アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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再臨のリベロ

 もうじき夜が更ける。

 食事を済ませ、やっと落ち着いた私は、櫛田さんに声をかけた。

 

「ちょっといい?」

「どうしたの?」

「朝のことについてだけど」

 

 丸一日考える猶予があったが、やはりあの時の櫛田さんのアクションには納得がいかなかった。

 櫛田さんの本質は承認欲求。と言ってしまえば簡単だが、それにも種類がある。彼女の場合は、「誰からも気に入られたい」という具体的な部分にまで触れておく必要がある。

 だから、何をしても誰かを突き放すことになってしまう時、櫛田さんにとっての正解は静観に尽きる。まさにあの議論の最中、何かしらの意見を述べることは、クラスの男女どちらかに対立することと同意義だったはずなのだ。

 鉄仮面の櫛田さんが、それをわかっていなかったとは思えない。「誰にでも手を差し伸べる人」と思い込んでいるみんなが見落としても、私にはぬぐえない違和感がくすぶっていた。

 

「何を考えているの?」

「……堀北さんはあの時、私のことを信じてくれた。それが全てだと思うよ」

 

 思ってもみないことを……。

 他人の目が多い場所で、彼女の本心を尋ねるのは至難の業だ。しかし、私ももう簡単に引き下がることはしたくなかった。

 試験は終盤に突入する。にもかかわらず私は、試験全体の動きを把握でてきていない、という自覚がある。いい加減、わからないの一言を心に復唱し続ける醜態を脱したかった。

 試験の全貌。細分化のしかたは様々だが、クラス間とクラス内で分けるのが手っ取り早い。

 Aクラスは葛城派と坂柳派の二勢力が存在しており、現在葛城君が指揮を務めている。彼の堅牢な守りによって、洞窟をベースキャンプにして地の利を活かしているということ以外わかっていない。

 Bクラスも、不干渉という取り決めをしただけで、Cクラスの一人を匿っていること以外は……そもそも、クラスの代表と認識していた一之瀬さんと神崎君の間ですれ違いが発生しているようだった。その真偽や詳細は結局わからずじまいだ。

 そして肝心なCクラス。綾小路君も警戒しているようだったけど、現在D・Bクラスにそれぞれ、スパイと思しき人物がそれぞれ滞在している。表面上、ほとんどの生徒がリタイアしており残存ポイントゼロが濃厚に見えるが、綾小路君の推察通りなら、リーダー当てを狙っている可能性が高い。しかし、どこまでも推測の域を出ず、誰が何人残っていてどう動いているのか、実態が一切わかっていない。

 ならばDクラスはどうか。私が関心を向ける二人――綾小路君は名実ともにリーダー然とした動きを見せているが、その実私にすら隠している何かがある。それを最初に示唆した浅川君も、奇妙なリタイアに意図があるのかどうかさえわからない。

 それに加えて、櫛田さんの動向だ。二日目の単独行動を忘れてはいない。私の知らないところで、多くの人が目的を秘めて暗躍しているように見える。私はそのどれにも関与していない。

 さすがにいたたまれない。

 

「私が盲目的に他人を信じるほど落ちぶれたとでも? ある程度の証明をしてもらわないと、信じようにも信じられないわ」

 

 あえて相手の土俵に合わせてみる。私が他人に対し受容的になり始めているというのが、どうやら周囲からの評価らしい。ならば私なりに、「櫛田さんも信じようとする堀北鈴音」という体で応える。

 櫛田さんが鋭い視線を向けてきたのは、ほんの一瞬のことだった。

 

「うーん、確かに私も、私なりに考えてこの試験に挑んでいるよ」

「……! やはりあなたは、」

「でも! 私一人の考えってわけじゃないんだよね」

 

 なんですって?

