしてこのように設定づけました。あんまり具体的にしすぎると乖離がエグいことになるのでぼかしました。

番外編第一弾(題はナイショ)

  • 六月下旬(1章~暴力事件)
  • 七月下旬(期末テ⦅暴力事件⦆~三巻)
  • 八月中旬(四.五巻前後)
  • 夏休み以降の時系列がいい
  • やらない
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