 明らかに、上っ面を誤魔化しながら語る真実だ。独断ではない、となると、裏切りのために他クラスと取引をしているという予想が成り立つが……少し引っかかる。

 本当に裏切りを考えているのなら、ここまでのヒントを与えるメリットがない。じわじわと私を苦しめるためでもないだろうに。

 

「堀北さん、顔が怖いよ?」

「……」

「堀北さんも朝のことで不安になっちゃってるのかな?」

 

 だめだ。これ以上何かを明かすつもりはないらしい。元の、顔から喉奥まで取り繕われた彼女に戻ってしまった。

 櫛田さんはこの試験をずっと大人しくしているつもりはなかった。たったそれだけの収穫に不満を抱きながら、踵を返そうとする。

 

「大丈夫、堀北さん。そんなに焦らなくても、すぐに教える時はくるから」

 

 まるで、私の胸中を察したような言葉が背中に投げかけられた。思わず振り返る。

 

「それは、どういう」

 

 反射的に聞き返そうとした――その時だった。

 バンッッ!!

 聞いたことのないような短い音が鼓膜に届く。何かが小さく爆ぜたような。

 聞き間違いではない。明瞭な意識がそう判断した私は、咄嗟にあたりを見回す。――意外にも、櫛田さんも同じ反応を見せた。

 

「今の音……」

「した、よね……? 一体……」

 

 櫛田さんの疑問は、果たして最後まで発せられることはなかった。

 答えがすぐに、私たちの目の前に現れたからだ。

 

「お、おい、あれ!」

 

 徐々に大きく、広がっていくそれに、やっと気づいた池君が、動揺を露わに指をさす。

 その先にあったのは、

 

「な、なんだよあれ、燃えてるぞ!」

「嘘⁉ 火事? って、なんかこっちに向かってきてない?」

 

 鼻をつんと刺激する焦げ臭さは、ベースキャンプから少し離れた場所から伝ってきた。その烈火の波は、確かに見る見るうちにこちらの方へと押し寄せてきている。

 

「な、なにが起こっているの?」

 

 突然のことに驚きを隠せないのは事実だ。それと同時に、冷静な思考がたどり着いた疑問が一つ。

 炎の広がり方が、不自然だ。

 傍らの櫛田さんを見ると、彼女も呆然と事態を見つめていた。しかし、何かにハッとした様子になり、再び周囲を見回し始めた。

 

「櫛田さん……?」

「…………! そうか、やっぱりこれが……」

 

 何かに納得した? 櫛田さんはこの状況に心当たりがあるというのか。

 でも、物音が聞こえた瞬間だけでなく炎を見た時でさえ、彼女は素で驚いていたような気がする。

 

「何事だ?」

「先生! わかりません。でも、このままだとベースキャンプが……」

 

 異常を察知した茶柱先生に平田君が答える。

 事前にシミュレーションでもしていたのだろうか。それにしても冷静な口ぶりで、先生は指示を出す。

 

「全員まずは避難だ。反対側に火はあがっていない。迅速にそっちへ向かえ。荷物や物資よりも命を優先しろ」

 

 試験の都合上、学生証カード等の貴重品はバッグに入れていない。最小限な未練は切り捨てて、生徒たちは指示に従う。

 

「櫛田さん、私たちも早く避難を」

「こっち!」

「は――ちょ、ちょっと、櫛田さ」

 

 名前を呼ぶ間もなかった。

 櫛田さんは瞬時に私の手を引き、あろうことか燃え盛る炎へと突っ込んでいく。

 

「何のつもり⁉」

「大丈夫だよ。……多分」

「大丈夫なわけ……ッ、ないでしょうッ!」

 

 灼熱で目がチカチカと痛む。

 

「さっきの答え」

「は?」

「証明してやるって言ってんの。今は黙って付いてきて」

 

 呆気にとられて、反発する気にもなれなかった。自分の身の危険を顧みれば、絶対に抵抗するべきなのだろうが、私はずるずると奥へ引き込まれる。

 しかし、いざ森の中に入るとどうだろう。自信の曖昧さとは裏腹に、櫛田さんの言う通り炎の付き方はまばらだった。範囲が広いだけで安全な足場も多く、気を付けて進めば火傷もほとんどなく進めそうなほどだ。

 どういうこと? やっぱり不自然すぎる。

 

「伏せて」

 

 頭を鷲掴みにされ、強引に姿勢を低くさせられる。彼女をきつく睨むことくらい許されるだろう。

 すると、顎で「あれを見ろ」と促される。しぶしぶ従うと、驚愕の光景が視界に映った。

 

「綾小路君……?」

「疑っていたんじゃないの? 何か隠していることがあるんじゃないのかって」

 

 図星を突かれ言葉に詰まる。櫛田さんには、私の胸の内がお見通しだったわけね。

 

「な、なんで彼がこんなところに……いえ、あなたも、どうして彼がここにいると」

 

 疑問が脳内に渦巻いていく。櫛田さんはこの展開をある程度把握しているようだった。

 

「はっ……本当に何も知らないんだね、あんた」

「ッ……こんな時にまで、優越感に浸りたいというわけ?」

「ふん、それは正解の一つに過ぎないよ。あんたがあたふたして頭抱えているのを面白がっているってのもある」

「……教える気はないのね」

「どうせ知ることになるのに、わざわざ私があんたに親切を施す意味はなに?」

 

 しばらく考え込んでいた綾小路君が動き出す。私は慌てて追いかけようとするが、それを引き止めたのは他でもない櫛田さんだった。

 そして彼女は、決定的な一言を放った。

 

「感情的になっているのはあんたの方だろ堀北。色んなことで置いて行かれて、今更孤独に焦ってる」

「……! ち、違う」

「ホント滑稽だよ、最近のあんたは。須藤を助けようと出しゃばっておいて、無様にさらわれて何もできない。今回だってリーダー役にもならずに、試験にはほとんど関われていない。うちのクラスにありふれているような有象無象、モブに成り下がったと言っても、間違いじゃないよね」

 

 言い返したくても、言い返す材料がない。櫛田さんの言っていることは、確かに事実だからだ。何より、私自身が自覚していたこと。

 

「だけど、それを事実にしたのは他でもないあんた自身だよ」

「……わかっているわ。だって私は、」

「私は、そんな能力も資格も持ってないから?」

「……」

「バッカじゃないの。実力なんて関係ない。綾小路君に浅川君、平田君やBクラスの一之瀬さんとも関わりの持つあんたには、活躍するための条件が十分整っていた。難しいことじゃない、なにか一つでも簡単なことをするだけでよかったのに、あんたはそのどれもしなかった。わかる? 自分を駄目にしたのは、()()()()()()()()()だよ」

 

 怠慢……そうなのだろうか。そうかもしれない。実際に指摘されて、何だか腑に落ちた。

 行動しようと思った時点で、綾小路君にでも浅川君にでも強く問いただせばよかった。それを怠ったのは……。

 猜疑心の板挟みになって、気が滅入ってしまっていたのだろうか。自分ながら、どこか自分らしくないとは思っている。

 心の整理がついていない。いつまでも宙ぶらりんで、どこに向かって進めばいいのかがわからない。

 私は、何のために進めばいいの?

 

「……ハァ、気に入らない。気に入らないよ、やっぱり」

「ぇ……」

 

 俯いていた視線を上げると、櫛田さんは血が滲むほどの歯ぎしりでこちらを睨んでいた。

 

「まるで自分を悲劇の主人公みたいに……」

「……」

「なんでっ、そんなにまでなってるあんたが、私より……ッ」

 

 彼女は、呆然としている私の胸倉に掴みかかった。

 

「っ、櫛田さん――」

「あんたは、いつまで思い込みに甘えるつもり! どれだけ私を愚弄すれば気が済むの!?」

 

 怒気で歪んだ顔が、眼前に接近する。

 わずかに覚えた違和感よりも、その剣幕に対する恐怖が勝った。

 

「あな、たを、愚弄なんてっ」

「だったら言い返してみろよ! ()()()みたいに大見栄張ってほざいてみろよ! 自分の幸せすらわかってないくせに、何かになろうなんて思い上がるな!」

 

 私の、幸せ……?

 私……私は、幸せなんて望んでない。願望を語るなら、周りから信頼される人間になって、Aクラスにあがって、兄さんに認めてもらって。

 ……あれ? でも、今の私は、そのための行動を何一つ起こせていない。

 忘れていたというの? 私が、あんなにも目指していた、兄さんという目標を。そんな単純なことも見失って――

 

「…………もう、いい」

 

 力強い握りこぶしが、ゆっくりと力を失っていく。

 解放された私の身体もまた、足が折れてしまったように崩れ落ちた。

 踵を返した櫛田さんは、一度だけ立ち止まって言い放った。

 

「あんたの居場所も、私のものだったら良かったのに――」

 

 灼熱の中、ついに私は一人になった。

 非日常的な状況をよそに、私の胸には先程までの櫛田さんの言葉が深く刺さっていた。

 

「私、には、何が……」

 

 身体に力が入らない。抜け殻になった感覚に苛まれる私を、嘲笑うかのように炎が燃え囲む。

 願いと憧れは、間違いじゃないと言ってくれた。その方角を改めて、やっと進む道は定まったと、そう思っていた。

 その誓いを自ら反故にし、蔑ろにしてしまっていたのは、いつからだったのだろうか。

 疲れや自信の喪失でどうかしていただけ? それなら事は簡単だ。問題もはっきりしている。

 でも、それでどうにかなるとは思えなかった。もっと根本的な、私の中にある大事なものが、いつの間にかするりと零れ落ちてしまったような。

 重大な忘却を侵してしまった。曖昧な回答が、私に今できる最も正解に近い表現だった。

 このままじゃ、私はもう完全に立ち直ることはできない。それだけはあってはならないというのに……。

 頭の中がぐちゃぐちゃになって、諦観が脳内を真っ白に染め始めて、それからどれだけの時間が経っただろうか。

 

「鈴音?」

 

 聞き馴染みのある声に、ハッと意識が引き戻される。

 顔を上げた。

 いつの間にか、雨が降っていた。仰げば目を瞑ってしまうほどの強い雨。放心していた私の身体にほとんど火傷がないのは、これのおかげだったのかもしれない。気が付かなかった。

 そんな霞がかった視界の中、私の名前を呼んだ声の主は、相変わらずの無表情だった。

 

「あ……綾小路君」

「こんなところで何をやっている? 早く逃げるぞ」

「あなたの方こそ、一体何を……」

「――逃げ遅れた人がいないか探していた。お前のように動けなくなっているやつがいるかもしれないからな」

 

 見え見えの嘘を……。いつもなら一蹴できたはずのその一言すら、今は受け流すことができなかった。

 

「本当は?」

「え?」

「……いえ。あなたの言う通りね。早く逃げましょう」

 

 きっと彼は、微塵も私のことなんて信じていない。信じていなかった。

 情けないことに、私は今ようやく、その確信を抱くことができたのだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――

 私と綾小路君を最後に、Dクラスの避難はとりあえず完了した。

 緊急の点呼を終え、非常事態に備えていた大人の方々が迅速に消火活動を行い、腕時計を見るとまだ22時にもなっていなかった。

 異常事態にクラスのざわめきが収まらない中、平田君は落ち着きを失うことなく茶柱先生に問う。

 

「他に被害は出ていないんですか?」

「詳細は話せないが、全員無事は確認済みだ。安心しろ」

「良かった……。そうだ、試験についてはどうなるんですか?」

「幸いなことに、心的外傷の兆候が見られた生徒は確認されていない。特に申し出がなければ続行するというのが、学校側の方針だ」

 

 私がさらわれた時とは事情が違う。ここは第三者の目がない無人島で、学校が独占している環境だ。死者や重症者がいない限り、カリキュラムは完遂し情報は秘匿されることになるだろう。政府運営なのだ、この漏洩は嫌うはずだし、隠蔽は容易い。

 もっとも、来年度からは色々と見直されるのだろうが。

 

「先生、それ以外にも重大な問題があります。学校側は、この火災が起こる危険性を予め排除することはできなかったのですか? これは、致命的な責任問題です」

 

 幸村君からは、別の視点からの発言だ。

 彼の言うこともまた正しい。しかし、先生は首を横に振った。

 

「それは半分正解で半分間違いだ。学校側がこの事態を予測できていなかったのは確かだが、それはむしろ火災の危険性を可能な限り排除していたからだ」

 

 要領を得ない私達に、説明が加えられる。

 

「もはや全員気付いていただろうが、この無人島は一見すればわからない随所に手が加えられている。最低限の環境整備、危険生物の排除、そして、森林を火元とした火災への対処。試験の直前、この島は一面特殊な防火塗料を敷いている。だから余程のことがない限り、炎が燃え広がるということはない」

 

 そもそもルールに、環境破壊は減点だと記されている。生徒側の注意意識と相まって、サバイバル生活において可能な限りの防火策が実施されているのは確かなようだ。

 

「で、ではなぜこんなことに?」

「当然、余程のことが起きたのだろうな。()()()()()()()()()()()()()()()()()といったような、余程のことが」

 

 クラスメイト一同、彼女の発言に驚愕する。

 この人は、まさか……

 

「この島に、実行犯がいるということですか……?」

 

 平田君の代弁に、先生ははっきりと答えた。

 

「それしか考えられない」

 

 そんなバカな。誰もが信じられない思いでいっぱいになる。

 人が生活している環境に放火するなど、紛れもなく重犯罪だ。許されるはずがないし、普通の人間ならまずやろうとは思わない。なるほど学校側の一方的な過失とは、確かに言い難い。

 

「誰がそんなことを……」

「現在調査中だ。火災発生の時刻は記録されている。発火源と当時のGPS反応を照らし合わせれば、犯人は見つかるはずだ――」

「恐らく無理でしょうね」

 

 希望的な発言を遮ったのは、綾小路君だ。

 

「なぜだ?」

「こっちに来てください。――洋介と、鈴音も」

 

 言われるがままついていくと、たどり着いたのは火災現場、森の奥だ。

 

「消火活動中から観察していましたが、恐らく被害の大きいこのあたりが火元でしょう。そして……」

 

 彼は徐ろに地面に手を付け、撫で回した。

 

「気付きませんか? 妙に滑りやすくなっている」

「それってもしかして、油?」

 

「……! 待って」滑りやすい地面、記憶にある。「私が軽井沢さんと調達に行った時に……」

 

「なるほど、これで人為的な火災と見て間違いなくなった」

「はい。それともう一つ――」

 

 彼は足元の枝を一本拾うと、頭上の木を見上げる。

 

「この木、あそこの枝分かれした付け根の部分だけ燃え方が軽度だ。加えてこの枝は、端から端にかけて燃え方に極端な差があり周りの焦げ具合と一致しない。そこから導き出される解はこうです」

 

 まるで鑑定士さながらな分析を、綾小路君は淡々と語る。

 

「犯人はまず、適当な時間帯で随所にオイルをまいた。――鈴音、お前があの場所で大事なかったのは、重症者が出ないように油の量が調整されていたことも原因の一つだ。天候もある程度計算に入れていたはず。そして次に導火線を作った。長い枝の先端に火をつけ、樹木に載せた氷の上に放置するだけ。熱に溶けた氷が坂をつくり、不安定になった台から落ちた枝は可燃性の塊にやがてダイブする」

 

 私達は息を呑んだ。綾小路君の言った方法なら、確かに火災現場に居合わせることなく、簡単に犯行を実行できる。

 更には、火の届く範囲も調節することが可能だ。現に私達はベースキャンプの放棄をしたに留まり、避難する猶予は決して少なくなかった。人命が過度に脅かされたとは言えない。

 

「でも綾小路君。それだと一つだけ疑問がある。あの爆発音は一体どう説明するんだい?」

 

 平田君からの質問。私と櫛田さんが異変を察知したのは、あの不気味に弾んだ音だった。今のやり方では、あんな不自然な音は発生しない。

 答えたのは、綾小路君ではなかった。

 

「簡単なこと。その音はDクラスを襲った火災と無関係だっただけだ」

「でもあれは、」

「別の火災の原因だった。同時刻、D()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。火元と見られる場所には、破損した日焼け止めが数個置かれていたそうだ」

 

 とんでもない情報が飛び出した。どうやら被害を受けたのは私達だけではなかったらしい。

 しかし、日焼け止めが爆発の原因か。

 

「日焼け止めにはアルコールが含まれている。乾いてない状態や缶に残っている状態なら、十分な可燃性があるだろうな」

「そういうこと……。二つの火災は、同一人物による犯行なのかしら」

「何とも言えないな。用意できる燃料には限りがあったはずだから、それぞれ別の材料を使わざるを得なかっただけかもしれない」

 

 尻尾を掴ませずに非道を遂行するおぞましい手腕。私からすれば、強烈な既視感がある。ここまで倫理観が欠如している人間が、しかも私達と同じ高校生となると一層恐ろしい。

 

「綾小路の推測については、そのまま私の言葉として伝えておこう。説得力の点からも、その方が好都合だ」

「助かります」

「この事件の話はこれ以上引き延ばしても仕方がない。平田、ちょうど良い機会だから聞くが、これからどうするつもりだ?」

 

 転換した話題の矛先が平田君に向く。事件そのものではなく、試験に関することだ。

 

「……正直、僕もまだ動揺していて。今はみんなが落ち着くのを待ちたいと思います。ただ、ベースキャンプがもう……」

 

 被害が最小限だったこともあり、生徒の精神状態は思いの外安定している。

 しかし、焦げ臭さ漂う殺風景と化したベースキャンプは、心身共に悪影響を及ぼす可能性が高い。何より、初めに拠点として設定した理由である利便性が大きく削がれてしまっている。

 茶柱先生いわく、火災によって消失、破損した物資は補償されるらしいが、衣食住の住だけは、取り返しのつかない問題であった。

 重い沈黙が、四人の間に降りかかる。

 

「こんな大雨の中で密会かい? 理には適っているけど風邪引くぞー」

 

 突如、間延びした声が鼓膜を揺らした。

 四人の誰のものでもない、中性的なその音は、本来ここにいるはずのない人間から放たれた。

 全員がその一点を見つめる。

 

「良かった……無事だったんだね」

 

 平田君が平然と声をかける。まるで、この明らかにおかしな状況を当然のことのように認識して。

 傍らの茶柱先生も、彼と同様一切の動揺なく応対した。

 

「もう雲隠れには満足したのか? ――――浅川」

 

 名前を呼ばれた彼は、悪戯っぽく笑って見せた。

 

「やだなぁ茶柱さん。僕はずっと、()()()()()()()()()じゃないですか」

 

 

 

 

 予期せぬ来訪者に、反応は二つに分かれた。

 私と綾小路君は言わずもがな、リタイアしたと信じ切っていた浅川君が島に残っているという現状に驚いている。

 しかし、一方の平田君と茶柱先生は、この不可思議な状況が織り込み済みだったと言わんばかりに、安堵の表情を浮かべていた。

 

「もう隠れる必要もなくなった。だから君らだけには先行サプライズと思ったんだけど……あっはは、清隆のその顔、これは予想以上の収穫だったね」

 

 こっちの気も知らないで、浅川君はのうのうと相手の反応を面白がっている。

 

「リタイアはしていないと思っていたが……確かに驚くべきことばかりだ。どうやってオレたちに気付かれずベースキャンプに居られたんだ?」

「君を欺くための手の内なら既出のはずだぜ? もっとも、防ぎようはないんだけど」

 

 浅川君は見せつけるように、小さなゴムを指でくるくると回す。

 綾小路君にならい、私は喉元まで込み上がっていた疑問を吐き出す。

 

「平田君と茶柱先生には、全部伝えてあったの……?」

「うーん、ちょっと違うな。二人には伝えざるを得なかったんだ」

 

 彼からのアイコンタクトに応えて、平田君が説明を継ぐ。

 

「浅川君にとって一番の問題だったのは点呼だ。リタイアしていないからには、点呼に参加できない数だけポイントが減らされる。その問題をクリアするために、僕と先生はこのことを把握しいる必要があったんだ」

 

 報告を担っている平田君と先生に事情を知ってもらうことは必須。浅川君の行動による減点をなくす過程で最小限の開示をしただけのようだ。私は人知れず胸を撫で下ろした。

 

「さて。まだ聞きたいことはあるんだろうけど、その答えはこれからわかってくるはずだ。今は時間がない。目の前の課題に取り組もう」

 

 能天気に手を鳴らし、明るい声が木霊する。

 

「話は聞いてる。機能不全に陥ったベースキャンプ、総勢39人がこの無人島で残り二日間を乗り越えるには心許ない。健康状態やクラスの雰囲気、諸々を考慮して十分な結果を勝ち取るためにはどうすればいいのか……。僕から一つ提案がある」

 

 怒涛の勢いで語る浅川君の妙案は、私にとって奇想天外なものだった。

 

「こんな過ごしにくい島、みんなでとっととオサラバしちゃおう!」

 




よくよく考えてみれば、久しぶりに投稿したくせにオリ主再登場の寸前で終わるのってどうなんだと思ったので、急ピッチで書き上げました。
ここまでで十分謎が膨れ上がっていると思いますが、本章の最後には半分以上解明される予定です。

番外編時系列投票ver2

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